天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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鷲巣益五郎という男 4

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 こうして銕三郎てつさぶろう一學いちがくの元を、定火消じょうびけし役屋敷やくやしきを訪ね、そして一學いちがくに対してせがれ益五郎ますごろうを預かってはくれまいかと、そう頼んだのであった。

 それに対して一學いちがくはさすがに驚いたものの、しかし、恩人からの頼みとあらば断るわけにもゆかず、二つ返事で引き受けた。

 それでも一學いちがく益五郎ますごろうを預かるに当たり、

「なにぶんにもガエンどもが気性きしょうが荒く、それゆえ例え、ご子息殿が旗本の子弟であるとしても、遠慮なく手荒てあらに扱うことと相成あいなりましょうが、それでも構いませぬか?」

 銕三郎てつさぶろうにそう念押しした。それに対して銕三郎てつさぶろうは元よりそれは承知しており、何より当人とも言うべき益五郎ますごろう自身がそれを歓迎、それも大歓迎していたのだ。

 そもそも益五郎ますごろうが屋敷を出て、火消しと一緒に暮らしたいなどと言い出した背景には、若君様、若君様と、家臣からかしづかれた生活にほとほと嫌気いやけがさしていたからであった。

 こうして益五郎ますごろう家督かとくぐまで、という「期間限定」ではあったが、小川丁にある、秋元あきもと一學いちがく差配さはいする定火消じょうびけし役屋敷やくやしきに引き取られ、そこでガエンと共に起居ききょすることになったのである。

 そして一學いちがくが念押ししたように、実際、ガエンたちの益五郎ますごろうへの接し方は中々に手荒く、殴られるのが日常茶飯事となった。無論、益五郎ますごろうが旗本の子弟であるのを承知の上であった。

 益五郎ますごろうに落ち度があって殴られることもあれば、益五郎ますごろうには何の落ち度もなく理不尽りふじんにも殴られることもあったが、しかし、益五郎ますごろうには不思議とそのような暮らしが快適かいてきであった。少なくとも家臣どもにかしづかれるよりは余程よほど快適かいてきであり、例え理不尽りふじんに殴られようともガエンたちとのその暮らしの方が益五郎ますごろうしょうには合っていた。

 そこで益五郎ますごろうはガエンたちから喧嘩けんかの「イロハ」も学んだ。いや、仕込しこまれたというべきであろう。

 元より、益五郎ますごろうは幼い時分より喧嘩けんかが好きであり、それまで、ガエンたちと暮らすまでは己が一番喧嘩けんかが強いとそう自負じふしていたものだが、しかし、ガエンたちと暮らすようになってそれが何の根拠もないただの夢想むそうに過ぎなかったと思い知らされた。

 そう、ガエンたちの喧嘩けんかの強さといったら言葉では言い表せないほどであり、益五郎ますごろうがガエンどもに何度、立ち向かっても、そのたびにのされたものである。まだ十歳という年齢もあろうが、それにしてもガエンたちが手加減することはなく、それがまた、益五郎ますごろうには心地良かった。

 そうやって益五郎ますごろうはガエンたちと日々、過ごすうち、生傷なまきずに比例して喧嘩けんかの腕をめきめき上げたものである。

 ちなみにその間、定火消じょうびけし秋元あきもと一學いちがくから近藤こんどう登助のぼりのすけ壽用ひさもち、そして今の三枝さえぐさ宗四郎そうしろう守義もりのりへと代わったが、益五郎ますごろうはその間もずっとガエンたちと暮らしていた。

 いや、安永三(1774)年の11月6日に、益五郎ますごろうにとっては夢を叶えてくれた正しく、「恩人」とも言うべき秋元あきもと一學いちがくがやはり病のためその職を辞したために、一學いちがくの後任としてやはり寄合よりあいにて待命たいめい中、求職中であった5450石余もの大身たいしん旗本である近藤こんどう登助のぼりのすけ定火消じょうびけしに任じられた折には益五郎ますごろう役屋敷やくやしきから追い出される危機に直面したものである。

 近藤こんどう登助のぼりのすけもまた屋敷は別にあり、本郷三丁目にある屋敷に住んでいたので、その近藤こんどう登助のぼりのすけが小川丁にある定火消じょうびけし役屋敷やくやしき差配さはいしていた定火消じょうびけし秋元あきもと一學いちがくの後任に任じられるや、当然、小川丁にある定火消じょうびけし役屋敷やくやしきに引き移ってきたわけだが、登助のぼりのすけ役屋敷やくやしきに着任するなり、益五郎ますごろうを追い出そうとした。

 登助のぼりのすけ一學いちがくから定火消じょうびけしの役を引き継ぐに当たり、

「旗本の鷲巣わしのす式部しきぶ殿がご子息しそく益五郎ますごろう殿が居候いそうろうしているが、そのままに…」

 一學いちがくより内々ないないにそう申し送りを受け、登助のぼりのすけもそれを承知したにもかかわらず、いざ、定火消じょうびけしとして小川丁にある定火消じょうびけし役屋敷やくやしきに着任するや、登助のぼりのすけ早速さっそく一學いちがくとの約束を反故ほごにして益五郎ますごろうを追い出しにかかったのである。いや、それも無理からぬことではあった。何しろ登助のぼりのすけ大身たいしん旗本として、

「曽祖父、そして父も務めた百人組之頭ひゃくにんくみのかしらに己もいずれは取り立てられたい…」

 との野望があり、さらに百人組之頭ひゃくにんくみのかしらを足がかりに、さらに小姓組こしょうぐみ番頭ばんがしら書院しょいん番頭ばんがしら大番頭おおばんがしらといった幕府の武官五番方のトップになりたいとの大望たいもうをも抱いており、そんな登助のぼりのすけにとって益五郎ますごろうの存在は出世のさまたげにもなりかねず、ゆえに登助のぼりのすけ益五郎ますごろうを追い出そうとしたのも至極しごく当然であった。
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