天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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家治正室の倫子やその息女の萬壽姫が殺害された状況について、そして留守居の依田政次が一橋治済の共犯者になった経緯について推理する

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「されば治済はるさだめは、とみに対してもその頃に…、倫子ともこの暗殺を持ちかけし明和8(1771)年の7月頃にでも、家基いえもとが暗殺までも考えていることを伝えたと?」

 家治が直熙なおひろにそう尋ねた。

御意ぎょい…、さればおとみの方も納得すまいものと思われますゆえ…、何ゆえに治済はるさだ側妾そくしょうになったからと申して、その治済はるさだとの間になした子が次期将軍になれるのかと…」

家基いえもとがいるにもかかわらず、とな?」

御意ぎょい…、されば治済はるさだは、おそれ多くも御台みだい様、それに萬壽ます姫様のお命までうばたてまつりしことが、大納言だいなごん様のお命をうばたてまつりしことの前段階であるとも…」

 さしずめ「予行よこう演習えんしゅう」であるとも、治済はるさだはおとみの方に打ち明けたのだろうと、直熙なおひろはそう示唆しさし、

無論むろん高橋たかはしにつきましても…」

 そう付け加えた。

「何しろ高橋たかはしには、倫子ともこ毒殺どくさつされしを黙認もくにんしてもらう、のみならず、次は萬壽ます毒殺どくさつを…、それも今度は黙認もくにんなどではのうて、積極的に、と申しては語弊ごへいがあるやも知れぬが、とみ倫子ともこに対してそうするように、高橋たかはしにも萬壽ますに対して…、萬壽ますが口にせし料理に毒物どくぶつを…、そのシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケなる毒キノコを混入こんにゅうしてもらわねばならぬから、か?」

御意ぎょい…、いえ、あるいはおそれ多くも御台みだい様や萬壽ます姫様がおしあがりになられしお食事に毒物どくぶつを…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうせしはまず初めに毒見どくみをせし廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらやも知れず…」

とみにしろ、高橋たかはしにしろそれを黙認もくにん…、倫子ともこ萬壽ます中年寄ちゅうどしより…、毒見どくみ役としてつかえながらも、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの手により毒物どくぶつが…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケが混入こんにゅうされし食事の毒見どくみを行わずに、そのままきょうさせたと?」

「その可能性もあるやに…」

成程なるほど…」

 家治はうなずいてみせた。

「いずれにいたしましても、治済はるさだおそれ多くも御台みだい様や萬壽ます姫様の毒殺どくさつ真意しんいを語って聞かせたものとも思われまする…」

 直熙なおひろの言葉に家治はうなずいた。

「それと…、おとみの方や高橋たかはしに対する説得、いや、勧誘かんゆうと申すべきところであろうか…、ともあれそれと並行へいこうして、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら…、若林わかばやし平左衛門へいざえもん木室きむろ七左衛門しちざえもん、この二人の廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらに対しても説得、あるいは勧誘かんゆういたしたわけでござるな?一橋ひとつばし治済はるさだは…」

 意知おきともがそう尋ねるや、

左様さよう…、いや、治済はるさだからすれば、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらへの説得、もとい勧誘かんゆうの方が容易よういであったやも知れぬな…」

 直熙なおひろはそう答えたので、「そはまた、何ゆえに?」と今度は家治が尋ねた。

「ははっ。されば、おとみの方や高橋たかはし中年寄ちゅうどしより…、つまりは一生いっしょう奉公ぼうこうにて…、要は大奥から外へと出られず、ゆえにこの二人…、一生いっしょう奉公ぼうこうのおとみの方や高橋たかはし勧誘かんゆう…、おそれ多くも御台みだい様や萬壽ます姫様の暗殺…、それも毒殺どくさつに手を貸してもらいたしと、斯様かよう勧誘かんゆういたそうと思えば、治済はるさだより大奥へと足を運ばねばならず…、それに比して廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら一生いっしょう奉公ぼうこうのようなかる制約せいやくとは無縁むえんにて…」

「いつにても説得、勧誘かんゆうが出来る、と…、それゆえとみ高橋たかはしに対する説得、勧誘かんゆうよりは容易たやすいと申すのだな?廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらに対する説得、勧誘かんゆうの方が…」

御意ぎょい…」

「そして廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらであった若林わかばやし平左衛門へいざえもん木室きむろ七左衛門しちざえもんにしても各々おのおの一橋ひとつばし家とのえにしからその、治済はるさだよりの説得、勧誘かんゆうに乗ったと申すのだな?」

御意ぎょい…、いえ、恐らくは…」

「いや、最早もはや、それに相違そういあるまいて…、そして、その廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら若林わかばやし平左衛門へいざえもん木室きむろ七左衛門しちざえもん宿直とのいの日に…、8月13日に決行けっこうしたわけだな…、倫子ともこしょくせし夕食にそのシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを…」

廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらでありし、それも御台みだい様がおしあがりになられしご夕食をまず初めに毒見どくみせし若林わかばやし平左衛門へいざえもんがそのご夕食にシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうし、それを相役あいやくの…、萬壽ます姫様がおしあがりになられしご夕食を同じくまず初めに毒見どくみをせし木室きむろ七左衛門しちざえもん黙認もくにん、そうして御台みだい様がおしあがしになられしご夕食…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケが混入こんにゅうされしご夕食が、萬壽ます姫様がおしあがりになられしご夕食共々ともども廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら若林わかばやし平左衛門へいざえもん木室きむろ七左衛門しちざえもんの両名の手により中年寄ちゅうどしより…、もう一度、毒見どくみにないし、おとみの方と高橋たかはしの元へと運ばれ、そして実際には毒見どくみをしなかった…、毒が…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケが混入こんにゅうしてはおりませなんだ、萬壽ます姫様がおしあがりになられしご夕食の毒見どくみ、それをにないし高橋たかはしかく、おとみの方は御台みだい様の毒見どくみ役である中年寄ちゅうどしよりであるにもかかわらず、毒見どくみをせずして、そのまま御台みだい様の元へとそのシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケが混入こんにゅうされしそのご夕食を運んだか…」

 直熙なおひろがそこで言葉を区切くぎるや、家治がその続きを引き取ってみせた。

しくは、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら監視かんしもと中年寄ちゅうどしよりが二度目の毒見どくみにないしその時…、すなわち、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら若林わかばやし平左衛門へいざえもん木室きむろ七左衛門しちざえもんの両名による監視かんしもと、おとみの方が倫子ともこしょくせし夕食にシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうしたと?」

御意ぎょい…」

「されば安永2(1773)年は如何いかに?」

 家治はそう尋ねた。萬壽ます姫の死亡時の状況を尋ねていたのだ。

「されば…、やはりご薨去こうきょあそばされましたる2月の20日、それよりも12日ほど前の2月の、それも6日に…」

 直熙なおひろがそう言いかけるや、

山菜さんさい料理を…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケをしょくしたと?萬壽ますは…」

 家治がそう言葉をかぶせた。

御意ぎょい…」

「なれど…、それでは…、おそれ多くも萬壽ます姫様がご薨去こうきょあそばされし2月の20日まで14日間…、ちょうど2週間もの間があり…」

 毒キノコを摂取せっしゅしてから2週間もの間があるとは、意知おきともにはいささか長過ぎるように思われた。

「なれど、2月6日から20日までの間、萬壽ます姫様が山菜さんさい料理を…、それもきのこをおしあがりになられしことは一度もなく…」

 直熙なおひろはそう断言し、意知おきともとしても直熙なおひろにそう断言だんげんされては反論できなかった。

あるいは女性にょしょうには効き目が遅いのやも知れぬな…」

 平蔵がそう応じた。毒の効果に男女差があるのか否か、意知おきともにも分からなかったが、考えられないことではないなと、意知おきともは思った。

「それで…、やはりご夕食にて?」

 意知おきとも直熙なおひろに尋ねた。

如何いかにも…、されば宿直とのい木室きむろ七左衛門しちざえもんにて…」

 つまりは木室きむろ七左衛門しちざえもん萬壽ます姫の食事、それも夕食の毒見どくみをしたというわけだ。

 いや、正確にはまともに毒見どくみをしなかったと言うべきであろう。

 そこで意知おきともはふと疑問が浮かんだ。

宿直とのいは…、宿直とのい廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらは一人にて?」

 意知おきともはそれが疑問であった。

左様さよう…、と申すのもそれより…、おそれ多くも萬壽ます姫様がご薨去こうきょあそばされし安永2(1773)年より1年前の安永元(1772)年…、いや、明和9年と申すべきであろうな、その年の3月の確か22日であったか、まかったゆえ…」

 若林わかばやし平左衛門へいざえもん萬壽ます姫が亡くなった、いや、毒殺どくさつされた安永2(1773)年より1年前にはすでに死亡していた…、直熙なおひろよりその事実を聞かされた意知おきとも衝撃しょうげきを受けると同時に、

くちふうじ…」

 その言葉が脳裏のうりかび、そしてそれは家治や平蔵にしても同様であったらしく、二人は思わず意知おきともと視線をまじわらせたかと思うと、直熙もりひろへと視線を向けた。

 すると皆の視線を受けた直熙なおひろもまた、そうと察した様子で、

「されば…、くちふうじと、お考えで?」

 皆にそう尋ね、それに対して皆も…、家治にしろ、平蔵にしろ、そして意知おきともにしろ皆、うなずいた。

「その場合…、一橋ひとつばし治済はるさだくちふうじを目論もくろんだとお思いで?」

 その通りであったので、家治たちはやはりうなずいた。

 すると意外にも、「その可能性は低いやに…」との直熙なおひろの答えが返ってきた。

「そはまた何ゆえに?」

 家治は首をかしげつつ、尋ねた。

「されば仮に、一橋ひとつばし治済はるさだくちふうじを目論もくろみ、それゆえに若林わかばやし平左衛門へいざえもんくちふうじたのであらば、その相役あいやく木室きむろ七左衛門しちざえもんにしてもそのくちふさがれてしかるべきやに…」

「と申すと、木室きむろ七左衛門しちざえもんは今もって健在けんざいとな?」

御意ぎょい…、もっとも、流石さすがに今はもうつとめをし、小普請こぶしん入りを果たしておりまするが…」

 確かに、一橋ひとつばし治済はるさだ若林わかばやし平左衛門へいざえもんのみくちふうじをはかるとは考えにくかった。くちふうじをはかるのであらば、木室きむろ七左衛門しちざえもん一緒いっしょにと、そう考えるのが自然であった。

あるいは…、若林わかばやし平左衛門へいざえもん悪心あくしんを起こしたのやも…」

 平蔵がそう口をはさんだ。そしてそれは意知おきともも考えていたことであったので、

「されば…、若林わかばやし平左衛門へいざえもんは…、一橋ひとつばし治済はるさだくちめ料でも求めたと…、それも決して安くはない…、それどころか莫大ばくだいなる額のくちめ料を…」

 意知おきともがそう言うと、平蔵をうなずかせた。

成程なるほど…、それなれば治済はるさだめが若林わかばやし平左衛門へいざえもんのみの口をふさいだことの説明がつくと申すもの…」

 家治も納得した様子であったが、しかし、それに対して直熙なおひろが「いや、それは如何いかがなものかと…」と意知おきともの説明に否定的な反応を示した。

「何ゆえぞ?」

 家治は首をかしげてみせた。

「されば…、最前さいぜん、申し上げましたる通り、若林わかばやし平左衛門へいざえもんは娘が一橋ひとつばし家の陪臣ばいしん伊東いとう半左衛門はんざえもんもとへとしており…、なれど仮に、若林わかばやし半左衛門はんざえもん意知おきともが申す通り、悪心あくしんを起こし…、一橋ひとつばし治済はるさだ強請ゆすりをかけ、それがためにその口をふさがれたとして、今は一橋ひとつばし家の陪臣ばいしん伊東いとう半左衛門はんざえもん妻女さいじょとなりしその娘も無事ぶじではまず…、最低でも離縁りえんされるに相違そういなく、なれど…」

「実際には今でも夫婦、なかむつまじい、と?」

 家治がそう口をはさんだので、直熙なおひろは「御意ぎょい」と答え、

「されば少なくとも、若林わかばやし平左衛門へいざえもん一橋ひとつばし治済はるさだによってその口をふさがれし可能性は低いやに…」

 改めてそう告げ、これには意知おきともも、「確かに…」と己の推理のあやまりを認識させられたものであった。

 すると家治がそんな意知おきともづかうかのように、

「されば話をもどすが…、萬壽ますまかりし安永2(1773)年の時点では宿直とのい廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらは一人であると?」

 直熙なおひろにそう尋ねたのであった。それは意知おきともも、それに平蔵も気になっていたことであった。

御意ぎょい…、されば依田よだ豊前ぶぜん進言しんげんにて…」

 直熙なおひろの口からまた、気になる人名が飛び出し、

「なに?依田よだ豊前ぶぜんとな?」

 特に家治は強く反応した。

御意ぎょい…、されば安永元(1772)年、いや、明和9年の3月に若林わかばやし平左衛門へいざえもんまかりしことで、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらは9人から8人へと減り…、されば廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらが守り申し上げるべき御台みだい様や姫君ひめぎみ様におかせられましても、すで御台みだい様はく、されば廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらが守り申し上げるべきは…、ここ本丸ほんまるの大奥にては最早もはや萬壽ます姫様御一人おひとりということで…」

「それで、宿直とのいをせし廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにつきても、わざわざ二人で宿直とのいをするには及ばず、一人で十分じゅうぶん…、依田よだ豊前ぶぜんめは左様さように申したと?」

 家治がさきまわりしてそう尋ねるや、直熙なおひろも「御意ぎょい」と応じた。

「なれど…、それはあくまで口実こうじつに過ぎないものやに…」

 意知おきともがそう口をはさむと、やはり家治がさきまわりして、

「されば萬壽ますが暗殺…、毒殺どくさつをしやすくするため、だな?」

 意知おきともにそう尋ねた。

御意ぎょい。されば依田よだ豊前ぶぜんめが一橋ひとつばし治済はるさだつながりしことは最早もはや、疑いようがないやに…」

 意知おきともさらにそう続けると、家治も同感どうかんだと言わんばかりにうなずいてみせた。

「問題は、依田よだ豊前ぶぜん一橋ひとつばし家と如何いかなるつながりがあるか…」

 平蔵がそう口をはさんだ。まさしくその通りであった。依田よだ豊前ぶぜんこと豊前守ぶぜんのかみ政次まさつぐ一橋ひとつばし家とのつながりが分からないことにはどうにも前に進めなかった。

 するとそこで直熙なおひろがまたしても「年の功」を発揮はっきした。

「されば、御膳ごぜん奉行ぶぎょう山木やまき次郎八じろはちを通じて、一橋ひとつばし家とえにしがあるのやも知れませぬなぁ…」

 直熙なおひろの口から山木やまき次郎八じろはちの名が飛び出したことから、家治たちは目を向いた。

「何ゆえ、そこで山木やまき次郎八じろはちの名が出て来るのだ?」

 家治がうめくように尋ねた。それは意知おきともや平蔵の疑問でもあった。

「されば山木やまき次郎八じろはち依田よだ豊前ぶぜんめが次男にて…」

 直熙なおひろことげにそう答えてみせ、家治たちを驚愕きょうがくさせた。

 いや、平蔵は北町奉行の曲淵まがりぶち景漸かげつぐより山木やまき次郎八じろはち一橋ひとつばし家老にまでのぼめた山木やまき織部正おりべのかみ伴明ともあきら養嗣子ようししだとは聞かされていたものの、まさか実父じっぷ依田よだ豊前ぶぜんこと豊前守ぶぜんのかみ政次まさつぐだったとは思いもしなかった。

「されば依田よだ豊前ぶぜんがその次男、次郎八じろはち…、次郎八じろはち勝明かつあきら山木やまき家に養子ようしに出したは…、山木やまき織部おりべ次郎八じろはち養嗣子ようししとしてむかえ入れしは確か、宝暦ほうれき年間のことにて…、そしてその、次郎八じろはち養父ようふとなりし山木やまき織部おりべ一橋ひとつばし家老かろうへと進みしは確か、明和5(1768)年頃であったやに…」

「されば、依田よだ豊前ぶぜんめが次男、次郎八じろはちをその山木やまき織部おりべもとへと養子ようしに出した後に、次郎八じろはち養父ようふとなりし山木やまき織部おりべ一橋ひとつばし家老かろうになったと申すのだな?」

 家治は一々いちいちねんしするように直熙なおひろに確かめた。

御意ぎょい…」

 直熙なおひろがそう応じた途端とたん意知おきともはあることに気付いて思わず、「あっ」と声を上げていた。

意知おきとも如何いかがいたしたのだ?」

 家治にそう声をかけられた意知おきとも小児しょうに専門のまち医者いしゃである小野おの章以あきしげ一橋ひとつばし治済はるさだの共犯者になったのも明和5(1768)年である可能性を指摘してきしたのであった。

「おお、そう言えば小野おの章以あきしげが医学館…、躋寿せいじゅかんであったか、そこに毎年50両もの醵金きょきんを始めたがまさにその明和5(1768)年からであったの…、つまりは殺しの報酬ほうしゅう…、殺しに不可欠ふかけつなる兇器きょうき小野おの章以あきしげが用意せしこととひきかえに、一橋ひとつばし家より莫大ばくだいなる報酬ほうしゅうが支払われ始めた…」

 家治が思い出したようにそう告げたので、「御意ぎょい」と意知おきともは答えた。

「すると…、もしやすると、一橋ひとつばし治済はるさだより…、治済はるさだ一橋ひとつばし家老かろうとなりし山木やまき織部おりべに対して、依田よだ豊前ぶぜんめを紹介しょうかいしてくれるようたのんだのやも知れませぬなぁ…」

 平蔵がそう口をはさんだ。

治済はるさだが?家老となりし山木やまき織部おりべに対して?」

 家治は首をかしげながら聞き返した。

御意ぎょい。されば治済はるさだはその頃より…、明和5(1768)年頃よりすでおそれ多くも大納言だいなごん様が暗殺を目論もくろんでおり、そのぜん段階だんかいとして、おそれ多くも御台みだい様や、萬壽ます姫様までも暗殺を目論見もくろみ、なれどそのためには留守居るすいの協力が必要だとそう思い定め、そんな折に家老かろうとして山木やまき織部おりべ着任ちゃくにんし、治済はるさだはふと、その山木やまき織部おりべに対して尋ねたのではござりますまいか…」

「誰ぞ、留守居るすいを知らぬかと?」

御意ぎょい。いや、まさかに、大奥におわす御台みだい様や萬壽ます姫様のお命をうばうべく、大奥の取りまりに当たりし留守居るすい紹介しょうかいして欲しいなどと、左様さようまことの理由を打ち明けるわけにもゆかず…、何しろ御三卿ごさんきょう家老かろうもうさば、その実、御三卿ごさんきょう目付めつけ役にて…、さればその家老かろうたる山木やまき織部おりべに対して迂闊うかつまことの理由を打ち明けようものなら、ご公儀こうぎの知るところとなるやも知れず…」

「そこで治済はるさだ適当てきとうなる口実こうじつをもうけて、誰ぞ、ぞんじよりの留守居るすいがいれば紹介しょうかいして欲しいと、治済はるさだ山木やまき織部おりべに対して、留守居るすい紹介しょうかいを願ったと申すのだな?」

御意ぎょい。それに対しまして山木やまき織部おりべはそれなればと、その養嗣子ようしし次郎八じろはちが実父にして留守居るすい依田よだ豊前ぶぜん紹介しょうかいしたのではござりますまいか…」

 平蔵がそう告げた途端とたん、「それはあり得ぬ」との直熙なおひろ異議いぎがあった。

「そはまた何ゆえで?」

 首をかしげる平蔵に対して直熙なおひろは、

「されば依田よだ豊前ぶぜんめが今の留守居るすいに進みしは、明和6(1769)年の10月20日ぞ?」

 平蔵にとどめをすようにそう告げ、平蔵をして、「あっ…」と言わせた。

「さればその頃…、明和5(1768)年におけし依田よだ豊前ぶぜんは確か、江戸町奉行、それも北町奉行であったの…」

 家治は流石さすがに大奥以外の、ここ中奥なかおくや、それに表向おもてむきのことにはくわしかった。

「されば一橋ひとつばし治済はるさだめと依田よだ豊前ぶぜんめとが、山木やまき織部おりべかいしてつながりができたのではあるまいかとの、平蔵のそのかんばたらきは、あながち間違いではないやも知れぬぞ…」

 家治が平蔵を「フォロー」するようにそう言った。すると意知おきとももそれを受けて、

あるいは…、依田よだ豊前ぶぜんから一橋ひとつばし治済はるさだへと接触せっしょくを…、山木やまき織部おりべかいして接触せっしょくしようとしたのやも知れまえぬなぁ…」

 そう応じたのであった。意知おきとものその意見たるや、将軍・家治への追従ついしょうという側面そくめんもないではないが、それ以上に実際、その可能性があるのではと、意知おきとも自身がそう思えばこそであった。

 一方、家治は意知おきとものその意見に大いに興味をかれた様子で、意知おきともくわしい説明を求めた。

「されば…、依田よだ豊前ぶぜんめはおそれ多くも大納言だいなごん様が上様うえさまに…、征夷大将軍になられしことを阻止そししたいとねごうていたのではないかと…」

「何と…、家基いえもとが将軍になるのをはばもうとしていたと申すか?依田よだ豊前ぶぜんめは…」

「あくまでこの意知おきとも想像そうぞう産物さんぶつにて…」

かまわぬ。続けよ」

「ははっ。されば…、それがしの口から斯様かようなことを申し上げまするはいささか気が引けまするが…、おそれ多くも上様にあらせられましては、そして今は大納言だいなごん様にあらせられましても、それがし…、下賤げせんなる田沼家にも格別かくべつのご厚情こうじょうを…」

 意知おきともがそう言いかけると、家治より、「我が家のことを下賤げせんなどと申すでない」とそう訓戒くんかいを与えられた。

「ははっ。さはさりながら…」

依田よだ豊前ぶぜんめはそなたを…、意次と意知おきとも親子を左様さように…、下賤げせんなどとくだしており、その田沼親子…、意次とそなたが征夷大将軍たる寵愛ちょうあいを受け、のみならず、次期将軍であった家基いえもとからも寵愛ちょうあいを…、とりわけ意知おきとも、そなたが次期将軍であった家基いえもとよりも寵愛ちょうあいを受け、さればその家基いえもとが正式に征夷大将軍とならば、いよいよもって意知おきともの天下となる…」

「天下などとそのような…」

 意知おきともは家治の言葉を受けてそう謙遜けんそんしてみせたが、あながち間違いでもなく、

「なれど、依田よだ豊前ぶぜんめはそう思えばこそ、家基いえもとが将軍就任しゅうにん阻止そしすべく、一橋ひとつばし治済はるさだを頼ろうとしたと、左様さように申したいのであろう?」

 家治よりそう問われるや、意知おきともいささ抵抗感ていこうかんを感じつつ、「御意ぎょい」と答えた。

「一方、治済はるさだ治済はるさだで己が野望の共犯者を探しておりし最中さなかにて、されば依田よだ豊前ぶぜんめと治済はるさだめとの邂逅かいこうまさてん配剤はいざいとでも申すべきか、ともあれ依田よだ豊前ぶぜんめと治済はるさだとが、山木やまき織部おりべなかちにてつながったと申すのだな?」

 家治より問われた意知おきともは、「御意ぎょい」と答えた。

 すると不意ふいに、「成程なるほど…、それで読めたわ」との直熙なおひろの声がした。

「何が読めたと申すのだ?」

 家治よりその説明をうながされた直熙なおひろは、「ははっ」と応ずるや、

「されば依田よだ豊前ぶぜんめが留守居るすいきし理由につきまして…」

 そう答えたのであった。

「そは…、如何いかな意味ぞ?」

 家治は直熙なおひろに対してさらくわしい説明を求めた。

「されば依田よだ豊前ぶぜんめは北町奉行をつとめ終えし後には大目付おおめつけへと栄進えいしんを果たし…、これが明和6(1769)年の8月15日のことにて…、なれどそれから二月ふたつきたぬ10月20日に今の留守居るすいへとさらなる栄進えいしんを果たし…」

「それは…、依田よだ豊前ぶぜんめが大目付おおめつけとして他の大目付おおめつけや、さらには目付めつけともいさかいを起こしたがために…」

 人事の決裁権者は将軍たる家治であり、そうであればこそ、家治は良く覚えていた。

「確かに…、なれどそれはあくまで留守居るすいになるための芝居しばいであったやも知れませぬ…、無論むろん一橋ひとつばし治済はるさだあとしもあったのやも…」

 直熙なおひろからその可能性を指摘してきされた家治は、「確かに…」とその可能性を認めた。

「そうしてれて大奥の取りまりに当たりし留守居るすいきし依田よだ豊前ぶぜんはそこで、御台みだい様や姫君ひめぎみ様がおしあがりになられしお食事の毒見どくみをせしが、それぞれ…、御台みだい様や姫君ひめぎみ様に附属ふぞくされし中年寄ちゅうどしよりや、さらには廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらになうものと把握はあくし、そこで…」

中年寄ちゅうどしよりが誰であるのか…、それも一橋ひとつばし家と所縁ゆかりのある者かいなか…、それに廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにしてもその中に果たして一橋ひとつばし家と所縁ゆかりのありし者がいるかどうか、それを調べたと?」

「恐らくは…、そしてその結果、さいわいにも…、と申し上げますればおそれ多くも上様うえさまには申し訳なきことなれど…」

 意知おきともがそう言いかけただけで、家治には意知おきともが何を言いたいのか、察しがついた様子であった。

「されば廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの中には若林わかばやし平左衛門へいざえもんなる者と木室きむろ七左衛門しちざえもんなる者の両名が一橋ひとつばし家とえにしがあり、そしてさら好都合こうつごうなことに、倫子ともこ萬壽ます、それぞれに附属ふぞくせし中年寄ちゅうどしより…、とみ高橋たかはしもまた、一橋ひとつばし家とえにしがあることをめ、それを治済はるさだ告口つげぐちせしことで、倫子ともこ萬壽ますが暗殺…、毒殺どくさつ一助いちじょとしたわけだな?治済はるさだめは…」

 家治は無念むねんさ半分、そして治済はるさだや、さらには依田よだ政次まさつぐに対するいきどおり半分といった様子でそう言葉をき出した。

 それに対して意知おきともは答えることに躊躇ちゅうちょしつつも、「御意ぎょい」と答えたのであった。
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旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
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【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

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貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

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歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…そして終戦工作 分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦 そしてそこから繋がる新たな近代史へ

【時代小説】 黄昏夫婦

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 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

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