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田安家廣敷用人の竹本又八郎と妻女の順、二人の死を他殺とする再検視の結果に徒目附の岩田吉左衛門由房は反論する。

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 徒目附かちめつけにより―、実際じっさいには徒目附かちめつけ指揮しきもと小人こびとによって田安家たやすけ廣敷用人ひろしきようにん竹本たけもと又八郎またはちろうとそのつまであるじゅん二人ふたり遺骸いがい評定所ひょうじょうしょへとはこばれると、徒目附かちめつけ組頭くみがしら杉山藤蔵武明すぎやまとうぞうたけあきみずか検視けんしたった。

 徒目附かちめつけ組頭くみがしらみずか検視けんしたることなど通常つうじょうはありない。

 だが本丸ほんまる目附めつけ池田いけだ長惠ながしげ事件じけん重大性じゅうだいせいかんがみ、配下はいかなかでももっと高位こうい徒目附かちめつけ組頭くみがしらの、それも当番とうばん杉山藤蔵すぎやまとうぞうに「再検視さいけんし」をめいじたのであった。

 徒目附かちめつけ組頭くみがしらたる杉山藤蔵すぎやまとうぞうみずか二人ふたり検視けんしたったのはかる次第しだいによる。

 いや、「再検視さいけんし」にたったのは杉山藤蔵すぎやまとうぞうだけではない。

 ヒラの徒目附かちめつけである堀谷ほりや文右衛門ぶんえもん紀雄としお大畠おおはたけ半左衛門はんざえもん勝猛かつたけ、そして川崎かわさき市三郎いちさぶろう義武よしたけの3人も「再検視さいけんし」にたった。

 二人ふたりいや二体にたい検視けんしともなると、杉山藤蔵すぎやまとうぞう一人ひとりにはえない。

 無論むろん不可能ふかのうではないが、間違まちがいがあるやもれなかった。

 そこで杉山藤蔵すぎやまとうぞう堀谷ほりや文右衛門ぶんえもん大畠おおはたけ半左衛門はんざえもん川崎かわさき市三郎いちさぶろうの3人に検視けんし手伝てつだわせることを池田いけだ長惠ねがしげ願出ねがいで、これにたいして長惠ながしげ杉山藤蔵すぎやまとうぞう願出ねがいで至当しとうみとめ、これをゆるした次第しだいであった。

 ヒラのかち目附めつけは48人おり、そのちょうど3分の1にたる16人が3交替制こうたいせいつとめていた。

 いま時刻じこくはちょうど当番とうばんの「勤務シフト」にたり、そのなかでも杉山藤蔵すぎやまとうぞう上記じょうきの3人を「サブ」としてえらんだのはほかでもない、この3人が徒目附かちめつけなかでもとりわけ優秀ゆうしゅうであったからだ。

 こうして杉山藤蔵すぎやまとうぞうたち4人が「再検視さいけんし」をおこなったところ、二人ふたりは「殺人さつじん」と断定だんていされた。

 つまりは将来しょうらい悲観ひかんした竹本たけもと又八郎またはちろうによる妻女さいじょじゅん道連みちづれにしての無理むり心中しんじゅうとの「見立みたて」は否定ひていされたのであった。

 やはり竹本たけもと又八郎またはちろうに「ためらいきず」がなかったことが「無理むり心中しんじゅう」を否定ひていする最大さいだい根拠こんきょであった。

 またそれを裏付うらづけるように、かすかではあるがねむぐすりにおいもかんられた。

 これは大畠おおはたけ半左衛門はんざえもん気付きづいたことであるが、竹本たけもと又八郎またはちろう妻女さいじょじゅん、この二人ふたり口許くちもとからかすかだが、ねむぐすり特有とくゆうにおいをられた。

 大畠おおはたけ半左衛門はんざえもん徒目附かちめつけ着任ちゃくにんするまえ膳所ぜぜ台所人だいどころにんつとめていた。

 膳所ぜぜ台所人だいどころにん将軍しょうぐん食事しょくじ実際じっさい調理ちょうりするのを職掌しょくしょうとしており、それだけに間違まちがいがあってはゆるされない。

 下手へたいたんだ食材しょくざいもちいて調理ちょうりをし、その結果けっか将軍しょうぐん食中しょくあたりでもこしたら一大事いちだいじである。

 無論むろんぜん奉行ぶぎょうや、あるいは膳番ぜんばん小納戸こなんどによる毒見どくみおこなわれるものの、それでもいたんだ食材しょくざい調理ちょうりをした程度ていどならば、つまりはその程度ていど食事しょくじであれば毒見どくみを「スルー」、くぐけて将軍しょうぐんぜんへと、その食事しょくじされてしまう危険性リスクおおいにありた。

 そこで膳所ぜぜ台所人だいどころにんはその危険性リスク回避かいひすべく、においに敏感びんかんとなる。

 それは無論むろんどくたいするにおいをも抱合ほうごうしていた。

 大畠おおはたけ半左衛門はんざえもんかすかなにおながらも、ねむぐすりにおいをることが出来できたのはそのためであった。

 こうして二人ふたりねむぐすり摂取せっしゅしていた可能性かのうせい判明はんめいしたことから、

竹本たけもと又八郎またはちろう妻女さいじょじゅん第三者だいさんしゃによってねむぐすりねむらせられたのち殺害さつがい、それも竹本たけもと又八郎またはちろういたっては自害じがいせかけられて刺殺しさつされた…」

 それが「再検視さいけんし」の結果けっかであった。

 だがこの「再検視さいけんし」の結果けっか真向まっこうから異議いぎとなえたものがあった。

 徒目附かちめつけ岩田いわた吉左衛門きちざえもん由房よりふさがそうであり、「現場げんば」である田安家たやすけ上屋敷かみやしき、そのなか組屋敷くみやしきへと臨場りんじょうしてはくだん遺書いしょ筆跡鑑定ひっせきかんていたった徒目附かちめつけである。

かり二人ふたりねむぐすりふくんでいたとしても、竹本たけもと又八郎またはちろうがまず妻女さいじょじゅんねむぐすりねむらせたのちじゅん刺殺しさつ、そのあとみずからもねむぐすりふくんだのち自害じがいした可能性かのうせいもあろう…、なにしろそのねむぐすりとやらが即効性そっこうせいのものかどうか、そこまではからないのだから…」

 それが岩田いわた吉左衛門きちざえもん反論はんろん―、二人ふたりを「他殺たさつ」とする「再検視さいけんし結果けっかたいする反論はんろん骨子こっしであった。

 たしかに岩田いわた吉左衛門きちざえもん指摘してきするとおり、ねむぐすり即効性そっこうせいのものかどうか、さしもの大畠おおはたけ半左衛門はんざえもんにおいからそこまではれなかった。

 つまりは即効性そっこうせいねむぐすりでない可能性かのうせいもあり、その場合ばあい岩田いわた吉左衛門きちざえもん主張しゅちょうするとおり、竹本たけもと又八郎またはちろう妻女さいじょじゅんねむぐすりふくませてこれを刺殺しさつ、そのあとみずからもおなねむぐすりあおってから自害じがいしたこともかんがえられた。

 竹本たけもと又八郎またはちろうに「ためらいきず」がなかったことについても、それだけ覚悟かくご自害じがいであったという可能性かのうせい排除はいじょしきれなかった。

 なにより、岩田いわた吉左衛門きちざえもんには竹本たけもと又八郎またはちろう直筆じきひつ遺書いしょという有力ゆうりょくな「武器ぶき」があった。

「されば竹本たけもと又八郎またはちろうまう組屋敷くみやしきより押収おうしゅうせし日記にっきあるいは竹本たけもと又八郎またはちろう廣敷用人ひろしきようにんとして決裁けっさいせし書付かきつけなどから、竹本たけもと又八郎またはちろう直筆じきひつ遺書いしょであることはあきらか…」

 遺書いしょしたためられた文字もじ、それと竹本たけもと又八郎またはちろう直筆じきひつ公的こうてき書付かきつけ私的してき日記にっきしたためられた文字もじ、それらを抽出ちゅうしゅつして両者りょうしゃ照合しょうごうした結果けっかたしかに竹本たけもと又八郎またはちろう直筆じきひつ遺書いしょであると、岩田いわた吉左衛門きちざえもんはそう判定はんていしたのであった。

「されば私的してき日記にっきについてはかく公的こうてき書付かきつけについては、たしかに竹本たけもと又八郎またはちろうによるものであると、竹本たけもと又八郎またはちろうとは相役あいやく廣敷用人ひろしきようにん杉浦すぎうら猪兵衛いへえ良昭よしあきおなじく毛利もうり齋宮元卓さいぐうもとなか両名りょうめいよりその証言しょうげんられてござる…」

 岩田いわた吉左衛門きちざえもん現場げんば組屋敷くみやしき家宅かたく捜索そうさくして日記にっき押収おうしゅうすると同時どうじに、竹本たけもと又八郎またはちろうの「勤務先きんむさき」である廣敷向ひろしきむき保管ほかんしてあった書付かきつけ、それも竹本たけもと又八郎またはちろう署名しょめいはいった書付かきつけをも任意にんい提出ていしゅつしてもらった。

 徒目附かちめつけ身分みぶんでは流石さすがに、三卿さんきょう大奥おおおくへの「関所せきしょ」とも言うべき廣敷向ひろしきむきにまで捜索そうさくはいることははばかられ、そこで岩田いわた吉左衛門きちざえもん廣敷用人ひろしきようにん杉浦すぎうら猪兵衛いへえたのんで廣敷向ひろしきむき保管ほかんされているであろう竹本たけもと又八郎またはちろう直筆じきひつよう署名しょめいりの書付かきつけ任意にんい提出ていしゅつしてもらったのだ。

 杉浦すぎうら猪兵衛いへえ書付かきつけたばから竹本たけもと又八郎またはちろう署名しょめいりの書付かきつけをセレクトし、それを岩田いわた吉左衛門きちざえもんわたしたのであった。

 そのさい岩田いわた吉左衛門きちざえもんはもう一人ひとり廣敷用人ひろしきようにんである毛利もうり齋宮さいぐうからもその書付かきつけが―、杉浦すぎうら猪兵衛いへえがセレクトした書付かきつけまこと竹本たけもと又八郎またはちろうによる書付かきつけであるかどうかたしかめるというねんようであった。

 けっして杉浦すぎうら猪兵衛いへえうたがっているわけではなかったが、ねんため毛利もうり齋宮さいぐうからもウラったのだ。

 その結果けっか毛利もうり齋宮さいぐうからもやはり間違まちがいなく竹本たけもと又八郎またはちろう直筆じきひつ書付かきつけであるとの証言しょうげんられたのだ。

 そこで岩田いわた吉左衛門きちざえもん私的してき日記にっきくわえて、公的こうてき書付かきつけをも「対照たいしょう資料しりょう」として遺書いしょ筆跡鑑定ひっせきかんていおこなった結果けっか竹本たけもと又八郎またはちろう直筆じきひつ遺書いしょであるとの鑑定かんてい結果けっかみちびしたのであった。

「されば…、その鑑定かんてい間違まちがいはござらぬのか?」

 岩田いわた吉左衛門きちざえもんに「再検視さいけんし」の結果けっか否定ひていされたはらいせからか、大畠おおはたけ半左衛門はんざえもんがそう反論はんろんした。

 すると岩田いわた吉左衛門きちざえもんもその反論はんろん予期よきしてか、「対照たいしょう資料しりょう」である日記にっきおよ書付かきつけ持参じさんしており、いまこのにてほか徒目附かちめつけにそれら「対照たいしょう資料しりょう」をもとに、遺書いしょしたためられた文字もじとの「再鑑定さいかんてい」を本丸ほんまる目附めつけ池田いけだ長惠ながしげおよ直属ちょくぞく上司じょうしである徒目附かちめつけ組頭くみがしら杉山藤蔵すぎやまとうぞうねがったのだ。

 そこで池田いけだ長惠ながしげ杉山藤蔵すぎやまとうぞう協議きょうぎした結果けっか、これをゆるすと同時どうじに、徒目附かちめつけ山上やまがみ熊太郎くまたろう博杲ひろあきらに「再鑑定さいかんてい」をめいじたのであった。

 山上やまがみ熊太郎くまたろうもまた優秀ゆうしゅう徒目附かちめつけであり、こと筆跡鑑定ひっせきかんていすぐれていた。

 その山上やまがみ熊太郎くまたろう遺書いしょしたためられた文字もじと、竹本たけもと又八郎またはちろう直筆じきひつ日記にっきおよ書付かきつけしたためられた文字もじとを照合しょうごうした結果けっか遺書いしょしたためられた文字もじ間違まちがいなく竹本たけもと又八郎またはちろうになるものであるとの鑑定かんていみちびしたのであった。

 これで岩田いわた吉左衛門きちざえもん筆跡鑑定ひっせきかんていただしさが証明しょうめいされたわけで、

竹本たけもと又八郎またはちろう妻女さいじょじゅん道連みちづれにしての無理むり心中しんじゅう…」

 ひいては吉左衛門きちざえもんのその見立みたてのただしさをも証明しょうめいする効果こうかがあった。

「それと今一いまひとつ…、現場げんば完全かんぜん密室みっしつでござった…」

 岩田いわた吉左衛門きちざえもん畳掛たたみかけるように、そうげた。

 現場げんばとなった組屋敷くみやしき、それも竹本たけもと又八郎またはちろう妻女さいじょじゅんまう屋敷やしきなかからかたじられており、そこで田安家たやすけ目附めつけ石寺いしでら伊織いおり蹴破けやぶって屋敷やしきなかへと突入とつにゅうし、そこで二人ふたり遺骸いがい発見はっけんしたわけであるが、岩田いわた吉左衛門きちざえもんがその破壊はかいされた検分けんぶんした結果けっか目張めばりの痕跡こんせき発見はっけんわくにも同様どうよう目張めばりの痕跡こんせきがあったのだ。

 のみならず、屋敷やしき縁側えんがわ雨戸あまどもとより、あかりのまどというまどいたるまですべ目張めばりがしてあったのだ。

 いやまどはそもそもひと出入でい出来できるサイズではなかったのだが、ともあれ屋敷やしき完全かんぜん密室みっしつであったのだ。

 屋敷やしきなかにおいて二人ふたり遺体いたい発見はっけんした田安家たやすけ目附めつけ石寺いしでら伊織いおりはその屋敷やしきの「現場保存げんばほぞん」を用人ようにん朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもんたのみ、自身じしんおなじく用人ようにん押田おしだ吉次郎きちじろうとそれに廣敷用達ひろしきようたし鈴木すずき清七郎せいしちろうとも辰ノ口たつのぐち評定所ひょうじょうしょへとはしり、そして目附めつけ臨場りんじょう要請ようせい目附めつけ池田いけだ長惠ながしげはそれをけてかち目附めつけ岩田いわた吉左衛門きちざえもんしたがえて田安家たやすけ上屋敷かみやしきへと、それも「現場げんば」の組屋敷くみやしき臨場りんじょうし、そのときまで用人ようにん朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもんはずっとその「現場げんば」の「保存ほぞん」につとめ、池田いけだ長惠ながしげ岩田いわた吉左衛門きちざえもん二人ふたり姿すがたせると、この二人ふたりに「現場げんば」を「バトンタッチ」、そのまま「現場げんば」の捜索そうさくはいったのであった。

かりに、竹本たけもと又八郎またはちろう妻女さいじょじゅん二人ふたり何者なにものかに刺殺しさつされたとして、それではその下手人げしゅにん如何いかにして、密室みっしつ現場げんばからえたと?」

 岩田いわた吉左衛門きちざえもんのそのいにこたえたのは「再検視さいけんし」にたったもう一人ひとり徒目附かちめつけ川崎かわさき市三郎いちさぶろうであり、

「されば…、下手人げしゅにん押入おしいれにでもひそんでおり、朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもん現場げんば保存ほぞんつとめしおり、そのじつ六左衛門ろくざえもんがその下手人げしゅにんのがしたのではござるまいか?」

 川崎かわさき市三郎いちさぶろうはそう反論はんろんした。

 だが岩田いわた吉左衛門きちざえもん当然乍とうぜんながら、その反論はんろん一笑いっしょうした。

「されば…、朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもん下手人げしゅにんの…、竹本たけもと又八郎またはちろうじゅん夫妻ふさいごろしの共犯者きょうはんしゃであるともうすか?」

左様さよう…」

成程なるほど…、これで朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもんもまた、押田おしだ吉次郎きちじろう同様どうよう竹本たけもと又八郎またはちろうによる無理むり心中しんじゅうとして…、実際じっさい、そのとおりではあるが、されど目附めつけへと届出とどけでずに、内々ないないに…、田安家たやすけだけで処理しょりしてしまおうとしていたのならばかく実際じっさいには朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもんはそれとは正反対せいはんたいに、法度はっとならい、目附めつけへと届出とどけでることをつよ主張しゅちょうし、そのため押田おしだ吉次郎きちじろうらをここ辰ノ口たつのぐち評定所ひょうじょうしょへとはしらせたのだぞ?かり朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもん竹本たけもと又八郎またはちろうじゅん夫妻ふさいごろしの下手人げしゅにんなれば、目附めつけ届出とどけでることを主張しゅしょうするはずがないではないか…、態々わざわざおのつみあきらかにするようなものだからの…、それよりは押田おしだ吉次郎きちじろう主張しゅちょう…、田安家たやすけだけで内々ないない処理しょりしてしまおうとの、押田おしだ吉次郎きちじろうのその主張しゅちょうをこれさいわいとばかり、奇貨きかとして押田おしだ吉次郎きちじろうくみして、事件じけん田安家たやすけだけで処理しょりしていたことであろうよ…、用人ようにん二人ふたりそろってそう主張しゅちょうすれば、如何いか田安家たやすけ目附めつけ石寺いしでら伊織いおりいえども、これにさからうことは出来できまいて…」

 岩田いわた吉左衛門きちざえもんはこうして「朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもん共犯きょうはんせつ」を一笑いっしょうしたのであり、これには川崎かわさき市三郎いちさぶろう反論はんろんのしようがなかった。

 すると岩田いわた吉左衛門きちざえもんはそれをいことに、つまりは調子ちょうしって「再検視さいけんし」にたった3人の徒目附かちめつけの「個人こじん攻撃こうげき」をはじめた。

「いや…、御三方おさんかた…、大畠おおはたけ殿どの川崎殿かわさきどの、そして堀谷ほりや殿どのが、竹本たけもと又八郎またはちろう妻女さいじょじゅんともころされた…、つまりは自害じがいせかけてころされたのだと、そうしんじたい…、いやおもみたい気持きもちもからぬではない…」

 岩田いわた吉左衛門きちざえもんひと小莫迦こばかにするよう口調くちょうでそう切出きりだしたかとおもうと、

「されば大畠おおはたけ殿どの田安家臣たやすかしん娘御むすめごめとられ、一方いっぽう川崎殿かわさきどの実姉じっし田安家臣たやすかしん妻女さいじょとしてとつがれ、そして堀谷ほりや殿どのいたりてはもと田安たやす大番おおばん…、つまりは三者三様さんしゃさんよう田安家たやすけ所縁ゆかりがあり、そのよう御三方おさんかたにしてみれば、所縁ゆかりのある田安家たやすけのそれも廣敷用人ひろしきようにんという要職ようしょくにありし竹本たけもと又八郎またはちろうがこともあろうに一橋ひとつばし民部卿様みんぶのきょうさま使嗾しそうされて侍女じじょ廣瀬ひろせ殺害せつがい…、絞殺しめころした挙句あげく、そのつみ発覚はっかくしそうになるや、妻女さいじょじゅん道連みちづれにして無理むり心中しんじゅうはかったなどと、到底とうてい受容うけいれられるものではなく、そこで…」

 検視けんしに「私情しじょう」をはさんだのであろうと、示唆しさした。

 すなわち、大畠おおはたけ半左衛門はんざえもん田安家臣たやすかしん清水しみず八平次はっぺいじ定直さだなおむすめめとっており、一方いっぽう川崎かわさき市三郎いちさぶろう実姉じっし田安家臣たやすかしん深津ふかつ理右衛門りえもん忠胤ただたねもととついでおり、そして堀谷ほりや文右衛門ぶんえもんいたっては自身じしんかつては田安家臣たやすかしんとして、それも大番おおばんとしてつかえていたという経歴キャリアつ。

 成程なるほど三者三様さんしゃさんよう田安家たやすけとは所縁ゆかりほこり、そのよう彼等かれらが「再検視さいけんし」にたったとなれば、如何いか彼等かれら優秀ゆうしゅういえども、

再検視さいけんし私情しじょうはさんだのではあるまいか…」

 岩田いわた吉左衛門きちざえもん指摘してきしたとおり、そのうたがいをさしはさ余地よちはあった。

 だが彼等かれら3人のなかでも最年長さいねんちょう大畠おおはたけ半左衛門はんざえもん岩田いわた吉左衛門きちざえもん冷静れいせい反論はんろんした。

成程なるほど…、田安家たやすけ廣敷用人ひろしきようにん竹本たけもと又八郎またはちろうとその妻女さいじょじゅん、2人を再検視さいけんしせしが、そこもとが指摘してきせしとおり、田安家たやすけ所縁ゆかりのありし吾等われら3人だけであらば、成程なるほどかるうたがいをさしはさ余地よちもあろうが、しかし実際じっさいには組頭くみがしら殿どのも…、杉山藤蔵様すぎやまとうぞうさま再検視さいけんしたられ、その杉山藤蔵様すぎやまとうぞうさま田安家たやすけとはなん所縁ゆかりはなく、にもかかわらずその杉山藤蔵様すぎやまとうぞうさままでが、竹本たけもと又八郎またはちろうとその妻女さいじょじゅん、この2人のについて吾等われら3人とおなじく他殺たさつ判定はんていされたのだぞ?」

 田安家たやすけとはなん所縁ゆかりのない杉山藤蔵すぎやまとうぞうまでが2人のについて「他殺たさつ」と判定はんていした以上いじょう、これをしんじても差支さしつかえないのではあるまいかと、大畠おおはたけ半左衛門はんざえもんはそう反論はんろんしたのであった。

 これにはさしもの岩田いわた吉左衛門きちざえもん即座そくざには反論はんろん出来できなかった。

 すると岩田いわた吉左衛門きちざえもん様子ようすからそうとった大畠おおはたけ半左衛門はんざえもんさらに、

「まぁ、どうしても2人の他殺たさつ判定はんていせし吾等われら再検視さいけんしがどうしても納得なっとく出来できぬともうすのであらば、ほか徒目附かちめつけ再検視さいけんしあおいでもいがの…」

 そう畳掛たたみかけたのであった。所謂いわゆる、「セカンドオピニオン」をすすめたのであった。

 どうやら大畠おおはたけ半左衛門はんざえもんは、いや半左衛門はんざえもんだけではない、再検視さいけんしたった全員ぜんいんが2人の他殺たさつとするその鑑定かんてい自信じしんがあるらしかった。

 そこで岩田いわた吉左衛門きちざえもんべつ角度かくどからめることにした。

 すなわち、現場げんば密室みっしつであったことにくわえて、竹本たけもと又八郎またはちろう本人直筆ほんにんじきひつ遺書いしょ存在そんざいふたた取上とりあげて再反論さいはんろんこころみたのであった。

 これもまたたしかにそのとおりであった。こと本人直筆ほんにんじきひつ遺書いしょ存在そんざいおおきかった。

 これについてはやはり、徒目附かちめつけなかでも筆跡鑑定ひっせきかんていの「プロ」である山上やまがみ熊太郎くまたろうが「再鑑定さいかんてい」にたり、その結果けっか岩田いわた吉左衛門きちざえもん筆跡鑑定ひっせきかんていただしさを証明しょうめいするものであった。

 つまりは竹本たけもと又八郎またはちろう本人ほんにん遺書いしょであるとの「再鑑定さいかんてい」がみちびされたのであった。

 たして竹本たけもと又八郎またはちろうとその妻女さいじょじゅん、この2人はともだれ第三者だいさんしゃころされたのか、それとも竹本たけもと又八郎またはちろう妻女さいじょじゅん道連みちづれにしての無理むり心中しんじゅうか―、結局けっきょく本丸ほんまる目附めつけ池田いけだ長惠ながしげ裁定さいていゆだねられることとなり、長惠ながしげはそこで、

妻女さいじょじゅん他殺たさつ一方いっぽう竹本たけもと又八郎またはちろうについては自他殺じたさつ判別はんべつがつかず…」

 ただし、現場げんば密室みっしつであり、しかも竹本たけもと又八郎またはちろう本人直筆ほんにんじきひつ遺書いしょがあったと、将軍しょうぐん家治宛いえはるあて報告書ほうこくしょにそうしたため、証拠品しょうこひんである遺書いしょをも添付てんぷした。
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