天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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かつて西之丸にて次期将軍であった家基に呉服之間として仕え、今は本丸にて将軍・家治に御伽坊主として仕える眞更への訊問

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 永井ながい直令なおよし種姫たねひめちゅう年寄どしより…、毒見どくみ役をつとめていたのが砂野いさのであり、つ、その砂野いさの一橋ひとつばし家の用人ようにん杉山すぎやま嘉兵衛かへえ祖父そふに持つことをも把握はあくしていたものの、しかし、その杉山すぎやま家が、大納言だいなごんこと次期将軍であった家基いえもとを産んだ千穂ちほの実家である津田つだ家とも所縁ゆかりが…、

杉山すぎやま家の嫡男ちゃくなんであった勝之助かつのすけ妻女さいじょこそ、津田つだ宇右衛門うえもんの娘にして、家基いえもと母堂ぼどう…、実母じつぼ千穂ちほや、さらにその弟の信之のぶゆきの妹に当たる…」

 そのことまでは、さしもの永井ながい直令なおよし把握はあくしていなかった様子で、他の誰よりも衝撃しょうげきを受けた様子で絶句ぜっくしたのであった。

 そんな中、いちはやく、体勢たいせいを立てなおした意知おきともは、

「それでは…、その砂野いさのがその…」

 シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを家基いえもとの夕食に…、やはり一橋ひとつばし家と所縁ゆかりのある廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら中村なかむら久兵衛きゅうべえ監視かんしされながら、いや、まもられながら家基いえもとの夕食に混入こんにゅうしたのかと、家治に対してそうおうとして、チラリと直令なおよしの方を見た。

 すると直令なおよし意知おきとものその視線しせん気付きづくや、そうと察して、こしを上げようとした。

 するとい家治が、「そのおよばず…」とこしを上げようとした直令なおよしせいしたかと思うと、家治みずから、これまでの経緯けいいにつき、要領ようりょう良く直令なおよしに語って聞かせた。

 それに対して直令なおよしは将軍・家治の直々じきじきの説明におおいに恐縮きょうしゅくしつつも、家治のその説明…、家基いえもと毒殺どくさつ経緯けいいについておどろきをかくせない様子であった。

 そして直令なおよしは将軍・家治の説明を聞き終えるや、意知おきともおうとしていたことを、わって家治にうた。

「さればその、砂野いさの種姫たねひめ様のちゅう年寄どしより…、お毒見どくみ役であるのを良いことに、おそれ多くも大納言だいなごん様がご夕食にそれな…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうしたと?」

 直令なおよしがそう尋ねるや、「そうとしか考えられぬわ…」と家治はそう答えた。

「なれど…、砂野いさのは確かに、一橋ひとつばし家に所縁ゆかりの者なれど…、砂野いさの祖父そふ杉山すぎやま嘉兵衛かへえ一橋ひとつばし家の用人ようにんとのこと…、なれど砂野いさのは、いえ、杉山すぎやま家は同時に、おそれ多くも大納言だいなごん様がご母堂ぼどうにあらせられし、いえ、あらせられた、お千穂ちほ方様かたさま実家じっかに当たりし津田つだ家とも所縁ゆかりが…、それも津田つだ家との所縁ゆかりの方が一橋ひとつばし家との所縁ゆかりよりも深く、そして太いように思われまする。されば…」

 直令なおよしがそこで言葉を区切くぎると、家治が続きを引き取った。

「その津田つだ家とは深く、そして太いえにしにてむすばれておる杉山すぎやま家の砂野いさのが、家基いえもと一服いっぷくはずはない…、左様さように申したいのであろう?」

 家治よりそう問われた直令なおよしは、まさしくその通りであったので、

御意ぎょい…」

 そう答えたのであった。

「確かに砂野いさの最前さいぜん、申した通り、津田つだ家とも所縁ゆかりが…、砂野いさのの父・勝之助かつのすけ津田つだ宇右衛門うえもんが娘…、すなわち、千穂ちほや、信之のぶゆき…、そばしゅうつとめし津田つだ日向守ひゅうがのかみ信之のぶゆきの妹に当たり、されば砂野いさのはその津田つだ宇右衛門うえもんが孫でもある…」

 家治が改めてそう説明すると、

「さればその砂野いさのにとりまして、おそれ多くも大納言だいなごん様は従弟いとこに当たられるのではござりますまいか?」

 意知おきともがそう応じた。確かに、家基いえもと母堂ぼどう…、実母じつぼ千穂ちほ砂野いさのにとっては母の姉、すなわち、伯母おばに当たり、そうであれば砂野いさのにとっては伯母おばに当たる千穂ちほが産んだ子は成程なるほど意知おきともが言う通り、従弟いとこに当たる。

 いや、従兄いとこの可能性もないではないが、しかし、家基いえもとは16歳でくなったのだ。そうであれば砂野いさのが16歳未満とは考えづらかった。16歳未満でちゅう年寄どしよりつとまるとも思えなかったからで、それゆえ意知おきともは、

従弟いとこ

 そうさだめたのであった。

 ともあれ…、「従兄いとこ」であろうと、「従弟いとこ」であろうと、砂野いさのにとっては、

「いとこ」

 それに当たる家基いえもとに対して砂野いさの一服いっぷくるとは…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを夕食に混入こんにゅうしたとは思えなかった。

 意知おきともがそう思う理由だが、

肉親にくしんじょうから…」

 それもないではなかったが、それ以上に、

打算ださん…」

 それゆえ、砂野いさの家基いえもと一服いっぷくるとは考えづらかった。

 打算ださんとは他でもない、

砂野いさのにとっては、いとこに当たる家基いえもとが征夷大将軍になれば、砂野いさのの実家である杉山すぎやま家の栄誉えいよ栄華えいがが約束されたも同然どうぜん…」

 というものであった。

 そうであればその砂野いさの家基いえもと一服いっぷくるとは…、家基いえもとの命をうばうとは、意知おきともにはどうしても考えづらかった。

 すると家治も意知おきとものそのような胸中きょうちゅうを察すると、

意知おきともが考えておることも理解できぬわけではない…」

 まずは意知おきともの考えを認めた上で、

「なれど…、種姫たねひめちゅう年寄どしより砂野いさのである以上、砂野いさの一服いっぷくったとしか考えられぬのだ…」

 そう主張し、これには意知おきとも反論はんろんのしようがなく、だまらざるを得なかった。

「ときに…、砂野いさのちゅう年寄どしよりに…、種姫たねひめちゅう年寄どしよりに取り立てられし経緯については…」

 家治は直令なおよしに尋ねたものの、さしもの直令なおよしも大奥の人事のくわしい事情までは把握はあくしておらず、「さぁ…」と答えるより他になかった。

 それでも直令なおよしはその…、砂野いさの種姫たねひめちゅう年寄どしよりに取り立てられた経緯けいいを知るための、貴重きちょうとも言える、

手掛てがかり…」

 それを家治に示唆しさした。

「されば…、眞更まさらにおたずねあそばされますれば、あるいは何か分かるやも知れませぬ…」

「まさら、とな?」

 家治が聞き返したので、直令なおよしは「御意ぎょい…」と答えると、「まさら」が「眞更まさら」であることを家治に教えた上で、

「されば眞更まさらは今は剃髪ていはついたして、御伽おとぎ坊主ぼうずとしておそれ多くも上様うえさまつかたてまつりしはずにて…」

 そう付け加え、家治もそれで「眞更まさら」の存在そんざいを思い出したらしく、「ああ」と声を上げたかと思うと、

「あの、眞更まさらか…」

 家治はしみじみそう言った。

 御伽おとぎ坊主ぼうずとは将軍に附属ふぞくする、さしずめ、

雑用ざつようがかり

 であった。例えば、将軍が大奥へと渡った際に、中奥なかおく…、将軍の「プライベートエリア」である中奥なかおくに何か忘れ物をしたまま大奥へと渡ってしまったがために、その「忘れ物」を取ってきて欲しい場合にはこの「御伽おとぎ坊主ぼうず」が中奥なかおくへと出向でむいて「忘れ物」を取りに行き、そのぎゃくの場合もまたしかりであった。

 それゆえこの御伽おとぎ坊主ぼうずは大奥のおく女中じょちゅうの中では唯一ゆいいつ中奥なかおく出入でいりすることが許されていた。

 それゆえ…、中奥なかおくへの出入でいりが許されていたために、将軍が大奥にてまる場合、所謂いわゆる

おくどまり

 それをする場合の連絡れんらく役をつとめ、そして何より重要なお役目と言える、

閨房けいぼう監視かんし

 それがあった。すなわち、将軍が御台所みだいどころ…、正室せいしつ以外の女性…、例えば中臈ちゅうろうまくらともにする場合、

添寝そいね役」

 つまりは監視かんし役の中臈ちゅうろうと共に、将軍とその同衾どうきん相手あいて、例えば中臈ちゅうろう…、添寝そいね役の中臈ちゅうろうとは別の、将軍の同衾どうきん相手あいてとしての中臈ちゅうろう…、その中臈ちゅうろうとの、

同衾どうきん模様もよう

 それに聞き耳を立て、翌朝よくちょう、その添寝そいね役の中臈ちゅうろうは共に、「同衾どうきん模様もよう」に「聞き耳」を立てていた御伽おとぎ坊主ぼうず共々ともども、将軍づき年寄としよりもとへと出向いてその、「同衾どうきん模様もよう」を報告するのであった。

 これは同衾どうきん相手あいて…、例えば中臈ちゅうろうが将軍とのその「同衾どうきん」の機会きかいを利用して、

「一家を取り立てて欲しい…」

 などと将軍に「おねだり」をしないとも限らず、それをふせぐべく、御伽おとぎ坊主ぼうず中臈ちゅうろうと共に、

同衾どうきん模様もよう…」

 それに聞き耳を立てることで、同衾どうきん相手あいてである、例えば中臈ちゅうろうに対して「おねだり」をさせぬよう、「プレッシャー」をかけるわけである。

閨房けいぼう監視かんし

 それにはそのような意味合いみあいがふくまれていた。ちなみに同衾どうきん相手あいて御台所みだいどころ…、正室せいしつの場合には、「閨房けいぼう監視かんし」はなかった。

 ともあれ御伽おとぎ坊主ぼうずは将軍に附属ふぞくし、その雑用ざつようつとめるので、それゆえ御台所みだいどころ…、正室せいしつと言えどもみだりに使役しえきすることは許されなかった。

 だが家治はぐに別の疑問がかんだ。

つかえし坊主ぼうずが何ゆえに、砂野いさの種姫たねひめちゅう年寄どしよりとしてつかえるようになったか、その経緯いきさつぞんじておるのか…」

 ということであった。

 すると家治のその疑問を受けた直令なおよしは、

「されば眞更まさらおそれ多くも上様うえさま御伽おとぎ坊主ぼうずとして附属ふぞくせし…、つかたてまつりし前は、西之丸にしのまるにておそれ多くも大納言だいなごん様に附属ふぞく…、つかたてまつりしゆえ…」

 そう説明して、家治の目を丸くさせた。

「そうであったか…、いや、あの眞更まさら家基いえもとつかえていたとは…」

 家治は感慨かんがいぶかげにそう言うと、

「やはり…、家基いえもとにも御伽おとぎ坊主ぼうずとしてつかえていたのか?」

 直令なおよしにそう尋ねた。家基いえもと西之丸にしのまるにてらしていたのは十代の頃に過ぎなかったが、それでもその家基いえもとにも中臈ちゅうろう附属ふぞくしていれば、御伽おとぎ坊主ぼうず勿論もちろん附属ふぞくしていた。

「されば眞更まさら家基いえもとにも坊主ぼうずとしてつかえていたのか?」

 家治のその問いに対して、直令なおよしはしかし、「いいえ」と答えた。

「してその眞更まさら如何いかな役にて家基いえもとつかえていたのだ?」

「確か、呉服之間ごふくのまであったかと…」

 直令なおよしがそう答えたので、家治は「成程なるほど…」と合点がてんがいった。

 それと言うのも、将軍に附属ふぞくするこの御伽おとぎ坊主ぼうずという「ポスト」は呉服之間ごふくのまという「ポスト」から異動いどうたしてくるケースが圧倒あっとう的に多かったからだ。

 無論むろん、例外的なケースもあるにはあるが、それでもやはり、呉服之間ごふくのまから異動いどうしてくるケースが圧倒あっとう的であった。

 ちなみにこの呉服之間ごふくのまとは、何かの部屋の名前のようにも思われるかも知れないが、れきとした役名であり、呉服ごふくという名から察せられるように、裁縫さいほうつかさどる役目で、この呉服之間ごふくのまは将軍・御台所みだいどころ、両者に附属ふぞくする役であった。

 そして眞更まさら家基いえもと呉服之間ごふくのまとしてつかえていたと言うからには、家基いえもとづき呉服之間ごふくのまであったのだろう。

あいかった。されば眞更まさらをここへ…、中奥なかおく御休息之間ごきゅうそくのまへとし出そうぞ…」

 家治はそうだんくだした。眞更まさらより、砂野いさの種姫たねひめちゅう年寄どしよりに取り立てられた経緯いきさつについてたずねるのは明らかであり、しかも都合つごうの良いことに、今の眞更まさら中奥なかおく出入でいりが許されている御伽おとぎ坊主ぼうずであったのだ。

 それゆえ家治がその眞更まさらを今ぐにここ中奥なかおくにある御休息之間ごきゅうそくのまへとし出すことにしたのは至極しごく当然とうぜんの判断と言えた。

「されば如何いかなる名目めいもくにて…」

 眞更まさらを呼び出すつもりか…、留守居るすい高井たかい直熙なおひろが尋ねた。

意知おきともたちに家基いえもとが死の真相をさぐるよう命じたはすで周知しゅうち事実じじつなれば、ここは堂々どうどうし出すが常道じょうどうであろう…」

 家基いえもとの死の真相についてたずねたいことがあるので…、そう堂々どうどうと理由を告げて眞更まさらを呼び出すのが一番…、家治はそう答えた。

 確かに家治の言う通りであり、コソコソと…、あれこれともっともらしい、いつわりの口実こうじつにて呼び出すよりも堂々どうどうと呼び出した方が良い。

 そうと決めた家治は今度は宿直とのい小納戸こなんどに命じて、大奥とつなぎを取らせて、御伽おとぎ坊主ぼうず眞更まさら御休息之間ごきゅうそくのまへと呼び出した。

 家治が御伽おとぎ坊主ぼうず眞更まさらを呼び出すべく、大奥とのつなぎを小姓こしょうではなく、小納戸こなんどに命じたのは他でもない、将軍が大奥に「おくどまり」をたす際には事前じぜん中奥なかおくサイドと大奥サイドで連絡れんらく調整ちょうせいを行う必要があるのだが、その際、中奥なかおくサイドよりは奥之番おくのばん小納戸こなんどが、そして大奥サイドよりは錠口じょうぐちが、それぞれ姿を見せ、この両者が連絡れんらく調整ちょうせいに当たるのであった。

 そしてさいわいにも今夜の宿直とのい小納戸こなんどの中にはその奥之番おくのばん兼務けんむする者がふくまれており、そこで家治はこの奥之番おくのばん小納戸こなんどに大奥とのつなぎを命じたというわけだ。

 さて、こうして将軍・家治の御前ごぜんに連れて来られた眞更まさらは50代後半の女性にょしょう、それも法体ほったい姿であった。つまりは頭を丸めていた。

 御伽おとぎ坊主ぼうず大抵たいてい、50代以上の者がなるお役でもあるので、その点でも眞更まさらまさに、

年相応としそうおう…」

 と言えた。

 家治はその眞更まさらに対してもやはり一切いっさい挨拶あいさつも、そしてまえきもきにして、いきなり単刀たんとう直入ちょくにゅうたずねた。

 すなわち、砂野いさの種姫たねひめちゅう年寄どしよりに取り立てられた経緯いきさつについてたずねたのであった。

「されば砂野いさの様…、いえ、砂野いさのは元は、お千穂ちほ方様かたさま附属ふぞくせし中臈ちゅうろうにて…」

 御伽おとぎ坊主ぼうずにとってはちゅう年寄どしよりはそれこそ、

「雲の上のよう…」

 そのような存在そんざいなのであろう。それゆえ眞更まさらはつい、いつものくせで、

砂野いさの様…」

 そう「様」という最高さいこう敬称けいしょうもちいて砂野いさののことを呼んでしまい、しかし、眞更まさらはこの場が…、今、己がしている場が将軍・家治の御前ごぜんであることに気付くと、あわてて、「砂野いさの…」とそう呼び捨てにしたのであった。将軍の御前ごぜんにおいてはちゅう年寄どしよりであっても「様」という最高さいこう敬称けいしょうもちいることは元より、「殿」という敬称けいしょうもちいることさえ許されてはいなかったからだ。

 それに対して千穂ちほ最早もはやくなったとは言え、次期将軍であった家基いえもと母堂ぼどう…、生みの母であるので、その千穂ちほに対してははばかることなく、

「様」

 という最高さいこう敬称けいしょうもちいることができた。

 さて、眞更まさらより、砂野いさのが元は千穂ちほ中臈ちゅうろうだと聞かされた家治は、その砂野いさのが何ゆえ、千穂ちほづき中臈ちゅうろうから種姫たねひめづきちゅう年寄どしよりへと異動いどうたしたのか、その理由…、経緯いきさつについて眞更まさらに改めてたずねた。

「されば砂野いさのがたっての望みにて…」

砂野いさの種姫たねひめちゅう年寄どしよりつとめたいと、左様さようねがい出たと?」

御意ぎょいにござりまする…」

「して、それはいつのことぞ?」

「されば…、正確なる日時までは覚えておりませぬが…」

 眞更まさらはそうまえきした。それが普通であり、家治もそう考えればこそ、「かまわぬ」と眞更まさらうながした。

「ははっ。されば玉澤たまざわたち、お千穂ちほ方様かたさまつかたてまつりしおく女中じょちゅう西之丸にしのまるの大奥より本丸ほんまるの大奥へと移りましたる時だったかと…」

 つまりは萬壽ますひめくなり、しかも、種姫たねひめたちが西之丸にしのまるの大奥入りを果たした安永4(1775)年の11月の以前ということになる。

「されば…、砂野いさのは引き続き、西之丸にしのまるに残り、種姫たねひめむかえたと申すか?」

「いえ、いったんは玉澤たまざわたちと共に、本丸ほんまるの大奥へと…、お千穂ちほ方様かたさまがお待ちあそばされし本丸ほんまるの大奥へともどりしましてござりまする…」

「されば…、砂野いさのたね西之丸にしのまるの大奥へとはいりし後、本丸ほんまるの大奥より西之丸にしのまるの大奥へと、たねつかえるべく、あがったと申すか?」

御意ぎょいにござりまする…」

 千穂ちほづき中臈ちゅうろうであった砂野いさのみずから望んで種姫たねひめづきちゅう年寄どしよりになったとは、これでいよいよもって、砂野いさの種姫たねひめ毒見どくみ役としての「職権しょっけん」を濫用らんようして、大奥にて夕食をった家基いえもとのその夕食に毒物どくぶつを…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうした疑いが強まった。

「して…、砂野いさのたねつかえしちゅう年寄どしよりきしそのくわしい経緯いきさつぞんじておらぬか?」

 家治は眞更まさらに対してさらくわしい説明を求めたものの、しかし、眞更まさらもそこまでは把握はあくしていない様子であり、「さぁ…」と首をかしげるばかりであった。確かに当時は呉服之間ごふくのまとして家基いえもとつかえていた眞更まさらがこれ以上のくわしい事情を把握はあくしているとも思えなかった。

 それから家治は眞更まさらろうねぎらうと、退がらせ、それから家治は意知おきともたちに意見を求めた。

「されば…、もそっとくわしい事情を知りたいところではあるが…」

 家治が意知おきともたちにそう語りかけると、それに対して直熙なおひろさき反応はんのうした。

「お千穂ちほ方様かたさま中臈ちゅうろうとしてつかたてまつりし砂野いさのおそれ多くも種姫たねひめ様につかたてまつりしちゅう年寄どしよりへと異動いどうせし、もそっとくわしい経緯いきさつについて、でござりまするな?」

左様さよう…」

「されば種姫たねひめ様が老女ろうじょ…、年寄としよりつとめし向坂さきさかたずねるべきやに…」

 確かに直熙なおひろの言う通りであろう。何しろ向坂さきさか種姫たねひめ附属ふぞくする年寄としより…、それも種姫たねひめ家基いえもと御台所みだいどころ、いや、正確には婚約者こんやくしゃとして西之丸にしのまるの大奥入りをたした当初とうしょより、その種姫たねひめ年寄としよりとしてつかえており、そうであれば…、その向坂さきさかなれば、千穂ちほ中臈ちゅうろうとして附属ふぞく…、つかえていた砂野いさの種姫たねひめづきちゅう年寄どしよりへと異動いどうたしたそのくわしい経緯いきさつについても把握はあくしているはずであった。

「されば…、おそれながら上様うえさまよりおたずねあそばされましては如何いかがでござりましょうや…」

 直熙なおひろのその提案に家治は目を丸くした。

直々じきじき向坂さきさかたずねるのか?」

御意ぎょい…、されば…、本来ほんらいなれば向坂さきさかをここへし出しそのくわしい経緯いきさつにつきたずねるべきところ…、なれど向坂さきさか年寄としよりにて…」

 中奥なかおくへの出入でいりが許されている御伽おとぎ坊主ぼうずとは違う…、直熙なおひろはそう示唆しさし、

「確かに…」

 と家治をそううなずかせた。

「されば…、おそれ多くも上様うえさまにあらせられましては、あさそうれの機会きかいがござりますれば…」

 将軍は毎朝まいあさ、朝の五つ半(午前9時頃)になると上下かみしも太刀たち脇差わきざし所謂いわゆる

大小だいしょう二本にほんし」

 というちで大奥へと渡り、その大奥の仏間ぶつまという部屋へと足を向ける。仏間ぶつまには将軍家代々だいだい位牌いはい安置あんちされており、将軍はその位牌いはいに向かって冥福めいふくいのるのが毎朝まいあさの日課であった。

 そしてそれが終わるのが半刻はんとき(約1時間)後の昼四つ(午前10時頃)であり、すると将軍は今度は小座敷こざしきという部屋へと移動し、そこで御台所みだいどころ年寄としより中臈ちゅうろうたちの挨拶あいさつを受けるのであった。

 もっとも今は…、今の将軍・家治には御台所みだいどころ…、正室せいしつはおらず、畢竟ひっきょう側室そくしつ、いや、

「お部屋へや様」

 である千穂ちほや、あるいは養女ようじょ種姫たねひめ年寄としよりたちと共に家治に挨拶あいさつするのであった。ちなみに家基いえもとすでいものの、しかし、それで千穂ちほが一度、手に入れた、

「お部屋へや様」

 その地位が剥奪はくだつされるわけではなく、千穂ちほは今でも…、次期将軍であった我が子・家基いえもとくなった今でも、

「お部屋へや様」

 として大奥に君臨くんりんしており、それゆえ大奥での序列じょれつにおいては将軍・家治の養女ようじょに過ぎない種姫たねひめよりも上であった。

 それはかく、そのあさそうれには年寄としよりも参加…、小座敷こざしきにて将軍に挨拶あいさつをするので、種姫たねひめ年寄としよりとして附属ふぞく…、つかえる向坂さきさかふくまれており、成程なるほど、そうであれば、

あさそうれ…」

 その機会きかいを利用して向坂さきさかより砂野いさの種姫たねひめちゅう年寄どしよりとして附属ふぞく…、つかえるようになったくわしい経緯いきさつについてたずねるのが最善さいぜんさくと言えた。

あいかった。直々じきじき向坂さきさかたずねてみようぞ…」

 家治がそうだんくだすや、意知おきともたち一同いちどう一斉いっせいに、

「ははぁっ」

 そう声を上げつつ、平伏へいふくしてこれに応じてみせた。
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