天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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奥医師を差配する御膳番の小納戸までが揃って清水重好所縁の者であることに益五郎は疑問を抱く

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「いかさま…、大久保おおくぼ一族の一人である靱負ゆきえには家基いえもとを殺す動機どうきに欠けているのはその通りであろうが、なれど三浦みうら左膳さぜんはそうではあるまい?何しろ三浦みうら左膳さぜんは今も申した通り、重好しげよしとは従兄弟いとこ同士のあいだがらゆえ、重好しげよしが次期将軍、そして将軍とあいれば、三浦家の栄誉えいよ栄華えいがも約束されたも同然どうぜんにて…」

 家治のその言葉は清水重好しげよしこそが家基いえもとの死の黒幕くろまくだと言っているに等しかった。いや、家治とて無論むろん重好しげよし黒幕くろまくなどとは思っていない。すなわち、家基いえもと最期さいごたかりにしたがい、あまつさえ、家基いえもと一行がたかりの帰途きと、立ち寄った品川の東海寺にて家基いえもときょうされたちゃ菓子がし、そのちゃ菓子がし毒見どくみになった三浦みうら左膳さぜん毒見どくみじょうじてちゃ菓子がし…、宇治うじ抹茶まっちゃか、あるいは団子だんごしくは田楽でんがくに毒を仕込しこんだなどとは思ってもいなかった。

 それでも家治は将軍としての立場上、公平こうへいすべく、あえてその可能性にもれたのであった。

 だがそれに対して益五郎ますごろうは否定的見解を示した。

「いやぁ…、それはどうっすかねぇ…」

 そう否定的見解を示す益五郎ますごろうに対して家治が、「おもんぱかってのことか?」と尋ねたので、

「まぁ、それもないとは言わないっすけど…」

 益五郎ますごろう冗談じょうだんめかしてそう答えてみせ、家治を苦笑させた。

 それから益五郎ますごろうはすぐに表情を元の真面目まじめなそれへと戻すと、

「いや、まじな話、り返しになりますけど、どうにも気に入らねぇんすよ…」

 そう「清水重好しげよし黒幕くろまく説」への否定的見解の理由を口にした。いや、それは理由というよりは直感に等しかった。

家基いえもと最期さいごたかりにしたがいし小姓こしょう小納戸こなんどが皆、重好しげよしと…、清水家と何らかのかかわりがある者でめられているゆえ、だな?」

 家治が確かめるようにそう尋ねた。

「そうっす。いや、これで一人ぐらい、一橋ひとつばし家の関係者が混じっていれば、こりゃもしかしてって、重好しげよし殿こそ家基いえもと様を殺した黒幕くろまくじゃねぇか、ってそう疑いもしたかも知れませんけど…、ってその時には一橋ひとつばしの野郎にも疑いがかかったかも知れねぇですけど、でも、こうも清水家と縁がある者だけでめられてるとなると、逆にかんりたくもなりますよ…」

一橋ひとつばし治済はるさだ重好しげよしめるべく、か?」

「そうっす。いや、気に入らねぇと言えば、もう一点…」

「何だ?」

「ここ本丸ほんまるにおける小納戸こなんどの中で御膳ごぜん番を兼務けんむしてんのがあんた…、大久保おおくぼ半五郎はんごろうと、それにあんた…、吉川よしかわ一學いちがくってことなんだけど…」

 益五郎ますごろうによってしされた半五郎はんごろう一學いちがくたがいの顔をうと、

「我らが御膳ごぜん番を兼務けんむせしことが不審ふしんと申すか?」

 やはり半五郎はんごろうが尋ねた。

「ああ…、って別にあんた達の所為せいじゃねぇぜ?ただ、あんた達もやっぱり清水家…、重好しげよし殿とは縁があるわけで…、二人共だ、だとしたら、本丸ほんまるおくの池原が家基いえもと様のたかりについて行った件、それが御側おそば御用ごよう取次とりつぎのそこのあんた…、正明まさあきらか、それからあんたも…、小納戸こなんど頭取とうどりしゅうの一人である、半五郎はんごろう一學いちがくの直接の上司でもあるあんた…、正存まさよしか、そのあんたらに説得されて、っつか強要きょうようされたために、く、半五郎はんごろう一學いちがく本丸ほんまるおく差配さはいする御膳ごぜん番の本丸ほんまる小納戸こなんどとして、本丸ほんまるおくの一人である池原の野郎を家基いえもと様のたかりにしたがわせるべく、だんったんだろうが、結果から…、結果だけしか見ねぇなら、清水家…、重好しげよし殿と縁がある半五郎はんごろう一學いちがく仕業しわざってことになるよな…、池原の野郎が家基いえもと様のたかりにしたがったことが…」

 益五郎ますごろうがそう示唆しさすると、準松のりとしが、「あっ」と声を上げた。どうやら益五郎ますごろう真意しんいに気付いたらしい。

益五郎ますごろうはよもや…、二人が…、大久保おおくぼ半五郎はんごろう吉川よしかわ一學いちがく御膳ごぜん番に選ばれたことまでもうたごうておるのか?」

 準松のりとしよりそう問われた益五郎ますごろううなずいた。

家基いえもと様のたかりについて行った…、それも家基いえもと様を毒殺どくさつする機会きかいめぐまれてた小納戸こなんど小姓こしょうそろいもそろって清水家…、重好しげよし殿と何らかの関係があれば、御膳ごぜん番…、おく差配さはいする御膳ごぜん番の小納戸こなんどまでが、それも二人共、清水家…、重好しげよし殿と縁がある、ってなればどうしたって疑いたくもなるだろ…」

「確かに…」

 準松のりとし正明まさあきらはそう声をそろえた。

「そこで聞きたいんだけど…」

 益五郎ますごろうがそう言いかけると、その先の言葉は正明まさあきらが引き取ってみせた。

大久保おおくぼ半五郎はんごろう吉川よしかわ一學いちがく御膳ごぜん番に選ばれた経緯けいいだな?」

 流石さすが正明まさあきらは良いかんをしていた。益五郎ますごろう正明まさあきらのそのかんばたらきの良さに内心、舌を巻きつつ、「ああ」と認めた。

「それなれば…、確か天の声であったと…」

 正明まさあきらが思い出すようにそう言えば、準松のりとしもそれに対して、「ああ」と同意した。

「えっ…、御側おそば御用ごよう取次とりつぎのあんたらが天の声だなんて、そんな言葉を使うってことは、天ってのはもしかして…」

 益五郎ますごろうはそう言いかけると将軍・家治の方を見た。天下の御側おそば御用ごよう取次とりつぎにとっての「天」とはすなわち、将軍以外には考えられなかったからだ。

 すると準松のりとし正明まさあきら益五郎ますごろうのそのかんに気付くや、その通りだと言わんばかりにうなずいてみせたので、益五郎ますごろうは家治の方へと視線を移した。

 すると家治は益五郎ますごろうの視線を感じ取ると、コクリとうなずいたかと思うと、意外な事実を語り出した。それは他でもない、「天の声」を認める内容であった。

家基いえもとった年であったわ…」

 家治がそう切り出したので、「安永8(1779)年のことっすね?」と益五郎ますごろうはそう合いの手を入れた。

「ああ、その年の正月に治済はるさだより頼まれたのだ…」

「頼まれたって、何をです?」

小納戸こなんどの人事についてだ」

「まさか…、御膳ごぜん番の小納戸こなんど大久保おおくぼ半五郎はんごろう吉川よしかわ一學いちがくにしてくれって陳情ちんじょうっすか?」

「ああ、そのまさかだ」

「ってことは、それまでは別の野郎…、小納戸こなんど御膳ごぜん番を兼務けんむしていたと?」

「その通りぞ。されば岩本いわもと正五郎しょうごろう正倫まさとも松下まつした左十郎さじゅうろう正邑まさむらぞ…」

「えっ…、岩本いわもと正五郎しょうごろうって…」

左様さよう…、一橋ひとつばし豊千代とよちよが母、とみ実弟じっていぞ…」

「それを大久保おおくぼ半五郎はんごろう吉川よしかわ一學いちがくとに代えて欲しいと?って、松下まつした左十郎さじゅうろうってのは…」

「やはりここ本丸ほんまるにて小納戸こなんどを勤めし、松下まつした蔵人くらんど統筠むねの嫡男ちゃくなん…、いや養嗣子ようししと言うべきであろうな、その養嗣子ようしし左十郎さじゅうろう正邑まさむらぞ」

「はぁ、つまりよう親子しんしでここ本丸ほんまるにて小納戸こなんどを務めていると…」

 益五郎ますごろうにはいまいちピンとこなかった。すると家治もそうと察したらしく、

「されば松下まつした左十郎さじゅうろう松下まつした蔵人くらんど養嗣子ようししにて…」

 家治は思わせぶりにそうり返した。

「つまりどっかの旗本の次男か、三男を養子にもらい受けたと…」

「その通りぞ。されば先手さきて弓頭ゆみがしらを務めし市岡いちおか左大夫さだゆう正峰まさみねが次男にて…」

「はぁ…、市岡いちおかさん、ねぇ…」

 やはり益五郎ますごろうはいまいちピンとこなかった。

「されば市岡いちおか左大夫さだゆう妻女さいじょは…、つまりは松下まつした左十郎さじゅうろう実母じつぼ岩本いわもと内膳正ないぜんのかみ正房まさふさが娘にて…」

 岩本いわもと内膳正ないぜんのかみ正房まさふさ…、その名が出て、いや、岩本いわもとなる苗字みょうじが飛び出した途端とたん益五郎ますごろうは「えっ」と声を上げていた。

岩本いわもとって、まさか…」

「ああ、そのまさかぞ。されば岩本いわもと正房まさふさは、岩本いわもと正五郎しょうごろうの祖父にて…」

岩本いわもと正五郎しょうごろうの親父の親父ってことっすか?」

「|左様…、されば岩本いわもと正五郎しょうごろうが父、岩本いわもと内膳正ないぜんのかみ正利まさとしが父こそ、その岩本いわもと正房まさふさにて…」

「その岩本いわもと正房まさふさの娘こそが、松下まつした左十郎さじゅうろうのおふくろさんってことはつまり…」

 益五郎ますごろうは頭の中で家系かけいえがこうとしたものの、うまくいかず、そうと気付いた家治はそんな益五郎ますごろうのために親切にも教えてくれた。

「されば岩本いわもと正利まさとしの姉こそが松下まつした左十郎さじゅうろう実母じつぼにて…」

「じゃあ、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうってのは従兄弟いとこ同士ってことっすか?」

左様さよう…、されば共に25歳なれど、松下まつした左十郎さじゅうろうの方が岩本いわもと正五郎しょうごろうよりも生まれ月がはやければ…」

松下まつした左十郎さじゅうろうの方が従兄じゅうけいで、岩本いわもと正五郎しょうごろう従弟じゅうていと…」

左様さよう…」

「ってことは、松下まつした左十郎さじゅうろう岩本いわもと正五郎しょうごろう同様、一橋ひとつばし豊千代とよちよ縁者えんじゃってことになりますよね?」

 益五郎ますごろうが確かめるようにそう尋ねるや、

如何いかにも…」

 家治は首肯しゅこうした。
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