元気出せ、金太郎

ご隠居

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若年寄の京極備前守高久は北町奉行の初鹿野河内守信興を清水家老へと棚上げしようとする側用人の本多忠籌に対して疑念を覚える。

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 かくしてきた町奉行まちぶぎょう初鹿野はじかの信興のぶおき配下はいか与力よりき同心どうしんらによる使番つかいばん高力こうりき修理しゅりとその足軽あしがるに対する強盗ごうとう傷害しょうがい事件じけんはここに完全かんぜんまくじたのであった。

 だがそれで完全かんぜん事件じけんわったわけではない。いや、法的ほうてきにはたしかにこれでわったわけで、下手人げしゅにんであるきた与力よりき同心どうしんらが「刑事けいじ責任せきにん」をわれることは最早もはやない。

 だが彼奴等きゃつら直属ちょくぞく上司じょうしである町奉行まちぶぎょう初鹿野はじかの信興のぶおきの「管理かんり責任せきにん」までが雲散うんさん霧消むしょうしたわけではなく、それどころかかえって拡大かくだい様相ようそうていしていた。

 そこで忠籌ただかず柘植つげ正寔まさざね相役あいやくである、そしてもなく西之丸にしのまる留守居るすいへと左遷させんさせられる予定よてい岡部おかべ一徳かずのり後任こうにん清水しみず家老かろうとして、その初鹿野はじかの信興のぶおき棚上たなあげすることを提案ていあんしたのであったが、しかしその提案ていあん勝手かってがかり若年寄わかどしより京極きょうごく高久たかひささきとなえた。いや、いたと言ったほういであろう。

本多ほんだ弾正だんじょう大弼だいひつ提案ていあんにも一理いちりあり…、なれども、そもそもさき一件いっけん…、きた与力よりき同心どうしんらがこともあろうに使番つかいばん高力こうりき修理しゅりとその足軽あしがるに対して追剥おいはぎはたらいたとのうわさがありし事件じけん評定所ひょうじょうしょにてとうさばいておれば…、いや、それ以前いぜんとう目付めつけ事件じけん探索たんさくさせておればかる事態じたいには、いや、醜態しゅうたいにはいたってはござるまいて…」

 忠籌ただかず側用人そばようにんとしての立場たちば利用りようして、事件じけん揉消もみけそうとしたのがそもそもの発端ほったん…、初鹿野はじかの信興のぶおき管理かんり責任せきにんこえおおきくなった発端ほったん、いや、元凶げんきょうであり、そうであればすくなくとも忠籌ただかずには信興のぶおき棚上たなあ人事じんじ提案ていあんする資格しかくはないだろう…、京極きょうごく高久たかひさはそう示唆しさしたのであった。

 高久たかひさのこの示唆しさには忠籌ただかずのぞいただれもが胸中きょうちゅううなずいたものである。将軍・家斉いえなりでさえそうであった。

「それに、せめもうされるのであらば、初鹿野はじかのよりもさきに、さばきをせし桑原くわばら山村やまむらあるいは根岸ねぎしせめうべきではござらぬか?不充分ふじゅうぶんなるさばきをせしそのせめを…」

 高久たかひさつづけて、三手掛さんてがかり構成こうせいした大目付おおめつけ桑原くわばら盛員もりかずみなみ町奉行まちぶぎょう山村やまむら良旺たかあきら、そして公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう根岸ねぎし鎮衛やすもり責任せきにんについてもれた。「裁判官さいばんかん」である彼等かれら3人が、

「いい加減かげんな…」

 さばきをしたために、つまりは事件じけん揉消もみけしたために、初鹿野はじかの信興のぶおきの「管理かんり責任せきにん」をこえおおきくさせてしまったのだから、せめわれるべきは、言いえるなら、

清水しみず家老かろうへと棚上たなあげされるべきは…」

 初鹿野はじかの信興のぶおきではなく、彼等かれら3人のうちのだれかであろうと、そう示唆しさしたのであった。

 そしてそこにはやはり、彼等かれら3人の「裁判官さいばんかん」に事件じけん揉消もみけすよう圧力あつりょくをかけたにちがいない側用人そばようにん忠籌ただかずに対する批判ひはんめられていた。

 これには忠籌ただかず流石さすがだまっていられず、「ひかえぃっ!」と高久たかひさ大喝だいかつびせたかとおもうと、

三手掛さんてがかり構成こうせいせしものたちは見事みごとにその職責しょくせきたしたのだ。そのものたちを、そのうちのだれかを清水しみず家老かろうへといやることなどまかりならん」

 忠籌ただかずはそうはなったのであった。

 すると高久たかひさは、「見事みごと職責しょくせきたされたと申《もう》されるか?」といま忠籌ただかず言葉ことばかえし、それに対して忠籌ただかずも、「如何いかにも」と自信じしん満々まんまん即答そくとうした。

「されば尚更なおさらに、初鹿野はじかの清水しみず家老かろうへと棚上たなあげせし道理どうりがないではござらぬか…、桑原くわばら山村やまむら、そして根岸ねぎし一党いっとう見事みごと職責しょくせきたしたともうすのであらば、当然とうぜん彼等かれらくだせし、此度こたび一件いっけん下手人げしゅにん不詳ふしょう、つまりは初鹿野はじかの配下はいか与力よりき同心どうしんらは下手人げしゅにんではなく、彼奴等きゃつら与力よりき同心どうしんらにつみはなし、とのそのさばきただしかったとなりもうす。されば初鹿野はじかのもまた、せめわれる道理どうりはござるまいて…」

 たしかに高久たかひさの言うとおりで、桑原くわばら盛員もりかず山村やまむら良旺たかあきら、そして根岸ねぎし鎮衛やすもりが「此度こたび一件いっけん」、すなわち、使番つかいばん高力こうりき修理しゅりとその足軽あしがるに対する「強盗ごうとう傷害しょうがい事件じけん」について、きた与力よりき同心どうしんらを無罪むざいとしたその判決はんけつただしいと言うのであらば、彼等かれら与力よりき同心どうしんらを支配しはいするきた町奉行まちぶぎょう初鹿野はじかの信興のぶおきせめを、管理かんり責任せきにんわれる道理どうりもないわけで、そうであれば、

初鹿野はじかの信興のぶおき清水しみず家老かろうへと棚上たなあげされるべき道理どうりもまたないではないか…」

 高久たかひさはそう示唆しさしたのであった。

 高久たかひさのこの示唆しさもっともであり、さしもの忠籌ただかず反論はんろんすべき言葉ことば見当みあたらずにだまんだ。

 すると忠籌ただかず子分こぶん自認じにんする、そのじつ忠籌ただかずからは「金魚きんぎょふん」としかおもわれていない御側御用取次おそばごようとりつぎ小笠原おがさわら信喜のぶよしが「親分おやぶん」である忠籌ただかず援護えんご射撃しゃげきすべく、

「されば初鹿野はじかの大分だいぶ評判ひょうばんわるいゆえに…」

 そうってはいったのであった。だが、ぐに高久たかひさによって「撃沈げきちん」させられた。

評判ひょうばんだけで棚上たなあげされてはかなわぬな…」

 たしかにこれもまた高久たかひさの言うとおりで、信喜のぶよし忠籌ただかず援護えんご射撃しゃげきするはず墓穴ぼけつった格好かっこうであった。

 高久たかひささらに、信喜のぶよしいま言葉ことば逆手さかてり、

「それに評判ひょうばんもうすのであらば、きた初鹿野はじかのよりみなみ山村やまむらほう町方まちかたでは大層たいそう評判ひょうばんわるよし…」

 そうちをかけたのであった。

 そして高久たかひさ言葉ことばにやはりと言うべきか、みなうなずいた。それは忠籌ただかず信喜のぶよしさえもうなずかせるほどであった。

 町方まちかた…、江戸えど町人ちょうにんあいだでは「いのしし武者むしゃ」であるきた町奉行まちぶぎょう初鹿野はじかの信興のぶおきよりも、

たよりない…」

 みなみ町奉行まちぶぎょう山村やまむら良旺たかあきらほう評判ひょうばんわるかった。いや、評判ひょうばんわるいと言うよりは嘲笑ちょうしょうされていたのだ。

 山村やまむら良旺たかあきら江戸えど町人ちょうにんから嘲笑ちょうしょうまととなっているだけあって、町人ちょうにん良旺たかあきらには帰伏きふくせず、あまつさえ配下はいかであるはず与力よりき同心どうしんたちでさえもそうであった。

 それゆえ評判ひょうばん人事じんじの、それも「棚上たなあげ」人事じんじ基準きじゅんえるのであれば、高久たかひさの言うとおり、初鹿野はじかの信興のぶおきよりも山村やまむら良旺たかあきらほう清水しみず家老かろうへと「棚上たなあげ」されるに相応ふさわしいだろう。

 だが、信喜のぶよしとしては「親分おやぶん」である忠籌ただかず手前てまえなによりおのれ言葉ことば逆手さかてられたままでは面子めんつにかかわるゆえ、高久たかひさいま意見いけんうなずくわけにはゆかず、

評判ひょうばんもうしても、町方まちかた評判ひょうばんのことではござらぬっ!」

 かなりくるしい反論はんろんこころみた。

 だが高久たかひさ信喜のぶよしのこのかなりくるしい反論はんろんをも見事みごと逆手さかてってみせたのであった。
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