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大詰め ~留守居・依田政次の自白、千穂と種姫の毒殺未遂に加え、倫子と萬壽姫の毒殺にも手を貸したことをも自白する~
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「土佐…、何ゆえにそなたがここにおる…、今宵は宿直ではなかろうて…」
政次は土佐こと、相役…、同僚の高井土佐守直熙の突然の登場にうろたえつつも、何とか声を振り絞ってそう反論した。
一方、直熙は政次とは正反対に余裕綽綽といった態度で、
「如何にもうぬが申す通り、身共は今宵は宿直ではないわ」
平然とそう嘯くように答えたかと思うと、その上で、
「なれど今宵、畏れ多くも、お千穂の方様と種姫様の暗殺計画を耳にしてのう…」
直熙はそう付け加えると、廣敷番之頭の竹村忠次郎によって組み伏せられている奥御膳所台所頭の重田彦大夫を見下ろした。
すると重田彦大夫は最早これまでと観念したらしく、
「ええい…、こうなったら何もかもぶちまけてやる…」
そう切り出したので、直熙は忠次郎に対して彦大夫を自由にするよう目で促し、それに対して忠次郎はと言うと、直熙のその示唆に勿論そうと察しつつも、若干の不安があった。
重田彦大夫を今、自由にさせれば逃げ出すのではあるまいかと、その不安であったが、しかし、仮にその時には彦大夫を斬り捨てれば良いと忠次郎はそう思い直して、彦大夫を自由にした。
果たして彦大夫は忠次郎が案じたように逃げ出すことはなく、どうやらその点、忠次郎の杞憂であり、それどころか彦大夫は最前宣言した通り、何もかもぶちまけ始めたのであった。
自由になった彦太夫はその場にて胡坐をかいたかと思うと、
「全てはこの依田の野郎が仕組んだことでさっ」
彦大夫は依田の野郎こと、依田政次を指でさして…、正しく名指ししたのであった。
それに対して名指しされた政次はと言うと、顔面蒼白となり、すると直熙は一瞬の隙を突いて…、正に間隙を縫って政次の腰から脇差を引き抜いたのであった。
これには政次も思わず、「あっ」と声を上げたものである。
直熙はそんな政次を尻目に、「詳しく申してみよ」と彦大夫を促したのであった。
「詳しくも何も…、この依田の野郎から命じられたんでさ」
彦大夫は今度は直熙の方を向いて答えた。
「何を命じられたと申すのだ?」
「毒キノコを…、お千穂の方様と種姫様がお召し上がりになられる膳に…、今宵の夕膳に毒キノコを混ぜろって…」
「毒キノコのう…、さればそは如何なる毒キノコぞ?」
恐らくはシロタマゴテングタケか或いはドクツルタケ…、直熙はそうと察していたものの、それでもここは一応、素知らぬ体を装った。
それに対して彦大夫は「さぁ…」と首をかしげるばかりであり、どうやら彦大夫は如何なる毒キノコであるのか、その詳しいところまでは教えてはもらっていない様子であった。
「左様か…、まぁ良い。して、彦大夫よ、そなた、豊前より斯かる姦計を持ちかけられて、それに唯々諾々と従ったのは何ゆえぞ?」
「そりゃ何といっても一橋様のご縁から…」
「なに?一橋様のご縁とな?」
「ええ…」
「何ゆえに一橋様の御名がここで出て来るのだ?」
直熙はやはり知っていながら素知らぬ体を装った。一方、政次は彦大夫が一橋の名を出してしまったことから最早立っていることも、
「ままならぬ…」
そのような有様であり、遂にその場にへたり込んでしまった。どうやら政次もすっかり観念したらしい。
すると彦大夫はそんな政次に対して憐れんだ視線を向けつつ、
「そりゃ…、一橋様が黒幕だからですよ…」
ズバリそう答えたのであった。これには事情を知らぬ、彦大夫の背後にて控えていた忠次郎も目を剥いたものである。
「されば…、こういうことか?一橋様より、お千穂の方様と種姫様のお命を奪え…、お二人がお召し上がりになられし御夕膳に毒キノコを混ぜろと、一橋様より…、これな依田豊前を通じて命じられたと申すか?」
直熙は要領良く纏めてみせた。
「ええ、その通りですよ…」
「して、一橋様とのご縁とは如何に?」
「俺の倅が一橋様ご家中の平田重右衛門の娘を娶っておりましてね…」
「いかさま…、それで一橋様の姦計に乗ったと申すか?」
直熙がそう合いの手を入れると、「ええ」と彦大夫が答え、するとそこで、「それだけではあるまい」との政次の力ない声が割って入った。
「それだけではない、とな?」
直熙はやはりその場にてへたり込んでいる政次を見下ろしながら尋ねた。
「左様…、されば金も…、それも少なからぬ金子も巻き上げたであろうが…」
政次もどうやら何もかも打ち明ける気になったらしい。
それに対して直熙は「やはりな…」と思ったものである。
「それは…、百や二百の話かえ?」
直熙が政次にそう水を向けると、政次は頭を振りつつ、「とんでもない」と答えた。
「されば…」
「五百両も巻き上げたのよ…」
「五百両…」
直熙は流石に息を飲む思いであり、胡坐をかいたままの彦大夫を見た。すると彦大夫は如何にもバツが悪そうな表情をしていた。どうやら彦大夫が五百両もの大金をせしめたのは本当らしい。
「そは…、勿論一橋様より、だの?」
直熙が金の出処について尋ねると政次は力なく頷き、それから何もかも打ち明け始めた。
「わしもまた…、一橋家とは浅からぬ因縁があっての…」
政次はそう切り出すと、次男の次郎八勝明がかつて一橋家老であった山木織部正伴明の養嗣子であることを打ち明けたのであった。
「それで…、うぬもまた一橋家と縁が出来た、と…」
「左様…、一橋様…、治済卿はお千穂の方様と種姫様が目障りであり、そこで…」
「畏れ多くも、お千穂の方様と種姫様の御膳を承りし重田彦大夫に毒キノコ入りの御膳を…、御夕膳を調理させ、お二人のお命を奪わんと欲したのか?」
「左様…、されば最前、彦大夫が申した通り、彦大夫が息、又兵衛信征は一橋様がご家中の平田重右衛門正好が娘を娶っておるゆえに…」
「そのことは…、彦太夫が息が、一橋様のご家中の娘を娶りしことは誰が存じていたのだ?そなたか?」
直熙のその問いには、
「千穂と種姫の二人を毒殺という手法でもってその命を奪おうとしたその絵図を描いたのは治済か、それとも政次か…」
その意味が込められていた。
それに対して政次もそうと察してか、「治済卿よ…」と答えた。
「されば…、治済卿が此度…、お千穂の方様と種姫様の暗殺計画…、毒殺計画の絵図を描いたというわけか?これな彦大夫を使嗾して…」
直熙がそう水を向けると、政次は「左様…」とあっさりと認めた上で、更に詳しい事情を打ち明け始めた。
「治済卿は我が子、豊千代君が将軍家御養君…、要は次期将軍として西之丸入りを果たすに際して、お千穂の方様と種姫様が目障りであると、左様に思し召されての…」
「万が一にもないと思うが、仮にお千穂の方様が畏れ多くも上様との間に再び、御世子をおもうけあそばされれば、豊千代君の御立場が…、次期将軍としての御立場が危ういと思うたからであろうな?」
「左様…、それに種姫様も今は亡き大納言様の、言ってみれば置き土産のような存在にて…、お千穂の方様とは違い、豊千代君の御立場を揺るがせるような存在ではないが、されどやはり目障りと、この際、お千穂の方様諸共始末致そうと思うと…」
「治済卿よりそう持ちかけられたわけだの?うぬは…」
「左様…、さりながらわしには…、留守居たるわしにはそれはちと難しいのではござりますまいかと…」
「治済卿に難色を示したところ、治済卿より…、さしずめ案ずるなとでも…、左様なる返答があり、重田彦大夫の名が出て来たわけだの?」
直熙がそう勘を働かせると、政次は頷いた。
「なれど彦大夫…、奥御膳所台所頭の彦大夫をそれな毒殺計画に引き入れるだけでは不充分であろう?確かに、畏れ多くもお千穂の方様と種姫様がお召し上がりになられし御膳を承りし彦大夫なれば、調理の際に毒キノコを混入せしことは可能であろうが、なれどこの台所に立ち入るに際しては廣敷番之頭やその配下の添番による厳重なる査検を受けるでの…」
直熙の言う通りであった。廣敷添番とは廣敷番之頭の配下であり、廣敷を通過する人や物の検査を行い、それは大奥の調理人とも言うべき奥御膳所台所人も例外ではなかった。
即ち、ここ表台所も廣敷にある以上、ましてその表台所にて、将軍・家治の愛妾である千穂や、更にはその家治の養女である種姫のための食事が作られる以上、その食事当番である重田彦大夫とその配下の台所人…、調理人たちは廣敷添番による厳重なる検査を受けることになる。危険物…、例えば毒物を持ち込んではいないか、それを検めるためである。
すると忠次郎がすかさず、「重田彦大夫めは危険なる物は何一つ、所持してはおりませなんだ」と口を挟んだ。
末端とも言うべき組頭や台所人の検査こそ、その廣敷添番が担うものの、台所頭である彦大夫への検査については廣敷番之頭である竹村忠次郎が直々に担った。
それと言うのも、彦大夫が勤める奥御膳所台所頭というポストは将軍への御目見得が許されている旗本の就くポストであるのに対してその配下の組頭や台所人は将軍への御目見得が許されぬ御家人が就くポストであり、一方、廣敷番之頭がやはり旗本の就くポストであるのに対してその配下の廣敷添番は御家人が就くポストであり、そこで、
「カウンターパート」
その原則から、旗本は旗本同士、御家人は御家人同士というわけで、旗本である奥御膳所台所頭である重田彦大夫への検査は同じく旗本である廣敷番之頭である竹村忠次郎が担ったというわけだ。
ともあれ竹村忠次郎は己の検査にはいちぶの隙もなかったとそうアピールするかのように口を挟んだのであった。
それに対して直熙も忠次郎のそのような胸中には勿論気付いており、それを慮って「さもあろう」と即答してみせた。
「されば如何にして毒キノコを持ち込むか…、それはやはり賄頭の協力がなければ不可能であろう?」
直熙が政次にそう水を向けると、政次はやはり力なく頷いてみせた。
ここ大奥の表台所へと配送される食材については既に配送係である賄方の検査を受けているということで、廣敷添番による検査は免れていた。
「さればそなたが察している通り、賄頭にも…」
「今宵の宿直の…、御夕膳の食材を配送して参ったは…」
直熙がそう言いかけると、忠次郎が答えた。
「されば森山忠三郎義立にて…」
「左様か…、さればそれな森山某も一橋家と?」
直熙は政次を見下ろして尋ねた。
「左様…、されば森山忠三郎めもまた、一橋様が御家中の縁者にて…、内藤友右衛門助政が息にて…、いや、わしが台所頭を味方につけしところで毒物を…、その前段として毒キノコを台所に持ち込ませるのは台所頭では不可能と…」
「うぬが左様に治済卿に反論せしところ、治済卿よりは…、やはりさしずめまたしても案ずるなとでも申されて、毒キノコを台所へと持ち込ませるにうってつけの、一橋様と縁がある、賄頭であるそれな森山某をも紹介されたというわけだの?治済卿より…」
「左様…」
「つまりうぬは治済卿と彦大夫との仲立ちを務めたのみならず、治済卿とそれな森山某との仲立ちをも務めたわけだの?さしずめ…、森山某に対しては台所へと、食材の中に毒キノコを紛れ込ませてそれを彦大夫に渡してくれるよう…、一方、彦大夫に対してはその食材の中から毒キノコを取り出して、調理してくれるよう、それぞれ頼んだわけだの?勿論、治済卿の御名を持ち出して…」
「左様…、勿論、今のように治済卿が大番組による厳重なる監視下に置かれる前の話だがの…」
「さもあろう…、して、二人の反応は?」
「流石に二人とも最初は目を丸くしたわ…」
「さもあろう…」
それが当然の反応と言うべきだろう。
「されどわしが書状を…」
「書状とな?」
「左様…」
「そは…、さしずめ治済卿ご直筆の添状のようなものかえ?」
「左様…、留守居とは言え、斯かる重大事を森山忠三郎と重田彦大夫の二人にいきなり持ちかけても、果たしてまこと治済卿よりの頼みなのかと、疑われるは必定…」
「そこで治済卿ご直筆の添状を求めたわけか?うぬは…」
「左様…」
「それで治済卿は素直にしたためたのか?添状を…」
「当初は流石に難色を示されたわ…」
「さもあろうな…」
添状のような証拠を残すのは治済としては何としても避けたいところであっただろう。
「だが添状を頂けないのであれば、畏れ多くも一橋卿様より森山忠三郎と重田彦大夫の二人に対して頼まれますより外にない、と…」
「うぬが左様に治済卿に反論せしところ、それで治済卿も漸くに添状をしたためる気になったわけだの?」
「左様。まさかに天下の御三卿ともあろう御方が一介の賄頭や台所頭に会うわけにもゆかんでな…」
政次は森山忠三郎や重田彦大夫を侮蔑するようにそう言い放ち、その場にいた彦大夫をムッとさせた。
確かに、従五位下の諸大夫役、それも旗本にとっては出世の終着点とも言うべき留守居の依田政次からすれば、森山忠三郎や重田彦大夫など侮蔑の対象以外の何ものでもないのだろう。
如何にも偏狭な政次らしい態度と言えようか。尤もその政次にしても間もなく、人々から侮蔑の対象となるのは間違いないのだが…。
「して、二人にその、治済卿ご直筆の添状を見せて頼んだわけだの?うぬは…」
「左様…」
「して、二人の反応は?」
「最前申した通り、まずは目を丸くしたわ…」
「ふむ…」
「なれど森山忠三郎は流石に一橋家の家臣の倅だけあって、すぐに飲み込んでくれたわ…」
「つまり…、うぬからの…、治済卿からの頼みを四の五の言わずに引き受けたというわけだの?」
「左様…」
「それに対して彦大夫は森山忠三郎のように四の五の言わずに引き受けるどころか金子を要求したというわけだの?」
「左様…、それも治済卿ご直筆の添状を逆用するかのように…」
「成程…、逆用と申すからには脅したわけだの?金子を用意せねば治済卿よりの頼みを引き受けるどころか、これをご公儀に持ち込むと…」
「左様…」
治済が恐れていた事態に違いない。
「それでうぬは…」
「治済卿より直ちに事の次第を…」
「治済卿よりは大分に詰られたのではあるまいか?」
直熙は笑いを堪えつつ、そう尋ねた。
すると政次もその時のことを思い出したらしく顔を顰めさせたものである。
「ああ、まったく…、なれどこのまま彦大夫を放置するわけにもゆくまいて、と…」
「それで彦大夫には望みの通りの金子を与えることと致したわけだの?治済卿は…」
「左様…、これで外にも人が…、彦大夫の代わりとなるような…、つまりはお千穂の方様や種姫様の御膳を掌る者が…、それも一橋家と縁がある者がおればその者に改めて依頼を…、勿論その時にはまずは彦大夫の口を封じてから…」
政次の思わぬ告白に彦大夫は身震いしてみせた。
「なれど生憎と彦大夫に代わるべき者がおらず、と…」
「左様…、彦大夫にしてもそうと察して、斯かる無謀とも言うべき条件を出したのであろうが…」
「ともあれ、結局、彦大夫に五百両もの金子を渡したわけだの?」
「左様…、前金として、の…」
「何と…、前金とな…」
「されば彦大夫め、千両要求したのだ…、いくら欲しいと…、改めてこのわしが彦大夫の元へと参りて尋ねしところ…」
政次は彦大夫を睨みつけながらそう答えた。それに対して彦大夫はまるで悪戯がバレた子供のように首を竦めてみせた。いや、子供の悪戯では済むまい。
「それで…、前金としてまず五百両、そしてあとの五百両は事の成就の暁にと?」
直熙が先回りして政次にそう尋ねるや、政次は頷いた上で、
「尤も、あとの五百両は払うつもりはなかったがの…」
そう付け加えた。
「そは…」
「そなたがお察しの通りよ…」
「されば彦大夫の口を封ずるつもりであったと?」
「如何にも…、されば森山忠三郎はこれからも治済卿の忠実なる僕として大いに使い道があるというものだが、翻って彦大夫めは忠実なる僕どころか危険極まりない存在であるでな…」
「成程…」
どうやら彦大夫はどのみち死ぬ運命であったようだ。千穂と種姫の暗殺計画に乗った時点で…。
「ところでそれな添状…、森山某と重田彦大夫の両名に対して手交せし、治済卿ご直筆による、畏れ多くも、お千穂の方様と種姫様のお二人のお命を奪い奉りしことに力を貸して欲しいとの、その添状は如何致した?」
「されば忠三郎は流石にその場にて燃してくれたわ…」
「と申すと、彦大夫はさしずめどこぞに隠して、あとの五百両を受けるまでは渡さぬとでも?」
「左様…、尤も今も申した通り、いずれにしろ…、例え、彦大夫に手交せし添状を回収できずとも、彦大夫の口さえ封じてしまえばどうとでもなる…」
政次は平然とそう答えた。
「ときに豊前よ…」
「何だ?」
「その添状だがの…、それが初めてではあるまい?」
「なに?」
「されば…、かつて廣敷番之頭を勤めておった若林平左衛門とその相役の木室七左衛門の両名に対してもやはり添状を…、治済卿ご直筆の添状を手交したのではあるまいか?」
直熙のこの問いに対しては忠次郎は元より、彦大夫も首をかしげたものである。
一方、それとは好対照な反応を示したのが他ならぬ政次であり、まずは目を丸くし、次いで諦念のような表情を浮かべた。
「そこまで存じておったか…」
政次はポツリとそう呟いた。
「されば認めるのだな?畏れ多くも御台様や萬壽姫様がことを…、このお二人をも毒殺せしことを…」
政次がそう告げると、忠次郎は「何ですとっ!?」と素っ頓狂な声を張り上げ、一方、彦大夫は更に目を丸くした。どうやら彦大夫は御台様こと正室の倫子とその娘の萬壽姫の毒殺には関わっていないことが見て取れた。
だがそうとは気付かぬ忠次郎は、「やはりこれな重田彦大夫めが?」と直熙に尋ねたものだから、彦大夫は何度も頭を振ったものである。
「いや、彦大夫めはその件に関しては関わりあるまいて…、そうであろう?」
直熙が政次に尋ねると、政次は「左様…」と答えた上で、倫子と萬壽姫の毒殺についても自白し始めた。
やはり将軍・家治や意知らが推理した通りであった。即ち、倫子の食事、それも夕食の毒見を担った廣敷番之頭の若林平左衛門忠隆と、同じく萬壽姫の夕食の毒見を担った廣敷番之頭の木室七左衛門朝濤は両名共に、毒見を担うどころかその夕食に毒キノコを混入し、それをそのまま次いで毒見を担うそれぞれの…、千穂附、種姫附それぞれの中年寄の元へと毒キノコを混入させた夕食を運び、それに対して中年寄にしても、
「治済の手が回っており…」
毒見をせずにそのまま、己が仕える千穂や種姫の元へとその毒キノコ入りの夕食を運んだとのことである。
「されば若林平左衛門や木室七左衛門の両名もまた一橋家と縁が?」
そう尋ねる忠次郎に対して、政次は素直に答えた。
「左様…、されば若林平左衛門は長女がやはり一橋家の家中の伊東半左衛門祐次の許へと嫁しており、一方、木室七左衛門は実弟の藤右衛門朝高が治済卿に仕え奉り…」
「その二人に対して…、若林平左衛門には御台様の毒殺を、木室七左衛門には萬壽姫様の毒殺をそれぞれ持ちかけた際に…、やはりそなたから持ちかけた際に添状を…、治済卿ご直筆の添状を手交したわけだの?」
直熙が尋ねると政次は頷いた。
「されば中年寄には…、御台様に附属せし中年寄の岩田と、萬壽姫様に附属せし中年寄の高橋、この両名に対しては治済卿より直々に協力を?御台様と萬壽姫様の毒殺に力を貸してくれるよう、大奥へと上がりし折にでも…」
直熙のその言葉に政次はそこまで分かっているのかと、そう言わんばかりに大きく目を見開いたものである。
「左様…、尤も詳しい段取りの段階ではわしが…、留守居たるこのわしがやはり仲立ちを務めたがの…」
「左様であったな…、うぬが今の留守居に就きしは明和6(1769)年…、畏れ多くも御台様がご薨去、いや、毒殺されるよりも前であったからの…」
つまり外出が許されぬ、この大奥にて一生奉公の身の中年寄であった岩田と高橋、この両名との「コンタクト役」を務めることが出来たというわけだ。
「ともあれ、そういうわけで、御台様と萬壽姫様、ご両名の毒殺については彦大夫の出る幕はなかったというわけよ…」
直熙は忠次郎に諭すようにそう言い、忠次郎もそれで倫子と萬壽姫の毒殺については彦大夫は関与していないことに納得するや、
「されば今すぐにも、岩田と高橋の両名を、いや、それに森山忠三郎めも捕らえねばなりますまいっ」
そう勢い込んだ。それに対して直熙はいなすように応じた。
「高橋や森山某めに対してはそうであろうが、岩田に対しては今すぐに、というわけにはゆくまいて…」
「何ゆえでござりまするか?」
首をかしげる忠次郎に対して、政次が答えた。
「されば岩田とはお富の方様なのだ…、豊千代君がご生母の…」
忠次郎はこれまでにないほど目を丸くした。
「されば…、岩田こと、お富の方は治済卿より側妾にしてやるとの条件にて、一方、高橋はこの大奥での出世とひきかえに…、両名の協力を取り付けたのであろう?岩田こと、お富の方は御台様の毒殺に手を貸すことに…、高橋は萬壽姫様の毒殺に手を貸すことに…、それぞれ仕向けたのであろう?治済卿は…」
直熙がそう勘を働かせるや、政次はその後を引き取ってみせた。
「されば、岩田は、お富の方様と名を改められて治済卿の愛妾に…、のみならず、次期将軍の豊千代君のご生母となり、一方、高橋は畏れ多くも上様に附属せし御客会釈に取り立てられたわ…」
つまりは治済は約束を守ったのだと、政次はそう示唆した。
「最期に一つ、尋ねる…」
直熙は政次にそう切り出した。政次は果たして「最後」ではなく「最期」と正確に読み取れたであろうかと、直熙には何とも分からなかったが、ともあれ本題に入った。
「毒キノコのことだが…」
「それが如何致した?」
「さればそれはシロタマゴテングタケか?或いはドクツルタケか?」
直熙のその「最期」の問いかけに対してはしかし、政次は首をかしげた。
「さて、そこまでは…」
どうやら政次も毒キノコの詳しいところまでは治済より教えてもらっていなかったと見える。
だがそれからすぐに政次は思い出したように、「ああ、なれど…」と声を上げた。
「なれど、何だ?」
直熙が促すと、政次は驚くべきことを口にした。
「その毒キノコだが、治済卿がポツリと、兄に用意してもらったと…」
「何と…、兄とは…」
直熙は絶句した。治済の兄と言えば、越前福井藩主の松平重富をおいて外にいなかったからだ。
政次は土佐こと、相役…、同僚の高井土佐守直熙の突然の登場にうろたえつつも、何とか声を振り絞ってそう反論した。
一方、直熙は政次とは正反対に余裕綽綽といった態度で、
「如何にもうぬが申す通り、身共は今宵は宿直ではないわ」
平然とそう嘯くように答えたかと思うと、その上で、
「なれど今宵、畏れ多くも、お千穂の方様と種姫様の暗殺計画を耳にしてのう…」
直熙はそう付け加えると、廣敷番之頭の竹村忠次郎によって組み伏せられている奥御膳所台所頭の重田彦大夫を見下ろした。
すると重田彦大夫は最早これまでと観念したらしく、
「ええい…、こうなったら何もかもぶちまけてやる…」
そう切り出したので、直熙は忠次郎に対して彦大夫を自由にするよう目で促し、それに対して忠次郎はと言うと、直熙のその示唆に勿論そうと察しつつも、若干の不安があった。
重田彦大夫を今、自由にさせれば逃げ出すのではあるまいかと、その不安であったが、しかし、仮にその時には彦大夫を斬り捨てれば良いと忠次郎はそう思い直して、彦大夫を自由にした。
果たして彦大夫は忠次郎が案じたように逃げ出すことはなく、どうやらその点、忠次郎の杞憂であり、それどころか彦大夫は最前宣言した通り、何もかもぶちまけ始めたのであった。
自由になった彦太夫はその場にて胡坐をかいたかと思うと、
「全てはこの依田の野郎が仕組んだことでさっ」
彦大夫は依田の野郎こと、依田政次を指でさして…、正しく名指ししたのであった。
それに対して名指しされた政次はと言うと、顔面蒼白となり、すると直熙は一瞬の隙を突いて…、正に間隙を縫って政次の腰から脇差を引き抜いたのであった。
これには政次も思わず、「あっ」と声を上げたものである。
直熙はそんな政次を尻目に、「詳しく申してみよ」と彦大夫を促したのであった。
「詳しくも何も…、この依田の野郎から命じられたんでさ」
彦大夫は今度は直熙の方を向いて答えた。
「何を命じられたと申すのだ?」
「毒キノコを…、お千穂の方様と種姫様がお召し上がりになられる膳に…、今宵の夕膳に毒キノコを混ぜろって…」
「毒キノコのう…、さればそは如何なる毒キノコぞ?」
恐らくはシロタマゴテングタケか或いはドクツルタケ…、直熙はそうと察していたものの、それでもここは一応、素知らぬ体を装った。
それに対して彦大夫は「さぁ…」と首をかしげるばかりであり、どうやら彦大夫は如何なる毒キノコであるのか、その詳しいところまでは教えてはもらっていない様子であった。
「左様か…、まぁ良い。して、彦大夫よ、そなた、豊前より斯かる姦計を持ちかけられて、それに唯々諾々と従ったのは何ゆえぞ?」
「そりゃ何といっても一橋様のご縁から…」
「なに?一橋様のご縁とな?」
「ええ…」
「何ゆえに一橋様の御名がここで出て来るのだ?」
直熙はやはり知っていながら素知らぬ体を装った。一方、政次は彦大夫が一橋の名を出してしまったことから最早立っていることも、
「ままならぬ…」
そのような有様であり、遂にその場にへたり込んでしまった。どうやら政次もすっかり観念したらしい。
すると彦大夫はそんな政次に対して憐れんだ視線を向けつつ、
「そりゃ…、一橋様が黒幕だからですよ…」
ズバリそう答えたのであった。これには事情を知らぬ、彦大夫の背後にて控えていた忠次郎も目を剥いたものである。
「されば…、こういうことか?一橋様より、お千穂の方様と種姫様のお命を奪え…、お二人がお召し上がりになられし御夕膳に毒キノコを混ぜろと、一橋様より…、これな依田豊前を通じて命じられたと申すか?」
直熙は要領良く纏めてみせた。
「ええ、その通りですよ…」
「して、一橋様とのご縁とは如何に?」
「俺の倅が一橋様ご家中の平田重右衛門の娘を娶っておりましてね…」
「いかさま…、それで一橋様の姦計に乗ったと申すか?」
直熙がそう合いの手を入れると、「ええ」と彦大夫が答え、するとそこで、「それだけではあるまい」との政次の力ない声が割って入った。
「それだけではない、とな?」
直熙はやはりその場にてへたり込んでいる政次を見下ろしながら尋ねた。
「左様…、されば金も…、それも少なからぬ金子も巻き上げたであろうが…」
政次もどうやら何もかも打ち明ける気になったらしい。
それに対して直熙は「やはりな…」と思ったものである。
「それは…、百や二百の話かえ?」
直熙が政次にそう水を向けると、政次は頭を振りつつ、「とんでもない」と答えた。
「されば…」
「五百両も巻き上げたのよ…」
「五百両…」
直熙は流石に息を飲む思いであり、胡坐をかいたままの彦大夫を見た。すると彦大夫は如何にもバツが悪そうな表情をしていた。どうやら彦大夫が五百両もの大金をせしめたのは本当らしい。
「そは…、勿論一橋様より、だの?」
直熙が金の出処について尋ねると政次は力なく頷き、それから何もかも打ち明け始めた。
「わしもまた…、一橋家とは浅からぬ因縁があっての…」
政次はそう切り出すと、次男の次郎八勝明がかつて一橋家老であった山木織部正伴明の養嗣子であることを打ち明けたのであった。
「それで…、うぬもまた一橋家と縁が出来た、と…」
「左様…、一橋様…、治済卿はお千穂の方様と種姫様が目障りであり、そこで…」
「畏れ多くも、お千穂の方様と種姫様の御膳を承りし重田彦大夫に毒キノコ入りの御膳を…、御夕膳を調理させ、お二人のお命を奪わんと欲したのか?」
「左様…、されば最前、彦大夫が申した通り、彦大夫が息、又兵衛信征は一橋様がご家中の平田重右衛門正好が娘を娶っておるゆえに…」
「そのことは…、彦太夫が息が、一橋様のご家中の娘を娶りしことは誰が存じていたのだ?そなたか?」
直熙のその問いには、
「千穂と種姫の二人を毒殺という手法でもってその命を奪おうとしたその絵図を描いたのは治済か、それとも政次か…」
その意味が込められていた。
それに対して政次もそうと察してか、「治済卿よ…」と答えた。
「されば…、治済卿が此度…、お千穂の方様と種姫様の暗殺計画…、毒殺計画の絵図を描いたというわけか?これな彦大夫を使嗾して…」
直熙がそう水を向けると、政次は「左様…」とあっさりと認めた上で、更に詳しい事情を打ち明け始めた。
「治済卿は我が子、豊千代君が将軍家御養君…、要は次期将軍として西之丸入りを果たすに際して、お千穂の方様と種姫様が目障りであると、左様に思し召されての…」
「万が一にもないと思うが、仮にお千穂の方様が畏れ多くも上様との間に再び、御世子をおもうけあそばされれば、豊千代君の御立場が…、次期将軍としての御立場が危ういと思うたからであろうな?」
「左様…、それに種姫様も今は亡き大納言様の、言ってみれば置き土産のような存在にて…、お千穂の方様とは違い、豊千代君の御立場を揺るがせるような存在ではないが、されどやはり目障りと、この際、お千穂の方様諸共始末致そうと思うと…」
「治済卿よりそう持ちかけられたわけだの?うぬは…」
「左様…、さりながらわしには…、留守居たるわしにはそれはちと難しいのではござりますまいかと…」
「治済卿に難色を示したところ、治済卿より…、さしずめ案ずるなとでも…、左様なる返答があり、重田彦大夫の名が出て来たわけだの?」
直熙がそう勘を働かせると、政次は頷いた。
「なれど彦大夫…、奥御膳所台所頭の彦大夫をそれな毒殺計画に引き入れるだけでは不充分であろう?確かに、畏れ多くもお千穂の方様と種姫様がお召し上がりになられし御膳を承りし彦大夫なれば、調理の際に毒キノコを混入せしことは可能であろうが、なれどこの台所に立ち入るに際しては廣敷番之頭やその配下の添番による厳重なる査検を受けるでの…」
直熙の言う通りであった。廣敷添番とは廣敷番之頭の配下であり、廣敷を通過する人や物の検査を行い、それは大奥の調理人とも言うべき奥御膳所台所人も例外ではなかった。
即ち、ここ表台所も廣敷にある以上、ましてその表台所にて、将軍・家治の愛妾である千穂や、更にはその家治の養女である種姫のための食事が作られる以上、その食事当番である重田彦大夫とその配下の台所人…、調理人たちは廣敷添番による厳重なる検査を受けることになる。危険物…、例えば毒物を持ち込んではいないか、それを検めるためである。
すると忠次郎がすかさず、「重田彦大夫めは危険なる物は何一つ、所持してはおりませなんだ」と口を挟んだ。
末端とも言うべき組頭や台所人の検査こそ、その廣敷添番が担うものの、台所頭である彦大夫への検査については廣敷番之頭である竹村忠次郎が直々に担った。
それと言うのも、彦大夫が勤める奥御膳所台所頭というポストは将軍への御目見得が許されている旗本の就くポストであるのに対してその配下の組頭や台所人は将軍への御目見得が許されぬ御家人が就くポストであり、一方、廣敷番之頭がやはり旗本の就くポストであるのに対してその配下の廣敷添番は御家人が就くポストであり、そこで、
「カウンターパート」
その原則から、旗本は旗本同士、御家人は御家人同士というわけで、旗本である奥御膳所台所頭である重田彦大夫への検査は同じく旗本である廣敷番之頭である竹村忠次郎が担ったというわけだ。
ともあれ竹村忠次郎は己の検査にはいちぶの隙もなかったとそうアピールするかのように口を挟んだのであった。
それに対して直熙も忠次郎のそのような胸中には勿論気付いており、それを慮って「さもあろう」と即答してみせた。
「されば如何にして毒キノコを持ち込むか…、それはやはり賄頭の協力がなければ不可能であろう?」
直熙が政次にそう水を向けると、政次はやはり力なく頷いてみせた。
ここ大奥の表台所へと配送される食材については既に配送係である賄方の検査を受けているということで、廣敷添番による検査は免れていた。
「さればそなたが察している通り、賄頭にも…」
「今宵の宿直の…、御夕膳の食材を配送して参ったは…」
直熙がそう言いかけると、忠次郎が答えた。
「されば森山忠三郎義立にて…」
「左様か…、さればそれな森山某も一橋家と?」
直熙は政次を見下ろして尋ねた。
「左様…、されば森山忠三郎めもまた、一橋様が御家中の縁者にて…、内藤友右衛門助政が息にて…、いや、わしが台所頭を味方につけしところで毒物を…、その前段として毒キノコを台所に持ち込ませるのは台所頭では不可能と…」
「うぬが左様に治済卿に反論せしところ、治済卿よりは…、やはりさしずめまたしても案ずるなとでも申されて、毒キノコを台所へと持ち込ませるにうってつけの、一橋様と縁がある、賄頭であるそれな森山某をも紹介されたというわけだの?治済卿より…」
「左様…」
「つまりうぬは治済卿と彦大夫との仲立ちを務めたのみならず、治済卿とそれな森山某との仲立ちをも務めたわけだの?さしずめ…、森山某に対しては台所へと、食材の中に毒キノコを紛れ込ませてそれを彦大夫に渡してくれるよう…、一方、彦大夫に対してはその食材の中から毒キノコを取り出して、調理してくれるよう、それぞれ頼んだわけだの?勿論、治済卿の御名を持ち出して…」
「左様…、勿論、今のように治済卿が大番組による厳重なる監視下に置かれる前の話だがの…」
「さもあろう…、して、二人の反応は?」
「流石に二人とも最初は目を丸くしたわ…」
「さもあろう…」
それが当然の反応と言うべきだろう。
「されどわしが書状を…」
「書状とな?」
「左様…」
「そは…、さしずめ治済卿ご直筆の添状のようなものかえ?」
「左様…、留守居とは言え、斯かる重大事を森山忠三郎と重田彦大夫の二人にいきなり持ちかけても、果たしてまこと治済卿よりの頼みなのかと、疑われるは必定…」
「そこで治済卿ご直筆の添状を求めたわけか?うぬは…」
「左様…」
「それで治済卿は素直にしたためたのか?添状を…」
「当初は流石に難色を示されたわ…」
「さもあろうな…」
添状のような証拠を残すのは治済としては何としても避けたいところであっただろう。
「だが添状を頂けないのであれば、畏れ多くも一橋卿様より森山忠三郎と重田彦大夫の二人に対して頼まれますより外にない、と…」
「うぬが左様に治済卿に反論せしところ、それで治済卿も漸くに添状をしたためる気になったわけだの?」
「左様。まさかに天下の御三卿ともあろう御方が一介の賄頭や台所頭に会うわけにもゆかんでな…」
政次は森山忠三郎や重田彦大夫を侮蔑するようにそう言い放ち、その場にいた彦大夫をムッとさせた。
確かに、従五位下の諸大夫役、それも旗本にとっては出世の終着点とも言うべき留守居の依田政次からすれば、森山忠三郎や重田彦大夫など侮蔑の対象以外の何ものでもないのだろう。
如何にも偏狭な政次らしい態度と言えようか。尤もその政次にしても間もなく、人々から侮蔑の対象となるのは間違いないのだが…。
「して、二人にその、治済卿ご直筆の添状を見せて頼んだわけだの?うぬは…」
「左様…」
「して、二人の反応は?」
「最前申した通り、まずは目を丸くしたわ…」
「ふむ…」
「なれど森山忠三郎は流石に一橋家の家臣の倅だけあって、すぐに飲み込んでくれたわ…」
「つまり…、うぬからの…、治済卿からの頼みを四の五の言わずに引き受けたというわけだの?」
「左様…」
「それに対して彦大夫は森山忠三郎のように四の五の言わずに引き受けるどころか金子を要求したというわけだの?」
「左様…、それも治済卿ご直筆の添状を逆用するかのように…」
「成程…、逆用と申すからには脅したわけだの?金子を用意せねば治済卿よりの頼みを引き受けるどころか、これをご公儀に持ち込むと…」
「左様…」
治済が恐れていた事態に違いない。
「それでうぬは…」
「治済卿より直ちに事の次第を…」
「治済卿よりは大分に詰られたのではあるまいか?」
直熙は笑いを堪えつつ、そう尋ねた。
すると政次もその時のことを思い出したらしく顔を顰めさせたものである。
「ああ、まったく…、なれどこのまま彦大夫を放置するわけにもゆくまいて、と…」
「それで彦大夫には望みの通りの金子を与えることと致したわけだの?治済卿は…」
「左様…、これで外にも人が…、彦大夫の代わりとなるような…、つまりはお千穂の方様や種姫様の御膳を掌る者が…、それも一橋家と縁がある者がおればその者に改めて依頼を…、勿論その時にはまずは彦大夫の口を封じてから…」
政次の思わぬ告白に彦大夫は身震いしてみせた。
「なれど生憎と彦大夫に代わるべき者がおらず、と…」
「左様…、彦大夫にしてもそうと察して、斯かる無謀とも言うべき条件を出したのであろうが…」
「ともあれ、結局、彦大夫に五百両もの金子を渡したわけだの?」
「左様…、前金として、の…」
「何と…、前金とな…」
「されば彦大夫め、千両要求したのだ…、いくら欲しいと…、改めてこのわしが彦大夫の元へと参りて尋ねしところ…」
政次は彦大夫を睨みつけながらそう答えた。それに対して彦大夫はまるで悪戯がバレた子供のように首を竦めてみせた。いや、子供の悪戯では済むまい。
「それで…、前金としてまず五百両、そしてあとの五百両は事の成就の暁にと?」
直熙が先回りして政次にそう尋ねるや、政次は頷いた上で、
「尤も、あとの五百両は払うつもりはなかったがの…」
そう付け加えた。
「そは…」
「そなたがお察しの通りよ…」
「されば彦大夫の口を封ずるつもりであったと?」
「如何にも…、されば森山忠三郎はこれからも治済卿の忠実なる僕として大いに使い道があるというものだが、翻って彦大夫めは忠実なる僕どころか危険極まりない存在であるでな…」
「成程…」
どうやら彦大夫はどのみち死ぬ運命であったようだ。千穂と種姫の暗殺計画に乗った時点で…。
「ところでそれな添状…、森山某と重田彦大夫の両名に対して手交せし、治済卿ご直筆による、畏れ多くも、お千穂の方様と種姫様のお二人のお命を奪い奉りしことに力を貸して欲しいとの、その添状は如何致した?」
「されば忠三郎は流石にその場にて燃してくれたわ…」
「と申すと、彦大夫はさしずめどこぞに隠して、あとの五百両を受けるまでは渡さぬとでも?」
「左様…、尤も今も申した通り、いずれにしろ…、例え、彦大夫に手交せし添状を回収できずとも、彦大夫の口さえ封じてしまえばどうとでもなる…」
政次は平然とそう答えた。
「ときに豊前よ…」
「何だ?」
「その添状だがの…、それが初めてではあるまい?」
「なに?」
「されば…、かつて廣敷番之頭を勤めておった若林平左衛門とその相役の木室七左衛門の両名に対してもやはり添状を…、治済卿ご直筆の添状を手交したのではあるまいか?」
直熙のこの問いに対しては忠次郎は元より、彦大夫も首をかしげたものである。
一方、それとは好対照な反応を示したのが他ならぬ政次であり、まずは目を丸くし、次いで諦念のような表情を浮かべた。
「そこまで存じておったか…」
政次はポツリとそう呟いた。
「されば認めるのだな?畏れ多くも御台様や萬壽姫様がことを…、このお二人をも毒殺せしことを…」
政次がそう告げると、忠次郎は「何ですとっ!?」と素っ頓狂な声を張り上げ、一方、彦大夫は更に目を丸くした。どうやら彦大夫は御台様こと正室の倫子とその娘の萬壽姫の毒殺には関わっていないことが見て取れた。
だがそうとは気付かぬ忠次郎は、「やはりこれな重田彦大夫めが?」と直熙に尋ねたものだから、彦大夫は何度も頭を振ったものである。
「いや、彦大夫めはその件に関しては関わりあるまいて…、そうであろう?」
直熙が政次に尋ねると、政次は「左様…」と答えた上で、倫子と萬壽姫の毒殺についても自白し始めた。
やはり将軍・家治や意知らが推理した通りであった。即ち、倫子の食事、それも夕食の毒見を担った廣敷番之頭の若林平左衛門忠隆と、同じく萬壽姫の夕食の毒見を担った廣敷番之頭の木室七左衛門朝濤は両名共に、毒見を担うどころかその夕食に毒キノコを混入し、それをそのまま次いで毒見を担うそれぞれの…、千穂附、種姫附それぞれの中年寄の元へと毒キノコを混入させた夕食を運び、それに対して中年寄にしても、
「治済の手が回っており…」
毒見をせずにそのまま、己が仕える千穂や種姫の元へとその毒キノコ入りの夕食を運んだとのことである。
「されば若林平左衛門や木室七左衛門の両名もまた一橋家と縁が?」
そう尋ねる忠次郎に対して、政次は素直に答えた。
「左様…、されば若林平左衛門は長女がやはり一橋家の家中の伊東半左衛門祐次の許へと嫁しており、一方、木室七左衛門は実弟の藤右衛門朝高が治済卿に仕え奉り…」
「その二人に対して…、若林平左衛門には御台様の毒殺を、木室七左衛門には萬壽姫様の毒殺をそれぞれ持ちかけた際に…、やはりそなたから持ちかけた際に添状を…、治済卿ご直筆の添状を手交したわけだの?」
直熙が尋ねると政次は頷いた。
「されば中年寄には…、御台様に附属せし中年寄の岩田と、萬壽姫様に附属せし中年寄の高橋、この両名に対しては治済卿より直々に協力を?御台様と萬壽姫様の毒殺に力を貸してくれるよう、大奥へと上がりし折にでも…」
直熙のその言葉に政次はそこまで分かっているのかと、そう言わんばかりに大きく目を見開いたものである。
「左様…、尤も詳しい段取りの段階ではわしが…、留守居たるこのわしがやはり仲立ちを務めたがの…」
「左様であったな…、うぬが今の留守居に就きしは明和6(1769)年…、畏れ多くも御台様がご薨去、いや、毒殺されるよりも前であったからの…」
つまり外出が許されぬ、この大奥にて一生奉公の身の中年寄であった岩田と高橋、この両名との「コンタクト役」を務めることが出来たというわけだ。
「ともあれ、そういうわけで、御台様と萬壽姫様、ご両名の毒殺については彦大夫の出る幕はなかったというわけよ…」
直熙は忠次郎に諭すようにそう言い、忠次郎もそれで倫子と萬壽姫の毒殺については彦大夫は関与していないことに納得するや、
「されば今すぐにも、岩田と高橋の両名を、いや、それに森山忠三郎めも捕らえねばなりますまいっ」
そう勢い込んだ。それに対して直熙はいなすように応じた。
「高橋や森山某めに対してはそうであろうが、岩田に対しては今すぐに、というわけにはゆくまいて…」
「何ゆえでござりまするか?」
首をかしげる忠次郎に対して、政次が答えた。
「されば岩田とはお富の方様なのだ…、豊千代君がご生母の…」
忠次郎はこれまでにないほど目を丸くした。
「されば…、岩田こと、お富の方は治済卿より側妾にしてやるとの条件にて、一方、高橋はこの大奥での出世とひきかえに…、両名の協力を取り付けたのであろう?岩田こと、お富の方は御台様の毒殺に手を貸すことに…、高橋は萬壽姫様の毒殺に手を貸すことに…、それぞれ仕向けたのであろう?治済卿は…」
直熙がそう勘を働かせるや、政次はその後を引き取ってみせた。
「されば、岩田は、お富の方様と名を改められて治済卿の愛妾に…、のみならず、次期将軍の豊千代君のご生母となり、一方、高橋は畏れ多くも上様に附属せし御客会釈に取り立てられたわ…」
つまりは治済は約束を守ったのだと、政次はそう示唆した。
「最期に一つ、尋ねる…」
直熙は政次にそう切り出した。政次は果たして「最後」ではなく「最期」と正確に読み取れたであろうかと、直熙には何とも分からなかったが、ともあれ本題に入った。
「毒キノコのことだが…」
「それが如何致した?」
「さればそれはシロタマゴテングタケか?或いはドクツルタケか?」
直熙のその「最期」の問いかけに対してはしかし、政次は首をかしげた。
「さて、そこまでは…」
どうやら政次も毒キノコの詳しいところまでは治済より教えてもらっていなかったと見える。
だがそれからすぐに政次は思い出したように、「ああ、なれど…」と声を上げた。
「なれど、何だ?」
直熙が促すと、政次は驚くべきことを口にした。
「その毒キノコだが、治済卿がポツリと、兄に用意してもらったと…」
「何と…、兄とは…」
直熙は絶句した。治済の兄と言えば、越前福井藩主の松平重富をおいて外にいなかったからだ。
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