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一橋邸に仕える納戸頭の堀内平左衛門氏芳の証言
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それから大よそ半刻(約1時間)ほど経った後、今度は一橋邸に仕える納戸頭がここ辰ノ口の評定所の白洲に召喚された。
尚、その際には老中や評定所一座が控える評席と将軍・家治とそれに一橋治済と清水重好が鎮座する誓詞之間との間は襖で固く閉じられた。
そうしないと…、襖を閉めないことには白洲から評席を挟んでその誓詞之間が正に、
「丸見え…」
それはつまり白洲に召喚された、一橋邸に仕える納戸頭が治済から、上品に言えば、
「見守られながら…」
下品に言えば、監視されながら証言することとなり、これで果たして納戸頭が正直に証言するか、いや、証言できるか、甚だ疑わしく、そこで納戸頭には、
「リラックスして…」
つまりは正直に、「ありのまま」を証言してもらうべく、それまで開け放たれていた評席とその誓詞之間とを襖で閉め切ったのである。
さて、白洲には納戸頭のための床机が用意された。益五郎や玄通と同じく、あくまで、
「参考人」
その立場ゆえ、床机が用意されたのだが、しかし、同じく「参考人」として前に呼ばれた公儀御用達の呉服商の後藤縫殿助には床机は与えられず、白洲の上の茣蓙に座らされたのはやはり、後藤縫殿助が商人だからであろう。
如何に後藤縫殿助がご公儀御用達の呉服商とは言え、所詮は商人、町人に過ぎず、ゆえに武士と同じ待遇を許すわけにはゆかず、白洲の上の敷いた茣蓙に座らせたのであった。ちなみに玄通は武士ではないものの、それでも寄合医師として修行中の身とは言え、長谷川家の家督を継いだ折には将軍への御目見得が許されたので、武士、それも旗本と同様の扱いを受けていたのだ。
ともあれ、召喚されたその、一橋邸に仕える納戸頭が益五郎と玄通と並んで座り、これで白洲にて床机に腰掛けた三人が評席に居並ぶ老中や、それに評定所一座と監察役である大目付や目付たちと向かい合った。
納戸頭への訊問を開始したのは北町奉行の曲淵景漸であった。
本来ならば月番である、何より御三卿の一橋治済という後ろ盾を得て、
「意次弾劾」
それに燃えていた南町奉行の牧野成賢が訊問を行うべきところであったが、それが「風向き」が変わり、成賢の後ろ盾である一橋治済の身に「疑惑」が…、
「奥医師の池原良誠斬殺事件と、さらに家基殺害」
その「疑惑」が降りかかり、そうなるとその治済を唯一にして強大な、頼みの綱としていた成賢はさしずめ、
「梯子を外されたも同然…」
そのような状況に陥り、そうなると意次の弾劾どころではない。成賢はこれからどうしたら良いのか、
「己の身の振り方…」
それを考えるのに精一杯であり、とてもではないが参考人を訊問するだけの心の余裕は生憎、持ち合わせてはおらず、そこで二人への訊問は相役…、同僚の北町奉行の曲淵景漸に譲ったのであった。いや、譲るも何も、今の成賢は正しく、
「茫然自失の体…」
それであり、またその他の評定所一座のメンバー、即ち、寺社奉行や公事方勘定奉行にしても、二人への訊問如何によっては、
「とんでもない事実…」
それを引き出してしまう恐れがあり得たので、
「己の身に火の粉が降りかかっては堪らぬ…」
寺社奉行や公事方勘定奉行はその思惑で共通しており、ゆえに二人への訊問には手をつけかねており、監察役の大目付や目付にしてもそんな寺社奉行や公事方勘定奉行と同様であり、まして老中はこの手の訊問に慣れてはおらず、ゆえに老中にも任せるわけにもゆかず…、いや、老中の中でも意次なればこの手の訊問は手馴れていたものの、生憎、今の意次は未だ、
「被告人」
その立場であったので、やはり意次にも任せるわけにはゆかずと、そういうわけで、畢竟、景漸が訊問を引き受けるより他になかったのである。
さて、景漸は評席より白洲へと向いて、そこで床机に腰掛ける納戸頭を見つめると、訊問の口火を切った。
「吟味を始める前に…、何ゆえに床机に空席が生じておるのだ?」
景漸は白洲に向かってそう疑問をぶつけた。そしてその疑問は主に、出頭してきた納戸頭に向けられたものであった。
それと言うのも出頭してきた納戸頭は一人だけであったからだ。
通常、御三卿の邸に仕える納戸頭は、いや、納戸頭に限らず、すべての御役についても言えることだが、相役、つまりは同僚がいるものであり、一橋邸に仕える納戸頭にしてもその例外ではなく、二人いた。
にもかかわらず、ここ評定所の白洲に出頭してきた納戸頭はたった一人、即ち、堀内平左衛門氏芳だけであった。
既に、景漸を始めとして、評席に居並ぶ誰もが、それどころか誓詞之間にて鎮座する将軍・家治とそれに治済と同様、家治の隣に控える、つまりは家治を真ん中に挟んで治済の隣に控える清水重好までもが、
「一橋邸に仕える納戸頭は堀内平左衛門氏芳と高橋又四郎高美の二人である…」
そのことを治済より教えられており、且つ、徒目付より出頭してきた納戸頭がそのうちの堀内平左衛門氏芳のみであることを景漸たちは告げられたために、
「堀内平左衛門、相役は…、高橋又四郎は如何致したのだ?」
景漸はこれが初対面の堀内平左衛門にそう尋ねることができたのだ。
それに対する堀内平左衛門の証言たるや、景漸たちを驚愕させるに十分過ぎた。
「それが…、昨日の昼過ぎより行方が知れませぬ…」
堀内平左衛門は困惑気味にそう答えた。
「行方不明とな?」
景漸が確かめるように尋ねると、平左衛門は「はい」とやはり困惑気味に答えた。
すると景漸は素早く、所謂、
「フルスピードで…」
脳内を回転させたのであった。
結果、納戸頭の高橋又四郎の失踪と、奥医師の池原良誠を斬殺した下手人がどうやら故意に落としたらしい、今は景漸の懐中にて忍ばせてあるその紫の袱紗とが繋がりを見せた。
「堀内平左衛門よ」
「はい」
「昨日の昼過ぎより、そなたの相役の高橋又四郎の行方が知れぬとの話だが…、その前に高橋又四郎は何か持ち出さなかったか?」
堀内平左衛門を除く、その場にいた誰もが今の景漸の問いの意味するところを察したものである。
一方、唯一、事情が分からぬ堀内平左衛門は、「そういえば…」と切り出したのであった。
「されば紫の袱紗を持ち出しましてござりまする…」
平左衛門のその答えに皆がどよめいた。冷静沈着なる意次でさえ、その答えには驚きを隠せなかった。景漸も皆と同じく驚き、そして直情径行なる益五郎も当然、驚いた。
それでも景漸は冷静さを取り戻して質問を重ねた。
「紫の袱紗と申したが、詳しくは…、如何な品ぞ?」
景漸はあえてそ知らぬ風を装い尋ねた。
「さればそこにおられるご老中の田沼様より頂戴せし紫の袱紗にて、紫の地に白く田沼様の紋所である七曜があしらわれており申す…」
平左衛門は評席にて控える意次を見ながらそう答えた。御三卿に仕える納戸頭はそれ程、高い地位ではないものの、それでも一度ぐらいは意次の顔を見たことがあるのであろう。
一方、その答えを聞いた景漸たちは皆、今度は、
「やはりそうか…」
そう思ったものである。それでも…、想像していた答えであったとは言え、驚きもした。
景漸は驚きを隠しつつ、さらに質問を重ねた。
「さればその紫の袱紗はご老中の田沼様より一橋卿様へと贈られし品ということか?」
「はい」
「さればそれは…、紫の袱紗は一橋卿様への贈答品にて、当然、納戸頭がその管理に責を負うているわけだな?」
景漸は一々、念押しするように尋ねた。
それに対して平左衛門は嫌な顔一つせずに、「はい」と律儀に応じた。
尚、その際には老中や評定所一座が控える評席と将軍・家治とそれに一橋治済と清水重好が鎮座する誓詞之間との間は襖で固く閉じられた。
そうしないと…、襖を閉めないことには白洲から評席を挟んでその誓詞之間が正に、
「丸見え…」
それはつまり白洲に召喚された、一橋邸に仕える納戸頭が治済から、上品に言えば、
「見守られながら…」
下品に言えば、監視されながら証言することとなり、これで果たして納戸頭が正直に証言するか、いや、証言できるか、甚だ疑わしく、そこで納戸頭には、
「リラックスして…」
つまりは正直に、「ありのまま」を証言してもらうべく、それまで開け放たれていた評席とその誓詞之間とを襖で閉め切ったのである。
さて、白洲には納戸頭のための床机が用意された。益五郎や玄通と同じく、あくまで、
「参考人」
その立場ゆえ、床机が用意されたのだが、しかし、同じく「参考人」として前に呼ばれた公儀御用達の呉服商の後藤縫殿助には床机は与えられず、白洲の上の茣蓙に座らされたのはやはり、後藤縫殿助が商人だからであろう。
如何に後藤縫殿助がご公儀御用達の呉服商とは言え、所詮は商人、町人に過ぎず、ゆえに武士と同じ待遇を許すわけにはゆかず、白洲の上の敷いた茣蓙に座らせたのであった。ちなみに玄通は武士ではないものの、それでも寄合医師として修行中の身とは言え、長谷川家の家督を継いだ折には将軍への御目見得が許されたので、武士、それも旗本と同様の扱いを受けていたのだ。
ともあれ、召喚されたその、一橋邸に仕える納戸頭が益五郎と玄通と並んで座り、これで白洲にて床机に腰掛けた三人が評席に居並ぶ老中や、それに評定所一座と監察役である大目付や目付たちと向かい合った。
納戸頭への訊問を開始したのは北町奉行の曲淵景漸であった。
本来ならば月番である、何より御三卿の一橋治済という後ろ盾を得て、
「意次弾劾」
それに燃えていた南町奉行の牧野成賢が訊問を行うべきところであったが、それが「風向き」が変わり、成賢の後ろ盾である一橋治済の身に「疑惑」が…、
「奥医師の池原良誠斬殺事件と、さらに家基殺害」
その「疑惑」が降りかかり、そうなるとその治済を唯一にして強大な、頼みの綱としていた成賢はさしずめ、
「梯子を外されたも同然…」
そのような状況に陥り、そうなると意次の弾劾どころではない。成賢はこれからどうしたら良いのか、
「己の身の振り方…」
それを考えるのに精一杯であり、とてもではないが参考人を訊問するだけの心の余裕は生憎、持ち合わせてはおらず、そこで二人への訊問は相役…、同僚の北町奉行の曲淵景漸に譲ったのであった。いや、譲るも何も、今の成賢は正しく、
「茫然自失の体…」
それであり、またその他の評定所一座のメンバー、即ち、寺社奉行や公事方勘定奉行にしても、二人への訊問如何によっては、
「とんでもない事実…」
それを引き出してしまう恐れがあり得たので、
「己の身に火の粉が降りかかっては堪らぬ…」
寺社奉行や公事方勘定奉行はその思惑で共通しており、ゆえに二人への訊問には手をつけかねており、監察役の大目付や目付にしてもそんな寺社奉行や公事方勘定奉行と同様であり、まして老中はこの手の訊問に慣れてはおらず、ゆえに老中にも任せるわけにもゆかず…、いや、老中の中でも意次なればこの手の訊問は手馴れていたものの、生憎、今の意次は未だ、
「被告人」
その立場であったので、やはり意次にも任せるわけにはゆかずと、そういうわけで、畢竟、景漸が訊問を引き受けるより他になかったのである。
さて、景漸は評席より白洲へと向いて、そこで床机に腰掛ける納戸頭を見つめると、訊問の口火を切った。
「吟味を始める前に…、何ゆえに床机に空席が生じておるのだ?」
景漸は白洲に向かってそう疑問をぶつけた。そしてその疑問は主に、出頭してきた納戸頭に向けられたものであった。
それと言うのも出頭してきた納戸頭は一人だけであったからだ。
通常、御三卿の邸に仕える納戸頭は、いや、納戸頭に限らず、すべての御役についても言えることだが、相役、つまりは同僚がいるものであり、一橋邸に仕える納戸頭にしてもその例外ではなく、二人いた。
にもかかわらず、ここ評定所の白洲に出頭してきた納戸頭はたった一人、即ち、堀内平左衛門氏芳だけであった。
既に、景漸を始めとして、評席に居並ぶ誰もが、それどころか誓詞之間にて鎮座する将軍・家治とそれに治済と同様、家治の隣に控える、つまりは家治を真ん中に挟んで治済の隣に控える清水重好までもが、
「一橋邸に仕える納戸頭は堀内平左衛門氏芳と高橋又四郎高美の二人である…」
そのことを治済より教えられており、且つ、徒目付より出頭してきた納戸頭がそのうちの堀内平左衛門氏芳のみであることを景漸たちは告げられたために、
「堀内平左衛門、相役は…、高橋又四郎は如何致したのだ?」
景漸はこれが初対面の堀内平左衛門にそう尋ねることができたのだ。
それに対する堀内平左衛門の証言たるや、景漸たちを驚愕させるに十分過ぎた。
「それが…、昨日の昼過ぎより行方が知れませぬ…」
堀内平左衛門は困惑気味にそう答えた。
「行方不明とな?」
景漸が確かめるように尋ねると、平左衛門は「はい」とやはり困惑気味に答えた。
すると景漸は素早く、所謂、
「フルスピードで…」
脳内を回転させたのであった。
結果、納戸頭の高橋又四郎の失踪と、奥医師の池原良誠を斬殺した下手人がどうやら故意に落としたらしい、今は景漸の懐中にて忍ばせてあるその紫の袱紗とが繋がりを見せた。
「堀内平左衛門よ」
「はい」
「昨日の昼過ぎより、そなたの相役の高橋又四郎の行方が知れぬとの話だが…、その前に高橋又四郎は何か持ち出さなかったか?」
堀内平左衛門を除く、その場にいた誰もが今の景漸の問いの意味するところを察したものである。
一方、唯一、事情が分からぬ堀内平左衛門は、「そういえば…」と切り出したのであった。
「されば紫の袱紗を持ち出しましてござりまする…」
平左衛門のその答えに皆がどよめいた。冷静沈着なる意次でさえ、その答えには驚きを隠せなかった。景漸も皆と同じく驚き、そして直情径行なる益五郎も当然、驚いた。
それでも景漸は冷静さを取り戻して質問を重ねた。
「紫の袱紗と申したが、詳しくは…、如何な品ぞ?」
景漸はあえてそ知らぬ風を装い尋ねた。
「さればそこにおられるご老中の田沼様より頂戴せし紫の袱紗にて、紫の地に白く田沼様の紋所である七曜があしらわれており申す…」
平左衛門は評席にて控える意次を見ながらそう答えた。御三卿に仕える納戸頭はそれ程、高い地位ではないものの、それでも一度ぐらいは意次の顔を見たことがあるのであろう。
一方、その答えを聞いた景漸たちは皆、今度は、
「やはりそうか…」
そう思ったものである。それでも…、想像していた答えであったとは言え、驚きもした。
景漸は驚きを隠しつつ、さらに質問を重ねた。
「さればその紫の袱紗はご老中の田沼様より一橋卿様へと贈られし品ということか?」
「はい」
「さればそれは…、紫の袱紗は一橋卿様への贈答品にて、当然、納戸頭がその管理に責を負うているわけだな?」
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