天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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益五郎の推理

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「こりゃ、いよいよキナくせぇ…」

 益五郎ますごろう一橋ひとつばし邸と清水邸、それぞれの「まわり」を命ぜられた大番頭おおばんがしらとそれに小笠原おがさわら信喜のぶよしが姿を消すなり、っ先に口火くちびを切った。そしてそれは誰もが思っていることであった。

水上みずかみ興正おきまさの死、だな?」

 家治が確かめるように尋ねた。

「ええ。恐らく小笠原おがさわらの野郎は重大な危機感を覚えたんじゃないっすかねぇ…」

興正おきまさが老中を動かし、評定ひょうじょうにてこの問題を…、家基いえもとが死について、さしずめ疑惑ありとして、取り上げさせるつもりでいたから、だな?」

「ええ。それで小笠原おがさわらの野郎は恐らく、っすけど小納戸こなんど瀧川たきがわ久助きゅうすけ落合おちあい郷八ごうはちに…、いや、落合おちあい郷八ごうはちの場合は瀧川たきがわ久助きゅうすけ義弟ぎていって関係はあるでしょうけど、一橋ひとつばしの野郎とは直接に関係はねぇから、恐らくは瀧川たきがわ久助きゅうすけだけに打ち明けたんじゃないっすかねぇ…」

興正おきまさがことを、だな?」

「ええ。このままでは評定ひょうじょうにて家基いえもと様殺害の一件がバレるかも知れねぇって、興正おきまさちょくにやり合った小笠原おがさわらの野郎は瀧川たきがわにそう打ち明けたんじゃないっすかねぇ…」

「それは…、やはり小笠原おがさわら若狭わかさまでが一橋ひとつばし治済はるさだまれていたと…」

「だと思いますね。そうでなけりゃあ、手前てめぇ御側おそば御用ごよう取次とりつぎとしてつかえる家基いえもと様がこれからたかりに行こうとしている時に…、つまりは外出しようとしている時に、西之丸にしのまるに…、家基いえもと様につかえるおくだれ一人ひとりとして連れて行かねぇだなんて、そんな決断を下すはずがねぇ。たとい、本丸ほんまるおくの池原がそのたかりについて行くんだからと言ってもだ…、また、西之丸にしのまるにておく差配さはいするその御膳ごぜん番を兼務けんむする瀧川たきがわ落合おちあいがそう主張しようともだ。にもかかわらず、小笠原おがさわらの野郎は瀧川たきがわ落合おちあいの言い分そのままに、西之丸にしのまるにて家基いえもと様につかえるおく家基いえもと様のたかりにはしたがウ必要はねぇんだと、手前てめぇに言いなりの御側おそば御用ごよう取次とりつぎ筆頭の佐野さの右兵衛尉うひょうえのじょうだっけ課?その野郎まで味方に引き入れて、たかりを…、西之丸にしのまるにて家基いえもと様につかえるおくだれ一人ひとりとしてしたがわねぇそのたかりを実現させたんだから…」

「ふむ…、して小笠原おがさわら若狭わかさめはそれな瀧川たきがわ久助きゅうすけに対して興正おきまさがことを伝え、そして瀧川たきがわ久助きゅうすけより一橋ひとつばし治済はるさだへと…、久助きゅうすけ実弟じっていにして一橋ひとつばし治済はるさだつかえし主水もんど経由けいゆして伝わったと申すのだな?興正おきまさがことが…」

「ええ。恐らく一橋ひとつばしの野郎は驚愕きょうがくしたことでしょうよ。いや、家基いえもと様の死が万が一、病死ではなく他殺だったとバレたとしても、その時、っ先に疑われるのは家基いえもと様のたかりにしたがった野郎ども…、それも家基いえもと様がたかりの帰途きとに立ち寄った品川の東海寺、そこで口にしたちゃ菓子がし…、宇治うじ抹茶まっちゃ団子だんご田楽でんがく、そいつらを毒見どくみした小納戸こなんど三浦みうら左膳さぜん石場いしば弾正だんじょう、あるいは給仕きゅうじをした小姓こしょう大久保おおくぼ靱負ゆきえ…、皆、清水家に所縁ゆかりのある者たちばかりで、手前てめぇが…、一橋ひとつばし手前てめぇが疑われることはねぇだろうと、治済はるさだ手前てめぇを安心させようとしたはず…」

「だが、安心しきれなかったと申すか?」

 家治は思わせぶりにそう尋ねた。

「ええ。一橋ひとつばしの野郎はもしかして、って考えたはずっす」

「もしかして…、評定ひょうじょうの場において…、老中も出座しゅつざせし式日しきじつにて、おのおかせし罪が白日はくじつもとさらされるやも、と?」

「ええ。一橋ひとつばしの野郎としちゃ、手前てめぇえがいた絵図えずに…、家基いえもと様を病死に見せかけて殺し、万が一、他殺だとバレてもそん時には清水家が…、重好しげよし殿が疑われるよう細工さいくしたその絵図えずに抜かりはねぇと絶対の自信があったが、そんでも万が一、って考えたに違いねぇ。何しろ相手は硬骨こうこつの士、ってやつでしたっけ?その水上みずかみ興正おきまさだ。興正おきまさ西之丸にしのまるにて家基いえもと様につかえる、いや、つかえてた御側おそば御用ごよう取次とりつぎで、評定所ひょうじょうしょ式日しきじつ評定ひょうじょうに出席する資格こそねぇかも知んないが、だが、告発人…、家基いえもと様の死は実は病死なんかじゃねぇ、不審ふしんだ、いや、もっとぶっちゃけると誰かに殺された疑いがあり、しかもそれに手前てめぇと同じく御側おそば御用ごよう取次とりつぎとして家基いえもと様につかえてた小笠原おがさわら信喜のぶよしあやしい…、家基いえもと様殺しの実行犯じゃねぇだろうが、それでも何らかの形で一枚いちめぇんでんのはちがいねぇ…、ってなことを老中に吹き込んで、そんで老中もそれならって、評定ひょうじょうで…、評定所ひょうじょうしょ式日しきじつにそれを…、興正おきまさから聞いた話を取り上げようってなことになったらいち大事だいじと、そんでそうなる前に…」

治済はるさだ水上みずかみ興正おきまさくちふうじをもくんだと申すか?」

「ええ…、っつかもくんで、そんで実行に移したんしょ…」

評定所ひょうじょうしょ式日しきじつの前日…、3月10日に?」

「ええ。いや、一橋ひとつばしの野郎にしたって、3月11日の評定所ひょうじょうしょ式日しきじつ手前てめぇの犯罪が取り上げられるとは思っちゃいなかったはずっしょ。何しろ家基いえもと様の葬儀そうぎとか何やらで忙しく、そんで11日の式日しきじつは元より、その前の2日の式日しきじつだって欠席者がいるぐらいっすから、それで一橋ひとつばしの野郎にしても、仮に手前てめぇの罪が評定ひょうじょうで、それも老中が出座しゅつざする式日しきじつに取り上げられるとしても、それは恐らく落ち着きを取り戻すであろう4月以降の式日しきじつ…、4月の2日…、いや、2日は早いな、11日か、それとも21日に取り上げられるだろうって、そう予期よきしたはずっすよ。一橋ひとつばしの野郎は…」

「それなれば…、仮に興正おきまさの死が他殺、それも治済はるさだの手によるものだとしても、それほどまでに急ぐ必要はなかったのではあるまいか?」

「いや、一橋ひとつばしの野郎はおどしの意味で、そんで急ぐ必要があったんっしょ」

おどしの意味、とな?」

「ええ。評定所ひょうじょうしょ式日しきじつ家基いえもとのことを取り上げようとしている老中よ、興正おきまさのようになるぞ…、ってな感じのおどしっすよ。わざわざ式日しきじつの前日、それも3月11日と、興正おきまさが老中に対して相談を持ちかけてからそう日がっていないうちに興正おきまさを死に追いやることで、おどしの意味、っつかおどしの効果をねらったんしょ…」

「やはり益五郎ますごろうもそう考えたか…」

「やはり、ってことは上様も?」

「ああ、そうとしか考えられんでな…、何しろ益五郎ますごろうも今申した通り、式日しきじつの前日というのが実に気になる…」

「ええ、まさしく…、実際、それで勝清かつきよは…、老中の板倉いたくら勝清かつきよでしたっけ?こいつは敵の…、一橋ひとつばしの野郎の思惑おもわく通りに以降、口をぬぐったわけっすから…」

「されば治済はるさだ興正おきまさ勝清かつきよ家基いえもとがことを相談せしことを把握はあくしていたと?」

「いや、そこまでは分かんねぇっすけど、でも、興正おきまさ小笠原おがさわらの野郎に、手前てめぇ、誰かの指図さしず家基いえもと様が殺されるよう仕向しむけただろっ、このこと、老中にチクって、老中から式日しきじつにでも評定ひょうじょうで取り上げてもらうから、手前てめぇ家基いえもと様殺しを指示した黒幕くろまく共々ともども、首洗って待ってろや、ってな啖呵たんかを切ったわけだから、その黒幕くろまく、もとい一橋ひとつばしの野郎にはそれが…、その老中が勝清かつきよかどうかまでは分からなかったとしても、老中が出座しゅつざする式日しきじつ、それも興正おきまさが老中に相談してからそう日がっていないにちげぇねぇ、11日式日しきじつ、その前日に興正おきまさをバラすことで、老中に対する…、興正おきまさより相談を受けただろう老中に対するおどしとしたんじゃないっすか?」

「やはりそう思うか…」

「ええ。ともあれこれでもう、一橋ひとつばしの野郎が家基いえもと様を殺した黒幕くろまくで決まりっしょ」

 益五郎ますごろうがそう言うと、「いや、待て」と正明まさあきらから異議いぎが出た。
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