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Case6【風間孝太郎】自分自身にできること

後編

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 照りつける夏の太陽と、ビルの隙間を吹き抜ける生暖かい南風がじりじりと身体を熱していく。今の時刻は一般的には一日のなかで最も気温が高くなる時間帯といわれているが、今日──八月六日のこの街の予想最高気温は三十六度。真夏日になる見込みになる。茹だるような暑さが、この街の全てを包んでいた。

 もう誰も聞かなくなった『ワイルド・チャレンジャー』絡みのニュースや興味のない映画などを垂れ流すテレビ番組の中でも、俺が見ている数少ないコンテンツでもある天気予報のコーナーではこの夏は真夏日が例年より非常に多くなると、はにかむような笑顔が特徴的である女子アナウンサーが言っていたことを思い出した。

 山に囲まれ川岸でもある地元でも、今までに味わったことのないような猛烈な暑さに襲われていて、近くの中学校で練習をしていた野球少年が熱中症で病院に搬送されたなどといったニュースをここ最近だけでも何度か耳にしたものだ。

 確かにこのままずっとこの暑さのまま外で出歩いていると、本当にひっくり返ってしまいそうだ。病院のベッドの上で世界が終わるまでの残り時間を過ごすなんて、幾ら何でも御免だ。先程までいた洋食屋でもう少しだけ時間を潰しておけばよかったと少しだけ後悔しながら、時間を潰すために目に付いたディスカウントショップに足を向ける。

 ディスカウントショップといっても四階建てのビルがまるまる店舗という、この街の中では大きなものだ。店内で響き渡る特徴的なテーマソングが喧しいという欠点を除けば、食料品から雑貨、果てはパーティーグッズや如何わしいグッズ……これは年齢制限があって入ることはなかなか難しいが、とにかく多数の商品を一度に見ることが出来る、時間潰しにはもってこいの場所だ。この場所や近くの本屋などを見ていけば、薄暗くなるまでは時間を潰せるだろう。

 あと一週間ほどで世界が終わるというのに、店内は人でごった返している。数多くの商品数を備え、尚且つ安価ということもある為、いつも盛況しているような印象ではあったが今日はいつにも増して客の数が多い。何故だろうかと周りを見廻すと、『地球最後の大安売り!これがホントの在庫一掃セール!!』というポップが様々なところに貼られていた。定価が二万五千円のフィットネス用の腹筋台が六千二百五十円で売られていた。実に七十五パーセントオフ。中古品でもその値段はなかなか無いだろう。

 これぐらいの値段なら、今の財布の中身でもなんとかなるなぁ……と思ったが、腹筋が割れるより先に地球が割れてしまうほうが先だろう。買ってどうするんだと乾いた笑いが喉の奥から出てきた。
 だが、その腹筋台が積まれている売り場の近くで商品を物色していると、その腹筋台が入った段ボール箱を買い物カゴを入れるカートに載せていく客がかなりの数で確認できたことに驚く。地球が割れる前に腹筋を割ろうとする人が、こんなにもいるのか。

 意味が少し違うかもしれないが、これが明日植える林檎の木……ということか。山石さんは隕石が人の意思という林檎の木ごと何もかも全て吹き飛ばしていくと数日前に言っていたが、それでも、今を精一杯生きることが出来ればそれでいいじゃないかと思う俺も、俺自身の中に確かにいるのだ。

 頭にこびりつきそうな奇っ怪なテーマソングがひたすらに流れる店内をゆっくりと人混みを掻き分けるようにして歩いていく。時折聞こえるアナウンスが、単調なメロディに彩りを添えていく。まるで客を飽きさせない為に言っているかのようだ、となんとなく思った。

 当然の話だけど、人の数だけ人生があって。人の数だけ、感情がある。今、ここで買い物をしている人達は、何を思って今を生きているのだろうか。『ワイルド・チャレンジャー』が爆発四散した瞬間の映像を見た人達のように全てを諦めてしまったのだろうか。山石さんのように、落ちてくる巨大な隕石に何らかの答えを求めているのだろうか。それとも竹房のように、何かに狂おしい程の怒りの感情を抱くのか。

 愛を振りまくのが仕事だと言っていた、太陽のような笑みを浮かべていたあの女性は、この『終わり』についてどう思っているのだろうか。これから、何を求めていくのだろうか。

 流石に年齢制限があるところや女性向けのコーナーは流石に無理として、隅から隅まで店の中を物色をしているとそれなりに時間を使うようで、腕時計を見ると、午後五時過ぎを示していた。八月の夏空はまだまだ明るく、非常口のドアに付いている磨りガラス調の窓から見える光はなかなか太陽が隠れる気配を感じない。かなり時間を潰したつもりだったが、まだまだ暗くなるまでは時間がかかりそうだ。しかし、これ以上時間を潰すのはなんだか店に申し訳がない気がしてきていたのでそろそろ店を出ることにする。そして長時間ぶらつくだけぶらついて何も買わずに出るのは更に悪いので、子供用のおもちゃコーナーで売っていたゴム製の苦無を三つほど手に持ち、レジに向かう。珍しいデザインをしていたので、是非も無い。

 レジに並ぶ人達の行列が、そこそこの距離を形成していた。これはまた時間を使うなぁ、と小さく溜息をしながらポケットからスマートフォンを取り出す。待ち受け画面では相変わらずアスカが変わらない表情を俺に向かって向けていた。ロックを解除し、SMSを起動して母にメッセージを入力する。

『遅くなりそうだから、今日の晩御飯は外で食べるわ。ごめんね』

 行列に並ぶ俺が一メートル程レジに近づいた時に携帯が小さくバイブレーションする。スマートフォンを見ると、メッセージの返信を示すアイコンが表示されていた。

『わかった。でも残念だったね。今日の夜ご飯はコータの好きな焼売だったのに』

 ここでまさかの焼売か。母の作る料理は、正直なところ薄味で食べ盛りの身としては物足りなく感じる時が多々あるものだった。不満を言ったことが何度かあったのだが家族みんなの健康を気にしているのよ、と本人が言うのであれば黙らざるを得ない。しかし、焼売だけは別だ。母が一番自信を持っている料理こそが、どういうわけか焼売であった。曰く子供の頃に近所に住んでいた謎の中国人に教えてもらった、とのことでその謎の経緯は置いておくが、皮から作られたそれは口に入れて噛んだ瞬間に豚肉のジューシーな味わいと筍の食感が相乗効果をもたらし、店で売られているものよりも数段美味い。とにかく絶品なのだ。

 大好物に後ろ髪を思いっきり引かれるが、致し方ない。『出来れば何個かとっといて……』と未練たらしくメッセージを送ると、顔が勾玉のように変形をした奇妙奇天烈なデザインをした犬がサムズアップをしたスタンプが返ってきた。これできっと、大丈夫と思う。いや、大丈夫だと思おう。先程オムライスを食べたばかりなのに、胃袋の容量が少し広がった気がする。これが別腹というものなのか。

 そのうちに行列は進んでいき、ようやく俺の会計の番になる。レジ係の中年の女性が、買い物カゴを持たない俺に少し怪訝な顔をしながら、レジのカウンターに置かれたゴム製の苦無をレジに通した後にビニール袋に入れていく。三つセットで税込四百九十八円。財布から硬貨を取り出し、手早く会計を済ます。

 レジ袋を右手に持ち、レジを通り過ぎながらふと視線を右に回すと、一番外側のレジに人が少ない事に気づく。何故だろうかともう少し目を凝らしてみると、レジはレジでも購入者が自分で会計をする形式の、所謂セルフレジと呼ばれるもので、ペンギンを模したマスコットキャラクターと共に『品数が少ない人はこちら!』というメッセージが壁に貼られたポスターにでかでかと書かれていた。

 先ほどの店員の表情はそういうことだったのかと納得すると同時に、焼売に夢中になり過ぎなと自分自身に吃驚してしまうが、出来るだけ表情は平静を崩さずに店を出る。

 改めて腕時計を見ると、短針と長針の時を報せる二本の針がそろそろ午後六時になることを示していた。逆にこれぐらいが良い時間なのかもしれない。こういう時こそポジティブシンキングであるべきだと自分自身に言い聞かせながら、解放されっぱなしの出入り口を通り抜け外に出る。

 午後六時にもなると流石に太陽は微かに翳り、気温が下がって少しだけ夕日の気配のようなものが感じられる。そろそろ日が沈み夕方になり、夜の帳が下りるだろう。少し早いが、あの女性を探し始めるにはちょうど良い頃合かもしれない。何処で何をするのかわからない人をこれからひたすらに探すのかと思うと俺は一体何をしているんだろうと冷静になる瞬間も確かにあるが、そんな思考をどうにか彼岸の彼方に吹き飛ばしながら街を歩いていく。

 街の大通りは相変わらず人で溢れている。昼前とは違ってアフターファイブということで、スーツを着た大人達の割合が多くなっている気がした。飲食店の暖色の照明も光り輝きはじめ、今まで通りに社会を造り続ける人達を温かく迎えていく。テラス席のあるビアバーではもう宴会が行われており、テンプレート通りに頭にネクタイを巻いた太った男性が大きな声で歌っていた。聴いたことのない古いメロディは、おそらく社歌かなにかだろうか。遠くから見える彼の目に涙のようなものが浮かんでいるように見えたのは、気のせいか。

 どこにいるかわからない女性を探してメインストリートを駅に向かって進んでいく。『終わり』が近い現在だ。何かに救いを求める声もここ最近多く聞こえている。地元の田舎町ですら駅前には聞いたこともない新興宗教が怪しげな格好をして『どんなことがあっても地球は滅びない。我々の神を信じる者だけは救われるのだ、信じない者が隕石によって淘汰されるのだ。我々と共に生き延びよう』などと大きな拡声器を使って静かな町に不釣り合いな大きな声で叫び続けていた。この街では人の数が多い分、沢山の人が話を多く聞いてくれると思ったのだろう。駅前の広場周辺にはそのような声を上げている人や、それを聞いている人が何人もいた。拡声器によって大きくなったノイズ混じりの声が複数混ざり合い、薄暗くなりはじめた街の中で響き合う。それを快く思わない人々が怒号を上げているところもあり、なかなか混沌とした状況になりつつある。この街でこうなっているのであれば、もっと人が多い都心などでは本当に大変な状況になっているのかもしれない。怒号の響き渡る現場に向かって走っていく警官を遠目に見ながら、その逆の方向へ。出来るだけ大きな声が聞こえないところへ逃げるように向かう。あの喧騒のなかにあの女性は、きっといないと思う。あれが『世界に愛を振りまく』ことではないことだけは、この国の人間の大多数がそうだろうと思うが、根っからの無宗教徒である自分にも解ることだ。ならば、ここではない何処か、だ。

 喧騒を振り切るように歩いていく。気づけばストリートの真ん中あたり——朝に怒り猛る竹房を見て固まっていた俺にあの女性が声をかけてきた場所の周辺まで戻ってきていた。ここまでいくと、拡声器の声はもう聞こえなくなってきた。代わりに聞こえてきたのは、透き通るように軽やかなアコースティックギターの旋律。遠く聞こえた、裁縫針が落ちたようなほんの小さな音量であるが、人々が行き交う音に紛れながらも空気を振動して俺の耳に確かに入っていくメロディ。

 あの音の先に、あの女性がいる。

 根拠など何もなかった。都会独特な喧騒と拡声器から聞こえるあの野太いダミ声と正反対の繊細な音の連なりに惹きつけられただけなのかもしれない。とにかく奏でられ続けられるメロディは、拡声器の声よりも遥かに揺さぶられたのだ。自信のようなものを胸に抱き、半ば走るような早歩きで音の鳴る方向に向かって足を向けて向かっていく。所詮、スピーカーが使われていないアコースティックギターだ。旋律の発生源はそう遠くはない。睨んだ通り、先程の場所から直線距離にて五十メートルも離れていなかった。

 自信が確信に変わる。案の定、ギターを鳴らしていた人物は太陽のような眩い笑みを浮かべていたあの女性だった。黒いレギンスが汚れることなど構わないかのようにコンクリート製の床に何も敷かずに座りながら手元の六本の弦だけを凝視しながら一心不乱に両手を動かし、メロディを奏で続けている。夕方から夜に移り変わる寸前の藍色の空をかき消すような街灯が、女性をスポットライトのように照らしていた。

 よくある弾き語りではなく、ボーカルはない。両手が奏でるアコースティックギター一本だけの旋律だ。それでも、複数の細い弦が鳴らす幾多のハーモニーがボーカルなど必要ないと思わせるような圧倒されるような強い圧力のようなものを感じる。夏休み前にクラスメイトのギターの演奏を聴く機会があったのだが、それと同じ楽器を使っているとは思えない程だ。

 彼女の足元には大きなギターケースが開かれて置かれていた。中には先客が入れていったと思われる小銭や千円札が見える。それと同時にスケッチブックに油性マジックで殴り書きされたメッセージが入れられていた。

『【星浜 結ほしはま ゆい】です! ヨ・ロ・シ・ク!』

 それがあの女性の名前、なのか。俺の視線に気付くことなく、星浜さんは旋律を奏で続けていく。楽しそうに飛び跳ねるような音の連なりに、あのただただ美しいステップが重なる。
 これが自分自身に出来ることだ、これが愛を振りまくことだ、と笑いながら声を張り上げているようだった。
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