天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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大奥篇 ~倫子、萬壽姫、千穂、そして種姫~

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 種姫たねひめ…、家基いえもと婚約こんやくしゃにして、御三卿ごさんきょう田安たやす宗武むねたけの娘であった。ちなみに、松平定信の妹、それも同腹どうふくであった。

 将軍・家治はかねてより御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし治済はるさだ警戒けいかいしていた。家治は愛息あいそく家基いえもとがまだ健在けんざいの頃より、一橋ひとつばし治済はるさだが、

天下てんがり…」

 その野望やぼうに燃えていることを看取かんしゅし、そこで将軍・家治は御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし家をがらせるべく…、要は孤立こりつさせるべく、実弟じっていにして御三卿ごさんきょうの清水家の当主とうしゅである重好しげよし交流こうりゅうふかめると同時に…、要は仲良くすると同時に、同じく御三卿ごさんきょうのそれも筆頭ひっとうである田安たやす家の息女そくじょ種姫たねひめ愛息あいそく家基いえもと婚約こんやくしゃと定め、家治は種姫たねひめをまずは己の養女ようじょとした上で、家基いえもとが住まう西之丸にしのまるの大奥へと種姫たねひめむかえ入れたのであった。それが安永4(1775)年の11月のことであった。

 その西之丸にしのまるの大奥にはすで家基いえもと実母じつぼである千穂ちほこと、お千穂ちほの方がおり、それも西之丸にしのまるの大奥を支配していた。

 千穂ちほ家基いえもと実母じつぼであると同時に、いや、実母じつぼである前に、と言うべきであろうか、将軍・家治の側室そくしつであった。

 そして、千穂ちほはその将軍・家治との間に嫡男ちゃくなんすなわち、次期将軍たる家基いえもとをもうけたのであった。

 そうであれば千穂ちほ所謂いわゆる

「お部屋へやさま

 であり、本来ならば本丸ほんまるの大奥にてらさねばならなかった。

 だがその頃…、千穂ちほ家基いえもとを生んだ宝暦12(1762)年10月25日、本丸ほんまるの大奥にはすで御台所みだいどころ倫子ともこ鎮座ちんざしており、しかもその倫子ともこが生んだ千代ちよひめもとい萬壽ますひめまでもがひかえており、大奥における千穂ちほ席次せきじたるや、御台所みだいどころ倫子ともこは元より、その娘の千代ちよひめもとい萬壽ますひめの下であった。

 千穂ちほとしては己の席次せきじ御台所みだいどころ…、つまりは将軍の「本妻ほんさい」である倫子ともこの下というのは理解出来るとしても、その娘に過ぎない、それもまだ1歳に過ぎない千代ちよひめもとい萬壽ますひめの下というのはどうにも理解出来ず、また何より我慢がまんならなかった。

 それゆえ千穂ちほは将軍・家治に対して度々たびたび西之丸にしのまるの大奥へと家基いえもとと共に引き移りたいとこいねがったものの、家治がそれを許さなかった。

 それと言うのも家治は家基いえもと愛妻あいさい倫子ともこ手許てもとで育てさせるつもりであったからだ。それゆえ家治は千穂ちほの「我儘わがまま」を許さなかったのだ。

 それでも明和3(1766)年の4月7日に家基いえもとが3歳で元服げんぷくし、さらにそれから3年後の明和6(1769)年の12月9日、7歳となった家基いえもとは次期将軍として西之丸にしのまる入りをたすこととなり、そこで実母じつぼ千穂ちほも、

家基いえもと面倒めんどうを見るべく…」

 その名目めいもくにてようやくに千穂ちほはかねて望んでいた通り、家基いえもとと共に西之丸にしのまるへと引き移ることがかなったのであった。

 何しろ家基いえもと元服げんぷくして3年以上が経過けいかしたとは言え、いまだ7歳に過ぎず、まだまだ母親が必要な年頃としごろであり、しかし、征夷大将軍の世子せいし…、正統せいとうなる後継こうけいしゃである以上、元服げんぷくした上は、それも元服げんぷくから3年以上が経過けいかしている上は、

家基いえもとこそが次期将軍である…」

 それを周囲しゅういに、いや、天下てんが周知しゅうち徹底てっていさせるべく、次期将軍の住まう城とも言うべき西之丸にしのまるへと引き移る必要があった。

 そこで家基いえもと実母じつぼ千穂ちほと共に、西之丸にしのまる入りを果たしたのであった。将軍・家治も最早もはや千穂ちほの「我儘わがまま」を認めないわけにはゆかなかった。まさかに将軍の「本妻ほんさい」である倫子ともこ西之丸にしのまるへと移すわけにはゆかなかったからだ。

 こうして我が子・家基いえもとと共に西之丸にしのまるへと、それも己は大奥へと引き移った千穂ちほはその西之丸にしのまるの大奥にて大いに権勢けんせいるったものである。

 それが明和8(1771)年の8月20日に将軍・家治の愛妻あいさい倫子ともこ薨去こうきょ、いや、毒殺どくさつされるや、家治は千穂ちほに対して本丸ほんまるの大奥へと戻るようすすめたのであった。

 何しろ家基いえもと最早もはや、8歳、10月で9歳になる。母親と離れても…、

ばなれ…」

 それをしても、そろそろ問題のない年頃としごろであろう。

 だが千穂ちほは、

家基いえもとにはまだまだ母親が必要な年頃としごろ…」

 そう言ってゆずらず、家治のすすめを拒否したのであった。

 もっとも、それはあくまでおもてきの理由に過ぎず、実際には、

本丸ほんまるの大奥には依然いぜんとして萬壽ますひめがいるから…」

 それこそが、千穂ちほ西之丸にしのまるの大奥から本丸ほんまるの大奥へと引き移ることを、いや、ふたたもどることをこばんだ理由であった。

 それと言うのも、萬壽ますひめ家基いえもとよりも1歳年上に過ぎないにもかかわらず、大奥の席次せきじという点においてはこの萬壽ます姫の方が、千穂ちほよりも上であった。

 家基いえもと生母せいぼである千穂ちほからすれば、その家基いえもとより1歳年上に過ぎない萬壽ますひめなどそれこそ、

むすめ同然どうぜん…」

 そうであっただろう。だが萬壽ますひめは将軍・家治の御台所みだいどころ…、正室せいしつ倫子ともこが将軍・家治との間に生んだ子というわけで、将軍・家治とその御台所みだいどころである倫子ともこの血を引いている萬壽ますひめは家治の側室そくしつに過ぎない千穂ちほよりも大奥の席次せきじにおいては上であった。

 何しろ千穂ちほ側室そくしつとして将軍・家治との間に家基いえもとという立派りっぱ世子せいし…、次期将軍を産み落としたにもかかわらず、この段階だんかいでは…、御台所みだいどころ倫子ともこ薨去こうきょした明和8(1771)年の段階だんかいではまだ、

「お内証ないしょう様…」

 そう呼ばれており、つまりは一介いっかい側室そくしつあつかいであったのだ。本来ほんらいならば、

「お部屋へや様…」

 そう呼ばれてしかるべきであるにもかかわらず、である。

 これは将軍・家治の意思いし、それも、

側室そくしつよりも正室せいしつ大事だいじにしたい…」

 との強い意思いしのあらわれによるものであった。

 それと言うのも千穂ちほ一介いっかい側室そくしつである、

「お内証ないしょう様…」

 それから、次期将軍の生母せいぼを意味する、

「お部屋へや様…」

 それへと名を改めれば、大奥での席次せきじ変動へんどうが起きるからだ。

 すなわち、一介いっかい側室そくしつを意味する、いや、それに過ぎない、

「お内証ないしょう様」

 それから、次期将軍の生母せいぼを意味する、

「お部屋へや様」

 それへと名を改めれば、大奥での席次せきじ御台所みだいどころ次席じせきとなり、仮に、御台所みだいどころに娘がいたとして、その娘は例え、御台所みだいどころの実娘だとしても、次期将軍の生母せいぼである「お部屋へや様」にはかなわないのであった。

 千穂ちほ萬壽ますひめとの関係がまさにそうで、千穂ちほ家基いえもとという、「次期将軍」を将軍・家治との間に産み落とす前までは一介いっかい側室そくしつとして、つまりは、

「お内証ないしょう様」

 として、将軍の正室せいしつたる御台所みだいどころ倫子ともこに対しては元より、倫子ともこが将軍・家治との間に産み落とした娘の萬壽ますひめに対しても席次せきじが、つまりは立場たちばが下であった。

 それが、千穂ちほが将軍・家治との間に家基いえもとという「次期将軍」を産み落としたことから、本来ほんらいなれば、千穂ちほは、

「お部屋へや様…」

 それへと昇格しょうかくを果たすはずであり、千穂ちほ自身じしんもそう信じて疑わなかったものの、しかし、将軍・家治がそれを許さなかったのだ。

千穂ちほはあくまで、内証ないしょうとどく…」

 それが家治の意思いしであった。無論むろん愛妻あいさい倫子ともこ愛娘まなむすめ萬壽ますひめのためであった。

 家治は愛妻あいさいであり、それゆえ倫子ともこを愛していた。そして倫子ともこが生んだ萬壽ますひめも、倫子ともこと同様に愛していた。

 だが家治は生憎あいにく千穂ちほはそれほど、愛してはいなかった。いや、家基いえもとを生んでくれたことには感謝していた。そして家治は千穂ちほが生んでくれた家基いえもとも、倫子ともこ萬壽ますひめ同様どうよう、愛していた。

 だが家治は生憎あいにく千穂ちほだけはそれほど、愛することができなかった。言うなれば、

「子を産む道具どうぐ…」

 それに過ぎず、そしてその役目を果たしてくれた千穂ちほは家治からすれば、

ようみ…」

 今やそうであった。いや、無論むろん家基いえもとという立派りっぱ世子せいしを生んでくれた上は、家治としても千穂ちほには一生涯いっしょうがいなに不自由ふじゆうない生活を送らせてやるつもりであった。それこそ、

一生いっしょうあそんでらせる…」

 千穂ちほにはそのような生活を保障ほしょうするつもりでおり、また実際、家治は千穂ちほが望むものは何でも買い与えた。

 だが席次せきじだけは別であった。すなわち、大奥における席次せきじのトップとその次席じせきだけは千穂ちほゆずるつもりはなく、それゆえ家治は家基いえもとという立派りっぱ世子せいしを生んだ千穂ちほを、「お部屋へや様」に昇格しょうかくさせることなく、いつまでも「お内証ないしょう様」に、つまりは一介いっかい側室そくしつとどいたというわけだ。

 だが当たり前だが家治のこの措置そち千穂ちほ当人とうにんだい反発はんぱつまねいてしまったことは勿論もちろん千穂ちほづきおく女中じょちゅうからのだい反発はんぱつをもまねいてしまった。

 そのきゅう先鋒せんぽう千穂ちほづき年寄としより玉澤たまざわ中年寄ちゅうどしより長尾ながおであった。

 玉澤たまざわ長尾ながおは実は姉妹しまいでもあり、家治が大奥に渡ったおりにはこの玉澤たまざわ長尾ながお姉妹しまいそろって、

「何ゆえに、お千穂ちほの方様をいつまでも、お内証ないしょうの地位にとどめ置くのでござりまするかっ!」

 将軍・家治に対してそうもう抗議こうぎしたものであり、これに他の千穂ちほづき女中じょちゅうたちが続いた。

 だがそれに対して、御台所みだいどころづきの女中たち、すなわち、倫子ともこ附属ふぞくする年寄としよりを始めとする女中じょちゅうたちや、あるいは萬壽ますひめづき女中じょちゅうたち、すなわち、萬壽ますひめ附属ふぞくする女中じょちゅうたちは将軍・家治のこの措置そち…、千穂ちほを「お部屋へや様」ではなく、「お内証ないしょう様」にとどめ置くことに賛意さんいを示した。とりわけ萬壽ますひめ附属ふぞくする女中じょちゅうたちが大賛成した。

 それも当然の話であり、御台所みだいどころやその息女そくじょあるいは側室そくしつの地位はそのまま、彼女らに附属ふぞくする女中じょちゅうたちの地位にも反映はんえいされるからだ。

 すなわち、側室そくしつである千穂ちほが次期将軍となる将軍世子せいしを生んだにもかかわらず、「お部屋へや様」とはならずに依然いぜんとして、一介いっかい側室そくしつである「お内証ないしょう様」の地位にとどまる限り、千穂ちほ附属ふぞくする女中じょちゅうたち…、玉澤たまざわ長尾ながおといった千穂ちほづき女中じょちゅうたちは御台所みだいどころである倫子ともこづき女中じょちゅうたちは元より、その息女そくじょである萬壽ますひめづき女中じょちゅうに対してもかしずかねばならなかった。

 いや、例え千穂ちほが次期将軍…、将軍世子せいし実母じつぼとして、れて「お部屋へや様」へと昇格しょうかくたしたところで、御台所みだいどころである倫子ともこにはかなわない。つまり千穂ちほは大奥の席次せきじにおいては永遠に倫子ともこの下に位置いちづけられる。

 だがその…、御台所みだいどころ倫子ともこ息女そくじょ…、実娘である萬壽ますひめともなるとそうはいかない。何しろ、千穂ちほ一介いっかい側室そくしつすなわち、「お内証ないしょう様」でいる限りは御台所みだいどころ息女そくじょである萬壽ますひめの方が千穂ちほよりも席次せきじが上だからだ。

 つまりは萬壽ますひめ附属ふぞくする女中じょちゅうたちにしても、千穂ちほ附属ふぞくする女中じょちゅうたちよりも、

「大奥の席次せきじにおいては上…」

 というわけで、それが一転いってん千穂ちほがその「お内証ないしょう様」から「お部屋へや様」へと昇格しょかくするや、千穂ちほ萬壽ますひめ立場たちば逆転ぎゃくてん、今度は千穂ちほ萬壽ますひめの上に位置いちし、そうであれば千穂ちほ附属ふぞくする女中じょちゅうたちにしても、萬壽ますひめ附属ふぞくする女中じょちゅうたちよりも上に位置いちすることができるので、そうであれば、千穂ちほ萬壽ます姫、と言うよりは千穂ちほ附属ふぞくする女中じょちゅうたちと萬壽ますひめ附属ふぞくする女中じょちゅうたちとの「バトル」は「ヒートアップ」した。

 いや、萬壽ますひめ自身は、

「育ちの良さ…」

 それが手伝い、側室そくしつ千穂ちほが「お部屋へや様」として己の上に位置いちすることに何らこだわりを持たなかった。

 だが萬壽ますひめ自身はそれで良くとも、萬壽ますひめ附属ふぞくする女中じょちゅうたちがそれを許さなかったのだ。萬壽ますふめ附属ふぞくする女中じょちゅうたちは生憎あいにくみずからがつかえる萬壽ますひめのように決して、

「育ちが良い…」

 というわけではなく、それゆえ席次せきじというものを大いに気にした。

 そしてそれは千穂ちほづき女中じょちゅうたちにしても同じことが言えた。いや、千穂ちほ自身も萬壽ます姫とは…、生まれながらにして姫君ひめぎみである萬壽ますひめとは違い、決して「育ちが良い…」わけではなかったので、千穂ちほ当人もその「バトル」に「参戦さんせん」する始末しまつであり、これには萬壽ますひめは元より、その実母である御台所みだいどころ倫子ともこも大いに往生おうじょうした、と言うよりはその「見苦みぐるしさ」に見かねた。

 何しろ千穂ちほ当人までが己に附属ふぞくする年寄としより玉澤たまざわやその妹で中年寄ちゅうどしより長尾ながおを始めとする女中じょちゅうたちと一緒いっしょになって、萬壽ますひめ附属ふぞくする女中じょちゅうたちと、

ののし合戦がっせん…」

 それにきょうじていたからだ。

 いや、そのような「ののし合戦がっせん」を見苦みぐるしいと感じていたのは倫子ともこ萬壽ますひめ母子ぼしのみならず、倫子ともこ附属ふぞくする女中じょちゅう、とりわけ倫子ともこと共にきょうみやこよりこの江戸へとはるばる下向げこうしてきた花薗はなぞの飛鳥井あすかいにしてもそうであった。

 花薗はなぞの飛鳥井あすかいは共に公卿くぎょうの娘であり、閑院宮かんいんのみや直仁なおひと親王しんのう息女そくじょである倫子ともこが将軍・家治のもとへとおり、その倫子ともこの「つき」として倫子ともこ共々ともども、江戸へと下向げこうし、そして倫子ともこが将軍・家治と結ばれ、江戸城本丸ほんまるの大奥へと入るや、花薗はなぞの飛鳥井あすかい上臈じょうろう年寄どしよりとして御台所みだいどころとなった倫子ともこつかえるようになった。

 もっとも、上臈じょうろう年寄どしより御台所みだいどころの「お話相手」に過ぎず、それゆえ年寄としよりのように政治的な実権があるわけではなかった。

 それでも花薗はなぞのにしろ飛鳥井あすかいにしろ、倫子ともこの「お話相手」として日頃ひごろより、倫子ともこの話に付き合ううち、倫子ともこ側室そくしつ千穂ちほとそのつき女中じょちゅうたちと一緒いっしょになって、萬壽ますひめづき女中じょちゅうたちとの間で、見苦みぐるしいまでの「バトル」を演じていることに心をいためていることに気付き、そこで花薗はなぞの飛鳥井あすかいは同じく、倫子ともこ附属ふぞくする年寄としより初崎はつざきに相談した。

 初崎はつざきもまた、倫子ともこづき年寄としよりであった。一応、立場的には上臈じょうろう年寄どしより花薗はなぞの飛鳥井あすかいの方が年寄としより初崎はつざきよりも上であったが、しかし、実際には年寄としより初崎はつざきこそ政治的な実権をにぎっていた。

 しかもこの初崎はつざきは次期将軍とも言うべき世子せいし家基いえもと乳母うばをもつとめたことから年寄としよりの中でも特に、それも中々なかなかに「羽振はぶり」が良かった。

 将軍・家治は側室そくしつ千穂ちほが生んだ家基いえもと愛妻あいさい倫子ともこに育てさせる決断をした。さしずめ、

愛妻あいさい面目めんもく躍如やくじょ…」

 といったところであろうか。だが、生憎あいにく倫子ともこはおちちが出なかったので、こればかりはどうにもならないと、そこで家治は倫子ともこ年寄としよりとしてつかえていた初崎はつざき家基いえもと乳母うばを命じたのであった。

 その初崎はつざき千穂ちほと彼女に附属ふぞくするおく女中じょちゅうわば「連合軍」VS萬壽ますひめづきの「バトル」を内心ないしん面白おもしろがっていたものの、しかし、こうして上臈じょうろう年寄どしより花薗はなぞの飛鳥井あすかいから、

倫子ともこがそのバトルに心をいためている…」

 そのように相談を持ちかけられては、初崎はつざきとしても面白おもしろがってばかりもいられなかった。倫子ともこ心痛しんつうあまり、病気にでもなれば、その上、たおれるようなことにでもなれば、倫子ともこづき年寄としよりとしての立場がなくなってしまうからだ。

 要は御台所みだいどころづき年寄としよりとして、「羽振はぶり」をかせることができなくなってしまうかだ。

 それを恐れた初崎はつざきさきに、将軍・家治に附属ふぞくする年寄としより松島まつしま高岳たかおか両者りょうしゃもとへとみ、こと次第しだいを告げた上で、

「何とかして欲しい…」

 初崎はつざき松島まつしま高岳たかおかにそう泣き付いたのであった。

 ちなみにこの頃…、家基いえもとが生まれた宝暦12年頃の江戸城本丸ほんまるの大奥には御台所みだいどころである倫子ともこづき女中じょちゅうとその息女そくじょ萬壽ますひめづき女中じょちゅう、それに側室そくしつである千穂ちほづき女中じょちゅうの他に、将軍・家治づき女中じょちゅうが存在し、けても一番いちばん年寄どしより松島まつしま二番にばん年寄どしより高岳たかおか威勢いせいたるや、初崎はつざきではなく、初崎はつざきもそのことを「ヒシヒシ…」実感していればこそ、その松島まつしま高岳たかおかたよったのであった。

 そして初崎はつざきより相談を受けた松島まつしま高岳たかおかが出した結論こそが、

家基いえもと元服げんぷくしたら西之丸にしのまるへと引き移ること、その際、家基いえもと生母せいぼ…、母堂ぼどう千穂ちほも、それから千穂ちほ附属ふぞくするおく女中じょちゅうたちも一緒いっしょ西之丸にしのまるのそれも大奥へと引き移ること…」

 という解決策、もとい妥協だきょう案であった。

 家治としてはあくまで、千穂ちほを「お内証ないしょう様」にとどめ置くつもりらしい…、そうと察して松島まつしま高岳たかおか千穂ちほとその一派いっぱとも言うべきおく女中じょちゅうたちを本丸ほんまるの大奥から西之丸にしのまるの大奥へと引き移らせることによりこの問題の解決を図ろうとしたのであった。

 それに対して家治も自身が、

諸悪しょあく根源こんげん…」

 その側面そくめんがあり、またそのことを自覚じかくしていたので、松島まつしま高岳たかおかによるこの妥協だきょう案にうなずかざるを得なかった。

 もっとも、家基いえもとれて元服げんぷくたしたのは明和3(1766)年の4月7日、3歳の時であり、本来ならばその時点で西之丸にしのまる入りをたすべきところ、養母ようぼであった倫子ともこ中々なかなか家基いえもとばなそうとはせず、結局、それから3年以上が経過けいかした明和6(1769)年のそれも12月9日、家基いえもとが7歳になってしばらった後にようやくに倫子ともこ家基いえもとばなすことに同意した。

 家基いえもとはそれまで大奥にて育てられていたのだが、家基いえもとすでに7歳、武門ぶもん棟梁とうりょうたる征夷大将軍の世子せいしたる者、7歳にもなって大奥にてらすというのは決して健全けんぜんではない…、と言うよりも諸大名や旗本、御家人たちに対して示しがつかない。

 ともあれ家基いえもと実母じつぼ千穂ちほと、それに千穂ちほつかえるおく女中じょちゅうたちと共に本丸ほんまるの大奥より西之丸にしのまるへと引き移り、家基いえもと中奥なかおく入りを、千穂ちほおく女中じょちゅうたちは大奥入りをそれぞれたしたのであった。
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