喝鳶大名・内田正容

ご隠居

文字の大きさ
上 下
1 / 2

鳶に憧れる男・石河貞吉

しおりを挟む
 一月ひとつき屋敷やしきけると、自分じぶんいえではないようながする。

 いや、元々もともと自分じぶんいえだとおもったことは一度いちどとしてなかった。

 それゆえ早々そうそう退散たいさんするつもりであった。

 そんな貞吉さだきちちち石河いしこ甲斐守かいのかみ貞通さだみち出迎でむかえた。

かえったようだの…」

 貞通さだみち貞吉さだきちつめたい視線しせんそそいでそう出迎でむかえた。

 大層たいそうな、お出迎でむかえだったが、それもいたかたない。

 なにしろ貞通さだみち当主とうしゅつとめる石河いしこと言えば、家禄かろく4500石以上もの大身旗本たいしんはたもとであり、しかも貞通さだみち自身じしん留守居るすいという顕職けんしょくちゅう顕職けんしょくにあった。

 留守居るすいと言えば大名だいみょうなみ格式かくしきあたえられ、拝領はいりょう屋敷やしきもとより、次男じなん三男さんなんまでが将軍しょうぐん御目見得おめみえゆるされる。

 貞吉さだきちまさにその留守居るすいしょくにある石河いしこ貞通さだみち三男さんなんであり、本来ほんらいならば将軍しょうぐんへの御目見得おめみえゆるされるであった。

 だが貞吉さだきちいまもって将軍しょうぐんへの御目見得おめみえませてはいなかった。

 貞吉さだきちすで一昨年おととしの文化11(1814)年、かぞえで15になったので元服げんぷくませており、そうであればその翌年よくねん、つまりは去年きょねんの文化12(1815)年にも将軍しょうぐんへの御目見得おめみえませてもさそうなものを、そうはならなかったのはひとえに貞吉さだきち自身じしん原因げんいんがあった。

 貞吉さだきち旗本はたもと家柄いえがらきらい、文化10(1813)年、まだ前髪まえがみらした14のおりいえ飛出とびだし、火消ひけしの「めぐみ」にはしった。

 貞吉さだきちじつとびあこがれており、そのため武士ぶし身分みぶんてるつもりで「めぐみ」にはしったのであった。

 だがおどろいたのは「めぐみ」のかしらであった。

 いや、貞吉さだきち自身じしんがんとしておのれ身元みもとかさず、

とびになりてぇ」

 その一点張いってんばりであった。

 だが石河いしこ用人ようにん吉岡よしおか勇之丞ゆうのじょうが「めぐみ」をおとずれたため貞吉さだきち身元みもとがバレた。

 貞吉さだきち出奔しゅっぽんするまえ石河いしこものたちに「めぐみ」の場所ばしょについてまわり、吉岡よしおか勇之丞ゆうのじょうもその一人ひとりであった。

 それゆえ貞吉さだきち出奔しゅっぽんしたとあっても、家中かちゅうぐに行先ゆきさき見当けんとうき、そこであるじ貞通さだみち吉岡よしおか勇之丞ゆうのじょうを「めぐみ」へと差向さしむけた次第しだいであり、そこにはあんじょう貞吉さだきち姿すがたがあった。

 だが吉岡よしおか勇之丞ゆうのじょう貞吉さだきちれてかえることはなかった。

  かりにここで貞吉さだきち無理むりやりかえったところで、貞吉さだきちのことである。またぞろ出奔しゅっぽんしては今度こんどこそ、とどかぬ、いかがわしい場所ばしょへとばたいてしまうおそれがあり、そうなっては取返とりかえしのつかないことになる危険性きけんせいがあった。

 ちち貞通さだみちはそれをおそれて、そこでしばらくのあいだ―、正確せいかくには貞吉さだきちむまで「めぐみ」であずかってもらうことにしたのだ。

 爾来じらい貞吉さだきちは「めぐみ」で居候いそうろうすることになり、日中にっちゅう普請ふしん現場げんば木屑きくずひろったりしてはたらいた。

 とび基本的きほんてき大工だいく兼業けんぎょうであり、火事かじのないとき本業ほんぎょうである大工仕事だいくしごとせいす。

 貞吉さだきちはそんなとびあこがれてみずかのぞんで普請現場ふしんげんば飛込とびこんだ。

 いや、「めぐみ」のかしらとしては大身旗本たいしんはたもと三男坊さんなんぼうにそんな真似マネをさせるつもりは毛頭もうとうなかった。なにしろ、石河家いしこけよりは過分かぶんの「保育料ほいくりょう」を頂戴ちょうだいしていたからだ。

 それゆえ、「めぐみ」のかしら貞吉さだきち愚行ぐこうには心底しんそこ、ヒヤヒヤさせられたものである。

 なにしろ貞吉さだきちちち貞通さだみちはこのときすで大名だいみょう格式かくしきあたえられている留守居るすいしょくにあり、留守居るすい三男さんなんにもしものことがあれば一大事いちだいじであった。

 だが貞吉さだきちはそんな「めぐみ」の心配しんぱい余所よそに、めいっぱい「やんちゃ」のかぎりをくした。

 つまりは「先輩せんぱい」であるとびたちから喧嘩けんか仕方しかたからわるあそびまでみっちりと仕込しこまれ、その御蔭おかげ貞吉さだきち青痣あおあざえることはなかった。

 それは一月ひとつきぶりに屋敷やしきかえった今日きょうもそうであり、貞吉さだきち一月ひとつき一回いっかい屋敷やしきかえるとの約束やくそくで「めぐみ」に居候いそうろう決込きめこみ、そのかん青痣あおあざらさずに帰省きせいしたことは一度いちどとしてなかった。

 それは去年きょねん元服げんぷくおりもそうであり、そのときなど鼻血はなぢらしながらの帰省きせいであり、これにはさしものちち貞通さだみち心底しんそこあきてたものである。

 そして元服げんぷくませるやまた、

脱兎だっとごとく…」

 出奔しゅっぽんしたのだから、これではどちらが貞吉さだきち実家じっかかったものではない。

 ともあれ今日きょうもまた、一月ひとつき一回いっかい帰省きせいたり、貞吉さだきち今日きょうもまた盛大せいだいかおあざらしての帰還きかんであった。

 ちち貞通さだみちがそんなせがれ貞吉さだきちつめたく出迎でむかえたのも当然とうぜんであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居
歴史・時代
タイトル通りです。意知が暗殺されなかったら(助かったら)という架空小説です。

天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居
歴史・時代
時は天明、幼少のみぎりには定火消の役屋敷でガエンと共に暮らしたこともあるバサラな旗本、鷲巣(わしのす)益五郎(ますごろう)とそんな彼を取り巻く者たちの物語。それに11代将軍の座をめぐる争いあり、徳川家基の死の真相をめぐる争いあり、そんな物語です。

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

猿の内政官の息子 ~小田原征伐~

橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~という作品の外伝です。猿の内政官の息子の続編です。全十話です。 猿の内政官の息子、雨竜秀晴はある日、豊臣家から出兵命令を受けた。出陣先は関東。惣無事令を破った北条家討伐のための戦である。秀晴はこの戦で父である雲之介を超えられると信じていた。その戦の中でいろいろな『親子』の関係を知る。これは『親子の絆』の物語であり、『固執からの解放』の物語である。

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

蒼雷の艦隊

和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。 よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。 一九四二年、三月二日。 スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。 雷艦長、その名は「工藤俊作」。 身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。 これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。 これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。

浮世絵の女

オガワ ミツル
歴史・時代
江戸時代の男と、生々しい女達の生き様を書いた、衝撃的な浮世絵の物語です。 この絵は著者が描いたものです。

狩野岑信 元禄二刀流絵巻

仁獅寺永雪
歴史・時代
 狩野岑信は、江戸中期の幕府御用絵師である。竹川町狩野家の次男に生まれながら、特に分家を許された上、父や兄を差し置いて江戸画壇の頂点となる狩野派総上席の地位を与えられた。さらに、狩野派最初の奥絵師ともなった。  特筆すべき代表作もないことから、従来、時の将軍に気に入られて出世しただけの男と見られてきた。  しかし、彼は、主君が将軍になったその年に死んでいるのである。これはどういうことなのか。  彼の特異な点は、「松本友盛」という主君から賜った別名(むしろ本名)があったことだ。この名前で、土圭之間詰め番士という武官職をも務めていた。  舞台は、赤穂事件のあった元禄時代、生類憐れみの令に支配された江戸の町。主人公は、様々な歴史上の事件や人物とも関りながら成長して行く。  これは、絵師と武士、二つの名前と二つの役職を持ち、張り巡らされた陰謀から主君を守り、遂に六代将軍に押し上げた謎の男・狩野岑信の一生を読み解く物語である。  投稿二作目、最後までお楽しみいただければ幸いです。

処理中です...