天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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平蔵の推理

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「されば意知おきともはその平蔵を相棒として望むとな?」

 家治は感傷かんしょうを振り払い、そう尋ねた。

御意ぎょい…」

「果たして平蔵に探索たんさくつとまるであろうか…」

 評定所ひょうじょうしょ一座いちざよりそのような疑問の声が上った。もっともな疑問であった。

「されば平蔵が父、備中守びっちゅうのかみ宣雄のぶおは京都西町奉行として実績じっせきを残し、また、先手さきて弓頭ゆみがしらとしても、盗賊とうぞく考察こうさつを命じられし折にも多くの実績じっせきを残しており、されば平蔵はその父、備中守びっちゅうのかみ宣雄のぶおの姿、その背中を間近まぢかに見ておりますれば…」

 意知おきともにしてはめずらしく情緒じょうちょ的なことを口にした。

「それでは平蔵に探索たんさくつとまるとの、確かな根拠こんきょにはなるまい…」

 すっかり元気を取り戻した様子の南町奉行、牧野まきの成賢しげかたあきれたようにそう言った。

 それに対して意知おきともも思わずムッとし、

「さればそなたがこの意知おきともが相棒として、探索たんさくに…、おそれ多くも大納言だいなごん様を害したてまつりし下手人げしゅにん探索たんさくに力をいたしてくれると申すのか?」

 意知おきともはそう返して成賢しげかただまらせた。そんなことは激職げきしょくの江戸町奉行には到底とうてい、不可能というものであるからだ。意知おきとも勿論もちろん、それは承知しており、そうであればこそ、成賢しげかただまらせるべく、そう返した次第しだいである。すると家治がすかさず、

「されば平蔵を意知おきともの相棒とせしこと、それについて反対せし者は他にもおるか?」

 そうたたみかけるような口調で皆に尋ね、それに対してとなえる者はだれ一人ひとりとしていなかったので、

「されば平蔵を…、長谷川はせがわ平蔵へいぞう宣以のぶためをここへ連れて参れ…」

 家治はそう命じたのであった。


 平蔵は意知おきともの隣に着座ちゃくざし、評席ひょうせきはさんで将軍・家治と向かい合うなり平伏へいふくしたので、意知おきともも平蔵にならい、改めて将軍・家治に対して平伏へいふくした。

 家治は意知おきとものその律儀りちぎさに内心、感じ入った。

「両名とも、おもてを上げぃ…」

 家治が良く通る声でそう命じたので、平蔵と意知おきともはほぼ同時に頭を上げた。意知おきともの方が若干じゃっかん、頭を上げるのが遅かった。

「されば景漸かげつぐ…」

 家治は遂に、北町奉行の景漸かげつぐ…、曲淵まがりぶち甲斐守かいのかみ景漸かげつぐに対してまで、その官職名である、

甲斐守かいのかみ

 とは呼ばずに、そのいみなである「景漸かげつぐ」と、それを口にしたものだから、周囲を驚かせた。とりわけ治済はるさだを驚かせ、つ、大いに憤慨ふんがいした。それと言うのも治済はるさだは家治からいまだに、その官職名である、「民部みんぶ」と呼ばれていたからだ。

 それが赤の他人とも言うべき景漸かげつぐに対してはそのいみなである、「景漸かげつぐ」とそう呼びかけたので、治済はるさだは大いに憤慨ふんがいした。

 将軍との距離きょりの近さという観点かんてんからすれば、官職名で呼ばれるよりもいみなで呼ばれる方が圧倒的に近いと言えたからだ。つまり、将軍・家治とは家族も同然の一橋ひとつばし治済はるさだよりも、将軍・家治とは赤の他人である曲淵まがりぶち景漸かげつぐの方がその家治との距離きょりが近いというわけだ。治済はるさだが大いに憤慨ふんがいしたのも当然と言えた。

 ともあれ家治は景漸かげつぐと、そのいみなを口にすると、これまでの経緯けいいについて平蔵に語って聞かせるよう、うながした。家治は最早もはや、南町奉行の牧野まきの成賢しげかたまったくと言って良いほどに相手にしていなかった。

 こうして家治よりうながされた景漸かげつぐはこれまでの経緯けいいについて平蔵に語って聞かせたのであった。


「されば平蔵よ、意知おきとも探索たんさくに力をいたしてくれるか?」

 家治は景漸かげつぐが話し終えるなり、平蔵にそう語りかけた。それに対して平蔵は、「ははぁっ」とこれを了承りょうしょうしてみせたかと思うと、

「なれど一つ、二つ、願いのがござりまする…」

 平蔵は平伏へいふくしながらそう告げたのであった。

「許す、腹蔵ふくぞうなく申すが良い…」

 家治がそううながしたので、平蔵は「されば…」と切り出した。

「まず第一に、一橋邸にて納戸なんどがしらとしてつかえし高橋たかはし又四郎またしろうなる者の遺骸いがい捜索そうさく…」

 平蔵がはっきりそう告げたので、流石さすがに皆も驚いた。いや、皆にしても同様に思ってはいた。すなわち、生存している可能性は極めて低いのではあるまいか、と。

 だが実際に、こうしてはっきりと口にされると、流石さすがに驚かざるを得なかった。

「なれど…、一体、どこを捜索そうさくすれば良いのだ?」

 家治が尋ねた。確かに闇雲やみくもに探すわけにはいかないだろう。

「されば一橋邸、あるいは清水邸…」

 平蔵のその答えにしてもやはり、皆が予想していたことではあった。

 無論、その中には家治もおり、

「さればいずれかの邸内ていない高橋たかはし又四郎またしろう遺骸いがいかくされていると?」

 家治は平蔵に対して質問をかさねた。

かくされている、と申し上げますよりはめられていると申し上げた方が正確ではないかと…」

 これもまた、確かに、であった。遺骸いがい邸内ていないかくすとしたら、それは土中にめるより他に手はないだろう。まさかに蔵などにかくすわけにもゆくまい。地上に遺骸いがいかくそうものならどうしても腐敗ふはいしゅうまぬがれない。それよりも地下に、つまりは土中にめるのがもっとも合理的と言えよう。

「なれど一橋ひとつばし邸にしろ、清水邸にしろ、この府内ふないには数多あまたある。さればそのすべての邸内ていないにて遺骸いがい捜索そうさくを、要はあなりを行うつもりか?」

 成賢しげかたがそんな「イチャモン」を付けた。いや、確かに成賢しげかたとしては平蔵の存在が気に入らず、そのような不純ふじゅん動機どうきから「イチャモン」を付けたのであろうが、しかし、その動機どうきはともあれ、成賢しげかたのその言い分そのものは至極しごくもっともであった。

 確かに成賢しげかたの言う通り、一橋ひとつばし邸にしろ清水邸にしろ、そして田安邸にも当てまるが、府内ふない…、この江戸には御三卿ごさんきょうの屋敷がごまんとある…、とそこまでは言わないにしても、沢山たくさんあるのは事実であった。

 それゆえそれらすべての邸内ていないにてあなりを行うのはあまり合理的とは言えなかった。それどころか不可能と言えよう。

 無論、平蔵もそれは承知しているらしく、

「されば一橋ひとつばし御門内、及び、清水御門内、それぞれにありし屋敷…、上屋敷にてあなりを…」

 御三卿ごさんきょうの屋敷はそれぞれ御門内にあるのが上屋敷であった。つまり一橋ひとつばし徳川家ならば一橋ひとつばし御門内にある屋敷が上屋敷というわけだ。それは清水、田安の両徳川家にも当てまる。

「されば仮にだが、そこから遺骸いがいが…、高橋たかはし又四郎またしろう遺骸いがいが発見されなくば、さらに捜索そうさく範囲はんいを拡大、つまりはあなりする場所、邸内ていないを増やすということか?」

 成賢しげかたがそう尋ねると、平蔵は意外にもかぶりを振った。

「されば遺骸いがい捜索そうさく、発見はあきらめるわけか?」

「いえ、違い申す…」

「それでは一体…」

「仮に御門内のやしきより…、その土中より遺骸いがいを見つけられぬ場合には高橋たかはし又四郎またしろうは生存している可能性が高いかと…」

 平蔵のその見立てには誰もが驚かされた。とりわけ、治済はるさだが驚いた様子を見せた。

「何ゆえ、左様に言い切れるのだ?」

 家治が興味深げな様子で尋ねた。

「ははっ。されば高橋たかはし又四郎またしろうめは昨日よりその行方ゆくえが知れぬとのこと、それも例の、昨夕さくゆう愛宕あたごしたにて奥医師おくいし池原いけはら長仙院ちょうせんいんりし下手人げしゅにんが落とせし紫の袱紗ふくさ…、その紫の袱紗ふくさを持ち出して一橋ひとつばし邸より出奔しゅっぽんしたとのこと…」

 平蔵は確かめるようにそう言い、家治をうなずかせると、先を続けた。

「されば仮に奥医師おくいし池原いけはら長仙院ちょうせんいんりし下手人げしゅにん高橋たかはし又四郎またしろうめとは別人と仮定かていすれば、高橋たかはし又四郎またしろうめはその紫の袱紗ふくさをそれな下手人げしゅにんに、いえ、正確にはこれから奥医師おくいし池原いけはら長仙院ちょうせんいんろうとせし者に渡したことにあいりまする…」

 平蔵がそこで言葉を区切ると、家治はやはりうなずいた。

「されば昨日の昼過ぎに一橋ひとつばし邸より…、一橋ひとつばし御門内にありし、上屋敷でござりまする一橋ひとつばし邸より、紫の袱紗ふくさを持ち出し、そしてその上屋敷の一橋ひとつばし邸より出奔しゅっぽんせし高橋たかはし又四郎またしろうめが、これから奥医師おくいし池原いけはら長仙院ちょうせんいんらんとほっせしその者…、下手人げしゅにんに紫の袱紗ふくさを渡したとすれば、それは兇行きょうこう現場…、池原いけはら長仙院ちょうせんいんが斬られしその現場でござりまする愛宕あたごした近辺きんぺんかと…」

愛宕あたごした近辺きんぺんにて、高橋たかはし又四郎またしろうめは下手人げしゅにんに紫の袱紗ふくさを手渡したと申すか?」

 家治が確かめるように尋ねたので、平蔵は「御意ぎょい」と答え、その上で、

「されば兇行きょうこう現場の愛宕あたごしたよりも遠くの場所にて紫の袱紗ふくさを手渡したのであれば、夕方…、池原いけはら長仙院ちょうせんいんられし夕方には間に合わず…」

 平蔵はそう補足ほそくして、「成程なるほど…」と家治をうなずかせた。

「されば仮に、でござるが、奥医師おくいし池原いけはら長仙院ちょうせんいん斬殺ざんさつの一件につき、これをまれたのが清水宮内くない殿の場合であれば恐らくは高橋たかはし又四郎またしろうめを清水御門内にありし清水邸…、上屋敷へとおびせたものと思われまする…」

愛宕あたごした兇行きょうこう現場から近いゆえ、だな?」

 家治が確かめるように尋ねたので、平蔵は「御意ぎょい」と答えると、先を続けた。

「そして高橋たかはし又四郎またしろうめが持参じさんせし紫の袱紗ふくさ、それを取り上げた時点で高橋たかはし又四郎またしろうめの口をふさぎ…」

邸内ていないに…、上屋敷にめたと申すか?高橋たかはし又四郎またしろう遺骸いがいを…」

 家治がやはり先回りしてそう尋ねたので、平蔵もまたしても「御意ぎょい」と答えた。
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