天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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一橋治済への疑惑 2

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「されば…、おそれ多くも上様には、そして大納言だいなごん様にもでござりまするが、上様と大納言だいなごん様に献上けんじょうせし菓子折かしおり…、それを包み申し上げましたる紫の袱紗ふくさでござりまするが、濃紫こむらさき色にて…」

 意次がそう答えると、家治は矢庭やにわ懐中かいちゅうより何と、紫の袱紗ふくさを取り出したのであった。他でもない、意次が家治に贈った菓子折かしおり、その菓子折かしおりを包んだ紫の袱紗ふくさであった。

「これだな…」

 意次もまさかに将軍・家治がその紫の袱紗ふくさ懐中かいちゅうに忍ばせていたとは思いもよらず、意次にしてはめずらしく、驚きの表情を浮かべた。

「上様…」

「今でも大事に持っておるぞ…」

 家治は今朝、治済はるさだより紫の袱紗ふくさの一件を聞かされ、それゆえここ辰ノ口たつのぐち評定所ひょうじょうしょへと足を向ける前に、中奥なかおくのそれも最奥さいおう部にある御用之間ごようのましつらえられてある御用ごよう箪笥だんすに大切にしまっておいたその紫の袱紗ふくさを取り出して、ここ評定所ひょうじょうしょへと足を向けたのであった。

 一方、意次は己が贈った菓子折かしおり、それを包んでいたその紫の袱紗ふくさを今でも大事に持っていてくれたと知ると、感激した。

おそれ入りましてござりまする…」

 意次はそう告げると、さらに平伏へいふくして感謝の態度を示した。

「ところで何ゆえに色を変えたのだ?」

 家治の隣にひかえる重好しげよし平伏へいふくする意次に尋ねた。第三者としての気楽さからか、重好しげよしの口調は気軽なものであった。

 ともあれその質問自体は他の者も興味のあるところであり、意次はそうと察すると頭を上げて答えた。

「されば紫の中でも濃紫こむらさきもっとも格式が高く…」

 意次がそう答えると、重好しげよしも、「ああ…」と納得したような声を上げた。

「それで上様と大納言だいなごん様にはその、もっとも格式が高い濃紫こむらさき色の袱紗ふくさを使ったと…、それで菓子折かしおりを包んだと?」

 重好しげよしが確かめるように尋ねたので、意次はあやうく、「御意ぎょい…」と答えそうになり、慌ててその言葉を飲み込むと、「左様…」と言い換えた。将軍・家治の御前ごぜんでなければ、意次も今の重好しげよしの問いかけに対して、

御意ぎょい

 その言葉を使っていたであろうし、またそれが許されたが、しかし、今は将軍・家治の御前ごぜんである。如何いか御三卿ごさんきょうからの問いかけであろうとも、「御意ぎょい」の言葉を使うことは許されなかった。それは例え、相手が御三家であろうとも、である。

 ともあれ意次はさらに、重好しげよしにはすみれ色の袱紗ふくさでもって菓子折かしおりを贈ったことを打ち明けたのであった。

「何ゆえに身がすみれで、民部みんぶが藤色と左様に分けたのだ?」

 重好しげよしはやはり興味本位ほんいからそう尋ねた。ちなみに民部みんぶとは治済はるさだの官職名であり、正しくは、

民部卿みんぶのきょう

 であるが、重好しげよしはやはり将軍・家治の御前ごぜんであるので、あえて、

民部みんぶ

 治済はるさだの官職名を略称りゃくしょうで呼び捨てにしたのでった。「卿」は将軍・家治の御前ごぜんではおそれ多いからだ。

 もっともそれなら、「民部みんぶ殿」と言い換えれば済む話であった。将軍の御前ごぜんにおいては成程なるほど、確かに「卿」や、あるいは「様」などの敬称、それも最高敬称をつけてはならないものの、それでも御三家や御三卿に対しては、

「殿」

 という敬称を用いることは許されていた。治済はるさだ一橋ひとつばし徳川家の当主として、御三卿ごさんきょうの一人である以上、将軍の御前ごぜんにおいても、「殿」という敬称をつけて呼ばれることは勿論もちろん、許されていた。

 そしてそのことは重好しげよし勿論もちろん把握はあくしていたものの、それでもあえてそうはせず、

民部みんぶ…」

 そう治済はるさだを呼び捨てにしたのは他でもない、重好しげよし治済はるさだとは同じく八代将軍・吉宗の孫という立場であり、その上、重好しげよしの方が治済はるさだよりも年上であり、何より、

「己の方が優位である…」

 そのことを重好しげよしは周囲に見せ付けんと欲して、そこであえて治済はるさだを呼び捨てにしたのであった。

 ともあれ重好しげよしからその違いを問われた意次は説明をした。

「されば…、清水殿におかれては2月生まれ…、2月15日に生誕せいたんあそばされましたゆえ、2月はちょうどすみれの花が咲く頃にて…」

成程なるほど…、それで身の誕生日にあわせて、身にはすみれ色の袱紗ふくさというわけだな?」

「左様…、それから一橋殿は11月生まれ…、11月6日に生誕せいたんあそばされしも、生憎あいにく、紫の中では11月にあう花の色がなく、そこでやはり格式のある藤の色を選び申した…

 意次が重好しげよしの誕生日をそらんじてみせたことから、重好しげよしは心底、驚かされた。と同時に誕生日までも正確に把握はあくしている意次に対して感謝と同時に、そして感謝とは裏腹うらはらに、不気味ぶきみなまでの迫力はくりょくを感じた。

 それでも重好しげよしはそんな己の胸中きょうちゅうを意次にさとられまいと、「左様か」と胸を張って…、虚勢きょせいを張って答えてみせた。

「それから幕閣ばっかくには…、幕閣ばっかくへ贈りし菓子折かしおりには菖蒲しょうぶの色の袱紗ふくさもちいましてござる…」

 意次がそう答えると、「そうであったわ」とやはり康福やすよしが思い出したような声を上げた。

民部みんぶ…、何か申し開きはあるか?」

 家治が治済はるさだに尋ねた。家治の口調は静かだが、冷たい響きが感じられ、皆を凍りつかせた。意次さえ身震みぶるいしたほどである。いや、誰よりも治済はるさだが一番、身震みぶるいしたことであろう。それまで、家治は治済はるさだといういみなで呼んでくれていたのに、それが、

民部みんぶ

 と官職名で呼ばれたこともそれに…、治済はるさだ身震みぶるいに拍車はくしゃをかけた。

「いや、その…」

 必死に言い訳を考える治済はるさだに対して家治は、「その、何だ?」とたたみかけた。

「その…、それな紫の袱紗ふくさがまこと、藤色だとは…」

 藤色だとは限らない…、治済はるさだはそう言い訳してみせた。

「いかさま…、民部みんぶの申し条ももっともである…、されば意次がその袱紗ふくさを注文せし白木屋に確かめるといたそうぞ…」

 家治のその提案に対して、しかし意外にも意次が「お待ちくださりませ…」と異議いぎを差しはさんだ。

「なぜだ?」

 家治は首をかしげた。

「されば…、この意次めがそれな袱紗ふくさを注文せし白木屋に、それな袱紗ふくさのことを…、それな袱紗ふくさがまこと、藤色が否か、それを確かめましても公平性に疑義ぎぎが…」

 意次は治済はるさだの「イチャモン」を事前に予想して、そう切り出したのだ。すると家治もそうと察して、

「いかさま…、別の者に確かめさせようと申すのだな?」

 家治はそう応じて、意次に「御意ぎょい…」と答えさせた。

「されば…、呉服所の後藤ごとう縫殿助ぬいのすけに確かめさせようぞ…」

 家治は改めてそう提案し、意次もそれが良いとばかり平伏へいふくしたので、他の者も意次になら平伏へいふくしてその提案を支持した。

 ところで呉服所の後藤ごとう縫殿助ぬいのすけとは公儀こうぎ御用達ごようたしの呉服商の後藤ごとう縫殿助ぬいのすけであり、呉服所にはこの後藤ごとう縫殿助ぬいのすけの他にも茶屋ちゃや四郎次郎しろうじろう亀屋かめや源太郎げんたろう橋本はしもと十三郎じゅうざぶろう山田やまだ権十郎ごんじゅうろう、それに槇田まきた栄樹ひでき三輪みわ彦助ひこすけなど錚々そうそうたる面々めんめんが名をつらねており、その中でもこの後藤ごとう縫殿助ぬいのすけは筆頭であり、「証人」としては最も「適格」と言えた。

 それから将軍・家治の命令により一石いっこく橋の外角にたなを構える後藤ごとう縫殿助ぬいのすけがここ辰ノ口たつのぐち評定所ひょうじょうしょへと召喚しょうかんされ、くだんの紫の袱紗ふくさ鑑定かんていさせたのであった。

「さればそれな紫の袱紗ふくさであるが…、紫の中でもどのような色合いか、ていに申してみよ…」

 北町奉行の景漸かげつぐたずねた。本来ならば、ここまで意次を追及してきた南町奉行の成賢しげかたたずねるべきところであったが、しかし、今の成賢しげかたは完全に困惑しており、とてもではないが訊問じんもんを任せられる様子ではなかったので、そこで北町奉行の景漸かげつぐが代わりに後藤ごとう縫殿助ぬいのすけへの訊問じんもんを引き受けた次第であった。

 果たして後藤ごとう縫殿助ぬいのすけは、

「藤色でござりまする…」

 あっさりとそう答えてみせた。それに対して景漸かげつぐ念押ねんおしするかのように、

「それに相違そういないか?そなたの見間違いということはないか?」

 重ねてそうたずねたのであった。景漸かげつぐ自身はもう、藤色に間違いないと、つまりは治済はるさだに贈られた袱紗ふくさで間違いないと確信していたものの、それでも治済はるさだに付け入るすきを与えないためにあえて、それこそ、

治済はるさだの逃げ道をふさぐべく…」

 後藤ごとう縫殿助ぬいのすけに重ねて問うたのであった。

 それに対して後藤ごとう縫殿助ぬいのすけは、「間違いござりませぬ」と力強くそう答え、その上で、

「もし、手前てまえの証言がお信じあそばされずば、他の呉服商にもおたずねあそばされましては如何いかがでござりましょう…、仮にそのようにおたずねあそばされましたところで、十人が十人とも、この色は藤色と答えるに相違ございませんでしょうが…」

 そんな自信をのぞかせるほどであり、それで景漸かげつぐようやくに納得してみせた。

 景漸かげつぐはそれから後藤ごとう縫殿助ぬいのすけ退がるや、将軍・家治に対して、今、後藤ごとう縫殿助ぬいのすけが口にした通り、他の公儀こうぎ御用達ごようたしの呉服商も呼んで、

「果たしてまこと、藤色か否か、たずねては如何いかがでござりましょうや…」

 そう提案したものの、しかし、家治は頭を振った。

最早もはや、それには及ぶまい…」

 家治はそう答え、それには景漸かげつぐも同感であった。この上、他の公儀こうぎ御用達ごようたしの呉服商を呼んで同じ質問を繰り返してみたところで、答えは分かっていたからだ。
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