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安永2(1773)年2月20日、萬壽姫の死
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「家治は如何であった?」
治済は秀の乳を揉み拉きながらそう迫った。
「えっ…」
「抱かれ具合は如何であったかと訊いておるのだ…」
「それは…」
秀が大奥最後の夜、家治に情を求めたのは治済の意向による。
「この治済が許へと参る前に今一度、家治に抱かれるのだ…」
秀は予め、治済にそう命じられ、家治に情を求めたのであった。
家治は無論、そのことを知らず、あくまで秀の意思によるものと今以て信じて疑わないでいた。
「家治め…、この治済へのあてつけからそなたを抱いたに相違あるまいて…」
「まさか…、殿様は…」
「殿様ではない。上様ぞ…」
「あっ、これはしたり…、上様はその上様を…」
「家治で良い…」
「いえ、それは流石に…」
「まぁ良い…、そなたが訊きたいことは分かる…、この治済、家治をからかいたく、今一度、家治に抱かれよと、左様に命じたのかと、訊きたかったのであろう?」
「御意…、正しく…」
「それもないとは申さぬが…、なれどそれだけが理由ではないぞ…」
「では外にも…、この秀に、上様に今一度、抱かれる様、お命じあそばされし理由がおありと?」
「如何にも…」
「そは一体…」
「子種よ…」
「えっ…」
「斯様にそなたを抱いても確かにこの治済が子が宿すとのかくなる証はあるまいて…」
「それで今一度、上様に抱かれる様、お命じあそばされたと?」
「左様…」
「なれどそれでは、その…」
「家治の子を宿したのであって、この治済が子ではなく、さればこの治済が天下獲りには役に立ち申さずと…、斯様に申したいのであろう?秀は…」
「御意…」
「されば大した問題ではないわさ…」
「えっ…」
「真実、この先、そなたがが…、秀が身篭り、それが家治の子種であったとしてもだ、そなたは今は最早、この治済が側妾…、治済が側妾としてこの一橋屋形にて暮らしておるによって…」
「されば…、この秀が身篭りさえすれば、誰が子種であったとしても構わぬと、仰せで?」
「有体に申さば、そういうことよ…」
治済はカラカラと嗤いながら応えた。
「この一橋屋形にて暮らしておる秀が身篭ったとなれば、仮令、それが真実、家治が子種であったとしてもだ、この治済が子種として認知められるによって…」
治済のその言分はDNA鑑定が発達した現代においては到底、通用しないものだが、しかしDNA鑑定など、
「影も形もない…」
江戸というこの時代においては充分に通用するものであった。
「ときに…、天下獲りと申しますれば、その中年寄の件は如何相成りますので?」
秀が口にした「中年寄の件」とは外でもない、萬壽附の中年寄のことである。
今、御城は本丸大奥にて将軍・家治が姫君の萬壽に中年寄として仕えているのは嘗て、御台所の倫子に中年寄として仕えていた面々であった。
即ち、大崎と高橋、類津の3人である。
倫子が存命の折にはここに秀もおり、秀を加えてこの4人で倫子に附属、中年寄として仕え、且つその娘の萬壽姫にも同じく中年寄として仕えていた。
それが倫子の一回忌が過ぎて秀が大奥を退いたことから、今、萬壽に附属する中年寄は大崎、高橋、類津の3人となった。
「ここでまた、姫君までが病に斃れたとあらば…、流石に上様も怪しみ出すのではござりますまいか?殊に類津はこの一橋家…、御家中が縁者なれば…」
「分かっておるわ…、されば間もなく、萬壽めが中年寄に山野が加わる手筈となっておるわさ…」
「やまの…」
「左様…、されば過日、病歿せし竹姫、否…、淨岸院に仕え奉りし山野ぞ…」
「病歿…」
秀はギョッとした顔でその「言葉」を呟いた。
「おいおい…、左様な顔をしてくれるな…、淨岸院は真実、病死ぞ…」
治済は苦笑しながらそう応じたので、秀もつられて苦笑した。
が、それも束の間、秀は真顔に戻るや、「ああ…、あの山野でござりまするか…」と合点がいった調子で応じた。
治済も秀が合点した様子を見て取ると満足気な表情を浮かべて頷くと、
「秀も岩本の娘なれば分かるであろうな…」
そう付加えたのであった。
果たして秀が懸念した通り、将軍・家治はここ最近―、今月、師走に入ってからというもの、愛娘の萬壽の体調が思わしくないことに心を痛めると同時に、「ある疑惑」を抱きつつあった。
「萬壽は…、誰ぞの一服盛られたのではあるまいか…」
家治がそう思うのも、その様な「疑惑」を抱くのも当然であった。
愛妻の倫子が「病死」してから一回忌が過ぎた12月、今度は愛娘の萬壽までが病に斃れたとあっては|その「原因」について流石《さすが》に疑いたくもなる。
だが仮に一服盛られたとして、その場合、下手人は中年寄以外には考えられなかった。
それと言うのも御台所や姫君にだけ附属する中年寄が御台所や姫君の食事の毒見を、それも最後に毒見を担うからだ。
倫子や萬壽が毒入りの食事を喰わされたとして、その場合、中年寄は毒見役を果たさなかったことになる。
倫子や萬壽の御前に差出された食事に毒が入っていたとして、その直前に毒見を担う中年寄がまともに毒見をしておれば、その時点でまず、中年寄が毒に斃れる筈であった。
だが実際には倫子に中年寄として仕えていた者は皆、今でも健在、「ピンピン」しており、その内、秀を除いては、
「何喰わぬ顔にて…」
今度は萬壽にも引続き中年寄として仕え続けていた。
と言うことは少なくとも、中年寄はまともに毒見を務めなかった、毒見をしなかった―、更に論を進めるならば中年寄が毒を入れたと、そう考えざるを得ない。
問題は「動機」である。
中年寄が何故に倫子を毒殺し、今度は萬壽まで毒殺せんとしているのか、家治はそれを考えると、ある一人の男の顔が思い浮かんだ。
「一橋治済、か…」
中年寄は治済に使嗾、嗾けられて倫子を毒殺し、今もまた萬壽を毒殺せんとしているのではないかと、家治はそう考えた。
それには「根拠」があった。
中年寄の一人、類津だが、彼者は小普請組頭の川崎平八郎正方が長女であり、宿元―、身元保証人もこの父である川崎平八郎が務めていた。
問題はこの川崎平八郎である。
川崎平八郎には並河新五左衛門正央なる実の弟がおり、彼者は一橋家臣、それも治済が近習番として治済に近侍していたのだ。
そうであれば類津にとっては叔父に当たる並河新五左衛門が治済に唆された―、
「そなたが姪御の類津は御台所附の中年寄として御台所の御膳の毒見を担う立場にあれば、その立場を利用して御台所を毒殺してはくれまいか…」
並河新五左衛門は主君・治済よりそう持掛けられ、すると並河新五左衛門も主君・治済の「望み」を叶えるべく、姪に当たる類津に御台所である倫子の毒殺を命じたのではあるまいかと、家治はそう推理した。
そして今一人、倫子に中年寄として仕えていた秀に至っては、倫子の一回忌が過ぎた今年の10月に治済に望まれて一橋家へと降った。
「持参金…」
その単語が家治の脳裏に浮かんだ。
「秀は…、治済が側妾として貰われるに当たり、治済より倫子の毒殺を持掛けられたのではあるまいか…」
この治済が側妾にしてやるによって、その代わりにその前に倫子を毒殺して参れ―、秀は治済に貰われるに辺り、「持参金」代わりに倫子の毒殺を治済から持掛けられたのではあるまいかとも、家治は考えた。
問題は外の中年寄、大崎と高橋の存在であった。
毒見は常に2人の中年寄が行う。
仮に家治の推量通りだとして、
「いつもいつも…」
秀と類津の2人だけで毒見を、倫子の食事の毒見を担っていたならば、成程、倫子の毒殺も可能であろう。
だが実際には大崎や高橋も秀や類津と「ペア」を組んで毒見を担っていたことだ。
これで大崎や高橋までもが一橋治済の「息」がかかっていたならば話は別だが今の時点では治済との繋がり、所縁は見られない。
何より問題なのは中年寄の毒見には老女、それも武家系の年寄が毒見に立会う、ということであった。
中年寄がきちんと毒見を果たすかどうか、それを監視する為であり、にもかかわらず中年寄が直属の上司とも言うべき年寄が監視する中、毒見を果たさず、それどころか食事に毒を混入する始末とあっては、監視役の年寄はそれを黙認したことになる。
その当時の老女、それも武家系の年寄は小枝一人であり、小枝が1人で倫子や、更には萬壽の食事の毒見の監視を担っており、治済に使嗾された中年寄が倫子の毒殺を謀ろうとした場合、監視役たる小枝をも「仲間」に引込む必要があった。
つまりは小枝も治済の「息」がかかっていなければならない。
だがこの小枝にしても今の時点ではやはり治済との繋がり、所縁は見られなかった。
家治がその小枝より山野の「新規採用」を持掛けられたのはそんな時であった。
「されば今、姫君様に仕え奉りし中年寄は大崎、高橋、そして類津の3人にて…」
これでは如何にも手薄ということで、そこで今一人、中年寄を増やそうと思い、そこで山野をと、それが小枝が口にした山野の「新規採用」の理由であった。
「つまり…、山野をこの本丸大奥にて、いきなり中年寄に…、萬壽附の中年寄として召抱えようと申すのが?」
家治は小枝にそう疑問を呈した。
家治の疑問は尤もであった。
それと言うのも、大奥に新規採用された者はまず御三之間に配属される。
御三之間とは御三之間以上の居間の掃除や湯運び、それに御年寄や中年寄、御客会釈や御中臈詰所の雑用を担い、この御三之間から「昇進スタート」である。
だが小枝は山野をいきなり御年寄に次ぐ重職の中年寄として召抱えようというのである。家治が疑問に思うのも尤もであった。
「されば山野は…、過日、薨去されました淨岸院様が若年寄にて…」
小枝のその答えに家治も「成程…」と合点がいった。
大奥に新規採用されたならばまずは御三之間から…、その原則にも例外はあり、
「ある程度…」
地位の高い女性はいきなり御年寄に採用されることもある。
例えば時代は遡るが、五代将軍・綱吉が治世、当時、備中松山藩主であった水谷左京亮勝宗が後添いの梅津なる女性は夫の死後、右衛門佐の口利きにより上臈年寄として御城本丸大奥に迎えられている。
山野の場合もそうである。
淨岸院と言えば家治が尊崇して已まない祖父、八代将軍・吉宗が養女、竹姫のことであった。
養女とは申せ、娘であることに変わりはなく、家治にとっては義理の伯母に当たる。
その淨岸院こと竹姫は薩摩藩主の島津継豊の許へと嫁ぎ、
「御守殿様」
そう称されたものである。
竹姫はその後、夫の継豊に先立たれ、落飾、髪を下ろして淨岸院と名を改めたのだが、ともあれ斯かる竹姫こと淨岸院に若年寄として仕えていた者なれば、成程、本丸大奥にいきなり中年寄として召抱えても何ら差支えはなかった。
尤も、それはあくまで大奥の人事の規則の話である。
大奥の人事の規則に照らして問題はないとしても、家治個人としては問題があった。
それと言うのも淨岸院は島津継豊の室であった、その淨岸院に、もっと言えば島津家に山野が仕えていた、その点に家治は「引掛かり」を覚えたのだ。
何しろ島津家と言えば一橋家との所縁が深いからだ。
それも治済が同腹の実姉、保姫が今の薩摩藩主、島津重豪の室であったからだ。
保姫は既にもう亡いが、それでも今でも島津重豪と一橋治済とは義兄弟として親しく付合っていた。
山野はその島津家にて仕えていた。
否、正確には山野が仕えていたのは淨岸院ではあるものの、それでもその淨岸院は島津家の上屋敷にて暮らしていたのだから、島津家に仕えていたと言っても差支えはないであろう。
そして山野は淨岸院に、島津家に仕える中、一橋治済との繋がりが出来たとしても不思議ではない。
家治はその点に引掛かりを、否、不安を覚えたのだ。
そしてその山野の名を持出した小枝についても、
「やはり…、小枝までもが治済めが息がかかっているのではあるまいか…」
家治にそう思わせたのであった。
すると小枝は家治のその様な胸の内を見透かしたものかどうか、
「さればこの山野でござりまするが、清水宮内卿様に仕え奉りし大河原喜三郎良寛なる者が実姉にて…」
家治の「泣所」の一つとも言うべき清水宮内卿様こと、弟の重好の名を持出したのであった。
腹違いとは言え、家治は重好に実に弱い。重好が愛おしくて堪らず、重好の名を出されると、さしもの家治も「腰砕け」となる。
この時もそうであり、家治は山野が清水家臣、大事な弟の重好に仕える者の実の姉というだけで、一橋家とも所縁のある島津家に仕えていたことも忘れて、小枝の勧めに従う気になった。
それでも家治は念の為、重好当人にも確かめることにした。
御三卿は平日登城が許されており、且つ、将軍の居所である中奥に詰所が、所謂、「御控座敷」が与えられており、そこに詰めることが許されていた。
家治が小枝から山野の件を伝えられたその翌日もそうであり、家治はそこで政務の合間、重好を御休息之間下段へと招くと、そこで大河原喜三郎良寛なる清水家臣について尋ねた。
すると重好は「ああ…」と応じたかと思うと、
「確かに、小十人組頭として清水家にて…、この重好に仕えておりまするが、それが何か?」
家治にそう応じたものだから、家治もこれで小枝の話をほぼ信じた。
それでも家治は「ダメ押し」とばかり、その姉についても尋ねた。
「大河原喜三郎には姉がおると聞くが…」
「御意…、確か山野とか申す者にて、過日、薨去されました淨岸院様に仕え奉り…、それにしても兄上…、いえ、上様、良く御存知で…」
重好は目を丸くした。
「いや、なに…、ちと大奥で耳にした故な…」
「左様でござりましたか…」
かくして家治は小枝の勧めに従い、山野を愛娘の萬壽附の中年寄として召抱えることにしたのだ。
その甲斐あってか間もなく萬壽の体調は快復し、安永2(1773)年の正月を迎えることが出来た。
それ故、家治は、
「やはり…、治済めが裏で糸を引いておったのか…」
そう思った。
何しろ家治は山野を萬壽附の中年寄として召抱えるにあたって、
「毒見に際しては必ず山野が外の者と担うこと…」
この条件を小枝、そして山野当人に突付けたからだ。
山野は、そして小枝もこの条件を呑み、萬壽附の中年寄に着任後、その日から今に至るまでずっと、常に毒見を担ってきた。
つまりは、「山野・大崎」、或いは「山野・高橋」、「山野・類津」のペアで萬壽の食事の毒見を担わせ、決して山野を除いて、例えば「大崎・類津」、「高橋・類津」、更には「大崎・高橋」というペアでは毒見を担わせなかったのだ。
すると萬壽姫の体調が快復したものだから、家治が治済を疑うのも当然であった。
だがそれも長くは続かなかった。
2月の中旬、それも18日に再び、萬壽の体調が悪化したのだ。
無論、この間もずっと山野は毒見役を欠かさなかった。
にもかかわらず、萬壽の体調は悪化した。
と言うことは、それは治済の「関与」を否定するものであったからだ。
何しろ山野は重好に仕える大河原喜三郎の実姉だからだ。
家治はそれ程までに重好を信じていたのだ。
そしてそれから三日と経たない20日―、安永2(1773)年2月20日、巳の上刻、即ち昼四つ(午前10時頃)、歿した。
治済は秀の乳を揉み拉きながらそう迫った。
「えっ…」
「抱かれ具合は如何であったかと訊いておるのだ…」
「それは…」
秀が大奥最後の夜、家治に情を求めたのは治済の意向による。
「この治済が許へと参る前に今一度、家治に抱かれるのだ…」
秀は予め、治済にそう命じられ、家治に情を求めたのであった。
家治は無論、そのことを知らず、あくまで秀の意思によるものと今以て信じて疑わないでいた。
「家治め…、この治済へのあてつけからそなたを抱いたに相違あるまいて…」
「まさか…、殿様は…」
「殿様ではない。上様ぞ…」
「あっ、これはしたり…、上様はその上様を…」
「家治で良い…」
「いえ、それは流石に…」
「まぁ良い…、そなたが訊きたいことは分かる…、この治済、家治をからかいたく、今一度、家治に抱かれよと、左様に命じたのかと、訊きたかったのであろう?」
「御意…、正しく…」
「それもないとは申さぬが…、なれどそれだけが理由ではないぞ…」
「では外にも…、この秀に、上様に今一度、抱かれる様、お命じあそばされし理由がおありと?」
「如何にも…」
「そは一体…」
「子種よ…」
「えっ…」
「斯様にそなたを抱いても確かにこの治済が子が宿すとのかくなる証はあるまいて…」
「それで今一度、上様に抱かれる様、お命じあそばされたと?」
「左様…」
「なれどそれでは、その…」
「家治の子を宿したのであって、この治済が子ではなく、さればこの治済が天下獲りには役に立ち申さずと…、斯様に申したいのであろう?秀は…」
「御意…」
「されば大した問題ではないわさ…」
「えっ…」
「真実、この先、そなたがが…、秀が身篭り、それが家治の子種であったとしてもだ、そなたは今は最早、この治済が側妾…、治済が側妾としてこの一橋屋形にて暮らしておるによって…」
「されば…、この秀が身篭りさえすれば、誰が子種であったとしても構わぬと、仰せで?」
「有体に申さば、そういうことよ…」
治済はカラカラと嗤いながら応えた。
「この一橋屋形にて暮らしておる秀が身篭ったとなれば、仮令、それが真実、家治が子種であったとしてもだ、この治済が子種として認知められるによって…」
治済のその言分はDNA鑑定が発達した現代においては到底、通用しないものだが、しかしDNA鑑定など、
「影も形もない…」
江戸というこの時代においては充分に通用するものであった。
「ときに…、天下獲りと申しますれば、その中年寄の件は如何相成りますので?」
秀が口にした「中年寄の件」とは外でもない、萬壽附の中年寄のことである。
今、御城は本丸大奥にて将軍・家治が姫君の萬壽に中年寄として仕えているのは嘗て、御台所の倫子に中年寄として仕えていた面々であった。
即ち、大崎と高橋、類津の3人である。
倫子が存命の折にはここに秀もおり、秀を加えてこの4人で倫子に附属、中年寄として仕え、且つその娘の萬壽姫にも同じく中年寄として仕えていた。
それが倫子の一回忌が過ぎて秀が大奥を退いたことから、今、萬壽に附属する中年寄は大崎、高橋、類津の3人となった。
「ここでまた、姫君までが病に斃れたとあらば…、流石に上様も怪しみ出すのではござりますまいか?殊に類津はこの一橋家…、御家中が縁者なれば…」
「分かっておるわ…、されば間もなく、萬壽めが中年寄に山野が加わる手筈となっておるわさ…」
「やまの…」
「左様…、されば過日、病歿せし竹姫、否…、淨岸院に仕え奉りし山野ぞ…」
「病歿…」
秀はギョッとした顔でその「言葉」を呟いた。
「おいおい…、左様な顔をしてくれるな…、淨岸院は真実、病死ぞ…」
治済は苦笑しながらそう応じたので、秀もつられて苦笑した。
が、それも束の間、秀は真顔に戻るや、「ああ…、あの山野でござりまするか…」と合点がいった調子で応じた。
治済も秀が合点した様子を見て取ると満足気な表情を浮かべて頷くと、
「秀も岩本の娘なれば分かるであろうな…」
そう付加えたのであった。
果たして秀が懸念した通り、将軍・家治はここ最近―、今月、師走に入ってからというもの、愛娘の萬壽の体調が思わしくないことに心を痛めると同時に、「ある疑惑」を抱きつつあった。
「萬壽は…、誰ぞの一服盛られたのではあるまいか…」
家治がそう思うのも、その様な「疑惑」を抱くのも当然であった。
愛妻の倫子が「病死」してから一回忌が過ぎた12月、今度は愛娘の萬壽までが病に斃れたとあっては|その「原因」について流石《さすが》に疑いたくもなる。
だが仮に一服盛られたとして、その場合、下手人は中年寄以外には考えられなかった。
それと言うのも御台所や姫君にだけ附属する中年寄が御台所や姫君の食事の毒見を、それも最後に毒見を担うからだ。
倫子や萬壽が毒入りの食事を喰わされたとして、その場合、中年寄は毒見役を果たさなかったことになる。
倫子や萬壽の御前に差出された食事に毒が入っていたとして、その直前に毒見を担う中年寄がまともに毒見をしておれば、その時点でまず、中年寄が毒に斃れる筈であった。
だが実際には倫子に中年寄として仕えていた者は皆、今でも健在、「ピンピン」しており、その内、秀を除いては、
「何喰わぬ顔にて…」
今度は萬壽にも引続き中年寄として仕え続けていた。
と言うことは少なくとも、中年寄はまともに毒見を務めなかった、毒見をしなかった―、更に論を進めるならば中年寄が毒を入れたと、そう考えざるを得ない。
問題は「動機」である。
中年寄が何故に倫子を毒殺し、今度は萬壽まで毒殺せんとしているのか、家治はそれを考えると、ある一人の男の顔が思い浮かんだ。
「一橋治済、か…」
中年寄は治済に使嗾、嗾けられて倫子を毒殺し、今もまた萬壽を毒殺せんとしているのではないかと、家治はそう考えた。
それには「根拠」があった。
中年寄の一人、類津だが、彼者は小普請組頭の川崎平八郎正方が長女であり、宿元―、身元保証人もこの父である川崎平八郎が務めていた。
問題はこの川崎平八郎である。
川崎平八郎には並河新五左衛門正央なる実の弟がおり、彼者は一橋家臣、それも治済が近習番として治済に近侍していたのだ。
そうであれば類津にとっては叔父に当たる並河新五左衛門が治済に唆された―、
「そなたが姪御の類津は御台所附の中年寄として御台所の御膳の毒見を担う立場にあれば、その立場を利用して御台所を毒殺してはくれまいか…」
並河新五左衛門は主君・治済よりそう持掛けられ、すると並河新五左衛門も主君・治済の「望み」を叶えるべく、姪に当たる類津に御台所である倫子の毒殺を命じたのではあるまいかと、家治はそう推理した。
そして今一人、倫子に中年寄として仕えていた秀に至っては、倫子の一回忌が過ぎた今年の10月に治済に望まれて一橋家へと降った。
「持参金…」
その単語が家治の脳裏に浮かんだ。
「秀は…、治済が側妾として貰われるに当たり、治済より倫子の毒殺を持掛けられたのではあるまいか…」
この治済が側妾にしてやるによって、その代わりにその前に倫子を毒殺して参れ―、秀は治済に貰われるに辺り、「持参金」代わりに倫子の毒殺を治済から持掛けられたのではあるまいかとも、家治は考えた。
問題は外の中年寄、大崎と高橋の存在であった。
毒見は常に2人の中年寄が行う。
仮に家治の推量通りだとして、
「いつもいつも…」
秀と類津の2人だけで毒見を、倫子の食事の毒見を担っていたならば、成程、倫子の毒殺も可能であろう。
だが実際には大崎や高橋も秀や類津と「ペア」を組んで毒見を担っていたことだ。
これで大崎や高橋までもが一橋治済の「息」がかかっていたならば話は別だが今の時点では治済との繋がり、所縁は見られない。
何より問題なのは中年寄の毒見には老女、それも武家系の年寄が毒見に立会う、ということであった。
中年寄がきちんと毒見を果たすかどうか、それを監視する為であり、にもかかわらず中年寄が直属の上司とも言うべき年寄が監視する中、毒見を果たさず、それどころか食事に毒を混入する始末とあっては、監視役の年寄はそれを黙認したことになる。
その当時の老女、それも武家系の年寄は小枝一人であり、小枝が1人で倫子や、更には萬壽の食事の毒見の監視を担っており、治済に使嗾された中年寄が倫子の毒殺を謀ろうとした場合、監視役たる小枝をも「仲間」に引込む必要があった。
つまりは小枝も治済の「息」がかかっていなければならない。
だがこの小枝にしても今の時点ではやはり治済との繋がり、所縁は見られなかった。
家治がその小枝より山野の「新規採用」を持掛けられたのはそんな時であった。
「されば今、姫君様に仕え奉りし中年寄は大崎、高橋、そして類津の3人にて…」
これでは如何にも手薄ということで、そこで今一人、中年寄を増やそうと思い、そこで山野をと、それが小枝が口にした山野の「新規採用」の理由であった。
「つまり…、山野をこの本丸大奥にて、いきなり中年寄に…、萬壽附の中年寄として召抱えようと申すのが?」
家治は小枝にそう疑問を呈した。
家治の疑問は尤もであった。
それと言うのも、大奥に新規採用された者はまず御三之間に配属される。
御三之間とは御三之間以上の居間の掃除や湯運び、それに御年寄や中年寄、御客会釈や御中臈詰所の雑用を担い、この御三之間から「昇進スタート」である。
だが小枝は山野をいきなり御年寄に次ぐ重職の中年寄として召抱えようというのである。家治が疑問に思うのも尤もであった。
「されば山野は…、過日、薨去されました淨岸院様が若年寄にて…」
小枝のその答えに家治も「成程…」と合点がいった。
大奥に新規採用されたならばまずは御三之間から…、その原則にも例外はあり、
「ある程度…」
地位の高い女性はいきなり御年寄に採用されることもある。
例えば時代は遡るが、五代将軍・綱吉が治世、当時、備中松山藩主であった水谷左京亮勝宗が後添いの梅津なる女性は夫の死後、右衛門佐の口利きにより上臈年寄として御城本丸大奥に迎えられている。
山野の場合もそうである。
淨岸院と言えば家治が尊崇して已まない祖父、八代将軍・吉宗が養女、竹姫のことであった。
養女とは申せ、娘であることに変わりはなく、家治にとっては義理の伯母に当たる。
その淨岸院こと竹姫は薩摩藩主の島津継豊の許へと嫁ぎ、
「御守殿様」
そう称されたものである。
竹姫はその後、夫の継豊に先立たれ、落飾、髪を下ろして淨岸院と名を改めたのだが、ともあれ斯かる竹姫こと淨岸院に若年寄として仕えていた者なれば、成程、本丸大奥にいきなり中年寄として召抱えても何ら差支えはなかった。
尤も、それはあくまで大奥の人事の規則の話である。
大奥の人事の規則に照らして問題はないとしても、家治個人としては問題があった。
それと言うのも淨岸院は島津継豊の室であった、その淨岸院に、もっと言えば島津家に山野が仕えていた、その点に家治は「引掛かり」を覚えたのだ。
何しろ島津家と言えば一橋家との所縁が深いからだ。
それも治済が同腹の実姉、保姫が今の薩摩藩主、島津重豪の室であったからだ。
保姫は既にもう亡いが、それでも今でも島津重豪と一橋治済とは義兄弟として親しく付合っていた。
山野はその島津家にて仕えていた。
否、正確には山野が仕えていたのは淨岸院ではあるものの、それでもその淨岸院は島津家の上屋敷にて暮らしていたのだから、島津家に仕えていたと言っても差支えはないであろう。
そして山野は淨岸院に、島津家に仕える中、一橋治済との繋がりが出来たとしても不思議ではない。
家治はその点に引掛かりを、否、不安を覚えたのだ。
そしてその山野の名を持出した小枝についても、
「やはり…、小枝までもが治済めが息がかかっているのではあるまいか…」
家治にそう思わせたのであった。
すると小枝は家治のその様な胸の内を見透かしたものかどうか、
「さればこの山野でござりまするが、清水宮内卿様に仕え奉りし大河原喜三郎良寛なる者が実姉にて…」
家治の「泣所」の一つとも言うべき清水宮内卿様こと、弟の重好の名を持出したのであった。
腹違いとは言え、家治は重好に実に弱い。重好が愛おしくて堪らず、重好の名を出されると、さしもの家治も「腰砕け」となる。
この時もそうであり、家治は山野が清水家臣、大事な弟の重好に仕える者の実の姉というだけで、一橋家とも所縁のある島津家に仕えていたことも忘れて、小枝の勧めに従う気になった。
それでも家治は念の為、重好当人にも確かめることにした。
御三卿は平日登城が許されており、且つ、将軍の居所である中奥に詰所が、所謂、「御控座敷」が与えられており、そこに詰めることが許されていた。
家治が小枝から山野の件を伝えられたその翌日もそうであり、家治はそこで政務の合間、重好を御休息之間下段へと招くと、そこで大河原喜三郎良寛なる清水家臣について尋ねた。
すると重好は「ああ…」と応じたかと思うと、
「確かに、小十人組頭として清水家にて…、この重好に仕えておりまするが、それが何か?」
家治にそう応じたものだから、家治もこれで小枝の話をほぼ信じた。
それでも家治は「ダメ押し」とばかり、その姉についても尋ねた。
「大河原喜三郎には姉がおると聞くが…」
「御意…、確か山野とか申す者にて、過日、薨去されました淨岸院様に仕え奉り…、それにしても兄上…、いえ、上様、良く御存知で…」
重好は目を丸くした。
「いや、なに…、ちと大奥で耳にした故な…」
「左様でござりましたか…」
かくして家治は小枝の勧めに従い、山野を愛娘の萬壽附の中年寄として召抱えることにしたのだ。
その甲斐あってか間もなく萬壽の体調は快復し、安永2(1773)年の正月を迎えることが出来た。
それ故、家治は、
「やはり…、治済めが裏で糸を引いておったのか…」
そう思った。
何しろ家治は山野を萬壽附の中年寄として召抱えるにあたって、
「毒見に際しては必ず山野が外の者と担うこと…」
この条件を小枝、そして山野当人に突付けたからだ。
山野は、そして小枝もこの条件を呑み、萬壽附の中年寄に着任後、その日から今に至るまでずっと、常に毒見を担ってきた。
つまりは、「山野・大崎」、或いは「山野・高橋」、「山野・類津」のペアで萬壽の食事の毒見を担わせ、決して山野を除いて、例えば「大崎・類津」、「高橋・類津」、更には「大崎・高橋」というペアでは毒見を担わせなかったのだ。
すると萬壽姫の体調が快復したものだから、家治が治済を疑うのも当然であった。
だがそれも長くは続かなかった。
2月の中旬、それも18日に再び、萬壽の体調が悪化したのだ。
無論、この間もずっと山野は毒見役を欠かさなかった。
にもかかわらず、萬壽の体調は悪化した。
と言うことは、それは治済の「関与」を否定するものであったからだ。
何しろ山野は重好に仕える大河原喜三郎の実姉だからだ。
家治はそれ程までに重好を信じていたのだ。
そしてそれから三日と経たない20日―、安永2(1773)年2月20日、巳の上刻、即ち昼四つ(午前10時頃)、歿した。
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