136 / 197
見張所
しおりを挟む
「されば…、畏れ多くも御台様、萬壽姫様のその死を看取りましたのが、それも死に至るまでの経過を詳細に記録せしが遊佐信庭にて…」
平蔵のその言葉だけで景漸はまたしても気付いた様子を見せた。それも顔色を変えて。
「まさか…、御台様、萬壽姫様までが毒殺…、そのシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケで毒殺されたと申すのではあるまいの…」
景漸は呻くように尋ねた。
「そのまさかにて…、されば大納言様の毒殺…、それもまずはご病死に見せかけ、それが叶わぬ時には清水様にその罪を…、大納言様毒殺の罪を着せるその計画は一刻どころか寸分の狂いも許されず、そこで果たしてタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを摂取した者が如何なる経過を辿って死に至るのか、実際に誰かの体で毒の効果を試し、そしてそれを記録する必要があったものと…」
「それでは人体実験ではあるまいかっ!」
景漸がズバリそう言い切った。
「如何にも…」
「それでは…、小野章以は遊佐信庭にそのシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを渡し、そしてそれを使ってまずは御台様、次に萬壽姫様のお命を奪ったと申すのか?来るべき、大納言様殺害…、毒殺に備えて、か?」
「恐らくは…」
「なれど…、仮にそうだとしても、成程、それでシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケは御城に持ち込めるやも知れぬが、なれど御城のそれも大奥におわす、いや、おわされた御台様、萬壽姫様を毒殺…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを服ませるには大奥の中にも共犯者がいると考えるべきであろう…」
確かに景漸の言う通りであった。
「そこで曲淵様にもう一つ、お願いが…」
平蔵はそう切り出した。
「何だ?」
「御留守居の高井土佐守様のお屋敷の所在地を教えて頂き度…」
平蔵がそう頼むと、景漸は文机の紙に高井直熙の屋敷の所在地を書き付けて、それを平蔵に渡した。
「大奥を監督せし高井土佐守様なれば、畏れ多くも御台様、萬壽姫様が薨去されし折…、それも前後の事情に通じているやも知れぬと、そういうわけだな?」
景漸がそう尋ねた。
「如何にも…、特に遊佐信庭が畏れ多くも御台様、萬壽姫様の療治に加わりし事情について何か存じておられるやも知れず…、いや、意知さん…、いえ、これもまた田沼殿より教えられましたことなのですが、何でも遊佐信庭は自ら療治に…、その御台様、萬壽姫様の療治に加わりたいと強く望んだそうで…、最終的には御留守居の駒木根大内記様の鶴の一声にて…」
「なれど、遊佐信庭は表番医師とのことではないか。されば大奥にて畏れ多くも御台様、萬壽姫様の療治に加わるは別段、不審には思えぬのだが…」
「確かに…、なれど遊佐信庭が表番医師に列しましたるは明和6(1769)年だそうで…、一方、御台様が病に…、いえ、今となっては毒にと申すべきやも知れませぬが、お斃れになられましたるはそれから僅か2年後の明和8(1771)年のことにて…」
「いかさま…、まだ2年目の、さしずめ新人というわけだな?」
「左様にて…、さればその遊佐信庭が何ゆえに御台様の療治に加わることが出来たのか…、御留守居の駒木根様は何ゆえに鶴の一声を発せられたのか、今でもご存命の、そしてその当時から今に至るまで御留守居のお役にある高井土佐守様なれば何か存じておられるのではないかと…」
「いかさま…、一橋卿様と通じておるやも知れぬ依田豊前めを頼るわけにはゆかず、そこで高井土佐守様を頼ろうと、そういうわけだな?」
景漸が平蔵にそう尋ねたので、平蔵はやはり、「おやっ?」と思ったものである。それと言うのも、高井直熙にしろ、依田政次にしろ共に留守居であるにもかかわらず、景漸は高井直熙に対してだけ、
「高井様…」
そう敬称を付け、その一方で依田政次に対しては、
「依田豊前め…」
そう呼び捨てであったからだ。しかも、嫌悪感さえ感じられるほどであり、これは一体どうしたことかと、平蔵が首をかしげると、景漸も流石に勘の鋭い男だけにすぐにそうと察すると、
「いや、昔、依田豊前めとは色々とあってのう…」
景漸は依田政次とは不仲であることを平蔵に匂わせたのであった。
平蔵としてはそれに対して、一体、何ゆえに不仲になったのか、大いに興味を惹かれたものの、しかし、その点については景漸も口にしたくない様子であり、そうと察した平蔵はそれ以上の詳しい説明を求めるような愚はおかさなかった。
「いや、話は良く分かった。されば見張所の件も承知した…」
景漸はそう請合うなり、
「それと遊佐信庭を見張るための見張所も設けた方が良いな…」
景漸はそう告げて、平蔵をして、「あっ」と言わせた。確かにその必要性もあり、しかし、平蔵はそこまでは考えが至らず、平蔵は己の未熟を悟ると同時に、景漸の老練さに感嘆させられた。
だがそうは言っても一体、どこに見張所を設けるつもりかと、平蔵は首をかしげた。
するとその冴え渡る勘働きでもってやはりそうと察した景漸は、「案ずるな…」とそう前置きすると、
「されば、栗崎先生を頼ろうぞ…」
「栗崎先生と申されますのは…、あの外科の?」
平蔵も栗崎の苗字程度は、そして外科の家柄であることぐらいは承知していた。
「左様。あの…、表番外科の栗崎先生…、栗崎道巴正明先生よ…」
「と言うことは…、その栗崎先生の屋敷を見張所とするからには、遊佐信庭の屋敷の近くで?」
「近くも何も、お隣さん同士よ」
景漸は事も無げにそう答えてみせたので、平蔵をもう何度目か驚かせた。
「八丁堀に二軒もの官医の屋敷があるとは…」
平蔵の疑問に景漸は、「ああ…」と素直に受け止めると、その事情を説明してくれた。
即ち、元禄の御代、八丁堀の中でも北八丁堀の永沢丁が官医の受領地、つまり屋敷地として割り当てられたことに由来する。
「だとしても…、栗崎先生は果たして、見張所として屋敷を貸して頂けるのでしょうか…」
平蔵には何とも疑問であった。
「なに、それも案ずることはない。いや、栗崎先生には日頃より世話になっておるゆえに…」
「世話に?」
平蔵は首をかしげた。
「左様…、されば町方は捕物など、日頃より生疵が絶えぬところがあるからのう…」
「ああ…、与力や同心の療治も…」
「左様…、それゆえ町方は北南問わず、栗崎先生とは顔馴染みでの…、まぁ、多少の無理も聞いてくれるというものよ…」
景漸はそう言うと、手隙の定町廻同心を呼びつけると、仔細を告げた上で、直ちに栗崎邸へと走らせた。
だが、小野章以を見張るための見張所ともなるとそうはいかない。何しろ一体どこに見張所を設ければ良いのか分からないからだ。
平蔵のその言葉だけで景漸はまたしても気付いた様子を見せた。それも顔色を変えて。
「まさか…、御台様、萬壽姫様までが毒殺…、そのシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケで毒殺されたと申すのではあるまいの…」
景漸は呻くように尋ねた。
「そのまさかにて…、されば大納言様の毒殺…、それもまずはご病死に見せかけ、それが叶わぬ時には清水様にその罪を…、大納言様毒殺の罪を着せるその計画は一刻どころか寸分の狂いも許されず、そこで果たしてタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを摂取した者が如何なる経過を辿って死に至るのか、実際に誰かの体で毒の効果を試し、そしてそれを記録する必要があったものと…」
「それでは人体実験ではあるまいかっ!」
景漸がズバリそう言い切った。
「如何にも…」
「それでは…、小野章以は遊佐信庭にそのシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを渡し、そしてそれを使ってまずは御台様、次に萬壽姫様のお命を奪ったと申すのか?来るべき、大納言様殺害…、毒殺に備えて、か?」
「恐らくは…」
「なれど…、仮にそうだとしても、成程、それでシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケは御城に持ち込めるやも知れぬが、なれど御城のそれも大奥におわす、いや、おわされた御台様、萬壽姫様を毒殺…、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを服ませるには大奥の中にも共犯者がいると考えるべきであろう…」
確かに景漸の言う通りであった。
「そこで曲淵様にもう一つ、お願いが…」
平蔵はそう切り出した。
「何だ?」
「御留守居の高井土佐守様のお屋敷の所在地を教えて頂き度…」
平蔵がそう頼むと、景漸は文机の紙に高井直熙の屋敷の所在地を書き付けて、それを平蔵に渡した。
「大奥を監督せし高井土佐守様なれば、畏れ多くも御台様、萬壽姫様が薨去されし折…、それも前後の事情に通じているやも知れぬと、そういうわけだな?」
景漸がそう尋ねた。
「如何にも…、特に遊佐信庭が畏れ多くも御台様、萬壽姫様の療治に加わりし事情について何か存じておられるやも知れず…、いや、意知さん…、いえ、これもまた田沼殿より教えられましたことなのですが、何でも遊佐信庭は自ら療治に…、その御台様、萬壽姫様の療治に加わりたいと強く望んだそうで…、最終的には御留守居の駒木根大内記様の鶴の一声にて…」
「なれど、遊佐信庭は表番医師とのことではないか。されば大奥にて畏れ多くも御台様、萬壽姫様の療治に加わるは別段、不審には思えぬのだが…」
「確かに…、なれど遊佐信庭が表番医師に列しましたるは明和6(1769)年だそうで…、一方、御台様が病に…、いえ、今となっては毒にと申すべきやも知れませぬが、お斃れになられましたるはそれから僅か2年後の明和8(1771)年のことにて…」
「いかさま…、まだ2年目の、さしずめ新人というわけだな?」
「左様にて…、さればその遊佐信庭が何ゆえに御台様の療治に加わることが出来たのか…、御留守居の駒木根様は何ゆえに鶴の一声を発せられたのか、今でもご存命の、そしてその当時から今に至るまで御留守居のお役にある高井土佐守様なれば何か存じておられるのではないかと…」
「いかさま…、一橋卿様と通じておるやも知れぬ依田豊前めを頼るわけにはゆかず、そこで高井土佐守様を頼ろうと、そういうわけだな?」
景漸が平蔵にそう尋ねたので、平蔵はやはり、「おやっ?」と思ったものである。それと言うのも、高井直熙にしろ、依田政次にしろ共に留守居であるにもかかわらず、景漸は高井直熙に対してだけ、
「高井様…」
そう敬称を付け、その一方で依田政次に対しては、
「依田豊前め…」
そう呼び捨てであったからだ。しかも、嫌悪感さえ感じられるほどであり、これは一体どうしたことかと、平蔵が首をかしげると、景漸も流石に勘の鋭い男だけにすぐにそうと察すると、
「いや、昔、依田豊前めとは色々とあってのう…」
景漸は依田政次とは不仲であることを平蔵に匂わせたのであった。
平蔵としてはそれに対して、一体、何ゆえに不仲になったのか、大いに興味を惹かれたものの、しかし、その点については景漸も口にしたくない様子であり、そうと察した平蔵はそれ以上の詳しい説明を求めるような愚はおかさなかった。
「いや、話は良く分かった。されば見張所の件も承知した…」
景漸はそう請合うなり、
「それと遊佐信庭を見張るための見張所も設けた方が良いな…」
景漸はそう告げて、平蔵をして、「あっ」と言わせた。確かにその必要性もあり、しかし、平蔵はそこまでは考えが至らず、平蔵は己の未熟を悟ると同時に、景漸の老練さに感嘆させられた。
だがそうは言っても一体、どこに見張所を設けるつもりかと、平蔵は首をかしげた。
するとその冴え渡る勘働きでもってやはりそうと察した景漸は、「案ずるな…」とそう前置きすると、
「されば、栗崎先生を頼ろうぞ…」
「栗崎先生と申されますのは…、あの外科の?」
平蔵も栗崎の苗字程度は、そして外科の家柄であることぐらいは承知していた。
「左様。あの…、表番外科の栗崎先生…、栗崎道巴正明先生よ…」
「と言うことは…、その栗崎先生の屋敷を見張所とするからには、遊佐信庭の屋敷の近くで?」
「近くも何も、お隣さん同士よ」
景漸は事も無げにそう答えてみせたので、平蔵をもう何度目か驚かせた。
「八丁堀に二軒もの官医の屋敷があるとは…」
平蔵の疑問に景漸は、「ああ…」と素直に受け止めると、その事情を説明してくれた。
即ち、元禄の御代、八丁堀の中でも北八丁堀の永沢丁が官医の受領地、つまり屋敷地として割り当てられたことに由来する。
「だとしても…、栗崎先生は果たして、見張所として屋敷を貸して頂けるのでしょうか…」
平蔵には何とも疑問であった。
「なに、それも案ずることはない。いや、栗崎先生には日頃より世話になっておるゆえに…」
「世話に?」
平蔵は首をかしげた。
「左様…、されば町方は捕物など、日頃より生疵が絶えぬところがあるからのう…」
「ああ…、与力や同心の療治も…」
「左様…、それゆえ町方は北南問わず、栗崎先生とは顔馴染みでの…、まぁ、多少の無理も聞いてくれるというものよ…」
景漸はそう言うと、手隙の定町廻同心を呼びつけると、仔細を告げた上で、直ちに栗崎邸へと走らせた。
だが、小野章以を見張るための見張所ともなるとそうはいかない。何しろ一体どこに見張所を設ければ良いのか分からないからだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
12
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる