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家基存命時には西之丸にて御側衆として家基に仕えていた、今は大番頭の大久保忠恕と本堂親房への聴取
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さて、御休息之間をあとにした信喜はそれから中奥と表向とを仕切る、さしずめ関所の役割を果たしている時斗之間から表向に出ると、新番所前廊下を伝い、さらに中之間、羽目之間、山吹之間、雁之間脇の廊下、通称、紐廊下を伝って菊之間へと…、雁之間と接する菊之間の本間、その本間に面した廊下へと出た。紐廊下とは雁之間と菊之間とをさしずめ紐のように繋いだ廊下であることからその名が冠せられたのであった。
その雁之間に接した菊之間の本間にはお目当ての大番頭と、それに書院番頭、小姓組番頭が詰めていた。
但し、全員が揃っている番頭は在番…、地方への赴任がない小姓組番頭のみであり、書院番頭は一人の番頭が不在であり、大番頭に至っては4人もの番頭が不在であった。
大番組は全部で12組あり、そのうちの4組を各々束ねる番頭がその組下の組頭や番士たちを率いて地方へと…、2組は大坂へと、2組は二条へとそれぞれ赴いていたので、残る8人の大番頭がこの菊之間の本間に詰めていたのだ。
その中には大久保忠恕と本堂親房もおり、信喜は忠恕と親房を呼び出して、上様こと将軍・家治が呼んでいることを告げた。
その様子を周囲の者たちは奇異な目で眺め、あるいは嫉妬と羨望が入り混じった目で眺めもした。それはそうだろう。信喜は何といっても旗本の頂点に立つ御側衆の一人なのである。その御側衆の一人である信喜から、将軍・家治が呼んでいると、大番頭の忠恕と親房がそう告げられた日には、周りの者たちは皆、嫉妬や羨望に駆られるというものである。
ともあれ忠恕と親房は立ち上がると、信喜の案内で中奥は将軍・家治の待つ御休息之間の下段に面した入側…、廊下へと案内した。
そうして信喜が忠恕と親房の二人を御休息之間の下段に面した入側…、廊下側へと案内するや、
「これでもう御役御免…」
そう言わんばかりに下段にて鎮座する将軍・家治に対して平伏するどころか、挨拶もせずに、そそくさ立ち去った。
そうして信喜が姿を消すや、それを見計らったわけでもあるまいが、忠恕と親房は下段にて鎮座する将軍・家治に対して平伏しようとし、それを家治が「無用」と制した。
忠恕と親房の二人が平伏すれば、今は下段に面した入側…、廊下の両端にて控える意知たちもそれに倣ってまたしても、平伏することになるからだ。そうなれば家治としてもやはり、
「一同の者、面を上げぃ…」
そう告げなければならず、家治としても流石にそれが煩わしくなってきたので、平伏しようとする忠恕と親房を制したのであった。
尤も忠恕と親房、この両名の立場からすれば、如何に将軍・家治からの命とは言え、頭を下げないわけにはゆかず、さりとて家治のそのような胸中も容易に察せられたので、そこで二人は平伏までには至らない、会釈程度に頭を下げたのであった。これなら他の者も平伏せずに済むというものであり、また会釈なので、一々、将軍・家治からの命…、
「面を上げぃ…」
その命を待たずして頭を上げることができるというものであった。家治は忠恕と親房のその忖度、機転に大いに感じ入った。
それから家治はいよいよ本題に入った。
「大久保忠恕」
「ははっ」
「本堂親房」
「ははっ」
「そなたら二人を召しい出したは他でもない。家基が最期の鷹狩りについて尋ねたき儀、これあり…」
「畏れながら…、畏れ多くも大納言様が薨去に何か、ご不審の点でも?」
本堂親房が先回りして尋ねた。確かに、
「家基が最期の鷹狩り…」
などと将軍・家治からそう言われれば、嫌でも家基を…、家基の死についてその父でもある家治は何か不審の点でもあるのだろうかと、そう思わずにはいられなかった。
それに対して家治は、「左様…」とこれをあっさりと認め、親房を驚かせたのであった。
一方、忠恕の方はそれ程、驚いた様子は見受けられなかった。それどころか、
「やはりな…」
そのような表情さえ浮かべていた。忠恕もまた、どうやら家基の死に不審なものを感じていたようだ。
ともあれ家治は核心部分に触れた。
「されば家基が最期の鷹狩り、それに従いし士卒であるが、誰が決めた?」
家基の死に不審なものを感じていた忠恕とは温度差が違う、つまりは家基の死についてそれ程…、どころか全くと言っても良い程に不審なものを感じていなかった親房は何ゆえに将軍・家治がそのようなことを尋ねるのか、いまいち理解出来ずにいたものの、それでも将軍から「ご下問」とあらば答えないわけにはゆかなかった。
「されば御側御用取次にて…」
親房は予想通りの答えを家治によこした。
「ふむ…、さればその当時…、家基に仕えし御側御用取次は三名にて、その三名が相談して決めたと申すのだな?家基が鷹狩りに従いし士卒の面々を…」
家治のその問いかけに対してはそれまで黙っていた忠恕も親房に合わせて、
「ははっ」
そう声を揃えたのであった。
「さればいまひとつ…、その家基が鷹狩りに、本丸奥医の池原長仙引が従いしなれど、西之丸よりは…、西之丸に仕えし奥医は誰一人として従わなかったのは何ゆえぞ?」
家治がそう問うや、親房も忠恕もその理由について何か思い当たる節でもあるようで、二人共、「ああ…」と何かを思い出したような顔をした。
家治はそんな二人に対して、「如何致した?」とその理由について尋ねた。
「さればそれは…、西之丸よりは奥医師を…、西之丸に仕えし奥医師を誰一人として、畏れ多くも大納言様がお最期のご放鷹に従わせしめませんでしたのはこれ全て、当時の御側御用取次の小笠原若狭守が差し金にて…」
やはりそうかと、家治はそう思わずにはいられなかった。いや、それは家治だけでなく、親房と忠恕を出迎えた皆の共通の思いでもあった。
それにしても親房は小笠原若狭こと若狭守信喜が為したことについて、「差し金」とそう表現してみせた。その一事をもってしてもこの親房の信喜に対する嫌悪感を感じ取ることができると言えよう。
そしてそれは隣に座る忠恕にしても同様であるということであった。それと言うのも今の親房の言葉に、とりわけ「差し金」のフレーズに微かだが、頷く様子が窺えたからだ。
問題はどうして二人がそこまで信喜に嫌悪感を抱いているか、であった。
だがそのことは家治は今はとりあえず脇に置いて、本題に集中することにした。
その雁之間に接した菊之間の本間にはお目当ての大番頭と、それに書院番頭、小姓組番頭が詰めていた。
但し、全員が揃っている番頭は在番…、地方への赴任がない小姓組番頭のみであり、書院番頭は一人の番頭が不在であり、大番頭に至っては4人もの番頭が不在であった。
大番組は全部で12組あり、そのうちの4組を各々束ねる番頭がその組下の組頭や番士たちを率いて地方へと…、2組は大坂へと、2組は二条へとそれぞれ赴いていたので、残る8人の大番頭がこの菊之間の本間に詰めていたのだ。
その中には大久保忠恕と本堂親房もおり、信喜は忠恕と親房を呼び出して、上様こと将軍・家治が呼んでいることを告げた。
その様子を周囲の者たちは奇異な目で眺め、あるいは嫉妬と羨望が入り混じった目で眺めもした。それはそうだろう。信喜は何といっても旗本の頂点に立つ御側衆の一人なのである。その御側衆の一人である信喜から、将軍・家治が呼んでいると、大番頭の忠恕と親房がそう告げられた日には、周りの者たちは皆、嫉妬や羨望に駆られるというものである。
ともあれ忠恕と親房は立ち上がると、信喜の案内で中奥は将軍・家治の待つ御休息之間の下段に面した入側…、廊下へと案内した。
そうして信喜が忠恕と親房の二人を御休息之間の下段に面した入側…、廊下側へと案内するや、
「これでもう御役御免…」
そう言わんばかりに下段にて鎮座する将軍・家治に対して平伏するどころか、挨拶もせずに、そそくさ立ち去った。
そうして信喜が姿を消すや、それを見計らったわけでもあるまいが、忠恕と親房は下段にて鎮座する将軍・家治に対して平伏しようとし、それを家治が「無用」と制した。
忠恕と親房の二人が平伏すれば、今は下段に面した入側…、廊下の両端にて控える意知たちもそれに倣ってまたしても、平伏することになるからだ。そうなれば家治としてもやはり、
「一同の者、面を上げぃ…」
そう告げなければならず、家治としても流石にそれが煩わしくなってきたので、平伏しようとする忠恕と親房を制したのであった。
尤も忠恕と親房、この両名の立場からすれば、如何に将軍・家治からの命とは言え、頭を下げないわけにはゆかず、さりとて家治のそのような胸中も容易に察せられたので、そこで二人は平伏までには至らない、会釈程度に頭を下げたのであった。これなら他の者も平伏せずに済むというものであり、また会釈なので、一々、将軍・家治からの命…、
「面を上げぃ…」
その命を待たずして頭を上げることができるというものであった。家治は忠恕と親房のその忖度、機転に大いに感じ入った。
それから家治はいよいよ本題に入った。
「大久保忠恕」
「ははっ」
「本堂親房」
「ははっ」
「そなたら二人を召しい出したは他でもない。家基が最期の鷹狩りについて尋ねたき儀、これあり…」
「畏れながら…、畏れ多くも大納言様が薨去に何か、ご不審の点でも?」
本堂親房が先回りして尋ねた。確かに、
「家基が最期の鷹狩り…」
などと将軍・家治からそう言われれば、嫌でも家基を…、家基の死についてその父でもある家治は何か不審の点でもあるのだろうかと、そう思わずにはいられなかった。
それに対して家治は、「左様…」とこれをあっさりと認め、親房を驚かせたのであった。
一方、忠恕の方はそれ程、驚いた様子は見受けられなかった。それどころか、
「やはりな…」
そのような表情さえ浮かべていた。忠恕もまた、どうやら家基の死に不審なものを感じていたようだ。
ともあれ家治は核心部分に触れた。
「されば家基が最期の鷹狩り、それに従いし士卒であるが、誰が決めた?」
家基の死に不審なものを感じていた忠恕とは温度差が違う、つまりは家基の死についてそれ程…、どころか全くと言っても良い程に不審なものを感じていなかった親房は何ゆえに将軍・家治がそのようなことを尋ねるのか、いまいち理解出来ずにいたものの、それでも将軍から「ご下問」とあらば答えないわけにはゆかなかった。
「されば御側御用取次にて…」
親房は予想通りの答えを家治によこした。
「ふむ…、さればその当時…、家基に仕えし御側御用取次は三名にて、その三名が相談して決めたと申すのだな?家基が鷹狩りに従いし士卒の面々を…」
家治のその問いかけに対してはそれまで黙っていた忠恕も親房に合わせて、
「ははっ」
そう声を揃えたのであった。
「さればいまひとつ…、その家基が鷹狩りに、本丸奥医の池原長仙引が従いしなれど、西之丸よりは…、西之丸に仕えし奥医は誰一人として従わなかったのは何ゆえぞ?」
家治がそう問うや、親房も忠恕もその理由について何か思い当たる節でもあるようで、二人共、「ああ…」と何かを思い出したような顔をした。
家治はそんな二人に対して、「如何致した?」とその理由について尋ねた。
「さればそれは…、西之丸よりは奥医師を…、西之丸に仕えし奥医師を誰一人として、畏れ多くも大納言様がお最期のご放鷹に従わせしめませんでしたのはこれ全て、当時の御側御用取次の小笠原若狭守が差し金にて…」
やはりそうかと、家治はそう思わずにはいられなかった。いや、それは家治だけでなく、親房と忠恕を出迎えた皆の共通の思いでもあった。
それにしても親房は小笠原若狭こと若狭守信喜が為したことについて、「差し金」とそう表現してみせた。その一事をもってしてもこの親房の信喜に対する嫌悪感を感じ取ることができると言えよう。
そしてそれは隣に座る忠恕にしても同様であるということであった。それと言うのも今の親房の言葉に、とりわけ「差し金」のフレーズに微かだが、頷く様子が窺えたからだ。
問題はどうして二人がそこまで信喜に嫌悪感を抱いているか、であった。
だがそのことは家治は今はとりあえず脇に置いて、本題に集中することにした。
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