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大奥篇 ~倫子、萬壽姫、千穂、そして種姫~
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種姫…、家基の婚約者にして、御三卿の田安宗武の娘であった。ちなみに、松平定信の妹、それも同腹であった。
将軍・家治はかねてより御三卿の一橋治済を警戒していた。家治は愛息・家基がまだ健在の頃より、一橋治済が、
「天下盗り…」
その野望に燃えていることを看取し、そこで将軍・家治は御三卿の一橋家を浮き上がらせるべく…、要は孤立させるべく、実弟にして御三卿の清水家の当主である重好と交流を深めると同時に…、要は仲良くすると同時に、同じく御三卿のそれも筆頭である田安家の息女の種姫を愛息・家基の婚約者と定め、家治は種姫をまずは己の養女とした上で、家基が住まう西之丸の大奥へと種姫を迎え入れたのであった。それが安永4(1775)年の11月のことであった。
その西之丸の大奥には既に家基の実母である千穂こと、お千穂の方がおり、それも西之丸の大奥を支配していた。
千穂は家基の実母であると同時に、いや、実母である前に、と言うべきであろうか、将軍・家治の側室であった。
そして、千穂はその将軍・家治との間に嫡男、即ち、次期将軍たる家基をもうけたのであった。
そうであれば千穂は所謂、
「お部屋様」
であり、本来ならば本丸の大奥にて暮らさねばならなかった。
だがその頃…、千穂が家基を生んだ宝暦12(1762)年10月25日、本丸の大奥には既に御台所の倫子が鎮座しており、しかもその倫子が生んだ千代姫もとい萬壽姫までもが控えており、大奥における千穂の席次たるや、御台所の倫子は元より、その娘の千代姫もとい萬壽姫の下であった。
千穂としては己の席次が御台所…、つまりは将軍の「本妻」である倫子の下というのは理解出来るとしても、その娘に過ぎない、それもまだ1歳に過ぎない千代姫もとい萬壽姫の下というのはどうにも理解出来ず、また何より我慢ならなかった。
それゆえ千穂は将軍・家治に対して度々、西之丸の大奥へと家基と共に引き移りたいと希ったものの、家治がそれを許さなかった。
それと言うのも家治は家基を愛妻の倫子の手許で育てさせるつもりであったからだ。それゆえ家治は千穂の「我儘」を許さなかったのだ。
それでも明和3(1766)年の4月7日に家基が3歳で元服し、更にそれから3年後の明和6(1769)年の12月9日、7歳となった家基は次期将軍として西之丸入りを果たすこととなり、そこで実母の千穂も、
「家基の面倒を見るべく…」
その名目にて漸くに千穂はかねて望んでいた通り、家基と共に西之丸へと引き移ることが叶ったのであった。
何しろ家基は元服して3年以上が経過したとは言え、未だ7歳に過ぎず、まだまだ母親が必要な年頃であり、しかし、征夷大将軍の世子…、正統なる後継者である以上、元服した上は、それも元服から3年以上が経過している上は、
「家基こそが次期将軍である…」
それを周囲に、いや、天下に周知徹底させるべく、次期将軍の住まう城とも言うべき西之丸へと引き移る必要があった。
そこで家基は実母の千穂と共に、西之丸入りを果たしたのであった。将軍・家治も最早、千穂の「我儘」を認めないわけにはゆかなかった。まさかに将軍の「本妻」である倫子を西之丸へと移すわけにはゆかなかったからだ。
こうして我が子・家基と共に西之丸へと、それも己は大奥へと引き移った千穂はその西之丸の大奥にて大いに権勢を振るったものである。
それが明和8(1771)年の8月20日に将軍・家治の愛妻・倫子が薨去、いや、毒殺されるや、家治は千穂に対して本丸の大奥へと戻るようすすめたのであった。
何しろ家基は最早、8歳、10月で9歳になる。母親と離れても…、
「子離れ…」
それをしても、そろそろ問題のない年頃であろう。
だが千穂は、
「家基にはまだまだ母親が必要な年頃…」
そう言って譲らず、家治のすすめを拒否したのであった。
尤も、それはあくまで表向きの理由に過ぎず、実際には、
「本丸の大奥には依然として萬壽姫がいるから…」
それこそが、千穂が西之丸の大奥から本丸の大奥へと引き移ることを、いや、再び戻ることを拒んだ理由であった。
それと言うのも、萬壽姫は家基よりも1歳年上に過ぎないにもかかわらず、大奥の席次という点においてはこの萬壽姫の方が、千穂よりも上であった。
家基の生母である千穂からすれば、その家基より1歳年上に過ぎない萬壽姫などそれこそ、
「娘も同然…」
そうであっただろう。だが萬壽姫は将軍・家治の御台所…、正室の倫子が将軍・家治との間に生んだ子というわけで、将軍・家治とその御台所である倫子の血を引いている萬壽姫は家治の側室に過ぎない千穂よりも大奥の席次においては上であった。
何しろ千穂は側室として将軍・家治との間に家基という立派な世子…、次期将軍を産み落としたにもかかわらず、この段階では…、御台所の倫子が薨去した明和8(1771)年の段階ではまだ、
「お内証様…」
そう呼ばれており、つまりは一介の側室扱いであったのだ。本来ならば、
「お部屋様…」
そう呼ばれて然るべきであるにもかかわらず、である。
これは将軍・家治の意思、それも、
「側室よりも正室を大事にしたい…」
との強い意思のあらわれによるものであった。
それと言うのも千穂が一介の側室である、
「お内証様…」
それから、次期将軍の生母を意味する、
「お部屋様…」
それへと名を改めれば、大奥での席次に変動が起きるからだ。
即ち、一介の側室を意味する、いや、それに過ぎない、
「お内証様」
それから、次期将軍の生母を意味する、
「お部屋様」
それへと名を改めれば、大奥での席次は御台所の次席となり、仮に、御台所に娘がいたとして、その娘は例え、御台所の実娘だとしても、次期将軍の生母である「お部屋様」には敵わないのであった。
千穂と萬壽姫との関係が正にそうで、千穂は家基という、「次期将軍」を将軍・家治との間に産み落とす前までは一介の側室として、つまりは、
「お内証様」
として、将軍の正室たる御台所の倫子に対しては元より、倫子が将軍・家治との間に産み落とした娘の萬壽姫に対しても席次が、つまりは立場が下であった。
それが、千穂が将軍・家治との間に家基という「次期将軍」を産み落としたことから、本来なれば、千穂は、
「お部屋様…」
それへと昇格を果たす筈であり、千穂自身もそう信じて疑わなかったものの、しかし、将軍・家治がそれを許さなかったのだ。
「千穂はあくまで、内証に留め置く…」
それが家治の意思であった。無論、愛妻の倫子と愛娘の萬壽姫のためであった。
家治は愛妻家であり、それゆえ倫子を愛していた。そして倫子が生んだ萬壽姫も、倫子と同様に愛していた。
だが家治は生憎、千穂はそれ程、愛してはいなかった。いや、家基を生んでくれたことには感謝していた。そして家治は千穂が生んでくれた家基も、倫子や萬壽姫同様、愛していた。
だが家治は生憎、千穂だけはそれ程、愛することができなかった。言うなれば、
「子を産む道具…」
それに過ぎず、そしてその役目を果たしてくれた千穂は家治からすれば、
「用済み…」
今やそうであった。いや、無論、家基という立派な世子を生んでくれた上は、家治としても千穂には一生涯、何不自由ない生活を送らせてやるつもりであった。それこそ、
「一生、遊んで暮らせる…」
千穂にはそのような生活を保障するつもりでおり、また実際、家治は千穂が望むものは何でも買い与えた。
だが席次だけは別であった。即ち、大奥における席次のトップとその次席だけは千穂に譲るつもりはなく、それゆえ家治は家基という立派な世子を生んだ千穂を、「お部屋様」に昇格させることなく、いつまでも「お内証様」に、つまりは一介の側室に留め置いたというわけだ。
だが当たり前だが家治のこの措置は千穂当人の大反発を招いてしまったことは勿論、千穂附の奥女中からの大反発をも招いてしまった。
その急先鋒が千穂附の年寄の玉澤と中年寄の長尾であった。
玉澤と長尾は実は姉妹でもあり、家治が大奥に渡った折にはこの玉澤・長尾姉妹が揃って、
「何ゆえに、お千穂の方様をいつまでも、お内証の地位に留め置くのでござりまするかっ!」
将軍・家治に対してそう猛抗議したものであり、これに他の千穂附の女中たちが続いた。
だがそれに対して、御台所附の女中たち、即ち、倫子に附属する年寄を始めとする女中たちや、或いは萬壽姫附の女中たち、即ち、萬壽姫に附属する女中たちは将軍・家治のこの措置…、千穂を「お部屋様」ではなく、「お内証様」に留め置くことに賛意を示した。とりわけ萬壽姫に附属する女中たちが大賛成した。
それも当然の話であり、御台所やその息女、或いは側室の地位はそのまま、彼女らに附属する女中たちの地位にも反映されるからだ。
即ち、側室である千穂が次期将軍となる将軍世子を生んだにもかかわらず、「お部屋様」とはならずに依然として、一介の側室である「お内証様」の地位に留まる限り、千穂に附属する女中たち…、玉澤や長尾といった千穂附の女中たちは御台所である倫子附の女中たちは元より、その息女である萬壽姫附の女中に対しても傅かねばならなかった。
いや、例え千穂が次期将軍…、将軍世子の実母として、晴れて「お部屋様」へと昇格を果たしたところで、御台所である倫子には敵わない。つまり千穂は大奥の席次においては永遠に倫子の下に位置づけられる。
だがその…、御台所の倫子の息女…、実娘である萬壽姫ともなるとそうはいかない。何しろ、千穂が一介の側室、即ち、「お内証様」でいる限りは御台所の息女である萬壽姫の方が千穂よりも席次が上だからだ。
つまりは萬壽姫に附属する女中たちにしても、千穂に附属する女中たちよりも、
「大奥の席次においては上…」
というわけで、それが一転、千穂がその「お内証様」から「お部屋様」へと昇格するや、千穂と萬壽姫の立場は逆転、今度は千穂が萬壽姫の上に位置し、そうであれば千穂に附属する女中たちにしても、萬壽姫に附属する女中たちよりも上に位置することができるので、そうであれば、千穂と萬壽姫、と言うよりは千穂に附属する女中たちと萬壽姫に附属する女中たちとの「バトル」は「ヒートアップ」した。
いや、萬壽姫自身は、
「育ちの良さ…」
それが手伝い、側室の千穂が「お部屋様」として己の上に位置することに何らこだわりを持たなかった。
だが萬壽姫自身はそれで良くとも、萬壽姫に附属する女中たちがそれを許さなかったのだ。萬壽姫に附属する女中たちは生憎、自らが仕える萬壽姫のように決して、
「育ちが良い…」
というわけではなく、それゆえ席次というものを大いに気にした。
そしてそれは千穂附の女中たちにしても同じことが言えた。いや、千穂自身も萬壽姫とは…、生まれながらにして姫君である萬壽姫とは違い、決して「育ちが良い…」わけではなかったので、千穂当人もその「バトル」に「参戦」する始末であり、これには萬壽姫は元より、その実母である御台所の倫子も大いに往生した、と言うよりはその「見苦しさ」に見かねた。
何しろ千穂当人までが己に附属する年寄の玉澤やその妹で中年寄の長尾を始めとする女中たちと一緒になって、萬壽姫に附属する女中たちと、
「罵り合戦…」
それに興じていたからだ。
いや、そのような「罵り合戦」を見苦しいと感じていたのは倫子や萬壽姫母子のみならず、倫子に附属する女中、とりわけ倫子と共に京の都よりこの江戸へとはるばる下向してきた花薗と飛鳥井にしてもそうであった。
花薗と飛鳥井は共に公卿の娘であり、閑院宮直仁親王の息女である倫子が将軍・家治の許へと嫁す折、その倫子の「御附」として倫子共々、江戸へと下向し、そして倫子が将軍・家治と結ばれ、江戸城本丸の大奥へと入るや、花薗と飛鳥井も上臈年寄として御台所となった倫子に仕えるようになった。
尤も、上臈年寄は御台所の「お話相手」に過ぎず、それゆえ年寄のように政治的な実権があるわけではなかった。
それでも花薗にしろ飛鳥井にしろ、倫子の「お話相手」として日頃より、倫子の話に付き合ううち、倫子が側室の千穂とその御附の女中たちと一緒になって、萬壽姫附の女中たちとの間で、見苦しいまでの「バトル」を演じていることに心を痛めていることに気付き、そこで花薗と飛鳥井は同じく、倫子に附属する年寄の初崎に相談した。
初崎もまた、倫子附の年寄であった。一応、立場的には上臈年寄の花薗と飛鳥井の方が年寄の初崎よりも上であったが、しかし、実際には年寄の初崎こそ政治的な実権を握っていた。
しかもこの初崎は次期将軍とも言うべき世子の家基の乳母をも務めたことから年寄の中でも特に、それも中々に「羽振り」が良かった。
将軍・家治は側室の千穂が生んだ家基を愛妻の倫子に育てさせる決断をした。さしずめ、
「愛妻家の面目躍如…」
といったところであろうか。だが、生憎、倫子はお乳が出なかったので、こればかりはどうにもならないと、そこで家治は倫子に年寄として仕えていた初崎に家基の乳母を命じたのであった。
その初崎は千穂と彼女に附属する奥女中の謂わば「連合軍」VS萬壽姫附の「バトル」を内心、面白がっていたものの、しかし、こうして上臈年寄の花薗と飛鳥井から、
「倫子がそのバトルに心を痛めている…」
そのように相談を持ちかけられては、初崎としても面白がってばかりもいられなかった。倫子が心痛の余り、病気にでもなれば、その上、斃れるようなことにでもなれば、倫子附の年寄としての立場がなくなってしまうからだ。
要は御台所附の年寄として、「羽振り」を利かせることができなくなってしまうかだ。
それを恐れた初崎は真っ先に、将軍・家治に附属する年寄の松島と高岳の両者の許へと駆け込み、事の次第を告げた上で、
「何とかして欲しい…」
初崎は松島と高岳にそう泣き付いたのであった。
ちなみにこの頃…、家基が生まれた宝暦12年頃の江戸城本丸の大奥には御台所である倫子附の女中とその息女の萬壽姫附の女中、それに側室である千穂附の女中の他に、将軍・家治附の女中が存在し、分けても一番年寄の松島と二番年寄の高岳の威勢たるや、初崎の比ではなく、初崎もそのことを「ヒシヒシ…」実感していればこそ、その松島と高岳を頼ったのであった。
そして初崎より相談を受けた松島と高岳が出した結論こそが、
「家基が元服したら西之丸へと引き移ること、その際、家基の生母…、母堂の千穂も、それから千穂に附属する奥女中たちも一緒に西之丸のそれも大奥へと引き移ること…」
という解決策、もとい妥協案であった。
家治としてはあくまで、千穂を「お内証様」に留め置くつもりらしい…、そうと察して松島と高岳は千穂とその一派とも言うべき奥女中たちを本丸の大奥から西之丸の大奥へと引き移らせることによりこの問題の解決を図ろうとしたのであった。
それに対して家治も自身が、
「諸悪の根源…」
その側面があり、またそのことを自覚していたので、松島と高岳によるこの妥協案に頷かざるを得なかった。
尤も、家基が晴れて元服を果たしたのは明和3(1766)年の4月7日、3歳の時であり、本来ならばその時点で西之丸入りを果たすべきところ、養母であった倫子が中々に家基を手放そうとはせず、結局、それから3年以上が経過した明和6(1769)年のそれも12月9日、家基が7歳になって暫く経った後に漸くに倫子も家基を手放すことに同意した。
家基はそれまで大奥にて育てられていたのだが、家基は既に7歳、武門の棟梁たる征夷大将軍の世子たる者、7歳にもなって大奥にて暮らすというのは決して健全ではない…、と言うよりも諸大名や旗本、御家人たちに対して示しがつかない。
ともあれ家基は実母の千穂と、それに千穂に仕える奥女中たちと共に本丸の大奥より西之丸へと引き移り、家基は中奥入りを、千穂と奥女中たちは大奥入りをそれぞれ果たしたのであった。
将軍・家治はかねてより御三卿の一橋治済を警戒していた。家治は愛息・家基がまだ健在の頃より、一橋治済が、
「天下盗り…」
その野望に燃えていることを看取し、そこで将軍・家治は御三卿の一橋家を浮き上がらせるべく…、要は孤立させるべく、実弟にして御三卿の清水家の当主である重好と交流を深めると同時に…、要は仲良くすると同時に、同じく御三卿のそれも筆頭である田安家の息女の種姫を愛息・家基の婚約者と定め、家治は種姫をまずは己の養女とした上で、家基が住まう西之丸の大奥へと種姫を迎え入れたのであった。それが安永4(1775)年の11月のことであった。
その西之丸の大奥には既に家基の実母である千穂こと、お千穂の方がおり、それも西之丸の大奥を支配していた。
千穂は家基の実母であると同時に、いや、実母である前に、と言うべきであろうか、将軍・家治の側室であった。
そして、千穂はその将軍・家治との間に嫡男、即ち、次期将軍たる家基をもうけたのであった。
そうであれば千穂は所謂、
「お部屋様」
であり、本来ならば本丸の大奥にて暮らさねばならなかった。
だがその頃…、千穂が家基を生んだ宝暦12(1762)年10月25日、本丸の大奥には既に御台所の倫子が鎮座しており、しかもその倫子が生んだ千代姫もとい萬壽姫までもが控えており、大奥における千穂の席次たるや、御台所の倫子は元より、その娘の千代姫もとい萬壽姫の下であった。
千穂としては己の席次が御台所…、つまりは将軍の「本妻」である倫子の下というのは理解出来るとしても、その娘に過ぎない、それもまだ1歳に過ぎない千代姫もとい萬壽姫の下というのはどうにも理解出来ず、また何より我慢ならなかった。
それゆえ千穂は将軍・家治に対して度々、西之丸の大奥へと家基と共に引き移りたいと希ったものの、家治がそれを許さなかった。
それと言うのも家治は家基を愛妻の倫子の手許で育てさせるつもりであったからだ。それゆえ家治は千穂の「我儘」を許さなかったのだ。
それでも明和3(1766)年の4月7日に家基が3歳で元服し、更にそれから3年後の明和6(1769)年の12月9日、7歳となった家基は次期将軍として西之丸入りを果たすこととなり、そこで実母の千穂も、
「家基の面倒を見るべく…」
その名目にて漸くに千穂はかねて望んでいた通り、家基と共に西之丸へと引き移ることが叶ったのであった。
何しろ家基は元服して3年以上が経過したとは言え、未だ7歳に過ぎず、まだまだ母親が必要な年頃であり、しかし、征夷大将軍の世子…、正統なる後継者である以上、元服した上は、それも元服から3年以上が経過している上は、
「家基こそが次期将軍である…」
それを周囲に、いや、天下に周知徹底させるべく、次期将軍の住まう城とも言うべき西之丸へと引き移る必要があった。
そこで家基は実母の千穂と共に、西之丸入りを果たしたのであった。将軍・家治も最早、千穂の「我儘」を認めないわけにはゆかなかった。まさかに将軍の「本妻」である倫子を西之丸へと移すわけにはゆかなかったからだ。
こうして我が子・家基と共に西之丸へと、それも己は大奥へと引き移った千穂はその西之丸の大奥にて大いに権勢を振るったものである。
それが明和8(1771)年の8月20日に将軍・家治の愛妻・倫子が薨去、いや、毒殺されるや、家治は千穂に対して本丸の大奥へと戻るようすすめたのであった。
何しろ家基は最早、8歳、10月で9歳になる。母親と離れても…、
「子離れ…」
それをしても、そろそろ問題のない年頃であろう。
だが千穂は、
「家基にはまだまだ母親が必要な年頃…」
そう言って譲らず、家治のすすめを拒否したのであった。
尤も、それはあくまで表向きの理由に過ぎず、実際には、
「本丸の大奥には依然として萬壽姫がいるから…」
それこそが、千穂が西之丸の大奥から本丸の大奥へと引き移ることを、いや、再び戻ることを拒んだ理由であった。
それと言うのも、萬壽姫は家基よりも1歳年上に過ぎないにもかかわらず、大奥の席次という点においてはこの萬壽姫の方が、千穂よりも上であった。
家基の生母である千穂からすれば、その家基より1歳年上に過ぎない萬壽姫などそれこそ、
「娘も同然…」
そうであっただろう。だが萬壽姫は将軍・家治の御台所…、正室の倫子が将軍・家治との間に生んだ子というわけで、将軍・家治とその御台所である倫子の血を引いている萬壽姫は家治の側室に過ぎない千穂よりも大奥の席次においては上であった。
何しろ千穂は側室として将軍・家治との間に家基という立派な世子…、次期将軍を産み落としたにもかかわらず、この段階では…、御台所の倫子が薨去した明和8(1771)年の段階ではまだ、
「お内証様…」
そう呼ばれており、つまりは一介の側室扱いであったのだ。本来ならば、
「お部屋様…」
そう呼ばれて然るべきであるにもかかわらず、である。
これは将軍・家治の意思、それも、
「側室よりも正室を大事にしたい…」
との強い意思のあらわれによるものであった。
それと言うのも千穂が一介の側室である、
「お内証様…」
それから、次期将軍の生母を意味する、
「お部屋様…」
それへと名を改めれば、大奥での席次に変動が起きるからだ。
即ち、一介の側室を意味する、いや、それに過ぎない、
「お内証様」
それから、次期将軍の生母を意味する、
「お部屋様」
それへと名を改めれば、大奥での席次は御台所の次席となり、仮に、御台所に娘がいたとして、その娘は例え、御台所の実娘だとしても、次期将軍の生母である「お部屋様」には敵わないのであった。
千穂と萬壽姫との関係が正にそうで、千穂は家基という、「次期将軍」を将軍・家治との間に産み落とす前までは一介の側室として、つまりは、
「お内証様」
として、将軍の正室たる御台所の倫子に対しては元より、倫子が将軍・家治との間に産み落とした娘の萬壽姫に対しても席次が、つまりは立場が下であった。
それが、千穂が将軍・家治との間に家基という「次期将軍」を産み落としたことから、本来なれば、千穂は、
「お部屋様…」
それへと昇格を果たす筈であり、千穂自身もそう信じて疑わなかったものの、しかし、将軍・家治がそれを許さなかったのだ。
「千穂はあくまで、内証に留め置く…」
それが家治の意思であった。無論、愛妻の倫子と愛娘の萬壽姫のためであった。
家治は愛妻家であり、それゆえ倫子を愛していた。そして倫子が生んだ萬壽姫も、倫子と同様に愛していた。
だが家治は生憎、千穂はそれ程、愛してはいなかった。いや、家基を生んでくれたことには感謝していた。そして家治は千穂が生んでくれた家基も、倫子や萬壽姫同様、愛していた。
だが家治は生憎、千穂だけはそれ程、愛することができなかった。言うなれば、
「子を産む道具…」
それに過ぎず、そしてその役目を果たしてくれた千穂は家治からすれば、
「用済み…」
今やそうであった。いや、無論、家基という立派な世子を生んでくれた上は、家治としても千穂には一生涯、何不自由ない生活を送らせてやるつもりであった。それこそ、
「一生、遊んで暮らせる…」
千穂にはそのような生活を保障するつもりでおり、また実際、家治は千穂が望むものは何でも買い与えた。
だが席次だけは別であった。即ち、大奥における席次のトップとその次席だけは千穂に譲るつもりはなく、それゆえ家治は家基という立派な世子を生んだ千穂を、「お部屋様」に昇格させることなく、いつまでも「お内証様」に、つまりは一介の側室に留め置いたというわけだ。
だが当たり前だが家治のこの措置は千穂当人の大反発を招いてしまったことは勿論、千穂附の奥女中からの大反発をも招いてしまった。
その急先鋒が千穂附の年寄の玉澤と中年寄の長尾であった。
玉澤と長尾は実は姉妹でもあり、家治が大奥に渡った折にはこの玉澤・長尾姉妹が揃って、
「何ゆえに、お千穂の方様をいつまでも、お内証の地位に留め置くのでござりまするかっ!」
将軍・家治に対してそう猛抗議したものであり、これに他の千穂附の女中たちが続いた。
だがそれに対して、御台所附の女中たち、即ち、倫子に附属する年寄を始めとする女中たちや、或いは萬壽姫附の女中たち、即ち、萬壽姫に附属する女中たちは将軍・家治のこの措置…、千穂を「お部屋様」ではなく、「お内証様」に留め置くことに賛意を示した。とりわけ萬壽姫に附属する女中たちが大賛成した。
それも当然の話であり、御台所やその息女、或いは側室の地位はそのまま、彼女らに附属する女中たちの地位にも反映されるからだ。
即ち、側室である千穂が次期将軍となる将軍世子を生んだにもかかわらず、「お部屋様」とはならずに依然として、一介の側室である「お内証様」の地位に留まる限り、千穂に附属する女中たち…、玉澤や長尾といった千穂附の女中たちは御台所である倫子附の女中たちは元より、その息女である萬壽姫附の女中に対しても傅かねばならなかった。
いや、例え千穂が次期将軍…、将軍世子の実母として、晴れて「お部屋様」へと昇格を果たしたところで、御台所である倫子には敵わない。つまり千穂は大奥の席次においては永遠に倫子の下に位置づけられる。
だがその…、御台所の倫子の息女…、実娘である萬壽姫ともなるとそうはいかない。何しろ、千穂が一介の側室、即ち、「お内証様」でいる限りは御台所の息女である萬壽姫の方が千穂よりも席次が上だからだ。
つまりは萬壽姫に附属する女中たちにしても、千穂に附属する女中たちよりも、
「大奥の席次においては上…」
というわけで、それが一転、千穂がその「お内証様」から「お部屋様」へと昇格するや、千穂と萬壽姫の立場は逆転、今度は千穂が萬壽姫の上に位置し、そうであれば千穂に附属する女中たちにしても、萬壽姫に附属する女中たちよりも上に位置することができるので、そうであれば、千穂と萬壽姫、と言うよりは千穂に附属する女中たちと萬壽姫に附属する女中たちとの「バトル」は「ヒートアップ」した。
いや、萬壽姫自身は、
「育ちの良さ…」
それが手伝い、側室の千穂が「お部屋様」として己の上に位置することに何らこだわりを持たなかった。
だが萬壽姫自身はそれで良くとも、萬壽姫に附属する女中たちがそれを許さなかったのだ。萬壽姫に附属する女中たちは生憎、自らが仕える萬壽姫のように決して、
「育ちが良い…」
というわけではなく、それゆえ席次というものを大いに気にした。
そしてそれは千穂附の女中たちにしても同じことが言えた。いや、千穂自身も萬壽姫とは…、生まれながらにして姫君である萬壽姫とは違い、決して「育ちが良い…」わけではなかったので、千穂当人もその「バトル」に「参戦」する始末であり、これには萬壽姫は元より、その実母である御台所の倫子も大いに往生した、と言うよりはその「見苦しさ」に見かねた。
何しろ千穂当人までが己に附属する年寄の玉澤やその妹で中年寄の長尾を始めとする女中たちと一緒になって、萬壽姫に附属する女中たちと、
「罵り合戦…」
それに興じていたからだ。
いや、そのような「罵り合戦」を見苦しいと感じていたのは倫子や萬壽姫母子のみならず、倫子に附属する女中、とりわけ倫子と共に京の都よりこの江戸へとはるばる下向してきた花薗と飛鳥井にしてもそうであった。
花薗と飛鳥井は共に公卿の娘であり、閑院宮直仁親王の息女である倫子が将軍・家治の許へと嫁す折、その倫子の「御附」として倫子共々、江戸へと下向し、そして倫子が将軍・家治と結ばれ、江戸城本丸の大奥へと入るや、花薗と飛鳥井も上臈年寄として御台所となった倫子に仕えるようになった。
尤も、上臈年寄は御台所の「お話相手」に過ぎず、それゆえ年寄のように政治的な実権があるわけではなかった。
それでも花薗にしろ飛鳥井にしろ、倫子の「お話相手」として日頃より、倫子の話に付き合ううち、倫子が側室の千穂とその御附の女中たちと一緒になって、萬壽姫附の女中たちとの間で、見苦しいまでの「バトル」を演じていることに心を痛めていることに気付き、そこで花薗と飛鳥井は同じく、倫子に附属する年寄の初崎に相談した。
初崎もまた、倫子附の年寄であった。一応、立場的には上臈年寄の花薗と飛鳥井の方が年寄の初崎よりも上であったが、しかし、実際には年寄の初崎こそ政治的な実権を握っていた。
しかもこの初崎は次期将軍とも言うべき世子の家基の乳母をも務めたことから年寄の中でも特に、それも中々に「羽振り」が良かった。
将軍・家治は側室の千穂が生んだ家基を愛妻の倫子に育てさせる決断をした。さしずめ、
「愛妻家の面目躍如…」
といったところであろうか。だが、生憎、倫子はお乳が出なかったので、こればかりはどうにもならないと、そこで家治は倫子に年寄として仕えていた初崎に家基の乳母を命じたのであった。
その初崎は千穂と彼女に附属する奥女中の謂わば「連合軍」VS萬壽姫附の「バトル」を内心、面白がっていたものの、しかし、こうして上臈年寄の花薗と飛鳥井から、
「倫子がそのバトルに心を痛めている…」
そのように相談を持ちかけられては、初崎としても面白がってばかりもいられなかった。倫子が心痛の余り、病気にでもなれば、その上、斃れるようなことにでもなれば、倫子附の年寄としての立場がなくなってしまうからだ。
要は御台所附の年寄として、「羽振り」を利かせることができなくなってしまうかだ。
それを恐れた初崎は真っ先に、将軍・家治に附属する年寄の松島と高岳の両者の許へと駆け込み、事の次第を告げた上で、
「何とかして欲しい…」
初崎は松島と高岳にそう泣き付いたのであった。
ちなみにこの頃…、家基が生まれた宝暦12年頃の江戸城本丸の大奥には御台所である倫子附の女中とその息女の萬壽姫附の女中、それに側室である千穂附の女中の他に、将軍・家治附の女中が存在し、分けても一番年寄の松島と二番年寄の高岳の威勢たるや、初崎の比ではなく、初崎もそのことを「ヒシヒシ…」実感していればこそ、その松島と高岳を頼ったのであった。
そして初崎より相談を受けた松島と高岳が出した結論こそが、
「家基が元服したら西之丸へと引き移ること、その際、家基の生母…、母堂の千穂も、それから千穂に附属する奥女中たちも一緒に西之丸のそれも大奥へと引き移ること…」
という解決策、もとい妥協案であった。
家治としてはあくまで、千穂を「お内証様」に留め置くつもりらしい…、そうと察して松島と高岳は千穂とその一派とも言うべき奥女中たちを本丸の大奥から西之丸の大奥へと引き移らせることによりこの問題の解決を図ろうとしたのであった。
それに対して家治も自身が、
「諸悪の根源…」
その側面があり、またそのことを自覚していたので、松島と高岳によるこの妥協案に頷かざるを得なかった。
尤も、家基が晴れて元服を果たしたのは明和3(1766)年の4月7日、3歳の時であり、本来ならばその時点で西之丸入りを果たすべきところ、養母であった倫子が中々に家基を手放そうとはせず、結局、それから3年以上が経過した明和6(1769)年のそれも12月9日、家基が7歳になって暫く経った後に漸くに倫子も家基を手放すことに同意した。
家基はそれまで大奥にて育てられていたのだが、家基は既に7歳、武門の棟梁たる征夷大将軍の世子たる者、7歳にもなって大奥にて暮らすというのは決して健全ではない…、と言うよりも諸大名や旗本、御家人たちに対して示しがつかない。
ともあれ家基は実母の千穂と、それに千穂に仕える奥女中たちと共に本丸の大奥より西之丸へと引き移り、家基は中奥入りを、千穂と奥女中たちは大奥入りをそれぞれ果たしたのであった。
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