75 / 197
徳川家基殺人事件特別捜査本部開設
しおりを挟む
さて、こうして中奥にある御三卿家老の詰所より一橋家老の田沼意致と清水家老の本多昌忠の姿が消えたところで、代わって意知と平蔵、そして益五郎と玄通がその御三卿の詰所に入った。
これから意知たち4人には家基殺し、さらにはそこから派生した奥医師の池原良誠斬殺事件を探索、捜査してもらうことになるわけで、将軍・家治はそのための「捜査本部」を4人に与えるべく、そこで中奥にある御三卿の詰所を「捜査本部」とし、4人に与えたのであった。
幸い、一橋、清水の両家老は事件が解決するまでの間、江戸城への登城は許されず、そうであれば当然、この中奥にある御三卿家老の詰所に姿を見せることはない。
また御三卿は一橋家、清水家の他にもう一家、それも御三卿の筆頭格である田安家があるが、現在、田安家は当主不在であった。
いや、御三卿は御三家を始めとする大名、あるいは旗本や御家人の御家とは違い、
「潰れない家」
であった。即ち、当主が欠ければ例え、御三家であっても御家は取り潰されるのが大原則であったが、こと御三卿に限ってはこの大原則が適用されず、例え今のように当主が不在であったとしても、取り潰されることはなく、それゆえ当主不在の今でも御三卿家老…、田安家老が存しており、当主不在の田安邸、所謂、
「明屋形」
を守っていたのだ。尤も、当主不在であるので家老…、田安家老にしても、当主が存する一橋家老や清水家老のように毎日、登城することはなく、ゆえにその田安家老とは対照的に、ほぼ毎日、登城していた一橋家老と清水家老の登城が事件解決まで禁じられた以上、事件解決までの間は中奥にあるその御三卿家老の詰所は、
「無人…」
になるわけで、「捜査本部」とするのに正にうってつけであり、そこで家治は中奥にあるその御三卿家老の詰所を意知たちのために「捜査本部」として与えたのであった。
ちなみに御三卿家老の詰所は中奥の他にももう一つ、表向にある菊之間の一角にも設けられており、その菊之間の一角に設けられた御三卿家老の詰所も当然、無人になるものの、しかし、そこでは余りにも、
「人の目がある…」
というもので、それでは「捜査本部」には適さず、それゆえ中奥にある御三卿家老の詰所を「捜査本部」と定め、意知たちに与えたのであった。
さて、意知たち4人は辰ノ口の評定所からここ中奥にある御三卿の詰所に移動すると、そこでまず、改めて自己紹介することにした。
「私は田沼意知だ。ここにいる平さん、いや、平蔵殿には色々と世話になっている…」
意知は益五郎と玄通に対して、平蔵をそう紹介した。すると平蔵も益五郎と玄通に会釈した。
益五郎もそれを受けて自己紹介することにした。
「俺は鷲巣益五郎、で、こいつは博打仲間の玄通…、長谷川玄通…」
益五郎がそう告げると、さしもの意知も平蔵も苦笑させられたものである。益五郎がはっきりと博打仲間だと告げたことに、意知も平蔵も苦笑を禁じ得なかったのだ。博打仲間だとバラされた格好の玄通にしてもそうであった。
「まぁ、俺も若い時分には博打もしてのけたものよ…」
平蔵はそう言って、特に問題視しなかった。意知もそうであり、益五郎は意知も平蔵も中々に懐が深いと感じた。
「ああ、でも俺が何の取り柄もないのに対して、こいつは…、長谷川玄通は一応、医者だから…、ってもまだ見習いだが、それでも俺よりは役に立つと思うぜ」
益五郎は玄通の名誉のために一応、そう補足した。
「左様か…、それにしても長谷川とは…」
意知がついそんな感想を漏らしたので、平蔵と玄通が同じ苗字であることを思い出させた。
「まぁ、無関係ではござろうが、なれどもしかしたらどこかで繋がっているやも知れませんな…」
玄通は苦笑まじりにそう答えると、平蔵もそれを受けて苦笑しながら頷いたものだ。確かに平蔵も若い時分には博打に興じたとの話だから、その血が玄通にも入っていたとしても不思議ではなかった。
さて、それから意知が、「今後の探索の方針だが…」と口火を切った。すると平蔵が、「その前に宜しいでしょうか…」と口を挟んだ。
「ええ、勿論。で、何です?」
意知は興味深げな様子で平蔵に尋ねた。
「いきなり…、先入観を与えるようなことは…、そのような発言は厳に慎むのが探索の鉄則なんですが…」
平蔵はそう前置きした。
「宣雄様の言葉ですか?」
意知が微笑みを湛えながらそう尋ねると、平蔵も照れくさそうに、頷いた。宣雄とは勿論、平蔵の父にして京都西町奉行を務めた長谷川備中守宣雄のことであり、益五郎も玄通もすぐにそうと察した。
ともあれ平蔵はそれからすぐに表情を引き締めると、成程、皆に先入観を植えつけるような驚くべきことを口にした。
「大納言様を殺し、そして奥医師の池原良誠を殺したのは…、その黒幕は一橋治済卿ではないかと…」
平蔵のその大胆な推量にしかし、意知は咎めることなく、
「何ゆえにそのように思われる?」
あくまで冷静に尋ねた。
「まぁ、根拠はあるのかと、そう問われれば俺の勘働きと、そう答えるしかないんですが…」
「それでも何か…、平蔵殿にそう思わせた何があるのでしょう?」
意知にそう問われた平蔵は「ええ」と答えると、その「何か」について語り出した。
「治済卿の表情の変化ですよ…」
「治済卿の表情の変化、と?」
意知が聞き返すと平蔵は頷いた。
「具体的にはどういうことです?」
意知が平蔵に詳しい説明を求めた。
「俺が高橋又四郎が…、一橋邸より例の、益五郎が…、って益五郎と呼んでも構わぬか?」
平蔵からいきなりそう問われた益五郎は、「好きに呼んでくれ」と答えた。
「それでは…、益五郎が拾い上げた…、池原良誠を斬った下手人が落とした紫の袱紗、そいつを一橋邸より持ち出した高橋又四郎が生存しているかも知れないと、俺がそう触れた時のことを覚えていますか?」
平蔵がそう問いかけると、意知が真っ先に反応した。
「ああ…、確かそれぞれの邸より…、一橋御門内、あるいは|清水御門内、それぞれの邸内のそれも土中より高橋又四郎の遺骸が見つからぬ場合には高橋又四郎は生きているやも知れぬ、と…」
意知が記憶を手繰り寄せながら尋ねると、平蔵はやはり頷いた。意知のその記憶力の良さに感心しているようでもあった。
「その時、治済卿は誰よりも驚いた表情をしてみせたんですよ…」
「つまりそれは…、治済卿は高橋又四郎が生きていることを知っているから…、つまりは平蔵殿が申される通り、黒幕ゆえに、そのことを…、高橋又四郎が生きていると、平蔵殿に正確に指摘されたたえに、治済卿は誰よりも、それこそ人一倍驚かれたと?」
「そうです。それからもう一点、仮に治済卿が黒幕だとして、その場合には重好卿に濡れ衣を着せたことになるわけで…、つまりは池原良誠殺しがさも、一橋治済卿の犯行である、ひいては家基様を殺したのも一橋治済卿であると、重好卿はそう見せかけるべく、一橋邸にて仕えし高橋又四郎を使い、一橋邸よりそのための小道具とも言うべき、例の紫の袱紗を持ち出させた…、治済卿が黒幕の場合、そのように重好卿に濡れ衣を着せようと図ったことになるわけで、その場合には高橋又四郎の相役である納戸頭の堀内平左衛門の証言…、高橋又四郎はわざわざ、堀内平左衛門に対して治済卿の意向によりなどと断りを入れてから紫の袱紗を持ち出したとする、その堀内平左衛門の証言も嘘ということになる…、その可能性に触れた時にも…」
「やはり治済卿は驚かれた…、それも人一倍、驚かれたと?」
意知が確かめるように尋ねると、平蔵は頷き、「さらにもう一点」と付け加えた。
「高橋又四郎が生存している可能性は極めて低いのではないか…、俺がそんな推量を口にした時、治済卿は今度は一転、ホッとした様子を浮かべたんですよ…」
「それはつまり…、実際には高橋又四郎は生きており、にもかかわらず平蔵殿が誤った推量を披露せしことで、治済卿はホッとされた、と?」
「その通りです。そしてそんなことは…、俺が間違った推量を展開したことでホッとするのは黒幕以外にはあり得ませんから…」
平蔵はそう断言した。成程、平蔵自身が認める通り、確かに確たる根拠には欠けていたものの、しかし、治済卿が黒幕に違いないと、そう思わせるには十分であった。
「だが問題は、俺が家基様が最期のご放鷹、それに同行した者たちの名簿を求めた時のことです…」
平蔵がそう言いかけると、それには益五郎が反応した。
「そういや、治済の野郎、ニヤリと笑みを浮かべたよな…」
益五郎がそう答えると、平蔵は心底、驚いた表情を浮かべた。
「気付いていたのか?」
平蔵は驚いた表情のまま、益五郎に尋ねた。
「ああ。何だか妙にきになって…、いや、仮に黒幕が治済だとしたら、当然、家基様の最期のご放鷹…、鷹狩りに手前の息のかかった奴等を同行させて、家基様のお命を頂戴しようとした筈だから…、って現に家基様は品川の東海寺でしたっけ?江戸城に帰る途中にそこに立ち寄って、でそこで発病して、結果、死んだわけだから、その…、家基様殺害の黒幕とも言うべき立場の治済としては、その同行者の名簿なんて作られた日には、そして探索に当たる俺たちに知られた日には大いにまずいと思うんだが、なのに治済はニヤリと笑みを浮かべやがった…、それが俺にはどうにも気になっちまって…」
益五郎がそう告げると、平蔵は目を丸くした。
「大した観察眼だな…、いや、正しくその通りだよ…」
平蔵は益五郎の観察力に心底、感嘆した。
「だが、虚勢ということは考えられないか?」
意知はあくまで冷静であった。それは益五郎への対抗心と言うよりは、あらゆる可能性を潰しておきたいとの思惑からであった。
「いや、それは俺も考えましたけど、でも、どうにも俺には…」
「虚勢とは考えられない…、つまり治済卿は心底、ニヤリと笑みを浮かべた、と?」
「ええ…」
「だとしたら、治済卿は品川の東海寺にての家基様のご発病については、己は潔白であるとの絶対の自信があるからこそ、そのようにニヤリと笑みを浮かべられたのでは?」
意知がそう尋ねると、その時、初めて平蔵は渋い表情を浮かべた。意知の言う通りだからだ。
だがそうなると…、品川の東海寺での家基の発病について治済が潔白だとすると、家基発病、いや、家基殺害から派生する奥医師の池原良誠斬殺事件についても治済は潔白ということになるからだ。
だがそれでは治済が黒幕だとする平蔵のその勘働きが狂っていることになる。そのことが平蔵を悩ませていた。
「まぁ、とりあえず名簿だ…、果たして家基様の鷹狩りに誰が同行したのか、そいつが分からないことには悩んでも仕方ねぇだろ…」
益五郎は平蔵を励ますようにそう言った。すると平蔵も、
「年下から励まされるとは、本所の銕も墜ちたものよ…」
苦笑まじりにそう答えた。
これから意知たち4人には家基殺し、さらにはそこから派生した奥医師の池原良誠斬殺事件を探索、捜査してもらうことになるわけで、将軍・家治はそのための「捜査本部」を4人に与えるべく、そこで中奥にある御三卿の詰所を「捜査本部」とし、4人に与えたのであった。
幸い、一橋、清水の両家老は事件が解決するまでの間、江戸城への登城は許されず、そうであれば当然、この中奥にある御三卿家老の詰所に姿を見せることはない。
また御三卿は一橋家、清水家の他にもう一家、それも御三卿の筆頭格である田安家があるが、現在、田安家は当主不在であった。
いや、御三卿は御三家を始めとする大名、あるいは旗本や御家人の御家とは違い、
「潰れない家」
であった。即ち、当主が欠ければ例え、御三家であっても御家は取り潰されるのが大原則であったが、こと御三卿に限ってはこの大原則が適用されず、例え今のように当主が不在であったとしても、取り潰されることはなく、それゆえ当主不在の今でも御三卿家老…、田安家老が存しており、当主不在の田安邸、所謂、
「明屋形」
を守っていたのだ。尤も、当主不在であるので家老…、田安家老にしても、当主が存する一橋家老や清水家老のように毎日、登城することはなく、ゆえにその田安家老とは対照的に、ほぼ毎日、登城していた一橋家老と清水家老の登城が事件解決まで禁じられた以上、事件解決までの間は中奥にあるその御三卿家老の詰所は、
「無人…」
になるわけで、「捜査本部」とするのに正にうってつけであり、そこで家治は中奥にあるその御三卿家老の詰所を意知たちのために「捜査本部」として与えたのであった。
ちなみに御三卿家老の詰所は中奥の他にももう一つ、表向にある菊之間の一角にも設けられており、その菊之間の一角に設けられた御三卿家老の詰所も当然、無人になるものの、しかし、そこでは余りにも、
「人の目がある…」
というもので、それでは「捜査本部」には適さず、それゆえ中奥にある御三卿家老の詰所を「捜査本部」と定め、意知たちに与えたのであった。
さて、意知たち4人は辰ノ口の評定所からここ中奥にある御三卿の詰所に移動すると、そこでまず、改めて自己紹介することにした。
「私は田沼意知だ。ここにいる平さん、いや、平蔵殿には色々と世話になっている…」
意知は益五郎と玄通に対して、平蔵をそう紹介した。すると平蔵も益五郎と玄通に会釈した。
益五郎もそれを受けて自己紹介することにした。
「俺は鷲巣益五郎、で、こいつは博打仲間の玄通…、長谷川玄通…」
益五郎がそう告げると、さしもの意知も平蔵も苦笑させられたものである。益五郎がはっきりと博打仲間だと告げたことに、意知も平蔵も苦笑を禁じ得なかったのだ。博打仲間だとバラされた格好の玄通にしてもそうであった。
「まぁ、俺も若い時分には博打もしてのけたものよ…」
平蔵はそう言って、特に問題視しなかった。意知もそうであり、益五郎は意知も平蔵も中々に懐が深いと感じた。
「ああ、でも俺が何の取り柄もないのに対して、こいつは…、長谷川玄通は一応、医者だから…、ってもまだ見習いだが、それでも俺よりは役に立つと思うぜ」
益五郎は玄通の名誉のために一応、そう補足した。
「左様か…、それにしても長谷川とは…」
意知がついそんな感想を漏らしたので、平蔵と玄通が同じ苗字であることを思い出させた。
「まぁ、無関係ではござろうが、なれどもしかしたらどこかで繋がっているやも知れませんな…」
玄通は苦笑まじりにそう答えると、平蔵もそれを受けて苦笑しながら頷いたものだ。確かに平蔵も若い時分には博打に興じたとの話だから、その血が玄通にも入っていたとしても不思議ではなかった。
さて、それから意知が、「今後の探索の方針だが…」と口火を切った。すると平蔵が、「その前に宜しいでしょうか…」と口を挟んだ。
「ええ、勿論。で、何です?」
意知は興味深げな様子で平蔵に尋ねた。
「いきなり…、先入観を与えるようなことは…、そのような発言は厳に慎むのが探索の鉄則なんですが…」
平蔵はそう前置きした。
「宣雄様の言葉ですか?」
意知が微笑みを湛えながらそう尋ねると、平蔵も照れくさそうに、頷いた。宣雄とは勿論、平蔵の父にして京都西町奉行を務めた長谷川備中守宣雄のことであり、益五郎も玄通もすぐにそうと察した。
ともあれ平蔵はそれからすぐに表情を引き締めると、成程、皆に先入観を植えつけるような驚くべきことを口にした。
「大納言様を殺し、そして奥医師の池原良誠を殺したのは…、その黒幕は一橋治済卿ではないかと…」
平蔵のその大胆な推量にしかし、意知は咎めることなく、
「何ゆえにそのように思われる?」
あくまで冷静に尋ねた。
「まぁ、根拠はあるのかと、そう問われれば俺の勘働きと、そう答えるしかないんですが…」
「それでも何か…、平蔵殿にそう思わせた何があるのでしょう?」
意知にそう問われた平蔵は「ええ」と答えると、その「何か」について語り出した。
「治済卿の表情の変化ですよ…」
「治済卿の表情の変化、と?」
意知が聞き返すと平蔵は頷いた。
「具体的にはどういうことです?」
意知が平蔵に詳しい説明を求めた。
「俺が高橋又四郎が…、一橋邸より例の、益五郎が…、って益五郎と呼んでも構わぬか?」
平蔵からいきなりそう問われた益五郎は、「好きに呼んでくれ」と答えた。
「それでは…、益五郎が拾い上げた…、池原良誠を斬った下手人が落とした紫の袱紗、そいつを一橋邸より持ち出した高橋又四郎が生存しているかも知れないと、俺がそう触れた時のことを覚えていますか?」
平蔵がそう問いかけると、意知が真っ先に反応した。
「ああ…、確かそれぞれの邸より…、一橋御門内、あるいは|清水御門内、それぞれの邸内のそれも土中より高橋又四郎の遺骸が見つからぬ場合には高橋又四郎は生きているやも知れぬ、と…」
意知が記憶を手繰り寄せながら尋ねると、平蔵はやはり頷いた。意知のその記憶力の良さに感心しているようでもあった。
「その時、治済卿は誰よりも驚いた表情をしてみせたんですよ…」
「つまりそれは…、治済卿は高橋又四郎が生きていることを知っているから…、つまりは平蔵殿が申される通り、黒幕ゆえに、そのことを…、高橋又四郎が生きていると、平蔵殿に正確に指摘されたたえに、治済卿は誰よりも、それこそ人一倍驚かれたと?」
「そうです。それからもう一点、仮に治済卿が黒幕だとして、その場合には重好卿に濡れ衣を着せたことになるわけで…、つまりは池原良誠殺しがさも、一橋治済卿の犯行である、ひいては家基様を殺したのも一橋治済卿であると、重好卿はそう見せかけるべく、一橋邸にて仕えし高橋又四郎を使い、一橋邸よりそのための小道具とも言うべき、例の紫の袱紗を持ち出させた…、治済卿が黒幕の場合、そのように重好卿に濡れ衣を着せようと図ったことになるわけで、その場合には高橋又四郎の相役である納戸頭の堀内平左衛門の証言…、高橋又四郎はわざわざ、堀内平左衛門に対して治済卿の意向によりなどと断りを入れてから紫の袱紗を持ち出したとする、その堀内平左衛門の証言も嘘ということになる…、その可能性に触れた時にも…」
「やはり治済卿は驚かれた…、それも人一倍、驚かれたと?」
意知が確かめるように尋ねると、平蔵は頷き、「さらにもう一点」と付け加えた。
「高橋又四郎が生存している可能性は極めて低いのではないか…、俺がそんな推量を口にした時、治済卿は今度は一転、ホッとした様子を浮かべたんですよ…」
「それはつまり…、実際には高橋又四郎は生きており、にもかかわらず平蔵殿が誤った推量を披露せしことで、治済卿はホッとされた、と?」
「その通りです。そしてそんなことは…、俺が間違った推量を展開したことでホッとするのは黒幕以外にはあり得ませんから…」
平蔵はそう断言した。成程、平蔵自身が認める通り、確かに確たる根拠には欠けていたものの、しかし、治済卿が黒幕に違いないと、そう思わせるには十分であった。
「だが問題は、俺が家基様が最期のご放鷹、それに同行した者たちの名簿を求めた時のことです…」
平蔵がそう言いかけると、それには益五郎が反応した。
「そういや、治済の野郎、ニヤリと笑みを浮かべたよな…」
益五郎がそう答えると、平蔵は心底、驚いた表情を浮かべた。
「気付いていたのか?」
平蔵は驚いた表情のまま、益五郎に尋ねた。
「ああ。何だか妙にきになって…、いや、仮に黒幕が治済だとしたら、当然、家基様の最期のご放鷹…、鷹狩りに手前の息のかかった奴等を同行させて、家基様のお命を頂戴しようとした筈だから…、って現に家基様は品川の東海寺でしたっけ?江戸城に帰る途中にそこに立ち寄って、でそこで発病して、結果、死んだわけだから、その…、家基様殺害の黒幕とも言うべき立場の治済としては、その同行者の名簿なんて作られた日には、そして探索に当たる俺たちに知られた日には大いにまずいと思うんだが、なのに治済はニヤリと笑みを浮かべやがった…、それが俺にはどうにも気になっちまって…」
益五郎がそう告げると、平蔵は目を丸くした。
「大した観察眼だな…、いや、正しくその通りだよ…」
平蔵は益五郎の観察力に心底、感嘆した。
「だが、虚勢ということは考えられないか?」
意知はあくまで冷静であった。それは益五郎への対抗心と言うよりは、あらゆる可能性を潰しておきたいとの思惑からであった。
「いや、それは俺も考えましたけど、でも、どうにも俺には…」
「虚勢とは考えられない…、つまり治済卿は心底、ニヤリと笑みを浮かべた、と?」
「ええ…」
「だとしたら、治済卿は品川の東海寺にての家基様のご発病については、己は潔白であるとの絶対の自信があるからこそ、そのようにニヤリと笑みを浮かべられたのでは?」
意知がそう尋ねると、その時、初めて平蔵は渋い表情を浮かべた。意知の言う通りだからだ。
だがそうなると…、品川の東海寺での家基の発病について治済が潔白だとすると、家基発病、いや、家基殺害から派生する奥医師の池原良誠斬殺事件についても治済は潔白ということになるからだ。
だがそれでは治済が黒幕だとする平蔵のその勘働きが狂っていることになる。そのことが平蔵を悩ませていた。
「まぁ、とりあえず名簿だ…、果たして家基様の鷹狩りに誰が同行したのか、そいつが分からないことには悩んでも仕方ねぇだろ…」
益五郎は平蔵を励ますようにそう言った。すると平蔵も、
「年下から励まされるとは、本所の銕も墜ちたものよ…」
苦笑まじりにそう答えた。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
「楊貴妃」を最初に妻にした皇太子 ~父である皇帝にNTRされ、モブ王子に転落!~
城 作也
歴史・時代
楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の妻として中国史に登場するが、最初は別の人物の妻となった。
これは、その人物を中心にした、恋と友情と反逆の物語。
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
信濃の大空
ypaaaaaaa
歴史・時代
空母信濃、それは大和型3番艦として建造されたものの戦術の変化により空母に改装され、一度も戦わず沈んだ巨艦である。
そんな信濃がもし、マリアナ沖海戦に間に合っていたらその後はどうなっていただろう。
この小説はそんな妄想を書き綴ったものです!
前作同じく、こんなことがあったらいいなと思いながら読んでいただけると幸いです!
[恥辱]りみの強制おむつ生活
rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。
保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
皇国の栄光
ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。
日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。
激動の昭和時代。
皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか?
それとも47の星が照らす夜だろうか?
趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。
こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる