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家治、意知に家基の死の真相を探るよう改めて命ず
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するとそれに対して、意次が反応した。何しろ意次は意知の実父である。それに今の意知は雁之間に詰めていた。雁之間と言えば、雁之間詰の諸大名とそれに意知のような老中、あるいは京都所司代の成人嫡子が詰めているのみであり、旗本は一人も詰めてはいなかった。
いや、やはり雁之間を殿中席とする高家衆の中から詰番と称して、必ず一人が雁之間に詰めてはいたものの、しかし高家衆は旗本とは言え、一般の旗本とは些か毛色が違う。何しろ、高家衆はその殆どの者が「従四位下侍従」と老中や京都所司代と同じ官位、つまりは同格にあったからだ。
ゆえにそのような高家衆は一般の、
「従五位下諸大夫」
そこまでしか昇叙できない一般の旗本と同列視することはできない。
ともあれそのような事情から、一般の旗本にとっては雁之間は極めて、
「敷居が高い…」
正しくそのような場所であり、畢竟、その雁之間に詰めている意知を連れて参れとの将軍・家治からの命令にもかかわらず、旗本は…、評定所一座でもある江戸南北両町奉行や公事方勘定奉行、それに評定の監察役としてこの場にいる大目付や目付もすぐには反応できなかったのだ。
いや、意次も咄嗟にそうと…、旗本のこの反応を予期したからこそ、真っ先に反応してみせたのだ。意次は意知の実父、それ以上に大名であるからだ。しかも雁之間には老中として平日は毎日、昼の「廻り」で訪れているために、意次が足を運んだところで、不自然ではないだろう。
いや、それなら雁之間詰の大名としての顔を持ち合わせている寺社奉行こそ適任と言えた。
今の寺社奉行は帝鑑之間詰の土岐美濃守定経と太田備後守資愛を除いて皆、雁之間詰であったからだ。
だが雁之間詰の大名としての顔も持ち合わせる彼ら寺社奉行は同じく雁之間に詰めている意知をここ辰ノ口にある評定所へと呼び寄せるべく、その雁之間へと足を運ぶことに、つまりは意知のために足を運ぶことに、
「拒否反応」
それを激しく示したのであった。それはやはり意知が歴とした大名ではなく、何より、
「成り上がり者の小倅に過ぎぬ…」
意知に対してはそのような意識しか、それも悪感情しか持ち合わせてはいなかったからだ。
それゆえこれで仮に、
「由緒正しい家柄」
それを持ち合わせている老中の松平周防守康福の息・左京亮康定を呼ぶのであれば、つまりは康定のためであれば寺社奉行も、それもこと雁之間詰の大名としての顔を持ち合わせる寺社奉行もそれこそ、
「嬉々として…」
雁之間へと足を運んだに違いない。いや、帝鑑之間詰の大名としての顔も持ち合わせる二人の寺社奉行、土岐定経と太田資愛にしても雁之間詰出身の寺社奉行のように、
「嬉々として…」
その雁之間に詰めている康定を呼びに行くような真似はしないであろうが、それでも激しい拒否反応を示すこともないだろう。それと言うのも、康定の父・康福もまた、土岐定経や太田資愛と同じく帝鑑之間出身の老中だからだ。つまりは仲間というわけだ。
これで仮に意次や、あるいは他の老中…、康福を除く他の老中の倅を呼びに行くのであれば、土岐定経と太田資愛も激しい拒否反応を示したであろう。いや、今のように…、雁之間に詰めている意知を連れて来いとの、将軍・家治よりの命が下されたちょうど今のように、
「完全無視」
であっただろう。そもそも己に対して下された命ではあるまいと、眼中にすらなかったであろう。それと言うのも二人が…、土岐定経と太田資愛の二人が殿中席として詰めることが許されている、その帝鑑之間は古来御譜代の席とも称され、ゆえにその帝鑑之間を殿中席にする…、殿中席として詰めることが許されている二人にしてみれば、如何に老中の倅とは言え、己よりも格下である、雁之間出身の老中の小倅のためにわざわざ足を運ぶ選択肢など元よりなかった。
ともあれ意次はやはりそのことも瞬時に悟ったからこそ、ここは成り上がり者である己が自ら足を運ぶべしと、そう判断して腰を上げると、本丸の表向にある雁之間へと足早に向かい、そこに詰めていた息・意知を呼び出すと、親子して辰ノ口の評定所へと足を運んだのであった。
さて、意知が父・意次によって評定所のそれも評席へと連れて来られると、意知は評席の最末席にて腰をおろし、誓詞之間にて鎮座する将軍・家治と向かい合った。
意知は言え春と向かい合うなり、さも当然の如く、平伏した。
「面を上げぃ…」
将軍・家治よりそう命じられて、顔を上げた意知に対して、家治は意次にやはり目で促した。
これまでの経緯…、今しがたまでの評定におけるやり取りを意知に説明せよ…、家治は意次に対して目でもってそう語りかけ、意次もそうと察すると、承りましたと、そう目で答え、さらに家治に対して叩頭した後、息・意知に対してこれまでの経緯を語って聞かせたのであった。
一方、意知はと言うと、父・意次より聞かされたその「経緯」に流石に驚いた、まさかそのようなことになっていようとは思いもしなかったからである。
そうして父・意次より話をすっかり聞き終えた後も未だ、驚愕が覚めやらぬ意知に対して、家治が「意知よ…」と声をかけたので、それで意知も漸くに我に返ると、「ははぁっ」と叩頭しつつ、応じた。
「されば意知に改めて命ずる…、家基が死の真相を探れ…」
家治よりそう命じられた意知は顔を上げ、家治の顔を見るや、「上様…」と声をかけた。
「いや、意知が申したきことは分かっておる…、左様なことを致しても家基は喜ばぬ、と…」
家治は意知を遮るようにそう言い、それに対して意知も「御意」と応じた。
「いかさま…、奥医師の池原長仙院が斬殺されなくば、余も意知のその進言に従うて、家基が死の真相を知りたいなどとは思わなんだ…、なれどそれな池原長仙院までが斬られたとあらば話は別ぞ…、余としては征夷大将軍としてこれを断じて見過ごしにはできぬ」
確かに尤もな言い分だと、意知は将軍・家治のその意見の正当性を認めたのであった。
それと言うのも、
「家基が死の真相を知りたい…」
それはあくまで家治の私情であり、ゆえに意知も、
「大納言様は喜ばれない…」
その口実でもって、家基の死の真相を探れとの家治からの命令を拒絶したのであった。
だが、奥医師殺しともなると話は別である。奥医師・池原良誠斬殺事件は家基の死から派生したものと考えられる。
そうであればこの先もさらに「死者」が…、家基の死から派生する「死者」が発生することが十二分に予期された。
それと言うのも、家基の死には奥医師の池原良誠の他にも、まだ関与している者がいる可能性が高いからだ。
そうであれば彼らにしてもまた、池原良誠と「同じ運命」を辿る可能性が高かった。
それを裏付けるかのように、家基の死にこそ関与していないであろうが、それでも紫の袱紗を持ち出したと思しき納戸頭の高橋又四郎の行方が消えた。
いや、やはり雁之間を殿中席とする高家衆の中から詰番と称して、必ず一人が雁之間に詰めてはいたものの、しかし高家衆は旗本とは言え、一般の旗本とは些か毛色が違う。何しろ、高家衆はその殆どの者が「従四位下侍従」と老中や京都所司代と同じ官位、つまりは同格にあったからだ。
ゆえにそのような高家衆は一般の、
「従五位下諸大夫」
そこまでしか昇叙できない一般の旗本と同列視することはできない。
ともあれそのような事情から、一般の旗本にとっては雁之間は極めて、
「敷居が高い…」
正しくそのような場所であり、畢竟、その雁之間に詰めている意知を連れて参れとの将軍・家治からの命令にもかかわらず、旗本は…、評定所一座でもある江戸南北両町奉行や公事方勘定奉行、それに評定の監察役としてこの場にいる大目付や目付もすぐには反応できなかったのだ。
いや、意次も咄嗟にそうと…、旗本のこの反応を予期したからこそ、真っ先に反応してみせたのだ。意次は意知の実父、それ以上に大名であるからだ。しかも雁之間には老中として平日は毎日、昼の「廻り」で訪れているために、意次が足を運んだところで、不自然ではないだろう。
いや、それなら雁之間詰の大名としての顔を持ち合わせている寺社奉行こそ適任と言えた。
今の寺社奉行は帝鑑之間詰の土岐美濃守定経と太田備後守資愛を除いて皆、雁之間詰であったからだ。
だが雁之間詰の大名としての顔も持ち合わせる彼ら寺社奉行は同じく雁之間に詰めている意知をここ辰ノ口にある評定所へと呼び寄せるべく、その雁之間へと足を運ぶことに、つまりは意知のために足を運ぶことに、
「拒否反応」
それを激しく示したのであった。それはやはり意知が歴とした大名ではなく、何より、
「成り上がり者の小倅に過ぎぬ…」
意知に対してはそのような意識しか、それも悪感情しか持ち合わせてはいなかったからだ。
それゆえこれで仮に、
「由緒正しい家柄」
それを持ち合わせている老中の松平周防守康福の息・左京亮康定を呼ぶのであれば、つまりは康定のためであれば寺社奉行も、それもこと雁之間詰の大名としての顔を持ち合わせる寺社奉行もそれこそ、
「嬉々として…」
雁之間へと足を運んだに違いない。いや、帝鑑之間詰の大名としての顔も持ち合わせる二人の寺社奉行、土岐定経と太田資愛にしても雁之間詰出身の寺社奉行のように、
「嬉々として…」
その雁之間に詰めている康定を呼びに行くような真似はしないであろうが、それでも激しい拒否反応を示すこともないだろう。それと言うのも、康定の父・康福もまた、土岐定経や太田資愛と同じく帝鑑之間出身の老中だからだ。つまりは仲間というわけだ。
これで仮に意次や、あるいは他の老中…、康福を除く他の老中の倅を呼びに行くのであれば、土岐定経と太田資愛も激しい拒否反応を示したであろう。いや、今のように…、雁之間に詰めている意知を連れて来いとの、将軍・家治よりの命が下されたちょうど今のように、
「完全無視」
であっただろう。そもそも己に対して下された命ではあるまいと、眼中にすらなかったであろう。それと言うのも二人が…、土岐定経と太田資愛の二人が殿中席として詰めることが許されている、その帝鑑之間は古来御譜代の席とも称され、ゆえにその帝鑑之間を殿中席にする…、殿中席として詰めることが許されている二人にしてみれば、如何に老中の倅とは言え、己よりも格下である、雁之間出身の老中の小倅のためにわざわざ足を運ぶ選択肢など元よりなかった。
ともあれ意次はやはりそのことも瞬時に悟ったからこそ、ここは成り上がり者である己が自ら足を運ぶべしと、そう判断して腰を上げると、本丸の表向にある雁之間へと足早に向かい、そこに詰めていた息・意知を呼び出すと、親子して辰ノ口の評定所へと足を運んだのであった。
さて、意知が父・意次によって評定所のそれも評席へと連れて来られると、意知は評席の最末席にて腰をおろし、誓詞之間にて鎮座する将軍・家治と向かい合った。
意知は言え春と向かい合うなり、さも当然の如く、平伏した。
「面を上げぃ…」
将軍・家治よりそう命じられて、顔を上げた意知に対して、家治は意次にやはり目で促した。
これまでの経緯…、今しがたまでの評定におけるやり取りを意知に説明せよ…、家治は意次に対して目でもってそう語りかけ、意次もそうと察すると、承りましたと、そう目で答え、さらに家治に対して叩頭した後、息・意知に対してこれまでの経緯を語って聞かせたのであった。
一方、意知はと言うと、父・意次より聞かされたその「経緯」に流石に驚いた、まさかそのようなことになっていようとは思いもしなかったからである。
そうして父・意次より話をすっかり聞き終えた後も未だ、驚愕が覚めやらぬ意知に対して、家治が「意知よ…」と声をかけたので、それで意知も漸くに我に返ると、「ははぁっ」と叩頭しつつ、応じた。
「されば意知に改めて命ずる…、家基が死の真相を探れ…」
家治よりそう命じられた意知は顔を上げ、家治の顔を見るや、「上様…」と声をかけた。
「いや、意知が申したきことは分かっておる…、左様なことを致しても家基は喜ばぬ、と…」
家治は意知を遮るようにそう言い、それに対して意知も「御意」と応じた。
「いかさま…、奥医師の池原長仙院が斬殺されなくば、余も意知のその進言に従うて、家基が死の真相を知りたいなどとは思わなんだ…、なれどそれな池原長仙院までが斬られたとあらば話は別ぞ…、余としては征夷大将軍としてこれを断じて見過ごしにはできぬ」
確かに尤もな言い分だと、意知は将軍・家治のその意見の正当性を認めたのであった。
それと言うのも、
「家基が死の真相を知りたい…」
それはあくまで家治の私情であり、ゆえに意知も、
「大納言様は喜ばれない…」
その口実でもって、家基の死の真相を探れとの家治からの命令を拒絶したのであった。
だが、奥医師殺しともなると話は別である。奥医師・池原良誠斬殺事件は家基の死から派生したものと考えられる。
そうであればこの先もさらに「死者」が…、家基の死から派生する「死者」が発生することが十二分に予期された。
それと言うのも、家基の死には奥医師の池原良誠の他にも、まだ関与している者がいる可能性が高いからだ。
そうであれば彼らにしてもまた、池原良誠と「同じ運命」を辿る可能性が高かった。
それを裏付けるかのように、家基の死にこそ関与していないであろうが、それでも紫の袱紗を持ち出したと思しき納戸頭の高橋又四郎の行方が消えた。
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