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金四郎に味方せし者たち
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「遠山」
家慶(いえよし)に名を呼ばれて景元(かげもと)はそれまでの感傷が打ち破られ、我に返った。
「ははっ」
「何か申したきことがあれば聞いてやるぞ」
「さればお言葉に甘えまして一つだけ…、是非ともお尋ね申し上げたき儀(ぎ)がござりまする」
「何じゃ?」
「さればそれがしの後任の奉行は…」
景元(かげもと)がそう問いかけると、「控(ひか)えぃっ!」という忠邦(ただくに)の怒声が御座之間(ござのま)に響いた。
「後任の奉行なぞ、そなたの知ったことではあるまいっ!」
忠邦(ただくに)としては後任の北町奉行など、別に景元(かげもと)に知られたところで痛くも痒くもない筈(はず)であった。いずれ景元(かげもと)も知るところとなるからだ。それでも忠邦(ただくに)が遮(さえぎ)ったのはひとえに、
「これ以上、図に乗るなよ」
という気持ち、もっと言えば嫉妬(しっと)心からであった。将軍・家慶(いえよし)より直々に声をかけられ、のみならず、直答まで許された景元(かげもと)に忠邦(ただくに)は大いに嫉妬(しっと)心に駆(か)られた。
「将軍の寵愛を受けるのは俺一人で充分…」
忠邦(ただくに)はそんな気持ちすらあり、だからこそ、遮(さえぎ)ったのである。だが、
「控(ひか)えるのは越前(えちぜん)、そなたの方だ」
家慶(いえよし)より冷たい一瞥(いちべつ)と共に、そんな冷たい言葉を向けられ、忠邦(ただくに)は震え上がった。口ごたえなどしようものなら、いよいよ上様のご寵愛(ちょうあい)を失うやも知れぬ…、そう直感した忠邦(ただくに)は平伏(へいふく)した。
それを見て取った家慶(いえよし)は景元(かげもと)の方へと向き直ると、
「されば大坂町奉行の阿部(あべ)遠江守(とおとうみのかみ)正蔵(しょうぞう)ぞ」
景元(かげもと)にそう答えた。それに対して景元(かげもと)は、
「なるほど…」
と心底からうなずいた。大坂町奉行から江戸町奉行への昇進はまずまず順当な人事と言えたからだ。この時代に確立された江戸町奉行への昇進ルートとして最もポピュラーなのが勘定奉行からの昇進であり、景元(かげもと)が正にそうであった。そして次に多いのが大坂町奉行からの昇進であり、景元(かげもと)が「なるほど…」と思ったのもそのためである。
こうして将軍・家慶(いえよし)より直々に人事を発令されるという、大名並の異例の厚遇を受けた景元(かげもと)は大いに面目を施(ほどこ)し、御座之間(ござのま)を後にした。
景元(かげもと)が御座之間(ござのま)を退出するや、背後から「遠山」と声をかけられた。声の主はすぐに分かった。景元(かげもと)は立ち止まると、声の主の方へと振り返り、向き合うと、
「堀田様」
とその声の主の名を呼ぶや頭を下げた。
「遠山…」
声の主、もとい若年寄の堀田(ほった)摂津守(せっつのかみ)正衡(まさひら)は感極まった表情で、景元(かげもと)の元へとゆっくりと歩み寄った。
「済まぬな…」
正衡(まさひら)は景元(かげもと)と相対すると、謝罪の言葉を口にした。
「えっ…」
「わしの力が及ばず…」
どうやら堀田様は己の左遷人事に責任を感じておいでらしい…、そう気付いた景元(かげもと)は慌てて右手を振って見せた。
「滅相もござりませぬ。堀田様が反対して下さっただけで充分でござりまするよ」
家慶(いえよし)が御座之間(ござのま)より退出する間際(まぎわ)のことである。退出しようとする家慶(いえよし)を平伏(へいふく)してそれを見送る景元(かげもと)に対して、家慶(いえよし)はふと思い立ったように立ち止まると、平伏(へいふく)している景元(かげもと)の方へと再び向き直り、
「一つだけ、申し述べておくことがあった…」
そう思い出したように景元(かげもと)の頭上に声をかけると、景元(かげもと)の左遷人事案につき勝手掛若年寄の堀田(ほった)正衡(まさひら)のみがその左遷人事案に反対したと、告げたのであった。
「いや、嘘でもそう申してくれるとわしも少しくは肩の荷がおりるというものよ…」
「いえ、決して嘘ではござりませぬ」
「まぁ良いわさ。わしの政治生命もそう長くはないに相違あるまいて…」
正衡(まさひら)はそう言うと、遥(はる)か先を肩を怒らせて歩く忠邦(ただくに)の方を見やった。正衡(まさひら)が何を言わんとしているのか、景元(かげもと)にはすぐに分かった。
「まさか…」
まさか、堀田(ほった)様まで左遷の憂(う)き目にあうことはありますまい…、景元(かげもと)はそう示唆(しさ)したものの、正衡(まさひら)はその示唆(しさ)に対して苦笑いを浮かべつつ、頭を振って見せた。
「あれだけそなたの左遷人事に反対したのだ。水野殿も恐らくはこのわしを切る決心をなされたに相違あるまい」
正衡(まさひら)にそう言われると、景元(かげもと)は益々(ますます)肩身の狭い思いであった。するとそんな景元(かげもと)の様子を察した正衡(まさひら)は慌てて、「これは済まなんだ」と謝った。
「恩着せがましいことを口にして済まなんだ。別にそういうつもりで申したわけではないゆえに、そのように恐縮せずとも良い。それに…」
正衡(まさひら)はそこで言葉を区切ると、溜息(ためいき)を一つ、ついた。
「それに、何でござりまするか?」
景元(かげもと)が促(うなが)した。
「そなたがもう、町奉行職を追われるとなれば、わしももう、これ以上は若年寄を続ける意味がないでな…」
「左様な…、お気の弱いことを仰(おお)せられまするな…」
「いや、事実だ。そなたが町奉行であったからこそ、このわしも若年寄の仕事にやりがいを感じておったのだ。だがその、わしにやりがいを感じさせてくれたそなたがもう、町奉行でないならば、このわしもこれ以上、若年寄を続けるつもりは毛頭ない」
「堀田様…」
「まぁ、今すぐというわけでもあるまいが、それでもおっつけわしもそなたの後を追うであろうよ」
正衡(まさひら)はそう告げると、景元(かげもと)の元を去って行った。
御座之間(ござのま)を退出した景元(かげもと)はその足で表向(おもてむき)の中之間(なかのま)に向かった。景元(かげもと)は未だ北町奉行職にあり…、後任の阿部(あべ)遠江守(とおとうみのかみ)正蔵(しょうぞう)が北町奉行に着任するのは今月、2月の晦日(みそか)、すなわち30日であり、それまでは景元(かげもと)は北町奉行であった。
そして江戸町奉行の殿中席…、詰(つ)める席は本来、芙蓉之間(ふようのま)であり、それゆえ景元(かげもと)が向かうべきは芙蓉之間(ふようのま)であったが、間もなく昼になろうとしていたので、あえて芙蓉之間(ふようのま)には向かわずに中之間(なかのま)へと向かったのである。
どういうことかと言うと、昼になると老中が江戸城本丸の表向(おもてむき)の各部屋を見廻る、
「廻り」
という習慣があったためである。この「廻り」は特別な行事日を除いて…、例えば毎月ある、月次(つきなみ)御礼(おんれい)なる諸大名や旗本らの登城日などを除いて、平日は毎日行われる。
そして本来、殿中席が芙蓉之間(ふようのま)である留守居(るすい)や大目付、町奉行や勘定奉行、作事奉行や普請(ふしん)奉行らは昼前になるとぞろぞろと芙蓉之間(ふようのま)を後にして、中之間(なかのま)へと向かい、そこで中之間(なかのま)が殿中席である小普請(こぶしん)奉行や目付と共に老中の「廻り」を待ち受けるのである。それゆえ景元(かげもと)はあえて芙蓉之間(ふようのま)には戻らずに中之間(なかのま)へと向かったのである。
中之間(なかのま)には既に、芙蓉之間(ふようのま)より移動してきた大目付らの姿があった。南町奉行の鳥居(とりい)耀蔵(ようぞう)と、それに公事方勘定奉行の跡部(あとべ)能登守(のとのかみ)良弼(よしすけ)の姿もあった。ちなみに跡部(あとべ)良弼(よしすけ)は老中・水野(みずの)忠邦(ただくに)の実弟である。それゆえ忠邦(ただくに)の腹心の部下とも言うべき耀蔵(ようぞう)と忠邦(ただくに)の実弟である良弼(よしすけ)は仲良し…、と思われがちだが、それは大いなる誤解であった。
耀蔵(ようぞう)と良弼(よしすけ)は共に忠邦(ただくに)と縁がありながらも互いに反目(はんもく)し合っていた。いや、反目(はんもく)などという生易(なまやさ)しいものではなかった。憎悪し合っていたのだ。
もしこれで良弼(よしすけ)が忠邦(ただくに)の実弟でなかったならば、耀蔵(ようぞう)は定謙(さだかた)にしたのと同様、良弼(よしすけ)をも無実の罪に堕(お)としていたに違いなかった。
どうして二人がここまで反目(はんもく)するようになったかと言えば、それは互いに策士(さくし)気取りであるが故の、近親(きんじん)憎悪(ぞうお)であった。だがどちらかと言えば耀蔵(ようぞう)の方が一方的に良弼(よしすけ)のことを憎悪(ぞうお)し、良弼(よしすけ)もそんな耀蔵(ようぞう)のことを憎悪(ぞうお)するようになった、という側面がある。
それでは耀蔵(ようぞう)は何ゆえに良弼(よしすけ)のことを憎悪(ぞうお)するようになったのかと言うと、それはズバリ良弼(よしすけ)のその腰の定まらぬ態度にあった。
どういうことかと言うと、耀蔵(ようぞう)は忠邦(ただくに)一筋(ひとすじ)、忠邦(ただくに)のためならばと、忠邦(ただくに)の邪魔になる者は…、例えば矢部(やべ)定謙(さだかた)である…、例え無実の罪に堕(お)としてでも排除する…、そんな気概があるのに対して、良弼(よしすけ)にはそんな気概は微塵(みじん)も窺(うかが)えなかった。それどころか、所謂(いわゆる)、
「反・水野派」
とでも呼ぶべき者とも親しく交わっていた。例えば中奥(なかおく)において、忠邦(ただくに)の推し進める改革に猛反対する「抵抗勢力」の旗印である御側御用取次の新見(しんみ)正路(まさみち)とも親しく交わっていた。忠邦(ただくに)の実弟である良弼(よしすけ)がなぜ、という疑問が当然出てくるであろうが、その点、良弼(よしすけ)は極めて冷徹である、というのがその答えであった。
良弼(よしすけ)は老中・忠邦(ただくに)の実弟として、忠邦(ただくに)の威光をバックにここまでのし上がってきた。当然、良弼(よしすけ)は実兄である忠邦(ただくに)に感謝すべきであり、実際、良弼(よしすけ)は実兄である忠邦(ただくに)に感謝していた。だが同時に良弼(よしすけ)は、
「兄上が推し進められる改革はそのうち失敗に終わるに相違あるまい…」
そう冷徹に見通してもいた。良弼(よしすけ)としてはこれまで自分を引き立ててくれた実兄・忠邦(ただくに)に感謝はするものの、実兄・忠邦(ただくに)の推し進める「改革」が失敗に終わった時、忠邦(ただくに)が失脚するのは当然として、実兄・忠邦(ただくに)の威光(いこう)をバックにここまで出世してきた己も連坐(れんざ)する格好で失脚するやも知れず、良弼(よしすけ)としては兄・忠邦(ただくに)の「トバッチリ」を食うのは御免(ごめん)であった。
そこで良弼(よしすけ)はいつ「改革」が失敗に終わっても良いように、つまりはいつ、実兄・忠邦(ただくに)が失脚しても良いように、それに備えて今のうちから「反・水野派」とも仲良くしていたわけである。
なるほど、忠邦(ただくに)一筋(ひとすじ)の耀蔵(ようぞう)からすれば、良弼(よしすけ)のこの態度は、
「腰の定まらぬ…」
態度とその瞳に映るに違いなかった。だが裏を返せば、良弼(よしすけ)はそれだけ
「したたか」
と言うことも出来、したたかさという点においては良弼(よしすけ)は耀蔵(ようぞう)よりも遥(はる)かに優っていた。
この時もまた…、景元(かげもと)が御座之間(ござのま)より直接、中之間(なかのま)へと向かい、そうして中之間(なかのま)に姿を見せた時もまた、既に景元(かげもと)のことを、敬愛してやまない忠邦(ただくに)の推し進める「改革」の最大の障碍(しょうがい)物として、景元(かげもと)のことを今やすっかり「敵」認定した耀蔵(ようぞう)が景元(かげもと)のことを完全無視していたのに対して良弼(よしすけ)は立ち上がると、中之間(なかのま)の出入口に立つ景元(かげもと)の元へと自ら足を運んだものである。
家慶(いえよし)に名を呼ばれて景元(かげもと)はそれまでの感傷が打ち破られ、我に返った。
「ははっ」
「何か申したきことがあれば聞いてやるぞ」
「さればお言葉に甘えまして一つだけ…、是非ともお尋ね申し上げたき儀(ぎ)がござりまする」
「何じゃ?」
「さればそれがしの後任の奉行は…」
景元(かげもと)がそう問いかけると、「控(ひか)えぃっ!」という忠邦(ただくに)の怒声が御座之間(ござのま)に響いた。
「後任の奉行なぞ、そなたの知ったことではあるまいっ!」
忠邦(ただくに)としては後任の北町奉行など、別に景元(かげもと)に知られたところで痛くも痒くもない筈(はず)であった。いずれ景元(かげもと)も知るところとなるからだ。それでも忠邦(ただくに)が遮(さえぎ)ったのはひとえに、
「これ以上、図に乗るなよ」
という気持ち、もっと言えば嫉妬(しっと)心からであった。将軍・家慶(いえよし)より直々に声をかけられ、のみならず、直答まで許された景元(かげもと)に忠邦(ただくに)は大いに嫉妬(しっと)心に駆(か)られた。
「将軍の寵愛を受けるのは俺一人で充分…」
忠邦(ただくに)はそんな気持ちすらあり、だからこそ、遮(さえぎ)ったのである。だが、
「控(ひか)えるのは越前(えちぜん)、そなたの方だ」
家慶(いえよし)より冷たい一瞥(いちべつ)と共に、そんな冷たい言葉を向けられ、忠邦(ただくに)は震え上がった。口ごたえなどしようものなら、いよいよ上様のご寵愛(ちょうあい)を失うやも知れぬ…、そう直感した忠邦(ただくに)は平伏(へいふく)した。
それを見て取った家慶(いえよし)は景元(かげもと)の方へと向き直ると、
「されば大坂町奉行の阿部(あべ)遠江守(とおとうみのかみ)正蔵(しょうぞう)ぞ」
景元(かげもと)にそう答えた。それに対して景元(かげもと)は、
「なるほど…」
と心底からうなずいた。大坂町奉行から江戸町奉行への昇進はまずまず順当な人事と言えたからだ。この時代に確立された江戸町奉行への昇進ルートとして最もポピュラーなのが勘定奉行からの昇進であり、景元(かげもと)が正にそうであった。そして次に多いのが大坂町奉行からの昇進であり、景元(かげもと)が「なるほど…」と思ったのもそのためである。
こうして将軍・家慶(いえよし)より直々に人事を発令されるという、大名並の異例の厚遇を受けた景元(かげもと)は大いに面目を施(ほどこ)し、御座之間(ござのま)を後にした。
景元(かげもと)が御座之間(ござのま)を退出するや、背後から「遠山」と声をかけられた。声の主はすぐに分かった。景元(かげもと)は立ち止まると、声の主の方へと振り返り、向き合うと、
「堀田様」
とその声の主の名を呼ぶや頭を下げた。
「遠山…」
声の主、もとい若年寄の堀田(ほった)摂津守(せっつのかみ)正衡(まさひら)は感極まった表情で、景元(かげもと)の元へとゆっくりと歩み寄った。
「済まぬな…」
正衡(まさひら)は景元(かげもと)と相対すると、謝罪の言葉を口にした。
「えっ…」
「わしの力が及ばず…」
どうやら堀田様は己の左遷人事に責任を感じておいでらしい…、そう気付いた景元(かげもと)は慌てて右手を振って見せた。
「滅相もござりませぬ。堀田様が反対して下さっただけで充分でござりまするよ」
家慶(いえよし)が御座之間(ござのま)より退出する間際(まぎわ)のことである。退出しようとする家慶(いえよし)を平伏(へいふく)してそれを見送る景元(かげもと)に対して、家慶(いえよし)はふと思い立ったように立ち止まると、平伏(へいふく)している景元(かげもと)の方へと再び向き直り、
「一つだけ、申し述べておくことがあった…」
そう思い出したように景元(かげもと)の頭上に声をかけると、景元(かげもと)の左遷人事案につき勝手掛若年寄の堀田(ほった)正衡(まさひら)のみがその左遷人事案に反対したと、告げたのであった。
「いや、嘘でもそう申してくれるとわしも少しくは肩の荷がおりるというものよ…」
「いえ、決して嘘ではござりませぬ」
「まぁ良いわさ。わしの政治生命もそう長くはないに相違あるまいて…」
正衡(まさひら)はそう言うと、遥(はる)か先を肩を怒らせて歩く忠邦(ただくに)の方を見やった。正衡(まさひら)が何を言わんとしているのか、景元(かげもと)にはすぐに分かった。
「まさか…」
まさか、堀田(ほった)様まで左遷の憂(う)き目にあうことはありますまい…、景元(かげもと)はそう示唆(しさ)したものの、正衡(まさひら)はその示唆(しさ)に対して苦笑いを浮かべつつ、頭を振って見せた。
「あれだけそなたの左遷人事に反対したのだ。水野殿も恐らくはこのわしを切る決心をなされたに相違あるまい」
正衡(まさひら)にそう言われると、景元(かげもと)は益々(ますます)肩身の狭い思いであった。するとそんな景元(かげもと)の様子を察した正衡(まさひら)は慌てて、「これは済まなんだ」と謝った。
「恩着せがましいことを口にして済まなんだ。別にそういうつもりで申したわけではないゆえに、そのように恐縮せずとも良い。それに…」
正衡(まさひら)はそこで言葉を区切ると、溜息(ためいき)を一つ、ついた。
「それに、何でござりまするか?」
景元(かげもと)が促(うなが)した。
「そなたがもう、町奉行職を追われるとなれば、わしももう、これ以上は若年寄を続ける意味がないでな…」
「左様な…、お気の弱いことを仰(おお)せられまするな…」
「いや、事実だ。そなたが町奉行であったからこそ、このわしも若年寄の仕事にやりがいを感じておったのだ。だがその、わしにやりがいを感じさせてくれたそなたがもう、町奉行でないならば、このわしもこれ以上、若年寄を続けるつもりは毛頭ない」
「堀田様…」
「まぁ、今すぐというわけでもあるまいが、それでもおっつけわしもそなたの後を追うであろうよ」
正衡(まさひら)はそう告げると、景元(かげもと)の元を去って行った。
御座之間(ござのま)を退出した景元(かげもと)はその足で表向(おもてむき)の中之間(なかのま)に向かった。景元(かげもと)は未だ北町奉行職にあり…、後任の阿部(あべ)遠江守(とおとうみのかみ)正蔵(しょうぞう)が北町奉行に着任するのは今月、2月の晦日(みそか)、すなわち30日であり、それまでは景元(かげもと)は北町奉行であった。
そして江戸町奉行の殿中席…、詰(つ)める席は本来、芙蓉之間(ふようのま)であり、それゆえ景元(かげもと)が向かうべきは芙蓉之間(ふようのま)であったが、間もなく昼になろうとしていたので、あえて芙蓉之間(ふようのま)には向かわずに中之間(なかのま)へと向かったのである。
どういうことかと言うと、昼になると老中が江戸城本丸の表向(おもてむき)の各部屋を見廻る、
「廻り」
という習慣があったためである。この「廻り」は特別な行事日を除いて…、例えば毎月ある、月次(つきなみ)御礼(おんれい)なる諸大名や旗本らの登城日などを除いて、平日は毎日行われる。
そして本来、殿中席が芙蓉之間(ふようのま)である留守居(るすい)や大目付、町奉行や勘定奉行、作事奉行や普請(ふしん)奉行らは昼前になるとぞろぞろと芙蓉之間(ふようのま)を後にして、中之間(なかのま)へと向かい、そこで中之間(なかのま)が殿中席である小普請(こぶしん)奉行や目付と共に老中の「廻り」を待ち受けるのである。それゆえ景元(かげもと)はあえて芙蓉之間(ふようのま)には戻らずに中之間(なかのま)へと向かったのである。
中之間(なかのま)には既に、芙蓉之間(ふようのま)より移動してきた大目付らの姿があった。南町奉行の鳥居(とりい)耀蔵(ようぞう)と、それに公事方勘定奉行の跡部(あとべ)能登守(のとのかみ)良弼(よしすけ)の姿もあった。ちなみに跡部(あとべ)良弼(よしすけ)は老中・水野(みずの)忠邦(ただくに)の実弟である。それゆえ忠邦(ただくに)の腹心の部下とも言うべき耀蔵(ようぞう)と忠邦(ただくに)の実弟である良弼(よしすけ)は仲良し…、と思われがちだが、それは大いなる誤解であった。
耀蔵(ようぞう)と良弼(よしすけ)は共に忠邦(ただくに)と縁がありながらも互いに反目(はんもく)し合っていた。いや、反目(はんもく)などという生易(なまやさ)しいものではなかった。憎悪し合っていたのだ。
もしこれで良弼(よしすけ)が忠邦(ただくに)の実弟でなかったならば、耀蔵(ようぞう)は定謙(さだかた)にしたのと同様、良弼(よしすけ)をも無実の罪に堕(お)としていたに違いなかった。
どうして二人がここまで反目(はんもく)するようになったかと言えば、それは互いに策士(さくし)気取りであるが故の、近親(きんじん)憎悪(ぞうお)であった。だがどちらかと言えば耀蔵(ようぞう)の方が一方的に良弼(よしすけ)のことを憎悪(ぞうお)し、良弼(よしすけ)もそんな耀蔵(ようぞう)のことを憎悪(ぞうお)するようになった、という側面がある。
それでは耀蔵(ようぞう)は何ゆえに良弼(よしすけ)のことを憎悪(ぞうお)するようになったのかと言うと、それはズバリ良弼(よしすけ)のその腰の定まらぬ態度にあった。
どういうことかと言うと、耀蔵(ようぞう)は忠邦(ただくに)一筋(ひとすじ)、忠邦(ただくに)のためならばと、忠邦(ただくに)の邪魔になる者は…、例えば矢部(やべ)定謙(さだかた)である…、例え無実の罪に堕(お)としてでも排除する…、そんな気概があるのに対して、良弼(よしすけ)にはそんな気概は微塵(みじん)も窺(うかが)えなかった。それどころか、所謂(いわゆる)、
「反・水野派」
とでも呼ぶべき者とも親しく交わっていた。例えば中奥(なかおく)において、忠邦(ただくに)の推し進める改革に猛反対する「抵抗勢力」の旗印である御側御用取次の新見(しんみ)正路(まさみち)とも親しく交わっていた。忠邦(ただくに)の実弟である良弼(よしすけ)がなぜ、という疑問が当然出てくるであろうが、その点、良弼(よしすけ)は極めて冷徹である、というのがその答えであった。
良弼(よしすけ)は老中・忠邦(ただくに)の実弟として、忠邦(ただくに)の威光をバックにここまでのし上がってきた。当然、良弼(よしすけ)は実兄である忠邦(ただくに)に感謝すべきであり、実際、良弼(よしすけ)は実兄である忠邦(ただくに)に感謝していた。だが同時に良弼(よしすけ)は、
「兄上が推し進められる改革はそのうち失敗に終わるに相違あるまい…」
そう冷徹に見通してもいた。良弼(よしすけ)としてはこれまで自分を引き立ててくれた実兄・忠邦(ただくに)に感謝はするものの、実兄・忠邦(ただくに)の推し進める「改革」が失敗に終わった時、忠邦(ただくに)が失脚するのは当然として、実兄・忠邦(ただくに)の威光(いこう)をバックにここまで出世してきた己も連坐(れんざ)する格好で失脚するやも知れず、良弼(よしすけ)としては兄・忠邦(ただくに)の「トバッチリ」を食うのは御免(ごめん)であった。
そこで良弼(よしすけ)はいつ「改革」が失敗に終わっても良いように、つまりはいつ、実兄・忠邦(ただくに)が失脚しても良いように、それに備えて今のうちから「反・水野派」とも仲良くしていたわけである。
なるほど、忠邦(ただくに)一筋(ひとすじ)の耀蔵(ようぞう)からすれば、良弼(よしすけ)のこの態度は、
「腰の定まらぬ…」
態度とその瞳に映るに違いなかった。だが裏を返せば、良弼(よしすけ)はそれだけ
「したたか」
と言うことも出来、したたかさという点においては良弼(よしすけ)は耀蔵(ようぞう)よりも遥(はる)かに優っていた。
この時もまた…、景元(かげもと)が御座之間(ござのま)より直接、中之間(なかのま)へと向かい、そうして中之間(なかのま)に姿を見せた時もまた、既に景元(かげもと)のことを、敬愛してやまない忠邦(ただくに)の推し進める「改革」の最大の障碍(しょうがい)物として、景元(かげもと)のことを今やすっかり「敵」認定した耀蔵(ようぞう)が景元(かげもと)のことを完全無視していたのに対して良弼(よしすけ)は立ち上がると、中之間(なかのま)の出入口に立つ景元(かげもと)の元へと自ら足を運んだものである。
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結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
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