天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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家基存命時には西之丸にて御側衆として家基に仕えていた、今は大番頭の大久保忠恕と本堂親房への聴取 3

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「さればおそれ多くも大納言だいなごん様におかせられましては2月の24日に…、安永8(1779)年の2月24日に薨去こうきょあそばされ、そしてそれから七日が過ぎましたる翌日、すなわち、八日後の3月朔日さくじつに、西之丸にしのまるにて争論そうろんに、いえ、もう今にも刃傷にんじょう沙汰ざたに発展するのではと、皆が…、我ら当時のそばしゅうおそおののきましたるほど争論そうろんおよびましてござりまする…」

「何と…、そはまことか…」

 家治は勿論もちろん初耳はつみみであり、それゆえ目を丸くしたものだ。

まことにて…、さればおそれ多くも大納言だいなごん様を死に追いやりしは貴様きさまだと…」

 忠恕ただみがそう言いかけただけで、家治には誰が誰をそのようになじったのかすぐに見当けんとうがついた。

「されば興正おきまさ左様さよう小笠原おがさわら若狭わかさなじったと申すか?」

御意ぎょい…、されば西之丸にしのまるにておそれ多くも大納言だいなごん様につかたてまつりしおく医師いしだれ一人ひとりとして大納言だいなごん様がご放鷹ほうようしたがわせなんだゆえに大納言だいなごん様は薨去こうきょされたのだと…」

興正おきまさ左様さよう小笠原おがさわら若狭わかさなじったと申すか…」

御意ぎょい…、なれど、それだけでは刃傷にんじょう沙汰ざたにまで発展せし恐れはなく…、小笠原おがさわら若狭守わかさのかみとて水上みずかみ美濃守みののかみよりそれぐらいは…、その程度ていどなじられてもいたかたなしと、かる覚悟かくごと申しますか…、諦念ていねんのようなものが見受けられましたゆえ…」

 忠恕ただみは実に思わせぶりなことを口にした。

「されば…、興正おきまさは他にも何か…、小笠原おがさわら若狭わかさ覚悟かくごせし限度げんどえて若狭わかさなじったと申すか?」

御意ぎょい…」

「されば興正おきまさは一体、何を申したと?」

 家治は忠恕ただみうながした。

「されば誰かの頼みを受けて、大納言だいなごん様が薨去こうきょされるよう、いや、殺されるようにんだのではないか、と…」

「何と…、興正おきまさ左様さようなことを申したのか?」

御意ぎょい。されば若狭守わかさのかみ流石さすがてならぬと…」

「それであわや、いに?」

御意ぎょい…」

「して、その結末や如何いかに?実際にはいにはならなかったのであろう…、さればいになっておればが知らぬはずもあるまいて…、されば実際にはいにいたらなかったところを見るに、さしずめ興正おきまさ若狭わかさびでも入れたか?」

 家治としてはよもや興正おきまさ信喜のぶよしびなど入れてはいまいと、それを期待してそう尋ねたのであった。

 すると案の定であった。忠恕ただみは家治が期待した通り、頭を振ってみせた。

「とんでもござりませぬ。興正おきまさも決して前言ぜんげん撤回てっかいしようとはせず、それゆえそばにおりましたる我ら当時のそばしゅうが何とか若狭わかさを…、今にも抜刀ばっとうすべく脇差わきざしつかに手をかけましたる若狭わかさとどめましてござりまする…」

「さればそなたらがそばにいなければ、実際、刃傷にんじょう沙汰ざたに発展していたわけか…」

御意ぎょい…」

「ちなみに、その時の佐野さのは…、御側おそば御用ごよう取次とりつぎの筆頭である佐野さの右兵衛尉うひょうえのじょうは何をしておったのだ?こういう時こそ指導力を発揮はっきしていさかいをおさめるべき立場ではないのか?」

 家治は佐野さの茂承もちつぐにはそれが期待できないことを承知の上でそう尋ねたのであった。

 するとまたしても案の定であった。

「されば佐野さの右兵衛尉ひょうえのじょうにおいてはただ、見て見ぬふりを…」

「やはりそうか…、して興正おきまさ如何いかがいたした?そなたらそばしゅうがいなければ、脇差わきざしに手をかけ、今にも抜刀ばっとうしかけし若狭わかさのその抜刀ばっとうを止めようもなく、さればそなたが危惧きぐせし通り、刃傷にんじょう沙汰ざたに発展していたであろう…、されば興正おきまさも少しくは反省でもいたしたのではあるまいか?」

 やはり家治は興正おきまさが反省などしていないことを期待してそう尋ねたのであった。何しろ興正おきまさは将軍・家治の胸のうちを代弁だいべんしてくれたも同然どうぜんだからだ。家治がそんな興正おきまさをつい味方したくなるのも当然と言えば当然であった。

 そしてそれに対する忠恕ただみの答えもやはり「案の定」であった。

「いえ、反省などと滅相めっそうもござりませぬ…、されば水上みずかみ美濃守みののかみは最後に台詞ぜりふまできましたる次第しだいにて…」

「ほう…、興正おきまさ如何いか台詞ぜりふいたと申すか?」

 家治は如何いかにも、「興味きょうみ津々しんしん」といったおもちにて、それこそ、身を乗り出すようにして忠恕ただみに尋ねたものである。

「されば…、わしとしては絶対に前言ぜんげん撤回てっかいせぬ。おそれ多くも大納言だいなごん様におかせられてはご病死びょうしなどではのうて、誰ぞに殺害された…、それもこともあろうにこの西之丸にしのまるにておそれ多くもその大納言だいなごん様に御側おそば御用ごよう取次とりつぎとしてつかえしそなた…、小笠原おがさわら若狭わかさめが大納言だいなごん様殺害の手引きをせし疑いがあると、そのむね、ご老中に言上ごんじょうつかまつり、ご老中より評定所ひょうじょうしょ式日しきじつ…、次回…、翌日はまさしく式日しきじつに当たりし2日なれど、流石さすがに今日の明日というわけには参るまいて、されば次々回、11日の式日しきじつにでも取り上げてもらうと、左様さように…」

若狭わかさに対して左様さようなことを申したと?興正おきまさは…」

御意ぎょい…、なれどその評定所ひょうじょうしょ式日しきじつの前日の10日に美濃守みののかみまかりましてござりまする…」

「それで…、興正おきまさ評定所ひょうじょうしょ式日しきじつ目前もくぜんにしてまかりしゆえ、実際には評定所ひょうじょうしょにてこの問題が…、家基いえもとは実は殺され、それも御側おそば御用ごよう取次とりつぎ小笠原おがさわら若狭わかさめがきせし疑いがあると、そのむね評定所ひょうじょうしょにて取り上げられることはなかったと申すのだな?」

 家治は確かめるように尋ねた。それと言うのも仮に評定所ひょうじょうしょにてそのような重大問題が取り上げられていれば、将軍たる家治の耳に届かぬはずがなかったからだ。

 忠恕ただみは家治が予期よきした通り、「御意ぎょい」と答えるや、

「されば水上みずかみ美濃守みののかみは老中の中でも我が父に対してのみ、このことを打ち明け…」

 親房ちかふさがそう口をはさんだ。家治としてはそれは初耳はつみみであったので、思わず目を丸くした。

「何と…、そなたが父に?」

 家治は親房ちかふさにそう聞き返した。

御意ぎょい。されば我が父は老中の板倉いたくら佐渡さどにて…」

 親房ちかふさがそう答えたので、それで家治もようやくにこの本堂ほんどう親房ちかふさが実は老中・板倉いたくら佐渡守さどのかみ勝清かつきよの四男であることを思い出したのであった。

 親房ちかふさは実は老中・板倉いたくら勝清かつきよの四男として生まれ、それゆえ板倉家をぐことはできず、そこで8千石の大身たいしん旗本・本堂ほんどう靱負ゆきえ豊親とよちか養嗣子ようししとしてむかえられ、そして親房ちかふさは実際、8千石の本堂ほんどう家をいだのであった。

「おお、そうであったな…、して興正おきまさはやはり、そなた…、板倉いたくら勝清かつきよが四男のそなたをかいして、勝清かつきよつなぎを取ったと申すか?」

 家治が親房ちかふさ勝清かつきよの四男であることを正確に言い当て、何より、実父たる勝清かつきよをもその、「勝清かつきよ」といみなにて呼んでくれたので、実にうれしげな表情を浮かべたものの、それもつかの間、すぐに表情を引きめると、「御意ぎょい」と答えた。

「さればその場に…、興正おきまさ家基いえもとがことを…、家基いえもとの死が病死などではのうて、さらにその死に…、家基いえもとが死に、御側おそば御用ごよう取次とりつぎとして家基いえもとつかえし小笠原おがさわら若狭わかさめが何らかの形で関与している可能性があるので、是非ぜひとも評定ひょうじょうにて…、11日の評定所ひょうじょうしょ式日しきじつにて取り上げて欲しい…、大意たいい左様さように申したのではあるまいか?」

 家治が親房ちかふさにそう水を向けると、親房ちかふさは、「まさしく…」とこれを認め、

「さればそれがしもその場にて同席しておりましてござりまする…」

 親房ちかふささらにそう付け加えたのであった。

「ふむ、してそれはいつのことだ?」

「されば、5日…、3月の5日にて…」

「5日…」

御意ぎょい…、されば5日と、それに23日が対客たいきゃく日ゆえ…」

 ああ、と家治は納得した。勝清かつきよのような老中や、それに若年寄、あるいは御側おそば御用ごよう取次とりつぎともなると、毎月2日程度ていど割合わりあいで、

対客たいきゃく日」

 輪番りんばん制のそれがもうけられており、登城とじょうまえ一時ひととき陳情ちんじょう客の相手をしてやる日であり、ゆえに、

対客たいきゃく登城とじょうまえ

 とも称されており、勝清かつきよの場合、それが毎月5日と23日の2日がそうであった。
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