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したたかな田沼意知

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 長谷川はせがわ平蔵へいぞう清水家しみずけ上屋敷かみやしき辞去じきょすると、そのあし田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきへとかった。

 平蔵へいぞうの「お目当めあて」は勿論もちろん意知おきともであり、意知おきとも平蔵へいぞうたとるや、ぐに意知おきともとおした。

 平蔵へいぞう意知おきともかいうと、いましがたまでの清水しみず重好しげよしとの「やりり」の一部いちぶ始終しじゅう意知おきともかたってかせた。

 すなわち、重好しげよしから従六位じゅろくい布衣ほいやくの「オファー」をけ、それにたいして西之丸にしのまる先手さきてがしら役職ポストのぞんだことを意知おきともげたのであった。

 勿論もちろん一橋ひとつばし治済はるさだ黒幕くろまくとして決着ケリがつきつつあるくだん田安家たやすけ侍女じじょ廣瀬ひろせ一連いちれん殺人さつじん事件じけんについて、平蔵へいぞうもこれ以上いじょう余計よけい穿鑿せんさくはしない、との交換こかん条件じょうけんであるが、

勿論もちろん平蔵へいぞうさんはくつもりはないんでしょ?」

 意知おきとも平蔵へいぞううかがいつつ、そうたずね、「ええ」と平蔵へいぞううなずかせた。

西之丸にしのまる先手さきてがしら役職やくしょくほっしたのも勿論もちろん、そのため…、引続ひきつづ探索たんさくをするためなんでしょう…、西之丸にしのまるとはもうせ、先手さきてがしらであるうえ與力よりき同心どうしんはいされるでしょうから…」

 その與力よりき同心どうしん使つかって清水しみず重好しげよし犯罪はんざい立証りっしょうするつもりだろうと、意知おきとも示唆しさし、またしても平蔵へいぞううなずかせたのであった。

「そこで意知様おきともさまにおねがいがあるのですが…」

 平蔵へいぞうはそう切出きりだすと、西之丸にしのまる先手さきてがしら就任しゅうにん市谷本村いちがやもとむらにある組屋敷くみやしきまう與力よりき同心どうしんはいしてしいと、意知おきとも懇願こんがんしたのであった。

市谷本村いちがやもとむら…」

 意知おきともはそうつぶやくと、「ああ…」と合点がてんがいった。

 市谷本村いちがやもとむら組屋敷くみやしきまう與力よりき同心どうしんと言えば、平蔵へいぞうちち長谷川はせがわ備前守びぜんのかみ宣雄のぶおかつ先手さきてがしらつとめていたころ、その宣雄のぶおつかえていた與力よりき同心どうしんであった。

 つまり平蔵へいぞうかつてのちち部下ぶかであった與力よりき同心どうしんをそのままおのれ部下ぶかとしたいと、そうねがっており、意知おきともにその「とりなし」、便宜べんぎはかってくれるようたのんでいたのだ。

「それなら平蔵へいぞうさんはついてるな…」

「とおおせられますと?」

本丸ほんまる先手さきてがしら…、それも鉄砲頭てっぽうがしら小野おの次郎右衛門じろうえもん捕縛ほばくされたことは平蔵へいぞうさんもすで存知ぞんじだろう?」

「ええ…」

 本丸ほんまる先手さきて鉄砲頭てっぽうがしら小野おの次郎右衛門じろうえもん忠喜ただよし西之丸にしのまる目附めつけとして家基いえもとつかえていたおり、それも家基いえもと生前せいぜん最期さいご鷹狩たかがりのおりどくを、トリカブトのどく河豚ふぐどくとを交互こうごふくませたかどにより、つまりは家基毒殺いえもとどくさつ実行犯じっこうはん一人ひとりとして逮捕たいほ捕縛ほばくされていた。

 その小野おの次郎右衛門じろうえもんだが、去年きょねんの天明3(1783)年8月に西之丸にしのまる目附めつけより本丸ほんまる先手さきて鉄砲てっぽうがしらへと異動いどうたし、配下はいか與力よりき同心どうしんには市谷本村いちがやもとむら組屋敷くみやしきまう、すなわち、かつ長谷川はせがわ宣雄のぶおつかえていた與力よりき同心どうしんはいされたのであった。

 だが小野おの次郎右衛門じろうえもん逮捕たいほ捕縛ほばくされてしまったために、彼等與力かれらよりき同心どうしんらはつかえるべき「おかしら」をうしない、いま組屋敷くみやしきにて「ちゅうぶらりん」の状態じょうたいであった。

 意知おきともはそのことを平蔵へいぞうげると、西之丸にしのまる老中ろうじゅう内定ないていしている松平まつだいら定信さだのぶたいして、

小野おの次郎右衛門じろうえもんつかえていた與力よりき同心どうしんらをそっくりそのまま、西之丸にしのまる鉄砲てっぽうがしら内定ないていした長谷川はせがわ平蔵へいぞうへと引継ひきつがせてたい…」

 彼等與力かれらよりき同心どうしん平蔵へいぞう部下ぶかにしてやりたいと、そうはなしをつけることを平蔵へいぞう約束やくそくしたのであった。

 本丸ほんまる先手さきてがしら本丸ほんまる若年寄わかどしより支配下しはいかにあり、そうであれば本丸ほんまる若年寄わかどしよりたる田沼たぬま意知おきともちからもってすれば先手さきてがしらはいされる與力よりき同心どうしんのその「配属先はいぞくさき」、よういずれの先手さきてがしらを「おかしら」としてあおがせるかなど、造作ぞうさもない。

 それでも本丸ほんまる先手さきて鉄砲てっぽうがしらであった小野おの次郎右衛門じろうえもんはいされていた與力よりき同心どうしんおなじく本丸ほんまるではなく、西之丸にしのまる先手さきて鉄砲てっぽうがしら内定ないていした長谷川はせがわ平蔵へいぞう引継ひきつがせるとなれば、西之丸にしのまる責任者せきにんしゃである老中ろうじゅうはなしとおしておく必要ひつようがあった。

 西之丸にしのまる先手さきて鉄砲てっぽうがしら直属ちょくぞく上司じょうし西之丸にしのまる若年寄わかどしよりであるが、西之丸にしのまる若年寄わかどしより内定ないていしていた秋元永朝あきもとつねともたしておのれたのみを聞届ききとどけてくれるか、意知おきともには自信じしんがなく、今一人いまひとり西之丸にしのまる若年寄わかどしより内定ないていしていた松平まつだいら忠福ただよしならばおのれたのみを聞届ききとどけてくれる自信じしんがあったが、生憎あいにくと、忠福ただよしいまはまだ国許くにもとにおり、この江戸えどにはいなかった。

 そこで意知おきとも西之丸にしのまる若年寄わかどしよりうえひかえる西之丸にしのまる老中ろうじゅうすなわち、松平まつだいら定信さだのぶはなしとおすことにしたのだ。

 定信さだのぶ納得なっとくすれば―、定信さだのぶとしさえすれば、松平まつだいら忠福ただよしもとより、秋元永朝あきもとつねともさえもいなやはないからだ。

「それと今一ついまひとつ…、これは出来できれば、ですが…」

 平蔵へいぞう今度こんど申訳もうしわけなさそうにそう切出きりだすと、先手さきてゆみがしら中山なかやま伊勢守いせのかみ直彰なおあきらはいされている與力よりき吉岡よしおか彦右衛門ひこえもん引抜ひきぬきたい、つまりは自分じぶん部下ぶかにしたいので、やはり意知おきともに「おちからえをたまわりたい」とたのんだのであった。

 市谷本村いちがやもとむら組屋敷くみやしきには成程なるほどかつ長谷川はせがわ宣雄のぶおを「おかしら」とあおいだことのある、つまりは宣雄のぶおつかえていた経験けいけんのある與力よりき同心どうしんんでいたが、その全員ぜんいん本丸ほんまる先手さきて鉄砲てっぽうがしら小野おの次郎右衛門じろうえもんはいされたわけではなく、本丸ほんまる先手さきてゆみがしら中山なかやま直彰なおあきらはいされたものもあれば、小野おの次郎右衛門じろうえもんおなじく本丸ほんまる先手さきて鉄砲てっぽうがしら土方ひじかた宇源太うげんた勝芳かつよしはいされたものもある。

 市谷本村いちがやもとむら組屋敷くみやしきまう與力よりき同心どうしんは、すなわち、長谷川はせがわ宣雄のぶおつかえたことのある與力よりき同心どうしんらは小野おの次郎右衛門じろうえもんほか中山なかやま直彰なおあきら土方ひじかた宇源太うげんたにもはいされており、平蔵へいぞうとも徳川家基とくがわいえもと毒殺事件どくさつじけんの「秘匿捜査ひとくそうさ」にたった吉岡よしおか彦右衛門ひこえもんもその一人ひとりで、彦右衛門ひこえもん中山なかやま直彰なおあきらはいされていた。

 その吉岡よしおか彦右衛門ひこえもん平蔵へいぞう引抜ひきぬきたい、つまりはおのれ部下ぶかとして清水しみず重好しげよし犯罪はんざい捜査そうさたりたいとねがっているわけで、意知おきとも平蔵へいぞうのそのねがいも聞届ききとどけることにした。

「さればそんな平蔵へいぞうさんにひとつ、引出物ひきでものでも差上さしあげようではないか…」

引出物ひきでもの?」

 平蔵へいぞう聞返ききかえすと、意知おきとも津軽つがる信明のぶはるよりたくされた田安家たやすけ廣敷用人ひろしきようにん竹本たけもと又八郎またはちろう直筆じきひつ書付かきつけ平蔵へいぞうわたしたのであった。

「この書付かきつけ筆跡ひっせきと、竹本たけもと又八郎またはちろう遺書いしょ…、田安家たやすけ侍女じじょ廣瀬ひろせあやめしはおのれであり、それも一橋ひとつばし治済はるさだめいによるものとする、くだん遺書いしょ筆跡ひっせきとがちがっていたならば、大変たいへんなことになるのう…」

 意知おきとも平蔵へいぞうけしかけるようにそうげた。

 成程なるほど如何いかにもそのとおりであり、平蔵へいぞう興奮こうふん気味ぎみにその書付かきつけ受取うけとると、大事だいじそうに胸元むなもと仕舞しまった。

「それから…、これから平蔵へいぞうさんは西之丸にしのまる先手さきてがしらとして次期じき将軍しょうぐん清水宮内しみずくないきょうさまつみあばため探索たんさく奔走ほんそうされましょうが、そのことはぐにでも宮内くないきょうさま気付きづかれましょうぞ…」

 これもまた意知おきともの言うとおりであり、平蔵へいぞううなずいた。

「そのさい本丸ほんまる若年寄わかどしよりのこの意知おきともでは平蔵へいぞうさんの防波堤ぼうはていにはならず…、なれど西之丸にしのまる老中ろうじゅう定信様さだのぶさまなれば防波堤ぼうはていとなりましょうぞ…」

探索たんさくさいしては、定信様さだのぶさまとの連絡れんらくみつにせよ、と?」

 平蔵へいぞう先回さきまわりして意知おきともたずね、意知おきともうなずかせた。

「されば定信様さだのぶさま清水宮内しみずくないきょうさま次期じき将軍しょうぐんとして西之丸にしのまるりをたすよりもまえに、西之丸にしのまる老中ろうじゅうとして西之丸にしのまるりをたせば、平蔵へいぞうさんも西之丸にしのまる先手さきてがしら内定ないていしたうえ定信様さだのぶさまかおわす機会きかいにもめぐまれましょう…」

「さればそのおりにでも越中えっちゅうさまたいして、何故なにゆえおのれ西之丸にしのまる先手さきてがしら拝命はいめいせしか、そのまこと事情じじょうをおはな申上もうしあげよ、と?」

「まぁ、西之丸にしのまるではひとみみもありましょうから、定信様さだのぶさま屋敷やしき…、きた八丁堀はっちょうぼりにある白河藩しらかわはん上屋敷かみやしきへでもあしはこばれて、そこで定信様さだのぶさまはなしをされてみては…」

越中えっちゅうさまはさぞかしおどろかれることでありましょうぞ…」

「でしょうな…、ですが同時どうじにこれは好機こうき…、機会きかい判断はんだんされますやも…」

好機こうき?」

左様さよう…、これで平蔵へいぞうさんがれて清水宮内しみずくないきょうさまつみあばくことが出来できれば、今度こんど清水宮内しみずくないきょうさま次期じき将軍しょうぐんよりすべちるやもれず、さすれば清水宮内しみずくないきょうさまおなじく八代様はちだいさま血筋ちすじ…、それもまごおのれ出番でばんまわってくるやも、と…」

越中えっちゅうさま清水宮内しみずくないきょうさまがこれで失脚しっきゃくするよう事態じたいにでも相成あいなれば、次期じき将軍しょうぐんおのれもとへとまわってくるかもと、それでこの平蔵へいぞうめが防波堤ぼうはてい役割やくわり引受ひきうけてくれると?」

 平蔵へいぞうはズバリ核心かくしんいた。

 意知おきとも笑顔えがおで「そのとおり」とこたえた。

かりもうした…、されば今後こんご越中えっちゅうさま連絡れんらくみつにすることにいたしましょうぞ…」

 そういきお平蔵へいぞうたいして意知おきともいささ良心りょうしんとがめた。

 意知おきとも斯様かよう平蔵へいぞうけしかけたのはひとえに、

局外きょくがい中立ちゅうりつちたい…」

 その思惑おもわくからであった。

 つまりはかり平蔵へいぞう探索たんさく失敗しっぱいわったとき意知おきともとしてはおのれまで巻込まきこまれるのがいやであり、そこでおのれわりに定信さだのぶてることにしたのだ。

 かり平蔵へいぞう探索たんさく失敗しっぱいわれば、清水しみず重好しげよしとしては当然とうぜんおのれきばいた長谷川はせがわ平蔵へいぞうたいして容赦ようしゃのない制裁ペナルティくわえるであろうが、その矛先ほこさき意知おきともにまでけられるに相違そういない。

 なにしろ平蔵へいぞうよしもないが、

平蔵へいぞう出世欲しゅっせよくかたまりであるので、そんな平蔵へいぞう出世しゅっせをチラつかせれば、平蔵へいぞうもきっと、これ以上いじょう余計よけい穿鑿せんさくはしないだろう…」

 清水しみず重好しげよしにそう進言アドバイスしたのはほかならぬ意知おきともであり、しかし結果けっか、その進言アドバイス裏切うらぎられたとあらば、重好しげよし意知おきともにまで容赦ようしゃのない制裁ペナルティ矛先ほこさきけてくるにちがいない。

 いや、それ以前いぜん平蔵へいぞう西之丸にしのまる先手さきてがしら出世しゅっせさせてやったというに、その平蔵へいぞう穿鑿せんさくめるどころか、西之丸にしのまる先手さきてがしらとしての職権しょっけん利用りよういや濫用らんようして重好しげよし犯罪はんざいあばこうとしている…、重好しげよしがそのことに気付きづいた時点じてん制裁ペナルティ発動はつどうするやもれなかった。

 そのさい意知おきともとしては、

平蔵へいぞう西之丸にしのまる先手さきてがしらいてからというもの、平蔵へいぞうおのれもとへと姿すがたせる頻度ひんどはめっきりとり、ぎゃく西之丸にしのまる老中ろうじゅう定信様さだのぶさまもとへと足繁あししげかよわれ、それゆえ平蔵へいぞうがまさかにいまでも探索たんさくせいしていたなどとは、この意知おきとも気付きづきませなんだ…」

 そう言訳いいわけすべく、平蔵へいぞうたいして定信さだのぶたよようけしかけたのだ。

 こうしておけば、もとい重好しげよし制裁ペナルティ平蔵へいぞうとそれに平蔵へいぞう庇護者ひごしゃとなる定信さだのぶへとかい、意知おきともはどうにか無疵むきずでいられる。

 ぎゃく平蔵へいぞう探索たんさく成功せいこうすれば、そのとき意知おきともとしては平蔵へいぞう庇護者ひごしゃ一人ひとりとして堂々どうどう定信さだのぶとも清水しみず重好しげよしとどめをすつもりであった。
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