93 / 197
奥医師を差配する御膳番の小納戸までが揃って清水重好所縁の者であることに益五郎は疑問を抱く
しおりを挟む
「いかさま…、大久保一族の一人である靱負には家基を殺す動機に欠けているのはその通りであろうが、なれど三浦左膳はそうではあるまい?何しろ三浦左膳は今も申した通り、重好とは従兄弟同士の間柄ゆえ、重好が次期将軍、そして将軍と相成れば、三浦家の栄誉栄華も約束されたも同然にて…」
家治のその言葉は清水重好こそが家基の死の黒幕だと言っているに等しかった。いや、家治とて無論、重好が黒幕などとは思っていない。即ち、家基の最期の鷹狩りに従い、あまつさえ、家基一行が鷹狩りの帰途、立ち寄った品川の東海寺にて家基に供された茶菓子、その茶菓子の毒見を担った三浦左膳が毒見に乗じて茶菓子…、宇治の抹茶か、あるいは団子、若しくは田楽に毒を仕込んだなどとは思ってもいなかった。
それでも家治は将軍としての立場上、公平を期すべく、あえてその可能性にも触れたのであった。
だがそれに対して益五郎は否定的見解を示した。
「いやぁ…、それはどうっすかねぇ…」
そう否定的見解を示す益五郎に対して家治が、「余を慮ってのことか?」と尋ねたので、
「まぁ、それもないとは言わないっすけど…」
益五郎は冗談めかしてそう答えてみせ、家治を苦笑させた。
それから益五郎はすぐに表情を元の真面目なそれへと戻すと、
「いや、まじな話、繰り返しになりますけど、どうにも気に入らねぇんすよ…」
そう「清水重好黒幕説」への否定的見解の理由を口にした。いや、それは理由というよりは直感に等しかった。
「家基が最期の鷹狩りに従いし小姓や小納戸が皆、重好と…、清水家と何らかのかかわりがある者で占められているゆえ、だな?」
家治が確かめるようにそう尋ねた。
「そうっす。いや、これで一人ぐらい、一橋家の関係者が混じっていれば、こりゃもしかしてって、重好殿こそ家基様を殺した黒幕じゃねぇか、ってそう疑いもしたかも知れませんけど…、ってその時には一橋の野郎にも疑いがかかったかも知れねぇですけど、でも、こうも清水家と縁がある者だけで占められてるとなると、逆に勘繰りたくもなりますよ…」
「一橋治済が重好を嵌めるべく、か?」
「そうっす。いや、気に入らねぇと言えば、もう一点…」
「何だ?」
「ここ本丸における小納戸の中で御膳番を兼務してんのがあんた…、大久保半五郎と、それにあんた…、吉川一學ってことなんだけど…」
益五郎によって名指しされた半五郎と一學は互いの顔を見合うと、
「我らが御膳番を兼務せしことが不審と申すか?」
やはり半五郎が尋ねた。
「ああ…、って別にあんた達の所為じゃねぇぜ?ただ、あんた達もやっぱり清水家…、重好殿とは縁があるわけで…、二人共だ、だとしたら、本丸奥医の池原が家基様の鷹狩りについて行った件、それが御側御用取次のそこのあんた…、正明か、それからあんたも…、小納戸頭取衆の一人である、半五郎と一學の直接の上司でもあるあんた…、正存か、そのあんたらに説得されて、っつか強要されたために、已む無く、半五郎と一學は本丸奥医を差配する御膳番の本丸小納戸として、本丸奥医の一人である池原の野郎を家基様の鷹狩りに従わせるべく、段取ったんだろうが、結果から…、結果だけしか見ねぇなら、清水家…、重好殿と縁がある半五郎と一學の仕業ってことになるよな…、池原の野郎が家基様の鷹狩りに従ったことが…」
益五郎がそう示唆すると、準松が、「あっ」と声を上げた。どうやら益五郎の真意に気付いたらしい。
「益五郎はよもや…、二人が…、大久保半五郎と吉川一學が御膳番に選ばれたことまでも疑うておるのか?」
準松よりそう問われた益五郎は頷いた。
「家基様の鷹狩りについて行った…、それも家基様を毒殺する機会に恵まれてた小納戸と小姓が揃いも揃って清水家…、重好殿と何らかの関係があれば、御膳番…、奥医を差配する御膳番の小納戸までが、それも二人共、清水家…、重好殿と縁がある、ってなればどうしたって疑いたくもなるだろ…」
「確かに…」
準松と正明はそう声を揃えた。
「そこで聞きたいんだけど…」
益五郎がそう言いかけると、その先の言葉は正明が引き取ってみせた。
「大久保半五郎と吉川一學が御膳番に選ばれた経緯だな?」
流石に正明は良い勘をしていた。益五郎は正明のその勘働きの良さに内心、舌を巻きつつ、「ああ」と認めた。
「それなれば…、確か天の声であったと…」
正明が思い出すようにそう言えば、準松もそれに対して、「ああ」と同意した。
「えっ…、御側御用取次のあんたらが天の声だなんて、そんな言葉を使うってことは、天ってのはもしかして…」
益五郎はそう言いかけると将軍・家治の方を見た。天下の御側御用取次にとっての「天」とは即ち、将軍以外には考えられなかったからだ。
すると準松と正明は益五郎のその勘に気付くや、その通りだと言わんばかりに頷いてみせたので、益五郎は家治の方へと視線を移した。
すると家治は益五郎の視線を感じ取ると、コクリと頷いたかと思うと、意外な事実を語り出した。それは他でもない、「天の声」を認める内容であった。
「家基が逝った年であったわ…」
家治がそう切り出したので、「安永8(1779)年のことっすね?」と益五郎はそう合いの手を入れた。
「ああ、その年の正月に治済より頼まれたのだ…」
「頼まれたって、何をです?」
「小納戸の人事についてだ」
「まさか…、御膳番の小納戸を大久保半五郎と吉川一學にしてくれって陳情っすか?」
「ああ、そのまさかだ」
「ってことは、それまでは別の野郎…、小納戸が御膳番を兼務していたと?」
「その通りぞ。されば岩本正五郎正倫と松下左十郎正邑ぞ…」
「えっ…、岩本正五郎って…」
「左様…、一橋豊千代が母、富の実弟ぞ…」
「それを大久保半五郎と吉川一學とに代えて欲しいと?って、松下左十郎ってのは…」
「やはりここ本丸にて小納戸を勤めし、松下蔵人統筠が嫡男…、いや養嗣子と言うべきであろうな、その養嗣子の左十郎正邑ぞ」
「はぁ、つまり養親子でここ本丸にて小納戸を務めていると…」
益五郎にはいまいちピンとこなかった。すると家治もそうと察したらしく、
「されば松下左十郎は松下蔵人が養嗣子にて…」
家治は思わせぶりにそう繰り返した。
「つまりどっかの旗本の次男か、三男を養子に貰い受けたと…」
「その通りぞ。されば先手弓頭を務めし市岡左大夫正峰が次男にて…」
「はぁ…、市岡さん、ねぇ…」
やはり益五郎はいまいちピンとこなかった。
「されば市岡左大夫が妻女は…、つまりは松下左十郎が実母は岩本内膳正正房が娘にて…」
岩本内膳正正房…、その名が出て、いや、岩本なる苗字が飛び出した途端、益五郎は「えっ」と声を上げていた。
「岩本って、まさか…」
「ああ、そのまさかぞ。されば岩本正房は、岩本正五郎の祖父にて…」
「岩本正五郎の親父の親父ってことっすか?」
「|左様…、されば岩本正五郎が父、岩本内膳正正利が父こそ、その岩本正房にて…」
「その岩本正房の娘こそが、松下左十郎のお袋さんってことはつまり…」
益五郎は頭の中で家系図を描こうとしたものの、うまくいかず、そうと気付いた家治はそんな益五郎のために親切にも教えてくれた。
「されば岩本正利の姉こそが松下左十郎が実母にて…」
「じゃあ、岩本正五郎と松下左十郎ってのは従兄弟同士ってことっすか?」
「左様…、されば共に25歳なれど、松下左十郎の方が岩本正五郎よりも生まれ月が早ければ…」
「松下左十郎の方が従兄で、岩本正五郎は従弟と…」
「左様…」
「ってことは、松下左十郎も岩本正五郎同様、一橋豊千代の縁者ってことになりますよね?」
益五郎が確かめるようにそう尋ねるや、
「如何にも…」
家治は首肯した。
家治のその言葉は清水重好こそが家基の死の黒幕だと言っているに等しかった。いや、家治とて無論、重好が黒幕などとは思っていない。即ち、家基の最期の鷹狩りに従い、あまつさえ、家基一行が鷹狩りの帰途、立ち寄った品川の東海寺にて家基に供された茶菓子、その茶菓子の毒見を担った三浦左膳が毒見に乗じて茶菓子…、宇治の抹茶か、あるいは団子、若しくは田楽に毒を仕込んだなどとは思ってもいなかった。
それでも家治は将軍としての立場上、公平を期すべく、あえてその可能性にも触れたのであった。
だがそれに対して益五郎は否定的見解を示した。
「いやぁ…、それはどうっすかねぇ…」
そう否定的見解を示す益五郎に対して家治が、「余を慮ってのことか?」と尋ねたので、
「まぁ、それもないとは言わないっすけど…」
益五郎は冗談めかしてそう答えてみせ、家治を苦笑させた。
それから益五郎はすぐに表情を元の真面目なそれへと戻すと、
「いや、まじな話、繰り返しになりますけど、どうにも気に入らねぇんすよ…」
そう「清水重好黒幕説」への否定的見解の理由を口にした。いや、それは理由というよりは直感に等しかった。
「家基が最期の鷹狩りに従いし小姓や小納戸が皆、重好と…、清水家と何らかのかかわりがある者で占められているゆえ、だな?」
家治が確かめるようにそう尋ねた。
「そうっす。いや、これで一人ぐらい、一橋家の関係者が混じっていれば、こりゃもしかしてって、重好殿こそ家基様を殺した黒幕じゃねぇか、ってそう疑いもしたかも知れませんけど…、ってその時には一橋の野郎にも疑いがかかったかも知れねぇですけど、でも、こうも清水家と縁がある者だけで占められてるとなると、逆に勘繰りたくもなりますよ…」
「一橋治済が重好を嵌めるべく、か?」
「そうっす。いや、気に入らねぇと言えば、もう一点…」
「何だ?」
「ここ本丸における小納戸の中で御膳番を兼務してんのがあんた…、大久保半五郎と、それにあんた…、吉川一學ってことなんだけど…」
益五郎によって名指しされた半五郎と一學は互いの顔を見合うと、
「我らが御膳番を兼務せしことが不審と申すか?」
やはり半五郎が尋ねた。
「ああ…、って別にあんた達の所為じゃねぇぜ?ただ、あんた達もやっぱり清水家…、重好殿とは縁があるわけで…、二人共だ、だとしたら、本丸奥医の池原が家基様の鷹狩りについて行った件、それが御側御用取次のそこのあんた…、正明か、それからあんたも…、小納戸頭取衆の一人である、半五郎と一學の直接の上司でもあるあんた…、正存か、そのあんたらに説得されて、っつか強要されたために、已む無く、半五郎と一學は本丸奥医を差配する御膳番の本丸小納戸として、本丸奥医の一人である池原の野郎を家基様の鷹狩りに従わせるべく、段取ったんだろうが、結果から…、結果だけしか見ねぇなら、清水家…、重好殿と縁がある半五郎と一學の仕業ってことになるよな…、池原の野郎が家基様の鷹狩りに従ったことが…」
益五郎がそう示唆すると、準松が、「あっ」と声を上げた。どうやら益五郎の真意に気付いたらしい。
「益五郎はよもや…、二人が…、大久保半五郎と吉川一學が御膳番に選ばれたことまでも疑うておるのか?」
準松よりそう問われた益五郎は頷いた。
「家基様の鷹狩りについて行った…、それも家基様を毒殺する機会に恵まれてた小納戸と小姓が揃いも揃って清水家…、重好殿と何らかの関係があれば、御膳番…、奥医を差配する御膳番の小納戸までが、それも二人共、清水家…、重好殿と縁がある、ってなればどうしたって疑いたくもなるだろ…」
「確かに…」
準松と正明はそう声を揃えた。
「そこで聞きたいんだけど…」
益五郎がそう言いかけると、その先の言葉は正明が引き取ってみせた。
「大久保半五郎と吉川一學が御膳番に選ばれた経緯だな?」
流石に正明は良い勘をしていた。益五郎は正明のその勘働きの良さに内心、舌を巻きつつ、「ああ」と認めた。
「それなれば…、確か天の声であったと…」
正明が思い出すようにそう言えば、準松もそれに対して、「ああ」と同意した。
「えっ…、御側御用取次のあんたらが天の声だなんて、そんな言葉を使うってことは、天ってのはもしかして…」
益五郎はそう言いかけると将軍・家治の方を見た。天下の御側御用取次にとっての「天」とは即ち、将軍以外には考えられなかったからだ。
すると準松と正明は益五郎のその勘に気付くや、その通りだと言わんばかりに頷いてみせたので、益五郎は家治の方へと視線を移した。
すると家治は益五郎の視線を感じ取ると、コクリと頷いたかと思うと、意外な事実を語り出した。それは他でもない、「天の声」を認める内容であった。
「家基が逝った年であったわ…」
家治がそう切り出したので、「安永8(1779)年のことっすね?」と益五郎はそう合いの手を入れた。
「ああ、その年の正月に治済より頼まれたのだ…」
「頼まれたって、何をです?」
「小納戸の人事についてだ」
「まさか…、御膳番の小納戸を大久保半五郎と吉川一學にしてくれって陳情っすか?」
「ああ、そのまさかだ」
「ってことは、それまでは別の野郎…、小納戸が御膳番を兼務していたと?」
「その通りぞ。されば岩本正五郎正倫と松下左十郎正邑ぞ…」
「えっ…、岩本正五郎って…」
「左様…、一橋豊千代が母、富の実弟ぞ…」
「それを大久保半五郎と吉川一學とに代えて欲しいと?って、松下左十郎ってのは…」
「やはりここ本丸にて小納戸を勤めし、松下蔵人統筠が嫡男…、いや養嗣子と言うべきであろうな、その養嗣子の左十郎正邑ぞ」
「はぁ、つまり養親子でここ本丸にて小納戸を務めていると…」
益五郎にはいまいちピンとこなかった。すると家治もそうと察したらしく、
「されば松下左十郎は松下蔵人が養嗣子にて…」
家治は思わせぶりにそう繰り返した。
「つまりどっかの旗本の次男か、三男を養子に貰い受けたと…」
「その通りぞ。されば先手弓頭を務めし市岡左大夫正峰が次男にて…」
「はぁ…、市岡さん、ねぇ…」
やはり益五郎はいまいちピンとこなかった。
「されば市岡左大夫が妻女は…、つまりは松下左十郎が実母は岩本内膳正正房が娘にて…」
岩本内膳正正房…、その名が出て、いや、岩本なる苗字が飛び出した途端、益五郎は「えっ」と声を上げていた。
「岩本って、まさか…」
「ああ、そのまさかぞ。されば岩本正房は、岩本正五郎の祖父にて…」
「岩本正五郎の親父の親父ってことっすか?」
「|左様…、されば岩本正五郎が父、岩本内膳正正利が父こそ、その岩本正房にて…」
「その岩本正房の娘こそが、松下左十郎のお袋さんってことはつまり…」
益五郎は頭の中で家系図を描こうとしたものの、うまくいかず、そうと気付いた家治はそんな益五郎のために親切にも教えてくれた。
「されば岩本正利の姉こそが松下左十郎が実母にて…」
「じゃあ、岩本正五郎と松下左十郎ってのは従兄弟同士ってことっすか?」
「左様…、されば共に25歳なれど、松下左十郎の方が岩本正五郎よりも生まれ月が早ければ…」
「松下左十郎の方が従兄で、岩本正五郎は従弟と…」
「左様…」
「ってことは、松下左十郎も岩本正五郎同様、一橋豊千代の縁者ってことになりますよね?」
益五郎が確かめるようにそう尋ねるや、
「如何にも…」
家治は首肯した。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
12
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる