天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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田安賢丸定信が田安家を継ぐことに田安家老の大屋遠江守明薫は難色を示し、田安家廣敷用人の竹本又八郎正甫もそれに続いて難色を示す。

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 田安家老たやすかろう山木やまき筑前守ちくぜんのかみ正信まさのぶ登城とじょう将軍しょうぐん家治いえはるより賢丸定信まさまるさだのぶ田安家たやすけぐことの是非ぜひについて「聴取ちょうしゅ」をけたその翌日よくじつ今度こんど相役あいやく、もう一人ひとり田安家老たやすかろう大屋おおや遠江守とおとうみのかみ明薫みつしげ登城とじょうしたため家治いえはる昨日きのう引続ひきつづいて、この大屋おおや明薫みつしげからも「聴取ちょうしゅ」をこころみた。

 やはり御側御用取次おそばごようとりつぎ稲葉いなば越中守えっちゅうのかみ正明まさあきらの「取持とりもち」により御座之間ござのまにて家治いえはる大屋おおや明薫みつしげとの面会めんかいのぞんだ。

大屋おおや明薫みつしげもきっと、山木やまき正信同様まさのぶどうよう賢丸まさまる田安家たやすけぐに相応ふさわしいと、左様さようこたえてくれるに相違そういあるまい…」

 家治いえはるはそうしんじて大屋おおや明薫みつしげとの面会めんかいのぞんだ。

 が、現実げんじつには家治いえはるのその期待きたい裏切うらぎるものであった。

 家治いえはる御座之間ござのまにて大屋おおや明薫みつしげとの面会めんかいたすや、

かりにだが…、いま治察はるあき歿ぼっしたとして、賢丸まさまるには田安家たやすけおさめるだけの器量きりょうはあるか…」

 前日ぜんじつ山木やまき正信まさのぶにも投掛なげかけたそのいを、そのまま今度こんど相役あいやく大屋おおや明薫みつしげにも投掛なげかけたのであった。

 それにたいして大屋おおや明薫みつしげもきっと、山木やまき正信同様まさのぶどうよう

賢丸定信まさまるさだのぶには田安家たやすけおさめられるだけの器量きりょうがある…」

 そのこたえがかえってくるものと、家治いえはるはそうしんじていたのだが、ちがった。

 大屋おおや明薫みつしげはまずはじめにむずかしい顔付かおつきをした。

大屋おおや明薫みつしげもきっと、山木やまき正信まさのぶ同様どうよう治察はるあき前提ぜんていとしたいに困惑こんわくしているのであろうぞ…」

 家治いえはる大屋おおや明薫みつしげのそのむずかしい顔付かおつきをたりにして、そう都合つごう解釈かいしゃくした。

 だがそれはあくまで家治いえはる勝手かってな「おもみ」にぎなかった。

 大屋おおや明薫みつしげむずかしい顔付かおつきをしたのはそうではない。

おそれながら…、賢丸君まさまるぎみにおかせられては…、とても田安家たやすけおさめられるだけの器量きりょうはないものと…」

 大屋おおや明薫みつしげはそうこたえた。明薫みつしげはそれゆえに、そうこたえざるをないためむずかしい顔付かおつきをしてみせたのだ。

 これにたいして家治いえはるはと言うと、一瞬いっしゅん聞間違ききまちがいではないかとおもった。それゆえ家治いえはるおもわず、「なっ、なにっ!?」とこえうわずらせて聞返ききかえしていた。

 それで大屋おおや明薫みつしげむずかしい顔付かおつきのまま、

「ははっ…、されば賢丸君まさまるぎみにおかせられては、とても田安家たやすけおさめるだけの器量きりょうはないものと…」

 はっきりとそうだんじたのであった。

「なっ、何故なぜだっ!?」

 家治いえはる何処どこぞのデパート王よろしく、おもわずそうさけんでいた。

「されば…、賢丸君まさまるぎみにおかせられては先年せんねんより、兄君あにぎみにしていま当主とうしゅ大蔵卿おおくらきょう治察殿はるあきどののその…、のぞまれております様子ようすにて…」

「なっ、なんだとっ!?」

兄君あにぎみくなれば、田安家たやすけげると…」

「そっ、それで賢丸まさまるあに治察はるあきのぞんでおるともうすのかっ!?田安家たやすけぎたいがために…」

 それは御三卿ごさんきょうになりたいために、とも言換いいかえることが出来でき、それにたいして、大屋おおや明薫みつしげも「御意ぎょい」とこたえた。

 だが家治いえはるにはにわかにはしんじられないはなしであった。いやしんたくないはなしであった。

 すると明薫みつしげ家治いえはる様子ようすからそうとさっしたらしく、

「さればこのにつきましては、家老かろうもとより、番頭ばんがしら用人ようにんにも…」

 賢丸定信まさまるさだのぶおのれ御三卿ごさんきょうになりたいために、あに治察はるあきねがっていることは家老かろうだけでなく、番頭ばんがしら用人ようにんあいだでも有名ゆうめいはなしであると、明薫みつしげ家治いえはるにそう示唆しさしたのであった。

 そこで家治いえはるおもわず、「なれど…、山木やまき正信まさのぶは…」とおもわずそう口走くちばしらせてしまった。

山木やまき筑前ちくぜん大方おおかた…、賢丸君まさまるぎみへの忠心ちゅうしんからその…」

 えてうそいたのであろうと、明薫みつしげはこれまた家治いえはるにそう示唆しさした。

 いま明薫みつしげのその示唆しさだが、昨日きのう山木やまき正信まさのぶ将軍しょうぐん家治いえはるより「下問かもん」があったことを承知しょうちしていることをも抱合ほうごうしていた。

明薫みつしげ、そなた…」

「ははっ…、されば昨日きのう山木やまき筑前ちくぜんへも上様うえさまより下問かもんがありましたこと、筑前当人ちくぜんとうにんより聞及ききおよびましてござりまする…」

 昨日きのう相役あいやく山木やまき正信まさのぶより、賢丸定信まさまるさだのぶ田安家たやすけがせることの是非ぜひにつき上様うえさまより「下問かもん」があったことをつたいたのだと、明薫みつしげ家治いえはるこたえた。

成程なるほど…、いや、相役あいやくなればさもあろう…」

「されば上様うえさま賢丸君まさまるぎみ田安家たやすけがしめあそばされます是非ぜひにつきましては、我等われら家老かろうだけではのうて、番頭ばんがしら用人ようにんあるいは廣敷用人ひろしきようにんにも御聞おききあそばされましては如何いかがでござりましょう…」

 大屋おおや明薫みつしげはまるでおのれ主張しゅちょうただしさの、つまりはうそいていないことのあかしてるかのようにそう主張しゅちょうした。

 家治いえはるとしてもその提案ていあんかれるものがあった。

 無論むろん明薫みつしげうそいているとはおもっていなかった。それはかる提案ていあん家治いえはるにしてみせたことからもあきらかであろう。

 こと廣敷用人ひろしきようにんにもいてみるよう、家治いえはるすすめたことからもそれはさっせられた。

 それと言うのも、賢丸定信まさまるさだのぶいまはまだ元服前げんぷくまえ前髪まえがみらしており、田安たやす大奥おおおくにて生母せいぼ登耶とや養母ようぼ寶蓮院ほうれんいん、この両者りょうしゃ手許てもとにて大事だいじそだてられていた。

 つまりいま田安家たやすけにて一番いちばん賢丸定信まさまるさだのぶ接触せっしょくする機会きかいめぐまれている家臣かしんと言えば、それは田安たやす大奥おおおくにてつかえる男子だんし役人やくにん廣敷用人ひろしきようにんであった。

 その廣敷用人ひろしきようにんから賢丸定信まさまるさだのぶについて、具体的ぐたいてきには賢丸定信まさまるさだのぶたしておのれ御三卿ごさんきょうになりたいために、あに治察はるあきねがっているのか、それをいてみたらいと、明薫みつしげ家治いえはるにそうすすめていたのだ。

 成程なるほど明薫みつしげうそいていたならば、ここまで踏込ふみこんだ提案ていあんはしないであろう。

 それゆえ家治いえはる明薫みつしげうそいていないと確信かくしんした。

 それでも家治いえはる明薫みつしげすすめもあり、ほかもの意見いけんも、とりわけ廣敷用人ひろしきようにん意見いけんいてみたいとおもった。

 そのうえで、賢丸定信まさまるさだのぶ田安家たやすけがせるかいなか、判断はんだんしたほうがより客観性きゃっかんせいたかまるというものである。

 いや、そうではない。それはあくまで「建前たてまえ」であった。

大屋おおや明薫みつしげはやはりうそいていたのだ…」

 つまりは賢丸定信まさまるさだのぶおのれ御三卿ごさんきょうになりたいために、当主とうしゅであるあにねがようおとこではないと、家治いえはるはそれをあきらかにしたいがため廣敷用人ひろしきようにんからも意見いけんいてみたいとおもったのだ。

 御三卿ごさんきょう大奥おおおくつかえる男子だんし役人やくにん廣敷用人ひろしきようにん定員ていいん大抵たいてい3人であり、田安家たやすけもそうであろう。

 かり大屋おおや明薫みつしげの「証言しょうげんどおり、真実まこと賢丸定信まさまるさだのぶがそのようおとこであれば、廣敷用人ひろしきようにんうち一人ひとりくらいは明薫みつしげおなじ「証言しょうげん」をするであろう。

 ぎゃくにそうでなければ、つまりは賢丸定信まさまるさだのぶけっしてよこしま思惑おもわくからあにねがようおとこでなければ、廣敷用人ひろしきようにんみなくちそろえてそう「証言しょうげん」するはずであった。

 家治いえはるはその「可能性かのうせい」にけることにした。

 問題もんだい如何いかにして彼等かれら廣敷用人ひろしきようにんをここ御城えどじょうへと召出めしだすかであった。

 彼等かれら廣敷用人ひろしきようにん田安たやす大奥おおおくに、もっと言えば寶蓮院ほうれんいん登耶とやつかえる男子だんし役人やくにんである。

 その彼等かれら一斉いっせいにこの御城えどじょうへと召喚しょうかんすればかならずや寶蓮院ほうれんいん登耶とや不審ふしんおもうであろう。

 なにしろ、御三卿ごさんきょうつかえる家臣かしんなかでも殿中でんちゅうせきがあるのは、つまりはここ御城えどじょうへと登城とじょうする機会きかいがあるのは家老かろうのみであり、家老かろう重職じゅうしょくである番頭ばんがしら用人ようにんはその機会きかいがなかった。

 御三卿ごさんきょう番頭ばんがしら用人ようにんと言えば従六位じゅろくい布衣ほいやくであるにもかかわらず、である。

 いや御三卿ごさんきょう番頭ばんがしら用人ようにん従六位じゅろくい布衣ほいやくであるので、その任命にんめいこそ、いま家治いえはる大屋おおや明薫みつしげかいっているここ、御座之間ござのまにて将軍しょうぐんより直々じきじきされた。

 つまりは御三卿ごさんきょう番頭ばんがしら用人ようにん御役ポストへの拝命はいめいこそ登城とじょうするものの、その程度ていどであり、あと登城とじょうする機会きかいはなく、それゆえ殿中でんちゅうせきもうけられていなかった。

 本来ほんらい従六位じゅろくい布衣ほいやくである御三卿ごさんきょう番頭ばんがしら用人ようにんですらこの有様ありさまなのだから、そもそも従六位じゅろくい布衣ほいやくですらない御三卿ごさんきょう大奥おおおく廣敷用人ひろしきようにんは言うにおよばず、であった。

 それゆえ、そのよう廣敷用人ひろしきようにんを、田安家たやすけ廣敷用人ひろしきようにん一斉いっせい御城えどじょうへと召出めしだせば、どうしても寶蓮院ほうれんいん登耶とや不審ふしんかせてしまう。

 だが家治いえはるとしては出来できれば、いや絶対ぜったいにそれはけたいところであった。

 ことに、寶蓮院ほうれんいんから不審ふしんかれるのはけたかった。

 なにしろ寶蓮院ほうれんいんと言えば、田安家たやすけ始祖しそ宗武むねたけ正室せいしつとして絶大ぜつだいなる権威けんいほこっていた。

 その権威けんいたるや、いま田安家たやすけ当主とうしゅである治察はるあきをも上回うわまわるものがあった。

 なにしろ治察はるあき寶蓮院ほうれんいんじつであり、しかもその治察はるあき当主とうしゅとは言え、病気びょうきがちで、いま賢丸定信まさまるさだのぶらす田安たやす大奥おおおくにて病臥びょうがであった。

 そのため畢竟ひっきょう寶蓮院ほうれんいん病弱びょうじゃく治察はるあきわって田安家たやすけ切盛きりもりせざるを得ない。

 寶蓮院ほうれんいん当主とうしゅ治察はるあきをもしの権威けんいつのも当然とうぜんであった。

 そして家治いえはるはこの寶蓮院ほうれんいん苦手にがてであった。

 無論むろん寶蓮院ほうれんいんきらいというわけではない。それどころかきであった。

 だが寶蓮院ほうれんいんまえにすると、どうしてもあたまがらないのだ。

 寶蓮院ほうれんいん将軍家ファミリーである御三卿ごさんきょう、それも筆頭ひっとう田安家たやすけ始祖しそ宗武むねたけ正室せいしつにして、現当主げんとうしゅ治察はるあき実母じつぼということもあり、御城えどじょう本丸ほんまる西之丸にしのまるわず、大奥おおおくへの出入でいりは自由フリーパスであり、大奥おおおくにて家治いえはる寶蓮院ほうれんいん向合むきあ機会きかい度々たびたびであった。

 そのさい家治いえはるはまるでじつははまえにするかのよう錯覚さっかくおそわれるのだ。

 家治いえはる寶蓮院ほうれんいんあたまがらないのはそのためであった。

 かり家治いえはる寶蓮院ほうれんいんつかえる廣敷用人ひろしきようにん召出めしだせば、寶蓮院ほうれんいんかならずやここ御城えどじょう本丸大奥ほんまるおおおくへと登城とじょうし、家治いえはる面会めんかいもとめ、そして廣敷用人ひろしきようにん一件いっけんにつき、家治いえはる詰問きつもんするにちがいなかった。

 そうなった場合ばあい家治いえはる寶蓮院ほうれんいんなにもかも、それこそ、

あらざらい…」

 白状はくじょうおよんでしまうであろう。

 だがそうなると、家老かろうについて、こと大屋おおや明薫みつしげ賢丸定信まさまるさだのぶかんしての「証言しょうげん」にもれざるをず、その場合ばあい明薫みつしげが「不利益ふりえき」をこうむるやもれぬ。

 すくなくとも、養母ようぼ寶蓮院ほうれんいんもとより、その生母せいぼ登耶とやからも不興ふきょううのはけられまい。

 なにしろ、明薫みつしげのその「証言しょうげん」たるや、賢丸定信まさまるさだのぶすのも同然どうぜんであった。

 これで明薫みつしげの「証言しょうげん」が家治いえはる期待きたいするとおり、真赤まっかいつわりであれば、家治いえはるとしては明薫みつしげがどうなろうともったことではなかったが、しかし、真赤まっかいつわりとはだんぜられないいま段階だんかいにおいては明薫みつしげうえあんじないわけにはゆかなかった。

 そこで家治いえはるとしてはただおのれためだけではない、明薫みつしげためをもおもえばこそ、寶蓮院ほうれんいん不審ふしんかれることなく廣敷用人ひろしきようにんをこの御城えどじょうへと召出めしだ手立てだてについて思案しあんした。

 すると大屋おおや明薫みつしげ家治いえはる様子ようすからそうとさっしたらしく、そこでじつ絶妙ぜつみょうなる「口実アイディア」をひねした。

「されば…、上様うえさまにおかせられましては田安たやす大奥おおおくにて療養りょうようちゅう大蔵卿おおくらきょう治察殿はるあきどのあんじられており、いま治察殿はるあきどの容態ようだいについてそばつかえしものよりじかいてみたいとの思召おぼしめしにて…」

 明薫みつしげがその「口実アイディア」をくちにするや、家治いえはるひざって、「成程なるほど」とおうじた。

「それなれば寶蓮院殿ほうれんいんどのにもあやしまれずに廣敷用人ひろしきようにん召出めしだすことが出来できるともうすものぞ…」

 家治いえはるおもわずそんな本音ほんねをぶちまけたものだから、これには明薫みつしげ内心ないしん苦笑くしょうきんなかった。

 かくして大屋おおや明薫みつしげ段取だんどりにより、その翌日よくじつ寶蓮院ほうれんいんに、それに登耶とやにもあやしまれずに田安家たやすけ廣敷用人ひろしきようにん御城えどじょうへと、それも中奥なかおく御座之間ござのまへと召出めしだすことに成功せいこうした。

 いま田安家たやすけ廣敷用人ひろしきようにん慣例通かんれいどおり3人おり、毛利もうり齋宮元卓さいぐうもとなり杉浦すぎうら猪兵衛いへえ良昭よしあき、そして竹本たけもと又八郎またはちろう正甫まさなみの3人であり、家治いえはるは1人ずつ面会めんかいした。

 それと言うのも3人同時どうじに、一斉いっせい面会めんかいおよべば、

真実まことのところをはなせぬやもれず…」

 真実まこと賢丸定信まさまるさだのぶおのれ御三卿ごさんきょうになりたいためあにねがようおとこだとして、家治いえはるがその真偽しんぎただすべく、3人の廣敷用人ひろしきようにん一斉いっせいならべて聴取ちょうしゅおよんだとしても、3人はたがいに意識いしきい、結果けっか

真実まこと証言しょうげんられまい…」

 それゆえ、1人ずつ聴取ちょうしゅしてしいと、大屋おおや明薫みつしげ家治いえはる願出ねがいでためである。

 家治いえはる明薫みつしげのその願出ねがいでもっともであるとして、そこで1人ずつの聴取ちょうしゅ相成あいなった。

 さて、家治いえはるはまずは毛利もうり齋宮さいぐうから「聴取ちょうしゅ」をはじめた。

 家治いえはる治察はるあき容態ようだいについて切出きりだした。そういう名目めいもく廣敷用人ひろしきようにん召出めしだしたからだ。

 これにたいして毛利もうり齋宮さいぐうも、

たりさわりなく…」

 家治いえはるこたえた。かり治察はるあき重態じゅうたいだとしても、田安家たやすけ廣敷用人ひろしきようにんではそうこたえるよりほかにはないだろう。

 家治いえはるもそれは理解りかいしていたので、治察はるあき容態ようだいについてはサラリと受流うけながすと、愈々いよいよ本題ほんだいはいった。

 すなわち、かり治察はるあき歿ぼっした場合ばあいおとうと賢丸定信まさまるさだのぶ田安家たやすけぐに相応ふさわしいか、そのてんただしたのだ。

 するとやはりと言うべきか、治察はるあき前提ぜんていとしたそのいに毛利もうり齋宮さいぐう家老かろう山木やまき正信同様まさのぶどうよう、まずは躊躇ちゅうちょしつつも、それでもこれまた正信同様まさのぶどうよう

賢丸君まさまるぎみにおかせられては田安家たやすけ器量きりょう持主もちぬしかと…」

 そう太鼓判たいこばんしたのであった。

 つづ杉浦すぎうら猪兵衛いへえもまた同様どうようであった。

 しかし、最後さいご聴取ちょうしゅした竹本たけもと又八郎またはちろうちがった。

 なん竹本たけもと又八郎またはちろう毛利もうり齋宮さいぐう杉浦すぎうら猪兵衛いへえとはことなり、つまりは大屋おおや明薫みつしげ同様どうよう

賢丸君まさまるぎみにおかせられてはその…、おの御三卿ごさんきょうに…、田安家たやすけ当主とうしゅになりたいがために、病臥びょうがとはもうせ、いま健在けんざいにあらせられます当主とうしゅにして兄君あにぎみでもある治察殿はるあきどの待望まちのぞまれるふうにて、とても御三卿ごさんきょうの…、田安家たやすけ当主とうしゅうつわとはおもえず…」

 じつ申訳もうしわけなさそうな様子ようすかべつつ、家治いえはるにそうこたえたのであった。
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