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異世界転移の章
1 悪魔と朔
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六十井(むそい)朔(さく)は、暖かな日差しと頬を撫でる涼やかな風に目をあけた。
アスファルトの匂いも、鼻の奥を刺激するような排気ガスも感じられない。
それどころか、見渡す限り広がる平原には、車一つ見当たらない。当然林立するビル群や地下からダクトを通して排出される、少し黴交じりの乾いたホコリっぽい空気にも包まれていない。
聞こえるのは空を飛ぶ小鳥の群れの鳴き声と、草原を風が渡るさわさわとした音くらいだ。
今思えば、高さを競うグラフのように立ち並ぶビルも、たえず車が行きかう道路も、どこを向いても目に入る人並みも、ひどく懐かしい気がしてくる。朔があの国を出てから未だ半年と過ぎていないというのに。
「どうやら、無事に着いたみたいだな……ん?」
一頻り周りを見渡し、状況を確認した所で、独り言のように朔は呟いた。
しかし、自ら発した声に違和感を覚る。声音が高い、変声期前のダミのない澄んだ少年のような声だ。
「無事にきまってるじゃなぁ~い。このアタシがぁ、たかだかぁ…世界を渡るくらいでぇ…、……疲れた」
「おいっ!」
さっきの呟きに応えるように返された言葉に、思わず朔が突っ込む。
こちらは聞きなれた少女の甲高い声なのだが、何時もは朔の耳元でキャンキャンと喚く位で喋るのに、今は何処か間延びした感じで、しかも、足元から聞こえてくる。
「どうしたんだ? らしくない」
聞こえた声を追って、朔が目線を足元に向けると、手の平サイズの少女がグッタリと、裸足の足にもたれかかっていた。
露出の多い黒でタイトな衣装を身に纏い、腰の辺りからはコウモリのような翼を生やし、頭には二本の巻き角、そして先が矢印になった尻尾。二次性長期に入りたての未熟な肢体を除けば、誰がどう見ても雌淫夢(サキュパス)と答えるであろう容姿なのだが、本人曰く死者の魂を食べる悪魔らしい。
朔も、彼女が魂を食べる姿を何度も目にしているので、恐らくは本当なんだろうと思っている。
そして、この悪魔と朔は契約によって結ばれている。
本来なら悪魔は実体を持たず、見ることは出来無いらしいのだが、契約を結んでいる朔にはどうやら見ることも、話すこともできるらしい。何より実体の無い悪魔に触ることすら出来るのだ。
「どうゆう事か、説明してくれるんだろうな!?」
朔は足元にへばっている悪魔の羽を抓(つま)み、説明を求めた。
朔が聞いたのは、悪魔を見ようと視線を下げたときに見えたもの。つまりは自分の体の変化についてである。
生えていなかったのだ。
細かく言うなら、男性としてのアイデンティティーは生えている。しかし、その周りに元々有った筈の、黒々モジャモジャとしたものは何も無くツルツル。さらに言うならば、剥けても居ない。パオパオさんのお鼻状態なのだ。これは、例えアイデンティティーが有ったとしても、その上から上書きされて、全否定されている気分になる。
当然ながら、太ももから脛にかけても、ツルツルだ。こちらは何も生えていないと言うわけではなく、薄(うっす)らと産毛の様な物はある。肌の決めの細かさと併(あわ)せ、擦(さす)れば「しっとりさらさら」な、天使の肌触りの感触が楽しめることだろう。
若返っているどころか、幼くなっているのだ。視線の高さも、感覚でしかないが、だいぶ低くなっているようだ。
最後の方はあやふやだが、向こうの世界では、確か37歳だったと記憶している。
「なんで、こんな身体になっている?」
「いやぁ~、こっちに来たのは良いけど、最後に少しだけ魔力が足りなくって、子供の身体でもいっかってね」
再度問いかけた朔に、ぐったりしたままテヘペロで応えるという器用な事をする悪魔。その顔には疲れているのが分かりやすく漫画のような縦線が入っている。
しかし、朔としてはそれで済ませられる問題ではない。百歩譲って裸なのは仕方ない。事前の説明では、身一つでしか行けないと聞かされているのだ。ただ、その説明の時には「何も問題ないよ。むしろ魔力は余る位なんだから!」と、言われてたはずなのだ。
「魔力は大丈夫と言ってなかったっか?」
「あのままだったら、何も問題なかったわよ」
「と言う事は、何か問題があったんだな?」
「有ったと言えば有ったし、無かったと言えば無かったかなぁ~?」
朔の問いに、なにやら言い淀み始める悪魔。明らかに怪しい。
「じゃぁ、何が問題あったのか教えてくれるかな~? 悪魔君?」
このまま問答しても、しらばっくれるだけだろうと、羽を抓む手に力を篭めながら笑顔で朔は話しかけた。
「イタタタタ……。そのぅ…容姿とか?」
「ほうほう」
悪魔の言葉に、朔は笑顔のまま青筋を立て始める。当然、指先にも力が更に篭められていく。
「だから、痛いって! だって仕方ないじゃん! せっかく異世界で新しいスタートを切るなら、隣に居るのは絶対イケメンのほうが良いに決まってるじゃないっ!」
よっぽど羽が痛いのか、涙目になって反論し始める悪魔。だが、言ってる内容はかなり自分勝手である。
「イケメンって、これはどう見ても小学生位だろう! お前もしかしてショタコンか?」
「そんなわけ無いじゃない! と言うか、アタシには性別すらないんだし、大体あんたが今見てるアタシの姿だって、あんたの願望でこう見えてるだけなんだから! どうせなら目の保養になるほうが良いって位の話よ! で、もう少し若い方がいいかな~?とか、若くするなら今後の事も考えて、身体能力の成長率も上げた方が良いしぃ~、アタシの魔力との親和性をもっと上げて~、って、色々弄(いじ)ってたら、結局魔力が足りなくなって、最高でもその年齢しか設定できなくなったのよ!」
「って、どう考えてもお前のせいだよな!? 何が『有ったような~、無かったような~?』だ! 一番の問題はお前じゃねえかっ!」
「ひどっ! こう見えてもすこ~し(・・・・)やり過ぎちゃったかなって、戻そうとしたのよ!? でも、時間切れでそのまま固まっちゃたのよ! 仕方ないじゃない? ね?」
「ね? じゃねーよ! そんな幼子を諭す天使みたいな笑顔をしたって誤魔化されねーよ! 今すぐ元に戻せ!」
「はぁ~っ? あんた何言ってるの? そんなの無理に決まってるじゃない。 一度人間として固まった存在を再度改変するなんて出来るわけ無いじゃない。 試してみたところで、制御出来無いぶくぶくブヨブヨの、肉の塊になるのが落ちよ」
先ほどまで浮かべていた微笑(ほほえみ)を引っ込めて、侮蔑するような表情でそう語る悪魔。その上肩をすぼめて手の平を上に向け「やれやれ、コレだから馬鹿は困る」とでも言いたげに、首を振っている。
「大体、時間切れが後一秒遅くて、アタシがリセットしちゃってたら、あんた今頃不定形生物デロンドロンになってる所だったのよ? そうなったら、迷わずコンビ解消で、自我も無いデロンドロンな魂をアタシが食べなきゃいけなくなってたんだから、そうならなかっただけでも、感謝して欲しい位よ。分かった?」
何処から突っ込めば良いのか意味不明な言葉を並べる悪魔。デロンドロンとは何なのか気になる所でも有るが、そもそも今の話で何をどう受け取ったら感謝する事になるのだろうか? 明らかに原因は目の前に居るこの悪魔なのに、当の本人は感謝されてさも当然と言わんばかりに右手を腰にあて、少ししか無い胸を張っている。
「なぁ、質問なんだが」
「なによ?」
「当然、元の俺の身体データのバックアップは取ってたんだよな?」
「何言ってんの? このアタシがそんな面倒(めんど)くさい事する訳無いじゃない」
それを聞いた瞬間朔は悪魔を抓んでいた右手を多く振りかぶって、思いっきり投げた。幼く柔かな肩は朔の意思以上の柔軟な可動域をもたらし、柔らかく撓(しな)る右腕に、踏み込んだ足とスムーズに捻られる腰の回転の力を、不足無く伝えきる。
耳の横を「ブン!」と、音を立てて通り過ぎる右手の感触が心地よい。
「ぎょええええぇぇぇぇ~」と意味不明な叫び声をあげながら、錐もみ状態で放物線を描いて飛んでいく悪魔を尻目に、朔はその辺転がっている木の棒を拾い上げ、軽く2、3回振り、その強度に「ふむ」と納得して、バッティングの構えをとる。
「召喚!」
契約により、朔は何時でも悪魔を召喚する事ができる。それも自身を中心に半径約3メートルの範囲内の任意の場所にだ。
好球必打。基本である。そして、バッティングの基本は、叩きつけるように打つ事!
「ちょっ! 何いきなり投げ…ブガウッ!」
木の棒で地面叩きつけられ、軽くバウンドして止まった悪魔は目を回して伸びている。
何時もならこの状態からでも元気に復活してくるのだが、魔力不足で調子が悪いのは本当のようだ。
仕方ない、今回はこれくらいで勘弁してやるかと、溜息とともに気持ちを切り替える朔。
本当なら小一時間程の説教を、休息を挟んで6セット位たれたい所だが、本能と欲望のままに生きるこの悪魔は「二度とやるな」と言っても、必ずやる。そもそも、人の体など興味が無いどころか、「中に詰まった美味しい魂を食べるのに邪魔な物」位にしか考えていない。ゆで卵の殻程度の認識なのだ。
それに朔としても、何時魂を喰われてもおかしくない状態のはずだ。
向こうの世界で、悪魔と契約した時点での目的はすでに果た、もう生きている事に未練は無い。
だから、再び"人"として相棒に成れるというなら、それならそれで良いかと、思い直したのだ。
「で、どんな状態だ?」
朔は悪魔へとゆっくり歩み寄り、上から覗き込みながら声をかけた。
「うぅ~、もうダメ~。お腹ぺこぺこで魔力の欠片も残ってないよ」
「仕方ないな」
言いながら、朔は再び悪魔を抓み上げる。
「で、どっちに行けばいい?」
朔の問いかけに悪魔は、スンスンと鼻を鳴らすような動きの後、
「あっちっ! あっちから美味しそうな匂いがする!」
と、指差した。
「分かった。落ちるなよ?」
朔はそのまま悪魔を自分の頭の上に乗せた。
悪魔が指を挿した方を見やれば、遠くに森が見える。
「あんた、分かってるとは思うけど、契約なんだから、ちゃんとアタシを食べさせていきなさいよ。悪魔一人満足に養えないような甲斐性無しなんかを、相棒にした覚えは無いんだからね。良い」
「はいはい、分かってるよ」
そこまで言うなら、こっちの世界に移った時に、不定形生物デロンドロンでもなんにでもして、朔の魂を食べれば良いのに。そうすれば、その魂を元に魔力も補充でき、後は次の契約者か獲物を探せばよいだけの話だ。
この悪魔はそこまで知恵が回らないのか、それとも何か理由があるか、今は頭の上で「ごっはん~、ごっはん~。美味しいごっはん~」と、暢気に鼻歌を歌っている。後頭部辺りの髪がふさふさと揺れる感じになるのは、頭の上で頬杖をついて寝そべっている悪魔が、美味しい食事を想像して嬉しさに溜まらず脚をバタバタ揺らしているせいだろう。
(まったく、何を考えているのやら)
そんな事を思いながら、朔は歩き始めるのだった。悪魔に導かれるままに。
アスファルトの匂いも、鼻の奥を刺激するような排気ガスも感じられない。
それどころか、見渡す限り広がる平原には、車一つ見当たらない。当然林立するビル群や地下からダクトを通して排出される、少し黴交じりの乾いたホコリっぽい空気にも包まれていない。
聞こえるのは空を飛ぶ小鳥の群れの鳴き声と、草原を風が渡るさわさわとした音くらいだ。
今思えば、高さを競うグラフのように立ち並ぶビルも、たえず車が行きかう道路も、どこを向いても目に入る人並みも、ひどく懐かしい気がしてくる。朔があの国を出てから未だ半年と過ぎていないというのに。
「どうやら、無事に着いたみたいだな……ん?」
一頻り周りを見渡し、状況を確認した所で、独り言のように朔は呟いた。
しかし、自ら発した声に違和感を覚る。声音が高い、変声期前のダミのない澄んだ少年のような声だ。
「無事にきまってるじゃなぁ~い。このアタシがぁ、たかだかぁ…世界を渡るくらいでぇ…、……疲れた」
「おいっ!」
さっきの呟きに応えるように返された言葉に、思わず朔が突っ込む。
こちらは聞きなれた少女の甲高い声なのだが、何時もは朔の耳元でキャンキャンと喚く位で喋るのに、今は何処か間延びした感じで、しかも、足元から聞こえてくる。
「どうしたんだ? らしくない」
聞こえた声を追って、朔が目線を足元に向けると、手の平サイズの少女がグッタリと、裸足の足にもたれかかっていた。
露出の多い黒でタイトな衣装を身に纏い、腰の辺りからはコウモリのような翼を生やし、頭には二本の巻き角、そして先が矢印になった尻尾。二次性長期に入りたての未熟な肢体を除けば、誰がどう見ても雌淫夢(サキュパス)と答えるであろう容姿なのだが、本人曰く死者の魂を食べる悪魔らしい。
朔も、彼女が魂を食べる姿を何度も目にしているので、恐らくは本当なんだろうと思っている。
そして、この悪魔と朔は契約によって結ばれている。
本来なら悪魔は実体を持たず、見ることは出来無いらしいのだが、契約を結んでいる朔にはどうやら見ることも、話すこともできるらしい。何より実体の無い悪魔に触ることすら出来るのだ。
「どうゆう事か、説明してくれるんだろうな!?」
朔は足元にへばっている悪魔の羽を抓(つま)み、説明を求めた。
朔が聞いたのは、悪魔を見ようと視線を下げたときに見えたもの。つまりは自分の体の変化についてである。
生えていなかったのだ。
細かく言うなら、男性としてのアイデンティティーは生えている。しかし、その周りに元々有った筈の、黒々モジャモジャとしたものは何も無くツルツル。さらに言うならば、剥けても居ない。パオパオさんのお鼻状態なのだ。これは、例えアイデンティティーが有ったとしても、その上から上書きされて、全否定されている気分になる。
当然ながら、太ももから脛にかけても、ツルツルだ。こちらは何も生えていないと言うわけではなく、薄(うっす)らと産毛の様な物はある。肌の決めの細かさと併(あわ)せ、擦(さす)れば「しっとりさらさら」な、天使の肌触りの感触が楽しめることだろう。
若返っているどころか、幼くなっているのだ。視線の高さも、感覚でしかないが、だいぶ低くなっているようだ。
最後の方はあやふやだが、向こうの世界では、確か37歳だったと記憶している。
「なんで、こんな身体になっている?」
「いやぁ~、こっちに来たのは良いけど、最後に少しだけ魔力が足りなくって、子供の身体でもいっかってね」
再度問いかけた朔に、ぐったりしたままテヘペロで応えるという器用な事をする悪魔。その顔には疲れているのが分かりやすく漫画のような縦線が入っている。
しかし、朔としてはそれで済ませられる問題ではない。百歩譲って裸なのは仕方ない。事前の説明では、身一つでしか行けないと聞かされているのだ。ただ、その説明の時には「何も問題ないよ。むしろ魔力は余る位なんだから!」と、言われてたはずなのだ。
「魔力は大丈夫と言ってなかったっか?」
「あのままだったら、何も問題なかったわよ」
「と言う事は、何か問題があったんだな?」
「有ったと言えば有ったし、無かったと言えば無かったかなぁ~?」
朔の問いに、なにやら言い淀み始める悪魔。明らかに怪しい。
「じゃぁ、何が問題あったのか教えてくれるかな~? 悪魔君?」
このまま問答しても、しらばっくれるだけだろうと、羽を抓む手に力を篭めながら笑顔で朔は話しかけた。
「イタタタタ……。そのぅ…容姿とか?」
「ほうほう」
悪魔の言葉に、朔は笑顔のまま青筋を立て始める。当然、指先にも力が更に篭められていく。
「だから、痛いって! だって仕方ないじゃん! せっかく異世界で新しいスタートを切るなら、隣に居るのは絶対イケメンのほうが良いに決まってるじゃないっ!」
よっぽど羽が痛いのか、涙目になって反論し始める悪魔。だが、言ってる内容はかなり自分勝手である。
「イケメンって、これはどう見ても小学生位だろう! お前もしかしてショタコンか?」
「そんなわけ無いじゃない! と言うか、アタシには性別すらないんだし、大体あんたが今見てるアタシの姿だって、あんたの願望でこう見えてるだけなんだから! どうせなら目の保養になるほうが良いって位の話よ! で、もう少し若い方がいいかな~?とか、若くするなら今後の事も考えて、身体能力の成長率も上げた方が良いしぃ~、アタシの魔力との親和性をもっと上げて~、って、色々弄(いじ)ってたら、結局魔力が足りなくなって、最高でもその年齢しか設定できなくなったのよ!」
「って、どう考えてもお前のせいだよな!? 何が『有ったような~、無かったような~?』だ! 一番の問題はお前じゃねえかっ!」
「ひどっ! こう見えてもすこ~し(・・・・)やり過ぎちゃったかなって、戻そうとしたのよ!? でも、時間切れでそのまま固まっちゃたのよ! 仕方ないじゃない? ね?」
「ね? じゃねーよ! そんな幼子を諭す天使みたいな笑顔をしたって誤魔化されねーよ! 今すぐ元に戻せ!」
「はぁ~っ? あんた何言ってるの? そんなの無理に決まってるじゃない。 一度人間として固まった存在を再度改変するなんて出来るわけ無いじゃない。 試してみたところで、制御出来無いぶくぶくブヨブヨの、肉の塊になるのが落ちよ」
先ほどまで浮かべていた微笑(ほほえみ)を引っ込めて、侮蔑するような表情でそう語る悪魔。その上肩をすぼめて手の平を上に向け「やれやれ、コレだから馬鹿は困る」とでも言いたげに、首を振っている。
「大体、時間切れが後一秒遅くて、アタシがリセットしちゃってたら、あんた今頃不定形生物デロンドロンになってる所だったのよ? そうなったら、迷わずコンビ解消で、自我も無いデロンドロンな魂をアタシが食べなきゃいけなくなってたんだから、そうならなかっただけでも、感謝して欲しい位よ。分かった?」
何処から突っ込めば良いのか意味不明な言葉を並べる悪魔。デロンドロンとは何なのか気になる所でも有るが、そもそも今の話で何をどう受け取ったら感謝する事になるのだろうか? 明らかに原因は目の前に居るこの悪魔なのに、当の本人は感謝されてさも当然と言わんばかりに右手を腰にあて、少ししか無い胸を張っている。
「なぁ、質問なんだが」
「なによ?」
「当然、元の俺の身体データのバックアップは取ってたんだよな?」
「何言ってんの? このアタシがそんな面倒(めんど)くさい事する訳無いじゃない」
それを聞いた瞬間朔は悪魔を抓んでいた右手を多く振りかぶって、思いっきり投げた。幼く柔かな肩は朔の意思以上の柔軟な可動域をもたらし、柔らかく撓(しな)る右腕に、踏み込んだ足とスムーズに捻られる腰の回転の力を、不足無く伝えきる。
耳の横を「ブン!」と、音を立てて通り過ぎる右手の感触が心地よい。
「ぎょええええぇぇぇぇ~」と意味不明な叫び声をあげながら、錐もみ状態で放物線を描いて飛んでいく悪魔を尻目に、朔はその辺転がっている木の棒を拾い上げ、軽く2、3回振り、その強度に「ふむ」と納得して、バッティングの構えをとる。
「召喚!」
契約により、朔は何時でも悪魔を召喚する事ができる。それも自身を中心に半径約3メートルの範囲内の任意の場所にだ。
好球必打。基本である。そして、バッティングの基本は、叩きつけるように打つ事!
「ちょっ! 何いきなり投げ…ブガウッ!」
木の棒で地面叩きつけられ、軽くバウンドして止まった悪魔は目を回して伸びている。
何時もならこの状態からでも元気に復活してくるのだが、魔力不足で調子が悪いのは本当のようだ。
仕方ない、今回はこれくらいで勘弁してやるかと、溜息とともに気持ちを切り替える朔。
本当なら小一時間程の説教を、休息を挟んで6セット位たれたい所だが、本能と欲望のままに生きるこの悪魔は「二度とやるな」と言っても、必ずやる。そもそも、人の体など興味が無いどころか、「中に詰まった美味しい魂を食べるのに邪魔な物」位にしか考えていない。ゆで卵の殻程度の認識なのだ。
それに朔としても、何時魂を喰われてもおかしくない状態のはずだ。
向こうの世界で、悪魔と契約した時点での目的はすでに果た、もう生きている事に未練は無い。
だから、再び"人"として相棒に成れるというなら、それならそれで良いかと、思い直したのだ。
「で、どんな状態だ?」
朔は悪魔へとゆっくり歩み寄り、上から覗き込みながら声をかけた。
「うぅ~、もうダメ~。お腹ぺこぺこで魔力の欠片も残ってないよ」
「仕方ないな」
言いながら、朔は再び悪魔を抓み上げる。
「で、どっちに行けばいい?」
朔の問いかけに悪魔は、スンスンと鼻を鳴らすような動きの後、
「あっちっ! あっちから美味しそうな匂いがする!」
と、指差した。
「分かった。落ちるなよ?」
朔はそのまま悪魔を自分の頭の上に乗せた。
悪魔が指を挿した方を見やれば、遠くに森が見える。
「あんた、分かってるとは思うけど、契約なんだから、ちゃんとアタシを食べさせていきなさいよ。悪魔一人満足に養えないような甲斐性無しなんかを、相棒にした覚えは無いんだからね。良い」
「はいはい、分かってるよ」
そこまで言うなら、こっちの世界に移った時に、不定形生物デロンドロンでもなんにでもして、朔の魂を食べれば良いのに。そうすれば、その魂を元に魔力も補充でき、後は次の契約者か獲物を探せばよいだけの話だ。
この悪魔はそこまで知恵が回らないのか、それとも何か理由があるか、今は頭の上で「ごっはん~、ごっはん~。美味しいごっはん~」と、暢気に鼻歌を歌っている。後頭部辺りの髪がふさふさと揺れる感じになるのは、頭の上で頬杖をついて寝そべっている悪魔が、美味しい食事を想像して嬉しさに溜まらず脚をバタバタ揺らしているせいだろう。
(まったく、何を考えているのやら)
そんな事を思いながら、朔は歩き始めるのだった。悪魔に導かれるままに。
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