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次郎吉は転生者である田沼意知や佐野善左衛門の異世界案内人を務めたのは平賀源内だと知り大いに驚かされ、同時に釈然としないものを感じる。

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 タケヤスとハチボクがアソー邸をあとにすると、アソーは側近であるコーノ秘書官を呼び出した。アソーは人の気持ちというものが全くもって分からず、にもかかわらず、意知が造幣局の職員から嫌われ、あるいは警備課の職員から妬まれていると、そのことを把握していたのはひとえにコーノ秘書官のお蔭であり、つまりはコーノがアソーにその辺の事情をレクチャーしていたのだ。

「話は聞いていたな?」

 アソーはコーノにそう尋ねると、コーノは頷き、そして二人は意知を嵌めるための工作について具体的な詰めの作業へと入った。

 一方、その頃、次郎吉は河内山宗春が働くカフェを出ると、意知と家基と別れて、異世界案内人のアサカの案内によりこれから自分が住むことになる住処へと案内された。

 そこは長屋を髣髴とさせるものであり、つまりは共同体の住宅で、異世界においては何でも「アパートメント」、通称、「アパート」と称されていた。

 アサカの案内により部屋へと入った次郎吉がまず驚かされたのは部屋に雪隠と風呂が備え付けられていたことであった。雪隠と風呂が備え付けられている家と言えば、次郎吉がかつていた江戸の世界においては大名屋敷や旗本屋敷か、さもなくば豪商の屋敷程度であり、御家人でさえ屋敷の中に雪隠と風呂の二つが備え付けられているなど考えられなかった。

 まして次郎吉のような一介の大工が住んでいた長屋に至っては到底、考えられない話であった。

 もっとも広さという点では長屋とそれほど変わらず、次郎吉はすぐに順応できた。

 だが次郎吉はそれからすぐに「いや…」と思い直した。

「意知様や家基公もかつてはこのアパートに?」

 次郎吉はそのことが気になり、アサカに尋ねた。するとアサカは「勿論」と即答したので、次郎吉を心底、驚かせた。

「よく順応できたなぁ…」

 それこそが次郎吉を驚かせた要因であった。

 大名暮らしの意知には長屋住まいというのは中々に辛いものがあったに違いなかった。まして次期将軍様として育てられていた家基は言うに及ばずであろう。

 するとそうと察したアサカが更に詳しい事情を教えてくれた。

「家基様は最初は孤児院で育てられていて、意知様がそのあとこの異世界に転生して、そして意知様は家基様を孤児院から引き取り、このアパートで暮らし始めたのよ…」

「ああ、たしかそういう話だったよな…、家基公を孤児院から引き取った、って…」

「ええ。で、意知様は働きながら勉強して…、それも町の清掃員として働きながら勉強して、そして公務員試験に受かって財務省に入省すると、ここを引き払って財務省の職員専用宿舎へと引き移ったのよ…」

「清掃員って…、意知様はゴミ屋として働いていたってのか?」

 次郎吉は目を丸くした。

「そうよ」

 次郎吉には信じられてなかった。ゴミ屋と言えば次郎吉がいた江戸の世界においてはエタ・非人の仕事であった。その仕事をこともあろうに意知が…、大名の子息であった意知が務めていたとは、いや、意知も良くぞゴミ屋の仕事を務められたものだと、次郎吉はそのことに驚きと、そして感動さえも覚えたほどであった。

「意知様ともあろうお方がかつてはゴミ屋として働いていたとは…、いや、大した順応性だな…」

 次郎吉が思わずそう口にすると、アサカも「ホントよね…」と応じ、続けざま「善左衛門って野郎とは大違いよ」とも付け加えた。

「ぜんざえもん?」

 次郎吉が聞き返すと、「ああ、佐野善左衛門ね」とアサカは返した。

「佐野善左衛門って、まさか…」

「そのまさかよ」

「意知様を斬った?」

「そう。意知様がこの異世界に転生してきてから間もなくして、善左衛門って野郎も転生してきたのよ」

 佐野善左衛門は江戸城中において田沼意知を斬り、そして意知が卒去後、その時点で善左衛門は乱心と認定され、詮議は打ち切り、小伝馬町の牢屋敷にて切腹して果てた。いや、切腹とは言え実際には斬首刑であり、確かにこの異世界への転生理由である、

「非業の死」

 には違いないものの、しかし、次郎吉には何だか釈然としないものを感じたが、しかし次郎吉はそれは口にはせずに、

「その善左衛門の野郎は意知様とは違って、中々、順応できなかったってことか?この異世界の風習とやらに…」

 アサカにそのことを尋ねたのであった。

「中々どころか、遂に順応できなかったそうよ」

「できなかったそうよ、って…、善左衛門の案内人を勤めたのはあんたじゃねぇのか?」

 次郎吉がそう尋ねると、アサカは頭を振り、そして意外な人物の名を挙げた。

「私じゃなく、平賀源内先生が務めたのよ」

「平賀、源内って…、あの大工を斬り捨てた?」

「ええ」

「その平賀源内が佐野善左衛門の案内人を…、異世界案内人とやらを務めたと?」

「そうよ。ううん…、善左衛門だけじゃなく、意知様の異世界案内人も務めたのよ」

 これには次郎吉も心底、驚かされ。

「平賀源内が意知様や、善左衛門の異世界案内人を務めただと?」

「そうよ。源内先生は意知様や善左衛門がこの異世界に転生してくる前にこの異世界に転生してきて…」

「平賀源内もまた、非業の死を遂げたから、この異世界に転生してきたと?」

「ええ。小伝馬町の牢屋敷で破傷風を患い獄死した…、だから一応は病死なのかも知れないけれど、実際にはまともな治療を受けさせてもらえずに病死したわけだから、これはもう殺されたも同然ってことで…」

「非業の死認定されたってわけか?」

「たぶんね」

 そう答えるアサカに対して次郎吉はやはり釈然としないものを感じたが、しかし、その場ではその正体を口にはしなかった。

「源内は確か…、意知様や善左衛門よりも先にこの異世界に転生してきたって話だが、具体的には…、どれぐらい前に転生してきたんだ?」

「確か5年前って話だったわよ」

「源内から直に聞いたんだな?」

「ええ」

「つまり、源内は異世界に転生後、たった5年で異世界案内人を務めるに至ったてわけか?」

 次郎吉がそう尋ねると、アサカは次郎吉が何を言いたいのかに気付いた様子であった。

「たった5年で果たして異世界案内人が務められるものか…、それが気になってんでしょ?」

「ああ。その通りだ…」

「これは結構、早い方だわね」

「やっぱりそうか…」

「ううん。実際には源内先生は意知様や善左衛門の異世界案内人を務めるよりも前から、別の転生人の異世界案内人も務めていたのよ」

「ってことは何だ?源内は転生後、一体、いつから…、どれぐれえ経ってから異世界案内人を務めるようになったんだ?」

「1年よ」

「1年…、転生後、たったの1年で異世界案内人を務めるに至ったと?」

「そういうこと。何しろ源内先生は頭の回転が物凄く速くて、異世界の風習は勿論、学問もあっという間に吸収したらしくて、すぐに学校…、ああ、寺子屋のようなものね、その学校やあるいは孤児院で子供達に学問を教える先生…、師範になったのよ」

「なるほど…、それで源内先生というわけか…」

 次郎吉にはようやくにアサカが何ゆえに源内を先生呼ばわりして敬うのか、そのことに合点がいった。

「それだけじゃなく、私の先生でもあったのよ…」

「それってまさか…、あんた…」

「あんたじゃないわよ。アサカよ」

「ああ、済まねぇ…、アサカの案内人でもあったってわけか?源内は…、いや、源内先生は…」

 次郎吉がそう勘を働かせると、アサカは頷いた。

「源内先生は転生後の私に対して、この異世界で一本立ち出来るようにと、案内人にならないかって…」

「源内先生にそう誘われて、それでアサカは源内先生から異世界案内人のイロハを教わり、こうして異世界案内人として一本立ち出来るようになった、ってわけか?」

「その通りよ」
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