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表番医師・遊佐信庭が小野章以の共犯者である可能性が浮上する 2
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「何か…、御台様の療治の過程で気付かれたことはありませんか?」
意知が元悳にそう水を向けると、
「されば…、熱心に療治の記録を取っていた者がこの中にいるか、とか?」
元悳がズバリ聞き返したので、意知は「正しく…」と素直に認めた。
すると元悳はそんな意知の態度に苦笑を覚えつつも、
「熱心かどうかは分かりかねまするが…」
そう切り出すや、記録係を教えてくれた。
「されば遊佐卜庵が記録しており申した」
元悳がいともあっさりと即答、それも断言してみせたので、意知にはそれが引っかかった。さしずめ、脳内にて危険信号が点った。
「良く覚えておいでですね…」
「いや、熱心に、で思い出したのでござるよ」
「まさか…、熱心に御台様の療治に当たりたいと、左様に希望されたとか?その遊佐信庭は…」
意知がそう勘を働かせるや、元悳は目を丸くした。どうやら意知のその勘の良さに内心、舌を巻いたからのようであった。
「いや、正しくその通りにて…」
元悳は目を丸くしたままそう答えた。
「と言うことは…、熱心に希望したということは本来なら遊佐信庭は御台様の療養に当たるべき立場にはいなかったと?」
「いや、左様に断言は出来申さず…、何しろ遊佐卜庵はその当時…、御台様が病に斃れられし明和8(1771)年の時点で既に表番医師にて…、されば表番医師は意知様もご存知の通り、大奥に病人がありし折には留守居の指図を受けて大奥へと出向いて治療に当たるゆえ…、なれど…」
元悳はそこで言葉を区切ると、考え込むような仕種を見せたので、そこで意知が「なれど?」と先を促した。
「はぁ…、されば遊佐卜庵はこの時、番医に列なってからまだ2年程しか経ってはおらず…」
「2年…、というと明和6(1769)年に番医に列なったと?」
「左様…」
「それは…、まだ早いという意味ですか?御台様の療治を承るには…」
意知にはその辺の感覚が良く分からなかったので尋ねた。
「されば番医に列なりし時点で一人前の医師と看做され申す…」
元悳はまずはそう建前を口にした後で、「なれど」と続けた。
「やはり2年目にして、御台様の、それもご不例の御台様の療治を承るは些か…」
「早いと?」
意知がそう合いの手を入れると、元悳は頷いた。
「なれど実際にはその遊佐先生が御台様の療治…、そのための医師団の一人として加わったわけですよね?」
意知が確かめるように尋ねた。
「左様…、されば記録係なれば遊佐卜庵でも十分に務まるであろうと…」
「務まるであろう…、誰かの言葉ですか?」
意知はそう直感した。
「左様。されば御留守居の駒木根様…、駒木根大内記政永様より左様に…、まぁ、人手はいくらあっても足り過ぎるということはなく、それで…」
元悳が告げたその名に意知は残念ながら記憶になかったが、それでも留守居の言葉というのは頷けた。それと言うのも留守居が大奥を監督することになっていたからだ。
一方、そうと察した元悳が「もう既に…」とその駒木根大内記が鬼籍に入ったことを示唆した。確かにそれは頷ける話ではあった。
何しろ留守居と言えば御側衆やあるいは高家を除いて旗本にとっての出世の終着点のようなポストであったからだ。悪く言えば、「老衰場」であり、つまりは高齢者の溜り場であった。
そうであればそれから10年も経った今…、天明元(1781)年4月2日の今、駒木根大内記は無論のこと、当時を知る留守居の殆ど、いや、全ての者が鬼籍に入っているやも知れなかった。
するとやはりそうと察した元悳が貴重な情報を与えてくれた。
「されば高井様…、高井土佐守直熙様と依田豊前守政次様が今でも存命にて、それも留守居のお役にあれば、このお二人に聞けば何か分かるやも知れませぬ」
元悳が口にしたその二人なら意知も聞き覚えがあり、意知はこの二人から倫子の治療の状況について尋ねることにした。
「それからいまひとつ…」
元悳は思い出したようにそう切り出した。
「何です?」
意知は恐る恐る尋ねた。やはりとんでもない情報に違いないと、意知はそう直感したからだ。
「されば安永2(1773)年の2月20日に萬壽姫様も薨去なさいましたが、実はその折も…」
「まさか…、その遊佐先生が萬壽姫様への療治の記録を取られたとか?」
意知がそう勘を働かせると、元悳は「左様」と首肯した。
これでいよいよもって意知にはその遊佐卜庵こと遊佐信庭が怪しく思えてきた。
それでも意知は念のために萬壽姫の療治に加わった医師団についても元悳に尋ねた。それに対して元悳はやはり診療記録を繰りながら意知に教えた。
「基本的には畏れ多くも御台様の療治を承りし面々と変わらず…」
元悳はそう前置きしつつも、明和8(1771)年には倫子の治療チームの一人であった、西之丸の奥医師の吉田榮元法眼こと吉田忠祝が萬壽姫の治療には加わらなかったことを教えてくれた。これは吉田忠祝が安永元(1772)年の7月6日に亡くなったためである。
だがその代わりと言うわけでもないが、西之丸の奥医師から新たに、将来を嘱望されていた井上良泉法眼こと井上玄高とそれから河野良以法眼こと河野通久の二人が加わったそうな。
井上玄高の場合、吉田忠祝の死から9日後の7月15日に西之丸の奥医師に取り立てられ、それに伴い、その年の暮、12月18日に法眼に叙されたためである。
一方、河野通久はと言うと、井上玄高と同日に西之丸の奥医師に取り立てられ、そして同日に法眼に叙された謂わば、
「同期の桜」
であった。ともあれこの二人が萬壽姫の治療チームの一員に加わるのは至極、当然のことと言えた。
ちなみに河野通久は本丸の奥医師である河野仙壽院法印こと河野通頼の息であり、謂わば、
「ジュニア」
であった。
そしてジュニアと言えばもう一人、
「武田宗安法眼こと武田信復」
がそうであり、父は誰あろう、本丸奥医師の武田長春院法印こと武田信郷であった。
武田信復の場合、井上玄高や、さしずめ「ジュニア仲間」とでも呼ぶべき河野通久よりも早く、本丸の奥医師に取り立てられた。
と言っても一月以上前の6月3日のことであり、法眼に叙されたのは井上玄高や「ジュニア仲間」の河野通久と同じくその年の暮の12月18日のことであった。
ちなみに武田信復は本丸の奥医師に取り立てられたので、言ってみれば、
「父と同じ職場…」
というわけだ。尤も、武田信復が父・信郷と共にその「職場」とも言うべき江戸城の本丸にて一緒に勤めていた期間は1年と半年程に過ぎなかった。それと言うのも、武田信復が本丸の奥医師に取り立てられた安永元(1772)年の6月3日から1年と半年程経過した安永2(1773)年の12月6日に父・信郷が亡くなったためである。
ともあれその1年と半年程の間に武田親子は萬壽姫の療治に当たり、そしてその死に直面したわけだ。
そしてそれは遊佐信庭にも同じことが言えた。
意知が元悳にそう水を向けると、
「されば…、熱心に療治の記録を取っていた者がこの中にいるか、とか?」
元悳がズバリ聞き返したので、意知は「正しく…」と素直に認めた。
すると元悳はそんな意知の態度に苦笑を覚えつつも、
「熱心かどうかは分かりかねまするが…」
そう切り出すや、記録係を教えてくれた。
「されば遊佐卜庵が記録しており申した」
元悳がいともあっさりと即答、それも断言してみせたので、意知にはそれが引っかかった。さしずめ、脳内にて危険信号が点った。
「良く覚えておいでですね…」
「いや、熱心に、で思い出したのでござるよ」
「まさか…、熱心に御台様の療治に当たりたいと、左様に希望されたとか?その遊佐信庭は…」
意知がそう勘を働かせるや、元悳は目を丸くした。どうやら意知のその勘の良さに内心、舌を巻いたからのようであった。
「いや、正しくその通りにて…」
元悳は目を丸くしたままそう答えた。
「と言うことは…、熱心に希望したということは本来なら遊佐信庭は御台様の療養に当たるべき立場にはいなかったと?」
「いや、左様に断言は出来申さず…、何しろ遊佐卜庵はその当時…、御台様が病に斃れられし明和8(1771)年の時点で既に表番医師にて…、されば表番医師は意知様もご存知の通り、大奥に病人がありし折には留守居の指図を受けて大奥へと出向いて治療に当たるゆえ…、なれど…」
元悳はそこで言葉を区切ると、考え込むような仕種を見せたので、そこで意知が「なれど?」と先を促した。
「はぁ…、されば遊佐卜庵はこの時、番医に列なってからまだ2年程しか経ってはおらず…」
「2年…、というと明和6(1769)年に番医に列なったと?」
「左様…」
「それは…、まだ早いという意味ですか?御台様の療治を承るには…」
意知にはその辺の感覚が良く分からなかったので尋ねた。
「されば番医に列なりし時点で一人前の医師と看做され申す…」
元悳はまずはそう建前を口にした後で、「なれど」と続けた。
「やはり2年目にして、御台様の、それもご不例の御台様の療治を承るは些か…」
「早いと?」
意知がそう合いの手を入れると、元悳は頷いた。
「なれど実際にはその遊佐先生が御台様の療治…、そのための医師団の一人として加わったわけですよね?」
意知が確かめるように尋ねた。
「左様…、されば記録係なれば遊佐卜庵でも十分に務まるであろうと…」
「務まるであろう…、誰かの言葉ですか?」
意知はそう直感した。
「左様。されば御留守居の駒木根様…、駒木根大内記政永様より左様に…、まぁ、人手はいくらあっても足り過ぎるということはなく、それで…」
元悳が告げたその名に意知は残念ながら記憶になかったが、それでも留守居の言葉というのは頷けた。それと言うのも留守居が大奥を監督することになっていたからだ。
一方、そうと察した元悳が「もう既に…」とその駒木根大内記が鬼籍に入ったことを示唆した。確かにそれは頷ける話ではあった。
何しろ留守居と言えば御側衆やあるいは高家を除いて旗本にとっての出世の終着点のようなポストであったからだ。悪く言えば、「老衰場」であり、つまりは高齢者の溜り場であった。
そうであればそれから10年も経った今…、天明元(1781)年4月2日の今、駒木根大内記は無論のこと、当時を知る留守居の殆ど、いや、全ての者が鬼籍に入っているやも知れなかった。
するとやはりそうと察した元悳が貴重な情報を与えてくれた。
「されば高井様…、高井土佐守直熙様と依田豊前守政次様が今でも存命にて、それも留守居のお役にあれば、このお二人に聞けば何か分かるやも知れませぬ」
元悳が口にしたその二人なら意知も聞き覚えがあり、意知はこの二人から倫子の治療の状況について尋ねることにした。
「それからいまひとつ…」
元悳は思い出したようにそう切り出した。
「何です?」
意知は恐る恐る尋ねた。やはりとんでもない情報に違いないと、意知はそう直感したからだ。
「されば安永2(1773)年の2月20日に萬壽姫様も薨去なさいましたが、実はその折も…」
「まさか…、その遊佐先生が萬壽姫様への療治の記録を取られたとか?」
意知がそう勘を働かせると、元悳は「左様」と首肯した。
これでいよいよもって意知にはその遊佐卜庵こと遊佐信庭が怪しく思えてきた。
それでも意知は念のために萬壽姫の療治に加わった医師団についても元悳に尋ねた。それに対して元悳はやはり診療記録を繰りながら意知に教えた。
「基本的には畏れ多くも御台様の療治を承りし面々と変わらず…」
元悳はそう前置きしつつも、明和8(1771)年には倫子の治療チームの一人であった、西之丸の奥医師の吉田榮元法眼こと吉田忠祝が萬壽姫の治療には加わらなかったことを教えてくれた。これは吉田忠祝が安永元(1772)年の7月6日に亡くなったためである。
だがその代わりと言うわけでもないが、西之丸の奥医師から新たに、将来を嘱望されていた井上良泉法眼こと井上玄高とそれから河野良以法眼こと河野通久の二人が加わったそうな。
井上玄高の場合、吉田忠祝の死から9日後の7月15日に西之丸の奥医師に取り立てられ、それに伴い、その年の暮、12月18日に法眼に叙されたためである。
一方、河野通久はと言うと、井上玄高と同日に西之丸の奥医師に取り立てられ、そして同日に法眼に叙された謂わば、
「同期の桜」
であった。ともあれこの二人が萬壽姫の治療チームの一員に加わるのは至極、当然のことと言えた。
ちなみに河野通久は本丸の奥医師である河野仙壽院法印こと河野通頼の息であり、謂わば、
「ジュニア」
であった。
そしてジュニアと言えばもう一人、
「武田宗安法眼こと武田信復」
がそうであり、父は誰あろう、本丸奥医師の武田長春院法印こと武田信郷であった。
武田信復の場合、井上玄高や、さしずめ「ジュニア仲間」とでも呼ぶべき河野通久よりも早く、本丸の奥医師に取り立てられた。
と言っても一月以上前の6月3日のことであり、法眼に叙されたのは井上玄高や「ジュニア仲間」の河野通久と同じくその年の暮の12月18日のことであった。
ちなみに武田信復は本丸の奥医師に取り立てられたので、言ってみれば、
「父と同じ職場…」
というわけだ。尤も、武田信復が父・信郷と共にその「職場」とも言うべき江戸城の本丸にて一緒に勤めていた期間は1年と半年程に過ぎなかった。それと言うのも、武田信復が本丸の奥医師に取り立てられた安永元(1772)年の6月3日から1年と半年程経過した安永2(1773)年の12月6日に父・信郷が亡くなったためである。
ともあれその1年と半年程の間に武田親子は萬壽姫の療治に当たり、そしてその死に直面したわけだ。
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