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公事上聴 7
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景漸はこの時…、明和6(1769)年の時点では45歳に過ぎず、人生経験では67歳の政次の方が景漸よりも遥かに豊富、裏を返せば海千山千というわけで、成程、これでは景漸が政次に太刀打ちできない筈であった。
政次の思惑通り、二人の大目付…、大井満英と稲垣正武は景漸による。、
「年寄りの冷や水…」
その発言に激怒したものである。
だが、ここである人物が景漸に助け舟を出してくれたのだ。誰あろう、大目付の池田筑後守政倫であった。この時、政倫はまだ53歳の若さであったが、既に道中奉行を兼務しており、大目付の筆頭であった。
その池田政倫も依田政次の専横ぶりにはかねがね、苦々しく感じていた。ことに目付の職掌にまで口を出すとは、政倫には信じられず、そして、許せないものを感じていた。
それゆえ政倫は景漸の政次への「諫言」は至極尤もであると感じた。
また、政倫はまだ53歳の若さであったので、景漸のその、「年寄りの冷や水」発言にしても、政倫個人としては全く気にならなかった。
それでも政倫は「年寄り」の部類に属する政次たちの手前、まずは景漸に対してその年寄りを侮辱するような発言を諫めたのであった。
「曲淵よ…、年寄りの冷や水なる発言は如何なものかと思うぞ…」
政倫より静かな口調でそう諭された景漸は、「ははぁっ」と素直に頭を下げた。元より、景漸は大目付の中でも、
「俊才」
とも言うべきこの政倫をかねがね尊敬していたので、それゆえ景漸も政倫の言葉には素直に耳を傾け、己の非をを認めて頭を下げたのであった。
それに対して政倫も景漸のその神妙な態度に頷いてみせると、
「如何に煽られたとは申せ…」
そう付け加えることも忘れなかった。即ち、政次が景漸を故意に煽ったことにも、つまりは政次の非にも触れたのであった。
案の定、政次は敏感に反応した。
「これは異な事を承る…、身共が曲淵めを煽ったと申されるか?」
政次は大上段に構えて尋ねた。元より、政次は大目付の筆頭であるこの池田政倫に対して強烈なライバル心を抱いており、それがために政倫より己の方が上だと、政次はそれを周囲に見せつけんと欲して、つい政倫に対して大上段に構えるような態度を取ってしまうのだ。
老練な筈の政次もこの池田政次を前にすると、つい幼稚な態度を取ってしまうのはやはり年齢が原因であった。
即ち、己よりも若い、それも一回り以上も若い政倫が大目付の筆頭として道中奉行を兼務していることが政次にはどうにも許せず、それゆえさしもの老練、海千山千な政次をして、幼稚な態度を取らせてしまうのだ。
それに対して政倫はと言うと、そのような政次の胸中が手に取るように分かり、それゆえ政次に対しては怒りを覚えるどころか、哀れさを催したほどである。
ともあれ政倫は政次に対して、
「貴殿が曲淵を挑発などせずば、曲淵とて左様な…、年寄りの冷や水などと口には致さなかったであろうぞ…」
諭すようにそう言った。だが、政倫の言葉に素直に耳を傾けるような政次ではない。
「普段より、我ら年寄りのことを腹の中で嘲笑っておるゆえに、挑発された程度でその本音が出たのであろうぞ…」
政次としては、「我ら年寄り…」とそう表現することで、ここでもまた、大井満英と稲垣正武の二人を味方につけようと思ったのであろうが、しかし、語るに落ちた。
「ほう…、それでは曲淵を挑発せしは認めるのだな?」
政倫よりそう言葉尻を捕えられてしまった政次は思わず言葉に詰まった様子を覗かせた。
するとそうと察した政倫はその隙に、大井満英と稲垣正武の二人の方に体を向け、二人に景漸の真意を説明したのであった。
「されば曲淵には決して、お二人を侮辱するような意図はござりませぬ。ただ、目付の職掌にまで口を挟まれる依田殿のその仕方が如何なものかと…、斯様に申しているのです…」
政倫は一気にそう言い切ると、景漸の方へと振り向いて、「そうであろう」と景漸に声をかけたのであった。
それに対して景漸はそれこそ、
「間髪を入れず…」
政倫に倣い、大井満英と稲垣正武の方へと体を向けて、ははぁっ、と平伏したものであった。
すると大井満英にしろ、稲垣正武にしろ、落ち着きを取り戻し、すると二人は今度は逆に、政次の方が疎ましく覚えた。
それと言うのも、あまり褒められた話ではないが、大井満英も稲垣正武も大目付として、
「楽をしたい…」
そう思っていたからだ。
大目付は本丸の留守居と並ぶ、旗本の出世コースの「終着駅」のようなポストであり、それだけに閑職ではあるものの、いや、だからこそと言うべきか、役高も江戸町奉行や勘定奉行と同じく3千石高であった。
即ち、大目付の役高である3千石に満たない家禄の者が大目付に就いた場合、その大目付の御役にある間は役高である3千石から家禄を差し引いた差額が足高として支給されるのであり、大井満英にしろ、稲垣正武にしろこの「足高」の対象であった。
具体的には稲垣正武の家禄は6百石であり、それゆえ大目付の御役にある間は差額の2400石もの「足高」が保証され、大井満英に至ってはその家禄は何と2百石に過ぎず、それゆえ大目付の御役にある間は何と、2800石もの「足高」が保証されていたのだ。
それゆえ大井満英にしろ稲垣正武にしろ、出来るだけ長い間、この大目付というポストを勤めたかった。何しろ、言葉は悪いが、楽して高給が保証されているからだ。
そんな大井満英や稲垣正武にとって、新しく大目付に加わった依田政次の存在ははっきり言って、目障り以外の何ものでもなかった。
それと言うのも政次は大目付のその本来の職掌である大名の監察のみならず、本来、目付の職掌である旗本や御家人の監察にまで口を出しては積極的に働こうとしたからだ。
いや、これで政次当人が積極的に働く分には、余計な口出しをされて迷惑を蒙っている目付には申し訳ないが、
「勝手にしやがれ…」
というものであったが、しかし、政次は大井満英や稲垣正武にもそれを…、積極的に働くことを要求したのであった。
政次の思惑通り、二人の大目付…、大井満英と稲垣正武は景漸による。、
「年寄りの冷や水…」
その発言に激怒したものである。
だが、ここである人物が景漸に助け舟を出してくれたのだ。誰あろう、大目付の池田筑後守政倫であった。この時、政倫はまだ53歳の若さであったが、既に道中奉行を兼務しており、大目付の筆頭であった。
その池田政倫も依田政次の専横ぶりにはかねがね、苦々しく感じていた。ことに目付の職掌にまで口を出すとは、政倫には信じられず、そして、許せないものを感じていた。
それゆえ政倫は景漸の政次への「諫言」は至極尤もであると感じた。
また、政倫はまだ53歳の若さであったので、景漸のその、「年寄りの冷や水」発言にしても、政倫個人としては全く気にならなかった。
それでも政倫は「年寄り」の部類に属する政次たちの手前、まずは景漸に対してその年寄りを侮辱するような発言を諫めたのであった。
「曲淵よ…、年寄りの冷や水なる発言は如何なものかと思うぞ…」
政倫より静かな口調でそう諭された景漸は、「ははぁっ」と素直に頭を下げた。元より、景漸は大目付の中でも、
「俊才」
とも言うべきこの政倫をかねがね尊敬していたので、それゆえ景漸も政倫の言葉には素直に耳を傾け、己の非をを認めて頭を下げたのであった。
それに対して政倫も景漸のその神妙な態度に頷いてみせると、
「如何に煽られたとは申せ…」
そう付け加えることも忘れなかった。即ち、政次が景漸を故意に煽ったことにも、つまりは政次の非にも触れたのであった。
案の定、政次は敏感に反応した。
「これは異な事を承る…、身共が曲淵めを煽ったと申されるか?」
政次は大上段に構えて尋ねた。元より、政次は大目付の筆頭であるこの池田政倫に対して強烈なライバル心を抱いており、それがために政倫より己の方が上だと、政次はそれを周囲に見せつけんと欲して、つい政倫に対して大上段に構えるような態度を取ってしまうのだ。
老練な筈の政次もこの池田政次を前にすると、つい幼稚な態度を取ってしまうのはやはり年齢が原因であった。
即ち、己よりも若い、それも一回り以上も若い政倫が大目付の筆頭として道中奉行を兼務していることが政次にはどうにも許せず、それゆえさしもの老練、海千山千な政次をして、幼稚な態度を取らせてしまうのだ。
それに対して政倫はと言うと、そのような政次の胸中が手に取るように分かり、それゆえ政次に対しては怒りを覚えるどころか、哀れさを催したほどである。
ともあれ政倫は政次に対して、
「貴殿が曲淵を挑発などせずば、曲淵とて左様な…、年寄りの冷や水などと口には致さなかったであろうぞ…」
諭すようにそう言った。だが、政倫の言葉に素直に耳を傾けるような政次ではない。
「普段より、我ら年寄りのことを腹の中で嘲笑っておるゆえに、挑発された程度でその本音が出たのであろうぞ…」
政次としては、「我ら年寄り…」とそう表現することで、ここでもまた、大井満英と稲垣正武の二人を味方につけようと思ったのであろうが、しかし、語るに落ちた。
「ほう…、それでは曲淵を挑発せしは認めるのだな?」
政倫よりそう言葉尻を捕えられてしまった政次は思わず言葉に詰まった様子を覗かせた。
するとそうと察した政倫はその隙に、大井満英と稲垣正武の二人の方に体を向け、二人に景漸の真意を説明したのであった。
「されば曲淵には決して、お二人を侮辱するような意図はござりませぬ。ただ、目付の職掌にまで口を挟まれる依田殿のその仕方が如何なものかと…、斯様に申しているのです…」
政倫は一気にそう言い切ると、景漸の方へと振り向いて、「そうであろう」と景漸に声をかけたのであった。
それに対して景漸はそれこそ、
「間髪を入れず…」
政倫に倣い、大井満英と稲垣正武の方へと体を向けて、ははぁっ、と平伏したものであった。
すると大井満英にしろ、稲垣正武にしろ、落ち着きを取り戻し、すると二人は今度は逆に、政次の方が疎ましく覚えた。
それと言うのも、あまり褒められた話ではないが、大井満英も稲垣正武も大目付として、
「楽をしたい…」
そう思っていたからだ。
大目付は本丸の留守居と並ぶ、旗本の出世コースの「終着駅」のようなポストであり、それだけに閑職ではあるものの、いや、だからこそと言うべきか、役高も江戸町奉行や勘定奉行と同じく3千石高であった。
即ち、大目付の役高である3千石に満たない家禄の者が大目付に就いた場合、その大目付の御役にある間は役高である3千石から家禄を差し引いた差額が足高として支給されるのであり、大井満英にしろ、稲垣正武にしろこの「足高」の対象であった。
具体的には稲垣正武の家禄は6百石であり、それゆえ大目付の御役にある間は差額の2400石もの「足高」が保証され、大井満英に至ってはその家禄は何と2百石に過ぎず、それゆえ大目付の御役にある間は何と、2800石もの「足高」が保証されていたのだ。
それゆえ大井満英にしろ稲垣正武にしろ、出来るだけ長い間、この大目付というポストを勤めたかった。何しろ、言葉は悪いが、楽して高給が保証されているからだ。
そんな大井満英や稲垣正武にとって、新しく大目付に加わった依田政次の存在ははっきり言って、目障り以外の何ものでもなかった。
それと言うのも政次は大目付のその本来の職掌である大名の監察のみならず、本来、目付の職掌である旗本や御家人の監察にまで口を出しては積極的に働こうとしたからだ。
いや、これで政次当人が積極的に働く分には、余計な口出しをされて迷惑を蒙っている目付には申し訳ないが、
「勝手にしやがれ…」
というものであったが、しかし、政次は大井満英や稲垣正武にもそれを…、積極的に働くことを要求したのであった。
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