上 下
163 / 169

徳川内閣の初閣議、そして閣議終了後に松平定信は清水重好と火花を散らす。

しおりを挟む
 それからただちに井伊いい直幸なおひで中奥なかおく御座之間ござのま召出めしだされ、そこで将軍しょうぐん家治いえはるより直々じきじきに、大老たいろうにんじられた。井伊いい直幸なおひで溜間たまりのまづめであるので、平日へいじつ今日きょう登城とじょうしては溜間たまりのまめていたのだ。

 さて、井伊いい直幸なおひで大老たいろうしょく拝命はいめいけて、老中ろうじゅう格式かくしきそば用人ようにん水野みずの忠友ただとも直幸なおひでたいして、

奥兼帯おくけんたいおおけられましては如何いかがでござりましょう…」

 将軍しょうぐん家治いえはるにそう提案ていあんしたのであった。

 つまり表向おもてむき役職ポストである大老たいろうしょく拝命はいめいした井伊いい直幸なおひでにも、ここ中奥なかおく自由じゆう立入たちいり、

「いつにても…」

 やはり自由じゆう将軍しょうぐんえる権利けんりあたえてはどうかと、忠友ただとも将軍しょうぐんたる家治いえはるにそう提案ていあんしていたのだ。「奥兼帯おくけんたい」とはつまりはそういうことである。

 これはじつはやはりと言うべきか、意知おきとも忠友ただともとの「合作がっさく」による。

 すなわち、昨日きのう意知おきともみずから、忠友ただとも屋敷やしきへとあしはこび、明日あす、つまりは今日きょうより登城とじょう出仕しゅっしおよぶことをつたえ、そのうえで、

老中ろうじゅう首座しゅざ松平まつだいら康福様やすよしさまより上様うえさまたいして、井伊いい直幸様なおひでさま大老たいろうしょくへの推挙すいきょがなされるので、そこで忠友様ただともさまよりは奥兼帯おくけんたい提案ていあんあそばされましては…」

 そう進言アドバイスをしたのであった。

 老中ろうじゅう首座しゅざよりの人事じんじ提案ていあんとあらば、将軍しょうぐん家治いえはるもその提案ていあん受容うけいれるにちがいなく、そこで今度こんど忠友ただともより、それも家治いえはるぜんへと召出めしだされるであろう直幸なおひで面前めんぜんにて、

直幸なおひでにはついでに、奥兼帯おくけんたいめいじては…」

 そう提案ていあんすれば、直幸なおひでもきっと忠友ただとも感謝かんしゃするにちがいない―、それが意知おきとも進言アドバイス趣旨しゅしであった。

 奥兼帯おくけんたいめいじる、それは実際じっさいには中奥なかおくへと自由じゆう出入でいりし、将軍しょうぐんえる権利けんりであり、幕閣ばっかくなればだれもがのぞむ。

 この奥兼帯けんたいめいじられていないかぎりは如何いか老中ろうじゅういやさあにその格上かくうえ大老たいろうさえも中奥なかおくには、

一歩いっぽたりとも…」

 あしれることは出来できないからだ。

 それゆえ幕閣ばっかくならばだれもが奥兼帯おくけんたいのぞみ、そこで直幸なおひでにその奥兼帯おくけんたいめいずることを忠友ただともから家治いえはるへと進言アドバイスすれば、直幸なおひでもきっと忠友ただとも感謝かんしゃするにちがいない。

 そして大老たいろうから感謝かんしゃされるということは、忠友ただとも表向おもてむきにおける地位ちい確固かっこたるものにするのにする。

 なにしろ大老たいろうと言えば老中ろうじゅうからは将軍しょうぐん同様どうようあがめられる存在そんざいであり、言うなれば表向おもてむきにおける第二だいに将軍しょうぐんよう存在そんざいだからだ。

 そのよう大老たいろうしょくいた直幸なおひでから感謝かんしゃされれば、忠友ただとも表向おもてむきにおける立場たちばはよりたしかなものとなる。

 忠友ただとも側用人そばようにんとして中奥なかおく役人やくにんでありながら老中ろうじゅう格式かくしきとして表向おもてむきにある老中ろうじゅう執務室しつむしつであるうえよう部屋べやにも出入でいりがゆるされ、老中ろうじゅうとも政務せいむたっていたが、しかし実際じっさいにはそのなんとも中途ちゅうと半端はんぱであった。

 実際じっさい忠友ただともはここ中奥なかおくにおいてはそば用取次ようとりつぎされ気味ぎみであり、表向おもてむきにおいても老中ろうじゅう格式かくしきとして、専任せんにん老中ろうじゅう後塵こうじんはいしていたからだ。

 だがそこへ大老たいろう信任しんにん寵愛ちょうあいくわわれば、首座しゅざ松平まつだいら康福やすよしさえもその忠友ただとも一目いちもく、どころか二目にもく三目さんもくくというものである。

 かくして忠友ただとも意知おきとも進言アドバイスしたがい、直幸なおひで奥兼帯おくけんたいめいずることを将軍しょうぐん家治いえはる提案ていあんし、家治いえはるはそれも受容うけいれ、直幸なおひで奥兼帯おくけんたいをもめいじたのであった。

 そして最後さいご意知おきとも定信さだのぶ奥兼帯おくけんたい―、西之丸にしのまる老中ろうじゅうにんじられた定信さだのぶたいしても奥兼帯おくけんたいめいじてくれるよう、家治いえはる嘆願たんがんしたのであった。

「されば定信殿さだのぶどのおそおおくも上様うえさまおなじく八代様はちだいさま血筋ちすじ、それも三卿さんきょう筆頭ひっとう田安家たやすけ所縁ゆかりなれば…」

 本来ほんらい三卿さんきょうとして中奥なかおくにある三卿さんきょう詰所つめしょであるひかえ座敷ざしきめることもゆるされていたかたかもれなかったので、そのよう定信さだのぶ奥兼帯おくけんたいめいじてもなん差支さしつかえないだろう、いや、むしろそれが当然とうぜんではないかと、意知おきとも家治いえはるにそう提案ていあんしたのであった。

 無論むろん、それはあくまで建前たてまえであり、実際じっさいには、

定信さだのぶおんり、よししたしくなる機会チャンス…」

 そのような「下心したごころ」からであり、実際じっさい定信さだのぶ意知おきとも提案ていあん何度なんどうなずきつつ、意知おきともたいしては、

くぞ、もうしてくれた…」

 如何いかにもそう言いたげな様子ようすふかうなずいてみせた。

 すると家治いえはるはやはり意知おきとものこの提案ていあんをも受容うけいれ、定信さだのぶにも奥兼帯おくけんたいめいじたのであった。

 こうして中奥なかおく御座之間ござのまにおける「徳川内閣とくがわないかく」の「初閣議はつかくぎ」はわりをげ、閣僚かくりょうもとい幕閣ばっかく三々五々さんさんごご御座之間ござのまをあとにした。

意知おきともよ…」

 あんじょうと言うべきか、定信さだのぶ意知おきともこえをかけてきた。

 ちなみにこうでは井伊いい直幸なおひで水野みずの忠友ただとも談笑だんしょうしており、そこへ松平まつだいら康福やすよしってはい光景こうけい見受みうけられた。大方おおかた井伊いい直幸なおひで大老たいろうしょく推挙すいきょしたのはこのおれだとでも、康福やすよし直幸なおひで主張アピールすべく、そこで忠友ただともけじと、直幸なおひで忠友ただともとのあいだってはいったにちがいなかった。

「あっ、これはこれは定信様さだのぶさま…」

 意知おきとも定信さだのぶ鄭重ていちょうあたまげた。

左様さようかしこまらずともい…」

「ははっ…」

「それにしても先程さきほど奥兼帯おくけんたいけん感謝かんしゃする。良《よ》くぞもうしてくれたな…」

 意知おきとも思惑通おもわくどおり、定信さだのぶ意知おきとも感謝かんしゃしていた。

「いえ…、定信様さだのぶさまならば、三卿さんきょうにあらせあれた御方おかたゆえ奥兼帯おくけんたいはむしろ当然とうぜんのこと…」

 意知おきともがそう繰返くりかえすと、定信さだのぶはやはり何度なんどうなずいた。

 そこで意知おきともさら定信さだのぶこころ引寄ひきよせるべく、

「あっ、ことついでにともうしてはなんでござりまするが、定信様さだのぶさま詰所つめしょけんにつきましても…、ひかえ座敷ざしきめられるよう上様うえさま進言しんげんつかまつりましょうぞ…」

 定信さだのぶにそうささやいたのだ。

 三卿さんきょうだけがめることがゆるされるひかえ座敷ざしき定信さだのぶめられるとあらば、そのむね家治いえはる進言アドバイスをしてやろうとささやけば、定信さだのぶのことである、きっとよろこぶにちがいないと、そのよう下心したごころからであったが、あん相違そういして定信さだのぶよろこばなかった。

「いや…、意知おきとも配慮はいりょ厚意こうい有難ありがたおもうが、なれどその無用むようねがいたい…」

「えっ?」

たしかにこの定信さだのぶ八代様はちだいさま血筋ちすじ…、三卿さんきょう夢見ゆめみたこともある…、なれどこの定信さだのぶいま一介いっかい大名だいみょうなれば、ひかえ座敷ざしきめるなど、僭越せんえつもうすものぞ…」

 定信さだのぶはピシャリとした口調くちょうでそうげたものだから、これにはさしもの意知おきとももたじろいだ。

定信さだのぶというおとこいささくびっていたやもれぬ…」

 意知おきとも定信さだのぶ態度たいどたりにしてそう反省はんせいした。

 するとそこへ今度こんどは、「随分ずいぶんしたしそうだの…」という清水しみず繁好しげよしこえがかかった。

「あっ、これはこれは宮内くないきょうさま…」

 意知おきとも定信さだのぶとの談笑だんしょう打切うちきり、重好しげよしほうへとくと、さら鄭重ていちょうあたまげ、一方いっぽう定信さだのぶかる会釈えしゃくしただけであった。

「この重好しげよし西之丸にしのまるりの日取ひどりでもまったかの…」

 重好しげよしがそうかたりかけてきたので、意知おきともこたえた。

「ははっ…、されば来月らいげつ、5月の22日…」

「5月の22日、ともうさば義兄上あにうえ…、上様うえさま誕辰たんしんではあるまいか…」

御意ぎょい…、宮内くないきょうさま西之丸にしのまるりはまさしく嘉儀かぎなれば…」

成程なるほど上様うえさま誕辰たんしんこそ相応ふさわしい、とな?」

御意ぎょい…」

相分あいわかった…、されば意知おきともよ、この重好しげよし次期じき将軍しょうぐんとなりしあかつきにはささえてくれよな?」

「ははっ…」

 重好しげよし意知おきともにばかりこえをかけ、定信さだのぶにはついこえをかけることはなく、それどころか火花ひばなさえらした。

 重好しげよし言葉ことばけて意知おきともがやはり深々ふかぶかあたまげているあいだ重好しげよし定信さだのぶにらい、火花ひばならしたのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

小沢機動部隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。 名は小沢治三郎。 年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。 ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。 毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。 楽しんで頂ければ幸いです!

吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~

裏耕記
歴史・時代
破天荒な将軍 吉宗。民を導く将軍となれるのか ――― 将軍?捨て子? 貴公子として生まれ、捨て子として道に捨てられた。 その暮らしは長く続かない。兄の不審死。 呼び戻された吉宗は陰謀に巻き込まれ将軍位争いの旗頭に担ぎ上げられていく。 次第に明らかになる不審死の謎。 運命に導かれるようになりあがる吉宗。 将軍となった吉宗が隅田川にさくらを植えたのはなぜだろうか。 ※※ 暴れん坊将軍として有名な徳川吉宗。 低迷していた徳川幕府に再び力を持たせた。 民の味方とも呼ばれ人気を博した将軍でもある。 徳川家の序列でいくと、徳川宗家、尾張家、紀州家と三番目の家柄で四男坊。 本来ならば将軍どころか実家の家督も継げないはずの人生。 数奇な運命に付きまとわれ将軍になってしまった吉宗は何を思う。 本人の意思とはかけ離れた人生、権力の頂点に立つのは幸運か不運なのか…… 突拍子もない政策や独創的な人事制度。かの有名なお庭番衆も彼が作った役職だ。 そして御三家を模倣した御三卿を作る。 決して旧来の物を破壊するだけではなかった。その効用を充分理解して変化させるのだ。 彼は前例主義に凝り固まった重臣や役人たちを相手取り、旧来の慣習を打ち破った。 そして独自の政策や改革を断行した。 いきなり有能な人間にはなれない。彼は失敗も多く完全無欠ではなかったのは歴史が証明している。 破天荒でありながら有能な将軍である徳川吉宗が、どうしてそのような将軍になったのか。 おそらく将軍に至るまでの若き日々の経験が彼を育てたのだろう。 その辺りを深堀して、将軍になる前の半生にスポットを当てたのがこの作品です。 本作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

始業式で大胆なパンチラを披露する同級生

サドラ
大衆娯楽
今日から高校二年生!…なのだが、「僕」の視界に新しいクラスメイト、「石田さん」の美し過ぎる太ももが入ってきて…

人違いで同級生の女子にカンチョーしちゃった男の子の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

徳川家基、不本意!

克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。

処理中です...