天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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岳父・大橋與惣兵衛親英 3

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「いや、筒井つつい殿が西之丸にしのまる徒歩かちがしら…、十六番組の徒歩かちぐみばんたばねしその徒歩かちがしらかれしは大納言だいなごん様がご薨去こうきょあそばされし前の年、安永7(1778)年の8月にて…」

 それで平蔵も思い出した。

「ああ…、確か前の…、十六番組をたばねし小野おの次郎右衛門じろうえもん殿が目付めつけへと転じられたがために…」

左様さよう。今はぐちばんのな…、さればそれまでの、西之丸にしのまる目付めつけしゅうの一人、山崎やまざき四郎兵衛しろべえ正導まさみち殿が駿府すんぷ町奉行へと転じられたがために、その欠員けついんめるべく、当時は徒歩かちぐみばんの十六番組をたばねし徒歩かちがしら小野おの次郎右衛門じろうえもん殿に白羽しらはの矢が立ったというわけよ…、それがその年…、安永7(1778)年のうるう7月のことであったわ…」

「いかさま…、今度は十六番組をたばねし徒歩かちがしらが空席となり、そこでこれをめるべく筒井つつい殿に白羽しらはの矢が…」

左様さよう筒井つつい殿は当時は本丸ほんまるにて小姓こしょうぐみばん番士ばんしを勤めておられたのだ」

左様さようでござりましたか…」

「ともあれ、筒井つつい殿は安永7(1778)年の8月に徒歩かちがしらいてからというもの、めぐり合わせが悪く、中々なかなか大納言だいなごん様がご放鷹ほうよう扈従こしょうせし機会きかいめぐまれず、大納言だいなごん様もそれをお気になされていたのだ…」

「お優しいご気性きしょうの持ち主でござりましたからなぁ…、大納言だいなごん様は…」

 平蔵が往時おうじしのぶようにそう言い、岳父がくふ與惣兵衛よそべえうなずかせた。

「それで…、大納言だいなごん様がその筒井つつい殿のためを想うて、思いつかれたご放鷹ほうようこそが、大納言だいなごん様にとっての最期さいごのご放鷹ほうようであったと…」

 平蔵が確かめるようにそう尋ねると、岳父がくふ與惣兵衛よそべえうなずいた。

 それから平蔵は一番大事な質問をした。

「それで…、大納言だいなごん様はご放鷹ほうよう帰途きと、品川の東海寺にてご休息きゅうそくをお取りあそばされましたるようですが、これは当初の予定に?」

 日記にはあくまで当日のたかりの行程こうていのみが記されているに過ぎなかった。

「いや、それは当初の予定にはなかったものだ」

 與惣兵衛よそべえがそう答えたので、平蔵は俄然がぜん、緊張した。

「されば何ゆえに大納言だいなごん様は品川の東海寺にてお休みに?」

「それなのだが、例の…、徒歩かちがしら山口やまぐち勘兵衛かんべえ殿が進言しんげんによるものよ…」

「えっ…、山口殿の進言しんげんにて?」

左様さよう…、されば小姓こしょうぐみ番頭ばんがしらの…、二番組の小姓こしょうぐみばんたばねし小姓こしょうぐみ番頭ばんがしら酒井さかい紀伊守きいのかみ忠聴ただとく殿をかいして大納言だいなごん様に…」

 徒歩かちぐみばんが将軍、あるいは次期将軍の出行しゅつぎょう…、たかりなどの外出時において、その外出先に異常いじょうがないか、将軍、あるいは次期将軍一行にさきけてその外出先を点検てんけんするのが主たる役目であるのに対して、小姓こしょうぐみばん書院しょいんばん共々ともども殿中でんちゅう、つまりは御城の中で将軍、あるいは次期将軍の警衛けいえいに当たる、さしずめ「SP」のような存在であった。

 それでもやはり将軍、あるいは次期将軍がたかりなどで外出する折にはこの書院しょいんばん小姓こしょうぐみばん所謂いわゆる両番りょうばんも「SP」としてその警衛けいえいに当たるべく、外出先へと扈従こしょう…、付きしたがうのであった。

 一方、徒歩かちぐみばんは行きこそ将軍、あるいは次期将軍の一行にさきけて外出先へとおもむき、その外出先に異常いじょうがないか点検てんけんしなければならないために、将軍、あるいは次期将軍一行のともをすることはないものの、しかし、帰りは流石さすが徒歩かちぐみばんもその将軍、あるいは次期将軍一行のともができる。

 とは言え、徒歩かちがしらではじかに将軍、あるいは次期将軍に語りかけることができない。何しろ将軍、あるいは次期将軍の周りは「SP」である書院しょいんばん小姓こしょうぐみばん所謂いわゆる、「両番りょうばん」の番士ばんしがピタリと固めているからだ。

 そこで山口やまぐち勘兵衛かんべえがそのうちの小姓こしょうぐみばんたばねる番頭ばんがしら酒井さかい紀伊守きいのかみ忠聴ただとくかいした、つまりは山口やまぐち勘兵衛かんべえ家基いえもとに対しての、

「品川の東海寺にて休まれては…」

 その進言しんげん小姓こしょうぐみ番頭ばんがしら酒井さかい忠聴ただとくたくしたのは至極しごくもっともな話であった。

「それで大納言だいなごん様は酒井殿よりその、山口やまぐち殿の進言しんげんをおり上げになられて、さればと…」

左様さよう、品川の東海寺にてお休みあそばされたのよ…、いや、一応いちおう大納言だいなごん様が休まれるというのが建前たてまえであるが、その実、扈従こしょうせし我ら士卒しそつを休ませるのが目的にて…、されば大納言だいなごん様におかせられては士卒しそつを休ませてやりたいとのその思いにて、山口やまぐち殿がその進言しんげんをおり上げあそばされたのよ…」

 如何いかにも家臣想いの大納言だいなごん様らしい話だと、平蔵はそう思った。

 そうであれば尚更なおさら家基いえもとを殺した下手人げしゅにん黒幕くろまくが平蔵にはにくく感じられた。

 そしてその下手人げしゅにん黒幕くろまくの中に山口やまぐち勘兵衛かんべえが、ひいては山口やまぐち勘兵衛かんべえを押し込んだ御側おそば御用ごよう取次とりつぎ小笠原おがさわら信喜のぶよしまでがふくまれているのではあるまいかと、平蔵はそんな考えが脳裏のうりぎった。

 するとそれが岳父がくふ與惣兵衛よそべえにも通じたらしく、

「そなた…、よもや山口やまぐち勘兵衛かんべえ殿が大納言だいなごん様が死に何か関わり合いがあると、左様さように考えておるのか?」

 與惣兵衛よそべえは平蔵にそう尋ねた。そこで平蔵はあっさりと認めた。

左様さよう…、何しろ大納言だいなごん様に品川の東海寺にてご休息きゅうそくを取られてはと、かる進言しんげんいたせしは他ならぬ徒歩かちがしら山口やまぐち勘兵衛かんべえ殿にて…」

「そなたが左様さように考えるのも無理もないが…、何しろ大納言だいなごん様におかせられては品川の東海寺にてご発病はつびょうなされたよしにて、仮にこれが何者かの手によるご発病はつびょう…、もそっともうさば大納言だいなごん様が何者かに一服いっぷくられたがためのご発病はつびょうともあいれば、成程なるほど、その品川の東海寺にてご休息きゅうそくを取るよう大納言だいなごん様に進言しんげんせし山口やまぐち勘兵衛かんべえ殿は確かにあやしいようにも思えるが、なれど山口やまぐち勘兵衛かんべえ殿には大納言だいなごん様に一服いっぷく機会きかいはなかったのだ」

「えっ?それはまことで?」

まことぞ。されば大納言だいなごん様におかせられては品川の東海寺にてちゃ菓子がしを口にされ…、確か、茶は宇治うじ抹茶まっちゃ菓子かし団子だんご田楽でんがくではなかったかの…、ともあれちゃ菓子がしを口にされ、そうであれば大納言だいなごん様に一服いっぷくるとしたらそのしかあるまい…、つまりは大納言だいなごん様がそれらちゃ菓子がしを口にする寸前すんぜんにそれなちゃ菓子がしに毒を仕込しこむしかあるまいて…」

「確かに…」

「さればちゃ菓子がし毒見どくみせし小納戸こなんどか、さもなくば給仕きゅうじをせし小姓こしょうか…、ともあれ寺の中に入らなければそもそもちゃ菓子がしに毒を仕込しこむなどといった芸当げいとう出来できまいて…」

「と申されますと、もしや山口やまぐち勘兵衛かんべえ殿は寺の中には入らなかったと?」

左様さよう、されば山口やまぐち殿はおの大納言だいなごん様に品川の東海寺にて休まれることを進言しんげんせし当人とうにんとして、寺の外での警衛けいえいにつきては己に…、おのひきいし十七番組の徒歩かちぐみばんに任せてもらいたしと…」

「山口殿が左様さようなことを?」

「ああ。いくら士卒しそつのための休息きゅうそくとは申せ、士卒しそつの皆が皆、寺の中で休息きゅうそくしては大納言だいなごん様の警衛けいえい手薄てうすになると申すものにて…」

「確かに…」

「そこで山口やまぐち殿が品川の東海寺にての休息きゅうそくの、言わば言い出しっぺとして、己が警衛けいえいに当たるゆえ、他の士卒しそつ大納言だいなごん様と共に寺の中で休んで欲しいと…」

「山口殿が左様さようなことを?」

 平蔵はその問いをり返した。それも懐疑かいぎ的な表情でもって。

左様さよう…、さればご休息きゅうそく先の警衛けいえい、それも外での警衛けいえいともなれば確かに、徒歩かしぐみばん職掌しょくしょうではあるものの、それなれば筒井つつい殿とて立場は同じにて…」

 確かに筒井つつい殿こと筒井つつい内蔵くらにしても山口やまぐち勘兵衛かんべえ同様、徒歩かちがしら、それも十六番組の徒歩かちぐみばんたばねる徒歩かちがしらであるので、そうであれば山口やまぐち勘兵衛かんべえ筒井つつい内蔵くらと共に寺の外にて警衛けいえいに当たるべきところであろう。

「なれど、山口殿はその筒井つつい殿に対しても寺の中にて大納言だいなごん様にしたごうて休まれることをすすめられたのだ…」

「何と…」

「山口殿いわく、本来、此度こたび大納言だいなごん様がご放鷹ほうよう扈従こしょうせし徒歩かちぐみばん筒井つつい殿がひきいし十六番組の徒歩かちぐみばんにて、されば身共みどもは…、身共みどもひきいし十七番組の徒歩かちぐみばんは特別にその扈従こしょうせし徒歩かちぐみばんとしてし加えて頂いた身なれば、何卒なにとぞ筒井つつい殿には…、筒井つつい殿がひきいし十七番組の徒歩かちぐみばんおそれ多くも大納言だいなごん様にしたがわれて寺の中で休まれたく…、とまぁ、左様に申したわけよ…」

「山口殿がまこと左様さような…、殊勝しゅしょうなることを申されたと?筒井つつい殿に対して…」

 平蔵には到底とうてい、信じられなかった。

まことぞ。何しろそすぐそばにてこのわしが聞いておったのだからな…」

 だとしたら…、岳父がくふ與惣兵衛よそべえじかに聞いた話となれば、これは信用して間違いなかった。
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