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徳川内閣の初閣議、そして閣議終了後に松平定信は清水重好と火花を散らす。
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それから直ちに井伊直幸が中奥は御座之間に召出され、そこで将軍・家治より直々に、大老に任じられた。井伊直幸は溜間詰であるので、平日の今日も登城しては溜間に詰めていたのだ。
さて、井伊直幸の大老職拝命を受けて、老中格式の御側御用人、水野忠友が直幸に対して、
「奥兼帯も仰せ付けられましては如何でござりましょう…」
将軍・家治にそう提案したのであった。
つまり表向の役職である大老職を拝命した井伊直幸にも、ここ中奥に自由に立入り、
「いつにても…」
やはり自由に将軍に逢える権利を与えてはどうかと、忠友は将軍たる家治にそう提案していたのだ。「奥兼帯」とはつまりはそういうことである。
これは実はやはりと言うべきか、意知と忠友との「合作」による。
即ち、昨日、意知は自ら、忠友の屋敷へと足を運び、明日、つまりは今日より登城、出仕に及ぶことを伝え、その上で、
「老中首座の松平康福様より上様に対して、井伊直幸様の大老職への推挙がなされるので、そこで忠友様よりは奥兼帯を提案あそばされましては…」
そう進言をしたのであった。
老中首座よりの人事提案とあらば、将軍・家治もその提案を受容れるに違いなく、そこで今度は忠友より、それも家治の御前へと召出されるであろう直幸の面前にて、
「直幸には序に、奥兼帯も命じては…」
そう提案すれば、直幸もきっと忠友に感謝するに違いない―、それが意知の進言の趣旨であった。
奥兼帯を命じる、それは実際には中奥へと自由に出入りし、将軍に会える権利であり、幕閣なれば誰もが望む。
この奥兼帯を命じられていない限りは如何に老中、否、更にその格上の大老さえも中奥には、
「一歩たりとも…」
足を踏み入れることは出来ないからだ。
それ故、幕閣ならば誰もが奥兼帯を望み、そこで直幸にその奥兼帯を命ずることを忠友から家治へと進言すれば、直幸もきっと忠友に感謝するに違いない。
そして大老から感謝されるということは、忠友の表向における地位を確固たるものにするのに資する。
何しろ大老と言えば老中からは将軍同様に崇められる存在であり、言うなれば表向における第二の将軍の様な存在だからだ。
その様な大老職に就いた直幸から感謝されれば、忠友の表向における立場はより確かなものとなる。
忠友は側用人として中奥役人であり乍、老中格式として表向にある老中の執務室である上御用部屋にも出入りが許され、老中と共に政務に当たっていたが、しかし実際にはその身は何とも中途半端であった。
実際の忠友はここ中奥においては御側御用取次に押され気味であり、表向においても老中格式として、専任老中の後塵を拝していたからだ。
だがそこへ大老の信任、寵愛が加われば、首座の松平康福さえもその忠友に一目、どころか二目も三目も置くというものである。
かくして忠友は意知の進言に従い、直幸に奥兼帯を命ずることを将軍・家治に提案し、家治はそれも受容れ、直幸に奥兼帯をも命じたのであった。
そして最後に意知は定信の奥兼帯―、西之丸老中に任じられた定信に対しても奥兼帯を命じてくれるよう、家治に嘆願したのであった。
「されば定信殿は畏れ多くも上様と同じく八代様の御血筋、それも御三卿筆頭の田安家の所縁なれば…」
本来、御三卿として中奥にある御三卿の詰所である御控座敷に詰めることも許されていた御方かも知れなかったので、その様な定信を奥兼帯に命じても何ら差支えないだろう、否、むしろそれが当然ではないかと、意知は家治にそう提案したのであった。
無論、それはあくまで建前であり、実際には、
「定信に恩を売り、よし親しくなる機会…」
その様な「下心」からであり、実際、定信は意知の提案に何度も頷きつつ、意知に対しては、
「良くぞ、申してくれた…」
如何にもそう言いたげな様子で深く頷いてみせた。
すると家治はやはり意知のこの提案をも受容れ、定信にも奥兼帯を命じたのであった。
こうして中奥御座之間における「徳川内閣」の「初閣議」は終わりを告げ、閣僚もとい幕閣は三々五々、御座之間をあとにした。
「意知よ…」
案の定と言うべきか、定信が意知に声をかけてきた。
ちなみに向こうでは井伊直幸が水野忠友と談笑しており、そこへ松平康福が割って入る光景が見受けられた。大方、井伊直幸を大老職に推挙したのはこの俺だとでも、康福は直幸に主張すべく、そこで忠友に負けじと、直幸と忠友との間に割って入ったに違いなかった。
「あっ、これはこれは定信様…」
意知は定信に鄭重に頭を下げた。
「左様に畏まらずとも良い…」
「ははっ…」
「それにしても先程の奥兼帯の件、感謝する。良《よ》くぞ申してくれたな…」
意知の思惑通り、定信は意知に感謝していた。
「いえ…、定信様は世が世ならば、御三卿にあらせあれた御方故、奥兼帯はむしろ当然のこと…」
意知がそう繰返すと、定信はやはり何度も頷いた。
そこで意知は更に定信の心を引寄せるべく、
「あっ、事の序にと申しては何でござりまするが、定信様の詰所の件につきましても…、御控座敷に詰められる様、上様に進言仕りましょうぞ…」
定信にそう囁いたのだ。
御三卿だけが詰めることが許される御控座敷に定信も詰められるとあらば、その旨、家治に進言をしてやろうと囁けば、定信のことである、きっと喜ぶに違いないと、その様な下心からであったが、案に相違して定信は喜ばなかった。
「いや…、意知の配慮、厚意は有難く思うが、なれどその儀は無用に願いたい…」
「えっ?」
「確かにこの定信、八代様が血筋…、御三卿を夢見たこともある…、なれどこの定信は今は一介の大名なれば、御控座敷に詰めるなど、僭越と申すものぞ…」
定信はピシャリとした口調でそう告げたものだから、これにはさしもの意知もたじろいだ。
「定信という男、些か見くびっていたやも知れぬ…」
意知は定信の態度を目の当たりにしてそう反省した。
するとそこへ今度は、「随分と親しそうだの…」という清水繁好の声がかかった。
「あっ、これはこれは宮内卿様…」
意知は定信との談笑を打切り、重好の方へと向くと、更に鄭重に頭を下げ、一方、定信は軽く会釈しただけであった。
「この重好が西之丸入りの日取でも決まったかの…」
重好がそう語りかけてきたので、意知が応えた。
「ははっ…、されば来月、5月の22日…」
「5月の22日、と申さば義兄上…、上様が御誕辰ではあるまいか…」
「御意…、宮内卿様が西之丸入りは正しく嘉儀なれば…」
「成程、上様が御誕辰の日こそ相応しい、とな?」
「御意…」
「相分かった…、されば意知よ、この重好、次期将軍となりし暁には支えてくれよな?」
「ははっ…」
重好は意知にばかり声をかけ、定信には終ぞ声をかけることはなく、それどころか火花さえ散らした。
重好の言葉を受けて意知がやはり深々と頭を下げている間、重好は定信と睨み合い、火花を散らしたのであった。
さて、井伊直幸の大老職拝命を受けて、老中格式の御側御用人、水野忠友が直幸に対して、
「奥兼帯も仰せ付けられましては如何でござりましょう…」
将軍・家治にそう提案したのであった。
つまり表向の役職である大老職を拝命した井伊直幸にも、ここ中奥に自由に立入り、
「いつにても…」
やはり自由に将軍に逢える権利を与えてはどうかと、忠友は将軍たる家治にそう提案していたのだ。「奥兼帯」とはつまりはそういうことである。
これは実はやはりと言うべきか、意知と忠友との「合作」による。
即ち、昨日、意知は自ら、忠友の屋敷へと足を運び、明日、つまりは今日より登城、出仕に及ぶことを伝え、その上で、
「老中首座の松平康福様より上様に対して、井伊直幸様の大老職への推挙がなされるので、そこで忠友様よりは奥兼帯を提案あそばされましては…」
そう進言をしたのであった。
老中首座よりの人事提案とあらば、将軍・家治もその提案を受容れるに違いなく、そこで今度は忠友より、それも家治の御前へと召出されるであろう直幸の面前にて、
「直幸には序に、奥兼帯も命じては…」
そう提案すれば、直幸もきっと忠友に感謝するに違いない―、それが意知の進言の趣旨であった。
奥兼帯を命じる、それは実際には中奥へと自由に出入りし、将軍に会える権利であり、幕閣なれば誰もが望む。
この奥兼帯を命じられていない限りは如何に老中、否、更にその格上の大老さえも中奥には、
「一歩たりとも…」
足を踏み入れることは出来ないからだ。
それ故、幕閣ならば誰もが奥兼帯を望み、そこで直幸にその奥兼帯を命ずることを忠友から家治へと進言すれば、直幸もきっと忠友に感謝するに違いない。
そして大老から感謝されるということは、忠友の表向における地位を確固たるものにするのに資する。
何しろ大老と言えば老中からは将軍同様に崇められる存在であり、言うなれば表向における第二の将軍の様な存在だからだ。
その様な大老職に就いた直幸から感謝されれば、忠友の表向における立場はより確かなものとなる。
忠友は側用人として中奥役人であり乍、老中格式として表向にある老中の執務室である上御用部屋にも出入りが許され、老中と共に政務に当たっていたが、しかし実際にはその身は何とも中途半端であった。
実際の忠友はここ中奥においては御側御用取次に押され気味であり、表向においても老中格式として、専任老中の後塵を拝していたからだ。
だがそこへ大老の信任、寵愛が加われば、首座の松平康福さえもその忠友に一目、どころか二目も三目も置くというものである。
かくして忠友は意知の進言に従い、直幸に奥兼帯を命ずることを将軍・家治に提案し、家治はそれも受容れ、直幸に奥兼帯をも命じたのであった。
そして最後に意知は定信の奥兼帯―、西之丸老中に任じられた定信に対しても奥兼帯を命じてくれるよう、家治に嘆願したのであった。
「されば定信殿は畏れ多くも上様と同じく八代様の御血筋、それも御三卿筆頭の田安家の所縁なれば…」
本来、御三卿として中奥にある御三卿の詰所である御控座敷に詰めることも許されていた御方かも知れなかったので、その様な定信を奥兼帯に命じても何ら差支えないだろう、否、むしろそれが当然ではないかと、意知は家治にそう提案したのであった。
無論、それはあくまで建前であり、実際には、
「定信に恩を売り、よし親しくなる機会…」
その様な「下心」からであり、実際、定信は意知の提案に何度も頷きつつ、意知に対しては、
「良くぞ、申してくれた…」
如何にもそう言いたげな様子で深く頷いてみせた。
すると家治はやはり意知のこの提案をも受容れ、定信にも奥兼帯を命じたのであった。
こうして中奥御座之間における「徳川内閣」の「初閣議」は終わりを告げ、閣僚もとい幕閣は三々五々、御座之間をあとにした。
「意知よ…」
案の定と言うべきか、定信が意知に声をかけてきた。
ちなみに向こうでは井伊直幸が水野忠友と談笑しており、そこへ松平康福が割って入る光景が見受けられた。大方、井伊直幸を大老職に推挙したのはこの俺だとでも、康福は直幸に主張すべく、そこで忠友に負けじと、直幸と忠友との間に割って入ったに違いなかった。
「あっ、これはこれは定信様…」
意知は定信に鄭重に頭を下げた。
「左様に畏まらずとも良い…」
「ははっ…」
「それにしても先程の奥兼帯の件、感謝する。良《よ》くぞ申してくれたな…」
意知の思惑通り、定信は意知に感謝していた。
「いえ…、定信様は世が世ならば、御三卿にあらせあれた御方故、奥兼帯はむしろ当然のこと…」
意知がそう繰返すと、定信はやはり何度も頷いた。
そこで意知は更に定信の心を引寄せるべく、
「あっ、事の序にと申しては何でござりまするが、定信様の詰所の件につきましても…、御控座敷に詰められる様、上様に進言仕りましょうぞ…」
定信にそう囁いたのだ。
御三卿だけが詰めることが許される御控座敷に定信も詰められるとあらば、その旨、家治に進言をしてやろうと囁けば、定信のことである、きっと喜ぶに違いないと、その様な下心からであったが、案に相違して定信は喜ばなかった。
「いや…、意知の配慮、厚意は有難く思うが、なれどその儀は無用に願いたい…」
「えっ?」
「確かにこの定信、八代様が血筋…、御三卿を夢見たこともある…、なれどこの定信は今は一介の大名なれば、御控座敷に詰めるなど、僭越と申すものぞ…」
定信はピシャリとした口調でそう告げたものだから、これにはさしもの意知もたじろいだ。
「定信という男、些か見くびっていたやも知れぬ…」
意知は定信の態度を目の当たりにしてそう反省した。
するとそこへ今度は、「随分と親しそうだの…」という清水繁好の声がかかった。
「あっ、これはこれは宮内卿様…」
意知は定信との談笑を打切り、重好の方へと向くと、更に鄭重に頭を下げ、一方、定信は軽く会釈しただけであった。
「この重好が西之丸入りの日取でも決まったかの…」
重好がそう語りかけてきたので、意知が応えた。
「ははっ…、されば来月、5月の22日…」
「5月の22日、と申さば義兄上…、上様が御誕辰ではあるまいか…」
「御意…、宮内卿様が西之丸入りは正しく嘉儀なれば…」
「成程、上様が御誕辰の日こそ相応しい、とな?」
「御意…」
「相分かった…、されば意知よ、この重好、次期将軍となりし暁には支えてくれよな?」
「ははっ…」
重好は意知にばかり声をかけ、定信には終ぞ声をかけることはなく、それどころか火花さえ散らした。
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