元気出せ、金太郎

ご隠居

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承前 夏の人事 ~御三卿家老を巡る人事・岡部一徳の後任の清水家老として側用人の本多忠籌は北町奉行の初鹿野河内守信興を推挙す 8~

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 万事休ばんじきゅうすか…、そうおもわれたころ公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう根岸ねぎし肥前守ひぜんのかみ鎮衛やすもり寺社じしゃ奉行ぶぎょう牧野まきの越前守えちぜんのかみ忠精ただきよをちらちらとた。

 三奉行さんぶぎょうなかでも寺社じしゃ奉行ぶぎょう牧野まきの忠精ただきよ公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう根岸ねぎし鎮衛やすもり二人ふたりだけは初鹿野はじかの信興のぶおき松平まつだいら輝和てるやすらとの争論そうろんまえにして一歩いっぽいてこれをながめていた。

 いや、牧野まきの忠精ただきよとて信興のぶおきのその寺社じしゃ奉行ぶぎょう、ひいては大名だいみょう虚仮こけにする暴言ぼうげんに対しては不快感ふかいかんかんじたものの、しかし、松平まつだいら輝和てるやすらのように激昂げっこうするまでにはいたらず、冷静れいせいさをたもっていた。

 牧野まきの忠精ただきよ寺社じしゃ奉行ぶぎょうなかでも松平まつだいら輝和てるやすいで古株ふるかぶであり、次席じせきであった。

 ただし、奏者番そうじゃばんいたのは牧野まきの忠精ただきよほう松平まつだいら輝和てるやすよりもはやく、つまりは奏者番そうじゃばんとしては忠精ただきよほう輝和てるやすよりもながく、輝和てるやす奏者番そうじゃばんいてからたったの7ヶ月ほどでその筆頭ひっとうである寺社じしゃ奉行ぶぎょうねたのに対して、忠精ただきよは6年以上もかかった。

 それだけ輝和てるやす優秀ゆうしゅうだとも言えたが、しかしそれだけはやくに昇進しょうしんしてしまうと、

世間せけんらぬ…」

 ということにもつながる。

 奏者番そうじゃばん中々なかなかつらつとめであり、その筆頭ひっとうである寺社じしゃ奉行ぶぎょうに対してはそれこそ将軍のようにあおがねばならず、寺社じしゃ奉行ぶぎょうにしてもヒラとも言うべき奏者番そうじゃばんに対しては将軍のように振舞ふるまう。

 だがうらかえせば「ぼっちゃんそだち」の大名だいみょうが「世間せけん」を機会きかいとも言えた。

 しかし、ヒラの奏者番そうじゃばんから筆頭ひっとうである寺社じしゃ奉行ぶぎょうへとはやくに昇進しょうしんたしてしまえば、

「まだまだ世間せけんらない…」

 ということにつながり、松平まつだいら輝和てるやすがその好例こうれいであった。

 いや、輝和てるやすばかりではない。松平まつだいら信道のぶみちにしてもそうであった。こと信道のぶみち場合ばあい異例いれいにも、寺社じしゃ奉行ぶぎょう見習みならいとして奏者番そうじゃばんき、そしてたったの2ヶ月ほどまさに、

もうわけ程度ていどに…」

 奏者番そうじゃばんを、それも寺社じしゃ奉行ぶぎょう見習みならいとしての奏者番そじゃばんつとめただけで、その筆頭ひっとうである寺社じしゃ奉行ぶぎょうねるようになったのだから、これでは「世間せけん」をるには如何いかにも不十分ふじゅうぶんであろう。その信道のぶみち初鹿野はじかの信興のぶおき挑発ちょうはつにまんまとせられ、

われわすれて…」

 脇差わきざしをかけたのもけっして理由りゆうのないことではなかった。

 ちなみに信道のぶみちの「兄貴分あにきぶん」にたる板倉いたくら勝政かつまさ寺社じしゃ奉行ぶぎょうねるまでに4年以上いじょうかかり、それゆえ勝政かつまさ輝和てるやすやそれに「弟分おとうとぶん」の信道のぶみちよりは「世間せけん」というものをっていたが、しかし、6年以上もかかった忠精ただきよにはおよばなかった。

 忠精ただきよもまた、信道のぶみち同様どうよう勝政かつまさよりも年下とししたであった。すなわち、忠精ただきよ勝政かつまさよりも3つ年下とししたであり、最年少さいねんしょう信道のぶみちとは2つしかちがわなかったが、しかし、忠精ただきよ寺社じしゃ奉行ぶぎょうなかでは一番いちばん苦労くろうおおいヒラの奏者番そうじゃばんつとめただけあって、だれよりも「世間せけん」というものをまなんだ。

 そしてそれはそのまま、

海千山千うみせんやません

 それにえることが出来でき忠精ただきよは「海千山千うみせんやません」だけあって、信興のぶおきのそのやすっぽい挑発ちょうはつにもせられずに冷静れいせいさをたもつことが出来できたのであった。

 そしてその牧野まきの忠精ただきよ以上いじょうに「海千山千うみせんやません」であるのが公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう根岸ねぎし鎮衛やすもりであった。

 なにしろ鎮衛やすもり勘定所かんじょうしょなかでも「した」の勘定かんじょう振出ふりだしに、評定所ひょうじょうしょ留役とめやく勘定かんじょう組頭くみがしらて、従六位じゅろくい布衣ほいやくである勘定かんじょう吟味ぎんみやくへと昇進しょうしんたし、その遠国おんごく奉行ぶぎょうである佐渡さど奉行ぶぎょうへと異動いどうし、そしてついには顕職けんしょくである勘定かんじょう奉行ぶぎょうへと栄達えいたつげただけあって、

いやでも…」

 海千山千うみせんやませんになるというものである。

 その鎮衛やすもり寺社じしゃ奉行ぶぎょう牧野まきの忠精ただきよをジッと見詰みつめた。

御側御用取次おそばごようとりつぎ加納かのう遠江守とおとうみのかみ様に仲裁ちゅうさいたのまれては…」

 鎮衛やすもり忠精ただきよへとそそいだ視線しせんにはそう物語ものがたっていた。

 それに対して忠精ただきよはと言うと、鎮衛やすもりほどには海千山千うみせんやませんではなかったものの、それでも人並ひとなみ以上いじょうには世間せけんっており、それゆえ鎮衛やすもりのその「アイコンタクト」の意味いみするところにぐにづくや、鎮衛やすもりに対して、「心得こころえた」と言わんばかりにうなずいてみせると、御側御用取次おそばごようとりつぎ加納かのう遠江守とおとうみのかみ久周ひさのりをここ評定所ひょうじょうしょへとれてるべく、せきった。

 御側御用取次おそばごようとりつぎ加納かのう久周ひさのりもまた、評定所ひょうじょうしょにおける審理しんりくわわることがゆるされていた。

 だが実際じっさいには余程よほど大事件だいじけんでもないかぎりは滅多めった審理しんりくわわることはなかった。

 今回こんかい大事件だいじけんというわけでもないが、町奉行まちぶぎょう初鹿野はじかの信興のぶおき寺社じしゃ奉行ぶぎょうまさに、

こうにまわして…」

 評定所ひょうじょういま一触いっしょく即発そくはつ下手へたをすれば、

大立回おおたちまわり」

 がえんじられるやもれず、ある意味いみ大事件だいじけん前兆ぜんちょう所謂いわゆる

あらしまえしずけさ…」

 そのような不穏ふおん空気くうきつつまれており、公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう根岸ねぎし鎮衛やすもり御側御用取次おそばごようとりつぎ加納かのう久周ひさのり仲裁ちゅうさいしてもらうことをおもき、そこで寺社じしゃ奉行ぶぎょう牧野まきの忠精ただきよから久周ひさのりへとそのむねたのんでもらうべく、鎮衛やすもり忠精ただきよに「アイコンタクト」をおくったわけである。

 それでは鎮衛やすもり何故なにゆえ忠精ただきよから久周ひさのりへと仲裁ちゅうさいたのんでもらおうとほっしたのかと言うと、それは忠精ただきよ久周ひさのりおいたるからだ。

 すなわち、加納かのう久周ひさのりじつは九代将軍・家重いえしげ寵臣ちょうしん大岡おおおか出雲守いずものかみ忠光ただみつ次男じなんであり、それが嫡子ちゃくし先立さきだたれた加納かのう遠江守とおとうみのかみ久堅ひさかた養嗣子ようししとしてむかえられたのであった。

 その久周ひさのりには長姫ながひめなるあねがおり、大岡おおおか忠光ただみつ長女ちょうじょである。

 長姫ながひめ越後えちご長岡ながおか藩主はんしゅ牧野まきの駿河守するがのかみ忠寛ただひろもとへとし、そして牧野まきの忠寛ただひろ長姫ながひめとのあいだまれたのがだれあろう寺社じしゃ奉行ぶぎょう忠精ただきよであったのだ。

 それゆえ加納かのう久周ひさのり牧野まきの忠精ただきよ叔父おじおい関係かんけいにあり、根岸ねぎし鎮衛やすもりもその縁戚せんせき把握はあくしていたので、忠精ただきよから久周ひさのりへと仲裁ちゅうさいたのんでもらうことをおもいたのであった。
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