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田安家老と廣敷用人に続いて、用人の中田左兵衛正綱と萬年七郎左衛門頼英までが賢丸定信の田安家相続に難色を示したことで、将軍・家治も遂に肚を括る
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田安家老の大屋遠江守明薫に続いて、田安家の中でも賢丸定信と一番、接する機会に恵まれている田安大奥の廣敷用人である竹本又八郎正甫までが賢丸定信が田安家を相続することに難色を示した為に、即ち、
「賢丸定信は自が御三卿に、田安家当主になりたいが為に、兄にして当主の治察の一刻も早い死を願う様な男である…」
将軍・家治にそう証言したところから、家治も愕然とした。それこそ、
「今にも崩れ落ちそうな…」
それ程の衝撃を受けた。
賢丸定信は兄・定國とは違い、その幼名通り、賢く、そして純粋な心を持っていると、家治はそう信じていたからだ。
それを大屋明薫と、それに竹本又八郎にまで否定されたことから、家治は大いに衝撃を受けた。
中奥御座之間にて3人の田安家廣敷用人との、それも最後に竹本又八郎との面会を終えた家治は足取り重く、面会の「取持」を務めてくれた御側御用取次の稲葉越中守正明を随えて御休息之間へと戻ると、そこに控えていた稲葉正明とは相役、同僚の御側御用取次の白須甲斐守政賢と、それに見習の横田筑後守準松と松平因幡守康眞に今し方の田安家廣敷用人との「面接結果」、殊に竹本又八郎との「面接結果」について、
「力なく…」
そう説明したのであった。
するとこれに対して白須政賢と横田準松の二人は、
「家老だけでなく、廣敷用人までが左様に証言致すとは…、賢丸君が田安家を継ぐ器量の持主でないことは明らか…」
つまりは賢丸定信による田安家相続を阻止する意味からも、溜間詰の諸侯による閣議決定通り、
「賢丸定信を白河松平家へと養子に出すべき…」
それで意見が一致した。
一方、横田準松とは同じく見習の松平康眞はそれとは正反対に、賢丸定信を「弁護」した。
「この康眞にはとても…、如何に家老や廣敷用人までが左様に証言致したからと申して、未だ前髪を垂らせし賢丸君が斯かる…、邪なる思惑を抱いているとは到底、信じられず…」
松平康眞は横田準松への「対抗心」からそう申述べた嫌いはあるものの、それでもその動機は兎も角、家治の想いを代弁するものであった。
田安家老に続いて田安家廣敷用人までが賢丸定信のその「人間性」、否、「非人間性」とでも呼ぶべきその非道ぶりを証言した今でも家治は賢丸定信のことを信じていた。否、信じたかった。
だが、やはり白須政賢と横田準松の二人は家治のそんな内心を見透かしたかの様に、
「なれど…、家老一人の証言なればいざ知らず、廣敷用人までが斯かる証言を致しましたる上は…」
田安家廣敷用人の「証言」は無視することは出来ないと、家治にそう示唆したのであった。
家治もこの示唆には反論出来なかった。その通りだからだ。
するとそこで、それまで黙っていた稲葉正明が「助け舟」を出した。
「畏れながら…、番頭や用人の意見も御聴きになられましては如何でござりましょう…」
田安家番頭や用人の意見も聴いた上で「最終決断」を下せば良いのではないかと、正明は家治にそう勧めたのであった。
するとこれには白須政賢がやはり、正明への「対抗心」から、
「賢丸君に接する機会が廣敷用人に較べて少ない番頭や用人より、賢丸君のその御人柄を聴いて何になると申すのだ?殊に番頭など、そもそも賢丸君に接する機会が殆どないではあるまいか…」
番頭や用人の証言など、殊に番頭の証言など無意味であると、正明にそう反論したのであった。
確かに、御三卿の番頭と言えば番方、御三卿屋形の警備部門の長ではあるものの、それ故に御三卿の家族とは普段、接触する機会は殆どなかった。
稲葉正明は白須政賢からのその「反論」を受け、流石に言葉を詰まらせたものの、それも束の間、
「確かにそうやも知れぬが、田安家に限って言えば、一概にはそうとも申せず…」
即ち、今の田安家番頭の一人、竹本要人正美はその父、茂兵衛正堅が実姉、つまりは竹本要人が実の伯母は田安家の始祖、宗武の母堂、実母である於古牟の方であり、将軍・吉宗との間に生したのが宗武である。
それ故、田安家が創設され、於古牟の方が吉宗との間に生した宗武がその初代当主となるや、於古牟の方の実弟の竹本茂兵衛は田安家の用人に取立てられ、後、番頭にまで昇進を果たした。
竹本要人はその茂兵衛の実の子として、父・茂兵衛と同じく番頭として田安家に仕えていた。つまりは、
「親子二代に亘って…」
番頭として田安家に仕えている訳で、今の番頭、竹本要人にとって今の田安家当主の治察やその腹違いの弟である定國や賢丸定信は従甥に当たる。
それ故、竹本要人は番頭、言うなれば田安家における表向役人であり乍、田安大奥への出入りが許されており、従甥でもある当主の治察は元より、その腹違いの弟である賢丸定信とも接する機会に恵まれていたのだ。
稲葉正明はその点を指摘して、番頭と雖も斯かる事情から賢丸定信に接する機会に恵まれている竹本要人の意見は聴く価値があるのではないかと、白須政賢にそう反論したのであった。
すると白須政賢は稲葉正明のその反論を一笑に付した。
「斯かる竹本要人なる者が真実の賢丸君の御人柄について、上様に申述べると思うてか?」
白須政賢は稲葉正明を小莫迦にかの様にそう切出すや、
「されば、賢丸君が真実、自が御三卿に…、田安家当主になりたいが為に一刻も早い兄の死を願う様な御人柄にあらせられたとしてもだ、斯かる竹本要人めがそれをそのまま、上様に申述べると思うてか?否、そうではあるまい。それどころか逆に賢丸君の御人柄について大いに称揚することであろうぞ…」
厭味交じりにそんな「見立て」を口にしたのであった。
確かにその通りであり、竹本要人の「証言」は公平性、客観性に欠けるであろう。
白須政賢に言負かされた格好の稲葉正明は、
「それではせめて…、用人の意見だけでも…」
そう反論するのが精一杯であった。
家治はそんな稲葉正明に感謝しつつ、
「そろそろ…」
最終決断を下すべき時であると、そう決しつつあった。
だが家治のそんな内心の決意に対して、松平康眞が待ったをかけた。
「畏れながら…、上様におかせられましては、従五位下諸太夫役の家老に続きまして、従六位布衣役の番頭や用人を差置いて、無位無官の廣敷用人をここ中奥へと…、御座之間に招かれ…、にもかかわらず従六位布衣役の番頭や用人は招かず終いでは、彼等、番頭や用人の面目が…」
松平康眞は御三卿番頭や用人のその従六位布衣役としての面目を潰さない為にも彼等にも逢う必要性を家治に説いたのであった。
如何にも家柄を重んずる松平康眞らしい意見ではあった。
家治は決して家柄を無視するものではないが、さりとて、家柄に囚われるものでもなかった。
基本的には実力重視、家柄は二の次であった。
それ故、普段の家治であれば、家柄を基にした今の康眞の意見は却下したところであろうが、しかし今の家治は賢丸定信への想い、賢丸定信を信じたいその一心から、康眞のその意見に縋った。
こうして家治はその翌日には更に、まずは番頭との面会に臨んだ。
と言っても、番頭に対しては賢丸定信の件について―、賢丸定信が田安家を相続することの是非につき、更に言えば賢丸定信のその「人間性」について真実が語られることは期待出来なかったので、家老や廣敷用人の時とは異なり、二人並べての面会と相成った。
即ち、御三卿番頭の定員は大抵、2人であり、田安家においてもそうで、竹本要人の外に、常見文左衛門直與が竹本要人の相役として番頭を勤めていた。
家治は御座之間にて竹本要人と常見文左衛門の2人を並べて面会に臨むや、今までと同じ問いを繰返した。
するとそれに対する竹本要人と常見文左衛門の2人の反応はと言うと、予想通りであった。
否、予想以上と言うべきものであり、即ち、竹本要人は賢丸定信の人間性を大いに称揚した挙句、一刻も早い賢丸定信への代替わりをも望む始末であり、家治を苦笑させた。
それは取りも直さず今の当主でる治察の死を願うも同然であり、これには流石に直ぐ真横にて控えていた常見文左衛門から窘められたものである。
問題は続く用人であった。
御三卿用人の定員は大抵、6人から8人程度であり、田安家においては正規の用人が7人、用人格格が1人の計8人であった。
そこで家治は2日にかけて用人と逢うことにした、
初日に正規の用人4人、その翌日に正規の用人3人に用人格1人の計4人という日程である。
そしてその用人からもまた、賢丸定信の「悪評」が聞かれたのであった。
家治は初日に、小出半十郎廣則、小林左十郎長章、中田左兵衛正綱、そして島村惣左衛門俊久の4人の用人と、それも、
「旧に復して…」
その1人ずつと会い、賢丸定信について尋ねた訳だが、その内の1人、中田左兵衛より賢丸定信の「悪評」を聞かされることと相成った。
それは2日目もそうであり、2日目には家治は萬年七郎左衛門頼英、朝比奈六左衛門泰有、押田吉次郎勝久の正規の用人3人に加えて、用人格の旗奉行、三賀監物長頼を加えた4人との面会に臨んだ。
やはりその1人ずつの面会であり、その折、その中の1人、萬年七郎左衛門より賢丸定信の「悪評」が聞かれることとなったのだ。
中田左兵衛と萬年七郎左衛門の2人もまた、大屋明薫や竹本又八郎と同様、
「賢丸定信は自が御三卿…、田安家当主になりたいが為に兄・治察の一刻も早い死を願っている…」
家治に対して口を揃えてそう証言し、賢丸定信が田安家を相続することにつき難色を示したのであった。
家治は中田左兵衛と萬年七郎左衛門の2人の「証言」を受け、遂に肚を括った、
「賢丸定信は自が御三卿に、田安家当主になりたいが為に、兄にして当主の治察の一刻も早い死を願う様な男である…」
将軍・家治にそう証言したところから、家治も愕然とした。それこそ、
「今にも崩れ落ちそうな…」
それ程の衝撃を受けた。
賢丸定信は兄・定國とは違い、その幼名通り、賢く、そして純粋な心を持っていると、家治はそう信じていたからだ。
それを大屋明薫と、それに竹本又八郎にまで否定されたことから、家治は大いに衝撃を受けた。
中奥御座之間にて3人の田安家廣敷用人との、それも最後に竹本又八郎との面会を終えた家治は足取り重く、面会の「取持」を務めてくれた御側御用取次の稲葉越中守正明を随えて御休息之間へと戻ると、そこに控えていた稲葉正明とは相役、同僚の御側御用取次の白須甲斐守政賢と、それに見習の横田筑後守準松と松平因幡守康眞に今し方の田安家廣敷用人との「面接結果」、殊に竹本又八郎との「面接結果」について、
「力なく…」
そう説明したのであった。
するとこれに対して白須政賢と横田準松の二人は、
「家老だけでなく、廣敷用人までが左様に証言致すとは…、賢丸君が田安家を継ぐ器量の持主でないことは明らか…」
つまりは賢丸定信による田安家相続を阻止する意味からも、溜間詰の諸侯による閣議決定通り、
「賢丸定信を白河松平家へと養子に出すべき…」
それで意見が一致した。
一方、横田準松とは同じく見習の松平康眞はそれとは正反対に、賢丸定信を「弁護」した。
「この康眞にはとても…、如何に家老や廣敷用人までが左様に証言致したからと申して、未だ前髪を垂らせし賢丸君が斯かる…、邪なる思惑を抱いているとは到底、信じられず…」
松平康眞は横田準松への「対抗心」からそう申述べた嫌いはあるものの、それでもその動機は兎も角、家治の想いを代弁するものであった。
田安家老に続いて田安家廣敷用人までが賢丸定信のその「人間性」、否、「非人間性」とでも呼ぶべきその非道ぶりを証言した今でも家治は賢丸定信のことを信じていた。否、信じたかった。
だが、やはり白須政賢と横田準松の二人は家治のそんな内心を見透かしたかの様に、
「なれど…、家老一人の証言なればいざ知らず、廣敷用人までが斯かる証言を致しましたる上は…」
田安家廣敷用人の「証言」は無視することは出来ないと、家治にそう示唆したのであった。
家治もこの示唆には反論出来なかった。その通りだからだ。
するとそこで、それまで黙っていた稲葉正明が「助け舟」を出した。
「畏れながら…、番頭や用人の意見も御聴きになられましては如何でござりましょう…」
田安家番頭や用人の意見も聴いた上で「最終決断」を下せば良いのではないかと、正明は家治にそう勧めたのであった。
するとこれには白須政賢がやはり、正明への「対抗心」から、
「賢丸君に接する機会が廣敷用人に較べて少ない番頭や用人より、賢丸君のその御人柄を聴いて何になると申すのだ?殊に番頭など、そもそも賢丸君に接する機会が殆どないではあるまいか…」
番頭や用人の証言など、殊に番頭の証言など無意味であると、正明にそう反論したのであった。
確かに、御三卿の番頭と言えば番方、御三卿屋形の警備部門の長ではあるものの、それ故に御三卿の家族とは普段、接触する機会は殆どなかった。
稲葉正明は白須政賢からのその「反論」を受け、流石に言葉を詰まらせたものの、それも束の間、
「確かにそうやも知れぬが、田安家に限って言えば、一概にはそうとも申せず…」
即ち、今の田安家番頭の一人、竹本要人正美はその父、茂兵衛正堅が実姉、つまりは竹本要人が実の伯母は田安家の始祖、宗武の母堂、実母である於古牟の方であり、将軍・吉宗との間に生したのが宗武である。
それ故、田安家が創設され、於古牟の方が吉宗との間に生した宗武がその初代当主となるや、於古牟の方の実弟の竹本茂兵衛は田安家の用人に取立てられ、後、番頭にまで昇進を果たした。
竹本要人はその茂兵衛の実の子として、父・茂兵衛と同じく番頭として田安家に仕えていた。つまりは、
「親子二代に亘って…」
番頭として田安家に仕えている訳で、今の番頭、竹本要人にとって今の田安家当主の治察やその腹違いの弟である定國や賢丸定信は従甥に当たる。
それ故、竹本要人は番頭、言うなれば田安家における表向役人であり乍、田安大奥への出入りが許されており、従甥でもある当主の治察は元より、その腹違いの弟である賢丸定信とも接する機会に恵まれていたのだ。
稲葉正明はその点を指摘して、番頭と雖も斯かる事情から賢丸定信に接する機会に恵まれている竹本要人の意見は聴く価値があるのではないかと、白須政賢にそう反論したのであった。
すると白須政賢は稲葉正明のその反論を一笑に付した。
「斯かる竹本要人なる者が真実の賢丸君の御人柄について、上様に申述べると思うてか?」
白須政賢は稲葉正明を小莫迦にかの様にそう切出すや、
「されば、賢丸君が真実、自が御三卿に…、田安家当主になりたいが為に一刻も早い兄の死を願う様な御人柄にあらせられたとしてもだ、斯かる竹本要人めがそれをそのまま、上様に申述べると思うてか?否、そうではあるまい。それどころか逆に賢丸君の御人柄について大いに称揚することであろうぞ…」
厭味交じりにそんな「見立て」を口にしたのであった。
確かにその通りであり、竹本要人の「証言」は公平性、客観性に欠けるであろう。
白須政賢に言負かされた格好の稲葉正明は、
「それではせめて…、用人の意見だけでも…」
そう反論するのが精一杯であった。
家治はそんな稲葉正明に感謝しつつ、
「そろそろ…」
最終決断を下すべき時であると、そう決しつつあった。
だが家治のそんな内心の決意に対して、松平康眞が待ったをかけた。
「畏れながら…、上様におかせられましては、従五位下諸太夫役の家老に続きまして、従六位布衣役の番頭や用人を差置いて、無位無官の廣敷用人をここ中奥へと…、御座之間に招かれ…、にもかかわらず従六位布衣役の番頭や用人は招かず終いでは、彼等、番頭や用人の面目が…」
松平康眞は御三卿番頭や用人のその従六位布衣役としての面目を潰さない為にも彼等にも逢う必要性を家治に説いたのであった。
如何にも家柄を重んずる松平康眞らしい意見ではあった。
家治は決して家柄を無視するものではないが、さりとて、家柄に囚われるものでもなかった。
基本的には実力重視、家柄は二の次であった。
それ故、普段の家治であれば、家柄を基にした今の康眞の意見は却下したところであろうが、しかし今の家治は賢丸定信への想い、賢丸定信を信じたいその一心から、康眞のその意見に縋った。
こうして家治はその翌日には更に、まずは番頭との面会に臨んだ。
と言っても、番頭に対しては賢丸定信の件について―、賢丸定信が田安家を相続することの是非につき、更に言えば賢丸定信のその「人間性」について真実が語られることは期待出来なかったので、家老や廣敷用人の時とは異なり、二人並べての面会と相成った。
即ち、御三卿番頭の定員は大抵、2人であり、田安家においてもそうで、竹本要人の外に、常見文左衛門直與が竹本要人の相役として番頭を勤めていた。
家治は御座之間にて竹本要人と常見文左衛門の2人を並べて面会に臨むや、今までと同じ問いを繰返した。
するとそれに対する竹本要人と常見文左衛門の2人の反応はと言うと、予想通りであった。
否、予想以上と言うべきものであり、即ち、竹本要人は賢丸定信の人間性を大いに称揚した挙句、一刻も早い賢丸定信への代替わりをも望む始末であり、家治を苦笑させた。
それは取りも直さず今の当主でる治察の死を願うも同然であり、これには流石に直ぐ真横にて控えていた常見文左衛門から窘められたものである。
問題は続く用人であった。
御三卿用人の定員は大抵、6人から8人程度であり、田安家においては正規の用人が7人、用人格格が1人の計8人であった。
そこで家治は2日にかけて用人と逢うことにした、
初日に正規の用人4人、その翌日に正規の用人3人に用人格1人の計4人という日程である。
そしてその用人からもまた、賢丸定信の「悪評」が聞かれたのであった。
家治は初日に、小出半十郎廣則、小林左十郎長章、中田左兵衛正綱、そして島村惣左衛門俊久の4人の用人と、それも、
「旧に復して…」
その1人ずつと会い、賢丸定信について尋ねた訳だが、その内の1人、中田左兵衛より賢丸定信の「悪評」を聞かされることと相成った。
それは2日目もそうであり、2日目には家治は萬年七郎左衛門頼英、朝比奈六左衛門泰有、押田吉次郎勝久の正規の用人3人に加えて、用人格の旗奉行、三賀監物長頼を加えた4人との面会に臨んだ。
やはりその1人ずつの面会であり、その折、その中の1人、萬年七郎左衛門より賢丸定信の「悪評」が聞かれることとなったのだ。
中田左兵衛と萬年七郎左衛門の2人もまた、大屋明薫や竹本又八郎と同様、
「賢丸定信は自が御三卿…、田安家当主になりたいが為に兄・治察の一刻も早い死を願っている…」
家治に対して口を揃えてそう証言し、賢丸定信が田安家を相続することにつき難色を示したのであった。
家治は中田左兵衛と萬年七郎左衛門の2人の「証言」を受け、遂に肚を括った、
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