天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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公事上聴

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 将軍までもが裁判に加わることを「御直おじき裁判」というが、寛文かんぶん期、1660年代に辰ノ口たつのぐち伝奏てんそう屋敷の敷地しきち内に今の評定所ひょうじょうしょが設けられてからというもの、「御直おじき裁判」が行われることは久しくなかった。

 だが今日、天明元(1781)年4月2日の評定所ひょうじょうしょ式日しきじつに、極めて異例ながら将軍・家治とそれに御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし徳川家の当主たる治済はるさだと、さらに同じく御三卿ござんきょうの清水徳川家の当主たる重好しげよしまでもがその評定所ひょうじょうしょへと足を運び、裁判に加わったのだ。

 治済はるさだとしては将軍・家治さえいれば良く、重好しげよしなどは完全に、

「お邪魔じゃま虫」

 以外の何ものでもなかった。

 しかし、重好しげよしもまた治済はるさだと同じく御三卿の清水徳川家の当主であるので、今日のような平日登城が許されており、そして重好しげよし治済はるさだに遅れてだが登城しては、治済はるさだが先にめていた、中奥なかおくにある御三卿ごさんきょう詰所つめしょである御控おひかえ座敷にめたので、そうと知った…、弟・重好しげよしが登城したと知った将軍・家治は重好しげよしに声をかけ、それに重好しげよしも喜んで応じた次第しだいであった。

 治済はるさだにとって重好しげよしの存在は事程ことほど左様さよう邪魔じゃまであったが、さりとて将軍・家治が重好しげよしに声をかけたとあらば、如何いか治済はるさだと言えどもどうにもならず、内心では不満たらたらであったが、それはおおかくして、将軍・家治を真ん中にはさみ、重好しげよしとの三人で江戸城の中奥なかおくからこの辰ノ口たつのぐちにある評定所ひょうじょうしょへと足を向けたのであった。

 評定所ひょうじょうしょ評席ひょうせきには評定所ひょうじょうしょ一座いちざ…、寺社奉行、江戸南北両町奉行、公事くじ方勘定奉行の所謂いわゆる三奉行さんぶぎょうに加えて、今日は式日しきじつということで老中、それに本日は特に、将軍・家治が評定ひょうじょうを見学…、公事くじ上聴じょうちょう、その上、御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし治済はるさだと清水重好しげよしまでが陪席ばいせきするということで、御側おそば御用人ごようにん水野みずの出羽守でわのかみ忠友ただとも出座しゅつざを命じられたのであった。

 本日の評定ひょうじょうの真の目的は田沼意次を、あるいはその嫡子ちゃくし意知おきとも諸共もろとも家基いえもと殺害、さらには奥医師おくいし池原いけはら良誠よしのぶ殺害の罪で裁くためであったが…、少なくとも治済はるさだはそう信じて疑っておらず、それでも一応、今の段階では、

公事くじ上聴じょうちょう…」

 すなわち、将軍の裁判見学の建前たてまえを取っていた。

 もっとも、「公事くじ上聴じょうちょう」ならば本来はここ辰ノ口たつのぐち評定所ひょうじょうしょではなく、江戸城の北西にある吹上ふきあげ御庭おにわにおいて行われるものである。

 それも吹上ふきあげ御庭おにわに将軍が裁判を見学するための仮設かせつ上覧所じょうらんしょしつらえた上で、実際に三奉行さんぶぎょうすなわち、寺社奉行・江戸南北両町奉行、公事くじ方勘定奉行に事件を裁かせるのである。

 しかも「公事くじ上聴じょうちょう」とは将軍に就任早々そうそう、一度だけ行われるものであり、家治も将軍に就任早々そうそう、既に「公事くじ上聴じょうちょう」は経験済みであり、そのことは評席ひょうせきにいる者たちにしても把握はあくしていたので、それゆえ将軍・家治は何ゆえに本日の評定ひょうじょうを見学するのかと、それも御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし治済はるさだと清水重好しげよしまで引き連れるのかと、首をかしげながら、家治一行の到着を待ち受けた。

 いや、首をかしげていたのは御三卿ごさんきょうの清水重好しげよしにしても同じであった。重好しげよしにしても家治より、

「本日の評定ひょうじょうを見学せぬか…」

 そう誘われたに過ぎず、重好しげよしも家治からのその「お誘い」を額面がくめん通りに受け取り、今日の評定ひょうじょうを見学するつもりでいた。

 本日の評定ひょうじょうの真の目的を把握はあくしているのは将軍・家治と一橋ひとつばし治済はるさだの他には三奉行さんぶぎょうの一人である南町奉行の牧野まきの成賢しげかたとそれにやはりこの評席ひょうせきにて監察かんさつ役として陪席ばいせきしている大目付程度であり、大目付と共に監察かんさつ役として陪席ばいせきしている目付も知らなかった。

 大目付が把握はあくしているのは他でもない。南町奉行の牧野まきの成賢しげかたが昨晩、大目付の中でも筆頭である、道中どうちゅう奉行を兼務けんむする大屋おおや遠江守とおとうみのかみ正富まさとみの元へと、「事件」の概要がいようとさらに本日、式日しきじつにおける評定ひょうじょうの場においてその「事件」を持ち出すつもりでいることをしたためた書状を内与力ないよりき半右衛門はんえもんに命じて届けさせたからだ。

 それに対して大屋おおや正富まさとみは書状の内容に流石さすが仰天ぎょうてんしたものの、とりあえず他の大目付へも知らせてくれたのであった。

 それも夜間にもかかわらず、正富まさとみは自ら馬をり、他の大目付の屋敷を回ると、南町奉行の牧野まきの成賢しげかたより届けられたその書状を閲覧えつらんさせたのであった。

 無論、内容が内容だけに大目付限り、つまりは他の者には例え、大目付の直属の上司である老中にもらさぬようにと、正富まさとみはそう念押しすることも忘れなかった。

 それゆえ大目付には心の準備ができており、本日の評定ひょうじょうの真の目的を把握はあくしており、それでも将軍・家治とそれに御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし治済はるさだと清水重好しげよしまでが本日の評定ひょうじょうを見学すると伝えられた時には流石さすがに驚いたものの、しかし、本日の評定ひょうじょうの真の目的を把握はあくしていたので、すぐに驚きはおさまり、そして、成程なるほどと、大目付は皆、納得したものである。
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