大嫌いな魔法使いと最初で最後の恋をする

再世

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第2章 例外

25. 追想(1)

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2024.11.26
先日公開し、現在非公開となっている「25.特別」について近況ボードを更新しています。
「25.特別」をすでに読んでくださった皆様は、お手数ですがそちらを先にご確認いただけますと幸いです。
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 その人と会えるのはいつも、青から橙へ移り変わってゆく空が、夜に染まるまでのわずかな時間だった。

 秋らしい眩い光が満ちた部屋の中、この御方は我が国の第三皇子殿下、おまえより四つ上のお兄さんだよ、と父に紹介されたその人は、王族の象徴とされる美しい黄金の髪を持つ少年だった。
 エリュシオン・フォン・エデルガス。
 すらりと伸びた背中の中ほどで揺れる柔らかそうな髪は毛先が外に向かって跳ね、雪と見紛うほど白い肌に柘榴の実のような赤い目が映えて、幼心に綺麗な人だなと思ったのを覚えている。服装によっては、少女と言われても信じたかもしれない。
 とても綺麗で、だからこそ、少し怖くもあった。
 つくりもののようなその顔には、表情らしい表情が一切なかった。時が止まったように、すべてを拒絶するように、喜怒哀楽のどれもがない。ただ呼吸をしているだけの人形のように、感情らしい感情がすっぽりと抜け落ちてしまっている。
 初めて会ったその日、少年らしく澄んだ高い声が言い放ったのは、「出ていけ」の一言だった。
 出ていけ、と言われても。
 こちらに背を向け、ベッドに寝転んでしまった少年を前に子どもは途方に暮れた。困って部屋の中を見回すが、やたらだだっ広い部屋には執事やメイドの姿ひとつない。扉の向こうには近衛が立っているだろうが、助けを求めたところで彼らも困るだけだろう。
 何より父からは、迎えがくるまでこの人と一緒に過ごすよう頼まれている。
 この人は何らかの理由があって、魔法が使えなくなってしまったらしい。なぜ一緒にいなければならないのか、一緒にいて何をすればいいのか、具体的な指示は何もなかった。ただ、友人のように接してやってほしいと、頼まれたのはそれだけだ。
 皇子殿下に対して友人のように、とは。
 いくら六歳の子どもといえど、それがどれほど畏れ多いことかはうっすら察していたが、滅多にない父からの頼みだ。殴られても蹴られても、どんな意地悪をされても、絶対にやり遂げなければならない。
 魔法使いとして生まれなかった自分に、父は期待していない。
 かわいそうに。先日パーティーで会った親戚は口々に囁いた。できそこない。従兄弟たちは何度も嗤った。その言葉は初めて聞いたけれど、決していい響きではなかった。父や母には内緒でこっそり調べたところ、失敗作や欠陥品という意味らしい。
 悔しかった。腹が立った。だが、涙は出なかった。心ない言葉をぶつけられるのは、これが初めてではなかったからだ。

 どうしてぼくはまほうがつかえないの?
 どうしたらつかえるようになるの?

 物心ついてすぐ、無邪気にそう尋ねたときの、父と母が浮かべた、困ったような微笑みを忘れられない。
 ――きっと近いうちに、おまえも使えるようになるよ。今はあせらず、知識を身につけよう。
 近いうちに。その言葉だけを信じて、晴れの日も雨の日も眠い日も疲れた日も、一日も欠かさず勉強を続けた。同い年の子どもが外を走り回るのを横目に、難しい魔法学の本を何冊も読んだ。一年、二年と瞬く間に時が過ぎた。春、父の書斎にあった魔法構築学の論文について疑問を投げかけたとき、家庭教師は、この歳で魔法理論をここまで理解しているなんて、と感嘆を隠さなかった。
 だが、どれだけ知識を蓄えても、魔力回路が発現し、魔法を使えるようになったと喜ぶ友人たちの横で、自分は凡人のままだった。
 父や母は、魔力使いになれると謳う怪しい儀式や魔法薬などには一切手を出さなかった。後から思えば、彼らは痛いほどわかっていたのだろう、そんなものに意味はないと。
 魔力回路も、魔力も、天からの授かりものだ。選ばれたものには無条件で与えられるし、選ばれなかったものは、何を犠牲にしようと永遠に手に入れることはできない。
 それでも、まだこの世の道理を知らない幼い子どもの目には、そうした彼らの消極的な振る舞いは、自分を見捨てたように映った。できそこないという言葉と結びつくと、彼らがもう自分に期待を向けていないことは明らかであるように思えた。
 そんな父が、おまえにしか頼めないことだと与えてくれた役割だ。正直、どんな成果を求められているかは分からない。
 だが、これ以上両親をがっかりさせたくはない。
「出て、いきません」
 だから、絶対にこの部屋を出ていくわけにはいかなかった。
 ベッドの横の椅子に座って、子どもは少年に根気強く話しかけた。窓から見える空の話、庭に咲いている花の話、王宮で見かけた小さな猫のことや、母が寝物語で聞かせてくれた古い言い伝え、異国の面白い習慣について。
 友人として接するというなら、言葉を交わさなくては。
 一日目はひたすら無視をされた。二日目も同じだった。三日目も同じだった。四日目も同じだった。少し心が折れかけた。五日目にやっと「うるさい」が返ってきた。俄然やる気がでた。六日目には「うるさい」が「黙れ」になった。七日目、八日目、九日目と変化はなかった。しかし諦めなかった。もはや意地だった。
 十日目、とうとう根負けしたのは少年の方で、「黙れ」が「おまえ、なんなんだ」に変わった。
 少年がベッドの上からそう問いかけたとき、子どもはソファに座り、本棚にあった本を勝手に読みながらその内容について少年に語りかけていた。この部屋には読んだことのない魔法関連書がたくさんあり、お茶やお菓子も用意されているので、時間を潰すのには事欠かない。
 やっと、やっと向こうから話しかけてくれた!
 子どもは堪えきれず満面の笑顔になって、ぴょんとソファから飛び降り、本を抱えたまま急いでベッドの脇へ向かった。

「ぼくはユイシス・イラネルシアです! 父はあなたの魔法の先生で、宮廷魔法師のガイ・イラネルシア」

 ベッドに身を乗り出す勢いで答えると、そんなことは聞いてない、とばかりにため息を吐いた少年が身体を起こす。そしてユイシスを上から下まで眺め、その手元に視線を留めると、口端を歪めて投げかけてきた。
「おまえ、先生の息子のくせに魔力回路がないんだろう。なのに、どうして魔法書なんて読んでるんだ?」
 無意味だ、無価値だ、時間の無駄だ。そんな声が聞こえてくるような、荒んだ言い方だった。
 この人は、明確な意思を持ってユイシスを傷つけようとしている。黙っているだけではユイシスが諦めないと悟って、言葉の刃で切りつけることで自分から遠ざけようとしている。それが分かった。
 だから、ユイシスは笑った。
 甘いよ皇子様。
 その程度の悪意は、もう何十回と受けてきた。
「好きだからです」
 その、怖いくらい透き通った、いっそ虚ろでさえある赤い目を真っ向から見つめる。
「魔法が、好きだから。好きなもののことをたくさん知りたいと思うのは、おかしなこと?」
 決して大きな声や、強い口調で言ったわけではなかった。しかし、少年は気圧されたように黙り込んだ。
「それに、まだ魔法使いになれないと決まったわけじゃないし!」
 十歳になるまで、あと丸三年はある。八歳や九歳で魔力回路が発現した人だって少なくないし、十一歳になる間際に魔力回路が開花した人も決していないわけじゃない。本にそう書いてあった。
 たとえ両親に見捨てられようと、他の誰に否定されようと、自分だけは諦めず、自分のことを信じていなくては。
 少年が目を伏せる。ユイシスは慣れない敬語がいつの間にか外れてしまっていたことに気づいてひやひやしたが、意外にも少年がその不敬を咎めることはなかった。
「……魔法が好き、ね」
 たしかめるように繰り返す。
 音もなく笑う気配がした。その人形のような相貌に、初めて人らしい、生々しい感情が滲む。
 それは疑いようのない嫌悪だった。
「俺は――――魔法なんか、大嫌いだ」

 それが初めての会話らしい会話で、その日から、皇子様はユイシスの声にぽつりぽつりと返事をしてくれるようになった。捻くれて意地の悪い言葉をいくら突き返されそうと、ユイシスは小さな野花をもらったように笑って返した。
「皇子殿下は、どうして魔法がきらいなんですか?」
 これを聞くのは、もう何十回目のことだったろう。
 ベッドの上、少し横になりたいと皇子の隣に図々しく寝ころんで、ユイシスは諦め悪く尋ねた。大人が見れば顔を真っ青にしてユイシスを引きずり下ろしただろうが、この部屋には二人の子どもしかいない。
 皇子は一言、「この無礼者……」と呆れただけだった。案外、器の広い人であるらしい。それか、怒る気力もないのか。
 窓から日没の最後の光が差して、広い部屋の隅は濃い影が滲み出している。初めて顔を合わせた日からひと月以上が経過していた。冬に足を踏み入れた最近は、なおのこと夜の訪れが早い。じきに迎えがくるだろう。
 暖炉の火であたためられた空気はまろく、横になると眠気が忍び寄ってきて、瞼が重くなってくる。
 魔法使いなのに魔法が嫌いだなんて、ユイシスからすればぜいたくすぎる話だ。だから、その理由を知りたい。でも、どうせいつものように黙殺されるか、黙れの一言で拒絶されるだろう。
 そう諦めていたのだが、気まぐれなのか何なのか、この日、予想だにせず別の答えが返ってきた。
「そういうおまえは、どうして魔法が好きなんだ」
 眠気がぱっと散る。背を向けていたその人が、ごろりとこちらに寝返りをうった。ぱちり、赤い目と目が合う。
 魔法を好きな理由。
「えー、なんだろ……なんでかな、好きな理由……」
「……」
「そう言われるとむずかしいー……うぅん、好きだから好き、じゃだめ?」
「だめ」
 それなら俺も、嫌いだから嫌いだと答えていいことになるぞと脅され、ユイシスは緩慢に瞬きしながら必死に考えた。
 そしてようやく、納得できる答えを見つける。

「みんなが、笑顔になるからかなあ」

 皇子が怪訝そうに眉を顰める。初めて会った日に比べたら、この人はずいぶんいろいろな表情を見せてくれるようになった。
「……笑顔?」
「父様も母様も、お屋敷のみんなも、魔法を見たあとは笑顔になるよ。ぼくはそれが好き」
 広い庭に水を撒くときも、宴の場を飾りつけるときも、夜空に光の華を咲かせるときも。それがどんな魔法だったとしても、小さな奇跡を目にした人々は、祝福を受けた人々は、最後には必ず明るい表情をしている。魔法使いも、そうじゃない人も。
 ユイシスはその光景を見るのが好きだった。そうしてできれば、自分もだれかを笑顔にしてあげたかった。
「父様が言ってたよ。第三皇子殿下は、とても才能にあふれたお方だって……」
 いつだったか、母と話す興奮した父の声を、扉越しに聞いた。夜の遅い時間だった。きっと、ユイシスが眠ったと思ったのだろう。心優しい彼らは、ユイシスの前でそうした話をしたことは一度もなかった。
「魔法の才能がある皇子殿下は、だれかを笑顔にする才能があるんだね」
 いいなあ、とユイシスは心から微笑んだ。
 夢見るように見つめた先で、赤い目が大きく見開かれている。つるりとした、真っ赤な宝石みたいだった。
「……は」
 皇子が吐き棄てるように笑った。のろのろと起き上がり、剣呑な表情でユイシスを見下ろす。怒っているようにも、泣きそうにも見えた。
「嘘だ」
 低く唸るような声が言った。その声は微かに震えていたが、幼いユイシスに気づけというのも酷な話だ。
 ユイシスはムッとした。教えろというから教えたのに、嘘だなんて。自分が魔法を好きな理由や、純粋な夢、信じているもの、それらを丸ごと否定された気がした。
「嘘じゃないよ、本当だよ」
「でたらめを言うな」
「でたらめじゃないってば!」
「俺にそんな才はない。魔法がだれかを笑顔にするなんて嘘だ」
「絶対ぜったいぜーったい嘘じゃない! 本当の本当の本当!」
 ユイシスも起き上がり、腹の底から負けじと言い返す。

「あなたはだれかを笑顔にするために、魔法の力を持って生まれてきたんだよ!」

 叫んだ瞬間、両肩に鋭い痛みを感じた。身体が倒れる。突き倒された。理解するより早く息が詰まる感覚がして、反射できつく両目を閉じる。
「それなら!」
 押し殺した声が、ユイシスの鼓膜を強く震わせた。
 まるで、悲鳴のようだと思った。
 おそるおそる瞼を上げたとき、視界には、皇子の歪んだ顔とベッドの天蓋しか映っていなかった。両肩を力任せにベッドに押しつけられ、痛みに思わず顔が歪む。けれど、ユイシスは唇を噛んで耐えた。
 聞けると思ったからだ。魔法が嫌いな理由を。
「それなら……」
 張り詰めた静寂の中、は、は、と荒ぐ息の音だけがする。両肩を痛いほど掴む手がこまかく震えていることに、ユイシスは気づいた。
 視線の先、色をなくした唇が、わなわなと何度も波うつ。
「……おまえの言うことが、本当に正しいなら」
 頬に、ひやりとした何かを感じた。
 苦しげに歪んだ赤い瞳から、ぽたり、透明に澄んだ雫が落ちてくる。
「どうして、」
 途方に暮れたような、血を吐くような声がする。
「どうして、俺は母上を……――」

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