元気出せ、金太郎

ご隠居

文字の大きさ
上 下
18 / 32

承前 夏の人事 ~御三卿家老を巡る人事・岡部一徳の後任の清水家老として側用人の本多忠籌は北町奉行の初鹿野河内守信興を推挙す 11~

しおりを挟む
 忠籌ただかずは将軍・家斉いえなりをもうなずかせた信久のぶひさの「人事案じんじあん」に対して冷笑れいしょうかべた。のみならず、露骨ろこつ噴出ふきだ始末しまつであった。

 それに対して将軍・家斉いえなりはギョッとし、そして信久のぶひさ当然とうぜん不快ふかいであった。

弾正だんじょう大弼だいひつなに可笑おかしい?」

 信久のぶひさ忠籌ただかず詰問きつもんした。やはり将軍・家斉いえなり御前ごぜんであるために、信久のぶひさ事実上じじつじょう上司じょうしたる側用人そばようにん忠籌ただかずをその官職かんしょくめいである、

弾正だんじょう大弼だいひつ

 そうてにした。

 いや、本来ほんらいならば「大弼だいひつ」も必要ひつようではなく、

弾正だんじょう

 そう略称りゃくしょうにててにしなければならないところであったが、しかし信久のぶひさ忠籌ただかず側用人そばようにんとしての面子めんつおもんぱかって、

弾正だんじょう大弼だいひつ

 そう「フルネーム」でもっててにしたのであった。

 一方いっぽう忠籌ただかず信久のぶひさ詰問きつもんけても相変あいかわらず冷笑れいしょうかべたまま、

「されば曲淵まがりぶち甲斐かいはうぬが縁者えんじゃゆえに公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう推挙すいきょしたのであろう?まさにこれぞ情実じょうじつ人事じんじよのう…」

 そうバッサリとててみせた。

 たしかに忠籌ただかずの言うとおり、津田つだ信久のぶひさ曲淵まがりぶち景漸かげつぐとは縁者えんじゃであった。いや、正確せいかくには景漸かげつぐそくにして目付めつけ曲淵まがりぶち勝次郎かつじろう縁者えんじゃと言うべきか。

 すなわち、津田つだ信久のぶひさ妻女さいじょさき若年寄わかどしより松平まつだいら玄蕃頭げんばのかみ忠福ただよし次女じじょであり、そのいもうとたる四女よんじょ曲淵まがりぶち勝次郎かつじろうもとしていた。

 それゆえ津田つだ信久のぶひさ曲淵まがりぶち勝次郎かつじろうとは直接ちょくせつにはつながりこそなかったものの、しかし、松平まつだいら忠福ただよしかいしてえんがあり、実際じっさい信久のぶひさ勝次郎かつじろうとは忠福ただよしむすめめとっているもの同士どうし忠福ただよし岳父がくふとするもの同士どうししたしくっており、しかもそのことは、

周知しゅうち事実じじつ

 であった。それゆえ信久のぶひさ公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうとして、したしくっている曲淵まがりぶち勝次郎かつじろうちち景漸かげつぐげたときにはその「関係性かんけいせい」を指摘してきした忠籌ただかずもとより、御側御用取次おそばごようとりつぎ加納かのう久周ひさのりにしろ小笠原おがさわら信喜のぶよしにしろやはり同様どうようにその「関係性かんけいせい」におもいをせたものである。

 さて、忠籌ただかずから「情実じょうじつ人事じんじ」とのそしりをけた信久のぶひさはと言うと、これまたおくすることなく、

如何いかにも情実じょうじつ人事じんじにて…」

 そう平然へいぜんみとめたものだから、これにはさしもの忠籌ただかず想定外そうていがいであったらしく、言葉ことばまった様子ようすのぞかせた。

 すると信久のぶひさはそのじょうじてたたけた。

「されば曲淵まがりぶち甲斐かい身共どもしたしき目付めつけ曲淵まがりぶち勝次郎かつじろう実父じっぷにて…、そのうえ公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう御役目おやくめ立派りっぱつと才覚さいかくがあればこそ推挙すいきょしたまでで、かり曲淵まがりぶち甲斐かいにその才覚さいかくがなくば、身共みどもとて曲淵まがりぶち甲斐かい公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうには推挙すいきょいたもうさず…」

 曲淵まがりぶち景漸かげつぐには公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう立派りっぱつと実力じつりょくがあればこそ推挙すいきょしたまで…、信久のぶひさのこの正論せいろんに対しても忠籌ただかずはやはり反論はんろん言葉ことばおもかなかった。

「それでもなお情実じょうじつ人事じんじもうてるのであらば如何いかにも情実じょうじつ人事じんじにて、それがなにか?」

 信久のぶひさ最後さいごにそうくわえたのであった。それもいましがたまで忠籌ただかず信久のぶひさに対して冷笑れいしょうかべていたのと同様どうよう今度こんど信久のぶひさ忠籌ただかずに対して冷笑れいしょうかべて、であった。

 そして忠籌ただかず信久のぶひさのこの「最後さいご一撃いちげき」にも反論はんろん出来できず、そのくやしさからはかま両手りょうてでもって千切ちぎれるのではあるまいかと、そうあんじられるほどつかんだものである。

 すると将軍・家斉いえなりはそのような忠籌ただかず流石さすがあわれにおもったらしく、

「されば忠籌ただかずだれ公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう相応ふさわしいとおもう?」

 忠籌ただかずにも諮問しもんしたのであった。

 それで忠籌ただかずようやくにすくわれたおもいで、ホッとした表情ひょうじょうかべつつ、家斉いえなりほうへとからだきをえたかとおもうと、深々ふかぶか叩頭こうとうしたのちおのれおもかべる公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう候補者こうほしゃくちにした。

「されば勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう柳生やぎゅう主膳正しゅぜんのかみ久通ひさみちこそが相応ふさわしいかと…」

 勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう柳生やぎゅう久通ひさみち公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうへと異動いどう横滑よこすべりさせることを忠籌ただかず提案ていあんしたのであった。

 するとこれには信久のぶひさもとより中立ちゅうりつ立場たちばまもっていた加納かのう久周ひさのりや、ては忠籌ただかずの「腰巾着こしぎんちゃく」であるはず小笠原おがさわら信喜のぶよしまでが難色なんしょくしめしたものであった。

柳生やぎゅう主膳しゅぜん公事くじがたへと横滑よこすべりさせようとは…、弾正だんじょう大弼だいひつ正気しょうきか?」

 信久のぶひさはそう反問はんもんした。そしてそれは久周ひさのり信喜のぶよしにも共通きょうつうするおもいであった。

 それと言うのも柳生やぎゅう久通ひさみちはその時点じてんでは勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょういてからまだあさかった。

 すなわち、柳生やぎゅう久通ひさみちじつは天明8(1788)年9月までは江戸えどきた町奉行まちぶぎょうであった。

 久通ひさみちはそれよりまえ、それもちょうど1年前の天明7(1787)年9月に曲淵まがりぶち景漸かげつぐ後任こうにんとしてきた町奉行まちぶぎょう着任ちゃくにんしたのだが、しかし、久通ひさみち町奉行まちぶぎょうとしてもとめられるもっと大事だいじ資質ししつであると断言だんげんしてもつかえない、

当意即妙とういそくみょう

 そのさいまったくと言ってもほどけており、そのうえあまりにたよりなく、それゆえ町奉行まちぶぎょうとしては不適任ふてきにんということで、在任ざいにんわずか1年にて勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうへと異動いどうさせられたのであった。

 それにしても公事くじがた勝手かってがたわず、勘定かんじょう奉行ぶぎょうから江戸えど町奉行まちぶぎょうへの異動いどう栄転えいてんと言え、それも典型的てんけいてき昇進しょうしんコースであるのに対して、そのぎゃく左遷させんちかく、これまでれいはなかった。

 そこで老中ろうじゅう首座しゅざ松平まつだいら定信さだのぶ流石さすがにそのような柳生やぎゅう久通ひさみちあわれにおもい、勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうへと異動いどうさせるにたり、

町奉行まちぶぎょう次席じせき

 つまりは勘定かんじょう奉行ぶぎょう上座かみざ筆頭ひっとう地位ちいあたえたのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

風呂屋旗本・勘太郎

ご隠居
歴史・時代
風呂屋の新入り、勘太郎(かんたろう)、後の巨勢(こせ)六左衛門(ろくざえもん)が八代将軍吉宗の縁者という事で、江戸城に召し出され、旗本に取り立てられるまでの物語。 《主な登場人物》 勘太郎…本作の主人公 十左衛門…勘太郎の叔父、養父。 善之助…十左衛門の倅、勘太郎の従兄。病弱。 徳川吉宗…八代将軍。十左衛門(じゅうざえもん)の甥。 加納遠江守久通…御用懸御側衆。 有馬兵庫頭恒治…御用懸御側衆、後の氏倫。 本目権左衛門親良…奥右筆組頭。 河内山宗久…時斗之間肝煎坊主、恒治付。 一部、差別的な表現がありますが、この時代の風俗上、どうしてもやむを得ぬもので、ご諒承下さい。

天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居
歴史・時代
タイトル通りです。意知が暗殺されなかったら(助かったら)という架空小説です。

猿の内政官の息子

橋本洋一
歴史・時代
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~ の後日談です。雲之介が死んで葬儀を執り行う雨竜秀晴が主人公です。全三話です

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

処理中です...