天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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評定所式日、一橋治済も評定に加わりたいと将軍・家治に願い、それに対して家治も評定に加わる意思を伝える

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 すなわち、博打ばくち帰りの旗本・鷲巣わしのす益五郎ますごろうなる者と寄合よりあい医師の長谷川はせがわ玄通げんつうなる者の二人がその帰り道、池原いけはら良誠よしのぶの屋敷がある愛宕下あたごしたにさしかかったところで、往診おうしんからの帰りの池原いけはら良誠よしのぶ際会さいかい…、その姿を目にし、そして池原いけはら良誠よしのぶが屋敷に入ろうとしたところで、何者かに背後から背中をられ絶命ぜつめい、その折…、池原いけはら良誠よしのぶたおれた直後、真後まうしろにいた下手人げしゅにんの姿がその、博打ばくち帰りの鷲巣わしのす益五郎ますごろう長谷川はせがわ玄通げんつう視界しかいに入り、そのうち、鷲巣わしのす益五郎ますごろう下手人げしゅにんらえるべく、その下手人げしゅにんの元へとけ寄り、それに対して下手人げしゅにんも捕まるまいとして逃走を図り、結局、比丘尼びくにばしのたもとで益五郎ますごろう下手人げしゅにんを見失ったものの、しかしその際、下手人げしゅにんは紫の袱紗ふくさを…、田沼家の紋所もんどころである七曜しちようの紋があしらわれた紫の袱紗ふくさを落とした…、そのことを治済はるさだは家治に打ち明けたのであった。

「旗本や官医かんいの身でありながら博打ばくちに興じるとは…」

 家治はまずはそんな感想をらした。それは決して場違ばちがいな感想とは言えなかった。それと言うのも、それだけで…、旗本や官医かんいの身にある者が博打ばくちに興じるだけで重罪であるからだ。それこそ、

「死をたまわる…」

 つまりは死刑の可能性さえあり得るほどの重罪だからだ。

 治済はるさだもそのことは良く承知していたので、「御意ぎょい…」と答えはしたものの、その上で、

「なれど鷲巣わしのす益五郎ますごろうにつきましては見失ったとは申せ、果敢かかんにも下手人げしゅにんを追いかけましたることにより、博打ばくちの罪につきましてはそれと相殺そうさいにされましては如何いかがでござりましょうや…、また、官医かんい長谷川はせがわ玄通げんつうにつきましても同様に、鷲巣わしのす益五郎ますごろう下手人げしゅにん追跡ついせきせし折に、町方まちかたに…、市中見廻り中であった南町奉行所の定町じょうまち廻り同心に直ちに事件を届け出ましたゆえ、その仕方しかたよろしく…」

 治済はるさだにしては珍しく穏便おんびんなことを口にした。いや、治済はるさだとしては別段、二人のために穏便おんびんに済ませてやろうと、そう思ったわけでは決してない。

 治済はるさだにとって二人の存在は、とりわけ「下手人げしゅにん」が落としたその、田沼の紋所もんどころである七曜しちようの紋所があしらわれた紫の袱紗ふくさを回収してくれた鷲巣わしのす益五郎ますごろうの存在は、意次の「有罪」を立証するための大事な証人、いや、「手蔓てづる」であるからだ。

 それゆえ治済はるさだとしてはその益五郎ますごろうが処罰されては、意次を「有罪」に追い込むための大事な「手蔓てづる」を失うことになりかねず、それを防ぐべく、二人共、穏便おんびんに済ませてやろうとそう主張したのであった。いや、治済はるさだとしては本音ほんねでは益五郎ますごろうさえ助かればそれで良く、長谷川はせがわ玄通げんつうがどうなろうとも、それこそ、

官医かんいたる者にあるまじき所業しょぎょうなり…」

 ということで死刑になろうとも一向いっこうに構わなかったが、しかし、益五郎ますごろう玄通げんつうも共に博打ばくちをしながら、玄通げんつうのみその罪を問われて死刑に処せられたのでは、

片手かたて落ち…」

 との批判が免れず、何より家治の疑念を招くに違いなく、そこで治済はるさだは内心ではく、二人共、穏便おんびんに済ませてくれるよう、要は二人の罪を見逃してくれるよう、家治に頼んだのであった。

 それに対して家治は、

「まぁ、の独断で決めるわけにはまいらぬが、そのように済むよう力をいたそうぞ…」

 治済はるさだにそう約束してくれたのであった。

「ありがたき幸せ…、して上様、如何いかがでござりましょうや…、この治済はるさだが推量は…」

 治済はるさだは思い出したようにそう尋ねた。

「うむ…、当たらずも遠からずといったところだの…」

 家治はそう答え、それに対して治済はるさだは内心、

素直すなおに認めたくないのだな…」

 そう思ったものである。すなわち、御用之間ごようのまにての会話を己にピタリと言い当てられて、それゆえ上様は意地になって素直すなおには認められないのだなと、治済はるさだはそう己に都合つごう良く解釈かいしゃくしたのであった。

 治済はるさだはそれを前提に、さらに推量を重ねた。

「さればおそれ多くも上様より大納言だいなごん様の死の真相を探るようにと命じられし大和やまとめはこのことを父、主殿とのもめに打ち明け、これはいよいよ一大事…、己の罪が上様に知られては一大事と、そこで大納言だいなごん様殺しの実行犯である池原いけはら長仙院ちょうせんいんの口をふうじるべく刺客しかくを…、家臣に命じてらせたのではござりますまいか?」

「何と…、されば意知おきともまでもが家基いえもとを殺せし共犯者と申すのか?」

 家治は如何いかにも驚いた風を装い、治済はるさだにそう尋ねた。

御意ぎょい…」

「何たることだ…、はそうとも知らずに…」

 家治はうめくようにそう言いかけ、そしてそこで言葉を区切ったので、治済はるさだはいよいよもって、己の当て推量が…、将軍・家治は意知おきともに対して家基いえもとの死の真相を探るよう命じたに違いないとの、その当て推量に自信を持ったものである。

はそうとも知らずに意知おきとも家基いえもとの死の真相を探るよう命じてしまったのか…、きっと上様はそうおおせになりたいのであろう…」

 治済はるさだはやはりそう己に都合つごう良く解釈したものであった。

「ともあれ、これにて町奉行の手には余る事件との、この治済はるさだの言葉がお分かりになられたかと…」

 治済はるさだは家治の顔色をうかがうようにしてそう言った。それに対して家治は力なく、「うむ…」と答えると、

「意次や、いや、意知おきともまでもが関与しているとなれば、さもあろう…」

 そうも付け加え、いよいよ治済はるさだをあくまで内心でだが、狂喜きょうき乱舞らんぶさせたものである。それはとりもなおさず、家治は家基いえもとを殺したのが意次や意知おきともであるとすっかり信じているような口ぶりであったからだ。

「されば今日は2日にて…、評定所ひょうじょうしょ式日しきじつ…」

 治済はるさだがそう示唆しさするや、

「本日の評定ひょうじょうの場にて、意次が罪を、いや、意次と意知おきともの罪をただすと申すか?」

 家治はそう先回りして尋ねたので、治済はるさだにしてみれば正しくその通りであったので、「御意ぎょい」と治済はるさだは即答し、その上でさらに、

「さればこの治済はるさだも本日の評定ひょうじょうに加わりたく…」

 そう願ったのであった。

「何と…、評定ひょうじょうに加わりたいと?」

御意ぎょい…、されば今の主殿とのもめは、老中首座しゅざにして勝手かってがかりをも兼務けんむせし松平まつだいら右京大夫うきょうだゆうをもしのぐほどに力がござりますれば…」

「まともな…、公明正大なる評定ひょうじょうは期待できぬと、左様に申すか?」

御意ぎょい…」

「なれどそなたが…、御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし徳川家の当主たるそなたが評定ひょうじょうに加われば、公明正大なる評定ひょうじょうが期待できると申すのだな?」

 家治は嫌味いやみめて治済はるさだに対してそう尋ねたのだが、生憎あいにく治済はるさだには通じず、治済はるさだは家治のその言葉を額面がくめん通りに受け取り、

御意ぎょい…」

 自信を持ってそう答えたのであった。そんな治済はるさだに対して家治は内心、「やれやれ…」と思いつつも、それは表には出さずに、「うむ…」と納得したように答えた。

 すると治済はるさだは期待をめて、「それはでお許しをいただけるので?」と尋ねた。

「いや、それなれば評定ひょうじょうに加わろうではないか…」

 家治はそう付け加えて治済はるさだ仰天ぎょうてんさせた。

「何と…、おそれ多くも上様が評定ひょうじょうに?」

「左様…、としても家基いえもとを殺害に及びし下手人げしゅにんには大いに興味がある、いや、その罪をきっとただしてくれる…」

 家治のその言葉を治済はるさだは意次・意知おきとも父子ふしを指してのことに違いないと、そう信じて疑わず、

「それはまことにもって良きお考えにて…、評定ひょうじょう御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし徳川家の当主たるこの治済はるさだに加えまして、おそれ多くも上様までもがお加わりあそばされれば、公明正大なるお裁きが期待できると申すものにて…」

 治済はるさだはそう主張した。それに対して家治は「左様…」とうなずくと、

「公明正大なる裁きがな…」

 そう念押しするように言った。
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