天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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南町奉行・牧野成賢による老中・田沼意次への追及 2

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 さて、その紫の袱紗ふくさは再び、今度は逆の「ルート」を辿たどって成賢しげかたの手元へと戻されると、成賢しげかたはそれこそ、

「鬼の首を取ったよう…」

 そのような心持ちになったのだろう、大上段だいじょうだんに構えて意次を追及し始めた。

「されば主殿頭とのものかみ貴殿きでん池原いけはら長仙院ちょうせんいんの口より、おそれ多くも今は亡き…、いや、害したてまつられし大納言だいなごん様、その大納言だいなごん様を害したてまつりしこと、しかも、主殿頭とのものかみより命じられて大納言だいなごん様を害したてまつりしこと…、そのことが池原いけはら長仙院ちょうせんいんの口よりれることを恐れた貴殿きでんはそこで、まず、嫡孫ちゃくそん龍助りゅうすけが病にかかったなどと、適当な口実こうじつにて池原いけはら長仙院ちょうせんいんを神田橋御門内にありし上屋敷へとおびき寄せ、そしてその往診おうしんの帰り、貴殿きでんの家臣が池原いけはら長仙院ちょうせんいんのあとをつけさせ、そして背後より襲わせたのであろうぞ…」

 成賢しげかたのその「名推理」ならぬ「迷推理」を意次は瞑目めいもくして聞き入り、そして成賢しげかたのその「迷推理」が途切とぎれたところで目を開けると、家治の方へと体を向けた。

おそれながら…」

 意次がそう切り出すと、家治もそうと察して、

「申し開きがあるならば許す、申すが良いぞ」

 意次にそううながしたのであった。それに対して意次は「ははぁっ」と平伏へいふくしてまずは家治の配慮はいりょ謝意しゃいを示してから、家治に対して弁明べんめいを始めた。

「まず始めに…、確かに昨日、池原いけはら長仙院ちょうせんいんは我が屋敷に…、神田橋御門内の上屋敷に往診おうしんに参りましてござりまする…」

「うむ」

「なれど、それがしは元より、当家では池原いけはら長仙院ちょうせんいん往診おうしんを頼みましたる覚えこれなく…」

「なに?往診おうしんを頼んだ覚えはないとな?」

御意ぎょい…」

 意次が叩頭こうとうするや、「あいや、しばらく」と検察官役の成賢しげかた所謂いわゆる、「異議あり」を申し立てたのだ。それに対して家治は「許す…」とその「異議あり」を認めたのであった。

「されば初めにも申し上げましたが、池原いけはら長仙院ちょうせんいん妻女さいじょ藤江ふじえの申し立てによりますれば、昨日のそれも日中、愛宕下あたごしたにありし池原いけはら長仙院ちょうせんいんの屋敷を田沼家よりのつかいと称せし者が訪れては、その時分じぶん、夫・池原いけはら長仙院ちょうせんいんはまだ、御城おしろにて勤仕きんし中であったがために、夫に代わりて屋敷の留守るすを預かりしその妻・藤江ふじえがその、田沼家よりのつかいと称せし者の応対おうたいいたしまして、その者が藤江ふじえに対して、龍助りゅうすけ体調たいちょうおもわしくないので、池原いけはら長仙院ちょうせんいん帰邸きてい次第、往診おうしんをと…」

「妻女の藤江ふじえが左様に申し立てていたという話であったな…」

 家治がそう引き取ってみせると、成賢しげかたは「御意ぎょい」と答えた。

「意次、如何いかに?」

 家治は意次に弁明べんめいを求めた。

「さればその田沼家よりのつかいと称する者でござりまするが、当家の名をかたりし…」

「偽物と申すのだな?」

 家治が先回りしてそう尋ねたので、意次もやはり、「御意ぎょい」と答えた。

 意次はその上で、昨日、池原いけはら良誠よしのぶが神田橋御門内にある田沼家の上屋敷を訪れた時の様子についても語った。

「されば当家といたしましても、不意ふい池原いけはら長仙院ちょうせんいんが参りましたゆえ、大いに困惑いたし…、無論、池原いけはら長仙院ちょうせんいんいたしましても当家より往診おうしんを頼まれたゆえわざわざ足を運んだにもかかわらず、当家ではこれを困惑のてい出迎でむかえましたゆえ、やはり大いに困惑いたしましたる様子…」

 確かに、江戸城での勤めを終え、愛宕下あたごしたにある屋敷へと帰って来るなり、妻女さいじょ藤江ふじえより、

「日中、あなたが留守るすの間に田沼様よりのつかいの人が来て、孫の龍助りゅうすけ様の体調がおもわしくないので、池原先生が帰り次第、往診おうしんを頼みたいと、そう頼まれましたので、田沼様のお屋敷に…」

 大方おおかた、そのように告げられ、池原いけはら良誠よしのぶもそれなればと、薬箱を抱えて急ぎ、神田橋御門内にある田沼家の上屋敷へと向かったのであろう。

 にもかかわらず、田沼家の者から困惑気な様子で出迎でむかえられては、池原いけはら良誠よしのぶの立場がない。いや、池原いけはら良誠よしのぶの方が田沼家の者たちよりも大いに困惑したことであろう。

「それでも折角せっかく池原いけはら長仙院ちょうせんいん往診おうしんに参られたゆえ、そこでそれがしと愚息ぐそく、それに嫁と孫の診察しんさつも頼みましてござりまする…」

「左様か…、して池原いけはら長仙院ちょうせんいんが屋敷を出たのはいつだ?」

 家治が検察官役である成賢しげかたに代わって問うた。それは成賢しげかたも問おうとしていた。

「されば夕の七つ半(午後5時頃)でござりまする…、暮六つ(午後6時頃)を過ぎますれば、呉服橋御門は閉じまするゆえ…」

「おお、そうであったな…」

 家治は思い出したようにそう声を上げた。いや、家治だけでなく、成賢しげかたにしても心の中で、「あっ」と思い出したように声を上げた。

 それと言うのも呉服橋御門も江戸城の諸門、所謂いわゆる、三十六見附みつけの一つであり、ゆえに、暮六つ(午後6時頃)を過ぎると同時に呉服橋御門も閉じられるゆえ、その後、呉服橋御門を渡ること…、呉服橋御門を渡って、御門内と御門外をすることは不可能となる。

 いや、田沼家の上屋敷は神田橋御門内にある。にもかかわらず、何ゆえそこで呉服橋御門が出てくるのかと言うと、神田橋御門内にある田沼家の上屋敷から愛宕下あたごしたにある池原いけはら良誠よしのぶの屋敷までの最短ルートだからだ。
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