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承前 夏の人事 ~御三卿家老を巡る人事・岡部一徳の後任の清水家老として側用人の本多忠籌は北町奉行の初鹿野河内守信興を推挙す 11~
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忠籌は将軍・家斉をも頷かせた信久の「人事案」に対して冷笑を浮かべた。のみならず、露骨に噴出す始末であった。
それに対して将軍・家斉はギョッとし、そして信久は当然、不快であった。
「弾正大弼、何が可笑しい?」
信久は忠籌を詰問した。やはり将軍・家斉の御前であるために、信久は事実上の上司に当たる側用人の忠籌をその官職名である、
「弾正大弼」
そう呼び捨てにした。
いや、本来ならば「大弼」も必要ではなく、
「弾正」
そう略称にて呼び捨てにしなければならないところであったが、しかし信久は忠籌の側用人としての面子を慮って、
「弾正大弼」
そう「フルネーム」でもって呼び捨てにしたのであった。
一方、忠籌は信久の詰問を受けても相変わらず冷笑を浮かべたまま、
「されば曲淵甲斐はうぬが縁者ゆえに公事方勘定奉行に推挙したのであろう?正にこれぞ情実人事よのう…」
そうバッサリと斬り捨ててみせた。
確かに忠籌の言う通り、津田信久は曲淵景漸とは縁者であった。いや、正確には景漸が息にして目付の曲淵勝次郎の縁者と言うべきか。
即ち、津田信久が妻女は前の若年寄、松平玄蕃頭忠福の次女であり、その妹に当たる四女は曲淵勝次郎の許に嫁していた。
それゆえ津田信久と曲淵勝次郎とは直接には血の繋がりこそなかったものの、しかし、松平忠福を介して縁があり、実際、信久は勝次郎とは忠福の娘を娶っている者同士、忠福を岳父とする者同士、親しく付き合っており、しかもそのことは、
「周知の事実」
であった。それゆえ信久が公事方勘定奉行として、親しく付き合っている曲淵勝次郎が父、景漸の名を挙げた時にはその「関係性」を指摘した忠籌は元より、御側御用取次の加納久周にしろ小笠原信喜にしろやはり同様にその「関係性」に思いを馳せたものである。
さて、忠籌から「情実人事」との誹りを受けた信久はと言うと、これまた臆することなく、
「如何にも情実人事にて…」
そう平然と認めたものだから、これにはさしもの忠籌も想定外であったらしく、言葉に詰まった様子を覗かせた。
すると信久はその機に乗じて畳み掛けた。
「されば曲淵甲斐は身共と親しき目付の曲淵勝次郎が実父にて…、その上で公事方勘定奉行の御役目を立派に勤め得る才覚があればこそ推挙したまでで、仮に曲淵甲斐にその才覚がなくば、身共とて曲淵甲斐を公事方勘定奉行には推挙致し申さず…」
曲淵景漸には公事方勘定奉行を立派に勤め得る実力があればこそ推挙したまで…、信久のこの正論に対しても忠籌はやはり反論の言葉が思い付かなかった。
「それでも尚、情実人事と申し立てるのであらば如何にも情実人事にて、それが何か?」
信久は最後にそう付け加えたのであった。それも今しがたまで忠籌が信久に対して冷笑を浮かべていたのと同様、今度は信久が忠籌に対して冷笑を浮かべて、であった。
そして忠籌は信久のこの「最後の一撃」にも反論出来ず、その悔しさから袴を両手でもって引き千切れるのではあるまいかと、そう案じられる程に掴んだものである。
すると将軍・家斉はそのような忠籌を流石に憐れに思ったらしく、
「されば忠籌は誰が公事方勘定奉行に相応しいと思う?」
忠籌にも諮問したのであった。
それで忠籌も漸くに救われた思いで、ホッとした表情を浮かべつつ、家斉の方へと体の向きを変えたかと思うと、深々と叩頭した後、己が思い浮かべる公事方勘定奉行の候補者を口にした。
「されば勝手方勘定奉行の柳生主膳正久通こそが相応しいかと…」
勝手方勘定奉行の柳生久通を公事方勘定奉行へと異動、横滑りさせることを忠籌は提案したのであった。
するとこれには信久は元より中立の立場を守っていた加納久周や、果ては忠籌の「腰巾着」である筈の小笠原信喜までが難色を示したものであった。
「柳生主膳を公事方へと横滑りさせようとは…、弾正大弼、正気か?」
信久はそう反問した。そしてそれは久周や信喜にも共通する思いであった。
それと言うのも柳生久通はその時点では勝手方勘定奉行に就いてからまだ日が浅かった。
即ち、柳生久通は実は天明8(1788)年9月までは江戸北町奉行であった。
久通はそれより前、それもちょうど1年前の天明7(1787)年9月に曲淵景漸の後任として北町奉行に着任したのだが、しかし、久通は町奉行として求められる最も大事な資質であると断言しても差し支えない、
「当意即妙」
その才に全くと言っても良い程に欠けており、その上、余りに頼りなく、それゆえ町奉行としては不適任ということで、在任僅か1年にて勝手方勘定奉行へと異動させられたのであった。
それにしても公事方・勝手方問わず、勘定奉行から江戸町奉行への異動は栄転と言え、それも典型的な昇進コースであるのに対して、その逆は左遷に近く、これまで例はなかった。
そこで老中首座の松平定信が流石にそのような柳生久通を憐れに思い、勝手方勘定奉行へと異動させるに当たり、
「町奉行の次席」
つまりは勘定奉行上座、筆頭の地位を与えたのであった。
それに対して将軍・家斉はギョッとし、そして信久は当然、不快であった。
「弾正大弼、何が可笑しい?」
信久は忠籌を詰問した。やはり将軍・家斉の御前であるために、信久は事実上の上司に当たる側用人の忠籌をその官職名である、
「弾正大弼」
そう呼び捨てにした。
いや、本来ならば「大弼」も必要ではなく、
「弾正」
そう略称にて呼び捨てにしなければならないところであったが、しかし信久は忠籌の側用人としての面子を慮って、
「弾正大弼」
そう「フルネーム」でもって呼び捨てにしたのであった。
一方、忠籌は信久の詰問を受けても相変わらず冷笑を浮かべたまま、
「されば曲淵甲斐はうぬが縁者ゆえに公事方勘定奉行に推挙したのであろう?正にこれぞ情実人事よのう…」
そうバッサリと斬り捨ててみせた。
確かに忠籌の言う通り、津田信久は曲淵景漸とは縁者であった。いや、正確には景漸が息にして目付の曲淵勝次郎の縁者と言うべきか。
即ち、津田信久が妻女は前の若年寄、松平玄蕃頭忠福の次女であり、その妹に当たる四女は曲淵勝次郎の許に嫁していた。
それゆえ津田信久と曲淵勝次郎とは直接には血の繋がりこそなかったものの、しかし、松平忠福を介して縁があり、実際、信久は勝次郎とは忠福の娘を娶っている者同士、忠福を岳父とする者同士、親しく付き合っており、しかもそのことは、
「周知の事実」
であった。それゆえ信久が公事方勘定奉行として、親しく付き合っている曲淵勝次郎が父、景漸の名を挙げた時にはその「関係性」を指摘した忠籌は元より、御側御用取次の加納久周にしろ小笠原信喜にしろやはり同様にその「関係性」に思いを馳せたものである。
さて、忠籌から「情実人事」との誹りを受けた信久はと言うと、これまた臆することなく、
「如何にも情実人事にて…」
そう平然と認めたものだから、これにはさしもの忠籌も想定外であったらしく、言葉に詰まった様子を覗かせた。
すると信久はその機に乗じて畳み掛けた。
「されば曲淵甲斐は身共と親しき目付の曲淵勝次郎が実父にて…、その上で公事方勘定奉行の御役目を立派に勤め得る才覚があればこそ推挙したまでで、仮に曲淵甲斐にその才覚がなくば、身共とて曲淵甲斐を公事方勘定奉行には推挙致し申さず…」
曲淵景漸には公事方勘定奉行を立派に勤め得る実力があればこそ推挙したまで…、信久のこの正論に対しても忠籌はやはり反論の言葉が思い付かなかった。
「それでも尚、情実人事と申し立てるのであらば如何にも情実人事にて、それが何か?」
信久は最後にそう付け加えたのであった。それも今しがたまで忠籌が信久に対して冷笑を浮かべていたのと同様、今度は信久が忠籌に対して冷笑を浮かべて、であった。
そして忠籌は信久のこの「最後の一撃」にも反論出来ず、その悔しさから袴を両手でもって引き千切れるのではあるまいかと、そう案じられる程に掴んだものである。
すると将軍・家斉はそのような忠籌を流石に憐れに思ったらしく、
「されば忠籌は誰が公事方勘定奉行に相応しいと思う?」
忠籌にも諮問したのであった。
それで忠籌も漸くに救われた思いで、ホッとした表情を浮かべつつ、家斉の方へと体の向きを変えたかと思うと、深々と叩頭した後、己が思い浮かべる公事方勘定奉行の候補者を口にした。
「されば勝手方勘定奉行の柳生主膳正久通こそが相応しいかと…」
勝手方勘定奉行の柳生久通を公事方勘定奉行へと異動、横滑りさせることを忠籌は提案したのであった。
するとこれには信久は元より中立の立場を守っていた加納久周や、果ては忠籌の「腰巾着」である筈の小笠原信喜までが難色を示したものであった。
「柳生主膳を公事方へと横滑りさせようとは…、弾正大弼、正気か?」
信久はそう反問した。そしてそれは久周や信喜にも共通する思いであった。
それと言うのも柳生久通はその時点では勝手方勘定奉行に就いてからまだ日が浅かった。
即ち、柳生久通は実は天明8(1788)年9月までは江戸北町奉行であった。
久通はそれより前、それもちょうど1年前の天明7(1787)年9月に曲淵景漸の後任として北町奉行に着任したのだが、しかし、久通は町奉行として求められる最も大事な資質であると断言しても差し支えない、
「当意即妙」
その才に全くと言っても良い程に欠けており、その上、余りに頼りなく、それゆえ町奉行としては不適任ということで、在任僅か1年にて勝手方勘定奉行へと異動させられたのであった。
それにしても公事方・勝手方問わず、勘定奉行から江戸町奉行への異動は栄転と言え、それも典型的な昇進コースであるのに対して、その逆は左遷に近く、これまで例はなかった。
そこで老中首座の松平定信が流石にそのような柳生久通を憐れに思い、勝手方勘定奉行へと異動させるに当たり、
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つまりは勘定奉行上座、筆頭の地位を与えたのであった。
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