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第2想定 10

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 海水をかき分け階段を登り、甲板に通じる通路に来ていた。
 奥には壁に身を預けた人影。
 要救助者――いや違う。
「瀬戸さん!」
「君は……宗太郎君か?」
 彼の脚にはナイフが深々と突き刺さっている。
 止血帯で処置はしているようだ。
「自力で脱出できますか? もしダメなら応援を――」
「まずはヤンデレの対処が先だ。それにこの状況では応援も難しい。俺のことは置いて――」
 俺は彼をぶん殴った。
「ふざけんじゃねえ! アンタが生きて帰らなきゃ俺が愛梨にぶっ殺されるんだ!」
 誰も死なせはしない。
 アンタが死ぬのは勝手だが、俺を巻き込むんじゃねぇ!
「姪乃浜、瀬戸さんの救助要員を出してくれ」
『了解。瀬戸の怪我は脚だけか?』
「ああ、脚の怪我……ダメだ、失神している」
 ちくしょうヤンデレのやつ。
 瀬戸さんをここまで痛めつけて。
『すぐに救助を出す。宗太郎はヤンデレと交戦せよ』
「了解。宗太郎よりむくどり、射撃止め、甲板に出る」
 軽機関銃MINIMIの銃声が止んだのを確認し、俺はヤンデレにUSPを指向しながら甲板に出た。
 船体の傾斜は激しい。
 足を滑らさないように、慎重に彼女のもとへ接近する。
「騒がせてくれるじゃないか。さぁ早く脱出しよう」
「また君なの? 正則君を返してよ」
 もしかして彼女は彼をしていたのか?
 おそらくヘリで救助されていると考えて甲板に出てきたのだろう。
 俺は会話で気を逸らしながらじわじわと接近する。
 彼女の凶器はナイフ。しかも刀身を射出できるスペツナズナイフときた。
 もちろんそれを発射する素振りを見せたらその前に鎮静弾で対処することもできる。だが近接格闘ができる間合いまで詰めておけばそちらで対処することもできる。
「彼は無事だ。傷ひとつついてない」
 手首を切断したが、あれは怪我だから傷じゃない。
 さらに言えば俺は悪くない。
 繰り返す、俺は悪くない。
「海保に引き渡した。今ごろ救助されているだろう」
「どこにいるの? 私もそこに行くわ」
「まぁ待て。脱出が先だ。彼とは後で会えるだろ?」
 彼女をこの船から救助するというのであれば、正則と一緒に脱出させてもいいだろう。
 しかしそれはできない。
「なんでなの!? 正則と一緒でもいいじゃない!」
「それはできないな」
 正則がいる脱出ポイントには他の要救助者もいる。
 ヤンデレ状態の彼女をそこへ案内するわけにはいかない。そこで暴れて被害が出るのは火を見るよりも明らかだ。それにまた「このままここで一緒に死ぬ」とか言い出しかねない。
「私たちを引き離さないでよ!」
 引き離す?
 こいつは何を言っているんだ?
「お前たちにそんなことをしようなんて思っていない」
「嘘よ!」
「俺を信じろ。ここから脱出したら絶対に会わせてやる」
 さすがにヤンデレ化している今の状態で会わせることはできない。まずは平常心に戻ってからだ。それに手術中であるはずの今の正則と会わせることもできない。それを見てまたヤンデレ化して怒りの矛先が俺に向かったら困るしな。
 そもそも俺は悪くない。
 あの事故は正則が動いたから起こった事故だ。
「助かってもどうせ私はロシアに帰されるんでしょ? それならここで正則と一緒に沈んだほうがいい!」
「確かに本国送還になるかもしれないが、もう一度日本に来ればいいだろ? 日本とロシアだ。すぐに渡って来られる」
 意外と日本とロシアは近いものだ。
 たしかにモスクワとかサンクトペテルブルクとかであれば日本とは真逆だが近い場所であれば意外と近い。ウラジオストクから戦闘機で函館に亡命してきた旧ソ連軍の将校だっているんだ。
「何言っているの!? ロシアと日本なのよ!? どれだけ離れていると思っているの!」
「どちらも海で繋がっている。領海には壁が立てられているわけじゃなければ機雷が敷き詰められているわけでもない。どうしても正則とやらと会いたければヨットかクルーザーでも借りて渡って来い。その時は日本の公安機関として出迎えてやる」
 歓迎するという意味の出迎えじゃない。あくまで領海侵犯としての対応だ。
そもそも臨検は俺の仕事じゃないけどな。
「待ってられないわよ! ねぇ! 正則と会わせてよ!」
 彼女の右手にナイフが出現した。
 今にも襲いかからんとする気迫を感じる。
「はぁ……」
 俺はため息とともに銃口を外した。
 何を言っても脱出はしないらしい。
「………………」
「ねぇってば!」
「……こりゃダメだな」
「早く!」
「………………!」
 タイミングを見計らい、ヤンデレに向かって突入。
 ナイフを叩き落とし、正面ホットゾーンに肉薄。
 そして右手を彼女の首筋に当て、左手を相手の脇に差し込み、ぐるりと回すようにして体勢を崩した。
 タックルに対処する近接格闘術の応用だ。
 仰向けに倒れる彼女。
 次は左手にナイフが出現した。
 だが手の内を知っていれば予想できる。
 俺はすかさず手首を折り曲げるようにして対処。
 落ちたナイフが傾斜した甲板を滑っていき、波間に消えた。
「お前の負けだよ。さぁ早く逃げるぞ」
 彼女の体を起こしてやる。
 実力の違いを見せつけた。これで素直に避難してくれるだろう。
「イヤよ! 正則と一緒じゃないとイヤ!」
「何を言っている! 死んだら元も子もないぞ!」
 アンタが逃げなきゃ俺も逃げられねぇんだよ!
 俺も巻き込むんじゃねぇ!
 引き倒されたばかりだというのにヤンデレの両手には再び二本のスペツナズナイフが出現した。
しかし手の内を知っている俺には何の戦術的優位性タクティカルアドバンテージもない。刀身が射出する前に両方とももぎ取ってやった。俺に二刀流で勝ちたければ●●●か●●●●を連れてくることだな。そいつらもぶっ飛ばしてやる。
「何度やっても無駄だ。早く逃げるぞ」
 俺はヤンデレの腕を掴んで立ち上げる。
「イヤって言ってるじゃない! 正則と一緒じゃなきゃイヤ!」
 足元がガクンと揺れた。
 もうこの船は限界だ。
 この船はまもなく沈没する。
 もうヤンデレを鎮圧する時間は残されていない。
 ……許せ。
 格闘戦を仕掛けた。
それに抵抗した彼女の腕を弾いて背後コールドゾーンに回り込む。
 首に腕をまわし込み、ギリギリと締め上げた。
 弱すぎてはいけない。
 かといって強すぎてもいけない。人間の首なんて意外と簡単に折れてしまう。
 ギリギリギリギリ――。
 よし落ちた。
 すでに波が足元を洗っている。
「姪乃浜! むくどりを寄こしてくれ!」
『了解。むくどりは宗太郎の回収を急げ』
 船が沈没するときは、周囲に巨大な渦巻きが発生する。
 これが発生する以上、複合艇のような小型のボートでは接近できない。
 かと言って巡視船をまわしてもらっても時間がかかるし、なにより二次災害の危険がある。
『宗太郎!』
「小川さん!」
『上空では乱気流が発生している。長時間のホバリングは危険だ』
 中型ヘリのAS332むくどりとはいえ、この煙の中でホバリングするのは至難の技だろう。
『到着したらラペルロープを投下する。それを使ってホイストフックを手繰りよせろ。現着十秒前!』
 むくどりが見えた。
 左旋回している。
 あの機動からホバリングするのか!?
 しかし小川さんのことだ。
『三、二、一』
 現着、の無線と同時に上空でむくどりがノーズアップ。
 ラペルロープが入った袋が投下された。
 俺はその袋からロープを取り出すと、ホイストフックを手繰りよせる。
 急げ急げ急げ急げ。
 船の転覆が始まっている。
 正直、気絶したヤンデレを確保しながら立っているだけで限界だ。
 やっとフックとサバイバースリングが手元に届いた。
『宗太郎、何秒で準備できる!?』
「二十秒!」
『十五秒でやれ!』
 ヤンデレにサバイバースリングを装着する。
 途中で目を覚まして暴れられないように手錠をかけておく。
『急げ! 転覆するぞ!』
「もうちょっと!」
 ホイストフックを俺のラペリングハーネスに接続。
 そしてラペルロープをナイフで切り捨てた。
 ひと袋で十数万するが仕方がない。
 転覆に巻き込まれたら二次災害。ヘリごと持っていかれる。
 用意良し!
 吊り上げ開始!
 俺はヘリの高橋さんホイストマンに向かって大きく腕を回した。『吊り上げろ』のサインだ。
 ホイストワイヤがピンっと張る。
 俺たちの体がふわりと浮いた。
 それと同時に船が軋みながら傾斜していく。
 間一髪だ。
 むくどりは船と反対側へとスライドしながら俺たちを吊り上げていき、あっという間に俺たちは機内に収容された。
『該船後部、沈没します!』
 黒煙に包まれた巨大な船体は各所で爆炎を上げ続けている。
 断裂部分から海へと沈み、甲板は垂直にそり立っていく。
 海面から巨大な四軸のスクリューが現れた。
 そして豪華客船イヴァンテエフカは完全に海へと沈んだ。
 愛梨を船内に閉じ込めたまま。
 海面には巨大な渦巻きだけが残る。
『むくどりは巡視船さつまに着船。ヤンデレを鹿児島SSTに引き渡せ』
「姪乃浜、愛梨の救助を!」
『大丈夫だ。特救隊が救助に向かう』
 特殊救難隊。
 略して特救隊。
 特殊な海難事故に対応するために創設された、海保が誇る救助のエリート部隊だ。
 彼らが救助してくれるならば一安心だ。
「愛梨! 無事か!?」
 彼女から返事はなかった。
「愛梨! 応答してくれ! 愛梨! 愛梨ーー!」
 無視するんじゃねぇよ。
 その区画は浸水していないんだろ。
『宗太郎、落ち着け。海中では無線が使えない』
 なんだ。
 電波が届かないだけか。
 愛梨のやつ、余計な心配させやがって。
『愛梨の体調はこちらでモニターしている。安心しろ』
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