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第13話
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『シーゲート序曲』から始まったお別れ演奏会はあっという間に時間が過ぎていった。
全ての団員で話し合って決めた楽曲や『センチュリア』も演奏してとうとう最後の一曲となった。
司会者からはこれが最後の曲であり、これが尾神樹里へ贈る最後の演奏だと告げられる。
静まり返っていた客席からはすんすんと鼻をすする音が聞こえる。
団員たちに目配せをしたのちに宗太郎が指揮棒を掲げた。
それに合わせて団員たちが一斉に楽器を構える。
この曲が最後の曲だ。
尾神樹里に送ることができる最後のメッセージだ。
鋭い予備動作の後に指揮棒が振り降ろされた。
パーン、パパパーン、パパパン!
グロ中尉が鋭いトランペットのファンファーレを響かせる。
導入部分の途中から鮫島のピッコロが入り、そのままこの曲の主題へと突入した。
クラリネットがメロディを奏でている。
背後から聞こえてくるその音色を聞きながら鮫島は自分の出番を待つ。この最初の部分でピッコロが出てくるのは一小節分の短いフレーズがふたつだけ。
主題が終わり、低音楽器の見せ場がやってきた。
タシロンがチューバの図太い田代キャノンを轟かせる。
チューバの数少ないメロディということで同じ楽器を吹いている宗太郎が徹底的に仕上げた部分だ。
メロディがチューバからフルートへと移った。
ひとつのフレーズが終わり鮫島のピッコロも合流。
再び主題へ戻り、そしてすぐに前半部分のマーチが終了した。
ヴァイオリンの弓弾きのように指揮棒が振られる。
アップボウから始まる指揮で中間部部分に突入した。
ハルトマン軍曹のハスキーなアルトサックス。
それは今まで共に過ごしていた樹里ちゃんが遠くへ行ってしまうかのようだ。彼女が遠くに行ってしまうのは寂しい。しかしどれだけ遠い場所だとしても彼女が笑顔でいられるのであれば自分たちも嬉しい。それでも寂しい気持ちは抑えられない。
この感情は何と表現すればいいのだろうか。
まるで巣立っていく小鳥たちを見送る親鳥のようだ。
形容しがたい中間部が終了し、いよいよ最後のマーチに突入した。
これからの明るい未来を予想させるような旋律をグロ中尉が奏でる。
明るくて温かくて、そして切ない旋律。それはまるで涙がこぼれ落ちないようにと強がって早歩きをしているかのようだった。
アウフタクトで入ってきたトランペットに縋るかのように、鮫島が率いるフルートパートがメロディを奏でる。
楽譜の上部に文字が記されていた。
鮫島はこの文章を書いた記憶がない。
しかし誰がこれを記したかなんてすぐに分かった。
≪尾神樹里と俺たちは同じ道を歩けない≫
宗太郎は言っていた。
このフルートパートのメロディは主旋律でも対旋律でもない。これは尾神樹里の叫びだと。
ザッ、ザッ、ザッ……。
新しい未来へと歩む足音をスネアドラムが刻んでいく。
大事な存在に気づかずに楽曲は進んでいく。
「私は隣にいるのに!」
そう叫びながら肩を揺するかのようにフルートとピッコロがトリルで叫ぶ。
しかし主旋律はそれに気づかずに進行していく。
もう忘れられたのだろうか。
尾神樹里は再びロミオたちの肩を揺するが、そのトリルの叫びは徐々に小さくなっていく。
それは自分の存在を伝えることを諦めるかのようだった。
しかしその直後にトランペットのメロディが終わった。
そしてピッコロのソロに突入した。
宗太郎が楽団全体に弱奏の指示を出す。
まるでロミオたちが立ち止まり、これまで歩んできた道を振り返るかのようだった。
五線譜の上に指揮者の言葉の続きが記されている。
≪しかし振り返ると彼女はいつもそこにいる≫
宗太郎は鮫島に向き直っていた。
楽団全体の音量を抑えながら、ただ一人のピッコロのためだけに指揮を振っている。
ようやく僕たちは再会できた。
ロミオとジュリエットは再会できた。
鮫島のピッコロが会場に響く。
それは再会できたことに嬉し泣きする樹里ちゃんの声だった。
ソロが最も盛り上がる部分で宗太郎が指揮棒を鋭く振った。
ピッコロソロの最高音が会場を切り裂く。
ようやく自分の存在に気付いてくれたことに樹里ちゃんは泣き叫んでいた。
樹里ちゃんがすぐ後ろで見守ってくれていることに安心したのだろうか。主題のメロディが再び歩き始めた。それは以前のものとは違う。樹里ちゃんと共に歩んでいると自信に満ち溢れていた。
やがて『南風のマーチ』も終盤にさしかかった。
団員たちは楽曲の終わりに向けて全体で同じメロディを奏でる。
鮫島も彼らとともに音階を駆け上がる。
最後の小節に突入すると八分音符をひとつだけ奏でてフルートパートの出番は終わった。残された他の楽器たちは一瞬の空白を置き、バババンとアクセントの聴いた総奏によって演奏を終えた。
宗太郎の指揮棒がピタリと止まる。
会場内には重厚な余韻が残っている。
残響がやみ、客席からまばらに拍手が巻き起こる。
その拍手は徐々に大きくなり、まるで竜巻のように会場内に鳴り響く。
宗太郎は団員たちを立たせると指揮者台から降りて聴衆に向きなおった。
バラバラに響いていた拍手もやがて歩調が合い、どこからともなくアンコールの声が聞こえてきた。その声は他の観客へと伝播していく。
一定の間隔で叩かれる拍手はまるで行進する足音のようだった。
ロミオたちの行進だ。
「『南風のマーチ』こそが俺たちの終わりにふさわしいと思ったが、まさかアンコールを求められるとはな」
宗太郎はコンサートマスターの鮫島に語りかけた。
「彼女の人生はまだ続きます。僕たちの人生もまだまだ続きます。これで終わりではありません」
「二人が歩く道は二度と交わることはないかもしれないぞ?」
「それでいいんです」
樹里ちゃんは僕たちに新しい道を照らしてくれた。
いつまでもここに立ち止まってグズグズしていたら彼女が悲しんでしまう。
南風のマーチのピッコロソロ。
それは樹里ちゃんがロミオたちと再会できた歓喜の叫びだった。
そのソロが終わると再び行進は始まった。
鮫島たちも南風のマーチのように歩き続けなければならない。
「俺は客演指揮者だ。俺がいなくなったらどうする?」
「僕がこの楽団を率いていきます」
「鮫島は何者だ?」
「ロミオウィンドオーケストラの楽団長です」
「自信を持てたか」
「これも全部、樹里ちゃんが導いてくれたんです」
「そうか。きっとどこかで喜んでいるだろうな」
宗太郎はそう呟くと団員たちを椅子に座らせた。
そして譜面台に置かれたフルスコアを入れ替えると指示を出した。
「アンコールだ。『センチュリア』で行くぞ」
鮫島は楽譜をめくり、指定された楽譜を準備した。
この『センチュリア』という曲名は百年という意味がある。
百年とは歴史のひとつの区切りだ。
明日から始まる新しい百年に胸を躍らせつつも、昨日までの百年に別れを惜しむ。
過ぎ去っていく過去に寂しさを感じながら、新しい未来に向かって歩いていく。
尾神樹里というひとりの少女。
彼女と出会うことがなければ、鮫島はいまだに無職のままだったかもしれない。
彼女がフルートを吹いていなければ、今の鮫島はフルートを吹いていないはずだ。
彼女の趣味が楽器店巡りだと配信で話していなければ、鮫島は楽器店でアルバイトはしていなかった。そして宗太郎と出会うこともなかった。
彼女が国内楽器メーカーの広告に起用されることがなければ、鮫島の私情を知った宗太郎が今回のオフ会を提案してくれることもなかっただろう。
尾神樹里の時代は終わってしまった。
しかし鮫島たちは歩き続ける。
それは彼女への未練を断ち切ったわけではない。彼女を忘れてしまったわけでもない。
尾神樹里という少女がいたからこそ鮫島たちはこの舞台に立っているのだ。
鮫島たちの物語はすべて彼女から始まった。
ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を巻き起こすかのように。
ひとりの少女の配信が宮崎県に南風を吹かせたかのように。
尾神樹里は何も言わずに遠くへ行ってしまった。
それでも鮫島たちは歩き続ける。
ときには寂しくなる時があるだろう。
立ち止まってしまう事もあるだろ。
しかし前進することを彼らはやめない。
振り返ればすぐそこに彼女がいるのだから。
鮫島たちは共に歩いてきた。
そしてこれからも共に歩んでいく。
尾神樹里はひとりではない。
鮫島たちもひとりではない。
彼女の物語は終わってしまったが、形を変えて物語は続いていく。
鮫島はピッコロを優しく唇に当てた。
突然いなくなってしまった推しに、この演奏を贈る。
桜の花がほころぶ季節。
南風が吹くこの季節。
蝶々が舞うこの季節が来たら思い出してほしい。
樹里ちゃんの物語はこれからも続いていくのだから。
全ての団員で話し合って決めた楽曲や『センチュリア』も演奏してとうとう最後の一曲となった。
司会者からはこれが最後の曲であり、これが尾神樹里へ贈る最後の演奏だと告げられる。
静まり返っていた客席からはすんすんと鼻をすする音が聞こえる。
団員たちに目配せをしたのちに宗太郎が指揮棒を掲げた。
それに合わせて団員たちが一斉に楽器を構える。
この曲が最後の曲だ。
尾神樹里に送ることができる最後のメッセージだ。
鋭い予備動作の後に指揮棒が振り降ろされた。
パーン、パパパーン、パパパン!
グロ中尉が鋭いトランペットのファンファーレを響かせる。
導入部分の途中から鮫島のピッコロが入り、そのままこの曲の主題へと突入した。
クラリネットがメロディを奏でている。
背後から聞こえてくるその音色を聞きながら鮫島は自分の出番を待つ。この最初の部分でピッコロが出てくるのは一小節分の短いフレーズがふたつだけ。
主題が終わり、低音楽器の見せ場がやってきた。
タシロンがチューバの図太い田代キャノンを轟かせる。
チューバの数少ないメロディということで同じ楽器を吹いている宗太郎が徹底的に仕上げた部分だ。
メロディがチューバからフルートへと移った。
ひとつのフレーズが終わり鮫島のピッコロも合流。
再び主題へ戻り、そしてすぐに前半部分のマーチが終了した。
ヴァイオリンの弓弾きのように指揮棒が振られる。
アップボウから始まる指揮で中間部部分に突入した。
ハルトマン軍曹のハスキーなアルトサックス。
それは今まで共に過ごしていた樹里ちゃんが遠くへ行ってしまうかのようだ。彼女が遠くに行ってしまうのは寂しい。しかしどれだけ遠い場所だとしても彼女が笑顔でいられるのであれば自分たちも嬉しい。それでも寂しい気持ちは抑えられない。
この感情は何と表現すればいいのだろうか。
まるで巣立っていく小鳥たちを見送る親鳥のようだ。
形容しがたい中間部が終了し、いよいよ最後のマーチに突入した。
これからの明るい未来を予想させるような旋律をグロ中尉が奏でる。
明るくて温かくて、そして切ない旋律。それはまるで涙がこぼれ落ちないようにと強がって早歩きをしているかのようだった。
アウフタクトで入ってきたトランペットに縋るかのように、鮫島が率いるフルートパートがメロディを奏でる。
楽譜の上部に文字が記されていた。
鮫島はこの文章を書いた記憶がない。
しかし誰がこれを記したかなんてすぐに分かった。
≪尾神樹里と俺たちは同じ道を歩けない≫
宗太郎は言っていた。
このフルートパートのメロディは主旋律でも対旋律でもない。これは尾神樹里の叫びだと。
ザッ、ザッ、ザッ……。
新しい未来へと歩む足音をスネアドラムが刻んでいく。
大事な存在に気づかずに楽曲は進んでいく。
「私は隣にいるのに!」
そう叫びながら肩を揺するかのようにフルートとピッコロがトリルで叫ぶ。
しかし主旋律はそれに気づかずに進行していく。
もう忘れられたのだろうか。
尾神樹里は再びロミオたちの肩を揺するが、そのトリルの叫びは徐々に小さくなっていく。
それは自分の存在を伝えることを諦めるかのようだった。
しかしその直後にトランペットのメロディが終わった。
そしてピッコロのソロに突入した。
宗太郎が楽団全体に弱奏の指示を出す。
まるでロミオたちが立ち止まり、これまで歩んできた道を振り返るかのようだった。
五線譜の上に指揮者の言葉の続きが記されている。
≪しかし振り返ると彼女はいつもそこにいる≫
宗太郎は鮫島に向き直っていた。
楽団全体の音量を抑えながら、ただ一人のピッコロのためだけに指揮を振っている。
ようやく僕たちは再会できた。
ロミオとジュリエットは再会できた。
鮫島のピッコロが会場に響く。
それは再会できたことに嬉し泣きする樹里ちゃんの声だった。
ソロが最も盛り上がる部分で宗太郎が指揮棒を鋭く振った。
ピッコロソロの最高音が会場を切り裂く。
ようやく自分の存在に気付いてくれたことに樹里ちゃんは泣き叫んでいた。
樹里ちゃんがすぐ後ろで見守ってくれていることに安心したのだろうか。主題のメロディが再び歩き始めた。それは以前のものとは違う。樹里ちゃんと共に歩んでいると自信に満ち溢れていた。
やがて『南風のマーチ』も終盤にさしかかった。
団員たちは楽曲の終わりに向けて全体で同じメロディを奏でる。
鮫島も彼らとともに音階を駆け上がる。
最後の小節に突入すると八分音符をひとつだけ奏でてフルートパートの出番は終わった。残された他の楽器たちは一瞬の空白を置き、バババンとアクセントの聴いた総奏によって演奏を終えた。
宗太郎の指揮棒がピタリと止まる。
会場内には重厚な余韻が残っている。
残響がやみ、客席からまばらに拍手が巻き起こる。
その拍手は徐々に大きくなり、まるで竜巻のように会場内に鳴り響く。
宗太郎は団員たちを立たせると指揮者台から降りて聴衆に向きなおった。
バラバラに響いていた拍手もやがて歩調が合い、どこからともなくアンコールの声が聞こえてきた。その声は他の観客へと伝播していく。
一定の間隔で叩かれる拍手はまるで行進する足音のようだった。
ロミオたちの行進だ。
「『南風のマーチ』こそが俺たちの終わりにふさわしいと思ったが、まさかアンコールを求められるとはな」
宗太郎はコンサートマスターの鮫島に語りかけた。
「彼女の人生はまだ続きます。僕たちの人生もまだまだ続きます。これで終わりではありません」
「二人が歩く道は二度と交わることはないかもしれないぞ?」
「それでいいんです」
樹里ちゃんは僕たちに新しい道を照らしてくれた。
いつまでもここに立ち止まってグズグズしていたら彼女が悲しんでしまう。
南風のマーチのピッコロソロ。
それは樹里ちゃんがロミオたちと再会できた歓喜の叫びだった。
そのソロが終わると再び行進は始まった。
鮫島たちも南風のマーチのように歩き続けなければならない。
「俺は客演指揮者だ。俺がいなくなったらどうする?」
「僕がこの楽団を率いていきます」
「鮫島は何者だ?」
「ロミオウィンドオーケストラの楽団長です」
「自信を持てたか」
「これも全部、樹里ちゃんが導いてくれたんです」
「そうか。きっとどこかで喜んでいるだろうな」
宗太郎はそう呟くと団員たちを椅子に座らせた。
そして譜面台に置かれたフルスコアを入れ替えると指示を出した。
「アンコールだ。『センチュリア』で行くぞ」
鮫島は楽譜をめくり、指定された楽譜を準備した。
この『センチュリア』という曲名は百年という意味がある。
百年とは歴史のひとつの区切りだ。
明日から始まる新しい百年に胸を躍らせつつも、昨日までの百年に別れを惜しむ。
過ぎ去っていく過去に寂しさを感じながら、新しい未来に向かって歩いていく。
尾神樹里というひとりの少女。
彼女と出会うことがなければ、鮫島はいまだに無職のままだったかもしれない。
彼女がフルートを吹いていなければ、今の鮫島はフルートを吹いていないはずだ。
彼女の趣味が楽器店巡りだと配信で話していなければ、鮫島は楽器店でアルバイトはしていなかった。そして宗太郎と出会うこともなかった。
彼女が国内楽器メーカーの広告に起用されることがなければ、鮫島の私情を知った宗太郎が今回のオフ会を提案してくれることもなかっただろう。
尾神樹里の時代は終わってしまった。
しかし鮫島たちは歩き続ける。
それは彼女への未練を断ち切ったわけではない。彼女を忘れてしまったわけでもない。
尾神樹里という少女がいたからこそ鮫島たちはこの舞台に立っているのだ。
鮫島たちの物語はすべて彼女から始まった。
ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を巻き起こすかのように。
ひとりの少女の配信が宮崎県に南風を吹かせたかのように。
尾神樹里は何も言わずに遠くへ行ってしまった。
それでも鮫島たちは歩き続ける。
ときには寂しくなる時があるだろう。
立ち止まってしまう事もあるだろ。
しかし前進することを彼らはやめない。
振り返ればすぐそこに彼女がいるのだから。
鮫島たちは共に歩いてきた。
そしてこれからも共に歩んでいく。
尾神樹里はひとりではない。
鮫島たちもひとりではない。
彼女の物語は終わってしまったが、形を変えて物語は続いていく。
鮫島はピッコロを優しく唇に当てた。
突然いなくなってしまった推しに、この演奏を贈る。
桜の花がほころぶ季節。
南風が吹くこの季節。
蝶々が舞うこの季節が来たら思い出してほしい。
樹里ちゃんの物語はこれからも続いていくのだから。
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