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Case0 世界が全てを諦めた日
プロローグ
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世界が終わりを迎える瞬間というのは、一体どのようなものなのだろうか。
沢山の核ミサイルが世界中に降り注いだとして、その爆炎が世界を包む瞬間を認識できるのだろうか。
その焔は、全身の血液が一瞬で沸騰してしまうほどに熱いのだろうか。それとも逆に、骨すら凍てつくほどに冷たいのだろうか。
全てを噛み砕き、踏み潰し、蹂躙する巨大なバケモノがある種の荘厳さすら浮かべながら、何もかも破壊し尽くしていくとしたならば、最後の風景はどんなものになっているのだろうか。自分を踏み潰すバケモノの足の裏は鋼よりも硬いのだろうか。それとも逆に、軟体動物のように柔らかいのだろうか。
しかし、核戦争が無くても、大きな怪物が現れなくても。
我々が生きてきたこの世界はもうすぐ終焉を迎えるらしい。なんでも巨大な隕石が地球に向かって進んでいて、それが確実に直撃するコースを辿っているということだ。
数年前にテレビで放送されていた内容では、恐竜が滅びる直接的な要因とされている隕石は直径が十五キロメートル程だったというが、現在の科学技術で算出された隕石の大きさは、その五倍はあるのではないだろうか、ということだった。恐竜が滅びた衝撃の数倍以上ものエネルギーが、地球を力の限り思い切り殴りつけるのだ。一溜りもないだろう。地球が粉々になってしまうかもしれない。
フィクションでは、あまりに在り来りすぎて。
ノンフィクションでは、あまりに荒唐無稽すぎて。
正直なところ、世界中のほぼ全ての人は現実味を感じることはなかっただろう。その為か世界は嘆きに包まれてしまった――ということはなく、いつものような日常を過ごそうと努めていた。
いつものように、世界中の人を安全に送るという使命感を持った鉄道会社の運転士達は電車を動かしたし、トラックの運転手は荷物を満載にした愛車を走らせていった。政府の放送など、何事も無かったかのように。
交通網が動くので流通が止まることも無く、商店や飲食店も休むこともなく営業を続けていた。会社や学校も、この社会全体がいつもと変わらない日常を過ごしていく。
それでも、地球が終わりを迎える時はそう遠くない。いつしか学者たちはあと半年ほどで、全てが終わると結論を出していた。
世界中の識者たちは知恵を出し合った。その場はあらゆる国際的なしがらみを無視して、様々な意見が出されていく。例えば映画のように隕石を破壊する作戦なども考えられた。しかしその全てが机上の空論であった為、その案は棄却された。現実は漫画や映画ではなかった。世界中の核ミサイルを使って隕石を粉々にする案も出たのだが、それも射程等の関係で現実的ではないという判断であった。人類はありとあらゆる面で後手に回り続けたことにより、進退極まった状況になってしまったのだ。世界中の人達が全ての生きるものにとって最重要である、この星を守ることを考え続けたこの数ヶ月は国際問題や外交問題も発生することはなかった。
争っている場合ではないと内戦中の国が和解したり、緊張状態にあった二国が歩み寄りあい、何年間も続いていた休戦がようやく終戦という形になれたということもあった。皮肉ではあるが滅びが完全に見えたこの状況によって、地球の全ての国々から歴史上初めて争いが完全に失われ、完全な平和が訪れたのである。
そして手を取り合った国々の上層部は最終的に一つのプロジェクトを発足させる。しかし、世界中の人達がそれを知ったのは滅びの三ヶ月と少し前のことであった。恐ろしい事にこのプロジェクトが世間に公表されたときには、どのような事をするのか、またそれがどのような人間によって運用されるかなどの、文字通り全てが決まった後であった。
「人類を存続させる為」と大層なことを言いながら、結局は地球と運命を共にしたくない一部のお偉い人達や、スポンサー特権という名の札束を使って席を勝ち取った富豪達は急遽作った宇宙船で自分達でも少しの間だけは、それが例え刹那の間であろうと助かろうとしていた。
それに関してはもう誰も責めることは出来ない。それは「死にたくない」という生命を持ってこの世に存在する生きとし生けるもの全ての原初の欲求であるからだ。それが褒められたやり方ではないにしろ、だ。
彼らは宇宙船には『ワイルド・チャレンジャー』という地球に残される人に喧嘩を売るような巫山戯た名前を付けた。暫くしてその名前をテレビで聞いた瞬間は、世界中に乾いた笑いが多発したことだろう。
それでも、その『ワイルド・チャレンジャー』に乗り込む人達の中には、全てを諦められずに足掻こうという、本当の挑戦者達もほんの少数ではあるが、確かにいた。彼らは本当に、本当に地球が、人類が、生命が生きていたという証を残したかったのだろう。現在の地球のあらゆる技術と持てる資金をひたすらに注ぎ込みノアの方舟――とまではいかなかったが、同じようなことをして生命としての「種」を出来るだけ残そうとしていた。
ノアの方舟には動物のつがいを何組も何組も収納して飛び立ったとされているが、短い期間で収集できる限りの沢山の生き物の受精卵を冷凍保存し、クローン培養して再び産まれさせるというような設備も、『ワイルド・チャレンジャー』には搭載されていた。一時期言われていたクローン生命体に関しての生命倫理に関しては、この状況に関しては誰も、何も言うことは無かった。
地球に生きるものは人間だけではない。人間だけが生き残ったとしても、それは地球という水の星があったことの証明にはなり得ないからだ。彼らは草や花も木も、魚も無脊椎動物や昆虫すらもかき集めていった。
噂によると、このプロジェクトはやはり白人至上主義が未だに残る某大国が主導していたらしいが、生命を残すという大義の前には主義主張は霞んだらしく、白人――つまりコーカソイドだけではなくモンゴロイドやネグロイド、オーストラロイド等の有色人種だけでなく例えば大陸の奥地にひっそりと暮らしているような少数民族といったあらゆる人種のクローン細胞も持ち込まれていた、という話だ。尤も、それを証明することなど現在は不可能なのだが。
そんな全世界の希望を受け止めて母なる地球を旅立っていく名誉の戦士達の人類最後の夢だと当事者達が思い込んでいた『ワイルド・チャレンジャー』は殆どの人が知ることの無いままに建造を始めていて、着々と準備を整えていく。完成を人々が知った頃には、完成度は九割を大きく超えていた。あとは内装の一部と最終的な調整を残すばかりといったところであった。
その頃にはもう乗り込む人間はほぼ全て決まっていたらしいのではあるが、それを公に出来ない為に募集は一応公募という形でかけられた。当然ながら世界中から応募が文字通り「殺到」するも、やはり誰も当選することは無かったという。メディアは当選倍率数億倍と発表していたが、それを信じている人は何人いるかももう分からない。
だが結局のところ、その自称・希望の船はやはり人類の希望となる事はなかった。
最終行程も調整も全て終えた『ワイルド・チャレンジャー』が宇宙へと飛び立つ日がやってきたが、やはり人類に残された日数は本当に少なくなっていた。残りの日数で表すならば、残り二ヶ月程度である。
船体と同じく急遽作られた専用の滑走路を飛び立っていくスペースシャトルの数倍は大きい宇宙船は、離陸を済ませて今、まさに大気圏を脱して宇宙へと突き進もうと空中で船体を持ち上げた瞬間に――
高度約四十八キロメートル付近。成層圏を抜けるか抜けないかというところで船体は爆音とともに木っ端微塵に吹き飛んでいった。
当然、操縦クルーを含めた二千二百四十四名は全員死亡。かき集めた生命のサンプルも、倫理を見ないことにして造りあげたクローン設備も、 何もかもが灰になるか粉々になり太平洋上に降り注ぎ、ほぼ全てが海の底に沈んだ。
大々的にテレビで二日前から特番を組み、あることない事を語りながらも殆どの人にとっては消極的な時間を提供し続け、更にはもう誰が聞いているかわからないカウントダウンがゼロになり、離陸した直前から船体が吹き飛ぶまでの約四十分間は全世界に中継されていた。つまり、当然のことながら吹き飛ぶ瞬間さえもはっきりとカメラは捉え続けていた。
特にこれといった前触れもなく、轟音とともにカメラはノイズに切り替わってしまったのではあるが、ブランドン・マーフィー機長の「なに?」という言葉はマイクが拾えた最後の言葉であり、それが前兆もない一瞬の出来事であったことが伺えた。
世界は驚きと悲しみに包まれた。しかしメディアや捜査機関がこの爆発の原因の究明に動く、ということはなかった。陰謀論のようなものが世界中に蠢いたが、それもすぐに消え失せた。犯人や原因を探す以上に、「諦めがついて」しまったのだ。
人類の歴史は、近いうちに終わる。四十六億年から進化と淘汰の末に繁栄を続けてきた水と緑の惑星は、宇宙からやってきたたかだか七十五キロメートル。直径一万二千七百四十二キロメートルの地球のおよそ〇・六パーセント程度の大きさだ。
しかし、その程度の大きさの石の塊が、この星の全てを。全てを一瞬で破壊し尽くしていく。どんな兵器でも、事実上成し得ることができなかったことだ。幾ら技術を尽くして核ミサイルの威力を高めていっても、兵器が兵器である限り自分自身を殺すことはしない。兵器はあくまでも「敵対しているもの」を破壊する為のものであるからだ。誰も残らなければ、勝利などまるで意味は無い。だが、隕石は違う。そんな当たり前の『常識』も容易くねじ曲げて、ただの一人の勝利者も出すこともなく何もかも吹き飛ばしてしまう。
その諦めを、誰も口にしない。
ただ一日一日を、精一杯生きよう。悔いが残らないように。
何も変わらずに、生きていこう。これが自分たちの生きた証だから、とでも語るように日常を過ごしていく。星が砕けるまで。世界が滅びるまで。全てが終わるまで。
こうして、世界は最後の平穏に満たされようとしていた。
そんな世界で、「俺は」「私は」「僕は」「あたし」は――
まだまだやりたいことがあったのに、死ぬことが確定してしまった。
例えば事故や病気で全ての終わりよりも早く死ぬかもしれないが、どんな事があろうが絶対に二十歳になることが叶わずに、隕石との正面衝突で木っ端微塵になる地球の道連れによって、子供のまま死んでいくのだ。
全てが砕ける瞬間に「俺は」「私は」「僕は」「あたし」は、一体何をしているのだろう。誰とどう過ごしているのだろうか。
世界が滅びる瞬間でも、笑っているのだろうか。自分の存在が地球ごと消える恐怖に、泣いているのだろうか。全てを吹き飛ばす隕石に怒りを抱いているのだろうか。愛を語り続けるのだろうか。それとも、ただただ苦しむのか。
それがわかるまで、あと二十日。
「俺は」「私は」「僕は」「あたし」は、大人になれずに死んでいく。
沢山の核ミサイルが世界中に降り注いだとして、その爆炎が世界を包む瞬間を認識できるのだろうか。
その焔は、全身の血液が一瞬で沸騰してしまうほどに熱いのだろうか。それとも逆に、骨すら凍てつくほどに冷たいのだろうか。
全てを噛み砕き、踏み潰し、蹂躙する巨大なバケモノがある種の荘厳さすら浮かべながら、何もかも破壊し尽くしていくとしたならば、最後の風景はどんなものになっているのだろうか。自分を踏み潰すバケモノの足の裏は鋼よりも硬いのだろうか。それとも逆に、軟体動物のように柔らかいのだろうか。
しかし、核戦争が無くても、大きな怪物が現れなくても。
我々が生きてきたこの世界はもうすぐ終焉を迎えるらしい。なんでも巨大な隕石が地球に向かって進んでいて、それが確実に直撃するコースを辿っているということだ。
数年前にテレビで放送されていた内容では、恐竜が滅びる直接的な要因とされている隕石は直径が十五キロメートル程だったというが、現在の科学技術で算出された隕石の大きさは、その五倍はあるのではないだろうか、ということだった。恐竜が滅びた衝撃の数倍以上ものエネルギーが、地球を力の限り思い切り殴りつけるのだ。一溜りもないだろう。地球が粉々になってしまうかもしれない。
フィクションでは、あまりに在り来りすぎて。
ノンフィクションでは、あまりに荒唐無稽すぎて。
正直なところ、世界中のほぼ全ての人は現実味を感じることはなかっただろう。その為か世界は嘆きに包まれてしまった――ということはなく、いつものような日常を過ごそうと努めていた。
いつものように、世界中の人を安全に送るという使命感を持った鉄道会社の運転士達は電車を動かしたし、トラックの運転手は荷物を満載にした愛車を走らせていった。政府の放送など、何事も無かったかのように。
交通網が動くので流通が止まることも無く、商店や飲食店も休むこともなく営業を続けていた。会社や学校も、この社会全体がいつもと変わらない日常を過ごしていく。
それでも、地球が終わりを迎える時はそう遠くない。いつしか学者たちはあと半年ほどで、全てが終わると結論を出していた。
世界中の識者たちは知恵を出し合った。その場はあらゆる国際的なしがらみを無視して、様々な意見が出されていく。例えば映画のように隕石を破壊する作戦なども考えられた。しかしその全てが机上の空論であった為、その案は棄却された。現実は漫画や映画ではなかった。世界中の核ミサイルを使って隕石を粉々にする案も出たのだが、それも射程等の関係で現実的ではないという判断であった。人類はありとあらゆる面で後手に回り続けたことにより、進退極まった状況になってしまったのだ。世界中の人達が全ての生きるものにとって最重要である、この星を守ることを考え続けたこの数ヶ月は国際問題や外交問題も発生することはなかった。
争っている場合ではないと内戦中の国が和解したり、緊張状態にあった二国が歩み寄りあい、何年間も続いていた休戦がようやく終戦という形になれたということもあった。皮肉ではあるが滅びが完全に見えたこの状況によって、地球の全ての国々から歴史上初めて争いが完全に失われ、完全な平和が訪れたのである。
そして手を取り合った国々の上層部は最終的に一つのプロジェクトを発足させる。しかし、世界中の人達がそれを知ったのは滅びの三ヶ月と少し前のことであった。恐ろしい事にこのプロジェクトが世間に公表されたときには、どのような事をするのか、またそれがどのような人間によって運用されるかなどの、文字通り全てが決まった後であった。
「人類を存続させる為」と大層なことを言いながら、結局は地球と運命を共にしたくない一部のお偉い人達や、スポンサー特権という名の札束を使って席を勝ち取った富豪達は急遽作った宇宙船で自分達でも少しの間だけは、それが例え刹那の間であろうと助かろうとしていた。
それに関してはもう誰も責めることは出来ない。それは「死にたくない」という生命を持ってこの世に存在する生きとし生けるもの全ての原初の欲求であるからだ。それが褒められたやり方ではないにしろ、だ。
彼らは宇宙船には『ワイルド・チャレンジャー』という地球に残される人に喧嘩を売るような巫山戯た名前を付けた。暫くしてその名前をテレビで聞いた瞬間は、世界中に乾いた笑いが多発したことだろう。
それでも、その『ワイルド・チャレンジャー』に乗り込む人達の中には、全てを諦められずに足掻こうという、本当の挑戦者達もほんの少数ではあるが、確かにいた。彼らは本当に、本当に地球が、人類が、生命が生きていたという証を残したかったのだろう。現在の地球のあらゆる技術と持てる資金をひたすらに注ぎ込みノアの方舟――とまではいかなかったが、同じようなことをして生命としての「種」を出来るだけ残そうとしていた。
ノアの方舟には動物のつがいを何組も何組も収納して飛び立ったとされているが、短い期間で収集できる限りの沢山の生き物の受精卵を冷凍保存し、クローン培養して再び産まれさせるというような設備も、『ワイルド・チャレンジャー』には搭載されていた。一時期言われていたクローン生命体に関しての生命倫理に関しては、この状況に関しては誰も、何も言うことは無かった。
地球に生きるものは人間だけではない。人間だけが生き残ったとしても、それは地球という水の星があったことの証明にはなり得ないからだ。彼らは草や花も木も、魚も無脊椎動物や昆虫すらもかき集めていった。
噂によると、このプロジェクトはやはり白人至上主義が未だに残る某大国が主導していたらしいが、生命を残すという大義の前には主義主張は霞んだらしく、白人――つまりコーカソイドだけではなくモンゴロイドやネグロイド、オーストラロイド等の有色人種だけでなく例えば大陸の奥地にひっそりと暮らしているような少数民族といったあらゆる人種のクローン細胞も持ち込まれていた、という話だ。尤も、それを証明することなど現在は不可能なのだが。
そんな全世界の希望を受け止めて母なる地球を旅立っていく名誉の戦士達の人類最後の夢だと当事者達が思い込んでいた『ワイルド・チャレンジャー』は殆どの人が知ることの無いままに建造を始めていて、着々と準備を整えていく。完成を人々が知った頃には、完成度は九割を大きく超えていた。あとは内装の一部と最終的な調整を残すばかりといったところであった。
その頃にはもう乗り込む人間はほぼ全て決まっていたらしいのではあるが、それを公に出来ない為に募集は一応公募という形でかけられた。当然ながら世界中から応募が文字通り「殺到」するも、やはり誰も当選することは無かったという。メディアは当選倍率数億倍と発表していたが、それを信じている人は何人いるかももう分からない。
だが結局のところ、その自称・希望の船はやはり人類の希望となる事はなかった。
最終行程も調整も全て終えた『ワイルド・チャレンジャー』が宇宙へと飛び立つ日がやってきたが、やはり人類に残された日数は本当に少なくなっていた。残りの日数で表すならば、残り二ヶ月程度である。
船体と同じく急遽作られた専用の滑走路を飛び立っていくスペースシャトルの数倍は大きい宇宙船は、離陸を済ませて今、まさに大気圏を脱して宇宙へと突き進もうと空中で船体を持ち上げた瞬間に――
高度約四十八キロメートル付近。成層圏を抜けるか抜けないかというところで船体は爆音とともに木っ端微塵に吹き飛んでいった。
当然、操縦クルーを含めた二千二百四十四名は全員死亡。かき集めた生命のサンプルも、倫理を見ないことにして造りあげたクローン設備も、 何もかもが灰になるか粉々になり太平洋上に降り注ぎ、ほぼ全てが海の底に沈んだ。
大々的にテレビで二日前から特番を組み、あることない事を語りながらも殆どの人にとっては消極的な時間を提供し続け、更にはもう誰が聞いているかわからないカウントダウンがゼロになり、離陸した直前から船体が吹き飛ぶまでの約四十分間は全世界に中継されていた。つまり、当然のことながら吹き飛ぶ瞬間さえもはっきりとカメラは捉え続けていた。
特にこれといった前触れもなく、轟音とともにカメラはノイズに切り替わってしまったのではあるが、ブランドン・マーフィー機長の「なに?」という言葉はマイクが拾えた最後の言葉であり、それが前兆もない一瞬の出来事であったことが伺えた。
世界は驚きと悲しみに包まれた。しかしメディアや捜査機関がこの爆発の原因の究明に動く、ということはなかった。陰謀論のようなものが世界中に蠢いたが、それもすぐに消え失せた。犯人や原因を探す以上に、「諦めがついて」しまったのだ。
人類の歴史は、近いうちに終わる。四十六億年から進化と淘汰の末に繁栄を続けてきた水と緑の惑星は、宇宙からやってきたたかだか七十五キロメートル。直径一万二千七百四十二キロメートルの地球のおよそ〇・六パーセント程度の大きさだ。
しかし、その程度の大きさの石の塊が、この星の全てを。全てを一瞬で破壊し尽くしていく。どんな兵器でも、事実上成し得ることができなかったことだ。幾ら技術を尽くして核ミサイルの威力を高めていっても、兵器が兵器である限り自分自身を殺すことはしない。兵器はあくまでも「敵対しているもの」を破壊する為のものであるからだ。誰も残らなければ、勝利などまるで意味は無い。だが、隕石は違う。そんな当たり前の『常識』も容易くねじ曲げて、ただの一人の勝利者も出すこともなく何もかも吹き飛ばしてしまう。
その諦めを、誰も口にしない。
ただ一日一日を、精一杯生きよう。悔いが残らないように。
何も変わらずに、生きていこう。これが自分たちの生きた証だから、とでも語るように日常を過ごしていく。星が砕けるまで。世界が滅びるまで。全てが終わるまで。
こうして、世界は最後の平穏に満たされようとしていた。
そんな世界で、「俺は」「私は」「僕は」「あたし」は――
まだまだやりたいことがあったのに、死ぬことが確定してしまった。
例えば事故や病気で全ての終わりよりも早く死ぬかもしれないが、どんな事があろうが絶対に二十歳になることが叶わずに、隕石との正面衝突で木っ端微塵になる地球の道連れによって、子供のまま死んでいくのだ。
全てが砕ける瞬間に「俺は」「私は」「僕は」「あたし」は、一体何をしているのだろう。誰とどう過ごしているのだろうか。
世界が滅びる瞬間でも、笑っているのだろうか。自分の存在が地球ごと消える恐怖に、泣いているのだろうか。全てを吹き飛ばす隕石に怒りを抱いているのだろうか。愛を語り続けるのだろうか。それとも、ただただ苦しむのか。
それがわかるまで、あと二十日。
「俺は」「私は」「僕は」「あたし」は、大人になれずに死んでいく。
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