喝鳶大名・内田正容

ご隠居

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武士との縁を彫りで消す

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「まぁ、がれ」

 せがれ貞吉さだきちつめたく出迎でむかえたちち貞通さだみちではあったが、しかしめずらしく貞吉さだきちたいして座敷ざしきがるようめいじた。

 それにたいして貞吉さだきちには親父おやじ言付いいつけ無視むしするとの選択肢せんたくしもあったが、

親父殿おやじどの言付いいつけはとりあえずくだけはいておやりなさい…」

 不意ふいに「めぐみ」のかしらのその言葉ことば脳裏のうりよみがえり、貞吉さだきち不承不承ふしょうぶしょうではあったが座敷ざしきがり、親父おやじ向合むきあった。

貞吉さだきちよろこべ」

 貞通さだみちせがれ貞吉さだきち向合むきあうなり、そうこえをかけた。

 貞吉さだきちにはわけからず、肩膝かたひざてた姿勢しせいで「なんだ?」とうた。とてもおやたいする態度たいどではなかったものの、貞通さだみち今更いまさら、そんな愚息ぐそくしかるつもりは毛頭もうとうなかったので、かまわずにつづけた。

はなしだ」

なんだ?わるはなしってのは…」

あたまだけではのうて、みみまでわるくなったのか?」

「あんたにとってのはなしは、おれにとっちゃぁわるはなしなんだよ。で、なんだ?勿体もったいぶらねぇではやく言え」

「おまえ縁組えんぐみはなしだ」

「このおれに?どこのどいつだ?そんな酔狂すいきょう野郎やろうは…」

いておどろけ、大名家だいみょうけぞ…」

 ちち貞通さだみちめいじられるまでもなく、貞吉さだきち心底しんそこおどろいた。

大名だいみょうがこのおれ養子ようしにしたい、だと?」

 貞吉さだきちはそうたしかめずにはいられなかった。

左様さよう…」

「どこのどいつだ?そんな酔狂すいきょう野郎やろうは…」

「されば小見川おみがわ藩主はんしゅ内田うちだ近江守おうみのかみ正肥様まさもとさまぞ…、いやただしくはその父上ちちうえ正純様まさずみさまもうすべきであろうな…」

 つまりはこういうことである。

 いま小見川おみがわ藩主はんしゅ内田うちだ正肥まさもと病床びょうしょうにあり、そこでいま隠居いんきょである正肥まさもとちち長雲ちょううんごうする正純まさずみ病床びょうしょうせがれ正肥まさもとわって養嗣子ようししさがし、そこで白羽しらはてられたのがほかならぬ貞吉さだきちであった。

「それにしてもなんだって、長雲ちょううん隠居いんきょさんはおれなんぞに白羽しらはてたんだい?」

 それが貞吉さだきちにはからなかった。

「されば正純様まさずみさまはこの貞通さだみちおいにて…」

 貞吉さだきちちち石河いしこ貞通さだみちじつ岡田おかだ藩主はんしゅ伊東いとう若狭守わかさのかみ長丘ながおか五男ごなんであり、庶子しょしであるゆえいえげず、しかし大名だいみょう庶子しょしということで、大身旗本たいしんはたもとであるこの石河家いしこけ養嗣子ようししとしてむかえられたのだ。

 その伊東いとう長丘ながおかには泰子やすこなるむすめもおり、この泰子やすこ貞通さだみちじつあねたり、小見川おみがわ藩主はんしゅであった内田うちだ近江守おうみのかみ正良まさよしもとへととつぎ、内田うちだ正良まさよし泰子やすことのあいだまれたのが正純まさずみであったのだ。

 それゆえ石河いしこ貞通さだみち内田うちだ正純まさずみとは叔父おじおい関係かんけいにあったのだ。

「それなら、さまなんてける必要ひつようもねぇだろ?おいなんだから…」

「そうはゆくまい。かりにも正純様まさずみさま大名だいみょう…、それにとし正純様まさずみさまほうがこの貞通さだみちよりも三つもうえなれば…」

「ああ、そうかい…、で、その長雲ちょううん隠居いんきょさんは親戚しんせきよしみで、親父おやじたより、で親父おやじ親父おやじでそれならと、おれ名前なまえしたということかい?」

左様さよう…」

「で、長雲ちょううん隠居いんきょさんは、おれがどういう野郎やろうか、存知ぞんじうえで、それでもこのおれ養嗣子ようししむかえたいってことかい?それともまさか、おれがどういう野郎やろうか、長雲ちょううん隠居いんきょさんにはだまって、小見川おみがわはんへと送込おくりこもうって算段さんだんかえ?」

 それなら悪質極あくしつきわまる在庫一掃ざいこいっそうセールである。

 だがちち貞通さだみちかぶりった。

 内田うちだ正純まさずみなにもかも承知しょうちうえで、それでも貞吉さだきち養嗣子ようししもらけたいとのことであった。

「そいつはまた、酔狂すいきょうなこった…」

 貞吉さだきちはそう繰返くりかえしたものの、しかしちち貞通さだみち言葉ことば全面的ぜんめんてきしんじたわけではなかった。

 内田うちだ正純まさずみたいしてちち貞通さだみちはやはり、貞吉さだきちについて真実しんじつ打明うちあけずに養嗣子ようししとして送込おくりこもうとしている―、その可能性かのうせいもあったからだ。

 そこで貞吉さだきちはあと一月ひとつきってしいとちち貞通さだみち懇請こんせいした。

大名だいみょう養嗣子ようししともなればいまみたいに、手前テメエ気儘きままゆるされねぇからよ…」

 せめて最後さいご一月ひとつき自由じゆうにさせてしいと、そう懇請こんせいしたのであった。

 するとちち貞通さだみち貞吉さだきちのそのねがいを聞届ききとどけた。ここで下手へた駄目だめだと、貞吉さだきちさえつけようものなら、

「それならおれ養嗣子ようししにはならねぇよ…」

 そう言出いいだしかねなかったからだ。

 そこでちち貞通さだみちせがれねがいを聞届ききとどけたのであった。

 貞吉さだきちはそんなちち貞通さだみちたいしてさら願事ねがいごとをした。

「それと小遣こづかいも…」

 貞吉さだきちはそう言うと、「ピースサイン」とつくってみせた。

 たしてちち貞通さだみち貞吉さだきち期待きたいしたとおり、手文庫てぶんこより切餅二きりもちふたつを取出とりだすと、それをせがれ貞吉さだきちにぎらせた。

「それじゃあ一月ひとつき…、6月にまた…」

 もどってると、貞吉さだきちちち貞通さだみちにそうつたえ、すると貞通さだみちおそくとも6月9日までにはここへもどるよう、貞吉さだきちめいじた。

 どうやらそのが「見合みあい」のらしい。

 6月9日まではまだ、一月ひとつき以上いじょうもあったので、それなら充分じゅうぶんぎるだろうと、貞吉さだきちはそうおもい、かったよ、とおうじた。

 それから貞吉さだきちふたたび、今度こんど切餅二きりもちふたつをかかえて屋敷やしきると、そのあしでしかし、「めぐみ」へはもどらずに、顔見知かおみしりの伊之助いのすけもとへとかった。

 伊之助いのすけ彫師ほりしであった。

 貞吉さだきちとびあこがれたのはその背負せお彫物ほりものにあった。

おれもいつかは彫物ほりもの背負しょいてぇ…」

 貞吉さだきちおさなころからそうねがい、14のはる屋敷やしき飛出とびだしたのであった。

 それから「めぐみ」で世話せわになるうち伊之助いのすけ顔見知かおみしりとなったのである。

 貞吉さだきちはその伊之助いのすけもとおとずれると、ちち貞通さだみちより強請ねだった切餅二きりもちふたつを伊之助いのすけまえんだ。

「これでおれ背中せなってくれよな」

 一月ひとつき以上いじょうあれば背中せなか見事みごと彫物ほりものかすことが出来できるにちがいない。

 一月ひとつき以上いじょうあれば充分じゅうぶんとは、そういう意味いみであった。

本当ホントいのかい?」

 伊之助いのすけ貞吉さだきち意思いし確認かくにんをした。

 背中せなか彫物ほりもの背負せおうということは武士ぶし世界せかいからあしあらうことを意味いみするからだ。

 武士ぶし彫物ほりもの背負せおうなど、到底とうていゆるされなかったからだ。

 それでもなお背中せなか彫物ほりもの背負せおうということは、それは武士ぶし世界せかいからあしあらうことを意味いみする。

 貞吉さだきちもそれはかっており、だからこそ彫物ほりもの背負せおうとめたのだ。

 彫物ほりもの背負せおえば、もう大名家だいみょうけ養嗣子ようししにならずにむからだ。

 それどころかこれで実家じっかである石河家いしこけとも完全かんぜんえんれる。

 貞吉さだきちはそれをのぞんで彫物ほりもの背負せおうことにしたのだ。

「ああ、覚悟かくごうえさね…」

 貞吉さだきちがそうおうじたので、伊之助いのすけあきらめた表情ひょうじょうとなった。最早もはやなにを言っても無駄むださとった様子ようすであり、伊之助いのすけ貞吉さだきちにどんな絵柄えがらいかとたずねたのであった。
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