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営業刑務官・石原晋太郎
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「部品磨き、うちでやらせてもらえませんか?うちなら10分の1、いや、20分の1でさせて頂きますから」
石原晋太郎は目の前で椅子に凭れる男にそう告げるや、平身低頭してみせた。
この光景を目の当たりにすれば、石原晋太郎のことを誰もがどこぞの企業の営業マンだと思うであろう。
そしてそれは半分は正解であり、しかし半分はハズレであった。
確かに石原晋太郎は営業を任されてはいたものの、しかし、その勤務先は民間企業ではなく刑務所であったのだ。
刑務所には必ずと言って良い程に欠かせないのが刑務作業である。
だがこの刑務作業もそれこそ、湧水のように黙っていても湧いて出てくる類のものでは決してなく、各々の刑務所に勤める刑務官がトレードマークとも言うべき制服から背広に着替え、企業回りをして「仕事」を取ってくるのであった。
石原晋太郎もその一人であり、石原晋太郎は朝霞刑務所における、さしずめ営業主任であった。
その石原晋太郎は手製のパンフレットを目の前の男、こと大手自動車メーカーの取締役事業部長に営業をかけていたのだ。
石原晋太郎が勤める朝霞刑務所においては自動車部品の磨きを刑務作業としていた。
工賃が10分の1、いや、20分の1で済むとなれば、自動車メーカーならばどこも食指が動かされる筈であり、容易に仕事が取れそうであった
実際、3年前まではそうであった。
3年前、まだ年号が平成であった2018年、自動車メーカー最大手のトヨタが世界生産計画台数として1059万台という過去最大の計画台数をぶちあけたその当時は面白いように仕事が取れたものであった。
それこそ石原晋太郎が行く先々で仕事が取れたものであった。
その際、石原晋太郎は営業の常として、相手に名刺をきるわけだが、
「朝霞刑務所刑務官の石原です」
都知事と同じの…、一昔前に放送された某刑事ドラマのセリフをそのまま拝借、付け加えるのをこれまた常としていた。当然、相手は、
「いつの時代の話をしてるんだよ」
或いは、
「そりゃ、青島だろ」
若しくはあんたは刑事じゃなくって、刑務官だろ」
などと、何れにしろ苦笑混じりにツッコミを入れてくれる。いや、石原晋太郎とてその手のツッコミを期待して、そのように自己紹介していたのだ。
ともあれそうすることで、互いの距離感が一気に縮まり、そうなればもう、仕事が取れたも同然であった。
しかしそれも去年から大発生し、未だに終息の兆が見えぬ新型ウイルスにより様相は一変した。
国民は皆、不要不急の外出を控えるようになり、そこへ若者の自動車離れも手伝い、トヨタを始めとする自動車メーカーは軒並、減産体制となり、それは今も続いていた。
そのような状況下においては、最大の武器とも言うべき工賃の低さも、あまり武器にはならなかった。
「確かに、お宅に任せれば安く済むが、しかし時間がかかるからねぇ…」
事業部長はそう告げて、難色を示した。
確かにその通りであった。
石原晋太郎が勤める朝霞刑務所の収容指標だが、
「I指標…禁錮受刑者」
「LA指標…執行すべき刑期が10年以上で且つ犯罪傾向の進んでいない者」
「A指標…犯罪傾向の進んでいない者」
要は初犯者で占められており、しかもその大半が1、2年で出所する。
朝霞刑務所は一応、LA指標の受刑者も収容されているが、しかし、それも僅かであった。
朝霞刑務所が開設されたのは4年前の2017年のことであった。折からの刑務所の過剰収容、つまりは刑務所不足を解決すべく、そこで新たに刑務所を埼玉県は朝霞市の米軍跡地に建設されたのであった。
その際、地元住民による反対運動があり、そこで刑務所を所掌する、そして朝霞市の米軍跡地に新たに刑務所を開設しようとの旗振り役であった法務省は地元住民との間で、
「収容する受刑者は詐欺、横領や贈収賄などの知能犯のみで、殺人や強盗といった強行犯は収容させない」
無論、初犯者のみとも付け加え、漸く妥協が成立し、何とか朝霞刑務所の開設に漕ぎ着けたという経緯があった。
そのような経緯から、朝霞刑務所ではLA指標、即ち、刑期が10年以上の初犯者も収容されているとはいえ、その数は僅かであり、巨額横領事件の元被告人と、それに巨額詐欺事件の元被告人が収容されている程度であり、大半は1、2年で出所する受刑者で占められていた。
そうなると、折角仕事を覚えた頃にはもう出所の時期を迎えてしまうことになる。
部品磨きの仕事は1、2年でそのスキルが身につくものであり、それゆえスキルを身につけた頃にはもう娑婆に出てしまい、また一からスキルを身につけなければならない、新たな受刑者が刑務作業としての部品磨きに汗を流すことになる。
そのため、納期は民間よりも遅いものとなる。
しかしその代わりに民間にはない強みもあり、それこそが工賃の安さであった。
刑務所における刑務作業だが、時給に換算すればどんなに高くても60円に満たない。
受刑者はそのランクに応じて、1等工から10等工まで分かれており、一番時給の高い1等工でさえ、その時給たるや52円90銭に過ぎず、工賃の低さの所以であった。
そして、新型ウイルス禍前の2018年はその工賃の低さが納期の遅さを補って余りある最大の武器となり、面白いように仕事が取れたものだが、しかし、新型ウイルス禍により自動車メーカー各社が一斉に減産体制となるや、工賃の低さという武器は最早揮わず、納期の遅さというネックが目についた。
「それよりは納期が早い町工場に任せた方が良いからね。いや、町工場も今ではコストカットがかなり進んでいるからね…」
もう刑務所に任せる時代じゃない…、取締役事業部長は石原晋太郎に暗にそう告げた。
石原晋太郎は目の前で椅子に凭れる男にそう告げるや、平身低頭してみせた。
この光景を目の当たりにすれば、石原晋太郎のことを誰もがどこぞの企業の営業マンだと思うであろう。
そしてそれは半分は正解であり、しかし半分はハズレであった。
確かに石原晋太郎は営業を任されてはいたものの、しかし、その勤務先は民間企業ではなく刑務所であったのだ。
刑務所には必ずと言って良い程に欠かせないのが刑務作業である。
だがこの刑務作業もそれこそ、湧水のように黙っていても湧いて出てくる類のものでは決してなく、各々の刑務所に勤める刑務官がトレードマークとも言うべき制服から背広に着替え、企業回りをして「仕事」を取ってくるのであった。
石原晋太郎もその一人であり、石原晋太郎は朝霞刑務所における、さしずめ営業主任であった。
その石原晋太郎は手製のパンフレットを目の前の男、こと大手自動車メーカーの取締役事業部長に営業をかけていたのだ。
石原晋太郎が勤める朝霞刑務所においては自動車部品の磨きを刑務作業としていた。
工賃が10分の1、いや、20分の1で済むとなれば、自動車メーカーならばどこも食指が動かされる筈であり、容易に仕事が取れそうであった
実際、3年前まではそうであった。
3年前、まだ年号が平成であった2018年、自動車メーカー最大手のトヨタが世界生産計画台数として1059万台という過去最大の計画台数をぶちあけたその当時は面白いように仕事が取れたものであった。
それこそ石原晋太郎が行く先々で仕事が取れたものであった。
その際、石原晋太郎は営業の常として、相手に名刺をきるわけだが、
「朝霞刑務所刑務官の石原です」
都知事と同じの…、一昔前に放送された某刑事ドラマのセリフをそのまま拝借、付け加えるのをこれまた常としていた。当然、相手は、
「いつの時代の話をしてるんだよ」
或いは、
「そりゃ、青島だろ」
若しくはあんたは刑事じゃなくって、刑務官だろ」
などと、何れにしろ苦笑混じりにツッコミを入れてくれる。いや、石原晋太郎とてその手のツッコミを期待して、そのように自己紹介していたのだ。
ともあれそうすることで、互いの距離感が一気に縮まり、そうなればもう、仕事が取れたも同然であった。
しかしそれも去年から大発生し、未だに終息の兆が見えぬ新型ウイルスにより様相は一変した。
国民は皆、不要不急の外出を控えるようになり、そこへ若者の自動車離れも手伝い、トヨタを始めとする自動車メーカーは軒並、減産体制となり、それは今も続いていた。
そのような状況下においては、最大の武器とも言うべき工賃の低さも、あまり武器にはならなかった。
「確かに、お宅に任せれば安く済むが、しかし時間がかかるからねぇ…」
事業部長はそう告げて、難色を示した。
確かにその通りであった。
石原晋太郎が勤める朝霞刑務所の収容指標だが、
「I指標…禁錮受刑者」
「LA指標…執行すべき刑期が10年以上で且つ犯罪傾向の進んでいない者」
「A指標…犯罪傾向の進んでいない者」
要は初犯者で占められており、しかもその大半が1、2年で出所する。
朝霞刑務所は一応、LA指標の受刑者も収容されているが、しかし、それも僅かであった。
朝霞刑務所が開設されたのは4年前の2017年のことであった。折からの刑務所の過剰収容、つまりは刑務所不足を解決すべく、そこで新たに刑務所を埼玉県は朝霞市の米軍跡地に建設されたのであった。
その際、地元住民による反対運動があり、そこで刑務所を所掌する、そして朝霞市の米軍跡地に新たに刑務所を開設しようとの旗振り役であった法務省は地元住民との間で、
「収容する受刑者は詐欺、横領や贈収賄などの知能犯のみで、殺人や強盗といった強行犯は収容させない」
無論、初犯者のみとも付け加え、漸く妥協が成立し、何とか朝霞刑務所の開設に漕ぎ着けたという経緯があった。
そのような経緯から、朝霞刑務所ではLA指標、即ち、刑期が10年以上の初犯者も収容されているとはいえ、その数は僅かであり、巨額横領事件の元被告人と、それに巨額詐欺事件の元被告人が収容されている程度であり、大半は1、2年で出所する受刑者で占められていた。
そうなると、折角仕事を覚えた頃にはもう出所の時期を迎えてしまうことになる。
部品磨きの仕事は1、2年でそのスキルが身につくものであり、それゆえスキルを身につけた頃にはもう娑婆に出てしまい、また一からスキルを身につけなければならない、新たな受刑者が刑務作業としての部品磨きに汗を流すことになる。
そのため、納期は民間よりも遅いものとなる。
しかしその代わりに民間にはない強みもあり、それこそが工賃の安さであった。
刑務所における刑務作業だが、時給に換算すればどんなに高くても60円に満たない。
受刑者はそのランクに応じて、1等工から10等工まで分かれており、一番時給の高い1等工でさえ、その時給たるや52円90銭に過ぎず、工賃の低さの所以であった。
そして、新型ウイルス禍前の2018年はその工賃の低さが納期の遅さを補って余りある最大の武器となり、面白いように仕事が取れたものだが、しかし、新型ウイルス禍により自動車メーカー各社が一斉に減産体制となるや、工賃の低さという武器は最早揮わず、納期の遅さというネックが目についた。
「それよりは納期が早い町工場に任せた方が良いからね。いや、町工場も今ではコストカットがかなり進んでいるからね…」
もう刑務所に任せる時代じゃない…、取締役事業部長は石原晋太郎に暗にそう告げた。
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