149 / 197
家治正室の倫子やその息女の萬壽姫が殺害された状況について、そして留守居の依田政次が一橋治済の共犯者になった経緯について推理する
しおりを挟む
「されば治済めは、富に対してもその頃に…、倫子の暗殺を持ちかけし明和8(1771)年の7月頃にでも、家基が暗殺までも考えていることを伝えたと?」
家治が直熙にそう尋ねた。
「御意…、さればお富の方も納得すまいものと思われますゆえ…、何ゆえに治済の側妾になったからと申して、その治済との間になした子が次期将軍になれるのかと…」
「家基がいるにもかかわらず、とな?」
「御意…、されば治済は、畏れ多くも御台様、それに萬壽姫様のお命まで奪い奉りしことが、大納言様のお命を奪い奉りしことの前段階であるとも…」
さしずめ「予行演習」であるとも、治済はお富の方に打ち明けたのだろうと、直熙はそう示唆し、
「無論、高橋につきましても…」
そう付け加えた。
「何しろ高橋には、倫子が毒殺されしを黙認してもらう、のみならず、次は萬壽が毒殺を…、それも今度は黙認などではのうて、積極的に、と申しては語弊があるやも知れぬが、富が倫子に対してそうするように、高橋にも萬壽に対して…、萬壽が口にせし料理に毒物を…、そのシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケなる毒キノコを混入してもらわねばならぬから、か?」
「御意…、いえ、或いは畏れ多くも御台様や萬壽姫様がお召しあがりになられしお食事に毒物を…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを混入せしはまず初めに毒見をせし廣敷番之頭やも知れず…」
「富にしろ、高橋にしろそれを黙認…、倫子や萬壽に中年寄…、毒見役として仕えながらも、廣敷番之頭の手により毒物が…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケが混入されし食事の毒見を行わずに、そのまま供させたと?」
「その可能性もあるやに…」
「成程…」
家治は頷いてみせた。
「いずれに致しましても、治済は畏れ多くも御台様や萬壽姫様の毒殺の真意を語って聞かせたものとも思われまする…」
直熙の言葉に家治は頷いた。
「それと…、お富の方や高橋に対する説得、いや、勧誘と申すべきところであろうか…、ともあれそれと並行して、廣敷番之頭…、若林平左衛門と木室七左衛門、この二人の廣敷番之頭に対しても説得、或いは勧誘を致したわけでござるな?一橋治済は…」
意知がそう尋ねるや、
「左様…、いや、治済からすれば、廣敷番之頭への説得、もとい勧誘の方が容易であったやも知れぬな…」
直熙はそう答えたので、「そはまた、何ゆえに?」と今度は家治が尋ねた。
「ははっ。されば、お富の方や高橋は中年寄…、つまりは一生奉公にて…、要は大奥から外へと出られず、ゆえにこの二人…、一生奉公のお富の方や高橋を勧誘…、畏れ多くも御台様や萬壽姫様の暗殺…、それも毒殺に手を貸して貰いたしと、斯様に勧誘致そうと思えば、治済より大奥へと足を運ばねばならず…、それに比して廣敷番之頭は一生奉公のような斯かる制約とは無縁にて…」
「いつにても説得、勧誘が出来る、と…、それゆえ富や高橋に対する説得、勧誘よりは容易いと申すのだな?廣敷番之頭に対する説得、勧誘の方が…」
「御意…」
「そして廣敷番之頭であった若林平左衛門や木室七左衛門にしても各々、一橋家との縁からその、治済よりの説得、勧誘に乗ったと申すのだな?」
「御意…、いえ、恐らくは…」
「いや、最早、それに相違あるまいて…、そして、その廣敷番之頭の若林平左衛門と木室七左衛門が宿直の日に…、8月13日に決行したわけだな…、倫子が食せし夕食にそのシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを…」
「廣敷番之頭でありし、それも御台様がお召しあがりになられしご夕食をまず初めに毒見せし若林平左衛門がそのご夕食にシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを混入し、それを相役の…、萬壽姫様がお召しあがりになられしご夕食を同じくまず初めに毒見をせし木室七左衛門が黙認、そうして御台様がお召しあがしになられしご夕食…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケが混入されしご夕食が、萬壽姫様がお召しあがりになられしご夕食共々、廣敷番之頭の若林平左衛門と木室七左衛門の両名の手により中年寄…、もう一度、毒見を担いし、お富の方と高橋の元へと運ばれ、そして実際には毒見をしなかった…、毒が…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケが混入してはおりませなんだ、萬壽姫様がお召しあがりになられしご夕食の毒見、それを担いし高橋は兎も角、お富の方は御台様の毒見役である中年寄であるにもかかわらず、毒見をせずして、そのまま御台様の元へとそのシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケが混入されしそのご夕食を運んだか…」
直熙がそこで言葉を区切るや、家治がその続きを引き取ってみせた。
「若しくは、廣敷番之頭が監視の下、中年寄が二度目の毒見を担いしその時…、即ち、廣敷番之頭の若林平左衛門と木室七左衛門の両名による監視の下、お富の方が倫子が食せし夕食にシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを混入したと?」
「御意…」
「されば安永2(1773)年は如何に?」
家治はそう尋ねた。萬壽姫の死亡時の状況を尋ねていたのだ。
「されば…、やはりご薨去あそばされましたる2月の20日、それよりも12日程前の2月の、それも6日に…」
直熙がそう言いかけるや、
「山菜料理を…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを食したと?萬壽は…」
家治がそう言葉を被せた。
「御意…」
「なれど…、それでは…、畏れ多くも萬壽姫様がご薨去あそばされし2月の20日まで14日間…、ちょうど2週間もの間があり…」
毒キノコを摂取してから2週間もの間があるとは、意知には些か長過ぎるように思われた。
「なれど、2月6日から20日までの間、萬壽姫様が山菜料理を…、それも茸をお召しあがりになられしことは一度もなく…」
直熙はそう断言し、意知としても直熙にそう断言されては反論できなかった。
「或いは女性には効き目が遅いのやも知れぬな…」
平蔵がそう応じた。毒の効果に男女差があるのか否か、意知にも分からなかったが、考えられないことではないなと、意知は思った。
「それで…、やはりご夕食にて?」
意知は直熙に尋ねた。
「如何にも…、されば宿直は木室七左衛門にて…」
つまりは木室七左衛門が萬壽姫の食事、それも夕食の毒見をしたというわけだ。
いや、正確にはまともに毒見をしなかったと言うべきであろう。
そこで意知はふと疑問が浮かんだ。
「宿直は…、宿直の廣敷番之頭は一人にて?」
意知はそれが疑問であった。
「左様…、と申すのもそれより…、畏れ多くも萬壽姫様がご薨去あそばされし安永2(1773)年より1年前の安永元(1772)年…、いや、明和9年と申すべきであろうな、その年の3月の確か22日であったか、身罷ったゆえ…」
若林平左衛門は萬壽姫が亡くなった、いや、毒殺された安永2(1773)年より1年前には既に死亡していた…、直熙よりその事実を聞かされた意知は衝撃を受けると同時に、
「口封じ…」
その言葉が脳裏に浮かび、そしてそれは家治や平蔵にしても同様であったらしく、二人は思わず意知と視線を交わらせたかと思うと、直熙へと視線を向けた。
すると皆の視線を受けた直熙もまた、そうと察した様子で、
「されば…、口封じと、お考えで?」
皆にそう尋ね、それに対して皆も…、家治にしろ、平蔵にしろ、そして意知にしろ皆、頷いた。
「その場合…、一橋治済が口封じを目論んだとお思いで?」
その通りであったので、家治たちはやはり頷いた。
すると意外にも、「その可能性は低いやに…」との直熙の答えが返ってきた。
「そはまた何ゆえに?」
家治は首をかしげつつ、尋ねた。
「されば仮に、一橋治済が口封じを目論み、それゆえに若林平左衛門の口を封じたのであらば、その相役の木室七左衛門にしてもその口が塞がれて然るべきやに…」
「と申すと、木室七左衛門は今もって健在とな?」
「御意…、尤も、流石に今はもう勤めを辞し、小普請入りを果たしておりまするが…」
確かに、一橋治済が若林平左衛門のみ口封じを謀るとは考え難かった。口封じを謀るのであらば、木室七左衛門も一緒にと、そう考えるのが自然であった。
「或いは…、若林平左衛門は悪心を起こしたのやも…」
平蔵がそう口を挟んだ。そしてそれは意知も考えていたことであったので、
「されば…、若林平左衛門は…、一橋治済に口止め料でも求めたと…、それも決して安くはない…、それどころか莫大なる額の口止め料を…」
意知がそう言うと、平蔵を頷かせた。
「成程…、それなれば治済めが若林平左衛門のみの口を塞いだことの説明がつくと申すもの…」
家治も納得した様子であったが、しかし、それに対して直熙が「いや、それは如何なものかと…」と意知の説明に否定的な反応を示した。
「何ゆえぞ?」
家治は首をかしげてみせた。
「されば…、最前、申し上げましたる通り、若林平左衛門は娘が一橋家の陪臣の伊東半左衛門の許へと嫁しており…、なれど仮に、若林半左衛門が意知が申す通り、悪心を起こし…、一橋治済に強請をかけ、それが為にその口を塞がれたとして、今は一橋家の陪臣の伊東半左衛門の妻女となりしその娘も無事では済まず…、最低でも離縁されるに相違なく、なれど…」
「実際には今でも夫婦、仲睦まじい、と?」
家治がそう口を挟んだので、直熙は「御意」と答え、
「されば少なくとも、若林平左衛門が一橋治済によってその口を塞がれし可能性は低いやに…」
改めてそう告げ、これには意知も、「確かに…」と己の推理の誤りを認識させられたものであった。
すると家治がそんな意知を気遣うかのように、
「されば話を戻すが…、萬壽が身罷りし安永2(1773)年の時点では宿直の廣敷番之頭は一人であると?」
直熙にそう尋ねたのであった。それは意知も、それに平蔵も気になっていたことであった。
「御意…、されば依田豊前が進言にて…」
直熙の口からまた、気になる人名が飛び出し、
「なに?依田豊前とな?」
特に家治は強く反応した。
「御意…、されば安永元(1772)年、いや、明和9年の3月に若林平左衛門が身罷りしことで、廣敷番之頭は9人から8人へと減り…、されば廣敷番之頭が守り申し上げるべき御台様や姫君様におかせられましても、既に御台様は亡く、されば廣敷番之頭が守り申し上げるべきは…、ここ本丸の大奥にては最早、萬壽姫様御一人ということで…」
「それで、宿直をせし廣敷番之頭につきても、わざわざ二人で宿直をするには及ばず、一人で十分…、依田豊前めは左様に申したと?」
家治が先回りしてそう尋ねるや、直熙も「御意」と応じた。
「なれど…、それはあくまで口実に過ぎないものやに…」
意知がそう口を挟むと、やはり家治が先回りして、
「されば萬壽が暗殺…、毒殺をし易くするため、だな?」
意知にそう尋ねた。
「御意。されば依田豊前めが一橋治済と繋がりしことは最早、疑いようがないやに…」
意知が更にそう続けると、家治も同感だと言わんばかりに頷いてみせた。
「問題は、依田豊前が一橋家と如何なる繋がりがあるか…」
平蔵がそう口を挟んだ。正しくその通りであった。依田豊前こと豊前守政次と一橋家との繋がりが分からないことにはどうにも前に進めなかった。
するとそこで直熙がまたしても「年の功」を発揮した。
「されば、御膳奉行の山木次郎八を通じて、一橋家と縁があるのやも知れませぬなぁ…」
直熙の口から山木次郎八の名が飛び出したことから、家治たちは目を向いた。
「何ゆえ、そこで山木次郎八の名が出て来るのだ?」
家治が呻くように尋ねた。それは意知や平蔵の疑問でもあった。
「されば山木次郎八は依田豊前めが次男にて…」
直熙が事も無げにそう答えてみせ、家治たちを驚愕させた。
いや、平蔵は北町奉行の曲淵景漸より山木次郎八が一橋家老にまで上り詰めた山木織部正伴明の養嗣子だとは聞かされていたものの、まさか実父が依田豊前こと豊前守政次だったとは思いもしなかった。
「されば依田豊前がその次男、次郎八…、次郎八勝明を山木家に養子に出したは…、山木織部が次郎八を養嗣子として迎え入れしは確か、宝暦年間のことにて…、そしてその、次郎八の養父となりし山木織部が一橋家老へと進みしは確か、明和5(1768)年頃であったやに…」
「されば、依田豊前めが次男、次郎八をその山木織部の許へと養子に出した後に、次郎八の養父となりし山木織部は一橋家老になったと申すのだな?」
家治は一々、念押しするように直熙に確かめた。
「御意…」
直熙がそう応じた途端、意知はあることに気付いて思わず、「あっ」と声を上げていた。
「意知、如何致したのだ?」
家治にそう声をかけられた意知は小児専門の町医者である小野章以が一橋治済の共犯者になったのも明和5(1768)年である可能性を指摘したのであった。
「おお、そう言えば小野章以が医学館…、躋寿館であったか、そこに毎年50両もの醵金を始めたが正にその明和5(1768)年からであったの…、つまりは殺しの報酬…、殺しに不可欠なる兇器を小野章以が用意せしこととひきかえに、一橋家より莫大なる報酬が支払われ始めた…」
家治が思い出したようにそう告げたので、「御意」と意知は答えた。
「すると…、もしやすると、一橋治済より…、治済が一橋家老となりし山木織部に対して、依田豊前めを紹介してくれるよう頼んだのやも知れませぬなぁ…」
平蔵がそう口を挟んだ。
「治済が?家老となりし山木織部に対して?」
家治は首をかしげながら聞き返した。
「御意。されば治済はその頃より…、明和5(1768)年頃より既に畏れ多くも大納言様が暗殺を目論んでおり、その前段階として、畏れ多くも御台様や、萬壽姫様までも暗殺を目論見、なれどそのためには留守居の協力が必要だとそう思い定め、そんな折に家老として山木織部が着任し、治済はふと、その山木織部に対して尋ねたのではござりますまいか…」
「誰ぞ、留守居を知らぬかと?」
「御意。いや、まさかに、大奥におわす御台様や萬壽姫様のお命を奪うべく、大奥の取り締まりに当たりし留守居を紹介して欲しいなどと、左様に真の理由を打ち明けるわけにもゆかず…、何しろ御三卿家老と申さば、その実、御三卿の目付役にて…、さればその家老たる山木織部に対して迂闊に真の理由を打ち明けようものなら、ご公儀の知るところとなるやも知れず…」
「そこで治済は適当なる口実をもうけて、誰ぞ、存じよりの留守居がいれば紹介して欲しいと、治済は山木織部に対して、留守居の紹介を願ったと申すのだな?」
「御意。それに対しまして山木織部はそれなればと、その養嗣子の次郎八が実父にして留守居の依田豊前を紹介したのではござりますまいか…」
平蔵がそう告げた途端、「それはあり得ぬ」との直熙の異議があった。
「そはまた何ゆえで?」
首をかしげる平蔵に対して直熙は、
「されば依田豊前めが今の留守居に進みしは、明和6(1769)年の10月20日ぞ?」
平蔵に止めを刺すようにそう告げ、平蔵をして、「あっ…」と言わせた。
「さればその頃…、明和5(1768)年におけし依田豊前は確か、江戸町奉行、それも北町奉行であったの…」
家治は流石に大奥以外の、ここ中奥や、それに表向のことには詳しかった。
「されば一橋治済めと依田豊前めとが、山木織部を介して繋がりができたのではあるまいかとの、平蔵のその勘働きは、あながち間違いではないやも知れぬぞ…」
家治が平蔵を「フォロー」するようにそう言った。すると意知もそれを受けて、
「或いは…、依田豊前から一橋治済へと接触を…、山木織部を介して接触しようとしたのやも知れまえぬなぁ…」
そう応じたのであった。意知のその意見たるや、将軍・家治への追従という側面もないではないが、それ以上に実際、その可能性があるのではと、意知自身がそう思えばこそであった。
一方、家治は意知のその意見に大いに興味を惹かれた様子で、意知に詳しい説明を求めた。
「されば…、依田豊前めは畏れ多くも大納言様が上様に…、征夷大将軍になられしことを阻止したいと願うていたのではないかと…」
「何と…、家基が将軍になるのを阻もうとしていたと申すか?依田豊前めは…」
「あくまでこの意知が想像の産物にて…」
「構わぬ。続けよ」
「ははっ。されば…、それがしの口から斯様なことを申し上げまするは些か気が引けまするが…、畏れ多くも上様にあらせられましては、そして今は亡き大納言様にあらせられましても、それがし…、下賤なる田沼家にも格別のご厚情を…」
意知がそう言いかけると、家治より、「我が家のことを下賤などと申すでない」とそう訓戒を与えられた。
「ははっ。さはさりながら…」
「依田豊前めはそなたを…、意次と意知親子を左様に…、下賤などと見下しており、その田沼親子…、意次とそなたが征夷大将軍たる余が寵愛を受け、のみならず、次期将軍であった家基からも寵愛を…、とりわけ意知、そなたが次期将軍であった家基よりも寵愛を受け、さればその家基が正式に征夷大将軍とならば、いよいよもって意知の天下となる…」
「天下などとそのような…」
意知は家治の言葉を受けてそう謙遜してみせたが、あながち間違いでもなく、
「なれど、依田豊前めはそう思えばこそ、家基が将軍就任を阻止すべく、一橋治済を頼ろうとしたと、左様に申したいのであろう?」
家治よりそう問われるや、意知は些か抵抗感を感じつつ、「御意」と答えた。
「一方、治済も治済で己が野望の共犯者を探しておりし最中にて、されば依田豊前めと治済めとの邂逅は正に天の配剤とでも申すべきか、ともあれ依田豊前めと治済とが、山木織部の仲立ちにて繋がったと申すのだな?」
家治より問われた意知は、「御意」と答えた。
すると不意に、「成程…、それで読めたわ」との直熙の声がした。
「何が読めたと申すのだ?」
家治よりその説明を促された直熙は、「ははっ」と応ずるや、
「されば依田豊前めが留守居に就きし理由につきまして…」
そう答えたのであった。
「そは…、如何な意味ぞ?」
家治は直熙に対して更に詳しい説明を求めた。
「されば依田豊前めは北町奉行を務め終えし後には大目付へと栄進を果たし…、これが明和6(1769)年の8月15日のことにて…、なれどそれから二月も経たぬ10月20日に今の留守居へと更なる栄進を果たし…」
「それは…、依田豊前めが大目付として他の大目付や、更には目付とも諍いを起こしたがために…」
人事の決裁権者は将軍たる家治であり、そうであればこそ、家治は良く覚えていた。
「確かに…、なれどそれはあくまで留守居になるための芝居であったやも知れませぬ…、無論、一橋治済の後押しもあったのやも…」
直熙からその可能性を指摘された家治は、「確かに…」とその可能性を認めた。
「そうして晴れて大奥の取り締まりに当たりし留守居に就きし依田豊前はそこで、御台様や姫君様がお召しあがりになられしお食事の毒見をせしが、それぞれ…、御台様や姫君様に附属されし中年寄や、更には廣敷番之頭が担うものと把握し、そこで…」
「中年寄が誰であるのか…、それも一橋家と所縁のある者か否か…、それに廣敷番之頭にしてもその中に果たして一橋家と所縁のありし者がいるかどうか、それを調べたと?」
「恐らくは…、そしてその結果、幸いにも…、と申し上げますれば畏れ多くも上様には申し訳なきことなれど…」
意知がそう言いかけただけで、家治には意知が何を言いたいのか、察しがついた様子であった。
「されば廣敷番之頭の中には若林平左衛門なる者と木室七左衛門なる者の両名が一橋家と縁があり、そして更に好都合なことに、倫子や萬壽、それぞれに附属せし中年寄…、富と高橋もまた、一橋家と縁があることを突き止め、それを治済に告口せしことで、倫子や萬壽が暗殺…、毒殺の一助としたわけだな?治済めは…」
家治は無念さ半分、そして治済や、更には依田政次に対する憤り半分といった様子でそう言葉を吐き出した。
それに対して意知は答えることに躊躇しつつも、「御意」と答えたのであった。
家治が直熙にそう尋ねた。
「御意…、さればお富の方も納得すまいものと思われますゆえ…、何ゆえに治済の側妾になったからと申して、その治済との間になした子が次期将軍になれるのかと…」
「家基がいるにもかかわらず、とな?」
「御意…、されば治済は、畏れ多くも御台様、それに萬壽姫様のお命まで奪い奉りしことが、大納言様のお命を奪い奉りしことの前段階であるとも…」
さしずめ「予行演習」であるとも、治済はお富の方に打ち明けたのだろうと、直熙はそう示唆し、
「無論、高橋につきましても…」
そう付け加えた。
「何しろ高橋には、倫子が毒殺されしを黙認してもらう、のみならず、次は萬壽が毒殺を…、それも今度は黙認などではのうて、積極的に、と申しては語弊があるやも知れぬが、富が倫子に対してそうするように、高橋にも萬壽に対して…、萬壽が口にせし料理に毒物を…、そのシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケなる毒キノコを混入してもらわねばならぬから、か?」
「御意…、いえ、或いは畏れ多くも御台様や萬壽姫様がお召しあがりになられしお食事に毒物を…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを混入せしはまず初めに毒見をせし廣敷番之頭やも知れず…」
「富にしろ、高橋にしろそれを黙認…、倫子や萬壽に中年寄…、毒見役として仕えながらも、廣敷番之頭の手により毒物が…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケが混入されし食事の毒見を行わずに、そのまま供させたと?」
「その可能性もあるやに…」
「成程…」
家治は頷いてみせた。
「いずれに致しましても、治済は畏れ多くも御台様や萬壽姫様の毒殺の真意を語って聞かせたものとも思われまする…」
直熙の言葉に家治は頷いた。
「それと…、お富の方や高橋に対する説得、いや、勧誘と申すべきところであろうか…、ともあれそれと並行して、廣敷番之頭…、若林平左衛門と木室七左衛門、この二人の廣敷番之頭に対しても説得、或いは勧誘を致したわけでござるな?一橋治済は…」
意知がそう尋ねるや、
「左様…、いや、治済からすれば、廣敷番之頭への説得、もとい勧誘の方が容易であったやも知れぬな…」
直熙はそう答えたので、「そはまた、何ゆえに?」と今度は家治が尋ねた。
「ははっ。されば、お富の方や高橋は中年寄…、つまりは一生奉公にて…、要は大奥から外へと出られず、ゆえにこの二人…、一生奉公のお富の方や高橋を勧誘…、畏れ多くも御台様や萬壽姫様の暗殺…、それも毒殺に手を貸して貰いたしと、斯様に勧誘致そうと思えば、治済より大奥へと足を運ばねばならず…、それに比して廣敷番之頭は一生奉公のような斯かる制約とは無縁にて…」
「いつにても説得、勧誘が出来る、と…、それゆえ富や高橋に対する説得、勧誘よりは容易いと申すのだな?廣敷番之頭に対する説得、勧誘の方が…」
「御意…」
「そして廣敷番之頭であった若林平左衛門や木室七左衛門にしても各々、一橋家との縁からその、治済よりの説得、勧誘に乗ったと申すのだな?」
「御意…、いえ、恐らくは…」
「いや、最早、それに相違あるまいて…、そして、その廣敷番之頭の若林平左衛門と木室七左衛門が宿直の日に…、8月13日に決行したわけだな…、倫子が食せし夕食にそのシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを…」
「廣敷番之頭でありし、それも御台様がお召しあがりになられしご夕食をまず初めに毒見せし若林平左衛門がそのご夕食にシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを混入し、それを相役の…、萬壽姫様がお召しあがりになられしご夕食を同じくまず初めに毒見をせし木室七左衛門が黙認、そうして御台様がお召しあがしになられしご夕食…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケが混入されしご夕食が、萬壽姫様がお召しあがりになられしご夕食共々、廣敷番之頭の若林平左衛門と木室七左衛門の両名の手により中年寄…、もう一度、毒見を担いし、お富の方と高橋の元へと運ばれ、そして実際には毒見をしなかった…、毒が…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケが混入してはおりませなんだ、萬壽姫様がお召しあがりになられしご夕食の毒見、それを担いし高橋は兎も角、お富の方は御台様の毒見役である中年寄であるにもかかわらず、毒見をせずして、そのまま御台様の元へとそのシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケが混入されしそのご夕食を運んだか…」
直熙がそこで言葉を区切るや、家治がその続きを引き取ってみせた。
「若しくは、廣敷番之頭が監視の下、中年寄が二度目の毒見を担いしその時…、即ち、廣敷番之頭の若林平左衛門と木室七左衛門の両名による監視の下、お富の方が倫子が食せし夕食にシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを混入したと?」
「御意…」
「されば安永2(1773)年は如何に?」
家治はそう尋ねた。萬壽姫の死亡時の状況を尋ねていたのだ。
「されば…、やはりご薨去あそばされましたる2月の20日、それよりも12日程前の2月の、それも6日に…」
直熙がそう言いかけるや、
「山菜料理を…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを食したと?萬壽は…」
家治がそう言葉を被せた。
「御意…」
「なれど…、それでは…、畏れ多くも萬壽姫様がご薨去あそばされし2月の20日まで14日間…、ちょうど2週間もの間があり…」
毒キノコを摂取してから2週間もの間があるとは、意知には些か長過ぎるように思われた。
「なれど、2月6日から20日までの間、萬壽姫様が山菜料理を…、それも茸をお召しあがりになられしことは一度もなく…」
直熙はそう断言し、意知としても直熙にそう断言されては反論できなかった。
「或いは女性には効き目が遅いのやも知れぬな…」
平蔵がそう応じた。毒の効果に男女差があるのか否か、意知にも分からなかったが、考えられないことではないなと、意知は思った。
「それで…、やはりご夕食にて?」
意知は直熙に尋ねた。
「如何にも…、されば宿直は木室七左衛門にて…」
つまりは木室七左衛門が萬壽姫の食事、それも夕食の毒見をしたというわけだ。
いや、正確にはまともに毒見をしなかったと言うべきであろう。
そこで意知はふと疑問が浮かんだ。
「宿直は…、宿直の廣敷番之頭は一人にて?」
意知はそれが疑問であった。
「左様…、と申すのもそれより…、畏れ多くも萬壽姫様がご薨去あそばされし安永2(1773)年より1年前の安永元(1772)年…、いや、明和9年と申すべきであろうな、その年の3月の確か22日であったか、身罷ったゆえ…」
若林平左衛門は萬壽姫が亡くなった、いや、毒殺された安永2(1773)年より1年前には既に死亡していた…、直熙よりその事実を聞かされた意知は衝撃を受けると同時に、
「口封じ…」
その言葉が脳裏に浮かび、そしてそれは家治や平蔵にしても同様であったらしく、二人は思わず意知と視線を交わらせたかと思うと、直熙へと視線を向けた。
すると皆の視線を受けた直熙もまた、そうと察した様子で、
「されば…、口封じと、お考えで?」
皆にそう尋ね、それに対して皆も…、家治にしろ、平蔵にしろ、そして意知にしろ皆、頷いた。
「その場合…、一橋治済が口封じを目論んだとお思いで?」
その通りであったので、家治たちはやはり頷いた。
すると意外にも、「その可能性は低いやに…」との直熙の答えが返ってきた。
「そはまた何ゆえに?」
家治は首をかしげつつ、尋ねた。
「されば仮に、一橋治済が口封じを目論み、それゆえに若林平左衛門の口を封じたのであらば、その相役の木室七左衛門にしてもその口が塞がれて然るべきやに…」
「と申すと、木室七左衛門は今もって健在とな?」
「御意…、尤も、流石に今はもう勤めを辞し、小普請入りを果たしておりまするが…」
確かに、一橋治済が若林平左衛門のみ口封じを謀るとは考え難かった。口封じを謀るのであらば、木室七左衛門も一緒にと、そう考えるのが自然であった。
「或いは…、若林平左衛門は悪心を起こしたのやも…」
平蔵がそう口を挟んだ。そしてそれは意知も考えていたことであったので、
「されば…、若林平左衛門は…、一橋治済に口止め料でも求めたと…、それも決して安くはない…、それどころか莫大なる額の口止め料を…」
意知がそう言うと、平蔵を頷かせた。
「成程…、それなれば治済めが若林平左衛門のみの口を塞いだことの説明がつくと申すもの…」
家治も納得した様子であったが、しかし、それに対して直熙が「いや、それは如何なものかと…」と意知の説明に否定的な反応を示した。
「何ゆえぞ?」
家治は首をかしげてみせた。
「されば…、最前、申し上げましたる通り、若林平左衛門は娘が一橋家の陪臣の伊東半左衛門の許へと嫁しており…、なれど仮に、若林半左衛門が意知が申す通り、悪心を起こし…、一橋治済に強請をかけ、それが為にその口を塞がれたとして、今は一橋家の陪臣の伊東半左衛門の妻女となりしその娘も無事では済まず…、最低でも離縁されるに相違なく、なれど…」
「実際には今でも夫婦、仲睦まじい、と?」
家治がそう口を挟んだので、直熙は「御意」と答え、
「されば少なくとも、若林平左衛門が一橋治済によってその口を塞がれし可能性は低いやに…」
改めてそう告げ、これには意知も、「確かに…」と己の推理の誤りを認識させられたものであった。
すると家治がそんな意知を気遣うかのように、
「されば話を戻すが…、萬壽が身罷りし安永2(1773)年の時点では宿直の廣敷番之頭は一人であると?」
直熙にそう尋ねたのであった。それは意知も、それに平蔵も気になっていたことであった。
「御意…、されば依田豊前が進言にて…」
直熙の口からまた、気になる人名が飛び出し、
「なに?依田豊前とな?」
特に家治は強く反応した。
「御意…、されば安永元(1772)年、いや、明和9年の3月に若林平左衛門が身罷りしことで、廣敷番之頭は9人から8人へと減り…、されば廣敷番之頭が守り申し上げるべき御台様や姫君様におかせられましても、既に御台様は亡く、されば廣敷番之頭が守り申し上げるべきは…、ここ本丸の大奥にては最早、萬壽姫様御一人ということで…」
「それで、宿直をせし廣敷番之頭につきても、わざわざ二人で宿直をするには及ばず、一人で十分…、依田豊前めは左様に申したと?」
家治が先回りしてそう尋ねるや、直熙も「御意」と応じた。
「なれど…、それはあくまで口実に過ぎないものやに…」
意知がそう口を挟むと、やはり家治が先回りして、
「されば萬壽が暗殺…、毒殺をし易くするため、だな?」
意知にそう尋ねた。
「御意。されば依田豊前めが一橋治済と繋がりしことは最早、疑いようがないやに…」
意知が更にそう続けると、家治も同感だと言わんばかりに頷いてみせた。
「問題は、依田豊前が一橋家と如何なる繋がりがあるか…」
平蔵がそう口を挟んだ。正しくその通りであった。依田豊前こと豊前守政次と一橋家との繋がりが分からないことにはどうにも前に進めなかった。
するとそこで直熙がまたしても「年の功」を発揮した。
「されば、御膳奉行の山木次郎八を通じて、一橋家と縁があるのやも知れませぬなぁ…」
直熙の口から山木次郎八の名が飛び出したことから、家治たちは目を向いた。
「何ゆえ、そこで山木次郎八の名が出て来るのだ?」
家治が呻くように尋ねた。それは意知や平蔵の疑問でもあった。
「されば山木次郎八は依田豊前めが次男にて…」
直熙が事も無げにそう答えてみせ、家治たちを驚愕させた。
いや、平蔵は北町奉行の曲淵景漸より山木次郎八が一橋家老にまで上り詰めた山木織部正伴明の養嗣子だとは聞かされていたものの、まさか実父が依田豊前こと豊前守政次だったとは思いもしなかった。
「されば依田豊前がその次男、次郎八…、次郎八勝明を山木家に養子に出したは…、山木織部が次郎八を養嗣子として迎え入れしは確か、宝暦年間のことにて…、そしてその、次郎八の養父となりし山木織部が一橋家老へと進みしは確か、明和5(1768)年頃であったやに…」
「されば、依田豊前めが次男、次郎八をその山木織部の許へと養子に出した後に、次郎八の養父となりし山木織部は一橋家老になったと申すのだな?」
家治は一々、念押しするように直熙に確かめた。
「御意…」
直熙がそう応じた途端、意知はあることに気付いて思わず、「あっ」と声を上げていた。
「意知、如何致したのだ?」
家治にそう声をかけられた意知は小児専門の町医者である小野章以が一橋治済の共犯者になったのも明和5(1768)年である可能性を指摘したのであった。
「おお、そう言えば小野章以が医学館…、躋寿館であったか、そこに毎年50両もの醵金を始めたが正にその明和5(1768)年からであったの…、つまりは殺しの報酬…、殺しに不可欠なる兇器を小野章以が用意せしこととひきかえに、一橋家より莫大なる報酬が支払われ始めた…」
家治が思い出したようにそう告げたので、「御意」と意知は答えた。
「すると…、もしやすると、一橋治済より…、治済が一橋家老となりし山木織部に対して、依田豊前めを紹介してくれるよう頼んだのやも知れませぬなぁ…」
平蔵がそう口を挟んだ。
「治済が?家老となりし山木織部に対して?」
家治は首をかしげながら聞き返した。
「御意。されば治済はその頃より…、明和5(1768)年頃より既に畏れ多くも大納言様が暗殺を目論んでおり、その前段階として、畏れ多くも御台様や、萬壽姫様までも暗殺を目論見、なれどそのためには留守居の協力が必要だとそう思い定め、そんな折に家老として山木織部が着任し、治済はふと、その山木織部に対して尋ねたのではござりますまいか…」
「誰ぞ、留守居を知らぬかと?」
「御意。いや、まさかに、大奥におわす御台様や萬壽姫様のお命を奪うべく、大奥の取り締まりに当たりし留守居を紹介して欲しいなどと、左様に真の理由を打ち明けるわけにもゆかず…、何しろ御三卿家老と申さば、その実、御三卿の目付役にて…、さればその家老たる山木織部に対して迂闊に真の理由を打ち明けようものなら、ご公儀の知るところとなるやも知れず…」
「そこで治済は適当なる口実をもうけて、誰ぞ、存じよりの留守居がいれば紹介して欲しいと、治済は山木織部に対して、留守居の紹介を願ったと申すのだな?」
「御意。それに対しまして山木織部はそれなればと、その養嗣子の次郎八が実父にして留守居の依田豊前を紹介したのではござりますまいか…」
平蔵がそう告げた途端、「それはあり得ぬ」との直熙の異議があった。
「そはまた何ゆえで?」
首をかしげる平蔵に対して直熙は、
「されば依田豊前めが今の留守居に進みしは、明和6(1769)年の10月20日ぞ?」
平蔵に止めを刺すようにそう告げ、平蔵をして、「あっ…」と言わせた。
「さればその頃…、明和5(1768)年におけし依田豊前は確か、江戸町奉行、それも北町奉行であったの…」
家治は流石に大奥以外の、ここ中奥や、それに表向のことには詳しかった。
「されば一橋治済めと依田豊前めとが、山木織部を介して繋がりができたのではあるまいかとの、平蔵のその勘働きは、あながち間違いではないやも知れぬぞ…」
家治が平蔵を「フォロー」するようにそう言った。すると意知もそれを受けて、
「或いは…、依田豊前から一橋治済へと接触を…、山木織部を介して接触しようとしたのやも知れまえぬなぁ…」
そう応じたのであった。意知のその意見たるや、将軍・家治への追従という側面もないではないが、それ以上に実際、その可能性があるのではと、意知自身がそう思えばこそであった。
一方、家治は意知のその意見に大いに興味を惹かれた様子で、意知に詳しい説明を求めた。
「されば…、依田豊前めは畏れ多くも大納言様が上様に…、征夷大将軍になられしことを阻止したいと願うていたのではないかと…」
「何と…、家基が将軍になるのを阻もうとしていたと申すか?依田豊前めは…」
「あくまでこの意知が想像の産物にて…」
「構わぬ。続けよ」
「ははっ。されば…、それがしの口から斯様なことを申し上げまするは些か気が引けまするが…、畏れ多くも上様にあらせられましては、そして今は亡き大納言様にあらせられましても、それがし…、下賤なる田沼家にも格別のご厚情を…」
意知がそう言いかけると、家治より、「我が家のことを下賤などと申すでない」とそう訓戒を与えられた。
「ははっ。さはさりながら…」
「依田豊前めはそなたを…、意次と意知親子を左様に…、下賤などと見下しており、その田沼親子…、意次とそなたが征夷大将軍たる余が寵愛を受け、のみならず、次期将軍であった家基からも寵愛を…、とりわけ意知、そなたが次期将軍であった家基よりも寵愛を受け、さればその家基が正式に征夷大将軍とならば、いよいよもって意知の天下となる…」
「天下などとそのような…」
意知は家治の言葉を受けてそう謙遜してみせたが、あながち間違いでもなく、
「なれど、依田豊前めはそう思えばこそ、家基が将軍就任を阻止すべく、一橋治済を頼ろうとしたと、左様に申したいのであろう?」
家治よりそう問われるや、意知は些か抵抗感を感じつつ、「御意」と答えた。
「一方、治済も治済で己が野望の共犯者を探しておりし最中にて、されば依田豊前めと治済めとの邂逅は正に天の配剤とでも申すべきか、ともあれ依田豊前めと治済とが、山木織部の仲立ちにて繋がったと申すのだな?」
家治より問われた意知は、「御意」と答えた。
すると不意に、「成程…、それで読めたわ」との直熙の声がした。
「何が読めたと申すのだ?」
家治よりその説明を促された直熙は、「ははっ」と応ずるや、
「されば依田豊前めが留守居に就きし理由につきまして…」
そう答えたのであった。
「そは…、如何な意味ぞ?」
家治は直熙に対して更に詳しい説明を求めた。
「されば依田豊前めは北町奉行を務め終えし後には大目付へと栄進を果たし…、これが明和6(1769)年の8月15日のことにて…、なれどそれから二月も経たぬ10月20日に今の留守居へと更なる栄進を果たし…」
「それは…、依田豊前めが大目付として他の大目付や、更には目付とも諍いを起こしたがために…」
人事の決裁権者は将軍たる家治であり、そうであればこそ、家治は良く覚えていた。
「確かに…、なれどそれはあくまで留守居になるための芝居であったやも知れませぬ…、無論、一橋治済の後押しもあったのやも…」
直熙からその可能性を指摘された家治は、「確かに…」とその可能性を認めた。
「そうして晴れて大奥の取り締まりに当たりし留守居に就きし依田豊前はそこで、御台様や姫君様がお召しあがりになられしお食事の毒見をせしが、それぞれ…、御台様や姫君様に附属されし中年寄や、更には廣敷番之頭が担うものと把握し、そこで…」
「中年寄が誰であるのか…、それも一橋家と所縁のある者か否か…、それに廣敷番之頭にしてもその中に果たして一橋家と所縁のありし者がいるかどうか、それを調べたと?」
「恐らくは…、そしてその結果、幸いにも…、と申し上げますれば畏れ多くも上様には申し訳なきことなれど…」
意知がそう言いかけただけで、家治には意知が何を言いたいのか、察しがついた様子であった。
「されば廣敷番之頭の中には若林平左衛門なる者と木室七左衛門なる者の両名が一橋家と縁があり、そして更に好都合なことに、倫子や萬壽、それぞれに附属せし中年寄…、富と高橋もまた、一橋家と縁があることを突き止め、それを治済に告口せしことで、倫子や萬壽が暗殺…、毒殺の一助としたわけだな?治済めは…」
家治は無念さ半分、そして治済や、更には依田政次に対する憤り半分といった様子でそう言葉を吐き出した。
それに対して意知は答えることに躊躇しつつも、「御意」と答えたのであった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…そして終戦工作 分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦
そしてそこから繋がる新たな近代史へ
【時代小説】 黄昏夫婦
蔵屋
歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる