見習い薬師は臆病者を抱いて眠る

XCX

文字の大きさ
上 下
2 / 42

2.謂れのない中傷

しおりを挟む
 この世界は、天界・人間界・地獄の三つに分かれている。地獄と天界は互いに覇権を求めて争っている。過去に三度、大戦は起きた。次はいつ起こるとも知れない。人間は死後、地獄か天界のいずれかで再び生を受け、それぞれの世界で適性に応じた訓練を行い、大戦に向けて日々研鑽している。
 地獄は王の坐す第0階層を始めとして、第九階層から成る。王宮である第0階層を除く各階層は、王直轄の、王に次ぐ力を有する者が治めている。彼らは各階層につき一人。纏めて九貴族と呼ぶ。
 罪を犯した人間は死後、その罪の重さによって各階層へと振り分けられる。罪が軽ければ第二、第三階層。情状酌量の余地もない程の重罪人は第九階層へ。罪の重さに応じた贖罪を全うして始めて、正式に地獄の住人として迎えられるのだ。


 気まずい雰囲気のまま解散した後、ティオは薬学室へと急いでいた。すれ違う人々が何事かと視線を投げかけてくるが、気にしている余裕はない。イェゼロから後で来るように言われているが、後で、というのがどれくらいの時間のことを指しているのかわからない。師匠の意図する時間より遅れて着いてしまったら、何をされるかわからない。
 イェゼロは、悪戯好きな子供がそのまま大きくなったような性質の悪い愉快犯だ。たった一年しか師事していないが、その身に受けた彼の悪行の数々を思い出して、全身に鳥肌が立った。

「うわ、あっ!?」

 薬学室を目前にして、足に衝撃を受ける。バランスを崩した体はふわりと浮かぶ。受身を取ることは叶わず、ティオは床に叩きつけられた。常に携えている肩掛け鞄の中身が散らばる。

「なんだぁ?ティオじゃないかぁ」

 悪意に満ちた声に、彼に転ばされたのだとティオは一瞬で理解した。名前はドゥレン、同じく薬師見習いだ。

「やけに必死の形相で走っているから、何処かから盗人でも紛れ込んできたのかと思ったじゃないか」

 ドゥレンの冷やかしに、彼の取り巻き達が下卑た声で笑う。床に突っ伏したまま、ティオは歯を食いしばり、固く拳を握りしめた。
 新参者のティオがイェゼロから直接指導を受けていることを、快く思っていない薬師見習いは少なからずいる。中でも、あからさまにティオに突っかかってくるのがドゥレンだった。
 理由は、ティオの過去に関係している。ティオは、生前ヘルガと言う名前の人間だった。物心つくころには既に両親はおらず、孤児として貧民街に住んでいた。住んでいたと言っても家はなく、野良犬の如く路地で寝起きし、残飯をあさる日々。その日を生き抜く為に盗みは日常茶飯事だった。日銭を稼ぐために金目の物を、飢えを満たすために食べ物を盗む。大人になってもその生き方は変えられなかった。ある冬の日、富裕層の屋敷に忍び込んだ所を現行犯で捕まり、暴行を受けた状態で大雪の中捨てられた。手酷い暴行が死因となり、ヘルガはそのまま亡くなった。
 罪を犯したせいで、ヘルガは地獄送りとなった。罪状は窃盗。贖罪の期間は、生きた歳と同じ十九年。贖罪という名の拷問にも似た苦行に、いっそ殺してくれと何度も願いつつヘルガは罪をあがなった。そうしてティオと名づけられ、地獄での新たな人生を始めたのだ。
 地獄の世界は、完全な実力主義社会だ。獣人だろうが元人間の罪人であろうが、地獄生まれであろうがそうでなかろうが、実力さえあれば栄進できる。それ故に、イェゼロに薬師としての素質を見出され、他の先輩見習い達を差し置いて彼の弟子にされた。元罪人の癖に、と生粋の地獄生まれであるドゥレンはティオに対して陰口を叩く。たとえ元罪人だろうと、きちんと罰は受けているのだ。蔑まれる筋合いなどない。それでも、出生率が極めて低い地獄で生まれた住人は、自分が選ばれし者なのだと誇りに思う部類が一定数いた。
 種族や出身の違いで相手を差別してはいけない、という認識が暗黙の了解で存在している。何しろ、現王の伴侶が元人間なのだ。元人間だからと言って差別をするのであれば、即ち王を愚弄することも同じ。だが、人々の中に根付いた認識をすぐさま変えるのは難しい。ひっそりとではあるが、差別は確実に存在していた。
 ティオは無言のまま起き上がった。散乱した持ち物を急いでかき集めて、鞄にしまう。立ち上がって服の汚れを手で払うと、ドゥレン達には目もくれずに薬学室に向かって歩を進める。
 こういうのは相手にしない方がいい。言い返せば、相手の差別意識に油を注ぐだけだ。話し合いで解決しようとしても、相手はどうせ聞く耳持たない。こういう部類は自分が見たいもの、聞きたいことだけを見聞きするものなのだから。

「おいおい、俺らみたいなのは話す価値もないってかぁ?お高くとまってんなぁ!」
「穢れた罪人のくせに!」

 罵声を背中に浴びながら、ティオは足早にその場を離れた。痛む胸をぎゅっと押さえながら、下を向いたままひたすら歩く。
 中傷に慣れたとは言え、傷つかない訳ではない。罪を犯した前世と、贖罪のために罰を受けた記憶があるだけに苦しい。自分だって前世の行いを後悔しているのだ。恥ずべき過去。もう、ヘルガではないのに、彼の記憶が亡霊のようにつきまとう。

「っと」
「うぶっ」

 息苦しさに思わず目を閉じていると、誰かにぶつかった。その反動で体が後ろに傾いだが、腕を掴まれて引き戻され、ぶつかった人物の胸板に飛び込む形になった。

「なんだ、ティオか」
「ソ、ソルダート」

 意中の相手の登場に、ティオは自分の顔が真っ赤になるのがわかった。

「おいおい、下向いて歩くと危ないぞ。明日は深淵の森に出発するってのに、怪我でもしたらどうするんだよ」

 相変わらず放っておけないな、とソルダートは笑みを浮かべてティオの頭を乱雑に撫でた。彼の声を耳にして、手で触られただけで、つい先程まで感じていた苦しさがどこかに吹き飛んでしまう。

「…ごめん、ちょっと急いでたんだ」

 ソルダートにつられて、ティオも笑みを浮かべる。
 寄りかかった部分が温かい。兵士らしい、がっしりとした体型。この体で抱きしめられたら、さぞ気持ちが良いだろう、とティオは思った。

「あ、イェゼロ様に呼ばれてるのか?それなら確かに急がないとな。俺の方こそ引き止めてごめん」

 ソルダートは慌てた様子でティオから離れた。また後でな、と肩を叩いて兵士見習いは歩き去っていった。温もりが無くなって、薬師見習いの青年は残念な気持ちになる。触れられた部分に己の手を重ねながら、ティオはソルダートの後姿を見送った。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

訳ありな家庭教師と公爵の執着

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝名門ブライアン公爵家の美貌の当主ギルバートに雇われることになった一人の家庭教師(ガヴァネス)リディア。きっちりと衣装を着こなし、隙のない身形の家庭教師リディアは素顔を隠し、秘密にしたい過去をも隠す。おまけに美貌の公爵ギルバートには目もくれず、五歳になる公爵令嬢エヴリンの家庭教師としての態度を崩さない。過去に悲惨なめに遭った今の家庭教師リディアは、愛など求めない。そんなリディアに公爵ギルバートの方が興味を抱き……。 ※設定などは独自の世界観でご都合主義。ハピエン🩷  ※稚拙ながらも投稿初日(2025.1.26)からHOTランキングに入れて頂き、ありがとうございます🙂 最高で26位(2025.2.4)。 ※断罪回に残酷な描写がある為、苦手な方はご注意下さい。

白い結婚を言い渡されたお飾り妻ですが、ダンジョン攻略に励んでいます

時岡継美
ファンタジー
 初夜に旦那様から「白い結婚」を言い渡され、お飾り妻としての生活が始まったヴィクトリアのライフワークはなんとダンジョンの攻略だった。  侯爵夫人として最低限の仕事をする傍ら、旦那様にも使用人たちにも内緒でダンジョンのラスボス戦に向けて準備を進めている。  しかし実は旦那様にも何やら秘密があるようで……?  他サイトでは「お飾り妻の趣味はダンジョン攻略です」のタイトルで公開している作品を加筆修正しております。  誤字脱字報告ありがとうございます!

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

【完結】奇跡の子とその愛の行方

紙志木
BL
キリトには2つの異能があった。傷を癒す力と、夢見の力。養親を亡くしたキリトは夢に導かれて旅に出る。旅の途中で魔狼に襲われこれまでかと覚悟した時、現れたのは美丈夫な傭兵だった。 スパダリ攻め・黒目黒髪華奢受け。 きわどいシーンはタイトルに※を付けています。 2024.3.30 完結しました。 ---------- 本編+書き下ろし後日談2話をKindleにて配信開始しました。 https://amzn.asia/d/8o6UoYH 書き下ろし ・マッサージ(約4984文字) ・張り型(約3298文字) ----------

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する

SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。 ☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます! 冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫 ——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」 元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。 ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。 その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。 ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、 ——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」 噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。 誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。 しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。 サラが未だにロイを愛しているという事実だ。 仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——…… ☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので) ☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!

処理中です...