大嫌いな魔法使いと最初で最後の恋をする

再世

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第2章 例外

20. 古傷

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 幸い、それほど長く並ばずにユゥイは露店でシュヴァイを二つ手にいれることができた。ガタイのいい売り手の男が「少年、たくさん食べないとデカくなれねえぞ!」などと言い、具材をかなり多めに包んでくれたので、ソースがたっぷり絡んだ羊肉は今にもこぼれそうなほどだ。
 ロウェンの元に戻ろうとして、ユゥイははたと足を止めることになった。
「……どのあたりだったっけ?」
 来た方角はわかるが、どこの路地だったか目印を覚えておくのを忘れてしまった。自分でも気づかぬうちに浮かれていたのだろうか。
 思い出そうとしているうちに、気づけばどこからともなく現れた大道芸人の一行が道の一角を占領して見せ物を披露しはじめた。派手な芸を見るため、人々がみるみると集まりはじめる。どうやら実力のある大規模な芸人の一団のようで、あっという間に人垣が形成された。ここを無理やり押しとおるのはかなり骨が折れそうだ。
「しまった……」
 完全にロウェンと逸れてしまった。
 迷子はその場から動かない方がいい。それは分かっているが、ここは大通りの真ん中すぎて、動かずにいるのは難しいように思えた。
(どうしよう)
 どこへ行くべきか迷って立ち尽くしたユゥイの肩に何かがぶつかった。反射でそちらを向くと、「ごめんなさい」女性に謝られる。「いえ」咄嗟に返す。ママ、と高い声に呼ばれ、女性はすぐにユゥイから視線を外した。
 夫婦らしき男女と手を繋いだ幼い子どもが通り過ぎていく。彼らもまた、芸人たちの見せ物を楽しみにいくようだ。彼らは旅人なのか、あるいは魔法使いなのか、足元までを覆うローブに身を包んでいる。
 遠ざかっていく後ろ姿を目に入れた瞬間、ザザ、とノイズが走るように、ユゥイの脳裏をいくつかの光景が駆け抜けた。
 光に満ちあふれた青い空、からりと乾いた空気、鉢植えで咲く小さな花々、頬を撫でるぬるいそよ風、商人たちのかまびすしい呼び声に、にぎやかな音楽、ひらり、ひらりと舞い踊る色淡い衣装。
 むやみやたらに明るい笑い声が響き、大人に手を引かれた幼い子どもが屈託なく笑う――――。
 祝祭に沸く明るい街の景色がふっと遠ざかり、あっという間に色褪せていく。建物や人の姿が残像のように無数に揺れ、輪郭を曖昧に溶かし、代わりに、瞼に焼きついた遠い過去の記憶が鮮明になっていく。古傷が、急に痛みだすように。

 芸人たちの舞台はまさに最高潮を迎えつつあった。人と人が肩を組み、ひとつの塔を作るように高く高く連なっていき、塔が高くなるにつれ歓声が大きくなっていく。
 そして芸人たちは、音楽の盛り上がりに合わせ、一斉に大きな布を空にはためかせた。
 あざやかな深紅の染め布が、青い空を覆う。
 布が派手に風にひるがえる。
 まるで炎のように見えた。
 燃え盛る炎のように。

 ドク、ドク、と心臓が嫌な音を立てている。呼吸が無意識に浅くなる。水の底に突き落とされたかのようだった。乾いた拍手の音が、甲高い指笛の音が、けたたましい銅鑼の音が、賞賛の叫びが。四方から響く雑音が耳鳴りとともに波打ち、不快な音の束となって耳奥を無遠慮に掻き乱す。
 なだれ込んでくるそれが過去のものなのか、今のものなのか、判別がつかない。
 俯き、胸元をおさえる。視界がぼやけ、渦を巻くように目の前が揺れた。頭の奥が鈍く痛みはじめる。急速に手足の先が冷え、すっと感覚を失くしていく。冷や汗が吹き出す。足元が覚束ない。口の中を不自然なほど唾液が満たした。一瞬で吐き気が込み上げる。
 ぐらりと世界が傾いた。……いや、違う。傾いているのは自分だ。頭の奥の冷静な自分がそう囁いた。平衡感覚を失いかけている。
 よろめいた華奢な体躯が、前から歩いてきた人間に運悪くぶつかった。

「おい、邪魔だ! ボーッとしてんじゃねえよ!」

「……ぁ……、……すみ、ません」
 かろうじて声を絞り出す。身体がぶつかった際の衝撃、そして大声で怒鳴られたことが、逆にユゥイを遠い過去から現実に引き戻してくれた。
 意識して深く息を吸う。吐く。目頭に力を入れる。次第に、ぼやけた景色が明瞭になっていった。いかつい顔をした二十歳そこそこの短髪の男が、これでもかと眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいる。
(うわ……面倒なことになりそうだな……)
 ぐわんぐわんと余韻を残して痛む頭の隅で、ユゥイはそう直感した。そして、その直感が正しいことはすぐに証明された。
「おいおいおい、ソースが服についちまったよ! どうしてくれんだ!」
 男が指差す先、腹のあたりに、べっちゃりと赤茶色の染みができている。よりによって白い布地なので、隠しようがない。
 男の連れらしき他の二人の男が、「なんてこった! 兄貴の一張羅が!」「この後ミアちゃんをデートに誘うつもりだったのに!」と騒いでいる。
 ユゥイは痛む頭を押さえて、深く、深く息を吐いた。手足の感覚が少しずつ戻ってくる。
(……謝らないと)
 体調が優れなかったとはいえ、先にぶつかったのはユゥイの方だ。言い方に多少腹が立つとはいえ、非はこちらにある。
「すみません、これで新しいものを買ってください」
 震える指先をどうにか動かして、小さな巾着の中から数枚の銅貨を取り出す。露店には服屋もたくさんあるので、これだけあれば汚してしまった上着だけでなく、衣服一式と簡単な装飾品くらいは買えるだろう。
 と、思ったのだが、やはりこの手の荒くれ者は簡単には許してくれなかった。
「ああん? これっぽっちか? 全然足りねぇなぁ、誠意ってもんを見せてもらわねえと」
「えっと……これも差し上げるので、許してください」
「おーこりゃ美味そうなシュヴァイ……って許すわけあるか! しかも俺の服にぶつけたやつじゃねえか!」
「うるさ……」
 大声を出されると頭に響く。苛立ちがつい表に出てしまった。「このガキ、全然反省の色がありませんよ!」「兄貴、このまま舐められっぱなしでいいんすか!」と弟分一号と二号が騒ぎ立てる。「良いわけねえだろうが!」男が言い返す。
 人々の多くはまだ芸人たちの舞台に夢中だった。まばらに通りすぎていく人は、せっかくのめでたい祭りで揉め事には関わりたくないとばかりに見てみぬふりをして足早に去っていく。
 取り巻きたちからユゥイに視線を戻した男が、「ん?」と片眉を跳ね上げる。
「おまえ……やけに可愛い顔してるな」
 もしかして、女か? 
 ユゥイの体型と髪の長さから勘違いしたのだろう、品定めするような視線は、ただでさえ悪い気分をさらに悪化させる。
 穏便に済ませたかったが、もう金を押しつけて逃げようか。小柄なぶん、この人混みを逃げるならユゥイに分がある。ただ、今の体の状態でどこまで俊敏に動けるか。
 逃げる算段を考えていると、男が何かに気づいたようにユゥイの顔を覗き込んできた。
「つーか、よく見りゃ顔色が――――」
 男の手がユゥイの肩に触れる。
 瞬間。
「いっ、イデデデデデッ!」
 バチっ! 
 何かが弾けるような音を立てて、光が激しく散った。
 驚いたのは男たちだけでなく、ユゥイもだった。何が起こったのかわからず、ただ唖然として目をしばたたかせることしかできない。
 どれほどの痛みだったのか、それとも単に身体が痺れたのか、目を回した男がふらふらと後ずさり、背中からバタンと派手にすっ転んだ。どうやらそのまま気絶したようで、起き上がらない。
「あっ兄貴ーーーー!?」
「ししししし死んでねぇっすよね!?」
 倒れた男を一号と二号が取り囲む。口元に耳を当て、胸元に触れ、「い……生きてる!」と叫ぶ。どうやら生きてはいるようだ。呆然とそれを眺めるしかできないでいたユゥイは、自分の左手首にチリッとした熱を感じた。
 パッと見れば、腕輪の石が陽の光を反射しただけではない強い輝きを放っている。
(今の……これ!?)
 いったいどんな魔法を仕込んでくれやがったんだあの男。いや、助かったと言えば助かったが。
 男が気絶しているだけだと確認を終えた取り巻きが、兄貴に何してくれやがったんだとばかりに揃ってユゥイの方に顔を向けた。ユゥイはじり、と一歩後ずさる。
「……――っすみません」
 ユゥイは踵を返して逃げた。手していた銅貨数枚とシュヴァイ二つを、ほとんど投げつけるように彼らに渡して。
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