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大詰め ~家治の愛妾の千穂に年寄として仕える玉澤とその妹の長尾の真の経歴、その2~
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「端的に申し上げますれば、母親になったのでござりましょう…」
「柴田日向の娘は子をなして…、それも嫡男をもうけて、か?」
「御意…、爾来、日向守の娘はそれまでのように、玉澤たちを姉妹のようにはみなさず…」
「それどころか邪険に…、玉澤や長尾を邪魔物扱いし始めたと申すか?」
家治がそう勘を働かせるや、千穂は「御意」と答えた。
「されば…、それまでは兄と妹のような関係であった叔父の清兵衛正章と姪の玉澤、長尾姉妹のその関係が変質せし原因は清兵衛正章当人と申すよりはその、妻女である日向の娘が原因であったか…」
「玉澤が申しまするには、清兵衛正章は引きずられましたるだけであったようだと…」
妻に、それも母となった妻に亭主が引きずられる格好で、それまで仲睦まじかった養女を邪険に扱い始めるというのもこれまた「ポピュラー」と言えた。
「されば玉澤たち三姉妹はこの上は、一刻も早くに実家を出ようと…」
千穂がそう言いかけるや、それを家治が「待て」と制した。
「三姉妹、とな?」
家治がそう聞き咎めるや、千穂は「ああ、申し忘れておりました…」と失念していたことを思い出した。
「されば玉澤には長尾の他にもいまひとり、妹が…」
「末の妹がおると申すのか?」
「御意…、されば末の妹もまた長尾より1歳年下にて…」
「成程のう…、それで三姉妹か…」
「御意…」
「して、三姉妹は叔父夫婦のはしたない、いじめから逃れるために家を出る決意を致したと?」
「御意…、されば婚家をみつけ…」
江戸時代、武家の娘が家を出るとなれば、婚家をみつける、つまりは結婚と同義であった。
「されどそう都合良くみつかるものかのう…」
家治は首をかしげた。何しろ清兵衛正章が嫡男に恵まれた、つまりはその妻女が母親となり、それまで親しくしていた玉澤たち三姉妹をいびり出した延享元(1744)年、玉澤の齢はその妻女の齢と同じく14、長尾は13、そして末の妹は12である。いくら江戸時代が現代に比べて早熟とは申せ、14や、それ以下の齢の少女の婚家を見つけるのは正に、
「至難の業…」
そう言えた。
「いえ、それにつきましては意外にも、妻女が…」
「成程…、日向の娘め、目障りなる玉澤たち三姉妹が己のいびりに耐えかねて、家を出る決意をしてくれたのなれば、これ幸いと、態度を一転…、積極的に玉澤たちの婚家探しに躍起になった…、さしずめ然様なところであろう?」
家治が千穂にそう水を向けるや、千穂は「御意…」と首肯した。
「して、玉澤たち三姉妹の婚家は見つかったのか?」
「御意。さればその翌年の延享2(1745)年には玉澤たち三姉妹の婚家を見つけることができましたそうで…」
「左様か…、さればその経緯や動機はともあれ、玉澤たち三姉妹は漸くに愁眉が開かれたわけだの…」
家治がしみじみそう言うと、千穂もまずは「御意…」と応じてから、しかしその上で、
「玉澤を除きますれば確かに…」
そう気になることを付け加えたのであった。
「何やら含みがあるのう…」
家治は千穂のその含みのある言い方に興味を惹かれた様子であった。
「されば玉澤は知行500石の駒井家に…、嫡子の兵部親奉の許へと嫁しましてござりまする…」
「駒井家と申さば名家だの…」
知行こそ「中級」だが、しかし駒井家の家名は名家であり、「上級」に属する。
「その駒井家の嫡子の兵部親奉の許へと嫁したゆえ、玉澤も愁眉が開かれたのではあるまいか?」
「確かに…、当初は…」
「と申すからにはまさかに…、父、新兵衛正久と同じく、その兵部親奉も何か不束にて追放刑に処せられたとか?」
「いえ、決して左様なことは…、なれど病者により嗣を除かれ…」
「廃嫡されたわけか…」
「御意…、もっとも病者云々はあくまで表向きにて…」
「と申すと…」
「されば真のところは新兵衛正久と同様に不束…、いえ、然様なる表現では生易しい程の乱行ぶりにて…」
「乱行とな…」
「御意…、されば兵部親奉はその…、大変下世話なる表現になりまするが…」
「構わぬ、申せ」
家治がそう促すと、しかし千穂はそれでも言い難そうであったが、
「されば…、呑む、打つ、買うの三拍子にて…」
そう打ち明けたのであった。
「歴とした武家の嫡子が呑む、打つ、買うとは…」
家治は呆れた様子で反芻した。
「されば御家のため、父・半右衛門興房が兵部親奉を廃嫡に及びましたる由…」
成程と、家治は内心、頷いた。父・半右衛門興房の心中が良く理解できたからだ。
武家、それも直参の旗本の嫡子が「呑む」「打つ」「買う」の遊興に耽っていたとなればそれだけで、改易の理由となる。例え、当主ではなく嫡子の身であったとしてもだ。
それゆえ父・半右衛門興房が「御家の危機」と、兵部親奉を廃嫡に及んだのも当然の対応と言えよう。
だがそれでも家治には分からないことがあった。
「されば…、その父・半右衛門興房は兵部親奉を訓戒せなんだか?」
廃嫡にする前に一度ぐらい、親子で話し合う機会はなかったのだろうか…、そこが家治には疑問であった。それとも話し合った末に、最早いかぬと、見放したか…。
「されば…、これで兵部親奉が半右衛門興房の実子なれば左様なる機会もあるいはあったやも知れませぬが…」
「と申すと、兵部親奉は養嗣子とな?」
「御意…、されば玉澤の話によりますれば上坂安左衛門政形なる旗本の次男坊とのこと…」
千穂がそう告げると、家治は「うえさか、のう…」と反芻した。先ほどの駒井家とは違い、上坂家には聞き覚えがない様子であった。つまりは駒井家のように将軍たる家治でも知っているような名家ではないということだ。
案の定、千穂の補足がそれを証明した。
「されば上坂家は、安左衛門政形が初代にて…」
千穂のその示唆で家治も上坂家が名家ではない、それどころか新興の旗本であることに気付いたようで、
「さしずめ…、班を進められた口か?」
家治は確かめるようにそう尋ねたのであった。班を進めるとは、御家人から旗本へと家格が上昇することである。
「御意。されば上坂安左衛門政形は町方の与力…、それが代官に取り立てられ…」
代官は旗本役であり、つまり代官に取り立てられた時点で安左衛門政形が当主を務める上坂家は御家人から旗本へと家格が上昇、所謂、
「班を進めた」
わけである。
「なれど…、それでは分からぬのう…」
家治は首を傾げた。それに対して千穂はと言うと、家治が何に対して疑問に思っているのか、すぐに察しがついた。
「されば駒井家のような名家が…、その当主ともあろう者が何ゆえに、上坂家のような新興の家より養嗣子を迎えたのか、でござりましょう?」
千穂は家治の内心の疑問をピタリと言い当ててみせ、家治も「正にその点よ…」と応じた。
「これもまた玉澤の話でござりまするが…、どうやら娘が上坂家の次男坊を…、兵部親奉を見初めましたそうで…」
「娘とは…、駒井半右衛門興房が娘という意味か?」
家治は確かめるように尋ねた。
「申すまでもなきこと…」
「なれどそれでは、玉澤が出る幕がないではないか…」
「それが、娘…、半右衛門興房がいざ、兵部親奉を養嗣子として迎え、そして娘と添い遂げさせようとした矢先…」
「まさかに…、娘は病にて身罷ったとか?」
「正しく…、これで仮に娘が兵部親奉の子を、それも嫡男を身篭り、そして産み落とした後に病死致さば、父の半右衛門興房と致してもその時点で婿の兵部親奉を最早用済みとばかりに…」
「お払い箱…、つまりは廃嫡にしたとな?」
「御意…、何しろ半右衛門興房自身はそもそもこの縁談…、上坂家の次男坊の兵部親奉を養嗣子として迎え入れることに必ずしも賛成ならず…、いえ、それどころか反対の由にて…」
さもあろうと、家治は思った。
「それでも娘に…、さしずめ愛娘にせがまれたためにやむなく…、とな?」
「御意…、なれどその愛娘が病にて身罷りましたとなれば、その父、半右衛門興房と致しましてはやはり下世話なる表現になりまするが…」
「さしずめ…、愛娘を誑かせし婿である兵部親奉なぞ、さっさと廃嫡にしたい…、それどころか家から追い出したいところが本音であろうぞ…」
「御意…、なれど最前申し上げましたる通り、娘は婿の兵部親奉との間に子を…、嫡男をなさずして身罷りましたゆえ…」
「追い出すわけにもゆかぬ、か…」
「御意…」
「されば他に適当なる娘はおらなんだか?養嗣子を迎えるぐらいゆえ、半右衛門興房は嫡男には恵まれなかったのであろうが…」
「確かに…、半右衛門興房には他にも娘はおりましたそうで…、なれどその時点では…、娘が身罷りし延享元(1744)年の時点では皆、早世致しておりましたそうな…」
「夭折致していたと?」
「御意。されば半右衛門興房と致しましては甚だ不本意ではありましたでしょうが、愛娘を誑かせし憎い婿であります兵部親奉のために嫁探しを…」
「そこで玉澤が登場すると…」
「御意…、されば駒井家は名家なれば、その嫡子の嫁ともなれば…」
「嫁になりたと願う女、と申すよりはその名家たる駒井家に娘を嫁がせたいと願う父はそれこそ吐いて捨つるほどいるに相違あるまいて…」
「御意…、なれど実際には…」
駒井兵部親奉の許に嫁ぎたいと願う女子、いや、大事な娘を嫁がせたいと願う父親は誰一人としていなかったと、千穂はそう示唆し、家治もそうと気付いて大いに頷いたものである。
それはそうだろう。如何に駒井家が名家とは申せ、そして兵部親奉がその駒井家の嫡子とは申せ、実際には兵部親奉は名族である駒井家の血を引いているわけではない。
それどころか、新興旗本の上坂家の次男坊に過ぎない。それがたまたま駒井家の娘に見初められたがために、名家である駒井家に養嗣子として迎えられたのだ。
しかも、娘は兵部親奉と正式に結ばれる…、夫婦になる前、つまりは婚約者のうちに亡くなったわけであるが、それでも所謂、
「体の関係…」
それぐらいはあったに違いない。いや、ない方がおかしい。
そうだとすれば、そのような兵部親奉の許へと嫁ぎたいと願う物好きな女はそうそういないであろうし、仮に女が…、娘がそう願ったとしても父親がそれを許さないであろう。
「いかさま…、嫁探しが難航せし半右衛門の許に、清兵衛正章が…、いや、妻女が縁談を…、玉澤を嫁にと、話を持ち込んだか…」
清兵衛正章の妻女が、玉澤たち三姉妹の縁談に躍起になったとすれば、当然、妻女が駒井家に…、当主の半右衛門興房の許へと縁談を…、玉澤を嫁にしないかと、そう話を持ち込んだものと推察された。
「正確には妻女の父が…」
「何と…、それでは妻女は父に…、柴田日向に泣き付いたと申すか?」
「玉澤が申しますには…、その折…、延享元(1744)年には柴田日向守は使番から先手鉄砲頭へと更に昇進を…、されば相役の先手頭の間での噂で駒井家のことが…、当主の半右衛門興房が訳ありの婿のために嫁探しに奔走しておりますようなれど、中々に…、難航せしその噂、柴田日向守も耳に致しておりましたそうで…」
「そこへ娘が玉澤たち三姉妹を本田家より追い出したいので、どこぞ、良い嫁ぎ先はないかと…、さしずめ斯様に泣き付いたと申すか?妻女は父である柴田日向に…」
「御意…、されば柴田日向守は大事な娘の願いとばかり、まずは玉澤をその、駒井兵部親奉に宛がうことに…」
「それはまた何ゆえに?」
「やはり同い年ゆえでござりましょうか…」
「兵部親奉と玉澤は同い年とな?」
「御意…、されば延享元(1744)年の時点では兵部親奉も玉澤も共に齢14にて…」
「成程…」
「されば駒井半右衛門興房は柴田日向守より持ち込まれしこの話…、玉澤を…、いえ、その当時は袖と名乗っておりましたようで…、本田家の袖を是非とも駒井家の嫡子の兵部親奉の嫁にと、その話に即座に飛びつきましたる由にて…」
「さもあろう…」
家治は大いに頷いた。本田家と言えば、駒井家ほどの名家ではないにしても、少なくとも上坂家よりは由緒があり、何より、嫁が見つからぬ現状、
「贅沢など言っていられない…」
というわけで、半右衛門興房が即座にこの話に飛びついたのも、
「むべなるかな」
であった。
「柴田日向の娘は子をなして…、それも嫡男をもうけて、か?」
「御意…、爾来、日向守の娘はそれまでのように、玉澤たちを姉妹のようにはみなさず…」
「それどころか邪険に…、玉澤や長尾を邪魔物扱いし始めたと申すか?」
家治がそう勘を働かせるや、千穂は「御意」と答えた。
「されば…、それまでは兄と妹のような関係であった叔父の清兵衛正章と姪の玉澤、長尾姉妹のその関係が変質せし原因は清兵衛正章当人と申すよりはその、妻女である日向の娘が原因であったか…」
「玉澤が申しまするには、清兵衛正章は引きずられましたるだけであったようだと…」
妻に、それも母となった妻に亭主が引きずられる格好で、それまで仲睦まじかった養女を邪険に扱い始めるというのもこれまた「ポピュラー」と言えた。
「されば玉澤たち三姉妹はこの上は、一刻も早くに実家を出ようと…」
千穂がそう言いかけるや、それを家治が「待て」と制した。
「三姉妹、とな?」
家治がそう聞き咎めるや、千穂は「ああ、申し忘れておりました…」と失念していたことを思い出した。
「されば玉澤には長尾の他にもいまひとり、妹が…」
「末の妹がおると申すのか?」
「御意…、されば末の妹もまた長尾より1歳年下にて…」
「成程のう…、それで三姉妹か…」
「御意…」
「して、三姉妹は叔父夫婦のはしたない、いじめから逃れるために家を出る決意を致したと?」
「御意…、されば婚家をみつけ…」
江戸時代、武家の娘が家を出るとなれば、婚家をみつける、つまりは結婚と同義であった。
「されどそう都合良くみつかるものかのう…」
家治は首をかしげた。何しろ清兵衛正章が嫡男に恵まれた、つまりはその妻女が母親となり、それまで親しくしていた玉澤たち三姉妹をいびり出した延享元(1744)年、玉澤の齢はその妻女の齢と同じく14、長尾は13、そして末の妹は12である。いくら江戸時代が現代に比べて早熟とは申せ、14や、それ以下の齢の少女の婚家を見つけるのは正に、
「至難の業…」
そう言えた。
「いえ、それにつきましては意外にも、妻女が…」
「成程…、日向の娘め、目障りなる玉澤たち三姉妹が己のいびりに耐えかねて、家を出る決意をしてくれたのなれば、これ幸いと、態度を一転…、積極的に玉澤たちの婚家探しに躍起になった…、さしずめ然様なところであろう?」
家治が千穂にそう水を向けるや、千穂は「御意…」と首肯した。
「して、玉澤たち三姉妹の婚家は見つかったのか?」
「御意。さればその翌年の延享2(1745)年には玉澤たち三姉妹の婚家を見つけることができましたそうで…」
「左様か…、さればその経緯や動機はともあれ、玉澤たち三姉妹は漸くに愁眉が開かれたわけだの…」
家治がしみじみそう言うと、千穂もまずは「御意…」と応じてから、しかしその上で、
「玉澤を除きますれば確かに…」
そう気になることを付け加えたのであった。
「何やら含みがあるのう…」
家治は千穂のその含みのある言い方に興味を惹かれた様子であった。
「されば玉澤は知行500石の駒井家に…、嫡子の兵部親奉の許へと嫁しましてござりまする…」
「駒井家と申さば名家だの…」
知行こそ「中級」だが、しかし駒井家の家名は名家であり、「上級」に属する。
「その駒井家の嫡子の兵部親奉の許へと嫁したゆえ、玉澤も愁眉が開かれたのではあるまいか?」
「確かに…、当初は…」
「と申すからにはまさかに…、父、新兵衛正久と同じく、その兵部親奉も何か不束にて追放刑に処せられたとか?」
「いえ、決して左様なことは…、なれど病者により嗣を除かれ…」
「廃嫡されたわけか…」
「御意…、もっとも病者云々はあくまで表向きにて…」
「と申すと…」
「されば真のところは新兵衛正久と同様に不束…、いえ、然様なる表現では生易しい程の乱行ぶりにて…」
「乱行とな…」
「御意…、されば兵部親奉はその…、大変下世話なる表現になりまするが…」
「構わぬ、申せ」
家治がそう促すと、しかし千穂はそれでも言い難そうであったが、
「されば…、呑む、打つ、買うの三拍子にて…」
そう打ち明けたのであった。
「歴とした武家の嫡子が呑む、打つ、買うとは…」
家治は呆れた様子で反芻した。
「されば御家のため、父・半右衛門興房が兵部親奉を廃嫡に及びましたる由…」
成程と、家治は内心、頷いた。父・半右衛門興房の心中が良く理解できたからだ。
武家、それも直参の旗本の嫡子が「呑む」「打つ」「買う」の遊興に耽っていたとなればそれだけで、改易の理由となる。例え、当主ではなく嫡子の身であったとしてもだ。
それゆえ父・半右衛門興房が「御家の危機」と、兵部親奉を廃嫡に及んだのも当然の対応と言えよう。
だがそれでも家治には分からないことがあった。
「されば…、その父・半右衛門興房は兵部親奉を訓戒せなんだか?」
廃嫡にする前に一度ぐらい、親子で話し合う機会はなかったのだろうか…、そこが家治には疑問であった。それとも話し合った末に、最早いかぬと、見放したか…。
「されば…、これで兵部親奉が半右衛門興房の実子なれば左様なる機会もあるいはあったやも知れませぬが…」
「と申すと、兵部親奉は養嗣子とな?」
「御意…、されば玉澤の話によりますれば上坂安左衛門政形なる旗本の次男坊とのこと…」
千穂がそう告げると、家治は「うえさか、のう…」と反芻した。先ほどの駒井家とは違い、上坂家には聞き覚えがない様子であった。つまりは駒井家のように将軍たる家治でも知っているような名家ではないということだ。
案の定、千穂の補足がそれを証明した。
「されば上坂家は、安左衛門政形が初代にて…」
千穂のその示唆で家治も上坂家が名家ではない、それどころか新興の旗本であることに気付いたようで、
「さしずめ…、班を進められた口か?」
家治は確かめるようにそう尋ねたのであった。班を進めるとは、御家人から旗本へと家格が上昇することである。
「御意。されば上坂安左衛門政形は町方の与力…、それが代官に取り立てられ…」
代官は旗本役であり、つまり代官に取り立てられた時点で安左衛門政形が当主を務める上坂家は御家人から旗本へと家格が上昇、所謂、
「班を進めた」
わけである。
「なれど…、それでは分からぬのう…」
家治は首を傾げた。それに対して千穂はと言うと、家治が何に対して疑問に思っているのか、すぐに察しがついた。
「されば駒井家のような名家が…、その当主ともあろう者が何ゆえに、上坂家のような新興の家より養嗣子を迎えたのか、でござりましょう?」
千穂は家治の内心の疑問をピタリと言い当ててみせ、家治も「正にその点よ…」と応じた。
「これもまた玉澤の話でござりまするが…、どうやら娘が上坂家の次男坊を…、兵部親奉を見初めましたそうで…」
「娘とは…、駒井半右衛門興房が娘という意味か?」
家治は確かめるように尋ねた。
「申すまでもなきこと…」
「なれどそれでは、玉澤が出る幕がないではないか…」
「それが、娘…、半右衛門興房がいざ、兵部親奉を養嗣子として迎え、そして娘と添い遂げさせようとした矢先…」
「まさかに…、娘は病にて身罷ったとか?」
「正しく…、これで仮に娘が兵部親奉の子を、それも嫡男を身篭り、そして産み落とした後に病死致さば、父の半右衛門興房と致してもその時点で婿の兵部親奉を最早用済みとばかりに…」
「お払い箱…、つまりは廃嫡にしたとな?」
「御意…、何しろ半右衛門興房自身はそもそもこの縁談…、上坂家の次男坊の兵部親奉を養嗣子として迎え入れることに必ずしも賛成ならず…、いえ、それどころか反対の由にて…」
さもあろうと、家治は思った。
「それでも娘に…、さしずめ愛娘にせがまれたためにやむなく…、とな?」
「御意…、なれどその愛娘が病にて身罷りましたとなれば、その父、半右衛門興房と致しましてはやはり下世話なる表現になりまするが…」
「さしずめ…、愛娘を誑かせし婿である兵部親奉なぞ、さっさと廃嫡にしたい…、それどころか家から追い出したいところが本音であろうぞ…」
「御意…、なれど最前申し上げましたる通り、娘は婿の兵部親奉との間に子を…、嫡男をなさずして身罷りましたゆえ…」
「追い出すわけにもゆかぬ、か…」
「御意…」
「されば他に適当なる娘はおらなんだか?養嗣子を迎えるぐらいゆえ、半右衛門興房は嫡男には恵まれなかったのであろうが…」
「確かに…、半右衛門興房には他にも娘はおりましたそうで…、なれどその時点では…、娘が身罷りし延享元(1744)年の時点では皆、早世致しておりましたそうな…」
「夭折致していたと?」
「御意。されば半右衛門興房と致しましては甚だ不本意ではありましたでしょうが、愛娘を誑かせし憎い婿であります兵部親奉のために嫁探しを…」
「そこで玉澤が登場すると…」
「御意…、されば駒井家は名家なれば、その嫡子の嫁ともなれば…」
「嫁になりたと願う女、と申すよりはその名家たる駒井家に娘を嫁がせたいと願う父はそれこそ吐いて捨つるほどいるに相違あるまいて…」
「御意…、なれど実際には…」
駒井兵部親奉の許に嫁ぎたいと願う女子、いや、大事な娘を嫁がせたいと願う父親は誰一人としていなかったと、千穂はそう示唆し、家治もそうと気付いて大いに頷いたものである。
それはそうだろう。如何に駒井家が名家とは申せ、そして兵部親奉がその駒井家の嫡子とは申せ、実際には兵部親奉は名族である駒井家の血を引いているわけではない。
それどころか、新興旗本の上坂家の次男坊に過ぎない。それがたまたま駒井家の娘に見初められたがために、名家である駒井家に養嗣子として迎えられたのだ。
しかも、娘は兵部親奉と正式に結ばれる…、夫婦になる前、つまりは婚約者のうちに亡くなったわけであるが、それでも所謂、
「体の関係…」
それぐらいはあったに違いない。いや、ない方がおかしい。
そうだとすれば、そのような兵部親奉の許へと嫁ぎたいと願う物好きな女はそうそういないであろうし、仮に女が…、娘がそう願ったとしても父親がそれを許さないであろう。
「いかさま…、嫁探しが難航せし半右衛門の許に、清兵衛正章が…、いや、妻女が縁談を…、玉澤を嫁にと、話を持ち込んだか…」
清兵衛正章の妻女が、玉澤たち三姉妹の縁談に躍起になったとすれば、当然、妻女が駒井家に…、当主の半右衛門興房の許へと縁談を…、玉澤を嫁にしないかと、そう話を持ち込んだものと推察された。
「正確には妻女の父が…」
「何と…、それでは妻女は父に…、柴田日向に泣き付いたと申すか?」
「玉澤が申しますには…、その折…、延享元(1744)年には柴田日向守は使番から先手鉄砲頭へと更に昇進を…、されば相役の先手頭の間での噂で駒井家のことが…、当主の半右衛門興房が訳ありの婿のために嫁探しに奔走しておりますようなれど、中々に…、難航せしその噂、柴田日向守も耳に致しておりましたそうで…」
「そこへ娘が玉澤たち三姉妹を本田家より追い出したいので、どこぞ、良い嫁ぎ先はないかと…、さしずめ斯様に泣き付いたと申すか?妻女は父である柴田日向に…」
「御意…、されば柴田日向守は大事な娘の願いとばかり、まずは玉澤をその、駒井兵部親奉に宛がうことに…」
「それはまた何ゆえに?」
「やはり同い年ゆえでござりましょうか…」
「兵部親奉と玉澤は同い年とな?」
「御意…、されば延享元(1744)年の時点では兵部親奉も玉澤も共に齢14にて…」
「成程…」
「されば駒井半右衛門興房は柴田日向守より持ち込まれしこの話…、玉澤を…、いえ、その当時は袖と名乗っておりましたようで…、本田家の袖を是非とも駒井家の嫡子の兵部親奉の嫁にと、その話に即座に飛びつきましたる由にて…」
「さもあろう…」
家治は大いに頷いた。本田家と言えば、駒井家ほどの名家ではないにしても、少なくとも上坂家よりは由緒があり、何より、嫁が見つからぬ現状、
「贅沢など言っていられない…」
というわけで、半右衛門興房が即座にこの話に飛びついたのも、
「むべなるかな」
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大衆娯楽
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保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
幕末群狼伝~時代を駆け抜けた若き長州侍たち
KASPIAN
歴史・時代
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として敢えて正視する者なし、これ我が東行高杉君に非ずや」
明治四十二(一九〇九)年、伊藤博文はこの一文で始まる高杉晋作の碑文を、遂に完成させることに成功した。
晋作のかつての同志である井上馨や山県有朋、そして伊藤博文等が晋作の碑文の作成をすることを決意してから、まる二年の月日が流れていた。
碑文完成の報を聞きつけ、喜びのあまり伊藤の元に駆けつけた井上馨が碑文を全て読み終えると、長年の疑問であった晋作と伊藤の出会いについて尋ねて……
この小説は二十九歳の若さでこの世を去った高杉晋作の短くも濃い人生にスポットライトを当てつつも、久坂玄瑞や吉田松陰、桂小五郎、伊藤博文、吉田稔麿などの長州の志士達、さらには近藤勇や土方歳三といった幕府方の人物の活躍にもスポットをあてた群像劇です!
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
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