3 / 197
鷲巣益五郎という男 4
しおりを挟む
こうして銕三郎は一學の元を、定火消の役屋敷を訪ね、そして一學に対して倅の益五郎を預かってはくれまいかと、そう頼んだのであった。
それに対して一學はさすがに驚いたものの、しかし、恩人からの頼みとあらば断るわけにもゆかず、二つ返事で引き受けた。
それでも一學は益五郎を預かるに当たり、
「なにぶんにもガエンどもが気性が荒く、それゆえ例え、ご子息殿が旗本の子弟であるとしても、遠慮なく手荒に扱うことと相成りましょうが、それでも構いませぬか?」
銕三郎にそう念押しした。それに対して銕三郎は元よりそれは承知しており、何より当人とも言うべき益五郎自身がそれを歓迎、それも大歓迎していたのだ。
そもそも益五郎が屋敷を出て、火消しと一緒に暮らしたいなどと言い出した背景には、若君様、若君様と、家臣からかしづかれた生活にほとほと嫌気がさしていたからであった。
こうして益五郎は家督を継ぐまで、という「期間限定」ではあったが、小川丁にある、秋元一學が差配する定火消の役屋敷に引き取られ、そこでガエンと共に起居することになったのである。
そして一學が念押ししたように、実際、ガエンたちの益五郎への接し方は中々に手荒く、殴られるのが日常茶飯事となった。無論、益五郎が旗本の子弟であるのを承知の上であった。
益五郎に落ち度があって殴られることもあれば、益五郎には何の落ち度もなく理不尽にも殴られることもあったが、しかし、益五郎には不思議とそのような暮らしが快適であった。少なくとも家臣どもにかしづかれるよりは余程に快適であり、例え理不尽に殴られようともガエンたちとのその暮らしの方が益五郎の性には合っていた。
そこで益五郎はガエンたちから喧嘩の「イロハ」も学んだ。いや、仕込まれたというべきであろう。
元より、益五郎は幼い時分より喧嘩が好きであり、それまで、ガエンたちと暮らすまでは己が一番喧嘩が強いとそう自負していたものだが、しかし、ガエンたちと暮らすようになってそれが何の根拠もないただの夢想に過ぎなかったと思い知らされた。
そう、ガエンたちの喧嘩の強さといったら言葉では言い表せないほどであり、益五郎がガエンどもに何度、立ち向かっても、そのたびにのされたものである。まだ十歳という年齢もあろうが、それにしてもガエンたちが手加減することはなく、それがまた、益五郎には心地良かった。
そうやって益五郎はガエンたちと日々、過ごすうち、生傷に比例して喧嘩の腕をめきめき上げたものである。
ちなみにその間、定火消は秋元一學から近藤登助壽用、そして今の三枝宗四郎守義へと代わったが、益五郎はその間もずっとガエンたちと暮らしていた。
いや、安永三(1774)年の11月6日に、益五郎にとっては夢を叶えてくれた正しく、「恩人」とも言うべき秋元一學がやはり病のためその職を辞したために、一學の後任としてやはり寄合にて待命中、求職中であった5450石余もの大身旗本である近藤登助が定火消に任じられた折には益五郎は役屋敷から追い出される危機に直面したものである。
近藤登助もまた屋敷は別にあり、本郷三丁目にある屋敷に住んでいたので、その近藤登助が小川丁にある定火消の役屋敷を差配していた定火消の秋元一學の後任に任じられるや、当然、小川丁にある定火消の役屋敷に引き移ってきたわけだが、登助は役屋敷に着任するなり、益五郎を追い出そうとした。
登助は一學から定火消の役を引き継ぐに当たり、
「旗本の鷲巣式部殿がご子息、益五郎殿が居候しているが、そのままに…」
一學より内々にそう申し送りを受け、登助もそれを承知したにもかかわらず、いざ、定火消として小川丁にある定火消の役屋敷に着任するや、登助は早速、一學との約束を反故にして益五郎を追い出しにかかったのである。いや、それも無理からぬことではあった。何しろ登助は大身旗本として、
「曽祖父、そして父も務めた百人組之頭に己もいずれは取り立てられたい…」
との野望があり、さらに百人組之頭を足がかりに、さらに小姓組番頭や書院番頭、大番頭といった幕府の武官五番方のトップになりたいとの大望をも抱いており、そんな登助にとって益五郎の存在は出世の妨げにもなりかねず、ゆえに登助が益五郎を追い出そうとしたのも至極当然であった。
それに対して一學はさすがに驚いたものの、しかし、恩人からの頼みとあらば断るわけにもゆかず、二つ返事で引き受けた。
それでも一學は益五郎を預かるに当たり、
「なにぶんにもガエンどもが気性が荒く、それゆえ例え、ご子息殿が旗本の子弟であるとしても、遠慮なく手荒に扱うことと相成りましょうが、それでも構いませぬか?」
銕三郎にそう念押しした。それに対して銕三郎は元よりそれは承知しており、何より当人とも言うべき益五郎自身がそれを歓迎、それも大歓迎していたのだ。
そもそも益五郎が屋敷を出て、火消しと一緒に暮らしたいなどと言い出した背景には、若君様、若君様と、家臣からかしづかれた生活にほとほと嫌気がさしていたからであった。
こうして益五郎は家督を継ぐまで、という「期間限定」ではあったが、小川丁にある、秋元一學が差配する定火消の役屋敷に引き取られ、そこでガエンと共に起居することになったのである。
そして一學が念押ししたように、実際、ガエンたちの益五郎への接し方は中々に手荒く、殴られるのが日常茶飯事となった。無論、益五郎が旗本の子弟であるのを承知の上であった。
益五郎に落ち度があって殴られることもあれば、益五郎には何の落ち度もなく理不尽にも殴られることもあったが、しかし、益五郎には不思議とそのような暮らしが快適であった。少なくとも家臣どもにかしづかれるよりは余程に快適であり、例え理不尽に殴られようともガエンたちとのその暮らしの方が益五郎の性には合っていた。
そこで益五郎はガエンたちから喧嘩の「イロハ」も学んだ。いや、仕込まれたというべきであろう。
元より、益五郎は幼い時分より喧嘩が好きであり、それまで、ガエンたちと暮らすまでは己が一番喧嘩が強いとそう自負していたものだが、しかし、ガエンたちと暮らすようになってそれが何の根拠もないただの夢想に過ぎなかったと思い知らされた。
そう、ガエンたちの喧嘩の強さといったら言葉では言い表せないほどであり、益五郎がガエンどもに何度、立ち向かっても、そのたびにのされたものである。まだ十歳という年齢もあろうが、それにしてもガエンたちが手加減することはなく、それがまた、益五郎には心地良かった。
そうやって益五郎はガエンたちと日々、過ごすうち、生傷に比例して喧嘩の腕をめきめき上げたものである。
ちなみにその間、定火消は秋元一學から近藤登助壽用、そして今の三枝宗四郎守義へと代わったが、益五郎はその間もずっとガエンたちと暮らしていた。
いや、安永三(1774)年の11月6日に、益五郎にとっては夢を叶えてくれた正しく、「恩人」とも言うべき秋元一學がやはり病のためその職を辞したために、一學の後任としてやはり寄合にて待命中、求職中であった5450石余もの大身旗本である近藤登助が定火消に任じられた折には益五郎は役屋敷から追い出される危機に直面したものである。
近藤登助もまた屋敷は別にあり、本郷三丁目にある屋敷に住んでいたので、その近藤登助が小川丁にある定火消の役屋敷を差配していた定火消の秋元一學の後任に任じられるや、当然、小川丁にある定火消の役屋敷に引き移ってきたわけだが、登助は役屋敷に着任するなり、益五郎を追い出そうとした。
登助は一學から定火消の役を引き継ぐに当たり、
「旗本の鷲巣式部殿がご子息、益五郎殿が居候しているが、そのままに…」
一學より内々にそう申し送りを受け、登助もそれを承知したにもかかわらず、いざ、定火消として小川丁にある定火消の役屋敷に着任するや、登助は早速、一學との約束を反故にして益五郎を追い出しにかかったのである。いや、それも無理からぬことではあった。何しろ登助は大身旗本として、
「曽祖父、そして父も務めた百人組之頭に己もいずれは取り立てられたい…」
との野望があり、さらに百人組之頭を足がかりに、さらに小姓組番頭や書院番頭、大番頭といった幕府の武官五番方のトップになりたいとの大望をも抱いており、そんな登助にとって益五郎の存在は出世の妨げにもなりかねず、ゆえに登助が益五郎を追い出そうとしたのも至極当然であった。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
お江戸を指南所
朝山みどり
歴史・時代
千夏の家の門札には「お江戸を指南所」とおどけた字で書いてある。
千夏はお父様とお母様の三人家族だ。お母様のほうのお祖父様はおみやげを持ってよく遊びに来る。
そのお祖父様はお父様のことを得体の知れない表六玉と呼んでいて、お母様は失礼ね。人の旦那様のことをと言って笑っている。
そんな千夏の家の隣りに、「坊ちゃん」と呼ばれる青年が引っ越して来た。
お父様は最近、盗賊が出るからお隣りに人が来てよかったと喜こぶが、千夏は「坊ちゃん」はたいして頼りにならないと思っている。
そんなある日、友達のキヨちゃんが行儀見習いに行くことが決まり、二人は久しぶりに会った。
二人はお互いの成長を感じた。それは嬉しくてちょっと寂しいことだった。
そして千夏は「坊ちゃん」と親しくなるが、お隣りの幽霊騒ぎは盗賊の手がかりとなり、キヨちゃんが盗賊の手引きをする?まさか・・・
信濃の大空
ypaaaaaaa
歴史・時代
空母信濃、それは大和型3番艦として建造されたものの戦術の変化により空母に改装され、一度も戦わず沈んだ巨艦である。
そんな信濃がもし、マリアナ沖海戦に間に合っていたらその後はどうなっていただろう。
この小説はそんな妄想を書き綴ったものです!
前作同じく、こんなことがあったらいいなと思いながら読んでいただけると幸いです!
江戸時代改装計画
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。
「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」
頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。
ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。
(何故だ、どうしてこうなった……!!)
自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。
トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。
・アメリカ合衆国は満州国を承認
・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
明日の海
山本五十六の孫
歴史・時代
4月7日、天一号作戦の下、大和は坊ノ岬沖海戦を行う。多数の爆撃や魚雷が大和を襲う。そして、一発の爆弾が弾薬庫に被弾し、大和は乗組員と共に轟沈する、はずだった。しかし大和は2015年、戦後70年の世へとタイムスリップしてしまう。大和は現代の艦艇、航空機、そして日本国に翻弄される。そしてそんな中、中国が尖閣諸島への攻撃を行い、その動乱に艦長の江熊たちと共に大和も巻き込まれていく。
世界最大の戦艦と呼ばれた戦艦と、艦長江熊をはじめとした乗組員が現代と戦う、逆ジパング的なストーリー←これを言って良かったのか
主な登場人物
艦長 江熊 副長兼砲雷長 尾崎 船務長 須田 航海長 嶋田 機関長 池田
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる