天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

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安永2(1773)年2月20日、萬壽姫の死

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家治いえはる如何いかがであった?」

 治済はるさだひでちちしだきながらそうせまった。

「えっ…」

かれ具合ぐあい如何いかがであったかといておるのだ…」

「それは…」

 ひで大奥おおおく最後さいごよる家治いえはるなさけもとめたのは治済はるさだ意向いこうによる。

「この治済はるさだもとへとまいまえ今一度いまいちど家治いえはるかれるのだ…」

 ひであらかじめ、治済はるさだにそうめいじられ、家治いえはるなさけもとめたのであった。

 家治いえはる無論むろん、そのことをらず、あくまでひで意思いしによるものと今以いまもっしんじてうたがわないでいた。

家治いえはるめ…、この治済はるさだへのあてつけからそなたをいたに相違そういあるまいて…」

「まさか…、殿様とのさまは…」

殿様とのさまではない。上様うえさまぞ…」

「あっ、これはしたり…、上様うえさまはその上様うえさまを…」

家治いえはるい…」

「いえ、それは流石さすがに…」

「まぁい…、そなたがきたいことはかる…、この治済はるさだ家治いえはるをからかいたく、今一度いまいちど家治いえはるかれよと、左様さようめいじたのかと、きたかったのであろう?」

御意ぎょい…、まさしく…」

「それもないとはもうさぬが…、なれどそれだけが理由りゆうではないぞ…」

「ではほかにも…、このひでに、上様うえさま今一度いまいちどかれるよう、おめいじあそばされし理由わけがおありと?」

如何いかにも…」

「そは一体いったい…」

子種こだねよ…」

「えっ…」

斯様かようにそなたをいてもたしかにこの治済はるさだ宿やどすとのかくなるあかしはあるまいて…」

「それで今一度いまいちど上様うえさまかれるよう、おめいじあそばされたと?」

左様さよう…」

「なれどそれでは、その…」

家治いえはる宿やどしたのであって、この治済はるさだではなく、さればこの治済はるさだ天下てんがりにはやくもうさずと…、斯様かようもうしたいのであろう?ひでは…」

御意ぎょい…」

「さればたいした問題もんだいではないわさ…」

「えっ…」

真実まこと、このさき、そなたがが…、ひで身篭みごもり、それが家治いえはる子種こだねであったとしてもだ、そなたはいま最早もはや、この治済はるさだ側妾そくしょう…、治済はるさだ側妾そくしょうとしてこの一橋ひとつばし屋形やかたにてらしておるによって…」

「されば…、このひで身篭みごもりさえすれば、だれ子種こだねであったとしてもかまわぬと、おおせで?」

有体ありていもうさば、そういうことよ…」

 治済はるさだはカラカラとわらいながらこたえた。

「この一橋ひとつばし屋形やかたにてらしておるひで身篭みごもったとなれば、仮令たとい、それが真実まこと家治いえはる子種こだねであったとしてもだ、この治済はるさだ子種こだねとして認知みとめられるによって…」

 治済はるさだのその言分いいぶんはDNA鑑定かんてい発達はったつした現代げんだいにおいては到底とうてい通用つうようしないものだが、しかしDNA鑑定かんていなど、

かげかたちもない…」

 江戸えどというこの時代じだいにおいては充分じゅうぶん通用つうようするものであった。

「ときに…、天下てんがりともうしますれば、その中年寄ちゅうどしよりけん如何いかが相成あいなりますので?」

 ひでくちにした「中年寄ちゅうどしよりけん」とはほかでもない、萬壽ますづき中年寄ちゅうどしよりのことである。

 いま御城えどじょう本丸大奥ほんまるおおおくにて将軍しょうぐん家治いえはる姫君ひめぎみ萬壽ます中年寄ちゅうどしよりとしてつかえているのはかつて、御台所みだいどころ倫子ともこ中年寄ちゅうどしよりとしてつかえていた面々めんめんであった。

 すなわち、大崎おおさき高橋たかはし類津るいつの3人である。

 倫子ともこ存命ぞんめいおりにはここにひでもおり、ひでくわえてこの4人で倫子ともこ附属ふぞく中年寄ちゅうどしよりとしてつかえ、つそのむすめ萬壽ますひめにもおなじく中年寄ちゅうどしよりとしてつかえていた。

 それが倫子ともこ一回忌いっかいきぎてひで大奥おおおく退しりぞいたことから、いま萬壽ます附属ふぞくする中年寄ちゅうどしより大崎おおさき高橋たかはし類津るいつの3人となった。

「ここでまた、姫君ひめぎみまでがやまいたおれたとあらば…、流石さすが上様うえさまあやしみすのではござりますまいか?こと類津るいつはこの一橋家ひとつばしけ…、家中かちゅう縁者えんじゃなれば…」

かっておるわ…、さればもなく、萬壽ますめが中年寄ちゅうどしより山野やまのくわわる手筈てはずとなっておるわさ…」

「やまの…」

左様さよう…、されば過日かじつ病歿びょうぼつせし竹姫たけひめいや…、淨岸院じょうがんいんつかたてまつりし山野やまのぞ…」

病歿びょうぼつ…」

 ひではギョッとしたかおでその「言葉ことば」をつぶやいた。

「おいおい…、左様さようかおをしてくれるな…、淨岸院じょうがんいん真実まこと病死びょうしぞ…」

 治済はるさだ苦笑くしょうしながらそうおうじたので、ひでもつられて苦笑くしょうした。

 が、それもつかひで真顔まがおもどるや、「ああ…、あの山野やまのでござりまするか…」と合点がてんがいった調子ちょうしおうじた。

 治済はるさだひで合点がてんした様子ようすると満足気まんぞくげ表情ひょうじょうかべてうなずくと、

ひで岩本いわもとむすめなればかるであろうな…」

 そう付加つけくわえたのであった。

 たしてひで懸念けねんしたとおり、将軍しょうぐん家治いえはるはここ最近さいきん―、今月こんげつ師走しわすはいってからというもの、愛娘まなむすめ萬壽ます体調たいちょうおもわしくないことにこころいためると同時どうじに、「ある疑惑ぎわく」をきつつあった。

萬壽ますは…、だれぞの一服いっぷくられたのではあるまいか…」

 家治いえはるがそうおもうのも、そのような「疑惑ぎわく」をくのも当然とうぜんであった。

 愛妻あいさい倫子ともこが「病死びょうし」してから一回忌いっかいきぎた12月、今度こんど愛娘まなむすめ萬壽ますまでがやまいたおれたとあっては|その「原因げんいん」について流石《さすが》にうたがいたくもなる。

 だがかり一服いっぷくられたとして、その場合ばあい下手人げしゅにん中年寄ちゅうどしより以外いがいにはかんがえられなかった。

 それと言うのも御台所みだいどころ姫君ひめぎみにだけ附属ふぞくする中年寄ちゅうどしより御台所みだいどころ姫君ひめぎみ食事しょくじ毒見どくみを、それも最後さいご毒見どくみになうからだ。

 倫子ともこ萬壽ます毒入どくいりの食事しょくじわされたとして、その場合ばあい中年寄ちゅうどしより毒見どくみやくたさなかったことになる。

 倫子ともこ萬壽ますぜん差出さしだされた食事しょくじどくはいっていたとして、その直前ちょくぜん毒見どくみにな中年寄ちゅうどしよりがまともに毒見どくみをしておれば、その時点じてんでまず、中年寄ちゅうどしよりどくたおれるはずであった。

 だが実際じっさいには倫子ともこ中年寄ちゅうどしよりとしてつかえていたものみないまでも健在けんざい、「ピンピン」しており、そのうちひでのぞいては、

なにわぬかおにて…」

 今度こんど萬壽ますにも引続ひきつづ中年寄ちゅうどしよりとしてつかつづけていた。

 と言うことはすくなくとも、中年寄ちゅうどしよりはまともに毒見どくみつとめなかった、毒見どくみをしなかった―、さらろんすすめるならば中年寄ちゅうどしよりどくれたと、そうかんがえざるをない。

 問題もんだいは「動機どうき」である。

 中年寄ちゅうどしより何故なにゆえ倫子ともこ毒殺どくさつし、今度こんど萬壽ますまで毒殺どくさつせんとしているのか、家治いえはるはそれをかんがえると、ある一人ひとりおとこかおおもかんだ。

一橋ひとつばし治済はるさだ、か…」

 中年寄ちゅうどしより治済はるさだ使嗾しそうけしかけられて倫子ともこ毒殺どくさつし、いまもまた萬壽ます毒殺どくさつせんとしているのではないかと、家治いえはるはそうかんがえた。

 それには「根拠こんきょ」があった。

 中年寄ちゅうどしより一人ひとり類津るいつだが、彼者かのもの小普請こぶしん組頭くみがしら川崎かわさき平八郎へいはちろう正方まさかた長女ちょうじょであり、宿元やどもと―、身元みもと保証人ほしょうにんもこのちちである川崎かわさき平八郎へいはちろうつとめていた。

 問題もんだいはこの川崎かわさき平八郎へいはちろうである。

 川崎かわさき平八郎へいはちろうには並河なみかわ新五左衛門しんござえもん正央まさなかなるじつおとうとがおり、彼者かのもの一橋ひとつばし家臣かしん、それも治済はるさだ近習きんじゅうばんとして治済はるさだ近侍きんじしていたのだ。

 そうであれば類津るいつにとっては叔父おじたる並河なみかわ新五左衛門しんござえもん治済はるさだそそのかされた―、

「そなたがめい類津るいつ御台所みだいどころづき中年寄ちゅうどしよりとして御台所みだいどころ御膳ごぜん毒見どくみにな立場たちばにあれば、その立場たちば利用りようして御台所みだいどころ毒殺どくさつしてはくれまいか…」

 並河なみかわ新五左衛門しんござえもん主君しゅくん治済はるさだよりそう持掛もちかけられ、すると並河なみかわ新五左衛門しんござえもん主君しゅくん治済はるさだの「のぞみ」をかなえるべく、めいたる類津るいつ御台所みだいどころである倫子ともこ毒殺どくさつめいじたのではあるまいかと、家治いえはるはそう推理すいりした。

 そして今一人いまひとり倫子ともこ中年寄ちゅうどしよりとしてつかえていたひでいたっては、倫子ともこ一回忌いっかいきぎた今年ことしの10月に治済はるさだのぞまれて一橋家ひとつばしけへとくだった。

持参金じさんきん…」

 その単語たんご家治いえはる脳裏のうりかんだ。


ひでは…、治済はるさだ側妾そくしょうとしてもらわれるにたり、治済はるさだより倫子ともこ毒殺どくさつ持掛もちかけられたのではあるまいか…」

 この治済はるさだ側妾そくしょうにしてやるによって、そのわりにそのまえ倫子ともこ毒殺どくさつしてまいれ―、ひで治済はるさだもらわれるにあたり、「持参金じさんきんわりに倫子ともこ毒殺どくさつ治済はるさだから持掛もちかけられたのではあるまいかとも、家治いえはるかんがえた。

 問題もんだいほか中年寄ちゅうどしより大崎おおさき高橋たかはし存在そんざいであった。

 毒見どくみつねに2人の中年寄ちゅうどしよりおこなう。

 かり家治いえはる推量すいりょうどおりだとして、

「いつもいつも…」

 ひで類津るいつの2人だけで毒見どくみを、倫子ともこ食事しょくじ毒見どくみになっていたならば、成程なるほど倫子ともこ毒殺どくさつ可能かのうであろう。

 だが実際じっさいには大崎おおさき高橋たかはしひで類津るいつと「ペア」をんで毒見どくみになっていたことだ。

 これで大崎おおさき高橋たかはしまでもが一橋ひとつばし治済はるさだの「いき」がかかっていたならばはなしべつだがいま時点じてんでは治済はるさだとのつながり、所縁ゆかりられない。

 なにより問題もんだいなのは中年寄ちゅうどしより毒見どくみには老女ろうじょ、それも武家ぶけけい年寄としより毒見どくみ立会たちあう、ということであった。

 中年寄ちゅうどしよりがきちんと毒見どくみたすかどうか、それを監視かんしするためであり、にもかかわらず中年寄ちゅうどしより直属ちょくぞく上司じょうしとも言うべき年寄としより監視かんしするなか毒見どくみたさず、それどころか食事しょくじどく混入こんにゅうする始末しまつとあっては、監視役かんしやく年寄としよりはそれを黙認もくにんしたことになる。

 その当時とうじ老女ろうじょ、それも武家ぶけけい年寄としより小枝一人さえだひとりであり、小枝さえだが1人で倫子ともこや、さらには萬壽ます食事しょくじ毒見どくみ監視かんしになっており、治済はるさだ使嗾しそうされた中年寄ちゅうどしより倫子ともこ毒殺どくさつはかろうとした場合ばあい監視役かんしやくたる小枝さえだをも「仲間なかま」に引込ひきこ必要ひつようがあった。

 つまりは小枝さえだ治済はるさだの「いき」がかかっていなければならない。

 だがこの小枝さえだにしてもいま時点じてんではやはり治済はるさだとのつながり、所縁ゆかりられなかった。

 家治いえはるがその小枝さえだより山野やまのの「新規しんき採用さいよう」を持掛もちかけられたのはそんなときであった。

「さればいま姫君様ひめぎみさまつかたてまつりし中年寄ちゅうどしより大崎おおさき高橋たかはし、そして類津るいつの3人にて…」

 これでは如何いかにも手薄てうすということで、そこで今一人いまひとり中年寄ちゅうどしよりやそうとおもい、そこで山野やまのをと、それが小枝さえだくちにした山野やまのの「新規しんき採用さいよう」の理由わけであった。

「つまり…、山野やまのをこの本丸大奥ほんまるおおおくにて、いきなり中年寄ちゅうどしよりに…、萬壽ますづき中年寄ちゅうどしよりとして召抱めしかかえようともうすのが?」

 家治いえはる小枝さえだにそう疑問ぎもんていした。

 家治いえはる疑問ぎもんもっともであった。

 それと言うのも、大奥おおおく新規しんき採用さいようされたものはまず三之間さんのま配属はいぞくされる。

 三之間さんのまとは三之間さんのま以上いじょう居間いま掃除そうじはこび、それに年寄としより中年寄ちゅうどしより御客会釈おきゃくあしらい中臈ちゅうろう詰所つめしょ雑用ざつようにない、この三之間さんのまから「昇進しょうしんスタート」である。

 だが小枝さえだ山野やまのをいきなり年寄としより重職じゅうしょく中年寄ちゅうどしよりとして召抱めしかかえようというのである。家治いえはる疑問ぎもんおもうのももっともであった。

「されば山野やまのは…、過日かじつ薨去こうきょされました淨岸院じょうがんいんさま若年寄わかどしよりにて…」

 小枝さえだのそのこたえに家治いえはるも「成程なるほど…」と合点がてんがいった。

 大奥おおおく新規しんき採用さいようされたならばまずは三之間さんのまから…、その原則げんそくにも例外れいがいはあり、

「ある程度ていど…」

 地位ちいたか女性じょせいはいきなり年寄としより採用さいようされることもある。

 たとえば時代じだいさかのぼるが、五代ごだい将軍しょうぐん綱吉つなよし治世ちせい当時とうじ備中びっちゅう松山藩主まつやまはんしゅであった水谷みずのや左京亮さきょうのすけ勝宗かつむね後添のちぞいの梅津うめづなる女性じょせいおっと死後しご右衛門佐えもんのすけ口利くちききにより上臈じょうろう年寄どしよりとして御城えどじょう本丸大奥ほんまるおおおくむかえられている。

 山野やまの場合ばあいもそうである。

 淨岸院じょうがんいんと言えば家治いえはる尊崇そんすうしてまない祖父そふ八代はちだい将軍しょうぐん吉宗よしむね養女ようじょ竹姫たけひめのことであった。

 養女ようじょとはもうせ、むすめであることにわりはなく、家治いえはるにとっては義理ぎり伯母おばたる。

 その淨岸院じょうがんいんこと竹姫たけひめ薩摩さつま藩主はんしゅ島津しまづ継豊つぐとよもとへととつぎ、

守殿様しゅでんさま

 そうしょうされたものである。

 竹姫たけひめはそのおっと継豊つぐとよ先立さきだたれ、落飾らくしょくかみろして淨岸院じょうがんいんあらためたのだが、ともあれかる竹姫たけひめこと淨岸院じょうがんいん若年寄わかどしよりとしてつかえていたものなれば、成程なるほど本丸大奥ほんまるおおおくにいきなり中年寄ちゅうどしよりとして召抱めしかかえてもなん差支さしつかえはなかった。

 もっとも、それはあくまで大奥おおおく人事じんじ規則きそくはなしである。

 大奥おおおく人事じんじ規則きそくらして問題もんだいはないとしても、家治いえはる個人こじんとしては問題もんだいがあった。

 それと言うのも淨岸院じょうがんいん島津しまづ継豊つぐとよしつであった、その淨岸院じょうがんいんに、もっと言えば島津家しまづけ山野やまのつかえていた、そのてん家治いえはるは「引掛ひっかかり」をおぼえたのだ。

 なにしろ島津家しまづけと言えば一橋家ひとつばしけとの所縁ゆかりふかいからだ。

 それも治済はるさだ同腹どうふく実姉じっし保姫やすひめいま薩摩さつま藩主はんしゅ島津しまづ重豪しげひでしつであったからだ。

 保姫やすひめすでにもういが、それでもいまでも島津しまづ重豪しげひで一橋ひとつばし治済はるさだとは義兄弟ぎきょうだいとしてしたしく付合つきあっていた。

 山野やまのはその島津家しまづけにてつかえていた。

 いや正確せいかくには山野やまのつかえていたのは淨岸院じょうがんいんではあるものの、それでもその淨岸院じょうがんいん島津家しまづけ上屋敷かみやしきにてらしていたのだから、島津家しまづけつかえていたと言っても差支さしつかえはないであろう。

 そして山野やまの淨岸院じょうがんいんに、島津家しまづけつかえるなか一橋ひとつばし治済はるさだとのつながりが出来できたとしても不思議ふしぎではない。

 家治いえはるはそのてん引掛ひっかかりを、いや不安ふあんおぼえたのだ。

 そしてその山野やまの持出もちだした小枝さえだについても、

「やはり…、小枝さえだまでもが治済はるさだめがいきがかかっているのではあるまいか…」

 家治いえはるにそうおもわせたのであった。

 すると小枝さえだ家治いえはるのそのようむねうち見透みすかしたものかどうか、

「さればこの山野やまのでござりまするが、清水宮内しみずくないきょうさまつかたてまつりし大河原喜三郎おおがわらきさぶろう良寛すけひろなるもの実姉じっしにて…」

 家治いえはるの「泣所なきどころ」のひとつとも言うべき清水宮内しみずくないきょうさまこと、おとうと重好しげよし持出もちだしたのであった。

 腹違はらちがいとは言え、家治いえはる重好しげよしじつよわい。重好しげよしいとおしくてたまらず、重好しげよしされると、さしもの家治いえはるも「腰砕こしくだけ」となる。

 このときもそうであり、家治いえはる山野やまの清水家臣しみずかしん大事だいじおとうと重好しげよしつかえるものじつあねというだけで、一橋家ひとつばしけとも所縁ゆかりのある島津家しまづけつかえていたこともわすれて、小枝さえだすすめにしたがになった。

 それでも家治いえはるねんため重好当人しげよしとうにんにもたしかめることにした。

 三卿さんきょう平日登城へいじつとじょうゆるされており、つ、将軍しょうぐん居所きょしょである中奥なかおく詰所つめしょが、所謂いわゆる、「ひかえ座敷ざしき」があたえられており、そこにめることがゆるされていた。

 家治いえはる小枝さえだから山野やまのけんつたえられたその翌日よくじつもそうであり、家治いえはるはそこで政務せいむ合間あいま重好しげよし休息之間きゅうそくのま下段げだんへとまねくと、そこで大河原喜三郎おおがわらきさぶろう良寛すけひろなる清水家臣しみずかしんについてたずねた。

 すると重好しげよしは「ああ…」とおうじたかとおもうと、

たしかに、小十人こじゅうにん組頭くみがしらとして清水家しみずけにて…、この重好しげよしつかえておりまするが、それがなにか?」

 家治いえはるにそうおうじたものだから、家治いえはるもこれで小枝さえだはなしをほぼしんじた。

 それでも家治いえはるは「ダメし」とばかり、そのあねについてもたずねた。

大河原喜三郎おおがわらきさぶろうにはあねがおるとくが…」

御意ぎょい…、たし山野やまのとかもうものにて、過日かじつ薨去こうきょされました淨岸院じょうがんいんさまつかたてまつり…、それにしても兄上あにうえ…、いえ、上様うえさま存知ぞんじで…」

 重好しげよしまるくした。

「いや、なに…、ちと大奥おおおくみみにしたゆえな…」

左様さようでござりましたか…」

 かくして家治いえはる小枝さえだすすめにしたがい、山野やまの愛娘まなむすめ萬壽ますづき中年寄ちゅうどしよりとして召抱めしかかえることにしたのだ。

 その甲斐かいあってかもなく萬壽ます体調たいちょう快復かいふくし、安永2(1773)年の正月しょうがつむかえることが出来できた。

 それゆえ家治いえはるは、

「やはり…、治済はるさだめがうらいといておったのか…」

 そうおもった。

 なにしろ家治いえはる山野やまの萬壽ますづき中年寄ちゅうどしよりとして召抱めしかかえるにあたって、

毒見どくみさいしてはかなら山野やまのほかものになうこと…」

 この条件じょうけん小枝さえだ、そして山野やまの当人とうにん突付つきつけたからだ。

 山野やまのは、そして小枝さえだもこの条件じょうけんみ、萬壽ますづき中年寄ちゅうどしより着任ちゃくにん、そのからいまいたるまでずっと、つね毒見どくみになってきた。

 つまりは、「山野やまの大崎おおさき」、あるいは「山野やまの高橋たかはし」、「山野やまの類津るいつ」のペアで萬壽ます食事しょくじ毒見どくみになわせ、けっして山野やまののぞいて、たとえば「大崎おおさき類津るいつ」、「高橋たかはし類津るいつ」、さらには「大崎おおさき高橋たかはし」というペアでは毒見どくみになわせなかったのだ。

 すると萬壽ますひめ体調たいちょう快復かいふくしたものだから、家治いえはる治済はるさだうたがうのも当然とうぜんであった。

 だがそれもながくはつづかなかった。

 2月の中旬ちゅうじゅん、それも18日にふたたび、萬壽ます体調たいちょう悪化あっかしたのだ。

 無論むろん、このかんもずっと山野やまの毒見どくみやくかさなかった。

 にもかかわらず、萬壽ます体調たいちょう悪化あっかした。

 と言うことは、それは治済はるさだの「関与かんよ」を否定ひていするものであったからだ。

 なにしろ山野やまの重好しげよしつかえる大河原喜三郎おおがわらきさぶろう実姉じっしだからだ。

 家治いえはるはそれほどまでに重好しげよししんじていたのだ。

 そしてそれから三日みっかたない20日―、安永2(1773)年2月20日、上刻じょうこくすなわち昼四つ(午前10時頃)、歿ぼっした。
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