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兵舎内殺人事件 1

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 一兵は殺人事件の現場となった兵舎に直行した。初めての場所であったが、野次馬の列が案内役となってくれた。

 そしていよいよお目当ての現場の前ではさすがに警察らしき者が野次馬を現場に立ち入らせないよう規制していた。当然の処置と言えた。

 だが一兵はそれを掻(か)い潜(くぐ)って現場に立ち入った。そこには仰向けに倒れている兵士らしき男の姿があり、胸部、それも心臓には短剣が刺さっており、警察らしき男がその短剣を素手(すで)でもって胸から引き抜こうとしていたので、「待てっ!」と一兵はそれを大声で怒鳴りつけ、その男の動きを止めさせた。

「誰だっ!貴様はっ!おいっ、何やってんだっ!ちゃんと規制しろっ!」

 男は一兵を怒鳴ると同時に、規制していた警察官らしき男をも怒鳴った。

 だが一兵はそれに構わずに繰り返した。

「素手で触るなっ!」

 一兵は規制していた警察官や、さらに応援に駆(か)けつけた警察官らに取り押さえられたが、それでも一兵は怒鳴った。

 すると凶器となった短剣を素手(すで)で触ろうとしていた男に一兵の必死さが伝わったのか、とりあえず短剣を素手(すで)で触ることはせず、その上で一兵に対していくつかの質問を浴びせた。

「お前は誰だ?」

「一兵だ…」

 苗字(みょうじ)は省略することにした。

「イッペイ…、妙な格好をしているが、貴様も転生者か?」

「そうだ」

「さしずめニホン人か?無職の…、いや、それにしては何だかやけに捜査に熟知しているような雰囲気だが…」

 確かにその通りで、一兵は身元を明かした。

「なに?お前も警察官だったのか?」

「今でも警察官だ。それも鑑識、現場指紋係主任だ」

「何だ?そのシモンとやらは…」

 そこで一兵は指紋について手短に説明した。即(すなわ)ち、人の指跡から犯人に辿(たど)り着くかも知れないことを教えたのであった。

 だがそれに対して男は「馬鹿馬鹿しい…」と一笑に付したのであった。

「そんなことで犯人に辿(たど)り着ければ苦労はせんわい…」

 どうやら捜査における指紋の有用性を信じていないらしい。もっとも、これは異世界の人間に限らない。一兵がいた平成、いや、令和の御代(みよ)になっても、「人に聞く捜査」のみを信奉し、一兵のような「モノに聞く捜査」を全く信じない警察官は結構多かった。昭和の遺物かと思っていたが、今でも多いのだ。その手の刑事が…。

 ともあれ一兵としてはここでこの男とやりあっても埒(らち)が明かないと、そう判断すると、自分の聞き取り調査を行ったタテとジュンの名前を挙げた。

「ニホン担当局のタテとジュンなら分かってくれる。嘘だと思うなら連絡を取ってくれ…」

 異世界ではスマホなどの便利なツールはないだろうから、連絡を取るのに時間がかかるかも知れないが、それでも一兵はそう頼んだ。

 それに対して男は一兵がタテとジュンという具体的な人名を挙げたことから、一兵の話をまるで出鱈目(でたらめ)なものだと切って捨てることに躊躇(ためら)いを感じ始めたようで、半信半疑ながらも一応、連絡を取るよう部下に命じた。どうやらニホン担当局のタテとジュンはそれなりに名が知られているらしい。それはやはり日本人の転生者が多いからかも知れなかった。実際、男は一兵を見た途端(とたん)、一兵の人種を言い当てたものだ。

 それから暫(しばら)くして本当にタテとジュンが駆(か)けつけてきてくれた。

「ああ、タテさんにジュンさん、急にお呼び立てして申し訳ない…」

 男はそう言って頭を下げた。

「いえ、構いませんよ。警務隊長のお呼びとあらば…、ああ、イッペイさん…」

 タテは一兵の方を振り向くと名前を呼んでくれた。それで男、もとい警務隊長も一兵の言葉がまるっきりの出鱈目(でたらめ)だとは思わなくなった。それどころか徐々(じょじょ)にだが信じ始めていた。

「警務隊長?」

 一兵は聞き返した。まだ警務隊長から自己紹介されてはいなかったからだ。

 するとタテもそうと察したのか、

「こちらは軍隊の警察トップ…、軍隊における事件の指揮を執られる警務隊長のジミー氏です」

 そう紹介してくれた。

「タテさんはジミー隊長とはお知り合いで?」

 一兵が尋ねるとタテは「ええ」と頷(うなず)いた。

 さて、ジミー警務隊長は一応、一兵が言ったことが本当かどうかをタテとジュンに尋ねた。即(すなわ)ち、捜査における指紋の有用性についてである。

 それについてタテは一兵を援護射撃してくれた。

「ええ。確かにイッペイさんの言う通りです。この目でしっかりと確かめましたから…」

 タテはジミー隊長にそう太鼓判を押すと、ジミー隊長もこの段になりようやく一兵を信じる気になったようだ。

「分かりました…、イッペイさんには大変、失礼なことを致しまして…」

 ジミー隊長は素直に頭を下げた。己に非があると悟(さと)れば素直に頭を下げる…、これは現代の警察官には絶対にと言って良い程の美点であり、逆に頭を下げられた一兵の方が恐縮した。

「ですがイッペイさん…、実はもう被疑者の身柄は確保してあるんですよ…」

「と言うと?」

「この短剣の持ち主であるサワーです」

 ジミー警務隊長は相変わらず被害者の胸に刺さったままの短剣を指差してそう教えてくれた。

「どうしてこの短剣の持ち主がその…、サワーなる者の持ち主だと?」

「柄(え)の部分に名前が刻まれていましてね…、ああ、勿論、まだ触れてはいませんよ…」

 ジミー警務隊長は一兵にそう言うと、懲(こ)りずに短剣を引き抜こうとした部下と思しき男に、「おい、触るなっ」と怒鳴った。どうやらジミー警務隊長は今や完全に一兵の言葉を信じているようであった。

「それで…、サワーが被疑者だと?」

「ええ。もう、身柄も確保してあります…」

 ジミー警務隊長はそう言うと、あさっての方へと顔を向けたので、一兵とそれにタテとジュンもそれにつられてあさっての方へと顔を向けた。するとそこには刑事らしき男たち…、恐らくは警務隊の人間であろうその男たちに両脇をしっかりと固められ、挙句(あげく)、両手首にはさしずめ手錠よろしく縄が縛りつけられた男の姿があった。サワーであろう。

 案の定、その男は、「俺はやってないんだっ!」と叫んだ。その叫び声が一兵の胸に突き刺さった。
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