天明繚乱 ~次期将軍の座~

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小野西育の自白 ~小野西育は一橋治済の実兄にして福井藩主の松平重富の参勤交代の列に紛れてシロタマゴテングタケを江戸に持ち込む~

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 天明元(1781)年4月3日、朝五つ(午前8時頃)、何も知らずに江戸城に登城とじょうした表番おもてばん医師いし遊佐ゆさ卜庵ぼくあん信庭のぶにわ目付めつけほり帯刀たてわきによって捕縛ほばく、逮捕された。

 同時刻、小児科医の小野おの西育さいいく章以あきしげも逮捕、小野おの西育さいいくが住まう、診療所しんりょうじょねたる本銀ほんぎん町一丁目の屋敷やしきに来た町奉行所の同心が一斉いっせいみ、小野おの西育さいいく捕縛ほばく、逮捕したのであった。

 なお、その際、小野おの西育さいいくによってかくまわれていた、おく医師いし池原いけはら長仙院ちょうせんいん良誠よしのぶ斬殺ざんさつした高橋たかはし又四郎またしろう高美たかよしもまた、北町奉行所の手により捕縛ほばく、逮捕された。

 高橋たかはし又四郎またしろう本銀ほんぎん町一丁目にある小野おの西育さいいく屋敷やしき診療所しんりょうじょにてかくまわれていることはすでに昨日、捕縛ほばく、逮捕された治済はるさだと、さらに同じく捕縛ほばく、逮捕された一橋ひとつばし家の納戸なんどがしらである堀内ほりうち平左衛門へいざえもん氏芳うじよしの両名の供述きょうじゅつから判明はんめいした。

 高橋たかはし又四郎またしろうれきとした幕臣ばくしん、江戸城本丸ほんまるにて腰物こしものがたつとめる小栗おぐり伊右衛門いえもん正舎まさおきの四男であり、今は一橋ひとつばし家の陪臣ばいしんであった高橋たかはし治兵衛じへえ正信まさのぶ養嗣子ようししとして、堀内ほりうち平左衛門へいざえもんと共に一橋ひとつばし家にて納戸なんどがしらつとめる身ということで、

「己ら町方まちかた風情ふぜいしばられるいわれはないぞっ!」

 そう如何いかにも悪人に相応ふさわしい啖呵たんか町方まちかた風情ふぜい、もとい北町奉行所の同心たちに切ってみせたのであった。

 それに対して北町奉行所の同心たちはと言うと、そんな高橋たかはし又四郎またしろうに対して冷笑れいしょうびせたそうな。

 それもそのはず高橋たかはし又四郎またしろうが己の身分をたてに取り、捕縛ほばく…、逮捕をまぬがれようとするであろうことは北町奉行所のトップ、奉行たる曲淵まがりぶち景漸かげつぐ先刻せんこく承知しょうちであり、そこで曲淵まがりぶち景漸かげつぐもまた配下はいか同心どうしんらと共に捕縛ほばく、逮捕の現場へと出張でばっており、景漸かげつぐ配下はいか同心どうしんらに対して居丈高いたけだかな態度を取ってはあくまで捕縛ほばく、逮捕をまぬがれようとする高橋たかはし又四郎またしろうの前へと進み出るや、昨日、一橋ひとつばし治済はるさだがまずは将軍・家治毒殺どくさつ未遂みすい容疑で捕縛ほばく、逮捕され、さら家基いえもと毒殺どくさつ容疑でも調べが進められていることを告げたのであった。

「まさか…、そんな…」

 それまで同心どうしんらを相手あいて居丈高いたけだかな態度を見せていた高橋たかはし又四郎またしろう景漸かげつぐからその事実を知らされるや、流石さすがに血の気が引いた。

うそではあるまいて…、辰ノ口たつのぐち評定所ひょうじょうしょへと案内あないしてやるゆえ、そこで…、仮牢かりろうにて一橋ひとつばし民部みんぶと涙の再会さいかいでも果たすが良いぞ…」

 景漸かげつぐ底意地そこいじの悪い笑みを浮かべて高橋たかはし又四郎またしろうにそう告げるや、高橋たかはし又四郎またしろうようやくにして主君しゅくん治済はるさだ捕縛ほばく、逮捕された事実を受け入れる気になったらしく、そしてその事実を前にした又四郎またしろう余程よほどにショックであったのであろう、その場にくずれ落ちた。

 こうして捕縛ほばく、逮捕された小野おの西育さいいく高橋たかはし又四郎またしろうの両名であるが、高橋たかはし又四郎またしろうについては又四郎またしろう自身が口にした通り、一応はいま幕臣ばくしん身分みぶんを持つ故に、それに何より、

治済はるさだと涙の再会さいかい…」

 それをたさせるべく、景漸かげつぐ指揮しきにより辰ノ口たつのぐち評定所ひょうじょうしょへと連行れんこう、そして仮牢かりろうへと収監しゅうかん、ぶちんではすでに先にぶちまれていた治済はるさだと「涙の再会さいかい」をたしたのであった。

 一方、小野おの西育さいいくはあくまで町医者に過ぎず、それゆえ常盤橋ときわばし御門ごもん内にある北町奉行所へと連行され、そこで同心どうしん…、吟味ぎんみ同心どうしんの取調べを受けることとなった。

 その結果、小野おの西育さいいくはわざわざ拷問ごうもんにかけるまでもなく、何もかも自白じはくした。恐らく、又四郎またしろうと共に治済はるさだ逮捕の事実を知らされて、

最早もはや、これまで…」

 そう観念かんねんしていたからのようであった。

 その小野おの西育さいいく自白じはくによれば、明和5(1768)年に遊佐ゆさ卜庵ぼくあんから「コンタクト」があったそうな。

 その際、遊佐ゆさ卜庵ぼくあん小野おの西育さいいくに対して、治済はるさだえがいたきたな絵図えずすなわち、

「将軍・家治とその一族を根絶ねだやしにして一橋ひとつばし家が天下てんがる…」

 その計画を打ち明けた上で、そのためには遅効性ちこうせい毒物どくぶつがどうしても必要であり、そこで医学いがくかん…、躋壽せいじゅかんに通う小野おの西育さいいくの力を貸して欲しいと、そう協力を要請ようせいしたのであった。

 それに対して小野おの西育さいいく巨額きょがく報酬ほうしゅうと引きえにこれを受託じゅたくしたそうな。

 明和5(1768)年より始まった、小野おの西育さいいくによる躋壽せいじゅかんへの年50両もの醵金きょきん…、献金けんきんはやはりと言うべきか、一橋ひとつばし家より小野おの西育さいいくへと支払しはらわれた巨額きょがく報酬ほうしゅう原資げんしであったのだ。それだけではない。本銀ほんぎん町一丁目にある屋敷やしきを2千両にて買い受けたのも勿論もちろん、それが原資げんしであった。

 そうして小野おの西育さいいく躋壽せいじゅかん報酬ほうしゅうの一部を回すことで、躋壽せいじゅかんに恩を売り、遅効性ちこうせい毒物どくぶつの発見に役立てようとしたのであった。

 当初こそ、小野おの西育さいいく躋壽せいじゅかんに備え付けの本草学ほんぞうがくの専門書をって遅効性ちこうせい毒物どくぶつの発見につとめようとしたものの、しかし、どうにもうまくゆかず、そこで躋壽せいじゅかんにて本草学ほんぞうがく講師こうしつとめる、田村たむら蘭水らんすいそく田村たむら元長げんちょう善之よしゆきに教えをうたそうな。それが明和7(1770)年の2月頃のことであった。

 田村たむら元長げんちょうも最初は何ゆえに小野おの西育さいいくはそのような…、遅効性ちこうせい毒物どくぶつを知らぬか、あったらば教えて欲しいと、そのようなことをたずねるのかといぶかったものの、しかし、答えないわけにはゆかなかった。

 それというのもその時にはもう、小野おの西育さいいく醵金きょきんなしには躋壽せいじゅかんは、

「成り立たず…」

 といった有様ありさまであり、田村たむら元長げんちょうのその講師こうしとしてのお手当てあての一部にも、いや、大部分にしてもまた小野おの西育さいいくからの醵金きょきんによってまかなわれていると言っても過言かごんではない状況においては、その小野おの西育さいいくからの質問ともあらば答えないわけにはゆかなかったのだ。

 そこで田村たむら元長げんちょうなお若干じゃっかんの疑問を感じつつも、遅効性ちこうせい毒物どくぶつとしてシロタマゴテングタケ、しくはドクツルタケという毒キノコの存在そんざいを教えたのであった。

 しかもそれら毒キノコの生息地せいそくち越前えちぜん福井ふくいであることをも教えてもらった小野おの西育さいいくはそれをそのまま遊佐ゆさ卜庵ぼくあんに伝え、そして遊佐ゆさ卜庵ぼくあんから養母ようぼ岡村おかむらを通じて一橋ひとつばし治済はるさだ狂喜きょうき乱舞らんぶしたそうな。

 それはそうだろう。何しろ福井と言えば、治済はるさだ実兄じっけい重富しげとみが藩主としてりょうしていたからだ。

 そこで治済はるさだはとんでもない提案ていあんをしたそうな。

「今年…、明和7(1770)年は寅年とらどしなれば、4月には重富しげとみ上様うえさまいとまたまわるゆえ…」

 今年…、明和7(1770)年は寅年とらどしということで、その4月は越前えちぜん福井ふくい藩主の重富しげとみにとっては国許くにもとへと、つまりはそれらどくキノコが自生じせいしている福井へと帰国きこくする年であるので、小野おの西育さいいく参勤さんきん交代こうたいれつまぎれて福井へと足を運び、

「それな…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを採取さいしゅして参れ…」

 そう命じたのであった。いや、のみならず、

「されば、来年…、明和8(1771)年は卯年うどしゆえ、されば重富しげとみは再びこの江戸の土を踏むことになるゆえやはりまた…」

 重富しげとみにとって卯年うどしは逆に、参府さんぷ年…、江戸に来る年ということで、やはりまた、参勤さんきん交代こうたいの列にまぎれて江戸に来いと、治済はるさだはそのようにも命じたのであった。無論むろん、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを江戸に持ち込むためである。もっと言えば将軍・家治一族の口に入れるためであった。

 そうして小野おの西育さいいく参勤交代さんきんこうたいれつ…、重富しげとみれつまぎれて福井へと飛び、そして福井山中をくまなく探した結果、シロタマゴテングタケを発見するにいたったそうな。

 そこで小野おの西育さいいくは明和8(1771)年が明けるまでの間、現地にておそるべきことに人体じんたい実験をひろげたそうな。

 もっとも、これは言い訳になるやも知れぬが、無辜むこの者を人体じんたい実験の道具に使ったわけではなく、囚人しゅうじん、それも処刑を待つ囚人しゅうじんをその道具として使ったそうな。

 その結果、小野おの西育さいいくはシロタマゴテングタケの効能を確かめられ、さら沢山たくさんのシロタマゴテングタケを採取さいしゅして、翌明和8(1771)年の卯年うどし、それもやはり4月に小野おの西育さいいくはそれらシロタマゴテングタケをたずさえて参勤交代さんきんこうたいれつに…、重富しげとみれつまぎれて再び、江戸の土を踏んだのであった。将軍・家治の愛妻あいさい倫子ともこ薨去こうきょする、いや、毒殺される4ヶ月前のことであった。
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