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田安家廣敷用人の竹本又八郎と妻女の順、二人の死を他殺とする再検視の結果に徒目附の岩田吉左衛門由房は反論する。
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徒目附の手により―、実際には徒目附指揮の下、小人によって田安家廣敷用人の竹本又八郎とその妻である順、二人の遺骸が評定所へと運ばれると、徒目附組頭の杉山藤蔵武明が自ら検視に当たった。
徒目附組頭が自ら検視に当たることなど通常はあり得ない。
だが本丸目附の池田長惠は事件の重大性に鑑み、配下の中でも最も高位の徒目附組頭の、それも当番の杉山藤蔵に「再検視」を命じたのであった。
徒目附組頭たる杉山藤蔵が自ら二人の検視に当たったのは斯かる次第による。
否、「再検視」に当たったのは杉山藤蔵だけではない。
ヒラの徒目附である堀谷文右衛門紀雄と大畠半左衛門勝猛、そして川崎市三郎義武の3人も「再検視」に当たった。
二人、否、二体の検視ともなると、杉山藤蔵一人の手には負えない。
無論、不可能ではないが、間違いがあるやも知れなかった。
そこで杉山藤蔵は堀谷文右衛門、大畠半左衛門、川崎市三郎の3人に検視を手伝わせることを池田長惠に願出、これに対して長惠も杉山藤蔵の願出を至当と認め、これを許した次第であった。
ヒラの徒目附は48人おり、そのちょうど3分の1に当たる16人が3交替制で勤めていた。
今の時刻はちょうど当番の「勤務」に当たり、その中でも杉山藤蔵が上記の3人を「サブ」として選んだのは外でもない、この3人が徒目附の中でもとりわけ優秀であったからだ。
こうして杉山藤蔵たち4人が「再検視」を行ったところ、二人の死は「殺人」と断定された。
つまりは将来を悲観した竹本又八郎による妻女・順を道連れにしての無理心中との「見立て」は否定されたのであった。
やはり竹本又八郎に「ためらい疵」がなかったことが「無理心中」を否定する最大の根拠であった。
またそれを裏付ける様に、微かではあるが眠り薬の匂いも感じ取られた。
これは大畠半左衛門が気付いたことであるが、竹本又八郎と妻女の順、この二人の口許から微かだが、眠り薬特有の匂いを嗅ぎ取られた。
大畠半左衛門は徒目附に着任する前は御膳所台所人を勤めていた。
御膳所台所人は将軍の食事を実際に調理するのを職掌としており、それだけに間違いがあっては許されない。
下手に傷んだ食材を用いて調理をし、その結果、将軍が食中りでも起こしたら一大事である。
無論、御膳奉行や、或いは御膳番小納戸による毒見は行われるものの、それでも傷んだ食材で調理をした程度ならば、つまりはその程度の食事であれば毒見を「スルー」、潜り抜けて将軍の御前へと、その食事が出されてしまう危険性が大いにあり得た。
そこで御膳所台所人はその危険性を回避すべく、匂いに敏感となる。
それは無論、毒に対する匂いをも抱合していた。
大畠半左衛門が微かな匂い乍も、眠り薬の匂いを嗅ぎ取ることが出来たのはその為であった。
こうして二人が眠り薬を摂取していた可能性も判明したことから、
「竹本又八郎と妻女の順は第三者によって眠り薬で眠らせられた後、殺害、それも竹本又八郎に至っては自害に見せかけられて刺殺された…」
それが「再検視」の結果であった。
だがこの「再検視」の結果に真向から異議を唱えた者があった。
徒目附の岩田吉左衛門由房がそうであり、「現場」である田安家上屋敷、その中の組屋敷へと臨場しては件の遺書の筆跡鑑定に当たった徒目附である。
「仮に二人が眠り薬を服んでいたとしても、竹本又八郎がまず妻女の順を眠り薬で眠らせた後、順を刺殺、その後で自らも眠り薬を服んだ後、自害した可能性もあろう…、何しろその眠り薬とやらが即効性のものかどうか、そこまでは分からないのだから…」
それが岩田吉左衛門の反論―、二人の死を「他殺」とする「再検視」結果に対する反論の骨子であった。
確かに岩田吉左衛門が指摘する通り、眠り薬が即効性のものかどうか、さしもの大畠半左衛門も匂いからそこまでは嗅ぎ取れなかった。
つまりは即効性の眠り薬でない可能性もあり、その場合、岩田吉左衛門が主張する通り、竹本又八郎が妻女の順に眠り薬を服ませてこれを刺殺、その後に自らも同じ眠り薬を呷ってから自害したことも考えられた。
竹本又八郎に「ためらい疵」がなかったことについても、それだけ覚悟の自害であったという可能性も排除しきれなかった。
何より、岩田吉左衛門には竹本又八郎直筆の遺書という有力な「武器」があった。
「されば竹本又八郎が住まう組屋敷より押収せし日記、或いは竹本又八郎が廣敷用人として決裁せし書付などから、竹本又八郎直筆の遺書であることは明らか…」
遺書に認められた文字、それと竹本又八郎直筆の公的な書付や私的な日記に認められた文字、それらを抽出して両者を照合した結果、確かに竹本又八郎直筆の遺書であると、岩田吉左衛門はそう判定したのであった。
「されば私的な日記については兎も角、公的な書付については、確かに竹本又八郎の手によるものであると、竹本又八郎とは相役の廣敷用人、杉浦猪兵衛良昭、同じく毛利齋宮元卓の両名よりその証言を得られてござる…」
岩田吉左衛門は現場の組屋敷を家宅捜索して日記を押収すると同時に、竹本又八郎の「勤務先」である廣敷向に保管してあった書付、それも竹本又八郎の署名の入った書付をも任意提出して貰った。
徒目附の身分では流石に、御三卿大奥への「関所」とも言うべき廣敷向にまで捜索に入ることは憚られ、そこで岩田吉左衛門は廣敷用人の杉浦猪兵衛に頼んで廣敷向に保管されているであろう竹本又八郎直筆、要は署名入りの書付を任意提出して貰ったのだ。
杉浦猪兵衛が書付の束から竹本又八郎の署名入りの書付をセレクトし、それを岩田吉左衛門に渡したのであった。
その際、岩田吉左衛門はもう一人の廣敷用人である毛利齋宮からもその書付が―、杉浦猪兵衛がセレクトした書付が真、竹本又八郎の手による書付であるかどうか確かめるという念の入り様であった。
決して杉浦猪兵衛を疑っている訳ではなかったが、念の為、毛利齋宮からも裏を取ったのだ。
その結果、毛利齋宮からもやはり間違いなく竹本又八郎直筆の書付であるとの証言が得られたのだ。
そこで岩田吉左衛門は私的な日記に加えて、公的な書付をも「対照資料」として遺書の筆跡鑑定を行った結果、竹本又八郎直筆の遺書であるとの鑑定結果を導き出したのであった。
「されば…、その鑑定に間違いはござらぬのか?」
岩田吉左衛門に「再検視」の結果を否定された腹いせからか、大畠半左衛門がそう反論した。
すると岩田吉左衛門もその反論を予期してか、「対照資料」である日記、及び書付を持参しており、今この場にて外の徒目附にそれら「対照資料」を元に、遺書に認められた文字との「再鑑定」を本丸目附の池田長惠、及び直属の上司である徒目附組頭の杉山藤蔵に願ったのだ。
そこで池田長惠と杉山藤蔵は協議した結果、これを許すと同時に、徒目附の山上熊太郎博杲に「再鑑定」を命じたのであった。
山上熊太郎もまた優秀な徒目附であり、殊に筆跡鑑定に優れていた。
その山上熊太郎が遺書に認められた文字と、竹本又八郎直筆の日記及び書付に認められた文字とを照合した結果、遺書に認められた文字は間違いなく竹本又八郎の手になるものであるとの鑑定を導き出したのであった。
これで岩田吉左衛門の筆跡鑑定の正しさが証明された訳で、
「竹本又八郎が妻女の順を道連れにしての無理心中…」
ひいては吉左衛門のその見立ての正しさをも証明する効果があった。
「それと今一つ…、現場は完全に密室でござった…」
岩田吉左衛門は畳掛ける様に、そう告げた。
現場となった組屋敷、それも竹本又八郎が妻女の順と住まう屋敷は中から戸が堅く閉じられており、そこで田安家目附の石寺伊織が戸を蹴破って屋敷の中へと突入し、そこで二人の遺骸を発見した訳であるが、岩田吉左衛門がその破壊された戸を検分した結果、目張りの痕跡を発見、戸の枠にも同様に目張りの痕跡があったのだ。
のみならず、屋敷の縁側の雨戸は元より、明り取りの窓という窓に至るまで全て目張りがしてあったのだ。
否、窓はそもそも人が出入り出来るサイズではなかったのだが、ともあれ屋敷は完全に密室であったのだ。
屋敷の中において二人の遺体を発見した田安家目附の石寺伊織はその後、屋敷の「現場保存」を用人の朝比奈六左衛門に頼み、自身は同じく用人の押田吉次郎とそれに廣敷用達の鈴木清七郎と共に辰ノ口の評定所へと走り、そして目附の臨場を要請、目附の池田長惠はそれを受けて徒目附の岩田吉左衛門を随えて田安家上屋敷へと、それも「現場」の組屋敷に臨場し、その時まで用人の朝比奈六左衛門はずっとその「現場」の「保存」に努め、池田長惠と岩田吉左衛門の二人が姿を見せると、この二人に「現場」を「バトンタッチ」、そのまま「現場」の捜索に入ったのであった。
「仮に、竹本又八郎と妻女の順の二人が何者かに刺殺されたとして、それではその下手人は如何にして、密室の現場から消えたと?」
岩田吉左衛門のその問いに応えたのは「再検視」に当たったもう一人の徒目附、川崎市三郎であり、
「されば…、下手人は押入れにでも潜んでおり、朝比奈六左衛門が現場の保存に努めし折、その実、六左衛門がその下手人を逃したのではござるまいか?」
川崎市三郎はそう反論した。
だが岩田吉左衛門は当然乍、その反論を一笑に付した。
「されば…、朝比奈六左衛門は下手人の…、竹本又八郎・順夫妻殺しの共犯者であると申すか?」
「左様…」
「成程…、これで朝比奈六左衛門もまた、押田吉次郎同様、竹本又八郎による無理心中として…、実際、その通りではあるが、されど御目附へと届出ずに、内々に…、田安家だけで処理してしまおうとしていたのならば兎も角、実際には朝比奈六左衛門はそれとは正反対に、法度に倣い、御目附へと届出ることを強く主張し、その為、押田吉次郎らをここ辰ノ口の評定所へと走らせたのだぞ?仮に朝比奈六左衛門が竹本又八郎・順夫妻殺しの下手人なれば、御目附に届出ることを主張する筈がないではないか…、態々、自が罪を明らかにする様なものだからの…、それよりは押田吉次郎が主張…、田安家だけで内々に処理してしまおうとの、押田吉次郎のその主張をこれ幸いとばかり、奇貨として押田吉次郎に与して、事件を田安家だけで処理していたことであろうよ…、用人が二人も揃ってそう主張すれば、如何に田安家目附の石寺伊織と雖も、これに逆らうことは出来まいて…」
岩田吉左衛門はこうして「朝比奈六左衛門共犯説」を一笑に伏したのであり、これには川崎市三郎も反論のしようがなかった。
すると岩田吉左衛門はそれを良いことに、つまりは調子に乗って「再検視」に当たった3人の徒目附の「個人攻撃」を始めた。
「いや…、御三方…、大畠殿や川崎殿、そして堀谷殿が、竹本又八郎が妻女の順と共に殺された…、つまりは自害に見せかけて殺されたのだと、そう信じたい…、否、思い込みたい気持ちも分からぬではない…」
岩田吉左衛門は人を小莫迦にする様な口調でそう切出したかと思うと、
「されば大畠殿は田安家臣の娘御を娶られ、一方、川崎殿は御実姉が田安家臣の妻女として嫁がれ、そして堀谷殿に至りては元は田安の大番士…、つまりは三者三様、田安家と所縁があり、その様な御三方にしてみれば、所縁のある田安家のそれも廣敷用人という要職にありし竹本又八郎がこともあろうに一橋民部卿様に使嗾されて侍女の廣瀬を殺害…、絞殺した挙句、その罪が発覚しそうになるや、妻女の順を道連れにして無理心中を図ったなどと、到底、受容れられるものではなく、そこで…」
検視に「私情」を挟んだのであろうと、示唆した。
即ち、大畠半左衛門は田安家臣の清水八平次定直の娘を娶っており、一方、川崎市三郎は実姉が田安家臣の深津理右衛門忠胤の許に嫁いでおり、そして堀谷文右衛門に至っては自身が嘗ては田安家臣として、それも大番士として仕えていたという経歴を持つ。
成程、三者三様、田安家とは所縁を誇り、その様な彼等が「再検視」に当たったとなれば、如何に彼等が優秀と雖も、
「再検視に私情を挟んだのではあるまいか…」
岩田吉左衛門も指摘した通り、その疑いを挟む余地はあった。
だが彼等3人の中でも最年長の大畠半左衛門が岩田吉左衛門に冷静に反論した。
「成程…、田安家廣敷用人の竹本又八郎とその妻女の順、2人を再検視せしが、そこもとが指摘せし通り、田安家と所縁のありし吾等3人だけであらば、成程、斯かる疑いを挟む余地もあろうが、しかし実際には組頭殿も…、杉山藤蔵様も再検視に当たられ、その杉山藤蔵様は田安家とは何ら所縁はなく、にもかかわらずその杉山藤蔵様までが、竹本又八郎とその妻女の順、この2人の死について吾等3人と同じく他殺と判定されたのだぞ?」
田安家とは何ら所縁のない杉山藤蔵までが2人の死について「他殺」と判定した以上、これを信じても差支えないのではあるまいかと、大畠半左衛門はそう反論したのであった。
これにはさしもの岩田吉左衛門も即座には反論出来なかった。
すると岩田吉左衛門の様子からそうと見て取った大畠半左衛門は更に、
「まぁ、どうしても2人の死を他殺と判定せし吾等の再検視がどうしても納得出来ぬと申すのであらば、外の徒目附の再検視を仰いでも良いがの…」
そう畳掛けたのであった。所謂、「セカンドオピニオン」を勧めたのであった。
どうやら大畠半左衛門は、否、半左衛門だけではない、再検視に当たった全員が2人の死を他殺とするその鑑定に自信があるらしかった。
そこで岩田吉左衛門は別の角度から責めることにした。
即ち、現場が密室であったことに加えて、竹本又八郎本人直筆の遺書の存在を再び取上げて再反論を試みたのであった。
これもまた確かにその通りであった。殊に本人直筆の遺書の存在は大きかった。
これについてはやはり、徒目附の中でも筆跡鑑定の「プロ」である山上熊太郎が「再鑑定」に当たり、その結果、岩田吉左衛門の筆跡鑑定の正しさを証明するものであった。
つまりは竹本又八郎本人の遺書であるとの「再鑑定」が導き出されたのであった。
果たして竹本又八郎とその妻女の順、この2人は共に誰か第三者に殺されたのか、それとも竹本又八郎が妻女の順を道連れにしての無理心中か―、結局、本丸目附・池田長惠の裁定に委ねられることとなり、長惠はそこで、
「妻女の順は他殺、一方、竹本又八郎の死については自他殺、判別がつかず…」
但し、現場は密室であり、しかも竹本又八郎本人直筆の遺書があったと、将軍・家治宛の報告書にそう認め、証拠品である遺書をも添付した。
徒目附組頭が自ら検視に当たることなど通常はあり得ない。
だが本丸目附の池田長惠は事件の重大性に鑑み、配下の中でも最も高位の徒目附組頭の、それも当番の杉山藤蔵に「再検視」を命じたのであった。
徒目附組頭たる杉山藤蔵が自ら二人の検視に当たったのは斯かる次第による。
否、「再検視」に当たったのは杉山藤蔵だけではない。
ヒラの徒目附である堀谷文右衛門紀雄と大畠半左衛門勝猛、そして川崎市三郎義武の3人も「再検視」に当たった。
二人、否、二体の検視ともなると、杉山藤蔵一人の手には負えない。
無論、不可能ではないが、間違いがあるやも知れなかった。
そこで杉山藤蔵は堀谷文右衛門、大畠半左衛門、川崎市三郎の3人に検視を手伝わせることを池田長惠に願出、これに対して長惠も杉山藤蔵の願出を至当と認め、これを許した次第であった。
ヒラの徒目附は48人おり、そのちょうど3分の1に当たる16人が3交替制で勤めていた。
今の時刻はちょうど当番の「勤務」に当たり、その中でも杉山藤蔵が上記の3人を「サブ」として選んだのは外でもない、この3人が徒目附の中でもとりわけ優秀であったからだ。
こうして杉山藤蔵たち4人が「再検視」を行ったところ、二人の死は「殺人」と断定された。
つまりは将来を悲観した竹本又八郎による妻女・順を道連れにしての無理心中との「見立て」は否定されたのであった。
やはり竹本又八郎に「ためらい疵」がなかったことが「無理心中」を否定する最大の根拠であった。
またそれを裏付ける様に、微かではあるが眠り薬の匂いも感じ取られた。
これは大畠半左衛門が気付いたことであるが、竹本又八郎と妻女の順、この二人の口許から微かだが、眠り薬特有の匂いを嗅ぎ取られた。
大畠半左衛門は徒目附に着任する前は御膳所台所人を勤めていた。
御膳所台所人は将軍の食事を実際に調理するのを職掌としており、それだけに間違いがあっては許されない。
下手に傷んだ食材を用いて調理をし、その結果、将軍が食中りでも起こしたら一大事である。
無論、御膳奉行や、或いは御膳番小納戸による毒見は行われるものの、それでも傷んだ食材で調理をした程度ならば、つまりはその程度の食事であれば毒見を「スルー」、潜り抜けて将軍の御前へと、その食事が出されてしまう危険性が大いにあり得た。
そこで御膳所台所人はその危険性を回避すべく、匂いに敏感となる。
それは無論、毒に対する匂いをも抱合していた。
大畠半左衛門が微かな匂い乍も、眠り薬の匂いを嗅ぎ取ることが出来たのはその為であった。
こうして二人が眠り薬を摂取していた可能性も判明したことから、
「竹本又八郎と妻女の順は第三者によって眠り薬で眠らせられた後、殺害、それも竹本又八郎に至っては自害に見せかけられて刺殺された…」
それが「再検視」の結果であった。
だがこの「再検視」の結果に真向から異議を唱えた者があった。
徒目附の岩田吉左衛門由房がそうであり、「現場」である田安家上屋敷、その中の組屋敷へと臨場しては件の遺書の筆跡鑑定に当たった徒目附である。
「仮に二人が眠り薬を服んでいたとしても、竹本又八郎がまず妻女の順を眠り薬で眠らせた後、順を刺殺、その後で自らも眠り薬を服んだ後、自害した可能性もあろう…、何しろその眠り薬とやらが即効性のものかどうか、そこまでは分からないのだから…」
それが岩田吉左衛門の反論―、二人の死を「他殺」とする「再検視」結果に対する反論の骨子であった。
確かに岩田吉左衛門が指摘する通り、眠り薬が即効性のものかどうか、さしもの大畠半左衛門も匂いからそこまでは嗅ぎ取れなかった。
つまりは即効性の眠り薬でない可能性もあり、その場合、岩田吉左衛門が主張する通り、竹本又八郎が妻女の順に眠り薬を服ませてこれを刺殺、その後に自らも同じ眠り薬を呷ってから自害したことも考えられた。
竹本又八郎に「ためらい疵」がなかったことについても、それだけ覚悟の自害であったという可能性も排除しきれなかった。
何より、岩田吉左衛門には竹本又八郎直筆の遺書という有力な「武器」があった。
「されば竹本又八郎が住まう組屋敷より押収せし日記、或いは竹本又八郎が廣敷用人として決裁せし書付などから、竹本又八郎直筆の遺書であることは明らか…」
遺書に認められた文字、それと竹本又八郎直筆の公的な書付や私的な日記に認められた文字、それらを抽出して両者を照合した結果、確かに竹本又八郎直筆の遺書であると、岩田吉左衛門はそう判定したのであった。
「されば私的な日記については兎も角、公的な書付については、確かに竹本又八郎の手によるものであると、竹本又八郎とは相役の廣敷用人、杉浦猪兵衛良昭、同じく毛利齋宮元卓の両名よりその証言を得られてござる…」
岩田吉左衛門は現場の組屋敷を家宅捜索して日記を押収すると同時に、竹本又八郎の「勤務先」である廣敷向に保管してあった書付、それも竹本又八郎の署名の入った書付をも任意提出して貰った。
徒目附の身分では流石に、御三卿大奥への「関所」とも言うべき廣敷向にまで捜索に入ることは憚られ、そこで岩田吉左衛門は廣敷用人の杉浦猪兵衛に頼んで廣敷向に保管されているであろう竹本又八郎直筆、要は署名入りの書付を任意提出して貰ったのだ。
杉浦猪兵衛が書付の束から竹本又八郎の署名入りの書付をセレクトし、それを岩田吉左衛門に渡したのであった。
その際、岩田吉左衛門はもう一人の廣敷用人である毛利齋宮からもその書付が―、杉浦猪兵衛がセレクトした書付が真、竹本又八郎の手による書付であるかどうか確かめるという念の入り様であった。
決して杉浦猪兵衛を疑っている訳ではなかったが、念の為、毛利齋宮からも裏を取ったのだ。
その結果、毛利齋宮からもやはり間違いなく竹本又八郎直筆の書付であるとの証言が得られたのだ。
そこで岩田吉左衛門は私的な日記に加えて、公的な書付をも「対照資料」として遺書の筆跡鑑定を行った結果、竹本又八郎直筆の遺書であるとの鑑定結果を導き出したのであった。
「されば…、その鑑定に間違いはござらぬのか?」
岩田吉左衛門に「再検視」の結果を否定された腹いせからか、大畠半左衛門がそう反論した。
すると岩田吉左衛門もその反論を予期してか、「対照資料」である日記、及び書付を持参しており、今この場にて外の徒目附にそれら「対照資料」を元に、遺書に認められた文字との「再鑑定」を本丸目附の池田長惠、及び直属の上司である徒目附組頭の杉山藤蔵に願ったのだ。
そこで池田長惠と杉山藤蔵は協議した結果、これを許すと同時に、徒目附の山上熊太郎博杲に「再鑑定」を命じたのであった。
山上熊太郎もまた優秀な徒目附であり、殊に筆跡鑑定に優れていた。
その山上熊太郎が遺書に認められた文字と、竹本又八郎直筆の日記及び書付に認められた文字とを照合した結果、遺書に認められた文字は間違いなく竹本又八郎の手になるものであるとの鑑定を導き出したのであった。
これで岩田吉左衛門の筆跡鑑定の正しさが証明された訳で、
「竹本又八郎が妻女の順を道連れにしての無理心中…」
ひいては吉左衛門のその見立ての正しさをも証明する効果があった。
「それと今一つ…、現場は完全に密室でござった…」
岩田吉左衛門は畳掛ける様に、そう告げた。
現場となった組屋敷、それも竹本又八郎が妻女の順と住まう屋敷は中から戸が堅く閉じられており、そこで田安家目附の石寺伊織が戸を蹴破って屋敷の中へと突入し、そこで二人の遺骸を発見した訳であるが、岩田吉左衛門がその破壊された戸を検分した結果、目張りの痕跡を発見、戸の枠にも同様に目張りの痕跡があったのだ。
のみならず、屋敷の縁側の雨戸は元より、明り取りの窓という窓に至るまで全て目張りがしてあったのだ。
否、窓はそもそも人が出入り出来るサイズではなかったのだが、ともあれ屋敷は完全に密室であったのだ。
屋敷の中において二人の遺体を発見した田安家目附の石寺伊織はその後、屋敷の「現場保存」を用人の朝比奈六左衛門に頼み、自身は同じく用人の押田吉次郎とそれに廣敷用達の鈴木清七郎と共に辰ノ口の評定所へと走り、そして目附の臨場を要請、目附の池田長惠はそれを受けて徒目附の岩田吉左衛門を随えて田安家上屋敷へと、それも「現場」の組屋敷に臨場し、その時まで用人の朝比奈六左衛門はずっとその「現場」の「保存」に努め、池田長惠と岩田吉左衛門の二人が姿を見せると、この二人に「現場」を「バトンタッチ」、そのまま「現場」の捜索に入ったのであった。
「仮に、竹本又八郎と妻女の順の二人が何者かに刺殺されたとして、それではその下手人は如何にして、密室の現場から消えたと?」
岩田吉左衛門のその問いに応えたのは「再検視」に当たったもう一人の徒目附、川崎市三郎であり、
「されば…、下手人は押入れにでも潜んでおり、朝比奈六左衛門が現場の保存に努めし折、その実、六左衛門がその下手人を逃したのではござるまいか?」
川崎市三郎はそう反論した。
だが岩田吉左衛門は当然乍、その反論を一笑に付した。
「されば…、朝比奈六左衛門は下手人の…、竹本又八郎・順夫妻殺しの共犯者であると申すか?」
「左様…」
「成程…、これで朝比奈六左衛門もまた、押田吉次郎同様、竹本又八郎による無理心中として…、実際、その通りではあるが、されど御目附へと届出ずに、内々に…、田安家だけで処理してしまおうとしていたのならば兎も角、実際には朝比奈六左衛門はそれとは正反対に、法度に倣い、御目附へと届出ることを強く主張し、その為、押田吉次郎らをここ辰ノ口の評定所へと走らせたのだぞ?仮に朝比奈六左衛門が竹本又八郎・順夫妻殺しの下手人なれば、御目附に届出ることを主張する筈がないではないか…、態々、自が罪を明らかにする様なものだからの…、それよりは押田吉次郎が主張…、田安家だけで内々に処理してしまおうとの、押田吉次郎のその主張をこれ幸いとばかり、奇貨として押田吉次郎に与して、事件を田安家だけで処理していたことであろうよ…、用人が二人も揃ってそう主張すれば、如何に田安家目附の石寺伊織と雖も、これに逆らうことは出来まいて…」
岩田吉左衛門はこうして「朝比奈六左衛門共犯説」を一笑に伏したのであり、これには川崎市三郎も反論のしようがなかった。
すると岩田吉左衛門はそれを良いことに、つまりは調子に乗って「再検視」に当たった3人の徒目附の「個人攻撃」を始めた。
「いや…、御三方…、大畠殿や川崎殿、そして堀谷殿が、竹本又八郎が妻女の順と共に殺された…、つまりは自害に見せかけて殺されたのだと、そう信じたい…、否、思い込みたい気持ちも分からぬではない…」
岩田吉左衛門は人を小莫迦にする様な口調でそう切出したかと思うと、
「されば大畠殿は田安家臣の娘御を娶られ、一方、川崎殿は御実姉が田安家臣の妻女として嫁がれ、そして堀谷殿に至りては元は田安の大番士…、つまりは三者三様、田安家と所縁があり、その様な御三方にしてみれば、所縁のある田安家のそれも廣敷用人という要職にありし竹本又八郎がこともあろうに一橋民部卿様に使嗾されて侍女の廣瀬を殺害…、絞殺した挙句、その罪が発覚しそうになるや、妻女の順を道連れにして無理心中を図ったなどと、到底、受容れられるものではなく、そこで…」
検視に「私情」を挟んだのであろうと、示唆した。
即ち、大畠半左衛門は田安家臣の清水八平次定直の娘を娶っており、一方、川崎市三郎は実姉が田安家臣の深津理右衛門忠胤の許に嫁いでおり、そして堀谷文右衛門に至っては自身が嘗ては田安家臣として、それも大番士として仕えていたという経歴を持つ。
成程、三者三様、田安家とは所縁を誇り、その様な彼等が「再検視」に当たったとなれば、如何に彼等が優秀と雖も、
「再検視に私情を挟んだのではあるまいか…」
岩田吉左衛門も指摘した通り、その疑いを挟む余地はあった。
だが彼等3人の中でも最年長の大畠半左衛門が岩田吉左衛門に冷静に反論した。
「成程…、田安家廣敷用人の竹本又八郎とその妻女の順、2人を再検視せしが、そこもとが指摘せし通り、田安家と所縁のありし吾等3人だけであらば、成程、斯かる疑いを挟む余地もあろうが、しかし実際には組頭殿も…、杉山藤蔵様も再検視に当たられ、その杉山藤蔵様は田安家とは何ら所縁はなく、にもかかわらずその杉山藤蔵様までが、竹本又八郎とその妻女の順、この2人の死について吾等3人と同じく他殺と判定されたのだぞ?」
田安家とは何ら所縁のない杉山藤蔵までが2人の死について「他殺」と判定した以上、これを信じても差支えないのではあるまいかと、大畠半左衛門はそう反論したのであった。
これにはさしもの岩田吉左衛門も即座には反論出来なかった。
すると岩田吉左衛門の様子からそうと見て取った大畠半左衛門は更に、
「まぁ、どうしても2人の死を他殺と判定せし吾等の再検視がどうしても納得出来ぬと申すのであらば、外の徒目附の再検視を仰いでも良いがの…」
そう畳掛けたのであった。所謂、「セカンドオピニオン」を勧めたのであった。
どうやら大畠半左衛門は、否、半左衛門だけではない、再検視に当たった全員が2人の死を他殺とするその鑑定に自信があるらしかった。
そこで岩田吉左衛門は別の角度から責めることにした。
即ち、現場が密室であったことに加えて、竹本又八郎本人直筆の遺書の存在を再び取上げて再反論を試みたのであった。
これもまた確かにその通りであった。殊に本人直筆の遺書の存在は大きかった。
これについてはやはり、徒目附の中でも筆跡鑑定の「プロ」である山上熊太郎が「再鑑定」に当たり、その結果、岩田吉左衛門の筆跡鑑定の正しさを証明するものであった。
つまりは竹本又八郎本人の遺書であるとの「再鑑定」が導き出されたのであった。
果たして竹本又八郎とその妻女の順、この2人は共に誰か第三者に殺されたのか、それとも竹本又八郎が妻女の順を道連れにしての無理心中か―、結局、本丸目附・池田長惠の裁定に委ねられることとなり、長惠はそこで、
「妻女の順は他殺、一方、竹本又八郎の死については自他殺、判別がつかず…」
但し、現場は密室であり、しかも竹本又八郎本人直筆の遺書があったと、将軍・家治宛の報告書にそう認め、証拠品である遺書をも添付した。
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