【完結】20-1(ナインティーン)

木村竜史

文字の大きさ
上 下
3 / 23
Case1【風間孝太郎】アンタレスと夏の大三角

後編

しおりを挟む
 俺にとっての山石琴里という女の子は、年頃の女子生徒では軽視どころか無視されがちな学校の服飾規定をしっかり守った制服姿という印象で、スカートも長くなく短くなく、髪も不必要な程に脱色することもない。言い方がなんだか上から目線な気がするけれども、きっちりとした真面目――というか言ってしまえば地味な少女。

 この姿を見るまでは、特に意味もなく制服しか衣服を持ってないんじゃないかと思っていた自分がいた。

 冷静に考えるとそんな訳は無いのだが、なんとなく想像ができなかった、というか想像したことがなかった。クラス替えの四月から終業式の七月末までの約百二十日間、彼女と会話どころか挨拶をした事すら数回しか無かったからだ。

「ねぇ」

 メゾソプラノの声が夜の闇に吸い込まれていく。

「風間くん、この辺に住んでるんだ」

 俺はベンチから少し離れたところに備え付けてある鉄棒にもたれ掛かりながら答える。

「ここから歩いて三十分かからないぐらいかな」

 暫くの沈黙が夜の闇と一体化していく。蛙と虫の鳴き声と川の音――田舎の夜の旋律が公園を支配する。当然ながら、公園には俺と山石さんの二人しかいない。公園まで行ったらすぐに帰るはずだったのに、なんだか変なことになってきたぞ。そんなことを考える。

「そうなんだ」

 僕の声に応える彼女の声は、泣き喚く虫の声に負けてしまいそうな程に小さい。空をふと見上げると、夏の大三角を構成するベガ・デネブ・アルタイルがはっきりと光り輝いていた。いつしか夜空を覆っていた薄雲は殆どが消え失せて、月の周りも雲が取れて太陽を反射している衛星の光が夜を薄暗く照らしていく。

「ねぇ」

 メゾソプラノの声が夜の闇に吸い込まれていく。

「これから、風間くんはどうするつもりなの?」

 俺は彼女の問い掛けに答えることは出来なかった。その沈黙をなんとなく察したのか、山石さんは視線を俺から外す。肩のあたりで短く切られた髪が夜風に揺れている。柔らかい銀色の月の光に照らされて、栗色が鈍く光っていた。

 いつも学校で見かけていた幻想的なその姿に、俺はある種の妖艶さのようなものを感じてしまう。同じ学園、同じ学級、同じクラスの同級生なのに。年齢や経験などではなく、あまり知らなかった異性のミステリアスな雰囲気に飲みこまれてしまいそうになる。

「私も、どうしていいかわかんないんだ。これからどうなるのか。どうなっちゃうのか。世界が終わる瞬間って、どんな感じなのかな。派手なのかな、綺麗なのかな、一緒で終わるような……例えばスイッチが切られるみたいな感じなのかな。それってさ、隕石がぶつかった瞬間に起きるのかな。ぶつかっても暫く猶予、みたいなのがあるのかな」

 俺に向かってか、それとも世界に向かってなのか。疑問のようなことを語る山石さんを見ている俺の視界の外に赤く強く光っているアンタレスが彼女の心の中のように、爛々と輝いている。心臓のように小さく点滅を繰り返す赤い星は、夜空の漆黒に自分の存在を示すかのように煌めいた。

「わかんないさ。正直、もうすぐ世界が滅びるなんて実感なんて全くないよ。地球が吹き飛ぶことなんて、誰も体験したことがないからなァ」

 屁理屈にも聞こえる俺の言葉に、彼女は少し口を尖らせる。夜の暗さを優しく照らす銀色の月の光に映る山石さんのシルエットがゆっくりと動く。それは、夏の風に揺れる草花のようで。

「意地悪言うんだね。地球が滅びることを体験したことないからわからないって。それを言うなら誰も死んだことがないから、実際は誰も生きている限り、死ぬことを知らないんじゃない?」

 少しだけ強く風が吹く。それは七月の終わりの蒸し暑さをほんの多少ながら和らげる、柔らかく優しい風。公園の花壇に植えられた何輪かの向日葵がその風に揺らされてざわり、と音を立てる。昼は太陽に向かってその顔を向け、今は月を見上げている向日葵も俺や山石さんと同じく、月と星の光に照らされて鈍く光っている。

「覚えてる?終業式に校長先生が最後に言ってた言葉」

 それは、まだまだ俺の頭の中に残っている言葉だ。たくさんの感情が一緒くたになり、泣きながら笑っていた、いつもは威厳のある厳しくもたまに見せる笑顔にどこか愛嬌があった校長先生が残した言葉。

「たとえ明日、世界が滅亡しようとも……だっけ。それがどうしたのさ」
「『たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私は林檎の樹を植える』だよ。校長先生はどんな事があってもいつも通りに過ごして、毎日を愛おしく生きようって意味で言ったと思うんだ。でもね――」

 銀色の月の光と街灯の光。二つの光が山石さんを照らしている。天然の光と人工の光の下に佇む女の子は、艶めかしく髪の毛をかきあげる。

 その瞬間にアンタレスが一層強く赤く輝いた気がして、山石琴里という同級生の女の子が本当は蠍の眷属なのかと一瞬だけ錯覚してしまう。

「ホントはルターが言いたかったことはね、自分が死んじゃって自分が認識している『世界が滅亡しようとも』、弟子達に教えた自分の考えっていう『林檎の樹を植える』ことをやめないぞってことなんだよ」

 薄暗い闇の中では、山石さんの表情はあまりよくわからない。

 真顔で話しているのか、泣きそうな顔をしているのか。

「だからね、林檎の樹なんてもう植えても意味が無いんだよ。何も。何もかも。林檎の樹もね、その樹の下にある大地ごと壊れちゃうんだもん。世界が、ね」

 小さな顔をこちらに向けた山石さんの表情がほんの少しの時間だけ見える。

「それでも、私は見てみたいな。世界が壊れる瞬間。なんだか、凄そうじゃない?」

 俺の見間違えでなければ、山石琴里は微笑んでいた。それは何かを諦めた諦観の笑顔でも、狂気に染まった笑みでも無くて。次の日の朝に遠足があるときのワクワクしている時の顔のような、邪気の欠片もない笑顔に一瞬言葉が詰まる。

「ねぇ」

 メゾソプラノの声が夜の闇に吸い込まれていく。

「これから、風間くんはどうするつもりなの?」

 先程とまるで変わらない声。それでも何か得体の知れないものを感じ、背筋がぞわりと逆立つのを感じる。彼女の屈託のない笑顔から目を逸らし、見なかったことにする。

 無邪気ともとれる彼女の問い掛けに、俺は鉄棒を支点に背伸びをしながら答える。

「とりあえず、今夜はもう遅いから帰って寝るよ。明日のことは、明日考える。明後日のことも、明後日考えるさ。それが今をありのままで生きるってことだろ」

 太陽の二百三十倍もの大きさを誇る火星にも似た蠍の心臓と、その北側の空に光る大三角と北斗七星は太陽の光を反射して銀色に光る。街灯や月の光が何も無ければ、天の川も見ることが出来そうな星空が広がっていた。数々の星々が光るこの空から、全てを台無しにしてしまうモノが落ちてくるのだ。真っ黒な夜空という広大なキャンパスの上で煌めいて、世界を彩っていく星が美しいだけではない。ただ、それに気がつくことが少しだけ。少しだけ遅かっただけなんだ。

  側頭部を軽く掻きながら首を傾げ、俺は言葉を続けていく。

「俺は今生きてるし、明日どうなるかなんてわかんねぇさ。隕石が落ちる前に大地震とか、台風で死んじまうかもしれない。道を歩いてたら交通事故に巻き込まれるかもしれないし、この辺にはいないと思うけど頭のイカれた奴に殺されるかもしれない。だから、明日考えるさ。明日以降のことは、ね。世界が滅びる瞬間なんて、滅びる直前にわかるんじゃないか?」

 田舎の夜の旋律の下、山石さんは椅子の上で体勢を何度も変えていく。月光に照らされた彼女のシルエットが蠢くように変わっていく。

「……わからない、か。そうだよね。明日がどうなるかなんて、わかんないんだよね」

 わからない、わからないんだよ。不安だからこそ、人は生きていくし、生きていけるんだ。

 気が付くと月はだいぶ西側に進んでいた。携帯電話のスリープを解除して待受画面の時計を見ると、二十三時になろうとしていた。あまり会話を交わした気は無いが、女の子をこれ以上長い時間拘束するのも良くはない気がした。

「――もう遅いからこの辺で帰るわ。いい時間だし、夜道に気を付けなよ」

  会話を切り上げ、山石さんに背を向けて家に向かって歩き出す。こんな時間になってしまったので、家まで送っていくかと声をかけたが大丈夫と返された。多少不安ではあるが、本人が大丈夫と言うならば、その意思を尊重することにした。

 残された時間の中で今の俺に出来ることは、今を過ごすことだけだ。どんな結末だろうとも、 きっと最後は笑っていられるように。笑ってアスカに会えるように。

「ねぇ」

 数メートル後方から、メゾソプラノの声が俺の背中に向かって届く。

「明日のこれぐらいの時間に、ここに、また来れる?」

 俺は振り返ることもなく、右腕だけ上げて立ち去っていく。一瞬だけ蛙の鳴き声が消えて、静寂がほんの少しだけ現れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

少年少女たちの日々

原口源太郎
恋愛
とある大国が隣国へ武力侵攻した。 世界の人々はその行為を大いに非難したが、争いはその二国間だけで終わると思っていた。 しかし、その数週間後に別の大国が自国の領土を主張する国へと攻め入った。それに対し、列国は武力でその行いを押さえ込もうとした。 世界の二カ所で起こった戦争の火は、やがてあちこちで燻っていた紛争を燃え上がらせ、やがて第三次世界戦争へと突入していった。 戦争は三年目を迎えたが、国連加盟国の半数以上の国で戦闘状態が続いていた。 大海を望み、二つの大国のすぐ近くに位置するとある小国は、激しい戦闘に巻き込まれていた。 その国の六人の少年少女も戦いの中に巻き込まれていく。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

秘密部 〜人々のひみつ〜

ベアりんぐ
ライト文芸
ただひたすらに過ぎてゆく日常の中で、ある出会いが、ある言葉が、いままで見てきた世界を、変えることがある。ある日一つのミスから生まれた出会いから、変な部活動に入ることになり?………ただ漠然と生きていた高校生、相葉真也の「普通」の日常が変わっていく!!非日常系日常物語、開幕です。 01

終わりの町で鬼と踊れ

御桜真
大衆娯楽
車が積み上げられ、バリケードが築かれている。 町には掠奪者だらけだ。吸血鬼、炭鉱の奴ら、偽善者たち。 ここは福岡天神。 かつてはこのあたりで一番栄えていた町……らしい。 荒廃した世界を、 生きるために、守るために、復讐のために、 少年少女が駆けていく ポストアポカリプス青春群像劇。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...