天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

文字の大きさ
上 下
111 / 197

岳父・大橋與惣兵衛親英 5

しおりを挟む
 進物しんもつばんの採用基準は両番りょうばん…、書院しょいんつがい小姓こしょうぐみばんの両方のばん…、その両番りょうばんのうちのいずれかのばん所属しょぞくする番士ばんしであることが絶対条件であり、さらに、その中から今、與惣兵衛よそべえが口にした通り、頭脳ずのう明晰めいせきにして眉目びもく秀麗しゅうれいの者が選ばれるのであった。

 そうであれば西之丸にしのまるにて家基いえもと書院しょいん番士ばんしとしてつかえる、いや、つかえていた平蔵がその進物しんもつばん兼務けんむしている以上、與惣兵衛よそべえが平蔵のことを、

頭脳ずのう明晰めいせき

眉目びもく秀麗しゅうれい

 そうひょうしたのは決して間違いではなく、それどころか正しいとさえ言えた。

 それでも與惣兵衛よそべえは平蔵の岳父がくふである。その岳父がくふである男から、例え事実であったとしても、

頭脳ずのう明晰めいせき

眉目びもく秀麗しゅうれい

 そのようにひょうされては贔屓びいきに過ぎるように思われ、平蔵はずかしさのあまり思わず赤面せきめんした。

 すると案の定、與惣兵衛よそべえやぶられてしまった。

れることはあるまいて…、わしはあくまで事実を申したのみぞ…」

 與惣兵衛よそべえまさに、

臆面おくめんもなく…」

 そう言うものだから、益々ますますもって平蔵を赤面せきめんさせた。そんなまだ初心うぶとも言える平蔵を岳父がくふ與惣兵衛よそべえ微笑ほほえましく思ったものだ。

 それから與惣兵衛よそべえ一転いってん、表情を引きめるや、

「ともあれ、己に自信がある…、そうであろう?」

 平蔵にそう問い、それに対して平蔵もそれもまさしくその通りであったので、今度は赤面せきめんすることなしに、「如何いかにも」と自信を持って答えることができた。

「されば山口やまぐち勘兵衛かんべえなる男、そのような…、平蔵殿のような自信のある男が苦手なのだ。それも大の、な」

 平蔵は目を丸くした。今まで平蔵は山口やまぐち勘兵衛かんべえをそのように見たことは一度たりともなかったからだ。

「まぁ、平蔵殿が目を丸くするのもいたかたあるまいて…、いや、これは何も平蔵殿に限った話ではあるまいて、されば平蔵殿と同じく己に自信のある男は山口やまぐち勘兵衛かんべえのような権門けんもんだのみの小さな男なぞ、元より眼中がんちゅうにないと申すものにて…」

 確かにそれもまた與惣兵衛よそべえの言う通りであった。平蔵は山口やまぐち勘兵衛かんべえを気にしたことなど一度たりともなかった。

「されば平蔵殿は己に自信がある男なれば、山口やまぐち勘兵衛かんべえのような権門けんもんだよりの情けない男とは違い…」

 與惣兵衛よそべえのその言葉に平蔵はあやうくうなずきかけた。ここで馬鹿ばか正直しょうじきうなずいてしまっては、己が岳父がくふである與惣兵衛よそべえ権門けんもんではないと、そう言うに等しく、実際、その通りではあるのだが、せめてもの礼儀れいぎというものがあるので、

「いえ、わたくしめには義父上ちちうえという立派な権門けんもんがおりますゆえ…」

 そう方便ほうべんを口にして、岳父がくふ與惣兵衛よそべえを爆笑させた。

「いやいや、その年で左様さようなる方便ほうべんを口に出来るとは大したものよ。父上を…、備中守びっちゅうのかみ殿をえられるであろうぞ…」

 與惣兵衛よそべえ冗談じょうだんめかしてそう言うや、やはりすぐに表情を引きめ、その上で、

冗談じょうだんはともあれだ、山口やまぐち勘兵衛かんべえは己とは正反対の、権門けんもんたよらぬ男が大の苦手なれば、平蔵殿がまさしくそれ…、権門けんもんたよらぬ男なれば勘兵衛かんべえめも平蔵殿には手出しが出来ず…、いや、平蔵殿に限らず…、平蔵殿と同じく進物しんもつばん兼務けんむせし男に対しては皆、そうだ…」

 山口やまぐち勘兵衛かんべえなる男の性分しょうぶんを徹底的に「解剖かいぼう」してみせ、平蔵を驚かせた。

「いや、進物しんもつばん兼務けんむせし両番りょうばん…、書院しょいん番士ばんし、あるいは小姓こしょうぐみ番士ばんしに限らず、権門けんもんたよらずに己のみを…、己の実力のみを頼みとするそのような男に対しても同様に、勘兵衛かんべえは恐れをなして手出しはしまいて…」

 與惣兵衛よそべえはやれやれといった調子でそう告げた。

「さればそのような、小心しょうしん者の勘兵衛かんべえおそれ多くも大納言だいなごん様をじかに毒殺せしなど、かるだいそれた真似まねが出来るとは到底とうてい、思えず…」

 確かに、と平蔵は応じた。

「いや、なれど平蔵殿が申した通り、山口やまぐち勘兵衛かんべえ大納言だいなごん様をがいたてまつりし黒幕くろまくと通じており…、それも黒幕くろまく手先てさきとして大納言だいなごん様をあの品川の東海寺へとおびき寄せたに相違そういなく…」

 與惣兵衛よそべえは平蔵のその推量すいりょうを認めた。

「されば…、黒幕くろまく岳父がくふ小笠原おがさわら若狭守わかさのかみ殿でござりましょうや…」

 本来、家基いえもとにとっての最期さいごたかり、それにしたがはずであった徒歩かちぐみばん筒井つつい内蔵くら徒歩かちがしらとしてひきいる十六番組の徒歩かちぐみばんのみであった。

 それが直前になり、小笠原おがさわら信喜のぶよしの「ごり押し」により、山口やまぐち勘兵衛かんべえ徒歩かちがしらとしてひきいる十七番組の徒歩かちぐみばんまでが家基いえもとたかりに加わった。

 そのような経緯けいいがある以上、その山口やまぐち勘兵衛かんべえがさしずめ「犯行現場」である品川の東海寺へと家基いえもとおびき寄せた以上、その山口やまぐち勘兵衛かんべえにそのような、家基いえもとを「犯行現場」へとおびき寄せる、たかりへの扈従こしょう…、随従ずいじゅうという絶好の機会きかいを与えた小笠原おがさわら信喜のぶよしこそが家基いえもと殺しの黒幕くろまくであると、平蔵がそう考えるのは至極しごく、当然のことであり、與惣兵衛よそべえにしても平蔵のその「思考しこう回路かいろ」そのものは認めはしたものの、「されど…」と続けて、小笠原おがさわら信喜のぶよしこそが黒幕くろまくであると、そう認定することには與惣兵衛よそべえ躊躇ちゅうちょのぞかせた。

小笠原おがさわら若狭守わかさのかみ殿にしても黒幕くろまくと通じておる可能性は高いやも知れぬが、なれど…」

 與惣兵衛よそべえがそこで言葉を途切とぎれさせたので、平蔵がその先をいだ。

「なれど、黒幕くろまくとするにはいささか、力不足だと?」

左様さよう…、されば大納言だいなごん様殺しともなると、御側おそば御用ごよう取次とりつぎでも黒幕くろまくとするには力不足であろうぞ…」

「されば黒幕くろまくは一体…」

「それは今さら申すまでもあるまい…」

 確かに與惣兵衛よそべえの言う通りであった。

「されば清水宮内くないきょう殿か、あるいは一橋ひとつばし治済はるさだ殿…」

 平蔵がそう告げると、與惣兵衛よそべえうなずいた。確かのこの二人が「家基いえもと殺し」の黒幕くろまくである疑いが強まったので、家臣…、附人つけびと附切つけきり、そして抱入かかえいれといった家臣共々ともども、そのやしきにて…、清水邸なり一橋ひとつばし邸なりに事件が…、家基いえもと殺しの全容ぜんようすなわち、黒幕くろまく解明かいめいされるまでの間、蟄居ちっきょ謹慎きんしんを申し付けられたのであった。それも将軍・家治より直々じきじきに…。

 そして平蔵は岳父がくふ與惣兵衛よそべえに対して己が将軍・家治より家基いえもとの死の真相について探索たんさくを命じられたと、そのことを打ち明ける過程かていにおいてすでにそれを…、清水重好しげよし一橋ひとつばし治済はるさだの両名に嫌疑けんぎが…、家基いえもとの死に何らかの形で関与かんよしているんではないか、もっと言えば次期将軍の座をめぐって、家基いえもとを殺したのではないかと、その嫌疑けんぎがかかったために、家基いえもとの死の真相が明らかになるまでの間、各々おのおの、そのやしきにて蟄居ちっきょ謹慎きんしんせよと、将軍・家治より清水重好しげよし一橋ひとつばし治済はるさだの両名に対してそう命じられたことを打ち明けていたのだ。

 そうであればこそ、與惣兵衛よそべえにしても、

「されば黒幕くろまくは一体…」

 今になってそのようなことを言う平蔵に対して、「今さら申すまでもあるまい…」とそう返したのであった。
しおりを挟む

処理中です...