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かつて西之丸にて次期将軍であった家基に呉服之間として仕え、今は本丸にて将軍・家治に御伽坊主として仕える眞更への訊問
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永井直令も種姫の中年寄…、毒見役を務めていたのが砂野であり、且つ、その砂野が一橋家の用人の杉山嘉兵衛を祖父に持つことをも把握していたものの、しかし、その杉山家が、大納言こと次期将軍であった家基を産んだ千穂の実家である津田家とも所縁が…、
「杉山家の嫡男であった勝之助の妻女こそ、津田宇右衛門の娘にして、家基の母堂…、実母の千穂や、更にその弟の信之の妹に当たる…」
そのことまでは、さしもの永井直令も把握していなかった様子で、他の誰よりも衝撃を受けた様子で絶句したのであった。
そんな中、逸早く、体勢を立て直した意知は、
「それでは…、その砂野がその…」
シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを家基の夕食に…、やはり一橋家と所縁のある廣敷番之頭の中村久兵衛に監視されながら、いや、見守られながら家基の夕食に混入したのかと、家治に対してそう問おうとして、チラリと直令の方を見た。
すると直令も意知のその視線に気付くや、そうと察して、腰を上げようとした。
するとい家治が、「その儀に及ばず…」と腰を上げようとした直令を制したかと思うと、家治自ら、これまでの経緯につき、要領良く直令に語って聞かせた。
それに対して直令は将軍・家治の直々の説明に大いに恐縮しつつも、家治のその説明…、家基毒殺の経緯について驚きを隠せない様子であった。
そして直令は将軍・家治の説明を聞き終えるや、意知が問おうとしていたことを、代わって家治に問うた。
「さればその、砂野が種姫様の中年寄…、お毒見役であるのを良いことに、畏れ多くも大納言様がご夕食にそれな…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを混入したと?」
直令がそう尋ねるや、「そうとしか考えられぬわ…」と家治はそう答えた。
「なれど…、砂野は確かに、一橋家に所縁の者なれど…、砂野が祖父、杉山嘉兵衛は一橋家の用人とのこと…、なれど砂野は、いえ、杉山家は同時に、畏れ多くも大納言様がご母堂にあらせられし、いえ、あらせられた、お千穂の方様の実家に当たりし津田家とも所縁が…、それも津田家との所縁の方が一橋家との所縁よりも深く、そして太いように思われまする。されば…」
直令がそこで言葉を区切ると、家治が続きを引き取った。
「その津田家とは深く、そして太い縁にて結ばれておる杉山家の砂野が、家基に一服盛る筈はない…、左様に申したいのであろう?」
家治よりそう問われた直令は、正しくその通りであったので、
「御意…」
そう答えたのであった。
「確かに砂野は最前、申した通り、津田家とも所縁が…、砂野の父・勝之助は津田宇右衛門が娘…、即ち、千穂や、信之…、余が側衆を務めし津田日向守信之の妹に当たり、されば砂野はその津田宇右衛門が孫でもある…」
家治が改めてそう説明すると、
「さればその砂野にとりまして、畏れ多くも大納言様は従弟に当たられるのではござりますまいか?」
意知がそう応じた。確かに、家基の母堂…、実母の千穂は砂野にとっては母の姉、即ち、伯母に当たり、そうであれば砂野にとっては伯母に当たる千穂が産んだ子は成程、意知が言う通り、従弟に当たる。
いや、従兄の可能性もないではないが、しかし、家基は16歳で亡くなったのだ。そうであれば砂野が16歳未満とは考え辛かった。16歳未満で中年寄が務まるとも思えなかったからで、それゆえ意知は、
「従弟」
そう見定めたのであった。
ともあれ…、「従兄」であろうと、「従弟」であろうと、砂野にとっては、
「いとこ」
それに当たる家基に対して砂野が一服盛るとは…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを夕食に混入したとは思えなかった。
意知がそう思う理由だが、
「肉親の情から…」
それもないではなかったが、それ以上に、
「打算…」
それゆえ、砂野が家基に一服盛るとは考え辛かった。
打算とは他でもない、
「砂野にとっては、いとこに当たる家基が征夷大将軍になれば、砂野の実家である杉山家の栄誉栄華が約束されたも同然…」
というものであった。
そうであればその砂野が家基に一服盛るとは…、家基の命を奪うとは、意知にはどうしても考え辛かった。
すると家治も意知のそのような胸中を察すると、
「意知が考えておることも理解できぬわけではない…」
まずは意知の考えを認めた上で、
「なれど…、種姫の中年寄が砂野である以上、砂野が一服盛ったとしか考えられぬのだ…」
そう主張し、これには意知も反論のしようがなく、黙らざるを得なかった。
「ときに…、砂野が中年寄に…、種姫が中年寄に取り立てられし経緯については…」
家治は直令に尋ねたものの、さしもの直令も大奥の人事の詳しい事情までは把握しておらず、「さぁ…」と答えるより他になかった。
それでも直令はその…、砂野が種姫の中年寄に取り立てられた経緯を知るための、貴重とも言える、
「手掛かり…」
それを家治に示唆した。
「されば…、眞更にお訊ねあそばされますれば、或いは何か分かるやも知れませぬ…」
「まさら、とな?」
家治が聞き返したので、直令は「御意…」と答えると、「まさら」が「眞更」であることを家治に教えた上で、
「されば眞更は今は剃髪致して、御伽坊主として畏れ多くも上様に仕え奉りし筈にて…」
そう付け加え、家治もそれで「眞更」の存在を思い出したらしく、「ああ」と声を上げたかと思うと、
「あの、眞更か…」
家治はしみじみそう言った。
御伽坊主とは将軍に附属する、さしずめ、
「雑用係」
であった。例えば、将軍が大奥へと渡った際に、中奥…、将軍の「プライベートエリア」である中奥に何か忘れ物をしたまま大奥へと渡ってしまったがために、その「忘れ物」を取ってきて欲しい場合にはこの「御伽坊主」が中奥へと出向いて「忘れ物」を取りに行き、その逆の場合もまた然りであった。
それゆえこの御伽坊主は大奥の奥女中の中では唯一、中奥に出入りすることが許されていた。
それゆえ…、中奥への出入りが許されていたために、将軍が大奥にて泊まる場合、所謂、
「奥泊」
それをする場合の連絡役を務め、そして何より重要なお役目と言える、
「閨房の監視」
それがあった。即ち、将軍が御台所…、正室以外の女性…、例えば中臈と枕を共にする場合、
「御添寝役」
つまりは監視役の中臈と共に、将軍とその同衾相手、例えば中臈…、御添寝役の中臈とは別の、将軍の同衾相手としての中臈…、その中臈との、
「同衾の模様」
それに聞き耳を立て、翌朝、その御添寝役の中臈は共に、「同衾の模様」に「聞き耳」を立てていた御伽坊主共々、将軍附の年寄の許へと出向いてその、「同衾の模様」を報告するのであった。
これは同衾相手…、例えば中臈が将軍とのその「同衾」の機会を利用して、
「一家を取り立てて欲しい…」
などと将軍に「おねだり」をしないとも限らず、それを防ぐべく、御伽坊主が中臈と共に、
「同衾の模様…」
それに聞き耳を立てることで、同衾相手である、例えば中臈に対して「おねだり」をさせぬよう、「プレッシャー」をかけるわけである。
「閨房の監視」
それにはそのような意味合いが含まれていた。ちなみに同衾相手が御台所…、正室の場合には、「閨房の監視」はなかった。
ともあれ御伽坊主は将軍に附属し、その雑用を務めるので、それゆえ御台所…、正室と言えども濫りに使役することは許されなかった。
だが家治は直ぐに別の疑問が浮かんだ。
「余に仕えし坊主が何ゆえに、砂野が種姫に中年寄として仕えるようになったか、その経緯を存じておるのか…」
ということであった。
すると家治のその疑問を受けた直令は、
「されば眞更は畏れ多くも上様に御伽坊主として附属せし…、仕え奉りし前は、西之丸にて畏れ多くも大納言様に附属…、仕え奉りしゆえ…」
そう説明して、家治の目を丸くさせた。
「そうであったか…、いや、あの眞更が家基に仕えていたとは…」
家治は感慨深げにそう言うと、
「やはり…、家基にも御伽坊主として仕えていたのか?」
直令にそう尋ねた。家基が西之丸にて暮らしていたのは十代の頃に過ぎなかったが、それでもその家基にも中臈も附属していれば、御伽坊主も勿論、附属していた。
「されば眞更は家基にも坊主として仕えていたのか?」
家治のその問いに対して、直令はしかし、「いいえ」と答えた。
「してその眞更は如何な役にて家基に仕えていたのだ?」
「確か、呉服之間であったかと…」
直令がそう答えたので、家治は「成程…」と合点がいった。
それと言うのも、将軍に附属するこの御伽坊主という「ポスト」は呉服之間という「ポスト」から異動を果たしてくるケースが圧倒的に多かったからだ。
無論、例外的なケースもあるにはあるが、それでもやはり、呉服之間から異動してくるケースが圧倒的であった。
ちなみにこの呉服之間とは、何かの部屋の名前のようにも思われるかも知れないが、歴とした役名であり、呉服という名から察せられるように、裁縫を掌る役目で、この呉服之間は将軍・御台所、両者に附属する役であった。
そして眞更は家基に呉服之間として仕えていたと言うからには、家基附の呉服之間であったのだろう。
「相分かった。されば眞更をここへ…、中奥の御休息之間へと召し出そうぞ…」
家治はそう断を下した。眞更より、砂野が種姫の中年寄に取り立てられた経緯について訊ねるのは明らかであり、しかも都合の良いことに、今の眞更は中奥に出入りが許されている御伽坊主であったのだ。
それゆえ家治がその眞更を今直ぐにここ中奥にある御休息之間へと召し出すことにしたのは至極当然の判断と言えた。
「されば如何なる名目にて…」
眞更を呼び出すつもりか…、留守居の高井直熙が尋ねた。
「余が意知たちに家基が死の真相を探るよう命じたは既に周知の事実なれば、ここは堂々と召し出すが常道であろう…」
家基の死の真相について訊ねたいことがあるので…、そう堂々と理由を告げて眞更を呼び出すのが一番…、家治はそう答えた。
確かに家治の言う通りであり、コソコソと…、あれこれと尤もらしい、偽りの口実にて呼び出すよりも堂々と呼び出した方が良い。
そうと決めた家治は今度は宿直の小納戸に命じて、大奥と繋ぎを取らせて、御伽坊主の眞更を御休息之間へと呼び出した。
家治が御伽坊主の眞更を呼び出すべく、大奥との繋ぎを小姓ではなく、小納戸に命じたのは他でもない、将軍が大奥に「奥泊」を果たす際には事前に中奥サイドと大奥サイドで連絡・調整を行う必要があるのだが、その際、中奥サイドよりは奥之番の小納戸が、そして大奥サイドよりは御錠口が、それぞれ姿を見せ、この両者が連絡・調整に当たるのであった。
そして幸いにも今夜の宿直の小納戸の中にはその奥之番を兼務する者が含まれており、そこで家治はこの奥之番の小納戸に大奥との繋ぎを命じたというわけだ。
さて、こうして将軍・家治の御前に連れて来られた眞更は50代後半の女性、それも法体姿であった。つまりは頭を丸めていた。
御伽坊主は大抵、50代以上の者がなるお役でもあるので、その点でも眞更は正に、
「年相応…」
と言えた。
家治はその眞更に対してもやはり一切の挨拶も、そして前置きも抜きにして、いきなり単刀直入に訊ねた。
即ち、砂野が種姫の中年寄に取り立てられた経緯について訊ねたのであった。
「されば砂野様…、いえ、砂野は元は、お千穂の方様に附属せし中臈にて…」
御伽坊主にとっては中年寄はそれこそ、
「雲の上のよう…」
そのような存在なのであろう。それゆえ眞更はつい、いつもの癖で、
「砂野様…」
そう「様」という最高敬称を用いて砂野のことを呼んでしまい、しかし、眞更はこの場が…、今、己が座している場が将軍・家治の御前であることに気付くと、慌てて、「砂野…」とそう呼び捨てにしたのであった。将軍の御前においては中年寄であっても「様」という最高敬称を用いることは元より、「殿」という敬称を用いることさえ許されてはいなかったからだ。
それに対して千穂は最早、亡くなったとは言え、次期将軍であった家基の母堂…、生みの母であるので、その千穂に対しては憚ることなく、
「様」
という最高敬称を用いることができた。
さて、眞更より、砂野が元は千穂の中臈だと聞かされた家治は、その砂野が何ゆえ、千穂附の中臈から種姫附の中年寄へと異動を果たしたのか、その理由…、経緯について眞更に改めて訊ねた。
「されば砂野がたっての望みにて…」
「砂野が種姫の中年寄を務めたいと、左様に願い出たと?」
「御意にござりまする…」
「して、それはいつのことぞ?」
「されば…、正確なる日時までは覚えておりませぬが…」
眞更はそう前置きした。それが普通であり、家治もそう考えればこそ、「構わぬ」と眞更を促した。
「ははっ。されば玉澤たち、お千穂の方様に仕え奉りし奥女中が西之丸の大奥より本丸の大奥へと移りましたる時だったかと…」
つまりは萬壽姫が亡くなり、しかも、種姫たちが西之丸の大奥入りを果たした安永4(1775)年の11月の以前ということになる。
「されば…、砂野は引き続き、西之丸に残り、種姫を迎えたと申すか?」
「いえ、いったんは玉澤たちと共に、本丸の大奥へと…、お千穂の方様がお待ちあそばされし本丸の大奥へと戻りしましてござりまする…」
「されば…、砂野は種が西之丸の大奥へと入りし後、本丸の大奥より西之丸の大奥へと、種に仕えるべく、あがったと申すか?」
「御意にござりまする…」
千穂附の中臈であった砂野が自ら望んで種姫附の中年寄になったとは、これでいよいよもって、砂野が種姫の毒見役としての「職権」を濫用して、大奥にて夕食を摂った家基のその夕食に毒物を…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを混入した疑いが強まった。
「して…、砂野が種に仕えし中年寄に就きしその詳しい経緯は存じておらぬか?」
家治は眞更に対して更に詳しい説明を求めたものの、しかし、眞更もそこまでは把握していない様子であり、「さぁ…」と首をかしげるばかりであった。確かに当時は呉服之間として家基に仕えていた眞更がこれ以上の詳しい事情を把握しているとも思えなかった。
それから家治は眞更の労を労うと、退がらせ、それから家治は意知たちに意見を求めた。
「されば…、もそっと詳しい事情を知りたいところではあるが…」
家治が意知たちにそう語りかけると、それに対して直熙が真っ先に反応した。
「お千穂の方様に中臈として仕え奉りし砂野が畏れ多くも種姫様に仕え奉りし中年寄へと異動せし、もそっと詳しい経緯について、でござりまするな?」
「左様…」
「されば種姫様が老女…、年寄を務めし向坂に訊ねるべきやに…」
確かに直熙の言う通りであろう。何しろ向坂は種姫に附属する年寄…、それも種姫が家基の御台所、いや、正確には婚約者として西之丸の大奥入りを果たした当初より、その種姫に年寄として仕えており、そうであれば…、その向坂なれば、千穂に中臈として附属…、仕えていた砂野が種姫附の中年寄へと異動を果たしたその詳しい経緯についても把握している筈であった。
「されば…、畏れながら上様よりお訊ねあそばされましては如何でござりましょうや…」
直熙のその提案に家治は目を丸くした。
「余が直々に向坂に訊ねるのか?」
「御意…、されば…、本来なれば向坂をここへ召し出しその詳しい経緯につき訊ねるべきところ…、なれど向坂は年寄にて…」
中奥への出入りが許されている御伽坊主とは違う…、直熙はそう示唆し、
「確かに…」
と家治をそう頷かせた。
「されば…、畏れ多くも上様にあらせられましては、朝の総触れの機会がござりますれば…」
将軍は毎朝、朝の五つ半(午前9時頃)になると上下に太刀と脇差、所謂、
「大小二本差し」
という出で立ちで大奥へと渡り、その大奥の御仏間という部屋へと足を向ける。御仏間には将軍家代々の位牌が安置されており、将軍はその位牌に向かって冥福を祈るのが毎朝の日課であった。
そしてそれが終わるのが半刻(約1時間)後の昼四つ(午前10時頃)であり、すると将軍は今度は御小座敷という部屋へと移動し、そこで御台所や年寄、中臈たちの挨拶を受けるのであった。
尤も今は…、今の将軍・家治には御台所…、正室はおらず、畢竟、側室、いや、
「お部屋様」
である千穂や、或いは養女の種姫が年寄たちと共に家治に挨拶するのであった。ちなみに家基は既に亡いものの、しかし、それで千穂が一度、手に入れた、
「お部屋様」
その地位が剥奪されるわけではなく、千穂は今でも…、次期将軍であった我が子・家基が亡くなった今でも、
「お部屋様」
として大奥に君臨しており、それゆえ大奥での序列においては将軍・家治の養女に過ぎない種姫よりも上であった。
それは兎も角、その朝の総触れには年寄も参加…、御小座敷にて将軍に挨拶をするので、種姫に年寄として附属…、仕える向坂も含まれており、成程、そうであれば、
「朝の総触れ…」
その機会を利用して向坂より砂野が種姫に中年寄として附属…、仕えるようになった詳しい経緯について訊ねるのが最善の策と言えた。
「相分かった。余が直々に向坂に訊ねてみようぞ…」
家治がそう断を下すや、意知たち一同は一斉に、
「ははぁっ」
そう声を上げつつ、平伏してこれに応じてみせた。
「杉山家の嫡男であった勝之助の妻女こそ、津田宇右衛門の娘にして、家基の母堂…、実母の千穂や、更にその弟の信之の妹に当たる…」
そのことまでは、さしもの永井直令も把握していなかった様子で、他の誰よりも衝撃を受けた様子で絶句したのであった。
そんな中、逸早く、体勢を立て直した意知は、
「それでは…、その砂野がその…」
シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを家基の夕食に…、やはり一橋家と所縁のある廣敷番之頭の中村久兵衛に監視されながら、いや、見守られながら家基の夕食に混入したのかと、家治に対してそう問おうとして、チラリと直令の方を見た。
すると直令も意知のその視線に気付くや、そうと察して、腰を上げようとした。
するとい家治が、「その儀に及ばず…」と腰を上げようとした直令を制したかと思うと、家治自ら、これまでの経緯につき、要領良く直令に語って聞かせた。
それに対して直令は将軍・家治の直々の説明に大いに恐縮しつつも、家治のその説明…、家基毒殺の経緯について驚きを隠せない様子であった。
そして直令は将軍・家治の説明を聞き終えるや、意知が問おうとしていたことを、代わって家治に問うた。
「さればその、砂野が種姫様の中年寄…、お毒見役であるのを良いことに、畏れ多くも大納言様がご夕食にそれな…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを混入したと?」
直令がそう尋ねるや、「そうとしか考えられぬわ…」と家治はそう答えた。
「なれど…、砂野は確かに、一橋家に所縁の者なれど…、砂野が祖父、杉山嘉兵衛は一橋家の用人とのこと…、なれど砂野は、いえ、杉山家は同時に、畏れ多くも大納言様がご母堂にあらせられし、いえ、あらせられた、お千穂の方様の実家に当たりし津田家とも所縁が…、それも津田家との所縁の方が一橋家との所縁よりも深く、そして太いように思われまする。されば…」
直令がそこで言葉を区切ると、家治が続きを引き取った。
「その津田家とは深く、そして太い縁にて結ばれておる杉山家の砂野が、家基に一服盛る筈はない…、左様に申したいのであろう?」
家治よりそう問われた直令は、正しくその通りであったので、
「御意…」
そう答えたのであった。
「確かに砂野は最前、申した通り、津田家とも所縁が…、砂野の父・勝之助は津田宇右衛門が娘…、即ち、千穂や、信之…、余が側衆を務めし津田日向守信之の妹に当たり、されば砂野はその津田宇右衛門が孫でもある…」
家治が改めてそう説明すると、
「さればその砂野にとりまして、畏れ多くも大納言様は従弟に当たられるのではござりますまいか?」
意知がそう応じた。確かに、家基の母堂…、実母の千穂は砂野にとっては母の姉、即ち、伯母に当たり、そうであれば砂野にとっては伯母に当たる千穂が産んだ子は成程、意知が言う通り、従弟に当たる。
いや、従兄の可能性もないではないが、しかし、家基は16歳で亡くなったのだ。そうであれば砂野が16歳未満とは考え辛かった。16歳未満で中年寄が務まるとも思えなかったからで、それゆえ意知は、
「従弟」
そう見定めたのであった。
ともあれ…、「従兄」であろうと、「従弟」であろうと、砂野にとっては、
「いとこ」
それに当たる家基に対して砂野が一服盛るとは…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを夕食に混入したとは思えなかった。
意知がそう思う理由だが、
「肉親の情から…」
それもないではなかったが、それ以上に、
「打算…」
それゆえ、砂野が家基に一服盛るとは考え辛かった。
打算とは他でもない、
「砂野にとっては、いとこに当たる家基が征夷大将軍になれば、砂野の実家である杉山家の栄誉栄華が約束されたも同然…」
というものであった。
そうであればその砂野が家基に一服盛るとは…、家基の命を奪うとは、意知にはどうしても考え辛かった。
すると家治も意知のそのような胸中を察すると、
「意知が考えておることも理解できぬわけではない…」
まずは意知の考えを認めた上で、
「なれど…、種姫の中年寄が砂野である以上、砂野が一服盛ったとしか考えられぬのだ…」
そう主張し、これには意知も反論のしようがなく、黙らざるを得なかった。
「ときに…、砂野が中年寄に…、種姫が中年寄に取り立てられし経緯については…」
家治は直令に尋ねたものの、さしもの直令も大奥の人事の詳しい事情までは把握しておらず、「さぁ…」と答えるより他になかった。
それでも直令はその…、砂野が種姫の中年寄に取り立てられた経緯を知るための、貴重とも言える、
「手掛かり…」
それを家治に示唆した。
「されば…、眞更にお訊ねあそばされますれば、或いは何か分かるやも知れませぬ…」
「まさら、とな?」
家治が聞き返したので、直令は「御意…」と答えると、「まさら」が「眞更」であることを家治に教えた上で、
「されば眞更は今は剃髪致して、御伽坊主として畏れ多くも上様に仕え奉りし筈にて…」
そう付け加え、家治もそれで「眞更」の存在を思い出したらしく、「ああ」と声を上げたかと思うと、
「あの、眞更か…」
家治はしみじみそう言った。
御伽坊主とは将軍に附属する、さしずめ、
「雑用係」
であった。例えば、将軍が大奥へと渡った際に、中奥…、将軍の「プライベートエリア」である中奥に何か忘れ物をしたまま大奥へと渡ってしまったがために、その「忘れ物」を取ってきて欲しい場合にはこの「御伽坊主」が中奥へと出向いて「忘れ物」を取りに行き、その逆の場合もまた然りであった。
それゆえこの御伽坊主は大奥の奥女中の中では唯一、中奥に出入りすることが許されていた。
それゆえ…、中奥への出入りが許されていたために、将軍が大奥にて泊まる場合、所謂、
「奥泊」
それをする場合の連絡役を務め、そして何より重要なお役目と言える、
「閨房の監視」
それがあった。即ち、将軍が御台所…、正室以外の女性…、例えば中臈と枕を共にする場合、
「御添寝役」
つまりは監視役の中臈と共に、将軍とその同衾相手、例えば中臈…、御添寝役の中臈とは別の、将軍の同衾相手としての中臈…、その中臈との、
「同衾の模様」
それに聞き耳を立て、翌朝、その御添寝役の中臈は共に、「同衾の模様」に「聞き耳」を立てていた御伽坊主共々、将軍附の年寄の許へと出向いてその、「同衾の模様」を報告するのであった。
これは同衾相手…、例えば中臈が将軍とのその「同衾」の機会を利用して、
「一家を取り立てて欲しい…」
などと将軍に「おねだり」をしないとも限らず、それを防ぐべく、御伽坊主が中臈と共に、
「同衾の模様…」
それに聞き耳を立てることで、同衾相手である、例えば中臈に対して「おねだり」をさせぬよう、「プレッシャー」をかけるわけである。
「閨房の監視」
それにはそのような意味合いが含まれていた。ちなみに同衾相手が御台所…、正室の場合には、「閨房の監視」はなかった。
ともあれ御伽坊主は将軍に附属し、その雑用を務めるので、それゆえ御台所…、正室と言えども濫りに使役することは許されなかった。
だが家治は直ぐに別の疑問が浮かんだ。
「余に仕えし坊主が何ゆえに、砂野が種姫に中年寄として仕えるようになったか、その経緯を存じておるのか…」
ということであった。
すると家治のその疑問を受けた直令は、
「されば眞更は畏れ多くも上様に御伽坊主として附属せし…、仕え奉りし前は、西之丸にて畏れ多くも大納言様に附属…、仕え奉りしゆえ…」
そう説明して、家治の目を丸くさせた。
「そうであったか…、いや、あの眞更が家基に仕えていたとは…」
家治は感慨深げにそう言うと、
「やはり…、家基にも御伽坊主として仕えていたのか?」
直令にそう尋ねた。家基が西之丸にて暮らしていたのは十代の頃に過ぎなかったが、それでもその家基にも中臈も附属していれば、御伽坊主も勿論、附属していた。
「されば眞更は家基にも坊主として仕えていたのか?」
家治のその問いに対して、直令はしかし、「いいえ」と答えた。
「してその眞更は如何な役にて家基に仕えていたのだ?」
「確か、呉服之間であったかと…」
直令がそう答えたので、家治は「成程…」と合点がいった。
それと言うのも、将軍に附属するこの御伽坊主という「ポスト」は呉服之間という「ポスト」から異動を果たしてくるケースが圧倒的に多かったからだ。
無論、例外的なケースもあるにはあるが、それでもやはり、呉服之間から異動してくるケースが圧倒的であった。
ちなみにこの呉服之間とは、何かの部屋の名前のようにも思われるかも知れないが、歴とした役名であり、呉服という名から察せられるように、裁縫を掌る役目で、この呉服之間は将軍・御台所、両者に附属する役であった。
そして眞更は家基に呉服之間として仕えていたと言うからには、家基附の呉服之間であったのだろう。
「相分かった。されば眞更をここへ…、中奥の御休息之間へと召し出そうぞ…」
家治はそう断を下した。眞更より、砂野が種姫の中年寄に取り立てられた経緯について訊ねるのは明らかであり、しかも都合の良いことに、今の眞更は中奥に出入りが許されている御伽坊主であったのだ。
それゆえ家治がその眞更を今直ぐにここ中奥にある御休息之間へと召し出すことにしたのは至極当然の判断と言えた。
「されば如何なる名目にて…」
眞更を呼び出すつもりか…、留守居の高井直熙が尋ねた。
「余が意知たちに家基が死の真相を探るよう命じたは既に周知の事実なれば、ここは堂々と召し出すが常道であろう…」
家基の死の真相について訊ねたいことがあるので…、そう堂々と理由を告げて眞更を呼び出すのが一番…、家治はそう答えた。
確かに家治の言う通りであり、コソコソと…、あれこれと尤もらしい、偽りの口実にて呼び出すよりも堂々と呼び出した方が良い。
そうと決めた家治は今度は宿直の小納戸に命じて、大奥と繋ぎを取らせて、御伽坊主の眞更を御休息之間へと呼び出した。
家治が御伽坊主の眞更を呼び出すべく、大奥との繋ぎを小姓ではなく、小納戸に命じたのは他でもない、将軍が大奥に「奥泊」を果たす際には事前に中奥サイドと大奥サイドで連絡・調整を行う必要があるのだが、その際、中奥サイドよりは奥之番の小納戸が、そして大奥サイドよりは御錠口が、それぞれ姿を見せ、この両者が連絡・調整に当たるのであった。
そして幸いにも今夜の宿直の小納戸の中にはその奥之番を兼務する者が含まれており、そこで家治はこの奥之番の小納戸に大奥との繋ぎを命じたというわけだ。
さて、こうして将軍・家治の御前に連れて来られた眞更は50代後半の女性、それも法体姿であった。つまりは頭を丸めていた。
御伽坊主は大抵、50代以上の者がなるお役でもあるので、その点でも眞更は正に、
「年相応…」
と言えた。
家治はその眞更に対してもやはり一切の挨拶も、そして前置きも抜きにして、いきなり単刀直入に訊ねた。
即ち、砂野が種姫の中年寄に取り立てられた経緯について訊ねたのであった。
「されば砂野様…、いえ、砂野は元は、お千穂の方様に附属せし中臈にて…」
御伽坊主にとっては中年寄はそれこそ、
「雲の上のよう…」
そのような存在なのであろう。それゆえ眞更はつい、いつもの癖で、
「砂野様…」
そう「様」という最高敬称を用いて砂野のことを呼んでしまい、しかし、眞更はこの場が…、今、己が座している場が将軍・家治の御前であることに気付くと、慌てて、「砂野…」とそう呼び捨てにしたのであった。将軍の御前においては中年寄であっても「様」という最高敬称を用いることは元より、「殿」という敬称を用いることさえ許されてはいなかったからだ。
それに対して千穂は最早、亡くなったとは言え、次期将軍であった家基の母堂…、生みの母であるので、その千穂に対しては憚ることなく、
「様」
という最高敬称を用いることができた。
さて、眞更より、砂野が元は千穂の中臈だと聞かされた家治は、その砂野が何ゆえ、千穂附の中臈から種姫附の中年寄へと異動を果たしたのか、その理由…、経緯について眞更に改めて訊ねた。
「されば砂野がたっての望みにて…」
「砂野が種姫の中年寄を務めたいと、左様に願い出たと?」
「御意にござりまする…」
「して、それはいつのことぞ?」
「されば…、正確なる日時までは覚えておりませぬが…」
眞更はそう前置きした。それが普通であり、家治もそう考えればこそ、「構わぬ」と眞更を促した。
「ははっ。されば玉澤たち、お千穂の方様に仕え奉りし奥女中が西之丸の大奥より本丸の大奥へと移りましたる時だったかと…」
つまりは萬壽姫が亡くなり、しかも、種姫たちが西之丸の大奥入りを果たした安永4(1775)年の11月の以前ということになる。
「されば…、砂野は引き続き、西之丸に残り、種姫を迎えたと申すか?」
「いえ、いったんは玉澤たちと共に、本丸の大奥へと…、お千穂の方様がお待ちあそばされし本丸の大奥へと戻りしましてござりまする…」
「されば…、砂野は種が西之丸の大奥へと入りし後、本丸の大奥より西之丸の大奥へと、種に仕えるべく、あがったと申すか?」
「御意にござりまする…」
千穂附の中臈であった砂野が自ら望んで種姫附の中年寄になったとは、これでいよいよもって、砂野が種姫の毒見役としての「職権」を濫用して、大奥にて夕食を摂った家基のその夕食に毒物を…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを混入した疑いが強まった。
「して…、砂野が種に仕えし中年寄に就きしその詳しい経緯は存じておらぬか?」
家治は眞更に対して更に詳しい説明を求めたものの、しかし、眞更もそこまでは把握していない様子であり、「さぁ…」と首をかしげるばかりであった。確かに当時は呉服之間として家基に仕えていた眞更がこれ以上の詳しい事情を把握しているとも思えなかった。
それから家治は眞更の労を労うと、退がらせ、それから家治は意知たちに意見を求めた。
「されば…、もそっと詳しい事情を知りたいところではあるが…」
家治が意知たちにそう語りかけると、それに対して直熙が真っ先に反応した。
「お千穂の方様に中臈として仕え奉りし砂野が畏れ多くも種姫様に仕え奉りし中年寄へと異動せし、もそっと詳しい経緯について、でござりまするな?」
「左様…」
「されば種姫様が老女…、年寄を務めし向坂に訊ねるべきやに…」
確かに直熙の言う通りであろう。何しろ向坂は種姫に附属する年寄…、それも種姫が家基の御台所、いや、正確には婚約者として西之丸の大奥入りを果たした当初より、その種姫に年寄として仕えており、そうであれば…、その向坂なれば、千穂に中臈として附属…、仕えていた砂野が種姫附の中年寄へと異動を果たしたその詳しい経緯についても把握している筈であった。
「されば…、畏れながら上様よりお訊ねあそばされましては如何でござりましょうや…」
直熙のその提案に家治は目を丸くした。
「余が直々に向坂に訊ねるのか?」
「御意…、されば…、本来なれば向坂をここへ召し出しその詳しい経緯につき訊ねるべきところ…、なれど向坂は年寄にて…」
中奥への出入りが許されている御伽坊主とは違う…、直熙はそう示唆し、
「確かに…」
と家治をそう頷かせた。
「されば…、畏れ多くも上様にあらせられましては、朝の総触れの機会がござりますれば…」
将軍は毎朝、朝の五つ半(午前9時頃)になると上下に太刀と脇差、所謂、
「大小二本差し」
という出で立ちで大奥へと渡り、その大奥の御仏間という部屋へと足を向ける。御仏間には将軍家代々の位牌が安置されており、将軍はその位牌に向かって冥福を祈るのが毎朝の日課であった。
そしてそれが終わるのが半刻(約1時間)後の昼四つ(午前10時頃)であり、すると将軍は今度は御小座敷という部屋へと移動し、そこで御台所や年寄、中臈たちの挨拶を受けるのであった。
尤も今は…、今の将軍・家治には御台所…、正室はおらず、畢竟、側室、いや、
「お部屋様」
である千穂や、或いは養女の種姫が年寄たちと共に家治に挨拶するのであった。ちなみに家基は既に亡いものの、しかし、それで千穂が一度、手に入れた、
「お部屋様」
その地位が剥奪されるわけではなく、千穂は今でも…、次期将軍であった我が子・家基が亡くなった今でも、
「お部屋様」
として大奥に君臨しており、それゆえ大奥での序列においては将軍・家治の養女に過ぎない種姫よりも上であった。
それは兎も角、その朝の総触れには年寄も参加…、御小座敷にて将軍に挨拶をするので、種姫に年寄として附属…、仕える向坂も含まれており、成程、そうであれば、
「朝の総触れ…」
その機会を利用して向坂より砂野が種姫に中年寄として附属…、仕えるようになった詳しい経緯について訊ねるのが最善の策と言えた。
「相分かった。余が直々に向坂に訊ねてみようぞ…」
家治がそう断を下すや、意知たち一同は一斉に、
「ははぁっ」
そう声を上げつつ、平伏してこれに応じてみせた。
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