悪人喰らいの契約者。

八剣晶

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王都

34  初めての魔術

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「説明はここまでにして、早速魔術の練習を始めましょうか」

 チェミーは手元にある分厚い本を開きながら、序盤部分を目で追い始める。

「チェミー そのほん なに?」

「これは一般魔道書よ。 魔術の研究は主に国や宮廷魔術師がやっているの。 その中から公(おおやけ)に広めて問題ないレベルの《呪文(スペル)》がここに収められているのよ。 載ってるのは初級から中級位までで、タルラが使うような、短縮詠唱だったり、上級や戦術魔術は載ってないわ。 でも、初めて魔術を習うにはうってつけなの。 私もこの本で魔術を覚えたのよ。 結構高いんだから」

 チェミーの話では、初級と中級が分割された廉価版もあり、独学で覚えるなら、一番最初は魔術の習得をメインに纏められた初級入門編が良いらしいが、今回はチェミーと言う講師が居るので、問題ないらしい。

「本当なら、魔術の指導を受けるだけでも、結構かかるのよ。 でも、今回はミラベルと一緒に教えるってことで、イベール子爵から授業料は貰ってるから、大丈夫。 まぁ、サクちゃんになら、タダで教えてあげても良いんだけど。 もらえる物は貰っておかないと」

 冒険者と言えばフリーランスだ、生きていく上で世知辛(せちがら)い物があるのだろう。 それに、「サクちゃんにならタダで~」と言った時のチェミーの顔は笑顔であったのだが、その目の奥がどこか笑っていない気がして、「タダより高い物は無い」との諺(ことわざ)が頭に浮かんだ朔は、少しだけイベール子爵に感謝するのであった。

 もちろん、イベール子爵婦人のマイアがチェミーにお金を渡す時、同じ目をしていたことなど朔は知る由(よし)も無い話だ。

 朔がミラベルが居なくて良いのか聞くと、「もう、幾つか覚えてるから、後は実践での使い方をレクチャーするだけだから」と、言われてしまった。 今回は初めて魔術を習う朔のための時間で、ミラベルが聞いても今更な内容なのだそうだ。 ミラベル、以外に優秀である。 

「さっそく、《明り(ライト)》の《呪文(スペル)》から行きましょうか」

(え? すぐに呪文から? ここは、体内に有る魔力を感じる云々(うんぬん)とかじゃないの?)

 ファンタジーにありがちなテンプレを思い出し、困惑する朔。

「あ、言ってなかったわね。 呪文には習得呪文って言うのがあって、魔素(マナ)さえ足りてれば、何度か唱えるうちに使えるようになるのよ。 ただし、人によっては何年もかけて、何万回唱えても発動しない時もあるから、この段階で止めちゃう人が一番多いの。 でも、発動しなくても魔素(マナ)は消費されるし、使えば使うほど増えていくから、諦めなければいつかは発動するはずよ。 だからサクちゃんも始めは上手く行かないかも知れないけど、頑張ってね」

 朔の困惑顔をどう取ったのか、チェミーが追加で説明をしてくれる。

『うわぁ~、やっぱり完全に《呪文(スペル)》頼りなんだ。 サク見たいからやってよ』

「一度やってみるから、見ててね」

『我が内に眠りし魔素(マナ)よ、光顕(あらわ)す言霊の導きに従い、仄かなる光の球へと至る術式を組みて、現れよ、《明り(ライト)》』

 《呪文(スペル)》を唱えたチェミーの前に、ピンポン玉サイズの光の球が出現した。 まだ日が高いので分かり辛いが、40ワット電球くらいの明るさはあるように思える。

「これが、《明り(ライト)》の習得呪文よ。 安定して発動できるようになったら、もう少し呪文を短くして、唱えることも出来るわ」

 言いながらチェミーは一旦光の球を消して、もう一度唱え始める。

『魔素(マナ)よ、光の球と成りて現れよ、《明り(ライト)》』

 すると、再び光の球が現れ、チェミーの横に浮ぶ。

「この短縮した呪文で発動できたら、《呪文(スペル)》を習得したと言ってもいいかな」

「おぉ~。 すごいね チェミー」

 朔の言葉にチェミーは「ふふん」と鼻を鳴らし、光の球を消した。

「じゃぁ、ゆっくりでいいから、私の後に続いて《呪文(スペル)》を唱えてみて」

『我が内に眠りし魔素(マナ)よ、光顕(あらわ)す言霊の導きに従い、仄かなる光の球へと至る術式を組みて、現れよ、《明り(ライト)》』

『 ”わが” 内に眠りし魔素(マナ)よ、光顕(あらわ)す ”ことだあ” の導きに従い、 ”ほのか” なる光の球へと至る ”じゅちゅしき” を組みて、現れよ、《明り(ライト)》』

 いくら音が似ているからと言っても、やはりなれない言葉は難しい。 所々かんだり言い間違いをしてしまう。

「サクちゃん凄いわ! 《呪文(スペル)》は、初めてだとそこまで上手く言えないのよ。 サクちゃんがたまに口にする母国語の発音が、呪文と似てるとは思ってたけど、ここまで一回目で上手く言えるとは思わなかったわ。 普通きちんと発音できるようになるまで半年くらいかかる物なのよ」

『サク何噛んでるのよ!? 呪文はきちんと発音しないと効果ないんだから、しっかりしなさいよっ!』

 それでも感心したように褒めてくるチェミーと、厳しい言葉をかけてくる悪魔が、正反対の事を言ってくる。 朔は当然チェミーの言葉に反応して「そう? えへへ」と笑顔で返してしまう。 朔は自称、褒められて伸びる男だった。

「これなら、案外早く習得できるかもしれないわね。 今度は一つ一つ発音を練習しながらやってみましょうか……」

 こうして練習する事しばし、朔が初めて最初から最後まで言い間違えずに《呪文(スペル)》を唱え終えた時、体の内側に変化を感じた。 悪魔から魔力が流れ込んでくるときに感じるのと同じものが、自分の内側から沸きあがってくる気がする。 それは、発露を求めて外に出ようと蠢き出し、なんと言えばいいのか引っかき傷が治りかけた時のむず痒さと、右手で四角形、左手で三角形を同時に描いた時のもどかしさが、一緒になって体の中を這い回っている感覚がする。

 それらの感覚は決して不快では無いが、独特のこぞばゆさが有り、朔は思わず体をもじもじと動かしてしまう。

「どうしたの、サクちゃん? トイレなら我慢しなくて良いわよ」

 おしっこを我慢しているように見えたのだろう、チェミーが声をかけてくるが、別にトイレに行きたいわけじゃない。

「ちがうの なんか もぞもぞするの……」

 こそばゆいもぞ痒さから、指を組んで体がもじもじ動いてしまう自分に、恥ずかしがりながらも朔は上目使いでチェミーを見つめて説明する。

 一方、朔に見つめられたチェミーはというと、「駄目よ、駄目…」等とつぶやき、軽く身震いをしながら、何かに耐えるように朔から目を離さないで居た。 朔にしてみれば、チェミーの方こそトイレを我慢しているように見えなくも無い。

「御二人とも、何をなさっているのですか…?」

 モゾモゾと怪しい動きをしている二人に、部屋の扉をあけたムルビィが、ジト目で声をかけてきた。 手に持つトレーの上には飲み物が乗せられており、少し息を切らせているのは、チェミーと二人きりにするのが不安だと言っていたので、急いで洗濯を終わらせて来たからかも知れない。

「ムルビィ~! 助けて! サクちゃんが可愛すぎて、危なかったの! このまま家に持って帰って、むぎゅ~~って独り占めしたくなっちゃうの! あぁ、でも、皆に「私のサクちゃん可愛いでしょう」って、見て欲しい気持ちもあるし。 どうしよう?!」

「どうもし様はありません。 そもそも、サク様はチェミーさんの物じゃ有りませんし、可愛いのは判っていた事では有りませんか。 このままご成長あそばされれば、さぞ見目麗しい青年にお育ちになられるのは、もはや確定していることです。 今更何を言っているのですか?」

「違うのそうじゃないのよ!」

 いまだジト目のムルビィに、「何で判ってくれないの! ムキィーっ!」な状態で、チェミーは言い募(つの)り、

「これを見てもそんなに冷静で居られるかしら?!」

と、朔の方を向き直ってくる。

 そんなやり取りを見ながらも、朔は先ほどの事が心配になり、悪魔に小声で聞いていた。

「なぁ、さっきのモゾモゾしたあれはなんなんだ?」

『ん~と、《呪文(スペル)》でサクの中に魔術式が構築されてるだけだから心配ないよ。 あたしが弄った成長率と、魔力への親和性のせいで凄く感じやすくなってるって、とこかな?』

 悪魔の答えに問題が無い事を知って、朔は胸を撫で下ろした。

 だが、悪魔も《呪文(スペル)》で魔術式を構築するのを見るのは初めてであり、通常の数十倍の速度で朔の中に構築されている事には、気が付いて居ない。 本来の術式構築なら多少感受性の強い人間が、ほんの僅かな違和感を覚える程度でしかなく、もぞ痒さを覚える程の術式の組み上げは、この世界の人間では異常だとも言えるのだ。

「サクちゃん、もう一回、《明り(ライト)》の《呪文(スペル)》を唱えてみて?」

 ムルビィの手を取ってこちらへやって来たチェミーに促され、朔は《呪文(スペル)》を唱える。 間違わず唱えられるようになった《呪文(スペル)》は再び朔の中でもぞ痒さを生み出し、どうしても堪え切れずまた、身体がモゾモゾと動いてしまい、口からも「くぅ…んっ…」と上ずった声が出てしまった。

 自分の動きに恥ずかしさを覚え、朔の顔は真っ赤になっていき、俯いてしまう。

「こ、これは……危険です! 全てを投げ捨ててでも、このまま流されてしまいそうになってしまうくらい危険なもの(・・)ですよチェミーさん!」

「でしょ! なんか、キュ~~ンってなっちゃう位、サクちゃんが可愛すぎるでしょ?!」

「チェミーさんの仰るとおりかも知れません、危険です。 色々な意味で大変危険です!」

 会話が成り立ってるのかどうか怪しいやり取りだが、共感はしているようで、チェミーとムルビィは、朔の事を見つめながら、二人して顔を赤らめ頷きあっている。

 しばらくすると、朔の発作|(?)も落着き、普通に戻のだが、女性二人はその姿に少し不満げで、物足りなさそうな視線を向けてくる。

「そ、それで、サク様に異常が有ると言う訳ではないのでしょうか?」

「人によっては、習得呪文を唱えた時に、違和感を覚えることが有るみたいだから、多分それだと思う。 特に痛がってもいないし、熱が出てる様子も無いから、暴走してるわけでもなさそうだし、大丈夫だと思うわ」

 はっと我に帰ったムルビィがチェミーに聞いてくるが、問題は無さそうと答えを受けてほっとする。

 魔術の習得に関しては《呪文(スペル)》が盗まれないように、隠れて練習するのが一般的である為に、余人との差を伝聞でしか聞いていないチェミーでは、朔の異常性に気付きようも無かった。

「そうですか。 よかった…、では、このまま魔術の修行は続けられるのですね?」

「当然よ! こんな事、これで見納めなんて勿体無……じゃなくて、学園に入るには、最低でも一つは魔術を習得して無いといけないのだから、心を鬼にしてでも、やらせるわよ」

「でしたら、一つだけ条件が有ります」

「条件?」

「はい。 決してチェミーさん一人だけで習得呪文を唱えさせないで下さい。 ある日突然、サク様を横抱きにして馬を走らせ逃亡を謀るチェミーさんを、私は見たくは有りませんので」

「そ、それは……」

「このままでは、そうならないとも言い切れませんでしょう? ここはタルラ様の為にもどうか、こらえて下さいませ」

「そうね、わかったわ。 ムルビィの言う通りね、私もタルラ様の信頼も、人としての理性も失いたくないもの。 その条件……、飲むわっ!」

 朔としては、チェミーが飲むと言い切る前の、微妙な間が気になりもしたが、これ以降魔術の練習と公開処刑が同義語になってしまったであろう事に、酷く落ち込むのだった。

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