天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

文字の大きさ
上 下
175 / 197

大詰め ~家治の愛妾の千穂に年寄として仕える玉澤とその妹の長尾の真の経歴、その2~

しおりを挟む
端的たんてきに申し上げますれば、母親になったのでござりましょう…」

柴田しばた日向ひゅうがの娘は子をなして…、それもちゃくなんをもうけて、か?」

御意ぎょい…、爾来じらい日向守ひゅうがのかみの娘はそれまでのように、玉澤たまざわたちを姉妹のようにはみなさず…」

「それどころか邪険じゃけんに…、玉澤たまざわ長尾ながおじゃものあつかいし始めたと申すか?」

 家治がそうかんを働かせるや、千穂ちほは「御意ぎょい」と答えた。

「されば…、それまでは兄と妹のような関係であった叔父おじ清兵衛せいべえ正章まさあきらめい玉澤たまざわ長尾ながお姉妹のその関係が変質へんしつせし原因は清兵衛せいべえ正章まさあきら当人と申すよりはその、妻女である日向ひゅうがの娘が原因であったか…」

玉澤たまざわが申しまするには、清兵衛せいべえ正章まさあきらは引きずられましたるだけであったようだと…」

 妻に、それも母となった妻に亭主が引きずられる格好かっこうで、それまでなかむつまじかった養女ようじょ邪険じゃけんあつかい始めるというのもこれまた「ポピュラー」と言えた。

「されば玉澤たまざわたち三姉妹はこの上は、一刻いっこくも早くに実家を出ようと…」

 千穂ちほがそう言いかけるや、それを家治が「待て」と制した。

「三姉妹、とな?」

 家治がそう聞きとがめるや、千穂ちほは「ああ、申し忘れておりました…」と失念しつねんしていたことを思い出した。

「されば玉澤たまざわには長尾ながおの他にもいまひとり、妹が…」

すえの妹がおると申すのか?」

御意ぎょい…、さればすえの妹もまた長尾ながおより1歳年下にて…」

成程なるほどのう…、それで三姉妹か…」

御意ぎょい…」

「して、三姉妹は叔父おじ夫婦のはしたない、いじめから逃れるために家を出る決意をいたしたと?」

御意ぎょい…、さればこんをみつけ…」

 江戸時代、武家の娘が家を出るとなれば、こんをみつける、つまりは結婚と同義どうぎであった。

「されどそう都合つごう良くみつかるものかのう…」

 家治は首をかしげた。何しろ清兵衛せいべえ正章まさあきちゃくなんめぐまれた、つまりはその妻女さいじょが母親となり、それまで親しくしていた玉澤たまざわたち三姉妹をいびり出した延享元(1744)年、玉澤たまざわよわいはその妻女さいじょよわいと同じく14、長尾ながおは13、そして末の妹は12である。いくら江戸時代が現代に比べて早熟そうじゅくとは申せ、14や、それ以下のよわいの少女のこんを見つけるのはまさに、

なんわざ…」

 そう言えた。

「いえ、それにつきましては意外にも、妻女さいじょが…」

成程なるほど…、日向ひゅうがの娘め、ざわりなる玉澤たまざわたち三姉妹が己のいびりにえかねて、家を出る決意をしてくれたのなれば、これ幸いと、態度を一転いってん…、積極的に玉澤たまざわたちのこん探しに躍起やっきになった…、さしずめ然様さようなところであろう?」

 家治が千穂ちほにそう水を向けるや、千穂ちほは「御意ぎょい…」と首肯しゅこうした。

「して、玉澤たまざわたち三姉妹のこんは見つかったのか?」

御意ぎょい。さればその翌年の延享2(1745)年には玉澤たまざわたち三姉妹のこんを見つけることができましたそうで…」

左様さようか…、さればその経緯いきさつや動機はともあれ、玉澤たまざわたち三姉妹はようやくに愁眉しゅうびが開かれたわけだの…」

 家治がしみじみそう言うと、千穂ちほもまずは「御意ぎょい…」と応じてから、しかしその上で、

玉澤たまざわのぞきますれば確かに…」

 そう気になることを付け加えたのであった。

「何やらふくみがあるのう…」

 家治は千穂ちほのそのふくみのある言い方に興味をかれた様子であった。

「されば玉澤たまざわぎょう500石の駒井こまい家に…、ちゃく兵部ひょうぶ親奉ちかとももとへとしましてござりまする…」

駒井こまい家ともうさば名家だの…」

 ぎょうこそ「中級」だが、しかし駒井こまい家の家名は名家であり、「上級」に属する。

「その駒井こまい家のちゃく兵部ひょうぶ親奉ちかとももとへとしたゆえ、玉澤たまざわ愁眉しゅうびが開かれたのではあるまいか?」

「確かに…、当初は…」

「と申すからにはまさかに…、父、新兵衛しんべえ正久まさひさと同じく、その兵部ひょうぶ親奉ちかともも何かつつかにて追放刑に処せられたとか?」

「いえ、決して左様さようなことは…、なれど病者びょうしゃによりのぞかれ…」

はいちゃくされたわけか…」

御意ぎょい…、もっとも病者びょうしゃ云々うんぬんはあくまで表向きにて…」

「と申すと…」

「さればまことのところは新兵衛しんべえ正久まさひさと同様につつか…、いえ、然様さようなる表現では生易なまやさしいほどらんぎょうぶりにて…」

らんぎょうとな…」

御意ぎょい…、されば兵部ひょうぶ親奉ちかともはその…、大変下世話げせわなる表現になりまするが…」

かまわぬ、申せ」

 家治がそううながすと、しかし千穂ちほはそれでも言いにくそうであったが、

「されば…、む、打つ、買うの三拍子さんびょうしにて…」

 そう打ち明けたのであった。

れきとした武家ぶけちゃくむ、打つ、買うとは…」

 家治はあきれた様子で反芻はんすうした。

「さればいえのため、父・半右衛門はんえもん興房おきふさ兵部ひょうぶ親奉ちかともはいちゃくおよびましたるよし…」

 成程なるほどと、家治は内心、うなずいた。父・半右衛門はんえもん興房おきふさの心中が良く理解できたからだ。

 武家ぶけ、それも直参じきさん旗本はたもとちゃくが「む」「打つ」「買う」の遊興ゆうきょうふけっていたとなればそれだけで、改易かいえきの理由となる。例え、当主ではなくちゃくの身であったとしてもだ。

 それゆえ父・半右衛門はんえもん興房おきふさが「いえの危機」と、兵部ひょうぶ親奉ちかともはいちゃくおよんだのも当然の対応と言えよう。

 だがそれでも家治には分からないことがあった。

「されば…、その父・半右衛門はんえもん興房おきふさ兵部ひょうぶ親奉ちかとも訓戒くんかいせなんだか?」

 はいちゃくにする前に一度ぐらい、親子で話し合う機会はなかったのだろうか…、そこが家治には疑問であった。それとも話し合った末に、最早もはやいかぬと、はなしたか…。

「されば…、これで兵部ひょうぶ親奉ちかとも半右衛門はんえもん興房おきふさ実子じっしなれば左様さようなる機会きかいもあるいはあったやも知れませぬが…」

「と申すと、兵部ひょうぶ親奉ちかともよう嗣子ししとな?」

御意ぎょい…、されば玉澤たまざわの話によりますれば上坂うえさか安左衛門やすざえもん政形まさかたなる旗本の次男坊とのこと…」

 千穂ちほがそう告げると、家治は「うえさか、のう…」と反芻はんすうした。先ほどの駒井こまい家とは違い、上坂うえさか家には聞き覚えがない様子であった。つまりは駒井こまい家のように将軍たる家治でも知っているような名家ではないということだ。

 案の定、千穂ちほ補足ほそくがそれを証明した。

「されば上坂うえさか家は、安左衛門やすざえもん政形まさかたが初代にて…」

 千穂ちほのその示唆しさで家治も上坂うえさか家が名家ではない、それどころか新興しんこうの旗本であることに気付いたようで、

「さしずめ…、はんすすめられた口か?」

 家治は確かめるようにそうたずねたのであった。はんすすめるとは、御家人から旗本へとかくが上昇することである。

御意ぎょい。されば上坂うえさか安左衛門やすざえもん政形まさかた町方まちかたりき…、それが代官に取り立てられ…」

 代官は旗本役であり、つまり代官に取り立てられた時点で安左衛門やすざえもん政形まさかたが当主を務める上坂うえさか家は御家人から旗本へとかくが上昇、所謂いわゆる

はんすすめた」

 わけである。

「なれど…、それでは分からぬのう…」

 家治は首をかしげた。それに対して千穂ちほはと言うと、家治が何に対して疑問に思っているのか、すぐに察しがついた。

「されば駒井こまい家のような名家が…、その当主ともあろう者が何ゆえに、上坂うえさか家のような新興しんこうの家よりよう嗣子ししむかえたのか、でござりましょう?」

 千穂ちほは家治の内心の疑問をピタリと言い当ててみせ、家治も「まさにその点よ…」と応じた。

「これもまた玉澤たまざわの話でござりまするが…、どうやら娘が上坂うえさか家の次男坊を…、兵部ひょうぶ親奉ちかとも見初みそめましたそうで…」

「娘とは…、駒井こまい半右衛門はんえもん興房おきふさが娘という意味か?」

 家治は確かめるようにたずねた。

「申すまでもなきこと…」

「なれどそれでは、玉澤たまざわが出るまくがないではないか…」

「それが、娘…、半右衛門はんえもん興房おきふさがいざ、兵部ひょうぶ親奉ちかともよう嗣子ししとして迎え、そして娘とげさせようとした矢先やさき…」

「まさかに…、娘はやまいにてまかったとか?」

まさしく…、これで仮に娘が兵部ひょうぶ親奉ちかともの子を、それもちゃくなんごもり、そして産み落とした後に病死いたさば、父の半右衛門はんえもん興房おきふさいたしてもその時点で婿むこ兵部ひょうぶ親奉ちかとも最早もはやようみとばかりに…」

「おはらばこ…、つまりははいちゃくにしたとな?」

御意ぎょい…、何しろ半右衛門はんえもん興房おきふさ自身はそもそもこの縁談えんだん…、上坂うえさか家の次男坊の兵部ひょうぶ親奉ちかともよう嗣子ししとしてむかえ入れることに必ずしも賛成ならず…、いえ、それどころか反対のよしにて…」

 さもあろうと、家治は思った。

「それでも娘に…、さしずめまなむすめにせがまれたためにやむなく…、とな?」

御意ぎょい…、なれどそのまなむすめが病にてまかりましたとなれば、その父、半右衛門はんえもん興房おきふさいたしましてはやはり下世話げせわなる表現になりまするが…」

「さしずめ…、まなむすめたぶらかせし婿むこである兵部ひょうぶ親奉ちかともなぞ、さっさとはいちゃくにしたい…、それどころか家から追い出したいところが本音ほんねであろうぞ…」

御意ぎょい…、なれど最前さいぜん申し上げましたる通り、娘は婿むこ兵部ひょうぶ親奉ちかともとの間に子を…、ちゃくなんをなさずしてまかりましたゆえ…」

「追い出すわけにもゆかぬ、か…」

御意ぎょい…」

「されば他に適当てきとうなる娘はおらなんだか?よう嗣子ししむかえるぐらいゆえ、半右衛門はんえもん興房おきふさちゃくなんにはめぐまれなかったのであろうが…」

「確かに…、半右衛門はんえもん興房おきふさには他にも娘はおりましたそうで…、なれどその時点では…、娘がまかりし延享元(1744)年の時点では皆、早世そうせいいたしておりましたそうな…」

夭折ようせついたしていたと?」

御意ぎょい。されば半右衛門はんえもん興房おきふさいたしましてははなは本意ほんいではありましたでしょうが、まなむすめたぶらかせしにく婿むこであります兵部ひょうぶ親奉ちかとものために嫁探しを…」

「そこで玉澤たまざわが登場すると…」

御意ぎょい…、されば駒井こまい家は名家なれば、そのちゃくの嫁ともなれば…」

「嫁になりたと願うおなご、と申すよりはその名家たる駒井こまい家に娘をとつがせたいと願う父はそれこそいてつるほどいるに相違そういあるまいて…」

御意ぎょい…、なれど実際には…」

 駒井こまい兵部ひょうぶ親奉ちかとももととつぎたいと願う女子、いや、大事な娘をとつがせたいと願う父親は誰一人としていなかったと、千穂ちほはそう示唆しさし、家治もそうと気付いて大いにうなずいたものである。

 それはそうだろう。如何いか駒井こまい家が名家とは申せ、そして兵部ひょうぶ親奉ちかともがその駒井こまい家のちゃくとは申せ、実際には兵部ひょうぶ親奉ちかともは名族である駒井こまい家の血を引いているわけではない。

 それどころか、新興しんこう旗本の上坂うえさか家の次男坊に過ぎない。それがたまたま駒井こまい家の娘に見初みそめられたがために、名家である駒井こまい家によう嗣子ししとしてむかえられたのだ。

 しかも、娘は兵部ひょうぶ親奉ちかともと正式に結ばれる…、夫婦めおとになる前、つまりは婚約者のうちに亡くなったわけであるが、それでも所謂いわゆる

「体の関係…」

 それぐらいはあったに違いない。いや、ない方がおかしい。

 そうだとすれば、そのような兵部ひょうぶ親奉ちかとももとへととつぎたいと願うものきな女はそうそういないであろうし、仮に女が…、娘がそう願ったとしても父親がそれを許さないであろう。

「いかさま…、嫁探しが難航なんこうせし半右衛門はんえもんもとに、清兵衛せいべえ正章まさあきらが…、いや、妻女さいじょ縁談えんだんを…、玉澤たまざわを嫁にと、話を持ちんだか…」

 清兵衛せいべえ正章まさあきら妻女さいじょが、玉澤たまざわたち三姉妹の縁談に躍起やっきになったとすれば、当然、妻女さいじょ駒井こまい家に…、当主の半右衛門はんえもん興房おきふさもとへと縁談えんだんを…、玉澤たまざわを嫁にしないかと、そう話を持ち込んだものと推察すいさつされた。

「正確には妻女さいじょの父が…」

「何と…、それでは妻女さいじょは父に…、柴田しばた日向ひゅうがに泣き付いたと申すか?」

玉澤たまざわが申しますには…、そのおり…、延享元(1744)年には柴田しばた日向守ひゅうがのかみ使つかいばんからさき鉄砲てっぽうがしらへとさら昇進しょうしんを…、されば相役あいやくさきがしらの間でのうわさ駒井こまい家のことが…、当主の半右衛門はんえもん興房おきふさが訳ありの婿むこのために嫁探しに奔走ほんそうしておりますようなれど、中々なかなかに…、難航なんこうせしその噂、柴田しばた日向守ひゅうがのかみも耳にいたしておりましたそうで…」

「そこへ娘が玉澤たまざわたち三姉妹を本田ほんだ家より追い出したいので、どこぞ、良いとつさきはないかと…、さしずめ斯様かように泣き付いたと申すか?妻女さいじょは父である柴田しばた日向ひゅうがに…」

御意ぎょい…、されば柴田しばた日向守ひゅうがのかみは大事な娘の願いとばかり、まずは玉澤たまざわをその、駒井こまい兵部ひょうぶ親奉ちかともあてがうことに…」

「それはまた何ゆえに?」

「やはり同い年ゆえでござりましょうか…」

兵部ひょうぶ親奉ちかとも玉澤たまざわは同い年とな?」

御意ぎょい…、されば延享元(1744)年の時点では兵部ひょうぶ親奉ちかとも玉澤たまざわも共によわい14にて…」

成程なるほど…」

「されば駒井こまい半右衛門はんえもん興房おきふさ柴田しばた日向守ひゅうがのかみより持ち込まれしこの話…、玉澤たまざわを…、いえ、その当時はそでと名乗っておりましたようで…、本田ほんだ家のそで是非ぜひとも駒井こまい家のちゃく兵部ひょうぶ親奉ちかともの嫁にと、その話に即座そくざに飛びつきましたるよしにて…」

「さもあろう…」

 家治は大いにうなずいた。本田ほんだ家と言えば、駒井こまい家ほどの名家ではないにしても、少なくとも上坂うえさか家よりは由緒ゆいしょがあり、何より、嫁が見つからぬ現状、

贅沢ぜいたくなど言っていられない…」

 というわけで、半右衛門はんえもん興房おきふさ即座そくざにこの話に飛びついたのも、

「むべなるかな」

 であった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「楊貴妃」を最初に妻にした皇太子 ~父である皇帝にNTRされ、モブ王子に転落!~

城 作也
歴史・時代
楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の妻として中国史に登場するが、最初は別の人物の妻となった。 これは、その人物を中心にした、恋と友情と反逆の物語。

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

信濃の大空

ypaaaaaaa
歴史・時代
空母信濃、それは大和型3番艦として建造されたものの戦術の変化により空母に改装され、一度も戦わず沈んだ巨艦である。 そんな信濃がもし、マリアナ沖海戦に間に合っていたらその後はどうなっていただろう。 この小説はそんな妄想を書き綴ったものです! 前作同じく、こんなことがあったらいいなと思いながら読んでいただけると幸いです!

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

[恥辱]りみの強制おむつ生活

rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。 保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。

幕末群狼伝~時代を駆け抜けた若き長州侍たち

KASPIAN
歴史・時代
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として敢えて正視する者なし、これ我が東行高杉君に非ずや」 明治四十二(一九〇九)年、伊藤博文はこの一文で始まる高杉晋作の碑文を、遂に完成させることに成功した。 晋作のかつての同志である井上馨や山県有朋、そして伊藤博文等が晋作の碑文の作成をすることを決意してから、まる二年の月日が流れていた。 碑文完成の報を聞きつけ、喜びのあまり伊藤の元に駆けつけた井上馨が碑文を全て読み終えると、長年の疑問であった晋作と伊藤の出会いについて尋ねて…… この小説は二十九歳の若さでこの世を去った高杉晋作の短くも濃い人生にスポットライトを当てつつも、久坂玄瑞や吉田松陰、桂小五郎、伊藤博文、吉田稔麿などの長州の志士達、さらには近藤勇や土方歳三といった幕府方の人物の活躍にもスポットをあてた群像劇です!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...