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躋寿館 ~意次・意知父子と田村藍水こと田村元雄登・元長善之親子との絆~
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意知と玄通が神田佐久間町二丁目にある躋寿館に着いたのは昼の九つ半(午後1時頃)を大分、過ぎた頃であり、あと少しで昼八つ(午後2時頃)になろうかという頃合であった。
その時、躋寿館では督事…、館長の多紀安元法眼こと多紀元悳とその息にして世話役の安長こと元筒が診療の準備をしていた。
そこへ意知と玄通が姿を見せたことから、元悳と元筒は大層、驚いた。
二人が驚いたのは他でもない、主に夕七つ(午後4時頃)より行われる、それも今日のような限られた日にだけ行われる、臨床実習である診療にしか姿を見せず、今のようにまだ、座学が行われている刻限にはまず姿を見せることがない玄通が今日に限って、まだ座学が行われている今時分に姿を見せたから、というのもあるが、それ以上に意知までが姿を見せたことによる。それも玄通と共に足を運んだという事実が元悳・元筒親子の驚きを倍加させていた。
「多紀先生、ご無沙汰致しております…」
意知は父・元悳に対してそう挨拶するや、深々と頭を下げてみせ、元悳を慌てさせた。
「いえ、滅相もない…」
元悳も意知に対して深々と頭を下げると、その息・元筒も父・元悳に倣ってやはり深々と頭を下げた。
それから元悳と元筒は同時に頭を上げると、
「して、意知様。本日は…」
父・元悳が意知に対してその用向きを尋ねた。
「実は多紀先生のお智慧を拝借致し度、こうして玄通殿の案内にて、まかりこしましたる次第…」
意知はさり気なく玄通の名を出すことで、今日の訪問には玄通にも関わり合いがあることを匂わせた。
ともあれ元悳は診療の準備の続きを息・元筒に任せて、己は意知とそれに玄通も客舎応接所へと案内した。この客舎応接所はさしずめ、貴賓室であり、意知の父、意次も医学館を訪れると、この客舎応接所に案内される。
さて、意知と玄通をその客舎応接所へと通した元悳はそこで意知と、それに玄通とも向かい合うなり、意知に対して改めて本日の用向きを尋ねたのであった。
それに対して意知は、「さればでござる…」と切り出すや、これまでの経緯について語って聞かせた。それに対して元悳は流石に目を丸くした。
「まさかに、左様なことが…」
元悳は呻くようにそう言った。成程、次期将軍であった家基が殺された、それも毒殺された可能性が高いと聞かされれば、誰しもそのような反応を見せるに違いなく、それこそが普通の反応と言えた。
「そこで多紀先生にご教授願いたいのですが、遅効性のある、それも致死性の毒はありますでしょうか…」
意知にそう問われた元悳は暫し思案の後、息・元筒を呼び出して、意知の問いをそのまま伝えた。どうやらさしもの元悳にも分かりかねるようであった。
「それなれば…、やはり本草綱目にて調べるより他には…」
元筒も父・元悳同様、暫しの思案の末、そう告げた。
本草綱目とは薬草生薬の図鑑であり、玄通は元より、意知もその存在を把握していた。
息・元筒のその提案に対して父・元悳も頷いてみせると、
「されば田村先生に相談を…」
元筒はそう言って、腰を上げると、応接所をあとにした。
「田村先生と申すのは、田村善之先生のことですね?」
意知は元筒が「田村先生」を呼びにいったん中座するや、元悳に確かめるように尋ねた。
「左様…、されば藍水先生…、田村元雄登先生が嫡男にて、元長善之先生にて…、されば田村先生をご存知で?」
元悳がそう聞き返したので意知は頷いた。
「されば田村先生…、藍水先生と申せば、この意知が父、意次とは人参で縁が…」
意知がそう示唆すると、元悳も「ああ…」と何かに気付いたような声を上げた。
意知が口にした「人参」とは他でもない、朝鮮人参のことである。
意知の父・意次は高貴薬の代名詞とも言うべき朝鮮人参を庶民にも手には入り易くするよう、これを国産化の上、幕府の専売とすることを提唱した。
朝鮮人参そのものは実は宝暦年間には日本全国で100万本程度が収穫されるに至った。それもひとえに藍水こと田村元雄登の努力の賜物であり、ひいては藍水を見出した八代将軍・吉宗のお蔭とも言えた。
即ち、藍水は元文2(1737)年に幕府より朝鮮人参の種子を20粒拝領し、これを小石川薬園にて植えると同時に、己は朝鮮人参の栽培と加工の研究に従事したのであったが、これも皆、将軍・吉宗の発案によるものであり、実は八代将軍・吉宗こそが、朝鮮人参国産化の提唱者であり、その吉宗が当時、既に本草学者として名の通っていた、しかし、幕臣ではなく町医という民間人であった田村元雄登、後の藍水に目をつけ、吉宗はこの藍水に朝鮮人参国産化の夢を託したのであった。
そしてそれから20年以上が経過した宝暦年間になると、遂に朝鮮人参の栽培に成功、それも国内で100万本程度が収穫されるに至り、そうなれば次は加工…、薬への加工の段階であり、この時…、宝暦年間に既に幕府の実力者であった意次が藍水を、
「御医師並人参御用」
それに任じて、藍水に国内産の朝鮮人参の加工を託したのであった。つまり意次は八代将軍・吉宗の夢、もとい政策を引き継いだのであった。
藍水が意次よりその、「御医師並人参御用」を仰せ付かったのは宝暦13(1763)年6月24日のことであり、それから一月も経たないうち、7月に田安御門外の四番地、飯田町の中坂通の空地に、
「朝鮮人参製法所」
それが設けられ、藍水は7月よりその「朝鮮人参製法所」において収穫された朝鮮人参の加工を研究した。
とは言え、実際には既にこの時、藍水は加工、つまりは製法についても大分、研究を進めており、それも大詰めの段階であったので、9月には本格的に朝鮮人参の加工が、それも大量生産が開始された。
尚、意次はこの間…、藍水の朝鮮人参の加工の研究大詰めを迎えていた8月13日には朝鮮人参の代替品として流通していた広東人参の販売を全面的に禁止することで国内産の朝鮮人参の幕府専売体制を整え、更に11月23日には神田紺屋町三丁目に販売所を開設、藍水の尽力により大量に薬として加工された国内産の朝鮮人参が販売されるようになったのである。
その時、躋寿館では督事…、館長の多紀安元法眼こと多紀元悳とその息にして世話役の安長こと元筒が診療の準備をしていた。
そこへ意知と玄通が姿を見せたことから、元悳と元筒は大層、驚いた。
二人が驚いたのは他でもない、主に夕七つ(午後4時頃)より行われる、それも今日のような限られた日にだけ行われる、臨床実習である診療にしか姿を見せず、今のようにまだ、座学が行われている刻限にはまず姿を見せることがない玄通が今日に限って、まだ座学が行われている今時分に姿を見せたから、というのもあるが、それ以上に意知までが姿を見せたことによる。それも玄通と共に足を運んだという事実が元悳・元筒親子の驚きを倍加させていた。
「多紀先生、ご無沙汰致しております…」
意知は父・元悳に対してそう挨拶するや、深々と頭を下げてみせ、元悳を慌てさせた。
「いえ、滅相もない…」
元悳も意知に対して深々と頭を下げると、その息・元筒も父・元悳に倣ってやはり深々と頭を下げた。
それから元悳と元筒は同時に頭を上げると、
「して、意知様。本日は…」
父・元悳が意知に対してその用向きを尋ねた。
「実は多紀先生のお智慧を拝借致し度、こうして玄通殿の案内にて、まかりこしましたる次第…」
意知はさり気なく玄通の名を出すことで、今日の訪問には玄通にも関わり合いがあることを匂わせた。
ともあれ元悳は診療の準備の続きを息・元筒に任せて、己は意知とそれに玄通も客舎応接所へと案内した。この客舎応接所はさしずめ、貴賓室であり、意知の父、意次も医学館を訪れると、この客舎応接所に案内される。
さて、意知と玄通をその客舎応接所へと通した元悳はそこで意知と、それに玄通とも向かい合うなり、意知に対して改めて本日の用向きを尋ねたのであった。
それに対して意知は、「さればでござる…」と切り出すや、これまでの経緯について語って聞かせた。それに対して元悳は流石に目を丸くした。
「まさかに、左様なことが…」
元悳は呻くようにそう言った。成程、次期将軍であった家基が殺された、それも毒殺された可能性が高いと聞かされれば、誰しもそのような反応を見せるに違いなく、それこそが普通の反応と言えた。
「そこで多紀先生にご教授願いたいのですが、遅効性のある、それも致死性の毒はありますでしょうか…」
意知にそう問われた元悳は暫し思案の後、息・元筒を呼び出して、意知の問いをそのまま伝えた。どうやらさしもの元悳にも分かりかねるようであった。
「それなれば…、やはり本草綱目にて調べるより他には…」
元筒も父・元悳同様、暫しの思案の末、そう告げた。
本草綱目とは薬草生薬の図鑑であり、玄通は元より、意知もその存在を把握していた。
息・元筒のその提案に対して父・元悳も頷いてみせると、
「されば田村先生に相談を…」
元筒はそう言って、腰を上げると、応接所をあとにした。
「田村先生と申すのは、田村善之先生のことですね?」
意知は元筒が「田村先生」を呼びにいったん中座するや、元悳に確かめるように尋ねた。
「左様…、されば藍水先生…、田村元雄登先生が嫡男にて、元長善之先生にて…、されば田村先生をご存知で?」
元悳がそう聞き返したので意知は頷いた。
「されば田村先生…、藍水先生と申せば、この意知が父、意次とは人参で縁が…」
意知がそう示唆すると、元悳も「ああ…」と何かに気付いたような声を上げた。
意知が口にした「人参」とは他でもない、朝鮮人参のことである。
意知の父・意次は高貴薬の代名詞とも言うべき朝鮮人参を庶民にも手には入り易くするよう、これを国産化の上、幕府の専売とすることを提唱した。
朝鮮人参そのものは実は宝暦年間には日本全国で100万本程度が収穫されるに至った。それもひとえに藍水こと田村元雄登の努力の賜物であり、ひいては藍水を見出した八代将軍・吉宗のお蔭とも言えた。
即ち、藍水は元文2(1737)年に幕府より朝鮮人参の種子を20粒拝領し、これを小石川薬園にて植えると同時に、己は朝鮮人参の栽培と加工の研究に従事したのであったが、これも皆、将軍・吉宗の発案によるものであり、実は八代将軍・吉宗こそが、朝鮮人参国産化の提唱者であり、その吉宗が当時、既に本草学者として名の通っていた、しかし、幕臣ではなく町医という民間人であった田村元雄登、後の藍水に目をつけ、吉宗はこの藍水に朝鮮人参国産化の夢を託したのであった。
そしてそれから20年以上が経過した宝暦年間になると、遂に朝鮮人参の栽培に成功、それも国内で100万本程度が収穫されるに至り、そうなれば次は加工…、薬への加工の段階であり、この時…、宝暦年間に既に幕府の実力者であった意次が藍水を、
「御医師並人参御用」
それに任じて、藍水に国内産の朝鮮人参の加工を託したのであった。つまり意次は八代将軍・吉宗の夢、もとい政策を引き継いだのであった。
藍水が意次よりその、「御医師並人参御用」を仰せ付かったのは宝暦13(1763)年6月24日のことであり、それから一月も経たないうち、7月に田安御門外の四番地、飯田町の中坂通の空地に、
「朝鮮人参製法所」
それが設けられ、藍水は7月よりその「朝鮮人参製法所」において収穫された朝鮮人参の加工を研究した。
とは言え、実際には既にこの時、藍水は加工、つまりは製法についても大分、研究を進めており、それも大詰めの段階であったので、9月には本格的に朝鮮人参の加工が、それも大量生産が開始された。
尚、意次はこの間…、藍水の朝鮮人参の加工の研究大詰めを迎えていた8月13日には朝鮮人参の代替品として流通していた広東人参の販売を全面的に禁止することで国内産の朝鮮人参の幕府専売体制を整え、更に11月23日には神田紺屋町三丁目に販売所を開設、藍水の尽力により大量に薬として加工された国内産の朝鮮人参が販売されるようになったのである。
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